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第二夜 槍は手放せど忠は放さず
十三 若君の居る日々 其の三
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目は見えなくとも、今が朝なのか昼なのか、もう日が沈んだのかというのは全身で感じ取ろうと思えば思いの外わかるものだ。
朝に囀る鳥たちの声が一段落し、日差しを浴びた森は雪解けと苔、そして土のにおいを漂わせる。
「十兵衛、今、栗鼠が外を走っていたぞ」
「十兵衛、雲がまるで兜のような形をしていた」
「十兵衛、かまどの火が踊るようでは無いか」
静けさしか無かった庵に、篤実の声が色を添える。十兵衛はやや戸惑いながら、燥いだような若君に顔を向けた。
「若。目につくもの一々説明してたら、日が暮れちまう」
若君はとうに元服を済ませた身である。ましてや、戦場では将として采配を振った男子。よほど十兵衛の庵が珍しいのかと最初は思ったのだが、よくよく注意して聞けばどうも違う。
「儂の目が見えねえからって、そんな風に気を遣われては、儂も何というか、恐れ多くも申し上げますが、困るんで……それに」
篤実は意識して何が見えているのかを十兵衛へ伝えていたのだ。
庵の傍を離れはしないのだが、チラリと外を覗いたり、中でそわそわと動き回っては十兵衛の隣へ戻って語る。
たまらず、些か不自然に落ち着きの無い若を捕まえて、十兵衛は彼を布団へと転がした。布団の傍らに膝を突き、十兵衛は言う。
「若、眠れなくとも目を瞑っていてくださいませ。若君が考える以上に、今の若君は疲れておる。儂の目の届かぬ所で倒れられたりしてほしくない」
結局夜の間、彼は狸寝入りを貫いていたのだ。
十兵衛も似たようなものであったが、いつ意識を向けても若君は眠れていなかった。
「……そなたの鼾が五月蠅かった」
「そ、れは」
ぐる…と喉を鳴らし返答に窮する十兵衛に、若君がフッと笑う。
揶揄われたと察するも、十兵衛はそのまま口を閉じる。そんな獣人に、彼は肘をついて横臥し、やはり未だ眠らない。
「嘘を言った。許せ。……時に十兵衛、そなた妻君はどうした」
急に話題を変えられて、またもや十兵衛は暫し言葉に詰まった。
暫し項垂れ、「死んでもうすぐ四年になります」と小さな声で返し、そのまま立ち上がろうとした。その十兵衛の着物の裾が、引き留められる。
「……名は、トキ殿だったか」
「お……おぼえておいででしたか」
「飯の時間に、そなたが言っていた。自分には勿体ない嫁だと」
する……と衣擦れの音を立てて、若君は半身を起こし十兵衛の頬に触れる。灰銀の毛皮越しに、昨日よりも温かい指先が心地良かった。
「嫁は、トキとは……」
十兵衛は再び床に膝を突いた。はぁ……と零した吐息が、震えてしまう。
「うむ」
再び布団に横になった若君の方へ顔を向けながら、十兵衛は時折ぐぅるると唸り、妻おトキの想い出を滔々と語った。
思えば、妻が世を去ってから初めてのことであった。
妻の墓に手を合わせる代わりに、数多の言葉を胸の内から取り出して語り尽くした後、二人はどちらから言うわけでもなく、共に横になり、気を失うように眠りに落ちた。
朝に囀る鳥たちの声が一段落し、日差しを浴びた森は雪解けと苔、そして土のにおいを漂わせる。
「十兵衛、今、栗鼠が外を走っていたぞ」
「十兵衛、雲がまるで兜のような形をしていた」
「十兵衛、かまどの火が踊るようでは無いか」
静けさしか無かった庵に、篤実の声が色を添える。十兵衛はやや戸惑いながら、燥いだような若君に顔を向けた。
「若。目につくもの一々説明してたら、日が暮れちまう」
若君はとうに元服を済ませた身である。ましてや、戦場では将として采配を振った男子。よほど十兵衛の庵が珍しいのかと最初は思ったのだが、よくよく注意して聞けばどうも違う。
「儂の目が見えねえからって、そんな風に気を遣われては、儂も何というか、恐れ多くも申し上げますが、困るんで……それに」
篤実は意識して何が見えているのかを十兵衛へ伝えていたのだ。
庵の傍を離れはしないのだが、チラリと外を覗いたり、中でそわそわと動き回っては十兵衛の隣へ戻って語る。
たまらず、些か不自然に落ち着きの無い若を捕まえて、十兵衛は彼を布団へと転がした。布団の傍らに膝を突き、十兵衛は言う。
「若、眠れなくとも目を瞑っていてくださいませ。若君が考える以上に、今の若君は疲れておる。儂の目の届かぬ所で倒れられたりしてほしくない」
結局夜の間、彼は狸寝入りを貫いていたのだ。
十兵衛も似たようなものであったが、いつ意識を向けても若君は眠れていなかった。
「……そなたの鼾が五月蠅かった」
「そ、れは」
ぐる…と喉を鳴らし返答に窮する十兵衛に、若君がフッと笑う。
揶揄われたと察するも、十兵衛はそのまま口を閉じる。そんな獣人に、彼は肘をついて横臥し、やはり未だ眠らない。
「嘘を言った。許せ。……時に十兵衛、そなた妻君はどうした」
急に話題を変えられて、またもや十兵衛は暫し言葉に詰まった。
暫し項垂れ、「死んでもうすぐ四年になります」と小さな声で返し、そのまま立ち上がろうとした。その十兵衛の着物の裾が、引き留められる。
「……名は、トキ殿だったか」
「お……おぼえておいででしたか」
「飯の時間に、そなたが言っていた。自分には勿体ない嫁だと」
する……と衣擦れの音を立てて、若君は半身を起こし十兵衛の頬に触れる。灰銀の毛皮越しに、昨日よりも温かい指先が心地良かった。
「嫁は、トキとは……」
十兵衛は再び床に膝を突いた。はぁ……と零した吐息が、震えてしまう。
「うむ」
再び布団に横になった若君の方へ顔を向けながら、十兵衛は時折ぐぅるると唸り、妻おトキの想い出を滔々と語った。
思えば、妻が世を去ってから初めてのことであった。
妻の墓に手を合わせる代わりに、数多の言葉を胸の内から取り出して語り尽くした後、二人はどちらから言うわけでもなく、共に横になり、気を失うように眠りに落ちた。
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