42 / 68
第五夜 水よりも濃く
四十一 天目屋は黙さない
しおりを挟む斯様に濃厚な房事の次に訪れるのは、篤実の自己嫌悪である。落ち込む篤実を見て、はぁ、と十兵衛が溜め息を吐いた。
「なんじゃ、ゆきの奴はまぁたお姫さんになっとるのか」
「……」
十兵衛の庵へやってきた天目屋が篤実を見れば、その顔は涙を溢した後と思われる腫れぼったさがある。天目屋は、正座のまま無言でじっと彼を見る篤実の前に荷を下ろした。
「お姫さんよ、この天目屋の兄貴に話してみんか? 何をそんなに拗ねておるのか、お前は」
「やめてくれんか、竜比古兄」
「減るもんでも無し。ほれ、ゆき。仕事じゃ」
荷を解くと、いつものように修繕を頼まれた着物が現れる。篤実はそれを手に取り、検めながら口を開いた。
「何時までに」
「いつも通りじゃ。急かすもんは居らん」
あまり気負うな、と言いながら天目屋は篤実の頭をくしゃくしゃと掻き回した。
「そうじゃ十兵衛。おぬし、双子山の麓の里はわかるか」
「双子山? ああ、知っとる」
「あそこの按摩が怪我をしたらしくて、代わりにお前行ってこんか」
「…双子山?」
「ああ、ゆきは知らんか。亀道の宿場町の向こうにあっての」
「その向こうと言うことは…十兵衛は何日か留守になると言うことか」
「そう、なるな」
十兵衛が頷くのを見て、篤実は表情を僅かに強張らせた。きゅ…と膝の上に乗せた着物を握り締める。
「なんつう顔じゃ」
「――ぐあっ⁉」
天目屋が十兵衛の背中をバシンと一発叩いてケラリと笑う。篤実が驚いて目を瞬かせた。
「な…何故十兵衛が叩かれたのだ」
「そりゃあ、儂がお姫さまを叩いたら、十兵衛に首をへし折られるからのォ」
「――……」
天目屋の言葉に篤実が十兵衛を見ると、尖った耳がピピッと一度だけ震えた。ふふっと笑みがこぼれてしまう篤実に、十兵衛も気が付いたらしくもぞりと胡座をかきなおす。
「それで、按摩に薬を届けに儂もお前と一緒に行くつもりじゃが、構わんな? 十兵衛」
「ああ、その方が儂も心強い、が……」
お前はどうする、等という聞き方は口が裂けてもできないので十兵衛は黙り込んだ。ぱふ、ぱふ、と太い尻尾が筵を叩く。
篤実は天目屋から預かった着物を畳み直しながら顔を上げた。
「ならば、己は留守を守ろう」
「…ほう。意外じゃのう」
天目屋が顎を撫でながら首を傾げる。何が意外なのかと篤実も鏡合わせに首を傾げた。
「ゆきは十兵衛にべったりじゃからのう。引っ付いてくるかと思うとったグアアッ‼」
十兵衛が大きな手で天目屋の頭を鷲掴みにしてギチギチと締め上げる。頭が割れる、と天目屋が泣きそうになったところで漸く十兵衛は手を緩めた。
「はぁ……手間が省けたと思ったら首を潰されるかと……」
青い舌をぴろぴろと覗かせて、天目屋は独り言ちた。
「手間?」
「あ、いやこっちの話じゃ」
その日、三人は十兵衛の庵で夕餉を共にし、篤実が天目屋を見送る事になった。
半分の月が、若葉が萌える木々の間から顔を覗かせていた。庵を出てすぐ、普段と変わらないよく磨かれた墓の前で天目屋が立ち止まる。
「おトキ」
篤実も数歩先に進んだところで気が付き、振り返った。
「てん……」
「お前の旦那は、いつまで経っても目の離せん犬っころじゃ」
「…………天目屋殿」
「おう」
天目屋は墓石の頭を一撫でし、夜に湿り気を帯びた道を歩き始めた。篤実の傍を通り過ぎると、からりと笑う。
「そんな怖い顔をするな、ゆき。まぁ、無理も無いかのう」
天目屋の言葉に、篤実は無意識の内に顔を強張らせていたと気付いた。歩き続ける天目屋の背を見詰め、遅れて歩み出す。
「先に言っておくがのう。儂ゃお前さんが好きになれんようじゃ」
足元を見下ろし、篤実に背を向けたまま天目屋は聞かせるようにはっきりと言った。
「だがのう、それよりも……十兵衛に嫌われるのは何よりも御免じゃ」
「……そうか」
「儂の方が十兵衛との付き合いは長い。おぬしより、な」
ざく、ざくと二人の草履が土を踏む。結った天目屋の青い髪が跳ねるように項で揺れた。ちらちらと射し込む月明かりに毛先が水面のように輝く。
篤実はやや迷い、そして、切り出した。
「手間が省けたというのは、己が留守を預かること……だろうか」
「ほう、十兵衛は分かっとらんかったようじゃがのう」
「……己は…」
「おトキちゃんに似てるわけでも無い。何ぞよく分からんが湿っぽい。オマケにお前のこととなると十兵衛はどうにも気が立つ」
「…十兵衛が?」
庵から続く小道を抜けて、天目屋が立ち止まり振り返った。
「お前が十兵衛の客じゃ無かったら、とっくに追い出してるわ。カカカ」
「それは、己としては笑えないな」
篤実は少し肩を落とした。
「天目屋殿」
「何じゃ。雪女男」
「己は此の村の邪魔に…なっていないだろうか」
俯いた篤実が視線を上げると、天目屋は片眉を上げた後に呆れたように溜め息を吐いた。
そして彼は頭を掻いて月を背にして立ち、篤実の目の前へとやってきて、顔に影を落とした。
「はー! 邪魔になっとるわけが無かろうが、この黴の生えた雪女男が!」
そして右手を挙げると、ピンッと人差し指で篤実の額を弾き、阿呆、ともう一度篤実を罵りクルリと背を向けた。
「痛っ」
「留守番中にそんなことを考えて、着物に黴を生やされたら敵わんから、明日もう一抱え持っていくぞ。覚悟せい」
「な……て…天目屋殿!」
振り返らずに自分の家へと帰っていく天目屋が背中越しにヒラリと手を振った。篤実はそんな彼の言動に呆気に取られるも、不思議と少しばかり喉に刺さった小骨が取れたような心地になっていた。
0
お気に入りに追加
133
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。



【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる