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Ⅱ.秘されし神殿
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しおりを挟む「はあ?」
イオギオスは後ろにいる友の言葉に思わず振り返り気の抜けた声を出した。
――夢に出てくる女神? 何を言っているんだい君は。何年前の話だいそれ?
そんな台詞が口をついて出るより先に背中に刺さったレギオンの殺気にゾクリと悪寒がして、その場でイオギオスは素早くオルメロスの口を塞いだ。
「ふぐっ⁉」
「は、はははははすいません彼寝惚けてるみたいでさぁ……」
オルメロスの耳に顔を寄せて素早くささやく。『刺激するようなことを言わないでくれ』と。
「ぼ…僕は、そう、本当にただ仲間たちを送りたいだけなんだよ。それに遺品を持ち帰りたい。……アナタたちはここで暮らしているのか。ならこんな沢山の死体は邪魔になるだろう? ……瘴気に取り憑かれて死体が魔物化しないとも限らないわけで、アナタたちに重ねて迷惑をかけてしまうわけには行かないからさぁ」
ね? と必死の弁明を重ねるイオギオスの手元で、むっとした表情のオルメロスが黙り込んでいた。
沈黙を経てレギオンが溜息を付いて視線を落とし、主と呼んだ青年を腕に横抱きにして立ち上がった。
「瘴気――今は穢れのことはそう言うんだったか……。」
神殿の方へ向かいながらレギオンが首をひねり振り返る。
「眼鏡、俺は主を休ませてくる。それと…良いことを教えてやる。俺の主の近くに穢れ……瘴気は溜まらない。お前が今使っている身を守る魔法は帰り道に取っとけ」
レギオンの言葉に二人はまたしても目を瞬かせた。
その場の凄惨さに気を取られていたが、瘴気の森の中にあるというのにそこは確かにとても明るかった。じきに陽が沈むが、そうではなく、瘴気による視界の曇りがなかった。
「寝惚け野郎はそこの切り株からこっちに来るな。殺す」
「…………」
そっとオルメロスの口からイオギオスが手を話すと、わかっているとばかりに彼はうなずいて、近くの班員の亡骸へと寄っていって彼らの遺髪や遺品になりそうなものを集め始めた。
二人の殺し合いが回避できたと思った途端、イオギオスの胸に吐き気が込み上げた。
「…っ…うっ」
自分の口をおさえ木の陰に駆け込む。嘔吐する物音がしても、オルメロスは振り返らない。仲間の亡骸の処理はむしろこれからなのだから。
顔を上げ、辺りを改めて見回せば苔の生えた大樹と泉、そして古く大きな石造りの、蔦の這う建築物が聳えていた。足元に視線を落とせば太く育った木の根に割られたりしているものもあるが人工的に石が並べられたアプローチに見えなくもない。
それが、仲間の血と腸で汚されている。
「……ごめん」
「イオ、休んでいてもいいんだぞ」
「……そういうわけにもね」
背嚢から水筒を取出し口をすすいだイオギオスが改めて状況を確認していると、最も奥で倒れている班長の亡骸は早くも舞い降りた猛禽に目玉をつつかれたべられていた。
「ッ……」
イオギオスが必死にレギオンに語った「死者を送る」というのは、魂に肉体の死を伝え現世の業から解放する祈りの言葉を捧げる一連の手順のことである。死体に瘴気が溜まりやすいのに加え、そこに残る魂まで瘴気に冒されてしまうと、それは目には見えない転生の流れに戻れなくなる。
埋葬は大人の仕事だが、送るための祈りの言葉は、この国の住人は子供の頃から教えられるものだった。
二人は八体の亡骸を引き摺り、瞼を下ろさせる。顔の損傷が酷い者は布で顔を隠した。丸出しの下半身を直視するのも精神衛生上いいとは言えない。落ちていたそれぞれのものと思われる着衣を被せて隠した。
一方のレギオンは、主の身を清めていた。泉の水を桶に汲んでそこに布を浸し固く絞る。顔や、既に塞がった傷口に残る血を拭っては洗い、背中の血も拭い下肢にも手を伸ばす。
「……クソッ…変態共…」
主を凌辱しては勝手に死んでいく操り人形達に心底嫌悪し吐き捨てながら、主の太腿の間から指を伝わせて尻肉の奥へ進む。
『レギ…オ…ン…怪我無い?』
『無ぇ。ごめん。間違えた』
黒髪のレギオンと意識を浮上させた銀髪の主。二人の言葉はイオギオスやオルメロスとは異なる言語だった。
レギオンは二つの集団がこの場所に近づいてきたのを、自身が周囲の大地に張り巡らせた探知魔法で察知すると魔物を装い、小さい反応を先に片付けるべく飛び出した。しかし正気の騎士二人に手間取っている内に、いつも通り死にに来た別働隊にまんまと主を貪られた。彼は今日の失策を強く後悔していた。
『どうして謝るの…ありがとう』
うつ伏せのまま主が片足を広げ獣の指を受け入れる。太い指が探るように肉孔を潜り、狂人が吐いた血混じりの欲汁を指先に感じる。
顔を顰めながら主の耳元に唇を寄せ声を潜めて告げる。
『中、吸い出す』
『あれは……嫌だ…』
『駄目だ。足開け』
レギオンが身体を起こし主の尻たぶに指を食い込ませるが、主の抵抗を感じれば躊躇いため息を吐いた。
『レギオン』
『すぐやる』
糖蜜色の肌理細かな肌に顔を埋める。男達になんの配慮もなく擦り拡げられた粘膜の孔に舌を入れて、ぢぅ…と中から体液を吸い出し、吐き捨てる。
『ッ……』
『最後』
耐える主の中から瘴気よりも汚いものを吸い出して、最後に拭き清めた。
『……己、立てるから』
レギオンは主の体を抱きしめかけて、思いとどまる。
肩を貸し、支えながら彼の顔を見やれば紫水晶の双眸からは涙が溢れていた。
『どうして、死ぬのに……こんな事を』
『わからない』
赤い鎧の奴らがなぜ入れ替わり何度も主を襲うのか。そして、なぜ主はそんな奴らのために涙を流すのか。レギオンには後者こそ理解しがたかった。
『亡骸は?』
『仲間、片付けてる』
レギオンの片言の言葉に主は涙を零しながら目を瞬かせ。
『仲間? だれの』
『やつら』
『生きているの? 話の分かる通じるひとが居た?』
「あ、あー……」
主が並べた言葉に知らないものが混じっていて、レギオンは拳を握りしめた。
『あっち』
百聞は一見にしかず。指差し、今日遭遇した騎士二人が亡骸を簡単に整えている後姿を見せた。
『……己も…話せるかな』
レギオンの後ろから主がポツリとつぶやいた。それを聞いて獣は眉間に皺を寄せながら考えて、悩んで。
『待ってろ。俺が行く』
そうして石の建物の入口に主を隠すように立たせ、レギオンは亡骸に祈りを捧げようとする二人の隣へと立った。
――主が見ている前で、レギオン一人だけ祈らないわけにもいかない。少しむすっと黙り込んで、話しかけた。
「……俺のやり方がお前等と違っても文句を言うな。俺の時代はこうだったし、今もこうしてる」
イオギオス達と大して年齢に差がないように思えるレギオンが、妙な前置きと共に胸の前で指を組んで俯く。彼もじっと祈りを捧げ始めたのだ。
「え……?」
二人にしてみれば突然近付いてきたレギオンの申し出と、彼のアルジに酷いことをした自分達に対して祈りを捧げるなんて、予想外であった。特にイオギオスは目を瞬かせメロスと顔を見合わせた後に、やや戸惑いながら改めて祈りを捧げ始めた。
亡骸の同胞である二人は、片手を拳に片手を開き胸の前で併せ顔を上げ目を瞑る。
鳥が羽搏き舞い上がると共に一声鳴いて、それを鐘の音の代わりとするように祈りの言葉を口にする。
汝の肉体は滅び魂は今解き放たれた
苦しむなかれ
嘆くなかれ
穢れることなかれ
光ある空へ巡れ
水ある海へ巡れ
土ある大地へ巡れ
炎とともに昇れ
三人共に同じ祈りの言葉を口にした。
「ありがとう。礼を言う」
手をおろし目を開けた二人の内、先に口を開いたのはオルメロスだった。
「俺達の仲間が罪に問われて然るべきことをした。すまない。この件は教会に全て報告して、必――ッ」
頭を下げようとしたオルメロスの胸ぐらが掴まれ強く引き上げられる。その額へ、顔を顰めたレギオンが頭を突き合わせる勢いで睨んだ。
「――‼」
「この寝惚け野郎…しら切って、またここにドカドカ押しかける気だろ、アァ?」
再び燃え上がったレギオンの怒りに、イオギオスが二人の間になんとか割って入ろうとする。
「頼む! やめてくれ‼ メロス、君も彼の言うとおりだ。全てってどこまで? 予定を無視して経路を外れて、誰も知らない場所に集団で押しかけて――……ちょっと待て、まってくれ」
イオギオスは誰に急かされたわけでもないのに待ってくれと繰り返しながら、背嚢から瘴度計、方位計、時計、地図を取出してそれぞれを見比べ始める。
自分たちが通ったルートの内、はっきりしている所を地図で指差しそこからは方位計や時計、峰の位置を見比べて考える。
その姿を見て、レギオンがようやくオルメロスの襟を掴む手を離した。
「そうだ、こんな森の中央部に瘴気のない泉があるなんて聞いたこと無い」
瘴気の森が何時から有るのかを知るものは居ない。ティオスヒュイ国教会に保管されている最も古い文書、創世神話には既にその存在が記載されているほどである。
特に深く汚染されるエリアは国土の西を連峰に沿う形でひし形に広がっていた。森の上空に瘴気を溜め込んだ雨雲が発生し、季節の気流に流されて広がり黒い雨を降らす。冬は北からの風によって雨雲は南東に拡大し、春から夏は南からの風によって北東へ伸びる。
「瘴気を含んだ黒い雲は瘴気の森の中央部上空に最初にできる……」
「そうだな。それがどうしたか、イオ」
今の時期は北から南へ向かう風の影響で瘴気の濃い地域は中央から南に偏る。彼等は雪深くなる前に連峰の北を迂回し、最西端の詰所から北寄りのエリアの調査を行うはずだった。
それが現在の場所は中央に寄り過ぎている。地図上で推定されるこの場所は瘴気に汚染されて魔族がうろつく危険なエリアであっておかしくない。
「ここは何処なんだ……?」
イオギオスの疑問にオルメロスが訝しむ。
「瘴気の森の中だが……」
「それはそうなんだけどさぁ……」
悲しいかな、学者肌と脳筋の騎士で起きるコミュニケーション不全にイオギオスは頭を掻いて、考えるのをやめた。
「だめだ。考えてもまとまらない。腹も減ったよメロス」
ぐうぅ、と腹の虫がなった。――レギオンの。
騎士二人は顔を見合わせ、この黒髪赤目の浅黒い肌をした青年が自分たちと同じ様に腹を空かすのだと思うと気が抜けて笑い出した。
「……なんだ。クソッ。笑うな。やめろ」
「スマン。なんだか気が抜けてな」
「テメェは勝手に喋るな寝ぼけ野郎」
決まりが悪そうに顔をそむけて腕を組む。
「はぁ……ああ、僕たちも休憩せずにこんなことに遭遇してクタクタだ。死んだ彼等の背嚢に食料が入ってるからいただこう」
「……イオ、お前は…時々とんでもないことを言い出すな……」
「遺品だから手を付けるなって?」
二人の騎士のやり取りを黙って見つめるレギオンの背後に、何かがぬうっと姿を見せた。
「レギオン!」
建物に隠れていた主が張り裂けそうな声で叫んだ。
「――‼」
「しゃがめレギオン!」
オルメロスの声に素早くレギオンがその場に座り込み、前方へ転がり距離を取る。その頭上をオルメロスの左足がかすめ、回し蹴りで敵の頭を蹴りぬいた。
受け身も取らずに倒れる男の、見慣れた赤い作業着。
イオギオスが倒れた彼の首を絞め落とし、作業帽がズレて、地面に落ちる。
「こいつは……」
昏倒した男は、イオギオスと作業の交代を申し出た同期の男だった。
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