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To Paris(パリへ)

[Gestapo(ゲシュタポ)]

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 列車は定刻通り15時17分に出発して19時前にはパリに到着する4時間足らずの旅となるが、これは“何事も無ければ”と言う注釈を付ける必要がある。

 駅を出発して30分、車掌が切符の確認にやって来た。

 車掌の後ろには2人の私服の男が付いている。

 目つきの鋭さから素性は直ぐに分かる。

 ゲハイメ・シュターツポリツァイ。

 通称ゲシュタポ(秘密国家警察)。

 こいつ等を見かけた日は、ろくなことがない。


「je vois le billet」


 車掌が向かいの老夫婦のチケットを確認する。

 次は俺たちの番。

 既にゲシュタポの2人は、鋭い目を俺たちに突き付けている。


「切符を拝見します」


 ジュリーはバッグから、俺はポケットからチケットを取り出す。

 胸に付けていた騎士十字章にようやく気付いた2人が敬礼をしたので、俺も軽く敬礼を返す。

 俺のチケットは軽く目を通しただけで直ぐに返されたが、2人はジュリーのチケットを不審な目で見て身分証明書の提示を要求する。

 ジュリーは要求通りバッグから身分証明書を出して渡したが、気が強い様に見えていたその顔が少しだけ強張っている気がした。

 ゲシュタポの2人は、フランス軍政局に雇われた現地の人間が自由に出歩くことが気にいらない様子で、入念にチェックをしている。

 次に要求するのは外出証明書、または命令書。

 彼女はフランス人なので、少しでも書類に不明な点があれば尋問されるだろう。


「俺の連れだ。戦功により今回パリのミューゲル准将に呼ばれたのだが、パリは初めてなので案内役として着いてきてもらう事になった」

「それは、おめでとうございます」

「いえ」

 これで納得したのかどうかは分からないが、2人は直ぐにジュリーのチケットと身分証明書を返した。

「それでは、良い旅を」

「ダンケ(ありがとう)」

 何事もなく2人は次のコンパートメントに移動した。



「ありがとう。ドキドキしちゃったわ」

「なにか、疚しいことでも?」

「疚しいことはないけれど、ゲシュタポは嫌いだから」

「好きな奴はいないよ。特に……」

「特に?」

「いや、何でもない」



 ポーランドで観た悪夢の光景を思い出す。

 ゲシュタポによって捕えられた人たち。

 逃げようとすれば射殺され、おとなしく手を上げていても射殺される。

 そして胸にダビデの星を描かれた人々の行進。

 彼等はユダヤ人であるというだけで、何の罪も犯していないのに家を追われ、ギュウギュウ詰めの貨車に乗せられて郊外にある収容施設に送られる。

 噂では、ここでは食料も与えられず餓死させられると聞いた。

 同じ人間なのに、ユダヤ人というだけで生きる事さえも閉ざされてしまう。

 この戦争が続く限り、犠牲者は増えていくのだ。



 ホッとする間もなく、通路で誰かが車掌と揉めている声がした。

 聞き覚えのある甲高い声。

「何でこの私が1等に座れない!?」

「ですから、この2等のチケットでは無理です」

「ふざけるな!私は親衛隊の将校だ!車掌ごときに命令される覚えはない」

「とは言っても、1等の席はパリまで満席です。空いているのであれば、何とかできますが」

「だったら、何とかすれば良いだろう。ここはドイツの占領地なんだから、フランス人を1等に座らせる必要はない!」

「あっつ!お客様困ります」



 親衛隊の将校はそう言うとひとつひとつのコンパートメントを覗き込んでは、その席に座っている物がドイツ人かフランス人か確かめだし、とうとう俺たちの所までやって来て向かいの老夫婦に“お前たちはフランス人か”と尋ねた。

 困った様子で老夫婦が「Ouiはい」と答えると「もう直ぐ死ぬんだから無理してパリまで行く必要もないだろう。降りろ!」と怒鳴った。

 ドイツ語の分からない老夫婦は、何を言われているのか分からずに困った様子。

「降りろ‼もしくは席を譲れと言っているんだ!死にたいのか?このおフランス野郎‼」

 あまりの酷い言葉にジュリーが席を立とうとしたのを止め、老夫婦の肩を掴もうとした少佐の手を制した。



「2等のチケットで、1等の席に座ろうとしてドイツ将校の恥を晒すのは止めたまえ」

「なんだぁ?お、お前はあの時の軍曹じゃないか!?なんで軍曹ごときが1等に座っている……」

 奴は直ぐに俺の隣に居る美女に気が付いて変な顔をした。


「戦争中だというのに、女連れか……貴様、脱走兵だな」

 少佐は腰の拳銃を抜くと、俺の胸に銃口を突き刺した。

「脱走兵かどうかは、そこのゲシュタポに聞けば分る」


 俺は口笛を鳴らして、見て見ぬ振りをしていたゲシュタポの2人を呼び、少佐に説明させた。

 ゲシュタポの2人は俺がミューゲル准将に直々に戦功のお祝いのために呼ばれていることや、ジュリーがこの英雄の案内役として付けられている事などを話してくれた。


「大丈夫なの?」

 心配そうに俺の袖を引くジュリー。

「ゲシュタポもタマには役に立ってもらわないと」

 振り向いてニヤッと笑う俺。


 今回の命令書については全然興味が無くて時刻と場所と名前が記載された所だけサッと目を通す程度だったが、どうやら今回少尉に昇進させられるのは胸の騎士十字章に柏葉が付くことになるのも関係しているらしい事をゲシュタポが俺に代わって説明していた。

「また勲章が増えるのね。どんな活躍をしたの?」

 ジュリーに聞かれて、困った。

 俺は何も活躍したのではない。

「カーンで、生き残るために敵の命を奪い、敵の持つ戦車や車両、それに陣地を破壊した。戦争でなければ、犯罪者だ」

「後悔しているのね」

「いいや、後悔はしていない……もし、後悔しているとすればワインツマンの分隊や俺の分隊の仲間2名を失ってしまったことだ」

「アナタのせいではないわ」

 ジュリーが優しく俺の手を握ってくれた。

 その慈悲深い優しい目で見つめ、俺を慰めてくれる。


 堪らなくなった俺がジュリーを肩に抱き寄せた時、ゲシュタポに窘められて不承不承に2等の客車に引き返す親衛隊の少佐が最後に俺たちに挨拶すると言って近付いて来た。

「ルッツ軍曹、少尉昇進おめでとう……だが覚えていろ。次に戦場であった時、俺は少佐でお前は少尉だと言うことを!そして女、いつかお前の化けの皮を剥がしてやる‼」

 少佐は血走った眼で俺たちを睨み、捨て台詞を投げつけて2等の客車に消えて行った。
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