上 下
42 / 64
*****Opération“Šahrzād”(シェーラザード作戦)*****

Commander Barak Ⅱ(司令官バラク)

しおりを挟む
「Are you a police man?  I do not know how to return to the inn(あなたは警官ですか?道に迷って帰れなくなってしまいました)」

 俺は旅行者を装って、宿に帰れなくなったことを告げた。
 奴らを兵士としてではなく、警察と勘違いしたふりをして。
 もちろんこの3人に英語が通じるとは思ってもいない。
 案の定、3人は意味が分からず道を塞いだまま立っている。

「Is there anyone who understands English?(英語がわかる人はいますか?)」

 今度は後ろを振り向いて、英語が分かる人が居ないか尋ねる。
 誰も、何も答えない。

「Oh my god.……I can not go back!(ああ、帰れない)」

 両手を広げて、お手上げだという表情を作って悲しい顔を見せていると、後ろの人だかりの中から声がした。

「Any trouble?(なにかお困り?)」
「I'm lost(道に迷いました)」

 英語でトラブルかと聞かれたので迷子になったと答え、振り向いてギョッとした。
 俺に話しかけてきた背の高い細マッチョな男、それは亡くなった義母ハイファの弟で、私の義理の叔父にあたるバラクだった。

 バラクは俺に近づいて来ると親切にこう言った。

「Please come to my room for the time being」
 つまり“とりあえず俺の部屋に来なさい”と。

 そして俺だけに聞こえるような小さな声で呟いた。
「How does "Yaza" live?」(ヤザは元気ですか?)

 その言葉は、俺の心臓に氷のナイフを突き刺すような衝撃を与えた。
 バラクが優しく俺の背中に手をまわして、部屋に誘う。
 周りからは「解散!」と言う声が聞こえ、さっきまでの緊迫した雰囲気が一気に緩やかに溶ける。

 ただ一人、俺を除いて――。

 バラクは3年前に一度、ほんの一瞬だけ会った事を覚えていた。
 だから、ヤザはどうしているかと聞いてきた。
 バラクの部屋に入るまで、あの時のことを思い出していた。
 あの時、俺はサオリたちと街に出て、いったん分かれて髪を切ってもらった。
 待ち合わせ時間に余裕があったので、そのまま街を歩いていたところ、ヤザを見つけて慌てて路地裏に逃げ込み、そこでバラクの手下に囲まれた。
 直ぐに騒ぎになり、そこにヤザが駆けつけて、そしてバラクが出て来た。
 問題なのは、その時何を話したのかと言うこと。

 あの日の事は忘れない。

 どんな些細なことでも、忘れることは出来ない。

 サオリがこの世を去った日だから。


「هل يمكنني استخدام الشاي الأسود؟ (紅茶でいいかい?)」
 バラクがティーカップを運んでくれた。

「Thank you」
 そう答えて、しまったと思った。
 バラクはアラビア語で俺に聞いてきたのに、俺は英語で答えてしまった。
 アラビア語が分からない旅行者の振りをしていたというのに。

「さあ、話してもらおうか?」
 そう言うと、バラクはテーブルに拳銃を置いた。

 イジェメック MP-443。

 ロシア製のその銃は、マカロフと違って指揮官の持つ銃に相応しいと何故か思ってしまった。
 
「今、俺が持っている武器は、これだけだ。君は?」

「何も、持っていない」

「……信じよう」

 そう言うとバラクは拳銃を手に取り、そこからマガジンを外し更にマガジンから弾も抜きスライドさせて全ての弾を抜き取ると、それを離れた所にあるソファーに無造作に投げ捨てた。

「もちろんナイフなども持ってはいない」
 そう言って立ち上がり、服をパンパンと叩いてまた座る。

 俺がヤザの養女だということを覚えていたとしても、自分の仲間の前で話せるはずのアラビア語を使わず英語を使った怪しげな女の前で大胆だと思った。
 目の前に置かれた半袖の腕は、その端正な顔立ちに似合わないほど逞しい。

「なにも言ってくれないのなら、僕の方から知っている情報を話そう」

 そう言ってバラクは優しく話し出した。

「少し前、僕たちのことを嗅ぎまわっている某国のエージェントを一人捕まえるのに成功した。そして彼を捕まえることによって、正体がバレるのを恐れた他のエージェントの活動も止まったが、その代わり政府軍や多国籍軍のパトロールが厳しくなった。もちろん、彼らは彼ら自身の安全のためにパトロールは車で行うから、こんな路地裏にあるアジトなんて分かりはしない」

 バラクは一度紅茶をすする。

「ところがね。最近になって部隊内であるバーが人気になっていてね。聞けばとびきりの美女が二人も居ると言うじゃないか。しかも、そのうちの一人はポールダンスなども披露するらしい。女の名前はエマとアマル。シリアから来た従妹同士。部下が写真を送ってくれた」

 携帯が俺の前にスーッと置かれ、バラクが写真をスクロールして見せてくれる。

「確かに飛び切りの美女だ。でも、旅先でお金欲しさに、こういうことをする女はいくらでもいる。もっと凄いことをする女もね。何も特別な事じゃない。だけど、妙に気になった。特に、この写真を見てから」

 スクロールしていた指先が、止まる。

 それはアップで撮影された俺の写真。
 いつ、誰に撮られたのか全く身に覚えがなかったが、つい最近撮られたことは服装で分かった。

「しばらく考えて思い出したよ。この娘は3年前ヤザが連れて居た娘だと。あの時僕と君が一緒に居た時間は数秒足らずで、もちろん会話もしていない。ヤザは養女とだけ僕に言ったし、僕もヤザの新しい養女だと思っていた」

 俺の前に差し出された携帯をバラクが自分の元へ引き寄せて、その写真を見て言った。

「でもね、こうしてじっくり写真を見ていると、あることを思い出してしまった。なんだと思う? アマル」

「分からない」

「……そうか」
 そう言うと、また携帯を触りだした。

 そして再び携帯を俺の前に差し出して言った。

「死んだナトーも、生きていたらこんなに可愛かっただろうってね」

 差し出された携帯の画面には、自分の体に比べて見るからに大きすぎるAK47を構えて少しはにかんだ表情でカメラを見つめる幼い頃の俺の顔があった。
 それは、まだ玩具として銃を触っていた頃の俺。

 “なぜこの写真を!”

 だが口に出してしまうと、それは俺がアマルではなくナトーだと言うことを肯定してしまうことになる。

 肯定してしまうと、なぜ名前や身分を偽って、ここに居るのかも追及されるので平静を装ったまま写真を見ていた。

「可愛い子ね。少し私に似ている。あなたのお子さん?」
 子供の頃から自分の事を俺と呼んでいたことを思い出して、自分の事を私と呼んで答えた。

「いいや、この子はハイファ姉さんが育てた子だ」
「ハイファ姉さんの子供なの?」

「いや、養女だ。昔、外国人を狙った大規模な爆弾テロがあって、その焼け跡からハイファ姉さんが拾ってきた、生まれて間もない子だった」

「そのハイファ姉さんと言う人は、今どこに?」
 バラクがまたページを替えて、写真を見せてくれた。

 その写真には、白い赤ちゃんを抱えた、若く美しい女性の両脇でバラクとヤザが無邪気な顔で笑っていた。
 ヤザのこんなに優しい表情は見たこともなかった。

 スーッと携帯を引くと、バラクは画面を閉じて、答えた。

「死んだよ。まだその子が5歳になったばかりの頃に、多国籍軍の空爆に巻き込まれて。そして、この子も砲撃に合って死んだ」

 そして、バラクはいつの間にか席を立って背中を見せていた。
「すまんな。ただの道に迷った旅行者に、つまらない身の上話などしてしまって」

「いいえ、良いんです」

「身の上話を聞いてもらったついでに、もう一つ君にお願いがあるのだが聞いてもらえないか?」

「なんでしょう」

「実は、ある荷物の処理に困っていてね。一部の仲間は焼いてしまえとか、海に捨てようとか言うけど、もうスープの出汁は取ったから俺も必要はないと思っているんだ。なにせ生ものだからねぇ~。処理に困って港の28番倉庫にしまっているんだけど“付け出し”ごと処理できる名案が有ったら教えて欲しい。もちろん君の方で処理してくれても構わない」

 俺は、それには答えずに、英語で聞いた。

「Do you return me?」(返す気はあるのかと)

「of course」(もちろん)

 そう言うとバラクは背中を向けたまま、手を玄関の方向に広げた。
 俺は、その背中に向けて親しみを込めて言った。

「Thank you for everything. Take care of yourself(ありがとう。ご自愛ください)」

「……Sure」(ああ)

 バラクは最後まで俺を振り向かずに、頷くだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

軍艦少女は死に至る夢を見る~戦時下の大日本帝国から始まる艦船擬人化物語~

takahiro
キャラ文芸
 『船魄』(せんぱく)とは、軍艦を自らの意のままに操る少女達である。船魄によって操られる艦艇、艦載機の能力は人間のそれを圧倒し、彼女達の前に人間は殲滅されるだけの存在なのだ。1944年10月に覚醒した最初の船魄、翔鶴型空母二番艦『瑞鶴』は、日本本土進攻を企てるアメリカ海軍と激闘を繰り広げ、ついに勝利を掴んだ。  しかし戦後、瑞鶴は帝国海軍を脱走し行方をくらませた。1955年、アメリカのキューバ侵攻に端を発する日米の軍事衝突の最中、瑞鶴は再び姿を現わし、帝国海軍と交戦状態に入った。瑞鶴の目的はともかくとして、船魄達を解放する戦いが始まったのである。瑞鶴が解放した重巡『妙高』『高雄』、いつの間にかいる空母『グラーフ・ツェッペリン』は『月虹』を名乗って、国家に属さない軍事力として活動を始める。だが、瑞鶴は大義やら何やらには興味がないので、利用できるものは何でも利用する。カリブ海の覇権を狙う日本・ドイツ・ソ連・アメリカの間をのらりくらりと行き交いながら、月虹は生存の道を探っていく。  登場する艦艇はなんと58隻!(2024/12/30時点)(人間のキャラは他に多数)(まだまだ増える)。人類に反旗を翻した軍艦達による、異色の艦船擬人化物語が、ここに始まる。  ――――――――――  ●本作のメインテーマは、あくまで(途中まで)史実の地球を舞台とし、そこに船魄(せんぱく)という異物を投入したらどうなるのか、です。いわゆる艦船擬人化ものですが、特に軍艦や歴史の知識がなくとも楽しめるようにしてあります。もちろん知識があった方が楽しめることは違いないですが。  ●なお軍人がたくさん出て来ますが、船魄同士の関係に踏み込むことはありません。つまり船魄達の人間関係としては百合しかありませんので、ご安心もしくはご承知おきを。もちろんがっつり性描写はないですが、GL要素大いにありです。  ●全ての船魄に挿絵ありですが、AI加筆なので雰囲気程度にお楽しみください。  ●少女たちの愛憎と謀略が絡まり合う、新感覚、リアル志向の艦船擬人化小説を是非お楽しみください。  ●お気に入りや感想などよろしくお願いします。毎日一話投稿します。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...