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3巻
3-2
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だけど、この部屋にあるものは全て、父と母の遺品だ。二人が大切にしていたもの全てが、この部屋には詰まっている。
彼らの娘であるキャルの他に、正当な持ち主がいるなんて――
キャルは目の前にあるカイドの背中に、ぎゅうっと抱き付いた。
こうしていないと、今にも叫び出してしまいそうだ。
背中に回ってきたカイドの手が、キャルの手を握る。その手を、キャルも力いっぱい握り返した。
「これほどの魔法書となると、本自体が力を持っていたりするのでは?」
突然、カイドが別の話題を切り出した。
オーレリアンは、すでに調査済みだとばかりに大きく頷く。
『それはないようだね。そもそも、アルスターク伯爵が個人で所有していたものだ』
オーレリアンはキャルたちを安心させるように、にっこりと微笑む。
『君は、その本に呪いなどがかかっていて、所持している人に悪影響があるのではないかと考えたようだが、その心配はない。安心して王都へ持ってきてくれたまえ!』
王都へ。
これらの本を持って、また行かなければならないのか。
今度は旅の成果を報告するためではなく、キャルが取り調べを受けて、母の本を取り上げられるために。
「だったら、もういい。危険なものでないと分かれば、それだけでいい」
そう言って、カイドはくるりと鏡に背を向ける。
その背中にしがみついていたキャルは、突然の動きについていけず、繋がれていた手も離してしまった。でも、それに驚く前に、ひょいと抱き上げられる。
『それだけでいい? 何を言っているんだ。しっかりと王都へ届けてくれよ?』
カイドの肩越しに、オーレリアンの慌てた顔が見える。
カイドは心底面倒くさそうに彼を振り返って、こう言い放った。
「そもそも、盗品かどうか調べて欲しいとは言っていない。これが危険なものかどうかを判定して欲しいと、そう連絡しただろう?」
別の魔法使いに頼めばよかった……なんて、小さく呟くのが聞こえた。
その声もしっかり拾ったのだろう。オーレリアンは大きな声をあげる。
『僕以上に魔法書に詳しい人間が、この世界にいるわけがないだろう!』
「だから、仕方なくお前に聞いたんだろ」
教えてもらう側の態度ではないが、カイドはうんざりとした様子を隠さない。
「キャルの安全にかかわることだったから、知識だけは持っていそうなお前に聞いた。危険がないなら、それ以上の情報は必要ない」
『必要ないわけないだろう! それは、エリー・アメンダが盗んだものだ!』
「盗んでない!」
オーレリアンの声に対抗するように、キャルも大きな声を出してしまう。
目に涙がにじむのが分かった。
ぜえはあと肩で息をするキャルに、オーレリアンは大きなため息を吐く。
たったそれだけのことが、気に障って仕方がない。彼の大げさな仕草や物言いには、もう慣れたと思っていたのに。
カイドがキャルを抱き上げたまま、彼女の背中を優しく何度も撫でる。
落ち着けと言われているように感じて、キャルは大きく深呼吸をした。
「母が犯人だと決めつけずに、ちゃんと調査してください」
声は震えてしまったが、キャルはオーレリアンを真っ直ぐに見つめて言った。
『調査だって? なんのために? はっきりと言わせてもらうが、僕は忙しいのだよ』
「なんのためって……」
当然の要求だろう。盗まれたと主張している方の言い分だけ聞いて、もうこの世におらず何も弁明できない母を犯人だと決めつける。そんなの、不公平だ。
キャルは呆然としてしまって、すぐに反論できなかった。
そのせいで、オーレリアンを調子に乗せてしまったのだ。
『いいかい? アメンダ嬢。罪は罪だと認めなければ。君の母エリーが犯人であることは確かなんだ』
それが間違っているかもしれないと、キャルは言っているのに。
もしも、もしも……結果として母が盗んだような形になっていたとしても、それには理由があるはずだ。調べもせずに母のものを渡せと言われて、渡すわけにはいかない。
「母は、魔力がほとんどありませんでした。魔法書を盗んで何になるでしょうか」
大した魔力もないのに貴重な魔法書を持つなんて、宝の持ち腐れだ。
そもそもキャルは、母が魔法書を読んでいるのを見たことがない。
『金銭目的だろう。魔法書は高額で売買されているからね! しかし、この書物の希少さを知り、売ったら足がつくことを恐れたのさ』
「お金目的だなんて……! 両親は、お金に困ってなんかいなかった!」
父は、王都からコロンに移り住んだ後、薬屋を経営していた。
華やかな生活をしていたわけではないけれど、必要なものは一通りそろっていた。
何かを盗むほどお金に困ってなどいなかったはずだ。
『欲深い人というのは、どこにでもいるものだね! しかし、それを見抜けなかったことは罪ではないのだよ』
ひどい言い草だ。オーレリアンの中で、エリーはどんな極悪人になっているのだろうか。
彼は元医術士局長である父を尊敬しているはずだ。だがその父のことも、キャルのことも、エリーに騙されていた可哀想な人間だと思っているらしい。
キャルを優しく呼ぶ、母の声を思い出す。
いつも笑っていて、キャルが何かに失敗しても、どうすればできるようになるのかを教えてくれた。
けれどキャルが悪いことをした時は、父よりも怖くて。キャルが母に怒られている時、その迫力に父まで固まってしまっていることがよくあった。
『ただし、アメンダ嬢。君には事情を聞かなければならない。でも僕は寛大だからね。書物が戻ってきさえすれば、盗品を所有していた事実を罪に問うことはしないよ!』
――それを、寛大な措置だと言うのか。
母を罪人だと決めつけて。再調査を求めても必要ないと突っぱねて。騙されていた君は悪くないなどと言って、キャルを傷つけることが。
全身が怒りに震える。
キャルはこのまま何もできず、母を罪人として扱うオーレリアンに、彼女の遺品を渡さなければならないのか――
その時突然、鏡の向こうで、風が巻き起こった。
『え、ちょ……待って! カイド、何をするんだっ! だから、勝手に僕の魔力を使わないでくれるかな!』
どんがらがっしゃんと、盛大な音が聞こえた。恐らくカイドがなんらかの攻撃を加えたのだろう。
彼は平気そうな顔をしているが、キャルを抱く腕に力がこもっているので、それなりに魔力を必要とすることなのだと分かる。
「用は終わった」
カイドは吐き捨てるように言って、ぐるりと肩を回した。
『終わってないだろ! その本、王都に持ってきてくれよ!? ――僕も実物を見たいんだ!』
オーレリアンの慌てた表情と本音を最後に、魔法鏡が消える。
以前も同じような状況になったことがあるけれど、カイドは魔法鏡を消すことまではしなかった……というか、できなかったと思う。
キャルが目を瞬かせていると、カイドが大きく息を吐いた。
「よし、あいつも疲れているだろうから、しばらくは静かだ。休憩にしよう」
いずれまた鏡を使って連絡してくるだろうけど。
そう言いながら、カイドはキャルの頬にキスをする。
「ひゃっ!? いきなり何するの!」
「恋人にキスをするのに、いきなりも何もないだろう。常時オッケーだ」
そんなはずないでしょ! 心の準備が!
そんな文句も、彼の口の中に吸い込まれてしまう。
キャルが真っ赤になっているのを、カイドは嬉しそうに見つめた。
「大丈夫。お前の大切なものは、誰にも奪わせない」
そう言って、もう一度、唇を重ねる。
母のものであった魔法書を奪われることを、キャルが怖がっていると、カイドは知っているのだ。そして、それが盗品だろうがなかろうが、関係ないとも思っている。
キャルは感謝の気持ちを込めて、カイドに抱き付く腕に力を込めた。
2
オーレリアンから連絡があった日から、二日が経った。
あれ以来、彼からはなんの連絡もない。
魔法鏡を使うのは、キャルが思っていた以上に疲れるのかもしれない。
そんなふうに呑気に考えていたキャルとは違い、カイドはあの日の夜からいろいろと準備をしていたらしい。
夕食の時、彼が真面目な顔で言う。
「キャル、旅の準備をしておけ」
「え……? どうして? どこに行くの?」
本意ではないという彼の表情を見て、キャルは不安になる。
やはり、行かなくてはならないのだろうか。
「王都に、行くの?」
行ってしまえば、どうなるのだろう。キャルが盗んだものではないとはいえ、盗品を持っていたのは事実だ。母の本は取り上げられ、キャルは……?
どうなるにせよ、国からの命令であれば拒否はできないのだろう。
そう思って俯いてしまったキャルに、慌てたような声がかかる。
「違う。逆だ。王都には何がなんでも行かない」
キャルが驚いて顔を上げると、カイドは心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「言葉が足りなかったな。悪い。オーレリアンからこれだけ長く連絡がないのは、多分、直接こっちに向かっているんだろう。だから逃げなきゃならない」
逃げる……って。
出頭命令が出ているのに無視しようとしていたキャルも大概だけれど、カイドは無視するどころか逃げようとしているのか。
「できれば、このままここで暮らしていたかったが、あいつから二日も連絡がないのはおかしい。恐らく、もう出立している」
チッと舌打ちをして、王都の方角を睨むように見るカイド。
「通信だけでどうにかしたかったが、向こうは全くその気がないようだ。――捕まってたまるか」
国の筆頭魔術師が直接キャルを捕らえに来ようとしている。しかしカイドは、それを見越して逃げるという。
……それは、明らかに犯罪者の仲間入りじゃないか?
キャルの内心を察したのか、カイドが微笑んで言った。
「大丈夫だ。俺はキャルさえいれば、後はわりかしどうでもいい」
「いやいやいや」
それはさすがに嫌だ。逃亡生活になると思うと、簡単には割り切れない。
「あいつと部下全員を返り討ちにしてもいいが、それだとコロンの町が大変なことになりそうだし」
「うん、そこは大事だね!」
カイドが本気で魔法をぶっ放したらどうなるかは、山猿という魔物と戦った時に経験済みだ。
あんなの、町中では絶対にやめて欲しい。その場合、キャルの家が消失することは確実だろう。
「後のことは後で考えるから、とりあえず、旅の準備をしてくれ」
そう言われると、キャルはもう頷くしかなかった。
盗品だと言われた母の蔵書は、一旦カイドの空間魔法でしまい込む。
本当は父の蔵書も持っていきたいところだが、量が多すぎるのだ。その代わり、カイドが力の限りを尽くして、結界を張ってくれていた。
彼がくっくっくと、少々不気味な笑い声を立てる。
「これらの本を押収できると思うなよ。俺たちを追って捕まえるか、時間をかけて結界を解くか……さあ、どっちにするだろうな?」
いろいろと仕返しのための罠も仕組んでおいたと言いながら、他にもいくつか仕掛けを施していた。
オーレリアンにも破れないような結界を張るのは、さすがに無理らしい。魔力量と技術が全く追いつかないとのこと。その分、複雑に魔力を絡ませて作ったと言っていた。
キャルにはよく分からないが、カイド自身も解除するのが面倒な状態にはなったらしい。
「作りかけの薬も持ってっていい?」
「いいぞ。そこらへんも考えて空間をあけてある」
キャルの製薬に使う道具や材料は、以前と同じようにカイドが魔法の空間に入れてくれるようだ。
最近、新たに開発した痴漢撃退薬なども入れる。町の女性に配ろうと思って、多めに作っていたものだ。明日、配ってくる時間はあるだろうか。
ある人からは血圧の薬が欲しいと言われていたので、それも準備したのだけれど、主治医と話してからじゃなければ処方はできない。
着替えなどをリュックに詰めたり、旅用のマントに薬草採集用の道具を詰めたりしながら、キャルは一人で考える。
そうだ。効能などを書き出したメモと一緒に、八百屋のおじさんに預けておけばいい。それを巡回の医術士に見せてもらえば、処方してもいいかどうか分かるだろう。
良い考えだと思って、荷造りを終えてメモを作ろうとしたところで、キャルはびくりと震える。
「カイドっ!」
マントを握りしめて、カイドのところまで走った。
それだけで、カイドには分かったのだろう。
「どこにいる? 何人いるか分かるか?」
「今、街の入り口に着いた……十人……くらい?」
鼓動が速まって、正確な情報を把握できない。ふるふると、体全体が震えているのが分かる。
キャルは『探索』のスキルで遠くの気配を探ることができるのだ。今まさにオーレリアンと部下たちが、ここへ向かってきていた。
「よし。それだけ分かれば充分だ。荷物はこれで最後だな?」
キャルのリュックをポイっと空間に投げ入れて、カイドは彼女を抱き寄せる。
「俺がいるんだ。不安にならなくていい」
耳元でそっと囁き、額に軽くキスをしてくれた。
オーレリアンたちがすぐそこまで来ているというのに、そんな甘い態度を取られて、キャルの頬が熱くなる。
体の震えは止まったが、こんなの恥ずかしすぎる。
カイドがキャルを抱き寄せたまま、空を見上げて言う。
「……速いな。行くぞ」
カイドは玄関から外に出ると、保存魔法を展開させた。これなら家を長く空けることになっても、今の状態を保つことができるだろう。
振り返ると、オーレリアンを筆頭に、十数人もの魔法使いがそこにいた。
全員が馬に乗り、キャルたちを取り囲むように並んでいる。
「はっははは! 逃げようとしたか。やはりな!」
悪者のようなセリフを叫ぶオーレリアン。魔法使いのローブをなびかせる姿は、本当に魔王か何かのようだ。
「マジで倒してやろうかと思う」
ぼそっと言うカイドの気持ちは分かる。でもやめて欲しい。町が破壊される。
「僕からの通信をずっと待っていたのだろう? しかし、君たちには直接会った方が良いと判断したんだ! 感激に打ち震えてくれていいよ。この、僕に! なんと王都からここまでご足労願えたのだからね!」
……自分でご足労とか言っちゃってるけど。
彼の言葉は、突っ込みどころだらけだ。話がもっと長くなるからやんないけど。
「随分早いお着きだったな」
カイドが顎を上げて、傲然とした態度を崩さずに言う。
オーレリアンと通信したのは二日前。あの直後に出立したとしても、キャルだったら半年はかかる道のりを、たった二日でやってきたということだ。
「よくぞ聞いてくれた!」
褒められたと思ったのか、オーレリアンが胸を張る。別に聞いてはいないのだが。
「この僕の魔法技術の賜物とでも言おうか。これほどの速さで、しかもこの人数で国を横断できる人間なんて、僕をおいて他には……」
「僕が頑張ったんですよう。オーレリアン様は、とりあえずスピード上げていただけでしょう? その間の摩擦軽減やら危険回避やら、疲労回復まで! ほとんど僕一人でっ……!」
オーレリアンの足元では、世話係のサシャが泣き崩れていた。
到着してすぐに馬から降りて、地面に座り込んでいたようだ。
……相当疲れていそうだ。
周りの魔法使いたちは目をそらしている。オーレリアンの尻拭いはサシャの役目なのだろう。
「サシャ、そんなことでは、この先やっていけないぞ!」
「もう、やっていけなくていいから、部署替えさせてくださあい!」
ちょっと可哀想になる。
だけど、キャルも周りの魔法使いの立場だったら……
「頑張れ」
と、言うしかない。サシャは目をそらされながらも、数人から励ましの言葉を頂戴していた。
そうだよね。お気に入りのサシャがいなくなったら、他の人に火の粉が飛んでくるもんね。
そんなことをやっている間に、キャルたちの背後にある家から火が噴き出す。
「なっ……!? カイド、何をしているんだ!」
「証拠隠滅」
「ふざけるな! 消せ!」
カイドの魔法によって、キャルの家は勢いよく燃え出した。
オーレリアンの命令を受けて、サシャ以外の全員が消火活動を始める。
「本……本はっ!? カイド、あれらがどれだけ貴重なものか分かっているはずだろう!」
オーレリアンは余程慌てているのか、珍しくしゃべりが短い。
「ああ。俺が個人的に興味がある本を中心に、ある程度は俺の空間に入れてあるから大丈夫だ」
「大丈夫なはずがないだろう!? アメンダ元医術士局長の著書は、全て貴重なものだ!」
カイドの飄々とした態度に、オーレリアンは目をむいて叫ぶ。
「キャルを傷つけるものから彼女を逃がすためなら、俺はなんでもやる」
カイドが真剣な表情で言った。さすがのオーレリアンも言い返すことはできなかったようで、ぐっと言葉を詰まらせる。
Sランクのカイドが準備していた炎となると、魔法使いが数人がかりでもなかなか消せないようだ。
キャルは、炎に包まれていく自分の家をぼんやりと見上げた。
オーレリアンがキャルの方へ視線を向けて叫ぶ。
「アメンダ嬢! 君からも何か言ってくれ。君を罪に問うつもりはないんだ。ただ、事情聴取をさせてもらいたい」
キャルに言えば、カイドを止められると思っているのだろう。
オーレリアンとサシャまでもが消火に加わってしまえば、その間にカイドが逃げてしまうので、燃え盛る家を前にして、オーレリアンは動けずにいるようだ。
かといって、町に被害を出さずにカイドを捕まえることもできないらしい。オーレリアンの背後では、火事に驚いた人たちが家から飛び出してくるのが見えた。
近くの家が夜の闇に火の粉を散らしながら燃えているのだ。そりゃあ、出てくるに決まっている。
心配そうにこちらを見つめる人たちに、キャルは苦笑と共に首を横に振って、大丈夫だと伝えた。
本当は、こんな大事にはしたくなかったのだけれど。
「私が罪に問われないって言うんだったら、いったい誰が罪に問われるんですか?」
キャルの問いに、オーレリアンはまたも、ぐっと言葉に詰まる。
しかし、消火活動もむなしく家を呑み込んでしまった炎を見て、再び口を開く。
「理解してくれ。残念だが、君の母親は犯罪者なんだ」
オーレリアンは、いつもと違って早口で、直接的な物言いをした。
どんなものよりも、本が大切なのだ。彼にとって、知識は何物にも代えがたい宝。
――母が、泥棒だと言った。
キャルはもう、背後の家を振り返らない。眉間にしわを寄せ、口を引き結ぶ。
オーレリアンは、キャルたちと家とを交互に見ながら慌てている。『こんなに説明しているのに、なぜ分からないんだ?』とこちらを責めているようだ。
キャルの説得を諦めたのか、今度はカイドに話しかける。
「カイド、理解してくれ。彼女は容疑者のことを一番よく知っている人間だ。重要参考人として城まで一緒に来てもらいたい。こんなことくらいで、あの貴重な資料が燃えてしまうなんて……」
――こんなこと?
やはり彼にとっては、キャルの家よりも、キャル自身よりも、本が大切なのだ。
尊敬するアメンダ元医術士局長――キャルの父が執筆した本を、とにかく欲しがっていた。
だから、キャルを連行することを、そしてキャルの母親が罪に問われることを、『こんなこと』などと表現する。
オーレリアンは、キャルの怒りの表情にも気が付かない。炎を消してくれと、必死で訴えている。
「キャルの母親の窃盗容疑について捜査する気もないんだろ? そんな状況で、犯罪者の娘としてキャルを渡せと?」
カイドが剣を手にする。
それに対抗するように、オーレリアンも杖を掲げた。
しかし、戦うことはしたくないのだろう。
彼は言葉を重ねていく。カイドとキャルの不快感が高まっていくような言葉を。
「……例の書物は、盗品だ。窃盗の事実をなくすことはできないよ。でも、アメンダ嬢は何も知らなかった。しっかりと保護し、丁重に扱うことを約束しよう!」
満面の笑みで腕を広げる彼を、カイドは睨み付ける。
「いやだね。『もてなす』だろう? そこは。『扱う』と言っている時点で、渡す気はない」
オーレリアンが、舌打ちと共に杖をふるう。大きなシャボン玉のようなドーム型のものが、キャルたちの頭の上から降ってきた。
カイドが何か呟くと、彼の剣が青白く発光する。魔力を纏った剣だ。
軽く気合いを入れるような声と共に、カイドが剣を振る。すると頭上のシャボン玉は、ぱあんと可愛らしい音を立てて破裂した。
「この俺に、この程度の捕縛の術が効くと思うか? ここに来るまでに、随分疲れてしまったようだな」
サシャはもう力が残っていないらしく、馬の足元に座り込んだまま青くなっている。
もちろん、ここまで飛ばしてきたオーレリアンだってそうだ。
「くそっ……! カイド!」
オーレリアンがもう一度杖を振り上げるのと同時に、キャルは背後の魔法使いたちに向かって布袋を投げつけた。
「なんっ……!?」
動揺したのか、なんとも中途半端な光の輪が飛んでくる。カイドが鼻で笑いながら、オーレリアンから放たれたそれを叩き落とす。
そうやっているうちに、魔法使いたちのうめき声が聞こえてきた。
「ぐっ……? ごほっ、ごほごほっ」
「がっ……はっ。なん……?」
キャル特製の痴漢撃退薬だ。町の女性に配ろうと思って大量に作ったものを、ほとんど全部投げた。
宙に浮いた粉は、炎に吸い寄せられるように舞う。もちろん、魔法使いたちの目元や鼻先をしっかり通過してだ。
ちらりと様子を見ると、全員が地面に手をついて、せき込んだり涙を流したりしている。
「アメンダ嬢! 何をするんだ!」
「母が持っていた本が、たとえ盗品だったとしても、何か理由があると思っています。調査もせずに、母に窃盗の容疑をかける人とは、一緒に行けません」
そう言って、キャルは一歩前に踏み出した。
彼らの娘であるキャルの他に、正当な持ち主がいるなんて――
キャルは目の前にあるカイドの背中に、ぎゅうっと抱き付いた。
こうしていないと、今にも叫び出してしまいそうだ。
背中に回ってきたカイドの手が、キャルの手を握る。その手を、キャルも力いっぱい握り返した。
「これほどの魔法書となると、本自体が力を持っていたりするのでは?」
突然、カイドが別の話題を切り出した。
オーレリアンは、すでに調査済みだとばかりに大きく頷く。
『それはないようだね。そもそも、アルスターク伯爵が個人で所有していたものだ』
オーレリアンはキャルたちを安心させるように、にっこりと微笑む。
『君は、その本に呪いなどがかかっていて、所持している人に悪影響があるのではないかと考えたようだが、その心配はない。安心して王都へ持ってきてくれたまえ!』
王都へ。
これらの本を持って、また行かなければならないのか。
今度は旅の成果を報告するためではなく、キャルが取り調べを受けて、母の本を取り上げられるために。
「だったら、もういい。危険なものでないと分かれば、それだけでいい」
そう言って、カイドはくるりと鏡に背を向ける。
その背中にしがみついていたキャルは、突然の動きについていけず、繋がれていた手も離してしまった。でも、それに驚く前に、ひょいと抱き上げられる。
『それだけでいい? 何を言っているんだ。しっかりと王都へ届けてくれよ?』
カイドの肩越しに、オーレリアンの慌てた顔が見える。
カイドは心底面倒くさそうに彼を振り返って、こう言い放った。
「そもそも、盗品かどうか調べて欲しいとは言っていない。これが危険なものかどうかを判定して欲しいと、そう連絡しただろう?」
別の魔法使いに頼めばよかった……なんて、小さく呟くのが聞こえた。
その声もしっかり拾ったのだろう。オーレリアンは大きな声をあげる。
『僕以上に魔法書に詳しい人間が、この世界にいるわけがないだろう!』
「だから、仕方なくお前に聞いたんだろ」
教えてもらう側の態度ではないが、カイドはうんざりとした様子を隠さない。
「キャルの安全にかかわることだったから、知識だけは持っていそうなお前に聞いた。危険がないなら、それ以上の情報は必要ない」
『必要ないわけないだろう! それは、エリー・アメンダが盗んだものだ!』
「盗んでない!」
オーレリアンの声に対抗するように、キャルも大きな声を出してしまう。
目に涙がにじむのが分かった。
ぜえはあと肩で息をするキャルに、オーレリアンは大きなため息を吐く。
たったそれだけのことが、気に障って仕方がない。彼の大げさな仕草や物言いには、もう慣れたと思っていたのに。
カイドがキャルを抱き上げたまま、彼女の背中を優しく何度も撫でる。
落ち着けと言われているように感じて、キャルは大きく深呼吸をした。
「母が犯人だと決めつけずに、ちゃんと調査してください」
声は震えてしまったが、キャルはオーレリアンを真っ直ぐに見つめて言った。
『調査だって? なんのために? はっきりと言わせてもらうが、僕は忙しいのだよ』
「なんのためって……」
当然の要求だろう。盗まれたと主張している方の言い分だけ聞いて、もうこの世におらず何も弁明できない母を犯人だと決めつける。そんなの、不公平だ。
キャルは呆然としてしまって、すぐに反論できなかった。
そのせいで、オーレリアンを調子に乗せてしまったのだ。
『いいかい? アメンダ嬢。罪は罪だと認めなければ。君の母エリーが犯人であることは確かなんだ』
それが間違っているかもしれないと、キャルは言っているのに。
もしも、もしも……結果として母が盗んだような形になっていたとしても、それには理由があるはずだ。調べもせずに母のものを渡せと言われて、渡すわけにはいかない。
「母は、魔力がほとんどありませんでした。魔法書を盗んで何になるでしょうか」
大した魔力もないのに貴重な魔法書を持つなんて、宝の持ち腐れだ。
そもそもキャルは、母が魔法書を読んでいるのを見たことがない。
『金銭目的だろう。魔法書は高額で売買されているからね! しかし、この書物の希少さを知り、売ったら足がつくことを恐れたのさ』
「お金目的だなんて……! 両親は、お金に困ってなんかいなかった!」
父は、王都からコロンに移り住んだ後、薬屋を経営していた。
華やかな生活をしていたわけではないけれど、必要なものは一通りそろっていた。
何かを盗むほどお金に困ってなどいなかったはずだ。
『欲深い人というのは、どこにでもいるものだね! しかし、それを見抜けなかったことは罪ではないのだよ』
ひどい言い草だ。オーレリアンの中で、エリーはどんな極悪人になっているのだろうか。
彼は元医術士局長である父を尊敬しているはずだ。だがその父のことも、キャルのことも、エリーに騙されていた可哀想な人間だと思っているらしい。
キャルを優しく呼ぶ、母の声を思い出す。
いつも笑っていて、キャルが何かに失敗しても、どうすればできるようになるのかを教えてくれた。
けれどキャルが悪いことをした時は、父よりも怖くて。キャルが母に怒られている時、その迫力に父まで固まってしまっていることがよくあった。
『ただし、アメンダ嬢。君には事情を聞かなければならない。でも僕は寛大だからね。書物が戻ってきさえすれば、盗品を所有していた事実を罪に問うことはしないよ!』
――それを、寛大な措置だと言うのか。
母を罪人だと決めつけて。再調査を求めても必要ないと突っぱねて。騙されていた君は悪くないなどと言って、キャルを傷つけることが。
全身が怒りに震える。
キャルはこのまま何もできず、母を罪人として扱うオーレリアンに、彼女の遺品を渡さなければならないのか――
その時突然、鏡の向こうで、風が巻き起こった。
『え、ちょ……待って! カイド、何をするんだっ! だから、勝手に僕の魔力を使わないでくれるかな!』
どんがらがっしゃんと、盛大な音が聞こえた。恐らくカイドがなんらかの攻撃を加えたのだろう。
彼は平気そうな顔をしているが、キャルを抱く腕に力がこもっているので、それなりに魔力を必要とすることなのだと分かる。
「用は終わった」
カイドは吐き捨てるように言って、ぐるりと肩を回した。
『終わってないだろ! その本、王都に持ってきてくれよ!? ――僕も実物を見たいんだ!』
オーレリアンの慌てた表情と本音を最後に、魔法鏡が消える。
以前も同じような状況になったことがあるけれど、カイドは魔法鏡を消すことまではしなかった……というか、できなかったと思う。
キャルが目を瞬かせていると、カイドが大きく息を吐いた。
「よし、あいつも疲れているだろうから、しばらくは静かだ。休憩にしよう」
いずれまた鏡を使って連絡してくるだろうけど。
そう言いながら、カイドはキャルの頬にキスをする。
「ひゃっ!? いきなり何するの!」
「恋人にキスをするのに、いきなりも何もないだろう。常時オッケーだ」
そんなはずないでしょ! 心の準備が!
そんな文句も、彼の口の中に吸い込まれてしまう。
キャルが真っ赤になっているのを、カイドは嬉しそうに見つめた。
「大丈夫。お前の大切なものは、誰にも奪わせない」
そう言って、もう一度、唇を重ねる。
母のものであった魔法書を奪われることを、キャルが怖がっていると、カイドは知っているのだ。そして、それが盗品だろうがなかろうが、関係ないとも思っている。
キャルは感謝の気持ちを込めて、カイドに抱き付く腕に力を込めた。
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オーレリアンから連絡があった日から、二日が経った。
あれ以来、彼からはなんの連絡もない。
魔法鏡を使うのは、キャルが思っていた以上に疲れるのかもしれない。
そんなふうに呑気に考えていたキャルとは違い、カイドはあの日の夜からいろいろと準備をしていたらしい。
夕食の時、彼が真面目な顔で言う。
「キャル、旅の準備をしておけ」
「え……? どうして? どこに行くの?」
本意ではないという彼の表情を見て、キャルは不安になる。
やはり、行かなくてはならないのだろうか。
「王都に、行くの?」
行ってしまえば、どうなるのだろう。キャルが盗んだものではないとはいえ、盗品を持っていたのは事実だ。母の本は取り上げられ、キャルは……?
どうなるにせよ、国からの命令であれば拒否はできないのだろう。
そう思って俯いてしまったキャルに、慌てたような声がかかる。
「違う。逆だ。王都には何がなんでも行かない」
キャルが驚いて顔を上げると、カイドは心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「言葉が足りなかったな。悪い。オーレリアンからこれだけ長く連絡がないのは、多分、直接こっちに向かっているんだろう。だから逃げなきゃならない」
逃げる……って。
出頭命令が出ているのに無視しようとしていたキャルも大概だけれど、カイドは無視するどころか逃げようとしているのか。
「できれば、このままここで暮らしていたかったが、あいつから二日も連絡がないのはおかしい。恐らく、もう出立している」
チッと舌打ちをして、王都の方角を睨むように見るカイド。
「通信だけでどうにかしたかったが、向こうは全くその気がないようだ。――捕まってたまるか」
国の筆頭魔術師が直接キャルを捕らえに来ようとしている。しかしカイドは、それを見越して逃げるという。
……それは、明らかに犯罪者の仲間入りじゃないか?
キャルの内心を察したのか、カイドが微笑んで言った。
「大丈夫だ。俺はキャルさえいれば、後はわりかしどうでもいい」
「いやいやいや」
それはさすがに嫌だ。逃亡生活になると思うと、簡単には割り切れない。
「あいつと部下全員を返り討ちにしてもいいが、それだとコロンの町が大変なことになりそうだし」
「うん、そこは大事だね!」
カイドが本気で魔法をぶっ放したらどうなるかは、山猿という魔物と戦った時に経験済みだ。
あんなの、町中では絶対にやめて欲しい。その場合、キャルの家が消失することは確実だろう。
「後のことは後で考えるから、とりあえず、旅の準備をしてくれ」
そう言われると、キャルはもう頷くしかなかった。
盗品だと言われた母の蔵書は、一旦カイドの空間魔法でしまい込む。
本当は父の蔵書も持っていきたいところだが、量が多すぎるのだ。その代わり、カイドが力の限りを尽くして、結界を張ってくれていた。
彼がくっくっくと、少々不気味な笑い声を立てる。
「これらの本を押収できると思うなよ。俺たちを追って捕まえるか、時間をかけて結界を解くか……さあ、どっちにするだろうな?」
いろいろと仕返しのための罠も仕組んでおいたと言いながら、他にもいくつか仕掛けを施していた。
オーレリアンにも破れないような結界を張るのは、さすがに無理らしい。魔力量と技術が全く追いつかないとのこと。その分、複雑に魔力を絡ませて作ったと言っていた。
キャルにはよく分からないが、カイド自身も解除するのが面倒な状態にはなったらしい。
「作りかけの薬も持ってっていい?」
「いいぞ。そこらへんも考えて空間をあけてある」
キャルの製薬に使う道具や材料は、以前と同じようにカイドが魔法の空間に入れてくれるようだ。
最近、新たに開発した痴漢撃退薬なども入れる。町の女性に配ろうと思って、多めに作っていたものだ。明日、配ってくる時間はあるだろうか。
ある人からは血圧の薬が欲しいと言われていたので、それも準備したのだけれど、主治医と話してからじゃなければ処方はできない。
着替えなどをリュックに詰めたり、旅用のマントに薬草採集用の道具を詰めたりしながら、キャルは一人で考える。
そうだ。効能などを書き出したメモと一緒に、八百屋のおじさんに預けておけばいい。それを巡回の医術士に見せてもらえば、処方してもいいかどうか分かるだろう。
良い考えだと思って、荷造りを終えてメモを作ろうとしたところで、キャルはびくりと震える。
「カイドっ!」
マントを握りしめて、カイドのところまで走った。
それだけで、カイドには分かったのだろう。
「どこにいる? 何人いるか分かるか?」
「今、街の入り口に着いた……十人……くらい?」
鼓動が速まって、正確な情報を把握できない。ふるふると、体全体が震えているのが分かる。
キャルは『探索』のスキルで遠くの気配を探ることができるのだ。今まさにオーレリアンと部下たちが、ここへ向かってきていた。
「よし。それだけ分かれば充分だ。荷物はこれで最後だな?」
キャルのリュックをポイっと空間に投げ入れて、カイドは彼女を抱き寄せる。
「俺がいるんだ。不安にならなくていい」
耳元でそっと囁き、額に軽くキスをしてくれた。
オーレリアンたちがすぐそこまで来ているというのに、そんな甘い態度を取られて、キャルの頬が熱くなる。
体の震えは止まったが、こんなの恥ずかしすぎる。
カイドがキャルを抱き寄せたまま、空を見上げて言う。
「……速いな。行くぞ」
カイドは玄関から外に出ると、保存魔法を展開させた。これなら家を長く空けることになっても、今の状態を保つことができるだろう。
振り返ると、オーレリアンを筆頭に、十数人もの魔法使いがそこにいた。
全員が馬に乗り、キャルたちを取り囲むように並んでいる。
「はっははは! 逃げようとしたか。やはりな!」
悪者のようなセリフを叫ぶオーレリアン。魔法使いのローブをなびかせる姿は、本当に魔王か何かのようだ。
「マジで倒してやろうかと思う」
ぼそっと言うカイドの気持ちは分かる。でもやめて欲しい。町が破壊される。
「僕からの通信をずっと待っていたのだろう? しかし、君たちには直接会った方が良いと判断したんだ! 感激に打ち震えてくれていいよ。この、僕に! なんと王都からここまでご足労願えたのだからね!」
……自分でご足労とか言っちゃってるけど。
彼の言葉は、突っ込みどころだらけだ。話がもっと長くなるからやんないけど。
「随分早いお着きだったな」
カイドが顎を上げて、傲然とした態度を崩さずに言う。
オーレリアンと通信したのは二日前。あの直後に出立したとしても、キャルだったら半年はかかる道のりを、たった二日でやってきたということだ。
「よくぞ聞いてくれた!」
褒められたと思ったのか、オーレリアンが胸を張る。別に聞いてはいないのだが。
「この僕の魔法技術の賜物とでも言おうか。これほどの速さで、しかもこの人数で国を横断できる人間なんて、僕をおいて他には……」
「僕が頑張ったんですよう。オーレリアン様は、とりあえずスピード上げていただけでしょう? その間の摩擦軽減やら危険回避やら、疲労回復まで! ほとんど僕一人でっ……!」
オーレリアンの足元では、世話係のサシャが泣き崩れていた。
到着してすぐに馬から降りて、地面に座り込んでいたようだ。
……相当疲れていそうだ。
周りの魔法使いたちは目をそらしている。オーレリアンの尻拭いはサシャの役目なのだろう。
「サシャ、そんなことでは、この先やっていけないぞ!」
「もう、やっていけなくていいから、部署替えさせてくださあい!」
ちょっと可哀想になる。
だけど、キャルも周りの魔法使いの立場だったら……
「頑張れ」
と、言うしかない。サシャは目をそらされながらも、数人から励ましの言葉を頂戴していた。
そうだよね。お気に入りのサシャがいなくなったら、他の人に火の粉が飛んでくるもんね。
そんなことをやっている間に、キャルたちの背後にある家から火が噴き出す。
「なっ……!? カイド、何をしているんだ!」
「証拠隠滅」
「ふざけるな! 消せ!」
カイドの魔法によって、キャルの家は勢いよく燃え出した。
オーレリアンの命令を受けて、サシャ以外の全員が消火活動を始める。
「本……本はっ!? カイド、あれらがどれだけ貴重なものか分かっているはずだろう!」
オーレリアンは余程慌てているのか、珍しくしゃべりが短い。
「ああ。俺が個人的に興味がある本を中心に、ある程度は俺の空間に入れてあるから大丈夫だ」
「大丈夫なはずがないだろう!? アメンダ元医術士局長の著書は、全て貴重なものだ!」
カイドの飄々とした態度に、オーレリアンは目をむいて叫ぶ。
「キャルを傷つけるものから彼女を逃がすためなら、俺はなんでもやる」
カイドが真剣な表情で言った。さすがのオーレリアンも言い返すことはできなかったようで、ぐっと言葉を詰まらせる。
Sランクのカイドが準備していた炎となると、魔法使いが数人がかりでもなかなか消せないようだ。
キャルは、炎に包まれていく自分の家をぼんやりと見上げた。
オーレリアンがキャルの方へ視線を向けて叫ぶ。
「アメンダ嬢! 君からも何か言ってくれ。君を罪に問うつもりはないんだ。ただ、事情聴取をさせてもらいたい」
キャルに言えば、カイドを止められると思っているのだろう。
オーレリアンとサシャまでもが消火に加わってしまえば、その間にカイドが逃げてしまうので、燃え盛る家を前にして、オーレリアンは動けずにいるようだ。
かといって、町に被害を出さずにカイドを捕まえることもできないらしい。オーレリアンの背後では、火事に驚いた人たちが家から飛び出してくるのが見えた。
近くの家が夜の闇に火の粉を散らしながら燃えているのだ。そりゃあ、出てくるに決まっている。
心配そうにこちらを見つめる人たちに、キャルは苦笑と共に首を横に振って、大丈夫だと伝えた。
本当は、こんな大事にはしたくなかったのだけれど。
「私が罪に問われないって言うんだったら、いったい誰が罪に問われるんですか?」
キャルの問いに、オーレリアンはまたも、ぐっと言葉に詰まる。
しかし、消火活動もむなしく家を呑み込んでしまった炎を見て、再び口を開く。
「理解してくれ。残念だが、君の母親は犯罪者なんだ」
オーレリアンは、いつもと違って早口で、直接的な物言いをした。
どんなものよりも、本が大切なのだ。彼にとって、知識は何物にも代えがたい宝。
――母が、泥棒だと言った。
キャルはもう、背後の家を振り返らない。眉間にしわを寄せ、口を引き結ぶ。
オーレリアンは、キャルたちと家とを交互に見ながら慌てている。『こんなに説明しているのに、なぜ分からないんだ?』とこちらを責めているようだ。
キャルの説得を諦めたのか、今度はカイドに話しかける。
「カイド、理解してくれ。彼女は容疑者のことを一番よく知っている人間だ。重要参考人として城まで一緒に来てもらいたい。こんなことくらいで、あの貴重な資料が燃えてしまうなんて……」
――こんなこと?
やはり彼にとっては、キャルの家よりも、キャル自身よりも、本が大切なのだ。
尊敬するアメンダ元医術士局長――キャルの父が執筆した本を、とにかく欲しがっていた。
だから、キャルを連行することを、そしてキャルの母親が罪に問われることを、『こんなこと』などと表現する。
オーレリアンは、キャルの怒りの表情にも気が付かない。炎を消してくれと、必死で訴えている。
「キャルの母親の窃盗容疑について捜査する気もないんだろ? そんな状況で、犯罪者の娘としてキャルを渡せと?」
カイドが剣を手にする。
それに対抗するように、オーレリアンも杖を掲げた。
しかし、戦うことはしたくないのだろう。
彼は言葉を重ねていく。カイドとキャルの不快感が高まっていくような言葉を。
「……例の書物は、盗品だ。窃盗の事実をなくすことはできないよ。でも、アメンダ嬢は何も知らなかった。しっかりと保護し、丁重に扱うことを約束しよう!」
満面の笑みで腕を広げる彼を、カイドは睨み付ける。
「いやだね。『もてなす』だろう? そこは。『扱う』と言っている時点で、渡す気はない」
オーレリアンが、舌打ちと共に杖をふるう。大きなシャボン玉のようなドーム型のものが、キャルたちの頭の上から降ってきた。
カイドが何か呟くと、彼の剣が青白く発光する。魔力を纏った剣だ。
軽く気合いを入れるような声と共に、カイドが剣を振る。すると頭上のシャボン玉は、ぱあんと可愛らしい音を立てて破裂した。
「この俺に、この程度の捕縛の術が効くと思うか? ここに来るまでに、随分疲れてしまったようだな」
サシャはもう力が残っていないらしく、馬の足元に座り込んだまま青くなっている。
もちろん、ここまで飛ばしてきたオーレリアンだってそうだ。
「くそっ……! カイド!」
オーレリアンがもう一度杖を振り上げるのと同時に、キャルは背後の魔法使いたちに向かって布袋を投げつけた。
「なんっ……!?」
動揺したのか、なんとも中途半端な光の輪が飛んでくる。カイドが鼻で笑いながら、オーレリアンから放たれたそれを叩き落とす。
そうやっているうちに、魔法使いたちのうめき声が聞こえてきた。
「ぐっ……? ごほっ、ごほごほっ」
「がっ……はっ。なん……?」
キャル特製の痴漢撃退薬だ。町の女性に配ろうと思って大量に作ったものを、ほとんど全部投げた。
宙に浮いた粉は、炎に吸い寄せられるように舞う。もちろん、魔法使いたちの目元や鼻先をしっかり通過してだ。
ちらりと様子を見ると、全員が地面に手をついて、せき込んだり涙を流したりしている。
「アメンダ嬢! 何をするんだ!」
「母が持っていた本が、たとえ盗品だったとしても、何か理由があると思っています。調査もせずに、母に窃盗の容疑をかける人とは、一緒に行けません」
そう言って、キャルは一歩前に踏み出した。
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