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第四章 「すまない」

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「す、少し話を……しないか? 幼馴染みとして。できれば、二人で……」

「いいえ、私たちは互いに既婚者ですもの。外聞がよろしくないわ」

 思った以上に自分の口から冷たい声が出てしまったことに、アナは驚いた。
 オーウェンとの関係はもう済んだことであり、今はロビンがいてくれて幸せだと日々思っているというのに……あの傷ついた日の痛みは、癒えていなかったらしいと気付いてしまった。

「奥方はどうなさったの」

「……ミアは、あっちで今他の人と楽しく話をしているから」

「そう……」

 あれほどまでに運命だなんだと言っておきながら、現在のブラッドリィ小伯爵夫妻の仲は冷え切っている。
 それこそ、周囲に隠し通せないほどに――というよりは、隠す気がないのかもしれない。

 元パラベル男爵令嬢であったミアは下級貴族としての勉強ですら疎かであったというのに、そこに伝統ある伯爵家の勉強に加え淑女教育、女主人となるための勉強。
 まだまだ領地の財政は安定しておらず、オーウェンを支えるための領地経営についての勉強と続いて『思い描いていたものと違う!』と癇癪を起こし、実家だけでなく当時親しかった友人たちにも手紙で愚痴を零していた。

 同じような価値観のある者は付き合いが続きやすいとはいえ、つまるところそうして本来明かしてはならぬ内情を軽々しく口に出してしまうミアだけに、友人たちもそうであった。
 勿論全員がそう・・ではないにしろ、口止めをしていない上にそれだけ複数に手紙を出していれば自ずと貴族社会では広まってしまうもので。

 気がつけば、ブラッドリィ伯爵家はすっかり嘲笑を通り越して哀れまれる立場に転落してしまったのである。
 ただでさえ、婚約者がいるのに別の女性に手を出して……という先々代とまるで同じ失敗を繰り返したオーウェンたちのせいで地に落ちた名誉は、これでは回復させるのにどれだけかかることか!

 オーウェンもまた、思い描いていた未来ものとはまるで違う現状に、頭を抱えていたのである。

(ミアが、あんなにわがままだったなんて知らなかったんだ……)

 知らなかったからどうだと言われればその通りだ。
 だがオーウェンにとってこれまで異性たる女性と言えばアナしかいなかった。
 アナは従順で、優しくて、健気で、いつだってオーウェンを立ててくれていた。
 知識で足りない面があることはオーウェンだって理解していたが、アナがそれを埋めてくれた。ブラッドリィ伯爵領を、愛してくれた。

 子爵家と伯爵家では教育に違いがあると知って、もっと頑張って横に並び立ってみせると笑って言ってくれたアナが、どれだけ得がたい存在だったのかオーウェンは事ここに至ってようやく知ったのである。
 周囲にミアとの運命を貫いたことを褒めそやされていい気になっていたが、同じような爵位帯の子息からは『馬鹿なことをしたものだ』と言われた理由に、ようやくたどり着いたのだ。

「マグダレア夫人……ぼ、僕らは、今も幼馴染みだよな……?」

 縋るような声が出たのは、何故だろう。オーウェンにもわからない。
 今更アナが笑って彼の腕に飛び込んでくることはないとわかっていても、何故だか彼女の姿を見たら止まらなかった。

 夫となったロビン・マグダレアに支えられ、美しく幸せそうに微笑むアナを見て、ああなるべきは自分だったのにという想いが胸を占めたとしても今更なのだ。
 今更だとわかっているのに、何故縋るような声が出たのか、オーウェンにはやっぱりわからない。

 思わず手を伸ばしていたのだ。
 アナは優しいから、きっと見捨てない。
 夫にはなれないことは百も承知でいるオーウェンでも、きっと彼女ならその境遇を聞いて可哀想にと慰めてくれるのではないか。
 そして彼を助ける知恵を授けてくれるのではないかと期待をしてしまったのだ。

 (アナは、優しいから――)

「妻に近づくな、ブラッドリィ伯爵令息」

 だがそんなオーウェンに、冷たい声が向けられる。
 その声の主のことをすっかり失念していたオーウェンが、ゆるゆると顔を上げれば冷ややかな視線が向けられていて思わず小さな悲鳴が漏れ出た。

「貴殿が妻に何をしたのかは知っている。両家の間で片がついているとはいえ、当人同士でそう簡単に割り切れるものと思ってくれるな。アナはその件に関して被害者だ、それ以上みっともなく縋るなど言語道断」

「あ……いや、僕は、そんな……そんな、つもりじゃ」

「ベイア家の助けを借りてブラッドリィ家は持ち直し、事業に関しては今共同で行っているものについて継続と聞いている。それ以上、何を求める?」

 ロビンの声は、静かだ。
 だがオーウェンは確実に圧を感じ、恐れを抱いた。

「ぼく、ぼくは……」

 ただ助けてほしくて。
 そう言いたかったのに、喉が張り付いてしまったかのように動かない。
 逃げたいのに、足が震えて動かない。

 ああ、なんて情けないのだろうとオーウェンは自分でも思った。
 クスクスと周囲から笑う声が聞こえてきそうで、また俯く。

「……ロビン様」

 そんな中、柔らかな声が張り詰めた空気を和らげた。
 ああ、助けてくれたのかとオーウェンがホッとしたのも束の間、続く言葉に彼はわかりやすく落胆してしまった。
 
「もう会場に戻りましょう。十分に涼みましたから」

 アナは、彼に言葉をかけるでもなく、ただ夫だけを見ていたのだから。
 それも当然だと頭では分かっても、オーウェンにはどこか別の世界のことのように思えて、そのままその場を離れる彼らの背を見送って――その向こうに、どこの誰とも知らない男と楽しげに笑いながら酒を飲んでいるミアを見て、泣きたくなったのだった。
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