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第一夜 平安の世に雪舞う
六 若君との再会 其の五
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その声は微かに笑んでいるようだった。そして、十兵衛の分厚い手を彼はゆっくりと握り返した。
何故かその様子が、自ら肉食の獣に身を差し出すうさぎの様に思えて十兵衛の心臓はまた胸の中で大きく跳ねる。
「若君、飯は食えますか」
「……ああ、食べられる。よい、においがする」
そんな邪で礼を欠いた妄想ばかり浮かぶのは、空腹のせいであろう。そう自らに言い聞かせながら、十兵衛は竃に置いた鍋の方へと振り返り、それから再び目の前の若君へと顔を向けた。
「つみれ汁と芋粥が、若君の口に合うかわからねえが……」
「嫌味か? くくっ…」
衣擦れと音と共に、篤実が身体を起こす。それだけでなく、ゆっくりとした動作で姿勢を正す気配がした。
「滅相もない。儂の貧乏舌で作った飯を若君に召し上がっていただくなんて、恐れ多いだけで…」
「大神十兵衛。…早速だが、世話になる」
「はっ」
穏やかな声に、ふと十兵衛は頭が熱くなった。妻の声は、どこかこんな風だったような気がした。わさびを食べたわけでも無いのに鼻の奥がツンと痛み、十兵衛は深く息を吸って、若君のために用意した夕餉を差し出すと半歩下がった。
「膳も無い家で、申し訳ねえ」
「構わぬ。いただこう」
する…と布団の上を若君の膝が滑る。ふう、と息を吹きかけ、ほんの一瞬粥をちゅる……と吸う音を立てて、篤実は食べ始めた。
「十兵衛、何をしておる。そなたも食べぬか」
「…は、いえ。儂は若君が済んでからで……」
「傍でこのようにじっと見られては食べにくくて仕方ない」
「失礼いたしました、若君。だが…」
まだ何か言うのか、と言いたげに篤実が手を止めた。十兵衛は、ひしひしとその視線が己へ注がれるのを感じ取りながら、怪我で酷い傷を負った、もう開かない瞼を撫でながら口を開く。
「儂にはもう、若君を見る目は無えんで、決して……」
「………くっ、くはっ」
ククククッと喉奥で堪えていた篤実は、やがて声を上げて笑いだした。
「わ……儂は!」
「嘘吐きめ」
心臓がギュッと掴まれたかのようだ。
「お主の心の眼が、余を見ておったであろう」
たったその一言で、十兵衛は喉が渇いて仕方なくなった。
「み……水を取って参ります、若」
逃げるように立ち上がった十兵衛の背中は、何時もよりも毛がぶわりと立って膨らんでいた。
何故かその様子が、自ら肉食の獣に身を差し出すうさぎの様に思えて十兵衛の心臓はまた胸の中で大きく跳ねる。
「若君、飯は食えますか」
「……ああ、食べられる。よい、においがする」
そんな邪で礼を欠いた妄想ばかり浮かぶのは、空腹のせいであろう。そう自らに言い聞かせながら、十兵衛は竃に置いた鍋の方へと振り返り、それから再び目の前の若君へと顔を向けた。
「つみれ汁と芋粥が、若君の口に合うかわからねえが……」
「嫌味か? くくっ…」
衣擦れと音と共に、篤実が身体を起こす。それだけでなく、ゆっくりとした動作で姿勢を正す気配がした。
「滅相もない。儂の貧乏舌で作った飯を若君に召し上がっていただくなんて、恐れ多いだけで…」
「大神十兵衛。…早速だが、世話になる」
「はっ」
穏やかな声に、ふと十兵衛は頭が熱くなった。妻の声は、どこかこんな風だったような気がした。わさびを食べたわけでも無いのに鼻の奥がツンと痛み、十兵衛は深く息を吸って、若君のために用意した夕餉を差し出すと半歩下がった。
「膳も無い家で、申し訳ねえ」
「構わぬ。いただこう」
する…と布団の上を若君の膝が滑る。ふう、と息を吹きかけ、ほんの一瞬粥をちゅる……と吸う音を立てて、篤実は食べ始めた。
「十兵衛、何をしておる。そなたも食べぬか」
「…は、いえ。儂は若君が済んでからで……」
「傍でこのようにじっと見られては食べにくくて仕方ない」
「失礼いたしました、若君。だが…」
まだ何か言うのか、と言いたげに篤実が手を止めた。十兵衛は、ひしひしとその視線が己へ注がれるのを感じ取りながら、怪我で酷い傷を負った、もう開かない瞼を撫でながら口を開く。
「儂にはもう、若君を見る目は無えんで、決して……」
「………くっ、くはっ」
ククククッと喉奥で堪えていた篤実は、やがて声を上げて笑いだした。
「わ……儂は!」
「嘘吐きめ」
心臓がギュッと掴まれたかのようだ。
「お主の心の眼が、余を見ておったであろう」
たったその一言で、十兵衛は喉が渇いて仕方なくなった。
「み……水を取って参ります、若」
逃げるように立ち上がった十兵衛の背中は、何時もよりも毛がぶわりと立って膨らんでいた。
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