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Ⅰ.レギオンの過ち
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草木も眠る夜、雨が上がった。
その夜寝付けなかった青年にとって、雨音が途切れたのはあまり喜ばしいことではなかった。彼の腕の中で眠る主の存在を否応なしに意識してしまうからだ。
「は………」
できるだけ吐息を当てぬように彼は溜息をついた。
石の天井と壁は千年前に作られたというのに今も二人でひっそりと生活するのに必要以上に丈夫だが、壁のない間取りと木板を立てただけの窓は二人の生活音を閉じ込めておくには難がある。が、彼らは特に困りはしなかった。なぜなら住まいの周りに他の人家など無く、加えて言うならば其処は厳かにそびえる大樹の森に守られた禁足地の中、清らかな泉の畔に残るたった一人のために造られた、かつて神殿といわれた場所なのだから。
「ん…ぅ………」
わずかに声を漏らすも、主は深く眠りについて目を覚まさない。
「少し寒いか……」
とうに世間から忘れ去られたその神殿の主にはたった一人従僕にして守護者がいた。重ねた掛け布団を引き寄せ直す、黒い髪に浅黒い肌の青年。彼は作法も教養もないまま、ただ己の心のまま献身している。
昼は森の中で弓と斧を手に狩りをし、木を切り、主の身の回りの世話を進んで行う。
月が昇れば青年が街から持ち込んだシーツを敷き、暑ければコットンかリネンを、寒ければ毛皮を寝具として毎夜寝処を調える。そして眠る時には主が青年を抱き枕にするか、あるいは青年の腕に主が収まり眠りにつく。
今、主の薄い身体は青年の腕の中にある。
眠れない赤い瞳が見つめる視線の先では男性にしては華奢な後姿が規則的に肩を上下させ、耳をすませば寝息をかすかに立てている。
外では雨雲が晴れたのだろうか。窓に立てた木板の隙間から青白い月明かりが差し込み、腕の中の横顔に光の線となって掛かる。長く銀色に光る睫毛と褐色の頬が陰の中から静かに浮かび上がって見えた。
「――何の夢…見てんだ……アンタ」
青年は独り言ち、主の銀髪の流れから覗く糖蜜色の耳朶裏に鼻先をよせて静かに息を吸う。呼吸する薄い胸に掌を添えて、己の日々森で生活するに足る靭やかな筋繊維を纏う腕に主の頭を乗せて。
同時に自身の獣慾と理性のせめぎ合いに一人静かに嫌悪しながら。
「ぅ……く……」
青年の眼の前で主の体が小さく跳ねた。その後、腕の中の背中が不自然な熱感を帯びている事に気がつく。
「ッ――クソ……」
上体を起こし主を横向きに寝かせたまま布団を剥がす。寝間着の前を留める紐を解き肌をさらけ出させ身体を改めれば、露わになった褐色の背中には金箔を貼ったような刻印が樹木のように広がり、自ら光を放っていた。
「く……ぅ…う…」
青年は顔をしかめながら、眠ったまま苦痛に喘ぐ主を見下ろして指先に意識を集中する。
「……怒りよ」
呼吸とともに取り込んだ魔力を身体に巡らせ、清めの炎が虚空に現れる。まるで蝋燭の火程に小さなそれは油が無くともちろちろと揺れる魔法の炎。
主の身体はしっとりと汗ばんでおり、呼吸も浅く早くなっている。部屋の中に彼の吐息が反響し、まるで組み敷いて犯している時に聞く呼吸のように思えた。
うぞり と主の鎖骨の間で皮膚が不自然に膨れ、明確に肉の中から黒い尖った枝先のようなものが蜷局を巻いて溜まっていく。やがてプツ……と最後の薄い皮が破られ靄と共に芽をだした。
「か……はっ…ぁッ」
そこからまるで早回しの映像のように黒い芽は頭を振りながら枝分かれし横に広がり、主の喉は皮膚の下を這い伸びる黒い根がひび割れのように浮び上がって締め上げられていく。
「燃えろ。消えろ、そいつの中から」
そいつは俺の――。その言葉を青年は喉の奥へと出かかったところで飲み込んで。
主を苦しめる障りへの怒りと共に青年の指先に灯った魔法の炎が風に煽られたかのように大きく揺れて、主の身体から生えた禍々しい影の木と暗い靄を焼き払う。――主の首ごと。
「ぁが……は…」
黒い障りが炎にかき消される中、肉と髪の焼けるにおいも広がる。
「ごめん」
青年は炎が影を焼く僅かな時間を何倍にも長く感じながら唇を噛む。
火に舐められ焼けた主の皮膚の下から真っ赤な肉が現れて、じくじくと体液と血を滲ませた。
「げほっ、がふっ ひゅ……」
喉を鳴らし苦しむ彼の焼け爛れた身体は、火が消え去ると共にたちどころに再生し、やがて元の糖蜜色の傷ひとつない肌と、背中の黄金の刻印を見せた。
ひゅぅ……ひゅぅ……と喉を腫らしたような主の呼吸音が室内に響く。
刻印の光は収まった。青年は主の寝巻きを着せ直しながら、その目元に顔を寄せ、目尻へと舌を這わせる。
涙の塩気と苦味を味わい、もう一度火照りの残った主の身体を抱き寄せ再び腕枕を差し出した。
耳をすませ、徐々に主の寝息は穏やかなものとなっていくのをいつまでも聞いていると、ようやく青年にも眠気が訪れる。
「……レ…ギ…オン…」
「――おう……ここに居る」
只の寝言だと解っていても、主に名を呼ばれ抱き締める腕に力が籠もった。
寝間着の布地越しに再び肋をなぞり、平らな下腹を撫でる。燃えた髪すら元通りに揃った項の生え際へ鼻先を埋め、再生したばかりの首筋にそっと口付けの鬱血痕を刻んだ。
そんな事を百年以上繰り返している。
二人は、人の理から外れた存在である。
その夜寝付けなかった青年にとって、雨音が途切れたのはあまり喜ばしいことではなかった。彼の腕の中で眠る主の存在を否応なしに意識してしまうからだ。
「は………」
できるだけ吐息を当てぬように彼は溜息をついた。
石の天井と壁は千年前に作られたというのに今も二人でひっそりと生活するのに必要以上に丈夫だが、壁のない間取りと木板を立てただけの窓は二人の生活音を閉じ込めておくには難がある。が、彼らは特に困りはしなかった。なぜなら住まいの周りに他の人家など無く、加えて言うならば其処は厳かにそびえる大樹の森に守られた禁足地の中、清らかな泉の畔に残るたった一人のために造られた、かつて神殿といわれた場所なのだから。
「ん…ぅ………」
わずかに声を漏らすも、主は深く眠りについて目を覚まさない。
「少し寒いか……」
とうに世間から忘れ去られたその神殿の主にはたった一人従僕にして守護者がいた。重ねた掛け布団を引き寄せ直す、黒い髪に浅黒い肌の青年。彼は作法も教養もないまま、ただ己の心のまま献身している。
昼は森の中で弓と斧を手に狩りをし、木を切り、主の身の回りの世話を進んで行う。
月が昇れば青年が街から持ち込んだシーツを敷き、暑ければコットンかリネンを、寒ければ毛皮を寝具として毎夜寝処を調える。そして眠る時には主が青年を抱き枕にするか、あるいは青年の腕に主が収まり眠りにつく。
今、主の薄い身体は青年の腕の中にある。
眠れない赤い瞳が見つめる視線の先では男性にしては華奢な後姿が規則的に肩を上下させ、耳をすませば寝息をかすかに立てている。
外では雨雲が晴れたのだろうか。窓に立てた木板の隙間から青白い月明かりが差し込み、腕の中の横顔に光の線となって掛かる。長く銀色に光る睫毛と褐色の頬が陰の中から静かに浮かび上がって見えた。
「――何の夢…見てんだ……アンタ」
青年は独り言ち、主の銀髪の流れから覗く糖蜜色の耳朶裏に鼻先をよせて静かに息を吸う。呼吸する薄い胸に掌を添えて、己の日々森で生活するに足る靭やかな筋繊維を纏う腕に主の頭を乗せて。
同時に自身の獣慾と理性のせめぎ合いに一人静かに嫌悪しながら。
「ぅ……く……」
青年の眼の前で主の体が小さく跳ねた。その後、腕の中の背中が不自然な熱感を帯びている事に気がつく。
「ッ――クソ……」
上体を起こし主を横向きに寝かせたまま布団を剥がす。寝間着の前を留める紐を解き肌をさらけ出させ身体を改めれば、露わになった褐色の背中には金箔を貼ったような刻印が樹木のように広がり、自ら光を放っていた。
「く……ぅ…う…」
青年は顔をしかめながら、眠ったまま苦痛に喘ぐ主を見下ろして指先に意識を集中する。
「……怒りよ」
呼吸とともに取り込んだ魔力を身体に巡らせ、清めの炎が虚空に現れる。まるで蝋燭の火程に小さなそれは油が無くともちろちろと揺れる魔法の炎。
主の身体はしっとりと汗ばんでおり、呼吸も浅く早くなっている。部屋の中に彼の吐息が反響し、まるで組み敷いて犯している時に聞く呼吸のように思えた。
うぞり と主の鎖骨の間で皮膚が不自然に膨れ、明確に肉の中から黒い尖った枝先のようなものが蜷局を巻いて溜まっていく。やがてプツ……と最後の薄い皮が破られ靄と共に芽をだした。
「か……はっ…ぁッ」
そこからまるで早回しの映像のように黒い芽は頭を振りながら枝分かれし横に広がり、主の喉は皮膚の下を這い伸びる黒い根がひび割れのように浮び上がって締め上げられていく。
「燃えろ。消えろ、そいつの中から」
そいつは俺の――。その言葉を青年は喉の奥へと出かかったところで飲み込んで。
主を苦しめる障りへの怒りと共に青年の指先に灯った魔法の炎が風に煽られたかのように大きく揺れて、主の身体から生えた禍々しい影の木と暗い靄を焼き払う。――主の首ごと。
「ぁが……は…」
黒い障りが炎にかき消される中、肉と髪の焼けるにおいも広がる。
「ごめん」
青年は炎が影を焼く僅かな時間を何倍にも長く感じながら唇を噛む。
火に舐められ焼けた主の皮膚の下から真っ赤な肉が現れて、じくじくと体液と血を滲ませた。
「げほっ、がふっ ひゅ……」
喉を鳴らし苦しむ彼の焼け爛れた身体は、火が消え去ると共にたちどころに再生し、やがて元の糖蜜色の傷ひとつない肌と、背中の黄金の刻印を見せた。
ひゅぅ……ひゅぅ……と喉を腫らしたような主の呼吸音が室内に響く。
刻印の光は収まった。青年は主の寝巻きを着せ直しながら、その目元に顔を寄せ、目尻へと舌を這わせる。
涙の塩気と苦味を味わい、もう一度火照りの残った主の身体を抱き寄せ再び腕枕を差し出した。
耳をすませ、徐々に主の寝息は穏やかなものとなっていくのをいつまでも聞いていると、ようやく青年にも眠気が訪れる。
「……レ…ギ…オン…」
「――おう……ここに居る」
只の寝言だと解っていても、主に名を呼ばれ抱き締める腕に力が籠もった。
寝間着の布地越しに再び肋をなぞり、平らな下腹を撫でる。燃えた髪すら元通りに揃った項の生え際へ鼻先を埋め、再生したばかりの首筋にそっと口付けの鬱血痕を刻んだ。
そんな事を百年以上繰り返している。
二人は、人の理から外れた存在である。
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