【第一章】きみの柩になりたかった−死ねない己と死を拒む獣へ−

続セ廻(つづくせかい)

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Ⅴ.銀の糸

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 白い睫毛がか細く震え、目を覚ましたあるじ。その顔を年老いたレギオンが撫でた。
 差し込む光の角度が、神殿の主に普段より遅い起床だったと知らせる。昨晩の『まぐわい』のせいだろうか、いや、身体に怠さが付き纏うのはいつもの事の筈で、だからこそいつもと変わらない笑みを浮かべる。
『おはよう……ございます。レギオン』
『ああ。おはよう』
 レギオンは有無を言わさず裸の痩躯を横抱きにして、裏の水浴び場に座らせる。わ、と小さく声が上がったがそのままあるじの身体を冷水でつま先から丁寧に昨晩の痕跡を流すように肌を擦り洗う。
 その鋭さを増したレギオンの横顔に、上から差し込む光が作る影がどこか彼を黒い狼のように思わせる。無論、その身体は人の姿形をしているのに、だ。
『かっこいい』
『あ?』
 レギオンがあるじの太腿やそのつけ根まで水をかけて洗っても、彼はその身を任せきりだ。自分の身の回りのことを他人に世話されることに抵抗がない。
『強そうですよ、レギオン』
 年老いた姿のレギオンに、あるじは淡く笑みを浮かべる。
『…何だそれ。腰、あげろ』
 背中から尻、普通なら赤子ぐらいしか他人に任せないであろう股下を清められる事すら何の抵抗がない。
 途中までとはいえ一度抱いたぐらいではあるじと己の間に在り来りな羞恥も芽生えなければ、溝ができることも無かった。ある意味救いでもあり、酷でもある。
『でももう、駄目』
レギオンは一瞬心臓が鷲掴みにされたかと思った。とうとう拒まれた。その動揺を押し殺して、身体を清める手を動かし続ける。
おれの血に触っては駄目』
 続いたあるじの言葉にレギオンの強張った喉の奥が緩んだ。彼は、レギオンが自分の血に触れて呪いの障りに苦しむことを嫌う。それもいつもと変わらない事だ。
 ただでさえ常人の十倍の速さで老いていく身体は、この先死ぬまで衰える一方だ。
『でも、アンタ何もできないだろ。だから……一度死んでおく』
レギオンが常人と違うのは、死ねば肉体は再び赤子になって蘇るということだ。裏を返せば、自分で見切りをつけてしまえば、弱いとはいえ若い肉体からやり直せる。
 しかしレギオンの言葉に、あるじは濡れた髪をバッと振り回して首をひねり、紫水晶が険しい表情を浮かべた。
『レギオン』
 親子ほどに歳の離れてしまったレギオンを見上げるあるじの身体を水で清め、布で拭う。
『死ねば、子供の体に戻る』
『――でも……』
 男はあるじの身体に腕を回して抱きしめた。
『アンタ、くれた呪い』
『違うレギオン……そんな風に…言ってはいけません』
 身体に回された腕を緩やかに抱きしめて、胸に白銀の頭をよせる。
『アンタと会えた。アンタと生きていける』
 自分が生まれて、そのままなら死んでいただろう次代。貧民街の親無し子がろくな生き方をできないことなんて、あるじが知る必要はない。こうなった男から金や物への執着は消えて、かといって明日の朝日が見れるかわからない不安もない。
 有るのはあるじを手に入れられない、卑しい不満ぐらいだ。
 レギオンは一つ息をつきながら手の甲に指の筋がはっきりと浮かび上がり、カサついた手であるじの目元を覆い隠した。
『初めてじゃねえ。ずっとずっと、同じことしてる』
 死なない肉体と、死んでも生まれ変わる肉体ではまた仮初めの終焉への価値観も違うのだろう。何度も死を繰り返す呪い。獣が主の血肉から浴びた呪いはそういうものだった。――それに、四人分のある土産も持って。
『街、行った時の方が、ここ、居ない時間、長い』
は、と吐息で笑いながら主の背をかるく撫でて宥める。
 死による肉体の再生も必要だったが、そろそろ街へ買い出しに出て必要なものを補充しなければならない時期でもあった。
『それは……――そう、だけど』
『アンタが作ったレース、毛皮、売って。また塩とか買ってこねえと』
 あるじは飲まず食わずでも死なないが、レギオンは飢え死にする。森をでて山を迂回し、身元もはっきりしない自分たちから物を買い取ってくれるような街へ行けばレギオンはひと月は戻らない。
『アンタ、神様。俺の』
 声を殺して流したあるじの熱い涙で濡れた手をそっと退かして、獣は再び重ねるだけの口づけを交わした。
『笑ってくれねえか』
 白銀のあるじは、糖蜜色の指先でレギオンの潤いの無くなってしまった唇を撫でる。

 その日レギオンは飽きることなく、己のあるじの顔を空が茜色に染まるまで見つめ続けた。

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