上 下
1 / 98

[Hamburger Hill I(ハンバーガーヒル)]

しおりを挟む
 後ろから重野戦砲の発射音が轟き、そして5キロ先に見える丘からは幾つもの土柱が上がり着弾音が大地の震動と共に森の外れに掘った急ごしらえの塹壕に潜む俺たちに届けられる。

 まるで丘が削り取られて平地になってしまうのではないかと言うくらい凄まじい爆発音。

 あの丘では、この世の地獄が行われている。

 目の前に起きている惨劇は俺たち偵察部隊が、丘に潜む敵の大部隊を発見し報告したことが発端。

 つまり俺たちに発見されなければ、彼等の命は少し先まで延命されたに違いない。

 だが彼等に延命を与える事は、すなわち俺たちの命が危険に晒されると言う事に他ならない。

 だから見つけ次第、まるでハエを叩くように潰していくしかないのだ。



「軍曹、もしかしたらあそこに居た敵は、もうとっくに逃げたんじゃないですか?」



 ベテランだが、思ったことを直ぐ口にしてしまうシュパンダウが俺に言う。

 確かに彼の言う通りあの丘には1個旅団に相当する3000人規模の敵兵が潜んでいた。

 だが彼等の悲鳴は何一つ聞こえない。

 全て重砲の爆発音に掻き消されているのか、それともシュパンダウの言う通り、まんまと逃げ遂せたのか。

 約1時間、俺たちは重砲の発射音と着弾音の狭間に居た。

 のんびりと朝食を摂れればいいが、そんなものはなく、ただ煙草をふかすだけ。


「ルッツ軍曹、中隊長のオスマン大尉からです」


「おいでなすったな……」


 通信士のグリーデンが俺を呼ぶと、ロス伍長が嫌そうに笑った。

 受話器を取りオスマン大尉からの命令を聞く。


「――ハウンドⅡ了解」


 ハウンドⅡは俺たち降下猟兵第2分隊の暗号名。

 降下猟兵と言っても1941年5月のクレタ島の戦い以降、航空機からの降下作戦には参加していないので、俺の他にはロスとシュパンダウ以外パラシュートでの敵地への降下経験はない。

 そばで、覗くように聞いていたロスが、俺が通信を切ると同時に隊員に鼓舞するように叫ぶ「さあ、沼地へピクニックに行くぞ!」と。


「沼地って、どこに行くんですか?」


 新入りの補充兵、ホルツ2等兵が、教育係のマイヤー上等兵に聞いた。

 確かに、この辺りは高原地帯で沼地など有りそうにもない。

 マイヤーは何も答えずに、煙草を今砲撃の止んだ向こうの丘に投げた。

 彼は寡黙だが用心深い。

 だから教育係に任命した。


「丘が、沼地……?」

「新兵、こっそり何も食べてねえだろうな!?」

 シュパンダウがホルツに声を掛ける。

「食べてないです。それに食べる物もありません」

「ならいい」

「どうして?」

「食べた物が、吐いちまって無駄になるからな」

「どうして?」

「そりゃあ……」

「止めろ、敵も偵察を出してくる。以後私語は禁ずる」

「了解しました」



 シュパンダウは良い奴なんだが、調子が良すぎて困る。

 いまから新兵をビビらせてもらっては困る。

 どのみち分かる事だが、自分で考えて予測する事が、戦場で生き残るためには重要なのだ。




 機関銃手のザシャと助手のカミール、それに通信士のグリーデンを縦長の隊列の中央に守る様に各自10メートル間隔の隊列を組んで丘を目指す。



 先頭はシュパンダウ。

 周囲の異常に気付く能力が高い。



 最後尾はマイヤー。

 常に後方へも気を配る用心深さを持っている。



「軍曹」

 最後尾のマイヤーから声が掛かり、隊列を止めて最後尾に向かう。

「どうした?」

 マイヤーが指をさす方向に聞き耳を立てると、木の枝が折れる音が聞こえた。

 全員に身を潜めるように指示を出す。

「展開しますか?」

 ロスが俺のところに来て攻撃態勢を取るか聞きながら、持っていたラインメタルFG42のスライドレバーに手を掛けようとしたのを止めた。

「まだ敵と決まった訳ではない」

「じゃあ、味方の可能性も?」

「だったとしても、やり過ごす」

「了解」



 乱戦でない以上、味方とは言え違う部隊と歩調を合わせたくはない。

 特に、この森の中で平気で音を立てながら進む連中なら尚更。

 姿を隠したままやり過ごしていると、後から来たのは武装親衛隊の兵士たちだった。

 これならワザワザやり過ごすまでもない。

 おそらくは彼らの方から、俺たちを拒否するはず。

 万が一、知っているのに声を掛けなかったために敵にヤラレタと恨まれないために、俺は声をかけることにした。


「空挺隊の者だ」

 声を掛けると彼等は一瞬敵と間違えて、銃口を俺たちに向けやがった。

「空挺?降下しねえ空挺が、なんでこんな所に居る」

「戦果確認だ」

「なら必要はねえな、とっとと帰りな」

 武装親衛隊の軍曹は、そう言い残すとサッサと走り去って行った。




「羨ましいねぇ、この御時世にチャンと定員通り10人居やがる」

 シュパンダウの言う通り、10人で分隊を組めているのは最近では珍しい。

 我々も今はホルツ2等兵が入って8人になったが、それまでは長いこと7人での運用を強いられていた。

 ホルツがマイヤーに聞いた。

 “何故、合流しないのか”と。

 だがマイヤーは何も答えずに、ただ軍服の右の胸に付いているライヒスアドラー(鷲の刺繍)を人差し指で2度軽くたたいて見せた。

 俺たちは空軍所属の地上部隊、そして向こうは親衛隊。

 つまり通信状態が保たれている場合、組織の違う者同士が組むこと自体、お互いの組織自体が嫌がるためロクなことは無いと言う事だ。
しおりを挟む

処理中です...