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3巻
3-3
しおりを挟む「分かった! 調査を開始するから、アメンダ嬢!」
キャルがオーレリアンの横を堂々と通り過ぎようとしているのが分かったのだろう。彼は慌てて、行く手を阻む魔法の壁を出現させる。
この壁は、カイドの剣で斬れるだろうか。
そう思ってキャルが見上げた先で、カイドは大笑いしていた。
「そんなことしてる暇があるのか? 燃え尽きるぜ?」
消火活動している魔法使いは、もう一人もいない。皆、涙を流してうずくまっている。
「~~~~~っ! 覚えていろよ!」
オーレリアンは、キャルの身柄と本を比べて、あっさりと本を取った。
目の前で消えていこうとする知識の山を見捨てることなどできないのだろう。
炎の方に魔力を向けたオーレリアンを見て、カイドはキャルを抱き上げる。
「じゃあな」
軽い言葉をかけて、全速力で走り始めた。
オーレリアンが罵る声が聞こえたが、風に紛れてあっという間に聞こえなくなる。
山猿と戦った時にも、こうやって抱えて走ってもらったが、山の中と町中では全くスピードが違う。カイドがキャルを落としたりするはずはないのだが、あまりの速さに目がぐるぐる回って、キャルは彼の首に必死でしがみついた。
少しスピードが緩んだかなと思えば、周りはすでに草原。町はもう影も形も見えない。
キャルは、カイドに強くしがみつきすぎて、手足がブルブル震えていた。
下ろしてもらっても、すぐに歩き始めるのは無理だ。だから、カイドの腕の中でおとなしくしているしかない。
「いいなあ。思いっきりしがみつかれるのもいいし、こうやって寄りかかられるのもいい」
彼はご機嫌な様子でそんなことを言う。
ちょっとムカついたので、キャルは力の入らない手を無理矢理動かし、髪の毛を引っ張っておいた。
「あいたたたっ! 大丈夫だって。時々ちょっとやろうとは思ってるけど、そんなに頻繁にはしな……痛いって!」
「もう、二度としないの!」
怒ったキャルにちらりと視線を向けて、ふいっとそらすカイド。
――絶対またやる気だ。にやけた口元が証拠だ。
「炎のことだけど、あいつらが思ったより上手く消火してくれなくて、家が少し焦げたかもしれない。悪いな」
キャルのムクれた顔を無視して、カイドは話題を変えた。
「あ、うん。ちょっとびっくりした」
燃やすとは聞いていたけれど、炎に包まれるほどとは思わなかった。
しかし、家にはカイドが入念に保存魔法をかけている。外壁は多少焦げても、中には全く影響がないという。
オーレリアンには父の本も少し持ち出したようなことを匂わせたけれど、それも嘘だ。盗品疑惑のある本だけで、後は父の書斎の本棚に綺麗に並んだまま。
ただし、『捜査の参考資料』などと言って持っていかれないように、厳重に結界を施していた。
「本が無傷だと分かれば、あいつはこっちを追ってくる」
キャルは声を出せずに小さく頷く。
これから、逃亡生活が始まる。
王宮の役人に追われるような立場になるなんて、想像したこともなかった。
カイドが抱き上げてくれているのをいいことに、彼の胸に顔をうずめる。不安が湧き上がってくるのを止められない。
彼は、からかうことなく抱く腕に力を込めた。
「さすがに、二日で国を横断するやつに見つけられたら、まずい」
びくりと震えてしまったキャルの肩を、カイドがなだめるように叩く。
「これくらい離れれば、あいつの『探索』の範囲外だと思う」
そう言いながら、カイドは王都の方向へ走っていた足を、北へと向けた。
オーレリアンの『探索』の範囲内ではどこへ行っても無駄なので、とりあえず真っ直ぐに走ってきたらしい。この後は、どちらに向かったか分からないよう、撹乱するように動いていくという。
「……もう少し、広いんじゃない?」
キャルでさえ、頑張ればもう少し範囲を広げられる。今みたいに不安で震えている状態でなければ、自分の家の周りに人が何人いるかくらいは分かるだろう。
けれど、カイドはキャルを見下ろしてニヤリと笑う。
「いや、あいつが気配を追えるのは、このくらいだ。昔、あいつの依頼から逃げるためにいろいろ試したからな」
……仲良しだな。大がかりな鬼ごっこでもしていたような言い方だ。
「だがそのせいで、青い鳥で依頼を飛ばしてくるようになりやがった」
これが青い鳥の誕生秘話か。
なんだか、とってもくだらない内容だった。
「キャルのは、もっと広いだろ?」
「……今は、そんなに広げられないよ?」
普段から『探索』を展開してはいるけれど、そこまで広くはない。せいぜい目に見える範囲だけだ。それ以上に広げようとするなら、この不安な気持ちを落ち着かせなければ。
こうやってカイドと会話をしている間も、キャルは彼に縋るように抱き付いていた。
「やらなくていい。こうしてくれているキャルが可愛いからな」
その言葉と共に、彼の唇がキャルの額に触れる。
キャルが弱っているのでやりたい放題だ。さすがに恥ずかしすぎる。
「とりあえず、魔法で探知されなきゃいいんだ。青い鳥は飛んでくるだろうけど、俺たちがどこにいるのか分かってないみたいだしな」
カイドは鼻歌でも歌いそうなほど機嫌よく歩いている。疲れた様子はない。無理に明るく振る舞っているわけでもなさそうで、キャルは少しほっとした。
自分が、カイドをひどい事態に巻き込んだことは理解している。盗難の……しかも、貴族が持っていた重要な書物の盗難の、重要参考人であるキャルと逃亡するのだ。
だがそれが、どんな罪に問われることになるのか、キャルには分からなかった。
カイドがゆっくりと一定のリズムで歩いているからか、キャルは眠くなってきた。
それに気が付いたカイドが、眠ってもいいと言うように背中を撫でる。だからキャルは、カイドの胸に頭を預けたまま目を閉じた。
◇
――その頃。
炎を消したオーレリアンは、以前とほぼ変わらぬ状態でそこにある家を見て、全てを悟っていた。
「ああ、もう! 強力な保存魔法が効いてるじゃないか! 僕としたことがっ」
カイドの態度で気が付くべきだった。彼がキャルの大切な家を燃やすはずがないのだ。あまりに動転していて、本のこと以外に頭が回らなかった。
部下たちは未だにキャルの痴漢撃退薬で苦しんでいる。彼らを、ひとまず家の中に入れてやらなければ。
家の中に……
「開かないっ! くそっ……結界まで張ってるのかっ。…………あああっ! 面倒な重ねがけまでしてっ!」
数人でかかれば時間をかけずに外せる。
しかし、ここには苦しむ部下たちと、疲れ果てたサシャしかいない。
ガクリと項垂れて、オーレリアンは後ろを振り返った。
町の人たちが、まだ心配そうにこちらを窺っている。彼らに頼んで、今日の宿泊場所を確保するしかない。
だが、絶対自分では行きたくないと思い、サシャに目で合図をした。
サシャは泣きそうな顔をしながらも立ち上がる。
うむ。それでこそ従者だ。
それにしても……と、オーレリアンはカイドとキャルが去った方角に視線を向ける。もう、彼らの気配を追うことはできない。
それでなくとも、二日で国を横断するという荒業を成し遂げて、非常に疲れている。
しかも称賛の声が少なくて結構不満だ。
「カイドの逃げ足と、アメンダ嬢の『探索』能力……厄介だな」
オーレリアンは舌打ちをして、空を睨み付ける。
とりあえず今は、サシャが宿泊場所を見つけて戻るのを待つしかなかった。
3
キャルは空腹を感じて目を開ける。
そこは森の中で、野宿する時はいつもそうするように、カイドにくるまれていた。
見上げると、まだ寝ているカイドの顔がある。
空気が涼やかだ。もう少しで日の出という時間だろうか。
キャルが身じろぎしても、カイドは起きる気配がない。
実は、キャルは寝ているカイドがお気に入りだ。何をしても、恥ずかしくないから。
腕を伸ばしてカイドの頬に触れてみる。少しだけ伸びたひげが、ざらざらとした感触だ。
反応がないことに気をよくしたキャルは、伸びをしてカイドの頬に自分の頬をくっつける。ちくちくしてちょっと痛いけれど、体もぴったりとくっついて気持ちが良い。
キャルは頬ずりしていた顔を……少し、ほんの少しだけずらして、彼の頬にキスをする。
――一緒にいてくれてありがとう。
声を出すとさすがに起きてしまうから、心の中だけでお礼を言う。
「ん……?」
カイドが眉間にしわを寄せた。
キャルはパッと元の体勢に戻って寝たふりをしてみる。
その動きで、カイドははっきりと覚醒してしまった。
「あれ……? 今、なんか……?」
寝惚けたような声が頭の上から聞こえる。
どうやらバレてはいないようだ。
よかった。あんなのがバレていたら、恥ずかしすぎてしばらくカイドの顔を見られない。
「キャル?」
呼ばれたキャルは、眠そうな表情を作って顔を上げる。
「はい?」
カイドは不思議そうな顔をしながら、首を傾げていた。
キャルは平静を装うけれど、心臓はバクバクと大きな音を立てている。
「……いや。なんでもない。おはよう」
彼は何も気が付かなかったようだ。
ホッと胸を撫で下ろして、キャルは微笑む。
「おはよう」
カイドは満面の笑みを浮かべて、キャルにキスをする。
なんだか、妙に機嫌が良いなと感じながらも、久しぶりに一緒に寝たからかなとキャルは考えた。
『どうして機嫌が良いの?』なんて聞けないので、キャルには想像することしかできない。その想像だけでも、自意識過剰な気がして恥ずかしいのだから。
一人で照れていたキャルは、気が付いていなかった。
最近、寝たふりをしていればキャルがすり寄ってくることに気が付いて、寝たふりが異常に上手くなった男が目の前にいることに。
「嬉しすぎて身動きしてしまったことが敗因だな」
そう呟くカイドは一人反省して、さらに上達していくのだった。
朝食のパンを食べながら、カイドが地図を広げる。
「これから、アルスターク伯爵領へ向かおうと思う」
……アルスターク……ってどこだっけ? カイドの親戚かなんかがいるのだろうか。
キャルがきょとんとしていると、デコピンが飛んできた。
「盗難届を出した貴族のところだ」
思わぬ言葉に、キャルは目を瞬かせる。
「そんなところへ行って、どうするの?」
そう聞いてから、母の蔵書をカイドの空間に入れて持ってきたことを思い出す。
ああ、そうかと、キャルは少し落ち込んだ。
「お母さんの本、返すの? そうしたら、盗難届を取り下げてくれるかもしれないもんね……あいたっ!」
またデコピンをされてしまった。
しかも、カイドは不機嫌な表情をしている。
「なわけあるか。盗難届が出されたいきさつを調べるんだ」
二十年前、書物の盗難届が出された。それは事実だ。しかし、書物が盗まれたというのは事実かどうか分からないと彼は言う。
「そもそも、キャルの母親にあれを盗む理由があったようには思えない。魔法使いといっても、ほとんど魔法は使わなかったんだろう? 自分で読むわけでもなく、換金もしない。それならなぜ、貴族の所有物を盗むような危険を冒したのか」
確かに。言われてみれば、母があれらを必要としていたとは思えない。
読んでいる姿を見たことはないし、書斎の奥にしまい込んでいたのだ。
「もしも、お前の母親が盗んだという事実が判明しても」
カイドはキャルの手を握る。大きな手で、包み込むように。
「理由やいきさつは知っておきたい。オーレリアンは調査しないようだから、自分たちでやろう」
もしキャルの母が窃盗犯であっても、今の関係は変わらないと、カイドがぬくもりで伝えてくる。
そして、『そうかもしれない』と想像で怯えるよりも、はっきりさせようというのだ。
「俺は、キャルにこのまま逃亡生活を送らせるつもりはない。調査結果をあいつに叩きつけてやって、またコロンに帰ろう」
キャルは王都に行く必要がない。
取り調べを受ける必要もない。
それを強要されるならば、自分で自由を勝ち取る。
声を出すと泣き出してしまいそうで、キャルはただ大きく頷いてみせた。
「よし。行こうか」
朝食を食べ終えたカイドが立ち上がる。使った道具をまとめて袋に入れて、空間の中にポイっと投げる。
キャルも自分の荷物をまとめて立ち上がった。
「キャル、疲れない程度に、『探索』を広めに展開していてくれ」
歩き始めて、最初に頼まれたのがそれだ。
オーレリアンに見つかったら、全速力で逃げなければならないからだ。
「分かった」
神妙に頷いたキャルに、「そこまで緊張する必要はない」と笑い声が降ってくる。
「多分、俺たちがどこに行こうとするか、あいつは分かっている」
その言葉に驚いて見上げると、彼は口元を歪めていた。
「俺が逃亡生活を望んでいないことは分かっているし、あの家に結界や保存魔法がかかっているのを見れば戻る気なのも分かるだろう。だったらもう、行く場所は伯爵領しかないからな」
オーレリアンたちは必ず追ってくるだろう。とはいえ、調査を終える前に捕まりたくはないとカイドは言う。
彼とオーレリアンは、仲が悪そうに見えて、意外と通じ合っている。
カイドに聞かれたら、ものすごく嫌な顔をされそうなことを考えつつ、キャルはその後に続いた。
伯爵領は思ったより近くて、一カ月ほどで着くらしい。
「まあ、あいつらの方が先に着くだろうけど」
「カイドだったら、私たちを探しながら行く? それとも、ひとまず伯爵領に向かう?」
キャルはカイドを見上げながら聞く。
「俺? あー……俺だったら、直接、目的地に行くな。広い場所での鬼ごっこは面倒だ」
カイドは首を傾げながらもそう答える。
キャルは「そっか」と頷きつつ、少し安心した。
きっと、伯爵領に着くまで会うことはない。常時警戒していなければいけないのと、多分大丈夫だと思えるのとでは、疲れが全く違う。
ホッとしたように微笑むキャルを、カイドが怪訝そうに見る。
そんなカイドの視線を無視して、キャルは元気よく歩き始めた。
いざ! アルスターク伯爵領へ!
アルスターク伯爵領は、この国の最南端に位置する場所だ。
温暖な気候で、海に面しているため、海産物が豊富に獲れる。肥沃な土地で、農作物も良く育ち、非常に豊かな領地らしい。
そんな伯爵領の中でも、伯爵の屋敷がある街、イーシエを目指す。
南に下るにつれて、植物の種類がどんどん増え始めた。
暖かい気候と水に育まれた薬草があふれるほどあって、採集したくてたまらない。キャルはあっちへふらふらこっちへふらふら歩いてしまいそうになる。
「薬草まで採集するなら、そのぶん魔物の素材は捨てなきゃいけなくなるからな」
カイドの冷静な突っ込みで、キャルは我に返った。
空間の容量に限りがあるので、今は植物の採集はお休みしている。
魔物の素材は、倒した直後でないと獲得できない。しかし、薬草は鹿などに食べられてしまわない限り、そこにずっと生えているのだ。また今度来た時に採ればいい。
それでもふらふらするキャルを捕まえて、カイドは真っ直ぐ進む。
そして潮の香りがかすかに届くようになった頃、大きな街の門が見えた。
国の最南端の、しかも王都から遠い場所だから、小さな街だと思っていた。遠く離れた場所からも見える門に、キャルは目を丸くする。
「イーシエは、南方地域で唯一の商業都市だ」
驚くキャルを見て、カイドは笑う。
イーシエには、周辺の町や村から海産物や農産物が集まり、大きな市が開かれているという。
北では珍しい魚介や、様々な作物が売られ、はるばる王都からも商人が買い付けに来るほどらしい。
キャルたちが歩いている道にも、次々と馬車が走っていく。
――と、その時。
「トゥリンクルがある」
道沿いに生えた木の根元に、紫と白の小さな花があった。花は下を向いていて、鈴のように見える。実際、花を揺らすと、おしべが花びらに当たってチリチリとかすかな音を立てるのだ。
これだけ商人の馬車が行き交っているのに、これがまだ採られずに生えているのは奇跡だとキャルは思う。
「花? それも薬草なのか?」
小さな花にそっと触れるキャルに、カイドが聞く。
薬草というと、大体葉っぱが多いので、花が咲いたものは珍しいと思っているのだろう。
キャルは、よくぞ聞いてくれたとばかりに、ショベルを取り出しながら言う。
「薬草といえば薬草なんだけどね、これは根っこが重要なの!」
花もとても可愛らしくて観賞用にはいいのだが、土を掘って引っこ抜くと、根の真ん中あたりが膨らんでいる。ここが、希少な成分を持つのだ。
「土も一緒に採るのか? なんに使うんだ?」
キャルが周りの土ごと全部掘り出して、布袋に植え替えるようにしているのを見て、カイドが怪訝そうにする。
普段は必要な分だけ採集し、全てを採り尽くすことはしないキャルが、そこに生えているものをありったけ採っているのを不思議がっているのだろう。
「う~んと、これって低血圧の治療に使われたりするんだよね」
説明が難しいなと思いながら、キャルは言う。
カイドには、周りから見えないようにして欲しいと頼んで作業を続けた。商人に見つかれば、売って欲しいとつきまとわれること必至な植物なのだ。
「血圧? 老人が怒ると上がって血管が切れるやつか」
……彼は時々、妙に偏った知識を見せる。
「それは、高血圧。これが必要になるのは、逆の時。この薬草を煎じて飲むとね、動悸を速めたり、体温を上げたりするのに効果的なんだよ」
「そんなの、走ればいいんじゃないか?」
――うん。やっぱり、きちんと説明できる自信がない。
むしろ説明すればするほど、間違えた知識を植え付けてしまうかもしれない。
キャルは「まあ、走ったりできない時もあるでしょ」と適当に答えておく。カイドも自分には理解できないことを悟ったのか、「そうか」と一人頷いていた。
キャルがここにある全てのトゥリンクルを採ってしまったのには理由がある。
本来であれば、自生しているものを、わざわざ植え替えてまで持ち返ったりはしないのだが、この植物だけは別だった。
この植物は、見た目の可愛らしさと、ある理由から乱獲され、激減してしまった植物なのだ。
きちんと保護して数を増やさないと、そのうち絶滅してしまう。
そういった危惧がなされていても、欲しがる人たちは後を絶たないのだから。
キャルとカイドは伯爵の屋敷がある街、イーシエに到着した。
徒歩で一カ月、実に順調な旅だった。
このイーシエという街は、思った以上ににぎやかで、通りの両脇には色とりどりの果物や野菜、魚が並べられている。
「とりあえず、宿を探そう」
「二部屋とってね」
そう釘を刺したキャルを、カイドが悲しそうに見下ろす。
そんないつも通りのやり取りをしながら、一軒の宿屋に辿り着いた。
「いつになったら、屋根があるところでもキャルを抱きしめて眠れるようになるんだ」
後ろからついてくるカイドがぶつぶつ言っているが、キャルは無視して歩く。誰も聞いていないことを願って。
入ってすぐにカウンターがあり、愛想の良いおばちゃんが一人座っていた。
「部屋は空いてますか?」
キャルが聞くと、おばちゃんはもちろんと頷く。
「夫婦で一部屋かい?」
「いえ。夫婦じゃないので二部屋お願いします」
おばちゃんがとんでもないことを言うので、キャルは頬を熱くしながら慌てて訂正した。
「おや。お兄ちゃん、もっと頑張らなきゃだめだよ」
「頑張ってはいるんですが。これ以上はどうしたら……」
「カイドは答えなくていいから!」
二人の様子を見てニヤニヤしながら、おばちゃんが台帳を取り出す。
「何泊だい?」
「ええっと、いつまでいるかはまだ分からないんですが、とりあえず、一カ月でお願いします」
腕を組んで不機嫌そうなカイドを両手で押しやって、キャルはおばちゃんに向き直る。
おばちゃんは、そんなキャルたちのやり取りが面白いらしい。くっくっくと肩を揺らして笑った。
「了解。出る時は前日までには教えておくれよ」
二人にからかわれていることに気が付いたキャルは、ムスッとしたまま前金を支払って鍵を受け取る。
その時、おばちゃんがキャルの手を見ながら言う。
「見た目に似合わず、働き者の手をしてるね」
見た目に似合わずって、なんだ。
キャルの眉間にしわが寄ったことに気が付いたのか、おばちゃんが手を振って否定する。
「ああ、悪いね。変な意味じゃないんだ。あんまり可愛らしいし、いい男がついてるから、意外でね」
可愛らしいと言われるのはいい。嬉しいし。いい男がついてる……というのも、まあいいだろう。
けれど、その二つが組み合わさると、何もできないお嬢様にでも見えるのだろうか。
キャルは自分の体を見下ろし、薬師仕様のマントを見てなんとなく察した。このマントの下に綺麗な服が隠れているとでも思ったのだろう。
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