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第二章 モーリス・モルトニア

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 二年の終わりの長期休暇の際、予定通りアナは領地に戻らなかった。
 とはいえ寮に残ることは学園側が許可していないため、アナが滞在するのは祖父の家である。

 ヨハンも一緒に残ると言ってくれたのだが、彼は彼で父親について挨拶回りに出たりなど次期領主として学ぶこともあるため、残るわけにはいかなかった。
 ジュディスはジュディスでこの長期休暇は公務に充てられるとのことで、休みが欲しいと零していた姿を見て、アナは心配になったものである。

 そして先日まで留学生としてこの国にいた女生徒が、帰国していくのをアナは見送った。
 彼女とはそちらの言葉を交わせるほどに互いの国の言葉を教え合った仲だ。
 手紙を送ると互いに約束し、別れを惜しむ。

 そうして途端に周囲から人がいなくなってしまったことに寂しさを覚えたアナは、それを埋めるように祖父の店を手伝った。
 帳簿付けの手伝いなどは領地にいた頃からしていたことだし、仕入れなどについては興味もあったので見学をして過ごす。
 祖父の人脈なのか国内の珍しい品だけでなく、異国の品もあれこれと目にすることができて楽しい。

「アナ、待たせたね」

「いいえ、お仕事でお疲れでしょうに……大丈夫ですか?」

「ああ、俺も今日を楽しみにしていたんだ」

 そうして店を手伝いつつ、異国の友人に手紙を書いたり宿題をしたりして過ごしていたアナは、モーリスとの約束の祭りの日を迎えたのである。

 その町は彼が言っていた通りさほど規模も小さく、王都からそう遠くもなかった。
 馬車に乗って移動してもほんの一時間少しで着く程度の距離だ。

 貴族たちが好むような華やかなものではないのか、祭りに参加するのは町の人々、それから近隣の村人たちのようだ。
 中には貴族らしい人物の姿もあるが、その数は少ない。

「さあ行こう、アナ」

「はい、モーリス様」

 手を繋いで町中を見物して回る、それだけのことだが十分に楽しい。
 出店を覗いてあれこれ笑い合ったり、花を配って回る子供たちに手を貸したり、教会で祈りを捧げたり……なんてことはない穏やかな時間であった。

「ああ、ほらあれだ。大道芸人たちが芸を披露し始めた」

「まあ……!」

 確かに王都にやってくるような大規模なものではない。
 天幕もなければ大きな動物を連れていることもないし、派手な音を立てる楽器を吹き鳴らす道化や妖艶な姿をした踊り子たちが小道具を用いてあれこれと動き回っている姿が人混みの向こうに見える。

「モーリス様、もう少し前に行ってみましょう」

「ああ」

 人垣を縫うようにして二人もその芸に見入る。
 アナたちが着いた時にはちょうど道化が大技を披露したところで、思わず彼女も拍手をしていた。
 すごいすごいとはしゃぐ彼女にモーリスが優しい笑みを向けてくれて、それがアナの心を高鳴らせる。

(ああ、私、幸せだわ)

 誠実に接してくれているモーリスに対して、アナはすっかり心を預けていることを自覚した。
 恋をしたのだ、と改めて思うと気恥ずかしいが、婚約者となった人を好きになることができて良かったと安堵もしていた。

 シャーン!
 道化が大げさなお辞儀をして下がった瞬間打ち鳴らされた。
 その音と共に軽やかに現れた踊り子の姿に、アナは目を奪われる。
 
 真っ赤で妖艶な異国の衣装に身を包んだその踊り子の羽衣のような衣装が宙を舞う。
 踊り子の結われていない真っ直ぐな黒髪が彼女の踊りに合わせるように広がる様はなんとも見事で、情熱的だ。

 彼女が舞い踊る度にワッと周囲からも歓声が上がる。

「綺麗……素敵ですね、モーリス様!」

 その感動を分かち合いたくて見上げて、アナは息を呑んだ。
 
 呆けたように踊り子を見つめるモーリスの姿は、これまで見たことのない彼の姿だった。
 そして、そんな彼の前に立った踊り子が――周囲の声も耳に入っていないかのように、モーリスを見つめて踊っていることに気付いてしまった。

(ああ)

 吐息のように零れたそれは、声にならなかった。
 アナは、恋を自覚したのと同時に理解してしまったのだ。

(私は、人が恋に落ちる瞬間を目の当たりにしたのだわ)
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