ちっぽけな世界

senko

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ダメ人間と、ちっぽけな世界

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 ミーン、ミーンとセミの鳴き声がうるさい季節になってきた。窓の外からは下校中の小学生の楽しげな笑い声が聞こえてくる。

 今日も今日とて、ダメ大学生の俺と日向は何も予定がなく、惰眠を貪り、ゲームに興じ、一日を無駄に過ごしていた。

 もう夕方だと言うのに、寝癖の残った頭で眠そうな顔をしながら、俺は冷蔵庫の扉を開ける。

 「…何もない」

 「あー、食材切れてるよね。買い物いかなきゃだった」

 流石に寝癖はないが、未だ寝間着のままの日向も気だるげに答える。

 「最近、同じものばっかり食べてる気がする…。」

 ふと、俺は思ったことを口にする。俺も日向も、もともと自炊を頻繁にしていた方ではなかった。料理のレパートリーが少なく、毎回似たようなものを食べていて少し飽きてきていた。

 「私たち二人とも得意料理が野菜炒めだから仕方ないよね」

 「なんとかしないと、日々の食事はQOLに直結する」

 「環くんの口からQOLという言葉が出るなんて…」

 日向は大げさに驚く素振りを見せるが、実際に食事の質は由々しき問題だ。しばらくの間考えて、妙案を思いついた俺は日向に提案する。

 「料理対決しよう。負けたほうがハー◯ンダッツおごりで」

 「ふむふむ、確かに対決となれば少し凝った料理を作る必要があるもんね。レパートリーも増えそうだね」

 と日向も賛同する。そして、少し挑発するような顔で、俺の顔を見ながら

 「私、いちご味が好きだな~」

 こいつ…、最初っから自分が負けるとは思っていない様子だ。確かに俺の方が料理が下手なのは事実だが、今回ばかりは秘策がある。

 「せいぜい油断してるといいさ」

 「はいはい。あっ、でも勝ち負けの判定はどうするの?」

 「綾人さんに決めてもらえばいいんじゃないか?どうせ暇だろうし」

 「それもそうだね。」

 綾人さんは隣の部屋に住んでいる自称配信者のニートだ。顔はそれなりに整っているのに、それをかき消すほどの不運とポンコツを持ち合わせている。

 「じゃ、買い物行きますか」

~~~~~~~~~~

 やってきたのはいつものスーパー、ナルカミヤ。激安スーパーというわけではないが、全国チェーンのスーパーであり品揃えはいい。

 俺と日向は二手に分かれて食材の買い出しに向かう。一応、料理対決の簡単なルールは決めておいた。

・インスタントやレトルトなど出来合いのものは禁止
・日常的に買えないような高い食材は禁止
・あまりに面倒な料理は禁止

 といった感じだ。料理対決の目的として、日々の食事のレパートリーを増やすことがあるので、日々作れないものは禁止とした。それと、インスタントは流石に対決として成り立たないので禁止とした。
 
 実のところ、俺には秘策があった。

 少し卑怯な手ではあるが、勝負の世界は結果がすべて。冷徹になる必要がある。と自分に言い聞かせながら、必要な材料をカゴに入れていく。

 この勝負に勝ったあかつきには、日向の眼の前で食レポをしながらハー◯ンダッツを貪り食ってやるつもりだ。

 「はぁ、俺も汚い大人になっちまったってことかな…」

 と、気色の悪い独り言をつぶやき、周囲にドン引きされながらも、俺は早くも勝利を確信していた。コミュ障ぼっちの良くないところだ。興奮すると周りが見えなくなる。


 一方、そのころ日向は

 「環くん、なーんか企んでそうなニヤけ顔してたなぁ。どうせろくでもないことなんだろうけど。」

 日向は日向で勝利の確信があった。というより、この勝負はどう転んでも日向が勝つようにできているのだ。

 まったく、環くんは色々と詰めが甘いなぁ、と内心ニヤニヤしながら必要な材料を手際よく集めていく。

 「正直、どんな料理でもいいんだけど…。折角だからね、これにしますか」
 
 頭の中はすでに勝利後のハー◯ンダッツでいっぱいだった。小さいカップとは言ってないから、大きいサイズのハー◯ンダッツ買わせてやろう…!と決意してレジに向かう。

 かくして、二人の買い物は終了した。

 帰り道、お互いに勝利を確信している二人は余裕な表情で煽り合う。

 「日向、自分用のアイスとか買っておかなくて大丈夫なのか?俺はハー◯ンダッツあるからいいけどさ…」

 「環くんこそ、節約しといたほうがいいよ。ハーゲンダッツの箱って結構高いからね」

 「…箱?聞いてないんだけど…」

 「サイズは言ってないからねぇ、いやー楽しみだなー!」

 「まったくだ」

 この時点で、俺は少し焦り始めていた。日向があまりに余裕をかましている。日向にも何か作戦があるのではないか、何か重大なことを見落としているのではないか?疑念が募りはじめる。

 いや、大丈夫だ問題ない。俺の作戦に死角はない。きっと日向は料理の腕で勝っていることに慢心しているだけだ。そうに違いない。

 そうこうしているうちに自宅に到着する。

~~~~~~~~~~~

 早速調理を開始し、お互いにレシピを見ながら、慣れないなりになんとか進めていく。

 俺は30分ほどで料理を完成させた。一方日向は圧力鍋を使っているようで、45分ほどで料理を完成させていた。

 「なるほどね、環くんは肉じゃがにしたんだね。チョイスとしては悪くないかな」

 「なんで上からなんだよ。日向は豚の角煮か…、悔しいが美味そうだな。」

 「まあね、自信作だよ」

 「俺の肉じゃがも、結構うまくできたと思ってる」

 「まあまあ、ここで言っててもしょうがないからさ綾人さん呼びにいこうよ」

 そう言って二人で隣の部屋のチャイムを無造作に鳴らす。2回ほど鳴らしてから、ゆっくりとドアが開く。

 「はぁーい…。って君たちか。僕、配信終わって寝てたんだけど…」

 まさに寝起きの姿の絢人さんがのそのそと出てきた。

 「じゃあ大丈夫だね!」

 と日向。

 「だな。なら大丈夫そうだ。」

 と俺も続ける。そして日向が絢斗さん腕を掴んでドアから引っ張り出すと、俺はすかさずドアを閉めて退路を断つ。

 「え、何が?怖いんだけど、大丈夫かどうか決めるのは僕では…」

 「ううん、決めるのは私。大丈夫!綾人さんは大丈夫だから安心してついてきてね!」 

 「そうだ。綾人さんは何も考えなくていいんだ。ただ俺達のことを信じてくれれば悪いようにはしないから。大丈夫。」

 怪しい勧誘さながらに俺達は綾人さんを、自室まで連行した。そして、料理対決をしていること、その勝敗の判定をお願いしたいことなどを簡単に伝え、まあそういうことなら、と無理矢理ではあるが了解してもらうことに成功した。

 「それでは早速、最初は俺の料理から。」

 俺は自信満々に肉じゃがをテーブルに運ぶ。事前に味見もしたが我ながらうまくできていると思う。

 「お、肉じゃがじゃん。僕、肉じゃが大好きなんだよねー。いただきます。」

 計画通りだ。何を隠そう俺の秘策とは、綾人さんの大好物ピンポイント攻めである。以前綾人さんと喋っていたときに、大好物が肉じゃがであることを聞いたことがあった。結局戦いとは情報戦なのだ。戦う前から勝負は始まっていたということだ。

 配信を終えて寝ていたということはきっと夕食も食べていなかったのだろう。とても美味しそうに俺の肉じゃがを食べている。そしてそのまま、一皿全部たいらげてしまった。

 「うん、すごく美味しかったよ。じゃがいもがホクホクで、他の食材にも味がしっかり染み込んでいる。少し甘めなのも僕好みだ。ごちそうさま!」

 高評価だ。当然である。大好物なのだから。

 先程まで寝起きの強制連行で不機嫌だった綾人さんも、お腹が満たされてきてすっかり元気になった。

 「じゃあ、次は私の番だね。」

 日向はそう言って、圧力鍋から豚の角煮を皿によそっていく。トロトロの脂身の角煮と、しっかり味の染み込んでいそうな大根。正直、めちゃくちゃ美味しそうだ。

 「なるほど、豚の角煮か、これも美味しそうだね。じゃあ、いただきます」

 綾人さんはこれまた、幸せそうな表情で豚と大根を交互に口に運んでいく。

 「うんうん、豚もトロトロですごく美味しかったよ。ただ、やっぱり大根は一日置いて明日食べたほうがもっと味が染み込んで美味しいかもしれないね。ごちそうさま!」

 改めて俺は勝利を確信し、綾人さんに勝敗の判定を促す。

 「綾人さん、俺と日向の料理のどっちが美味しかったのか判定をお願いします…!」

 「そうだね、二人ともすごく美味しかったけど、勝敗をつけるとしたら…。勝者、日向さん!」

 「…えっ?」

 「やったー!綾人さんならそう言ってくれると思ってたよ!」

 俺は何が起きたのか分からず呆然とし、一方で日向ははじめから勝利がわかっていたかのような表情で喜んでいる。

 「え、なんで綾人さん?どう考えても俺の料理のほうが高評価で、しかも大好物なはずじゃあ…」

 俺が、困惑をぶつけると綾人さんは、大げさに首を振りながら答える。

 「環くんは何にもわかってないね。わかるかい?の作った料理に価値はないんだ。」

 こいつが何を言っているのかわからない。その感情が伝わったのか、綾人さんは俺の目を見て続けて語りかける。

 「いいかい、極端な話、男の作ったフランス料理のフルコースは、女性から適当に渡されたキットカット一つに負ける、とそういう話をしているんだよ。」

 ああ、そうだった。俺はなぜこんな重要なことを忘れてしまっていたのだろう。そうだこいつは、綾人さんは極端なまでの女尊男卑主義者だった...。この多様性の時代に真っ向から逆らって生きているダメ人間なのだ。

 そうか、日向はこのことがわかっていたから終始余裕の表情を浮かべていたのか。

 「環くん、綾人さんに判定を頼んだ時点で私の勝利は確定していたってことだよ。頼む人はちゃんと選ばないとね、」

 「急に連れ出しといて、それはひどくない?」と綾人さん。

 「俺の負けだ。審判選びを失敗して、綾人さんで妥協した時点で負けてたのか…」

 「いや、ひどくない?」と綾人さん。

 「そういうこと、じゃあハーゲンダッツよろしくね!あ、綾人さんはもう帰っていいよ!」

 「僕の扱い、、、。歳上なのに、、、」と綾人さん。

 
~~~~~~~~~~~~~~~~

 俺と日向は再び、ナルカミヤに戻ってハーゲンダッツを購入した。箱で買うのは流石に勘弁してくれて、小さいカップのいちご味を購入した。

 日向は帰り道を歩きながら、一口一口幸せそうに口に運んでいる。

 「んー、やっぱりハーゲンダッツは違うね。上品さが違うよ」

 「そーかい、それなら良かったよ」

 「そんなに、すねないの。ほら、一口あげるから!」

 日向はそういって、アイスをすくったスプーンを俺の口に無理やり突っ込む。
 俺はすこし照れくさくて日向の顔を見ないまま、うまい、とだけ小さく言った。

 「あはは、まだ照れてるの?二人で暮らしてるんだから、こっ、これくらい少しずつ慣れていかなきゃだよ」

 そういう日向も照れくさそうで、変な空気だ。
 気まずくなった俺は、なんとか雰囲気を変えようと別の話題を口に出す。

 「そういえば、なんで日向は角煮にしたんだ?」

 「環くん、角煮好きでしょ?」

 「大好物だけど、勝負には関係ないだろ?」

 「関係あるよ。この勝負の目的忘れたの?」

 「目的...、料理のレパートリーを増やすことだっけか」

 「そう、せっかくレパートリー増やすならさ、環くんの好きなもの作れるようになったら喜ぶかなって。私なりの優しさのつもりなんだけどなぁ。」

 「ああ、そっか、俺は自分のことばっかり考えてたんだな」

 反省しなければならない。自分のことばかり考えて、周りが見えなくなるのは俺の悪いところだ。今は一人じゃない、日向と二人で生活していることを忘れてはいけないのだと。

 「そうだよー、私は結構、環くんのこと考えてるんだよ。私の世界って、お母さんとお父さんと弟と、それと環くん、それで全部なわけですよ。自慢じゃないけど、ちっぽけな世界なの。家族はまた別だからさ、実際のところ環くんくらいしかいない寂しい世界なわけです。だからこそ、それなりに大切にしたいと思ってるんだよ?」

 結構、重いこと言っちゃってるなぁ私、と最後につぶやいて日向は空を仰ぐ。

 「普通の人は重いって感じるのかもしれないけど、俺は嬉しいって思ってしまってる....。俺も重い人間なんだろうな。俺の世界も家族と日向くらいだからなぁ」

 「狭いね」

 「狭いな」

 俺も日向も普通の人が暮らしている広く厳しい世界で生きるのは難しいけれど、このちっぽけで歪んだ世界の中でそれなりに楽しく生きている。もうしばらくはこのままぬるま湯につかっていたいと思った。

 「どっかで日向は当たり前に一緒にいてくれるものだと思って、甘えていたんだろうな」

 「いいんじゃない、甘えたって。甘える相手がいるって幸せなことだよ。」

 「お互いに寄りかかって、頼って、弱みを見せて、そんなのもありなのか」

 「そうだよ、どうせダメ人間二人なんだから、二人合わせてなんとか0.8人前位になれたらいいんだよ」

 「二人合わせても一人前に届かないのは悲しいけど...」
 
 俺と日向のモラトリアムはもう少しだけ続く。
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