真神ノ玉-雪原に爪二つ-

続セ廻(つづくせかい)

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第七夜 若月もまた、月

六十四 越えられぬもの

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 沈黙があった。

 夜の浜辺のように、風が辺りの木々を揺らしさぁさぁと静かに音を立てる以外に音の無い、闇のような沈黙があった。

 篤実は声を失い、十兵衛は衣擦れの音一つ立てない。

 はらわたに縄を掛けられたかの如く、十兵衛の腹の底に重く苦い物が溜まっていく。

「……――」

 篤実の視線は、十兵衛では無いところへと向けられているようだった。
 十兵衛は喉を鳴らすことさえ憚られた。

 カサ、と土を踏む音がして、また木々が揺れる。

「………愚かな…事を言った、許せ」

 篤実の声が、平静を保とうとして微かに揺らぐ。それを聞いて、十兵衛は無意識に毛並みを逆立てた。

「……申し訳ない」
「いや、其方は何も悪くない、十兵衛。なにも…」
「儂はッ! 儂は篤実殿の一番槍じゃ。若君の行くところ、戦場だろうと地獄だろうと、ついて行く。だが……若君の――…には……」
「何も言うな」
「若…………」
「いや……言わないで……くれ。十兵衛」

 夫婦に、と――――たとえ勢いで口を突いた言葉といえど、篤実は己の台詞を茶化したり、誤魔化すことはしなかった。

「ありがとう」

 十兵衛の臣下としての忠を酌み取ったのだろう、篤実はそう言い残して静かに十兵衛の前から離れていく。

 木々のさざめきと、夕刻の木漏れ日が周囲を穏やかな空気へと戻していく。めくらの闇に残された十兵衛は、風に混ざる篤実のにおいを捉えてこそ居たが、指の一本すら動かせず、石像のように黙すばかりだった。



 一方で、村長の元を天目屋が訪れていた。
 
「どうじゃ、じいさん。調子は」
「おお、この冬もいつもと変わらんかったのぉ」

 先日の他の男達はおらず、天目屋は玄関にどっかりと座り込んで薬を広げる。村長の持つ薬箱の中身を検めて、必要そうな物をぽいぽいと放り込んだ。

「そういや竜比古、沼の手前に猿の婆さんがおったじゃろ、双子の」

 天目屋の仕事を眺めながら、村長が顎を撫でつ撫でつ呟いた。天目屋は手を動かしながら、ああ……とぼやく。

「そういや、まだ今年は顔を見とらんかった。なんじゃ、死んだか。けけっ」
「おーおー、二人なぁ……揃ってぽっくり。良い顔じゃった」
「そうか……――そりゃあ向こうへの旅路も賑やかで良いってもんじゃな」
「しかし、うちの家内は、茶飲み仲間が減っちまったと寂しそうでなぁ。竜比古、お前もあの婆さん達にゃ世話になったろ」
「儂が世話しとったんじゃい。あの婆共、元は都より南が郷里だとかで、儂に里の様子を見に行かせて。まぁったく人使いが荒い婆共だったが……」
「西朝の鬼共に里を追われたんじゃろう」

 垂れ耳ごと揺らして、犬の爪牙である村長が笑う。しかし天目屋は片眉をクイッとあげて、村長の話に首を傾げた。

「爪牙が西から追われたなんて、いくら流れ者の猿ばあ話とはいえ一体何代前の話か。ま、次の冬からは……都で婆共の土産を探し回らんでも良くなったと思えば――いや」

 眉唾だと顔を顰めたが、一つ溜め息を吐き、天目屋は手を止めた。

「さっさと墓参りに行かんと、あの猿婆共が儂の夢枕に押し掛けるか」
「はっはっはっ」

 笑う村長の頬がぷるんと揺れ、媚茶こびちゃ色の尻尾がパタパタと床を叩く。天目屋も倣うように一度だけ青い尻尾で、たしんと床を叩いた。

「ところでのう、竜比古や」
「お、なんじゃ」
「人間族の三人が言った、賊の件だが」
「……おう、そうだな」

 胡座を掻く膝をもぞりと揺らし、村長は垂れた瞼の奥から黒い瞳を覗かせた。天目屋も、ぱたん、と荷の蓋を閉じ、改めて村長へと向き直る。

「猪助や熊五郎からそれらしい話があった。山の中に、獣がやったにしては妙な壊れ方をしとる罠があったそうじゃ。川に仕掛けた籠も、綺麗にひっくり返されとったりな」
「ふぅむ。それらしいもんには……出会でくわしとらんのか?」
「ああ、足跡もあったらしいが、先走っても困るじゃろう? 前もって深入りせんように儂から言っとったんで、今のところ賊の姿形は判らん。使える罠はもう一度仕掛け直しだけさせておいたわ」
「ううむー…。賊についての手掛かりもそうじゃが、儂らの食う肉や魚も根刮ぎ奪われてはかなわんのう」

 その時、白粉おしろいの香りと共に「失礼」と一言、男の声が響いた。

太物問屋ふとものどんや殿」

 村長が振り返る先には、背を正した保紹やすつぐがいた。す……と二人のいる玄関へ進み、裾を払って村長の隣へと腰を下ろす。天目屋が半目で眺めていると、保紹と視線が合った。

「罠の話をもう一度。……山の罠も川の罠も壊されていたのですか」

 問われ、視線を逸らすまいと見つめ返しながら続ける。

「いや、さっきも言うたじゃろ。川の罠はひっくり返されはしとったが、壊れたのはなかった。山の方は半々って所じゃな。まったく、罠を直すのだって色々と……」

 大袈裟に溜め息をつき天目屋は尻尾で床を叩いた。するとそこへ今度はノシッノシッと重量感のある足音が階段を下りて、三人の元へ近付いてくる。――――あきらであった。

「おお、薬屋。どうだ、忍びの仕事をやる気にはなったか」
「なるもんか。なんじゃぁじいさん、こいつらと仲が良いんじゃのぉ」
「はは、すまん、先に言うとくべきじゃったぁのぉ」
「そなたは相撲はやらんのか。俺と一試合いちばんどうだ」
「何が悲しくてふくだっ……旦那とそんなことを! その隠し切れとらん腕毛、皮ごと剥ぎ取るぞ」
「カハハハハ! それはまたなりふり構わん手に出てくれる。しかし、四人も集まって此処から動かんのはどうにも気が滅入る。さて…」

 彰は仁王立ちで腰に手を当てて、笑みを浮かべていた。
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