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Julie(ジュリーとの出会い)

[The sad prince and the swallow(悲しい王子とツバメ)]

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 一旦外へ出たが、この街のどこへ行っても味気ない。

 どこにでもある、ありきたりの街で、誘惑もなければ魅力も感じない。

 ただ、建物と道があり、そこに人が居るだけの街。



 あまりに詰らないので分隊の宿舎に戻ろうかと思ったが、軍服を着てないので面倒に巻き込まれたときに厄介だし、ウロウロしていてレジスタンスに襲撃でもされれば笑いものになってしまう。



 宿舎に帰るのを諦めてジュリーの住む家に引き返して、叔父さんが出してくれたカフェオレをチビチビと飲みながら本を読んで時間を待つことにした。

 何冊か本を手に取ったが、どれもフランス語で書かれていて何が書いてあるのかサッパリ分からない。

 新聞も同じ。

 ふと見覚えのある表紙の絵につられて、1冊の絵本を手に取った。

 本のタイトルは“Le prince Heureux(幸福な王子)”

 フランス語は分からないがPrince(王子)の綴りは英語と同じ。

 昔よく読んでいたので書かれている文字は分からなくても、書かれている内容は覚えているし、だいいち子供用の絵本なので絵を見ているだけでも内容は良く分かる。



 お話は、ある街に立てたれた“幸福な王子”と言う像と、ツバメの話し。

 像のモデルとなった王子は若くしてこの世を去ったが、人々に慕われていた王子は街の中心にある公園に大きな銅像として蘇る。

 体中金箔や宝石で覆われ、生前の王子同様に本当に美しい姿で、街の自慢だった銅像には人々の知らない秘密があった。

 それは、像には王子の魂が宿っていたこと。

 王子は高いところから人々の暮らしを見て、嘆き悲しんだ。

 街中の至る所に、助けを求める貧乏な人たちがいたこと。

 なのに、自分は死んで銅像になったため何もできない。

 王子は1羽のツバメの協力得て、自分の銅像に付いた宝石や金箔を貧しい人たちの為に配りボロボロになって行く話し。


 幼い頃に読んだときは、心優しく可哀そうな王子とツバメに泣いた。

 だが、今あらためて読むと懺悔ざんげの気持ちに苛まれる。






 独ソ戦の始まった1941年夏。

 ポーランドからベラルーシ、ウクライナに侵攻した我々を待っていたものは、意外な事に市民からの“歓迎”だった。

 もともとこの地方の人々の多くはソビエトの支配を嫌っていて、特にウクライナは帝政ロシア崩壊後に独立を試みてソビエトと戦争をして負けるが、我がドイツとオーストリア王国の後押しがあり1918年4月に独立を果たす事が出来た。

 しかしその独立も長くは続かない。

 同じ年の11月、ドイツ軍の降伏により第1次世界大戦が終わると共に再びソビエト軍に攻められて敗れ、以降ソビエトに支配されることになり穀物の搾取などウクライナ人の多くはソビエトへの悪い感情を抱いている物が多くいた。



 つまりウクライナの場合、俺たちドイツ軍は再び訪れた解放者だったに違いない。

 しかし、その歓迎気分も一瞬にして終わる。



 それはドイツの占領地政策と、アインザッツグルッペン(ドイツ保安警察)等による虐殺行為。

 ドイツ政府はウクライナで収穫されたばかりの小麦を戦利品として本国に運び、アインザッツグルッペンどもはユダヤ人や教育者、知識人、聖職者や政治家などに難癖をつけては殺害してその資産などの略奪を繰り返していた。


 略奪や虐殺はなにもアインザッツグルッペンだけのものではなく、一部の親衛隊や国防軍の間でも行われていた。




 ある日の進軍中、郊外で下着姿にさせられた20人程の若い女性たちが親衛隊員に銃を向けられていた。

 行軍を止めて見ていた俺たちに、国防軍の大佐が直ぐに進むように命令して来たので俺たちはそれに従ったが、それからすぐ後に20発の銃声が響いた。

 悲鳴も何も聞こえない。

 ただ銃声と共に20人の命は、遠い空の彼方に消えて行ったのだ。



 あとから聞いた噂では、彼等が女性たちの衣服を剥ぎ取って処刑したのは戦時中に相応しくない服装だと言う理由で、しかも剥ぎ取った綺麗な服はドイツに居る家族や恋人に送るためだという事だった。


 嘘か本当かは分からないが、火のない所に煙は立たない。


 実際にユダヤ人を住居から追い出して殺害したアインザッツグルッペンの隊員たちが、家財を物色しているところを何度も見た。

 しかし、その頃の俺は他の皆と同様に見て見ぬ振りをして通り過ぎる事しかできなかった。

 そう言うことが頻繁に行われていて、各占領地のレジスタンス活動は激しさを増していき、作戦行動……特に前線と補給などの後方支援はしばしば彼等によって分断されていた。

 別にレジスタンス活動を推奨するつもりはないが、この種の抵抗活動の種をまいているのが実は現地人のみの責任ではなく、ヒットラーやナチスドイツの占領地政策そのもので、その事がこの戦争をより困難なものとしている事は間違いない。

 もしも祖国ドイツの占領地政策に、この絵本に登場する王子の様な慈悲深い心が少しでもあれば東欧での戦局、特にソビエトからの独立を望むウクライナでの戦いは大きく違ったものとなっていただろう。




「ふ~ん、意外にこんな童話を読むんだ……」

 いつの間にかジュリーが隣の席に座って絵本を覗き込んでいた。

 もう17時なのか?

 まさか……。

 俺が顔を上げて時計を確認するよりも早く「早退して来ちゃった」と可愛い舌をペロッと出した。

 ジュリーは幼さない顔じゃない。

 どちらかというと若いのに、大人びた確りした顔立ちの美人。

 そのジュリーが、まるで子供の様な仕草をするなんて。

 意表を突かれた俺の心を構成するピースのひとつが、今また彼女に奪われた。
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