上 下
2 / 32
Ⅰ.レギオンの過ち

1

しおりを挟む
 草木も眠る夜、雨が上がった。
 その夜寝付けなかった青年にとって、雨音が途切れたのはあまり喜ばしいことではなかった。彼の腕の中で眠るあるじの存在を否応なしに意識してしまうからだ。
「は………」
 できるだけ吐息を当てぬように彼は溜息をついた。
 石の天井と壁は千年前に作られたというのに今も二人でひっそりと生活するのに必要以上に丈夫だが、壁のない間取りと木板を立てただけの窓は二人の生活音を閉じ込めておくには難がある。が、彼らは特に困りはしなかった。なぜなら住まいの周りに他の人家など無く、加えて言うならば其処は厳かにそびえる大樹の森に守られた禁足地の中、清らかな泉の畔に残るたった一人のために造られた、かつて神殿といわれた場所なのだから。
「ん…ぅ………」
 わずかに声を漏らすも、あるじは深く眠りについて目を覚まさない。
「少し寒いか……」
 とうに世間から忘れ去られたその神殿の主にはたった一人従僕にして守護者がいた。重ねた掛け布団を引き寄せ直す、黒い髪に浅黒い肌の青年。彼は作法も教養もないまま、ただ己の心のまま献身している。
 昼は森の中で弓と斧を手に狩りをし、木を切り、主の身の回りの世話を進んで行う。
 月が昇れば青年が街から持ち込んだシーツを敷き、暑ければコットンかリネンを、寒ければ毛皮を寝具として毎夜寝処を調える。そして眠る時にはあるじが青年を抱き枕にするか、あるいは青年の腕にあるじが収まり眠りにつく。
 今、あるじの薄い身体は青年の腕の中にある。
 眠れない赤い瞳が見つめる視線の先では男性にしては華奢な後姿が規則的に肩を上下させ、耳をすませば寝息をかすかに立てている。
 外では雨雲が晴れたのだろうか。窓に立てた木板の隙間から青白い月明かりが差し込み、腕の中の横顔に光の線となって掛かる。長く銀色に光る睫毛と褐色の頬が陰の中から静かに浮かび上がって見えた。
「――何の夢…見てんだ……アンタ」
 青年は独り言ち、あるじの銀髪の流れから覗く糖蜜色の耳朶裏に鼻先をよせて静かに息を吸う。呼吸する薄い胸に掌を添えて、己の日々森で生活するに足る靭やかな筋繊維を纏う腕にあるじの頭を乗せて。
 同時に自身の獣慾と理性のせめぎ合いに一人静かに嫌悪しながら。
「ぅ……く……」
 青年の眼の前であるじの体が小さく跳ねた。その後、腕の中の背中が不自然な熱感を帯びている事に気がつく。
「ッ――クソ……」
 上体を起こしあるじを横向きに寝かせたまま布団を剥がす。寝間着の前を留める紐を解き肌をさらけ出させ身体を改めれば、露わになった褐色の背中には金箔を貼ったような刻印が樹木のように広がり、自ら光を放っていた。
「く……ぅ…う…」
 青年は顔をしかめながら、眠ったまま苦痛に喘ぐあるじを見下ろして指先に意識を集中する。
「……怒りガトよ」
 呼吸とともに取り込んだ魔力を身体に巡らせ、清めの炎が虚空に現れる。まるで蝋燭の火程に小さなそれは油が無くともちろちろと揺れる魔法の炎。
 あるじの身体はしっとりと汗ばんでおり、呼吸も浅く早くなっている。部屋の中に彼の吐息が反響し、まるで組み敷いて犯している時に聞く呼吸のように思えた。
 うぞり と主の鎖骨の間で皮膚が不自然に膨れ、明確に肉の中から黒い尖った枝先のようなものが蜷局を巻いて溜まっていく。やがてプツ……と最後の薄い皮が破られ靄と共に芽をだした。
「か……はっ…ぁッ」
そこからまるで早回しの映像のように黒い芽は頭を振りながら枝分かれし横に広がり、あるじの喉は皮膚の下を這い伸びる黒い根がひび割れのように浮び上がって締め上げられていく。
「燃えろ。消えろ、そいつの中から」
 そいつは俺の――。その言葉を青年は喉の奥へと出かかったところで飲み込んで。
 あるじを苦しめる障りへの怒りと共に青年の指先に灯った魔法の炎が風に煽られたかのように大きく揺れて、あるじの身体から生えた禍々しい影の木と暗い靄を焼き払う。――あるじの首ごと。
「ぁが……は…」
 黒い障りが炎にかき消される中、肉と髪の焼けるにおいも広がる。
「ごめん」
 青年は炎が影を焼く僅かな時間を何倍にも長く感じながら唇を噛む。
 火に舐められ焼けたあるじの皮膚の下から真っ赤な肉が現れて、じくじくと体液と血を滲ませた。
「げほっ、がふっ ひゅ……」
 喉を鳴らし苦しむ彼の焼け爛れた身体は、火が消え去ると共にたちどころに再生し、やがて元の糖蜜色の傷ひとつない肌と、背中の黄金の刻印を見せた。
 ひゅぅ……ひゅぅ……と喉を腫らしたようなあるじの呼吸音が室内に響く。
 刻印の光は収まった。青年はあるじの寝巻きを着せ直しながら、その目元に顔を寄せ、目尻へと舌を這わせる。
 涙の塩気と苦味を味わい、もう一度火照りの残ったあるじの身体を抱き寄せ再び腕枕を差し出した。
 耳をすませ、徐々にあるじの寝息は穏やかなものとなっていくのをいつまでも聞いていると、ようやく青年にも眠気が訪れる。
「……レ…ギ…オン…」
「――おう……ここに居る」
 只の寝言だと解っていても、あるじに名を呼ばれ抱き締める腕に力が籠もった。
 寝間着の布地越しに再び肋をなぞり、平らな下腹を撫でる。燃えた髪すら元通りに揃った項の生え際へ鼻先を埋め、再生したばかりの首筋にそっと口付けの鬱血痕を刻んだ。
 そんな事を百年以上繰り返している。

 二人は、人のことわりから外れた存在である。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】助けてもらった虎獣人にマーキングされちゃう話

象の居る
恋愛
異世界転移したとたん、魔獣に狙われたユキを助けてくれたムキムキ虎獣人のアラン。襲われた恐怖でアランに縋り、家においてもらったあともズルズル関係している。このまま一緒にいたいけどアランはどう思ってる? セフレなのか悩みつつも関係が壊れるのが怖くて聞けない。飽きられたときのために一人暮らしの住宅事情を調べてたらアランの様子がおかしくなって……。 ベッドの上ではちょっと意地悪なのに肝心なとこはヘタレな虎獣人と、普段はハッキリ言うのに怖がりな人間がお互いの気持ちを確かめ合って結ばれる話です。 ムーンライトノベルズさんにも掲載しています。

【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。 ——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない) ※完結直後のものです。

男友達を家に入れたら催眠術とおもちゃで責められ調教されちゃう話

mian
恋愛
気づいたら両手両足を固定されている。 クリトリスにはローター、膣には20センチ弱はある薄ピンクの鉤型が入っている。 友達だと思ってたのに、催眠術をかけられ体が敏感になって容赦なく何度もイかされる。気づけば彼なしではイけない体に作り変えられる。SM調教物語。

【R18】淫魔の道具〈開発される女子大生〉

ちゅー
ファンタジー
現代の都市部に潜み、淫魔は探していた。 餌食とするヒトを。 まず狙われたのは男性経験が無い清楚な女子大生だった。 淫魔は超常的な力を用い彼女らを堕落させていく…

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

異世界転移したら、推しのガチムチ騎士団長様の性癖が止まりません

冬見 六花
恋愛
旧題:ロングヘア=美人の世界にショートカットの私が転移したら推しのガチムチ騎士団長様の性癖が開花した件 異世界転移したアユミが行き着いた世界は、ロングヘアが美人とされている世界だった。 ショートカットのために醜女&珍獣扱いされたアユミを助けてくれたのはガチムチの騎士団長のウィルフレッド。 「…え、ちょっと待って。騎士団長めちゃくちゃドタイプなんですけど!」 でもこの世界ではとんでもないほどのブスの私を好きになってくれるわけない…。 それならイケメン騎士団長様の推し活に専念しますか! ―――――【筋肉フェチの推し活充女アユミ × アユミが現れて突如として自分の性癖が目覚めてしまったガチムチ騎士団長様】 そんな2人の山なし谷なしイチャイチャエッチラブコメ。 ●ムーンライトノベルズで掲載していたものをより糖度高めに改稿してます。 ●11/6本編完結しました。番外編はゆっくり投稿します。 ●11/12番外編もすべて完結しました! ●ノーチェブックス様より書籍化します!

処理中です...