上 下
3 / 29

3

しおりを挟む

 そして三年後。



 ――コンコンコン、ガチャ


「旦那様、おはようございます」

「きゃー!」

「なっ!貴様、ぶ、無礼だぞっ!」


 私は夫婦の寝室へとやってきた。本来なら私と旦那様であるモーリスが使う部屋であるが、そこには必死にシーツで身体を隠そうとしている私ではない女性がいた。そうこの女性こそがモーリスの真実の愛の相手であるエリザだ。
 一年前に父親が亡くなり爵位を継いだモーリスは、私が何も言わず大人しいのをいいことに恋人を侯爵邸に住まわせたのだ。
 そこからはよくある話で恋に現を抜かし当主の仕事などせずに恋人と遊び呆け、さらにその恋人は高価な贈り物をねだるようになり、日に日にラシェル侯爵家は傾いていった。むしろ一年でここまで家を傾けるなど才能なのではと思うほどだ。気づいていないのは本人たちだけ。私がいなくなることで給金が払えなくなり、使用人が一気に辞めていくのが目に見えている。まぁ私はもうこの家から出ていく身。モーリスとその恋人がどうなろうと知ったことではないが。


「お楽しみのところすみません。旦那様にお願いがあるのですが」

「い、今はお前の願いなど聞く暇がないことくらい見て分かるだろう!?」


 (まぁ二人とも裸ですからね)


「分かっていますが私も急いでいるのです。なのでこの書類にサインをお願いします」

「お、お前に恥じらいというものはないのか!」

「ええ、ありませんので今こうしてここにいるのですよ」

「なっ…!?」

「さぁ早くこの書類にサインしてください」


 私は二人がいるベッドへと近づき旦那様の顔の前に書類を掲げた。


「り、離婚届、だと…?」


 勢い余って顔に書類を近づけすぎて文字が見えていないかと思ったら、どうやら見えていたようでよかった。


「はい。これでお互い晴れて自由の身です」

「だ、だが、お前は俺のことが好きで嫁いできたんじゃ…」

「あぁ、あの初夜の時におっしゃっていたことですか?勘違いしているようですが、私は全く旦那様のことなんて好きじゃないですよ?ただ訂正するのも面倒でしたので言わなかっただけです」

「な…」

「だってどこに旦那様を好きになる要素があるのですか?私の好みは仕事ができてお金持ちの、旦那様とは正反対の男性ですもの」

「なん、だと?」

「まぁ今はそんなこといいじゃないですか。さっさとこちらにサインしてください」

「しかし…」

「こちらにサインしない限り旦那様の隣にいる彼女はずっと日陰者のままですよ?」

「くっ…!た、確かに…」

「今や旦那様は侯爵様です。うまくやればそちらの彼女を奥方にすることもできるかもしれませんよ?」


 (まぁ実際には無理だろうけど)


 貴族と平民は間違っても結婚することはできない。それでも方法がないわけではない。一つは平民がどこかの貴族家の養子になること。もう一つは貴族が平民となること。前者は養子にすることにメリットがない限り難しい。それに後者はプライドの高い旦那様には無理だろう。


「…」

「モーリス様ぁ~」


 真実の愛のお相手であるエリザが期待を込めた声で旦那様の名前を呼んだ。彼女はここが重要な局面だと思ったのだろう。だから私は彼女を援護することにした。


「旦那様。私と旦那様は白い結婚ではないですか。何を躊躇っているのです?それにすでに白い結婚であることの証明は済んでおります」


 私は懐から別の書類を取り出す。これは白い結婚であることを証明した書類だ。本来貴族同士の結婚は離婚するのが難しい。しかし白い結婚が証明されれば三年で離婚できるのだ。ありがたい。


「真実の愛で結ばれる二人…、素晴らしいじゃないですか!そして二人が結ばれるために邪魔な私。賢い旦那様ならどうするべきかもうお分かりですよね?」

「っ、そ、そうだな!本当なら私とエリザが結ばれるべきだったんだ!」

「ええ、ええ、その通りです。さすが旦那様です」

「よし!ならばその紙にさっさとサインしなければな!」

「ペンも用意しておりますのでどうぞ」


 私はベッドの上に離婚届とペンを置いた。モーリスはペンを手に取りサインをする。机の上ではないので汚い字がさらに汚い。一応読めるからまあいいだろう。


「ほら!これでいいんだろう!」

「ええ、ありがとうございます」

「これで私がモーリス様の奥さんになれるのね!」

「ああそうだ。これからはエリザがこの家の女主人だ」

「うふふ、おめでとうございます。それでは邪魔な私は失礼しますね」

「…あぁそうだ。出ていくのは勝手だがこの家の物は何も持っていくなよ!当然金なんて渡さないからな」

「分かりました。私が嫁入りの際に連れてきた侍女だけ連れて出ていきますからご安心ください」

「ふん!さっさと出ていくんだな!」

「…では最後に一言だけ。きっとこれから困難が待ち受けていると思いますが、真実の愛で結ばれたお二人なら乗り越えられると私は信じております。それではごきげんよう」

「なっ!?それはどういう…」



 ――ガチャン


 私は急ぎ寝室から出る。旦那様が何か言いたそうにしていたが知ったこっちゃない。あとのことは自分たちでどうにかするしかないのだから。


「ノーラ」

「はい。準備はできております」

「ではさっさと出てってやりましょうか」


 私は颯爽と屋敷の廊下を歩いていく。そんな私をすれ違う使用人たちが驚いた顔で見ているがそんなこと気にせずに進む。大人しかった私が堂々と歩いているものだから驚いているのだろう。

 屋敷から出ると外に一台の馬車が停まっている。私は停まっている馬車の御者に声をかけた。


「王都までお願いね」

「かしこまりました、


 ノーラと共に馬車に乗り込む。そして馬車がゆっくりと動き始めた。


「今日からが私の本当の人生の始まりよ。これからは好きなことをして生きていくんだから!」


 離婚届を提出すれば私は晴れて自由の身。ラシェル侯爵夫人でもなければマクスター伯爵令嬢でもない。ただのヴァイオレットになる。そしてここから私の新たな人生が始まるのだ。


「ふふっ、これからが楽しみね!稼いで稼いで稼いでやるわ!」


 私の名前はヴァイオレット。バツイチの二十歳。好きなものはお金、趣味はお金を稼ぐこと。好きな言葉は時は金なり。

 そんなお金大好きヴァイオレットの新しい人生がまもなく始まる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お飾りの妃なんて可哀想だと思ったら

mios
恋愛
妃を亡くした国王には愛妾が一人いる。 新しく迎えた若い王妃は、そんな愛妾に見向きもしない。

私と結婚したくないと言った貴方のために頑張りました! ~帝国一の頭脳を誇る姫君でも男心はわからない~

すだもみぢ
恋愛
リャルド王国の王女であるステラは、絶世の美女の姉妹に挟まれた中では残念な容姿の王女様と有名だった。 幼い頃に婚約した公爵家の息子であるスピネルにも「自分と婚約になったのは、その容姿だと貰い手がいないからだ」と初対面で言われてしまう。 「私なんかと結婚したくないのに、しなくちゃいけないなんて、この人は可哀想すぎる……!」 そう自分の婚約者を哀れんで、彼のためになんとかして婚約解消してあげようと決意をする。 苦労の末にその要件を整え、満を持して彼に婚約解消を申し込んだというのに、……なぜか婚約者は不満そうで……? 勘違いとすれ違いの恋模様のお話です。 ざまぁものではありません。 婚約破棄タグ入れてましたが、間違いです!! 申し訳ありません<(_ _)>

痛みは教えてくれない

河原巽
恋愛
王立警護団に勤めるエレノアは四ヶ月前に異動してきたマグラに冷たく当たられている。顔を合わせれば舌打ちされたり、「邪魔」だと罵られたり。嫌われていることを自覚しているが、好きな職場での仲間とは仲良くしたかった。そんなある日の出来事。 マグラ視点の「触れても伝わらない」というお話も公開中です。 別サイトにも掲載しております。

いや、あんたらアホでしょ

青太郎
恋愛
約束は3年。 3年経ったら離縁する手筈だったのに… 彼らはそれを忘れてしまったのだろうか。 全7話程の短編です。

(完)妹の子供を養女にしたら・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はダーシー・オークリー女伯爵。愛する夫との間に子供はいない。なんとかできるように努力はしてきたがどうやら私の身体に原因があるようだった。 「養女を迎えようと思うわ・・・・・・」 私の言葉に夫は私の妹のアイリスのお腹の子どもがいいと言う。私達はその産まれてきた子供を養女に迎えたが・・・・・・ 異世界中世ヨーロッパ風のゆるふわ設定。ざまぁ。魔獣がいる世界。

冤罪を掛けられて大切な家族から見捨てられた

ああああ
恋愛
優は大切にしていた妹の友達に冤罪を掛けられてしまう。 そして冤罪が判明して戻ってきたが

もうすぐ婚約破棄を宣告できるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ。そう書かれた手紙が、婚約者から届きました

柚木ゆず
恋愛
《もうすぐアンナに婚約の破棄を宣告できるようになる。そうしたらいつでも会えるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ》  最近お忙しく、めっきり会えなくなってしまった婚約者のロマニ様。そんなロマニ様から届いた私アンナへのお手紙には、そういった内容が記されていました。  そのため、詳しいお話を伺うべくレルザー侯爵邸に――ロマニ様のもとへ向かおうとしていた、そんな時でした。ロマニ様の双子の弟であるダヴィッド様が突然ご来訪され、予想だにしなかったことを仰られ始めたのでした。

酷い扱いを受けていたと気付いたので黙って家を出たら、家族が大変なことになったみたいです

柚木ゆず
恋愛
 ――わたしは、家族に尽くすために生まれてきた存在――。  子爵家の次女ベネディクトは幼い頃から家族にそう思い込まされていて、父と母と姉の幸せのために身を削る日々を送っていました。  ですがひょんなことからベネディクトは『思い込まれている』と気付き、こんな場所に居てはいけないとコッソリお屋敷を去りました。  それによって、ベネディクトは幸せな人生を歩み始めることになり――反対に3人は、不幸に満ちた人生を歩み始めることとなるのでした。

処理中です...