副業

忘却

「可奈さん・・・思い出しました」

　僕は黒いTシャツを握ったまま振り返り、
　可奈さんに言った。

「本当ですか？」

「はい。僕、死んでました（笑）」

「・・・良かった」

「えっ！？」

「あ、いえ！思い出してくれて（笑）」

「アハハッ！そう言う事ですよね？
　可奈さん・・・色々、ありがとう」

「・・・いいえ」

　可奈さんは安堵したように微笑んだ。

「でも、相当にヤバいですね」

「えっ？」

「一昨日の事を本気で忘れるようでは」

「大丈夫ですか？」

「はい。たぶん（笑）」


理由は良く分からないけれど、死んだ人間は
死後の記憶を残せない。
そして、個人差もあるとの事だけれど・・・
この世に長く彷徨い続けると、やがて生前の
記憶も失くしてしまう。
まるで、初期の認知症のように最近の事柄から
忘れていき、やがては自分自身が何者であった
のかさえも忘れてしまうと・・・。
もしも、それを拒もうと思うのであれば・・・
その兆候が表れた際に、速やかに自身の『死』
を再認識し、天国へと旅立つ意志を持てば良い。
そうするならば・・・願うのなら？
自身の生前の記憶を保ち続ける事も叶う・・・。

僕が死ぬと、すぐに繋がった中学時代の親友が
忠告方々、親切に色々と教えてくれていた（笑）


（僕は忘れてしまう訳にはいかなかった）


「今夜、僕も逝かなきゃ・・・ですね」

「・・・探している女の子は？」

「えっ！？」

「一人の女の子をずっと探してるって」

「そんな事も話してましたか？（笑）」

「はい。見つけるまでは逝けないって」

「・・・仕方がないです」

「！？」

「もし、僕が僕でなくなってしまったなら」

「あっ！」

「誰も彼女を探せなくなってしまうから」

「そうですね・・・」

「アッチから探します」

「そうですね。きっと、見つかります」

「うん。ありがとう」

「いいえ」

「ねぇ、可奈さん？」

「はい？」

「最後にもう一度、踊りませんか？」

「ラストダンスは私に？（笑）」

「はい、正気の僕で可奈さんを知りたい」

「じゃぁ、最後は・・・」

「？」

「凄くいやらしくしちゃおうっと！」

「え！？」

「だって、富士夫さん・・・」

「？」

「すぐに忘れてくれるから（笑）」

「おいっ！（笑）」

　二人とも少しセンチな気持ちになった。
　ふざけながら、何故だか泣きたくなった。
　それぞれの人生との別れの時が迫った。
　長く暮らした部屋からの、引っ越し準備を
　する時のような寂しさが込み上げてきた。
　何気ない日常の光景が零れ、胸を締め付けた。
　僕等は涙を誤魔化すようにキスをした。