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Ⅰ.レギオンの過ち

3※R18G

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 瘴気の森は魔物や魔族を産む。淀んだ水や土と融け合いやすい瘴気の性質は、動物の亡骸により濃く溜め込まれやすいのだ。
「いいか新人、よく聞け。濃度の低い区域でも魔物が出る可能性は否定できない」
 薄暗い木漏れ日が差し込む朝の森の中を、獣道に伸びる藪を刈り取りながら先頭を進む班長が後列へ言ってきかせる。隊列の二番目には地図と瘴度計、方位計を手に進む副班長。武術と炎魔法に秀でたオルメロスはその実力から殿しんがりを、まんまと同期と入れ替わったイオギオスがその前を歩いていた。
 瘴気の森は街道や普通の森とは異なり、常に黒い霧がかかったように視界が悪い。特に地面近くに溜まりやすく、時折炎魔法で払いながら足元にも注意して歩かなければならなかった。
「北区域の瘴気溜りでも調査班が魔族と遭遇したという報告もある。その時は即、詰所に戻るからな」
 動物の亡骸や年月を経た魂のない樹木が瘴気に冒され穢れ変じたものを魔物と呼ぶ。物理的に処理することも可能だが、とどめは炎で浄化する必要がある。知性は低いものが多く、野に出る獣等より一段上の脅威ではあるが訓練したものなら対処できるだろう。
 しかし魔族は魔物とは異なる存在であった。
「魔族は……言葉を話す。僕たちにはわからない言葉を」
 イオギオスが小さく呟いた。
 魔族の正体は解っていない。人間のように二足歩行し、手を持ち頭もある。しかし常に黒い靄に全身が包まれており、顔は見えない。
 人間には理解できない言語を話し、帯刀していることもあれば魔法と思われるものを使うこともある。
「もしかしたら…魔族は……」
「――イオ、遅れてるぞ」
「あは、ごめん頑張る」
 そして、物理的な対処はあまり効果がなく炎で焼き尽くすと屍も残らないため、その生態の調査は魔物に比べて著しく遅れていた。否、何も分かっていないに等しいのだった。
 一行は時折休憩を挟みながら徐々に瘴気の森の深くへと進む。三度目の足休めを終えて進行し暫く経ち、再び二人に疲労がたまり足取りが重くなってくるが、四度目の休憩は何故かとられなかった。
「……――――」
 オルメロスは、前を歩くイオギオスが徐々に隊列から遅れ始めていることに気がついた。
「……おい、イオ」
「…………」
 ザッザッザッと規則的な足音を立てて進む前方。いつしか皆無言になっている。
「イオ」
「っ……わるい、ちょっとポーションだけ飲ませて」
歩きながら背嚢から小瓶を取り出し、栓をあけて中のとろみのついた緑色の液体を飲む。その分どうしても立ち止まらざるを得ず置いていかれるはずが、オルメロスはイオギオスの隣で歩みを止めた。
「……はは、弱ったな。ごめん、足引っ張って」
「こんなの引っ張られた内に入るか。とっとと追いつくぞ」
「それなんだけどさ、オルメロス」
はぁ…と肩で息をしながら再び息を吐き、イオギオスは自らの光魔法による防御を一瞬解除し、即座に周囲に浄化の炎を放ち瘴気を散らした。視界が一段明るくなり、周囲がクリアになる。
 周囲に魔物が居ないことを確認して、イオギオスは樹に上りはじめた。
「……イオ、やっぱり瘴気に当てられてるんじゃないかお前。お前が全属性エレメントを続けざまに撃てるのは知ってるが…ほら、俺を足場にしろ」
 友人の奇行に眉を潜めながらも、オルメロスは自らの肩をイオギオスの踏み台に差し出した。
「助かるぅ。っと……どうかなぁ、そうだったら良いんだけどさあ」
 イオギオスは普段と変わらない口ぶりのまま背嚢から双眼鏡と方位計を取り出し、周囲を見回し何かを確認すると飛び降りた。
「いってぇ…! ッツゥ……――ああメロス、悪い話だなぁ」
「慣れないことをし過ぎなんだよお前は。眼鏡もやし」
「方角がおかしい」
 ふっと真面目な顔をして友人へ告げたイオギオスの目に嘘やからかう意志は見当たらないと、幼馴染のオルメロスは信用した。
「……詳しく聞かせろ、イオ」
「進行方向が、予定より南にずれている。どれぐらいかは計算してみないと分からないけど」
「副隊長の取った進路が間違っていたということ…か」
 顎に手を当て思案するイオギオスと、先に進んでしまった本隊の方を見つめるオルメロスの間に沈黙が居りた。
「それに休憩一回とばしたしさ。キッツ……どうしてかなぁ」
「予定より進行が遅れていたのか?」
「なら情報共有してもらえない僕たちがよっぽど信用されてないのか」
「イオ、お前追いかける気ないな」
「正直ねぇ……どうしようか考えているところだよ。北の遺跡、行けないのについて行ってもなあ」
「別の新しい遺跡を見つけようとしているのか」
「いやあ……教会的にあまりいい顔しないよね、それ」
「それは、そうだな……」
 北端区域では遺跡のようなものが発見されている。イオギオスの目的はそこにあるのだが、教会は遺跡の発掘や調査に積極的ではない。森の調査とは主に地図の作成や魔物の数、瘴気の濃い溜り場を調べるのが本来の目的なのだ。
「遺跡の前に森自体をなんとかしないと保護も調査も進められない、って指針だしねぇ僕らさぁ」
 イオギオスが方位計や双眼鏡を背嚢にしまい背負い直したその時――。

「イオ! 前に飛び込め!」

 オルメロスが叫び、イオギオスはすぐさま彼の居る方へ土を蹴り飛びこんだ。
 剣を抜いたオルメロスがイオギオスの立っていた其処めがけて剣を突き出す。
 そこには熊が蔦を被ったような獣が居た。二人よりも一回り背が高く、大きな影。しかもその獣はオルメロスの剣を最低限首を横に振っただけで躱し、右手に大きな石をにぎりしめていた。
「魔物…! アルクーダ系か」
 二人で別方向に距離をとり、イオギオスは木を背にして身を半分隠す。
「メロス! 炎を‼」
「ッ! やってる」
 実際に森の中で大きな部類の魔物に鉢合わせたせいか、オルメロスは焦りから魔力が乱れ炎を放てなくなっていた。
「く……僕が土であいつの足場を崩す! あとは切るなり焼くなり任せたよ」
 瘴気を一度払ったとはいえ、時間とともに段々とそれは戻ってくる。祈りによる光の加護をうけていないイオギオスは都度魔法を使う度に自身で施した光魔法の対瘴気の防御を解く必要がある。
「すまんイオ!」
 魔力を地面へと通し、魔物の足場となっている地面を陥没させ転倒させる筈だった。が――。
 その熊のような魔物は、崩れ落ち穴の開いていく足元から、まるでこちらの動きを読んでいたかのように前方むかって大きく飛び上がり、その上で右手に握っていた石をイオギオス目掛けて投げつけてきたのだった。
「な――⁉」
「はがっ!」
 ガッとイオギオスのヘルメットの上から石が当たり、その威力に転倒してしまう。オルメロスはしかし倒れた友人に駆け寄るのではなく、剣に炎をまとわせて踏み込み、袈裟懸けに斬り掛かった。
「ハアッ!」
 手応えをかんじた。蔓を断ち切り、もっと弾力のある肉を裂いた感触。そして血のにおい。
 イオギオスを傷つけようとしたことへの怒りを引き金にさらに大きく渦巻く炎を巻き上げ魔物を焼き尽くそうとしたその時だった。

「ヒィッ! ヒイイイッ いやだぁ 怖い! たすけ… ヒヒッ ヒヘッ ヒギャアアアッ」

「今のは」
 その時、全員が同じ方向を向いていた。そして真っ先に走り出したのは熊と蔦の魔物であった。
「――ックソ!」
 そう確かに吐き捨て、魔物のような誰かは被っていた皮を脱ぎ捨て人の姿を現すと、オルメロスとイオギオスの間を二本足で走り抜けた。左肩に深手を負いながら。
「に……人間⁉」
「イオ! 俺たちも追うぞ‼ さっきの声」
「うん、副班長の――」
 そうして声の発生源と思しき方角へ迷わず走っていった被り物の男を追いかけた先で二人は見た。



 大樹と石造りの遺跡で四角く切り取られた舞台の上では残酷劇グラン・ギニョールが終幕へと差し掛かっていた。

 あるものは自ら手で目を刳り舌を噛み

 あるものは自ら生きたまま腸を引きずり出し

 あるものは自ら何度も短剣で耳から頭を突き刺し

 鎧と背嚢がバラバラに捨てられ、皆一様に下半身の着衣を脱ぎ捨てて、明らかに誰かと性交したと思しき様子を隠しもせずに死のうとして、最早手遅れだった。

「なッ――……」

 七人の瀕死体の男たちが誰の血なのか分からないほどに冒涜的な壊れ方をしている。
 イオギオスは班員たちが互いに犯しあったのかと自分の目を疑った。教会の教えで同性同士での性行為は禁忌とされている。
 中には先に死んだのであろう班員の傷口に性器をねじ込みながら自分の喉を指が折れてもなお掻き毟り引き裂いて死んだものも居た。
「へへ…へへへへ ヒヒッ」
 仲間の異常な死体と引きちぎられた着衣が点々と連なり、奥へと進んだ先から獣が喚くような声と男の下卑た笑い声、濡れた肌がぶつかり合う音が響いている。
「班長⁉」
 視線の先に居たのは、他の班員と同じ様に鎧も背嚢もヘルメットも脱ぎ捨て、何かを犯す男だった。
「あがっ ぅ ぅあ゙ ぁ゙ ひ――」
 犯されている何かがうめき声を上げている。
 一瞬、班長は獣とまぐわっているのかとイオギオスは思った。犯されているものの背中から見慣れた剣が数本生えているのが見えたからだ。
 そして次の瞬間には、強く後悔した。犯されているのが獣だったらまだ救いが有ったと。

 大地に散らばった長い銀色の髪。
 もがき、土に爪を立てる細い指。
 引き裂かれた布きれを纏わり付かせた薄い肩。
 男の指が食い込むほどに掴まれた細腰。
 犬のように高く掲げ、肛門を犯されている小さく丸みを帯びた尻。
 べっとりと張り付いた血の下から糖蜜色の肌を透かせたそれは、人間に間違いなかった。

「アアアアアアアアア――‼」
「⁉」
 男の咆哮に気を取られた次の瞬間には、イオギオスとオルメロスを襲撃した男は奥へと飛び込み、正気ではない班長を殴り倒した。
「ヘブッ!」
 それだけに留まらず、犯されていた人物に突き立てられていた剣を引き抜くと、二人に背を向けたまま班長へ一度、二度、三度と剣を突き刺した。
 ――もう、班長だった男が声を上げることは永遠になくなった。
 しかしこの舞台には下りるべき緞帳が無い。
 血と臓物の匂いに周囲をみたされて、二人は硬直した。イオギオスの頭の中ではこの異常な状況が、自分たちが隊から離れてここへ到着するまでの二時間も無い間に起きたことが信じがたかった。
 二人の視線の先では、男がゆっくりと立ち上がり、犯されていた人影から残りの剣を抜き取り、足元に投げ捨てた。
 木々のひらけた泉の傍、空からは陽の光が差し込み、男が黒い髪に日焼けした肌を持つ傷跡の多い二十代程の人間であることを照らし出す。
「うぅ ひ…ぐ ……ッがはっ…レギ…オ…」
 返り血にまみれた黒髪の男が、犯されていた人影を気遣う手付きで抱き起こした。銀色の長い髪に糖蜜色の肌をした人物が血の泡を吐きながら、手を震わせて上げようとしていた。
「悪い……また守れなかった」
 異邦の容姿の被害者は、背中から胸まで貫通した傷を負っていてどう見ても命は助からないと思えた。そしてその傷を負った胸の薄さと、投げ出された足の付根に見えた股ぐらのつくりに、彼が青年だとイオギオスはようやく気が付いた。
 男が異邦の青年の頬を撫でて、一度その体を胸に抱きしめる。どこかのサロンに飾られた絵画のような風景を目の当たりにして、先に動いたのはイオギオスだった。
 その場に装備を捨て、ヘルメットすら脱ぎ捨てて両手を上げながら三歩歩いたところで黒髪の男が露骨に殺気を放ち顔をむけた。
「囮かよ……馬鹿の一つ覚えで突っ込む以外にも出来たんだなてめえら」
 露わにされた敵意にメロスが剣を抜き踏み込みかけた。
「メロス駄目だ、剣を離せ」
「イオ!」
「駄目だ!!」
 オルメロスが剣を構えているのを庇うようにイオギオスは更に前に出る。オルメロスは暫く躊躇った後に剣を手放した。
「クソ狂信者共……ぜってえ殺す」
 イオギオスは両手をあげたまま立ち止まる。普段の締まりの無い顔から一転して、真面目な顔をして。
「――僕は、イオギオス。……敵意はない、絶対に、君たちに危害を加えない」
 黒髪の男は、銀髪の青年を抱きしめたままずっとこちらを噛み殺さんとばかりに睨み続けている。唸り声が聞こえてきそうな形相であった。
 イオギオスはなおも両手を上げたまま気持ちを鎮めようと深呼吸を一度行った。オルメロスは丸腰ではあるが、腰を低く落とし、こちらもどうとでも動けるように構えていた。
 やがて血肉のにおいに誘われてきたのか、空に猛禽の影がゆっくりと旋回して集まり始めた。
 押し黙ると、木々の揺れる音や泉が静かに川へと水を溢れさせる音すら聞こえる静けさだった。
「後ろの奴は、オルメロス。――彼にも、君たちに危害は加えさせないよ」
「ッ⁉ 何を言ってるんだイオ!」
 オルメロスも流石に任せておけないと腰をあげる。しかしイオギオスは振り返り首を横に振った。
「……ここに居るのは確かに僕らの仲間です。何が有ったかはわかりません。ただ……――『送』らせてくれませんか。きみが今腕に抱えている……その人も含めて」
 イオギオスの言葉にオルメロスも黒髪の男も、顔を顰めた。
 そして、長い沈黙の後に黒髪の男が口を開いた。
「こいつは俺のアルジだ」
 アルジといわれた銀髪の青年が目を開く。見たことがない紫色の瞳に日光が差し込んできらめいた。いつの間にか彼の傷からの出血は止まっている。では死んだのかと言うと、そうではなかった。
「こいつを送る必要はねぇ。……死なないからな」
 紫の眦の下に疲れ切った隈を浮かべ、徐々に呼吸も落ち着きながらアルジと呼ばれた彼が首を持ち上げた。黒髪の男が傷付いた腕で銀糸の流れる頭を胸に抱き寄せる。

「いいか。てめえらのお仲間は、俺の主を犯して勝手に『ノロワレ』て死んだんだ」

「……――そこの」
黒髪の男の言葉を遮ったオルメロスが見ているのは、彼が庇うように抱きしめている銀髪の青年だった。
「――どうして俺の夢に出てくる女神が、貴様のアルジなんだ」

「――――はぁ?」

 イオギオスはこの時、今日一番の大きな声が出てしまったと思ったと後に零した。
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