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第二章 モーリス・モルトニア

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 モーリスが恋に落ちた、そうアナは確信していた。
 何がどうということはないが、オーウェンの時もそうだったが『そうなんだろう』という感覚があったのだ。

 だから、覚悟はしていた。

「すまない……アナ。いいや、ベイア子爵令嬢アナ殿」

 そこはとあるレストランの一室だった。
 貸し切りとされている店内の、そのまた個室に招かれたのはアナと、アナの祖父であった。
 そんな彼らを招いたのはモーリスで、彼はやってきた二人の姿を見るなり勢いよく頭を下げたのである。

「……モーリス様」

 深く、深く頭を垂れるモーリスを見て、アナは微笑んでみせた。
 それは淑女として美しいまでの礼をもって、最後まで誠実に、そして卑怯に生きる男へ見せた意地だったのかもしれない。

 モーリス・モルトニアは名も知れぬ踊り子と恋に落ち、諦めねばならない気持ちを捨てきれずに別の日、あの地へととって返してまだ去っていなかった一団の中から彼女を見つけ出し、想いを交わしてしまったのだ。

 婚約者のいる身でありながら。
 恋は育てていけばいいと思っておきながら。

 初めこそ、モーリスもこんな不義理はいけないとその恋を諦めようとしたようだ。
 しかしながら諦めきれず、とうとう相手に想いを告げてしまった。
 告げて終わりにするつもりが、相手も同じ気持ちだと知って、止まらなくなってしまったのだという。

 そして彼は手紙で事前にアナへと長い長い謝罪を送り、自身の家族に頭を下げて婚約解消の手はずを整えたという。
 モルトニア侯爵家にとっては、とんだ問題であった。
 
「先日手紙に書いた通り、ベイア嬢・・・・になんら瑕疵ないことを世間にも公表した上で婚約を解消する運びとなった。こちらから申し込んでおいてこの不始末、どのように詰られようとも致し方ないことだと……」

「大丈夫です、モルトニア卿・・・・・・。どうぞお幸せに」

 婚約者でなくなった以上、できた距離。
 モーリスは彼女のことをベイア嬢と呼び、アナも彼のことを騎士として、そして知人として家名で呼んだ。
 それは、現在の二人にとって正しい距離感であると信じて。

 モーリスへの恋心を自覚したばかりだったのが幸いしたとアナはそっと痛む胸に手を添える。
 そんなことを慕って、痛むものは痛むのだけれども。

「……ありがとう。俺が言えたことではないが、ベイア嬢にも幸いが訪れるよう、祈っている」

「ありがとうございます」

 モルトニア侯爵家の侍従が、モーリスへ退室を促す。
 アナは頭を下げ、それを見送る。
 彼が振り返ったような気がしたが、決して顔は上げなかった。

「ベイア子爵令嬢様、ジュディスお嬢様からの手紙をテーブルの上に置かせていただきます。お心が許すのであれば、どうかご覧いただけますよう」

 侍従の申し訳なさそうな声に応えることもできない。
 それを拒絶と受け取ったのかどうかはわからないが、侍従が去って行く足が見えた。

 ぱたんというドアの閉まる音に、途端に涙が溢れて床を濡らす。
 その背を祖父は静かに摩ってくれたことでアナも我慢の限界を迎え、祖父に縋り付くようにして声を上げて泣いた。

 それは三年生の、夏の終わりの出来事だった。
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