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2巻
2-3
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キャルが呆れた顔をすると、彼はソファーにふんぞり返って、なぜか自己紹介を始めた。
「僕はオーレリアン・シャルパンティだ。オーレリアン様と呼んでくれて構わないよ。王室の筆頭魔法使いである僕の名前を呼べるなんて、光栄だと思うがいい」
ひたすら面倒くさい人だ。彼の名前などどうでもいいのに、呼んでもいいと押しつけてくるとは。
キャルがカイドに視線を送ると、無言で首を横に振られた。呼ぶなということだろう。
「ええと……ありがとうございます」
一応、礼を述べると、オーレリアンは何度か頷く。
そうして、頼んでもいないのに、カイドとの関係性を語り始めた。
本人曰く、カイドの一番の理解者であるらしい。カイドは黙ったまま不快げに眉を寄せたが、彼がSランクになった時からの付き合いなのだそうだ。
今日は、そのカイドが惚れ込んだと噂の薬師をわざわざ家まで見学に来たという。
なんと、彼は城に勤める筆頭魔法使いで、我が国のことはもちろん、他国についてもその術であらゆることを知っていると豪語する。
たまに国からの依頼が、カイドに送られてくることがある。魔法で作られた青い鳥が依頼を運んでくるのだが、それを送っているのも彼らしい。
さらに、筆頭魔法使いというくらいなのに、彼は若く美しい容姿をしている。キャルのイメージでは、白髪の老人だったのだが。
「僕は英知の結晶である頭脳と、この世のものとは思えない美しさを兼ね備えた、稀有な存在なんだ」
「はあ……」
カイドは無視して、キャルが作ったクッキーを頬張っている。キャルもそれに倣っていいものだろうか。お茶を出すだけで下がるつもりが、ここに立たされたまま、長々と話を聞かされている。
「そんな僕に、だ」
オーレリアンは嘆かわしいと言わんばかりに、大げさに腕を広げて首を横に振る。
「どうしても分からないことがあってね。僕は、分からないということが嫌いだ」
突然、そのようなセリフが飛んできて、キャルは目を瞬かせる。
もしかして、彼が用事があるのは自分なのか。さっきまで分からないことは何もないと言っていたその口で、分からないことがあるのだと言い、キャルを睨みつけている。
「どうやってカイドを篭絡したんだ」
まだその話だったのか。長い自分語りを聞いた後なので、随分前の話題だったような気がする。
「篭絡はしていません」
キャルが答えると、彼はさらに睨みつけた。
「秘密にしようというのか」
そもそもしてないっていうのに。
カイドはキャルの返答に興味があるのか、口を動かしながらこちらを眺めている。
今晩、食事抜きにしてやる。キャルは内心でそう思った。
「そもそも、薬師と聞いていたから、もっと頭の良さそうな熟女を想像していたんだけど」
多分、それは薬師というより薬屋のおばあちゃんだ。
おばあちゃんに篭絡されるって、カイドはどんな印象を持たれているんだ。
「お邪魔してすみませんでした。失礼します」
もう無理矢理退室してしまおうと、キャルは頭を下げる。なのに……
「ちょっと待って。これ、薬湯?」
オーレリアンが、湯のみの中を睨みつけながら聞いてくる。信用ならない薬師から妙なものを飲まされると怪しんでいるのか。
「薬湯ではなく、緑茶といって、ある植物の若芽を乾燥させて煮出したものです」
キャルの淹れる緑茶は、色が濃い。薬湯のような色をしているが、香りのいいただのお茶だ。
「――何、もしかして僕が知らないとでも思ってるの?」
……面倒くさい人だ。聞かれたから説明しただけなのに。
「緑茶くらい知っている。だが、君が緑茶に似せた妙なものを飲ませようとしているかもしれないと疑っただけだ。僕はなんでも知っている。君がEランクであることもね」
――どうでもいい。
よし、無視して退室しよう。そう決めた途端、カイドの苦々しい声がした。
「お前、ギルドに手を回しただろう?」
オーレリアンは、カイドの鋭い眼光を正面から受け止めて、あでやかに笑う。
「ふふっ。なんのこと?」
「とぼけるな。ギルドの一職員が、正式な報告書に文句をつけてくるからおかしいと思っていたんだ。お前、キャルの功績を認めないように、ギルドに圧力をかけたな」
カイドが鋭く睨みつけても、オーレリアンは涼しい顔で緑茶を口に含んだ。キャルは驚きに目を見開いて突っ立っていた。
ギルドが、国からの圧力でキャルをランクアップさせなかった?
キャルは、あまりギルドの組織などには詳しくない。ランクの上がり方も知らないし、そもそも成功報告を自分でしたことがない。
だけど、ギルドはどの権力にも属さない組織だということくらいは知っている。
冒険者を束ねるギルドは、国にも教会にもおもねらない――はずだ。
ギルドが圧力に屈した証拠はない。文書などにもしていないのかもしれない。だけど、それが本当ならば、ギルドの自立が疑われることになる。
ギルドは常に公正公平。何者からも指示を受けない独立した機関でなければならない。
そうでなければ、ランクというものの根底が揺らいでしまう。
ランクが、金で買える時代が来てしまうかもしれない。
「カイド、君はさっき、それは仕事とどうかかわるのかと聞いてきたね」
オーレリアンの言葉に、カイドは目を細めるだけで返事をした。もう、大体の見当はついているというように。
オーレリアンも、一つ頷いて言う。
「Sランクである君に敬意を表して、僕が最終宣告をするためにやってきたんだ」
オーレリアンが真面目な顔でクッキーを口に放り込む。
――最終宣告? それは、どういうことだ。
キャルは彼の言葉が気になって仕方がない。クッキーなんか食べてないで続きを言って欲しいのに、彼は「美味しい」なんて呟いている。
「別に構わないけどな」
カイドは分かっているというように頷く。
「そう言うだろうとは思ったよ。だけど、こっちはSランクを逃すのは惜しいんだ。ただ、Eランクの薬師なんかとは、とっとと離れてくれればいい。それを伝えに来た」
キャルは全く動けなかった。
離れるのは嫌だと叫ぶ自分がいる一方、仕方がないと諦めそうになっている自分もいる。
「嫌だね」
カイドはキャルの悩みなんて全く気にせず、あっさりと拒否する。
キャルは口を開きかけたけれど、何を言っていいのか分からない。
オーレリアンは、そんなキャルに視線を流して言う。
「カイドに、疑惑が持たれている。惚れた女に頼み込まれて、彼女のランクを上げるために嘘の報告を上げていると」
それは昨日、ギルドでも言われたことだ。
「お前が流した噂だろう。そんなもの、どうでもいい」
カイドは少しも動揺していない。
だけど、キャルはどんどん追い詰められていくような気がしていた。
――お前がいるせいで。足手まとい。邪魔者。
「カイドがこのままEランクの人間と組むつもりなら、君に依頼をする人間はいなくなるだろう。実質、解雇と同じだ」
最後の言葉はカイドに向けて放たれたというのに、カイドはふんと軽く鼻で笑った。
冒険者は、誰かに雇われているわけではない。しかし、依頼を受けることができなくなった冒険者は、もう引退するしかない。
「別に構わない。元々、拠点をコロンに移すつもりでいた。依頼があろうがなかろうが、そこで問題なく暮らせるよ」
今回もらった報酬だけでも、結構な額になる。キャルが薬屋として商売し、カイドに手伝ってもらえば、暮らすのには困らないだろう。
しかし……それで、本当にいいのだろうか?
キャルがそばにいることによって、カイドは冒険者としての地位を失う。
何不自由ない生活どころか、誰もが平伏すほどの権力を持っている彼を、キャルのいる場所まで引きずり下ろすことになるのだ。
「もちろん、この家も返してもらう……って言っても意味ないよな。ほとんど使ってなかったし……。だが汚名を被っての引退になるぞ」
女に溺れた馬鹿な冒険者として引退することになる。
「どうせ真実じゃない。そんな汚名なんて、被ってもいない」
カイドが小馬鹿にしたように笑う。オーレリアンも、カイドの反応は分かった上で言ったのだろう。きっと今の言葉は、キャルに向けた言葉だ。
「君に救われる人間は、これからも多数いるはずなんだ。それを、放り捨てると?」
オーレリアンは、カイドではなく、キャルに言っている。
『カイドの力を必要としている人々を、見捨てるのか?』
キャルさえ離れれば、これからもカイドは大勢の人間を救うのだろう。
――お前さえ、いなければ。
耳の奥で、反響するように鳴り響く声。
それに押し潰されそうになった時、キャルの手が強く握られた。
はっとして視線を移すと、真剣な表情のカイドが、キャルを見ていた。
「キャルの力を認めない方が、大勢の人間を見捨てることになると思うが」
「なんだって?」
不快げなオーレリアンの声が聞こえるが、キャルは気にならなかった。
カイドが自信満々で笑っている。
「彼女の薬師としての能力と知識は、ずば抜けている。俺は、彼女以上の薬師に会ったことがない」
彼は、手放しでキャルを褒めちぎる。
照れくさいけれど、今は嬉しい。軋んでいた心が、ほっと緩む。
「城の医術士局長にも会ったことがある君が? はっ! では、彼女がこの国最高の薬師だとでも言いたいのか?」
さすがにカイドの言葉は言いすぎだったようだ。喜んでしまった手前、ばつが悪い。
だがキャルが俯くのとは反対に、カイドは顔を上げる。
「ああ。そう言っている。彼女以上の薬師はいない」
彼は、ニヤリと笑って堂々と肯定してしまった。
キャルは驚きに目を瞠り、オーレリアンは怒りに眉を寄せる。
「残念だよ、カイド。そんな女に溺れてここまで正常な判断がつかなくなっているとは思わなかった。僕からの最後のチャンスを受け取ってもらえないようだね」
わざとらしく大きなため息を吐いて、オーレリアンは立ち上がる。
「失礼するよ」
彼の怒りの声を聞いても、カイドはひらりと手を振っただけ。
オーレリアンは肩をいからせたまま、窓へ近づいた。何をするつもりかと思っていると、手も触れずに窓を開け、ひょいと外の何かに飛び乗った……ように見えた。
驚いて彼を凝視するキャルの表情を見て、少し気が済んだのだろう。最後には軽く笑顔を見せた。
彼は手を振って、廊下でも歩くかのように空中を歩いていく。
いろいろなことに驚きすぎて、キャルはもうオーレリアンの背中を見つめることしかできなかった。
次の日、朝食の席で、キャルはまだオーレリアンが言っていたことについて考えていた。
カイドにこのまま冒険者をやめさせていいのだろうか。……よくない、となったら、キャルはカイドから離れるしかなくなる。
何度考えても同じ結論に至る思考に、キャルはため息を吐く。
そこで、大きな手が優しく彼女の頭を撫でた。
「考えなくてもいい。俺は冒険者に未練はない」
カイドは優しく笑う。
その笑顔に、キャルはほっとする。その気持ちの中の罪悪感を見て見ぬふりをして。
「やらなければならない仕事は、今日にも終わらせる。そうしたらすぐにコロンへ発つぞ」
もやもやした気持ちが晴れなかったキャルは、その言葉に顔を上げる。
「え、すぐに!?」
「そうだ。明日には王都を発つ。これ以上ここにいる必要はない」
カイドはひょいと鞄を肩に引っかけると、「行ってくる」と言って城へ向かった。
王都に滞在して、もうすぐ三週間が経つ。
そうか、もうここでの仕事が終わってもおかしくないくらいの時間が経ったのだ。
――コロンに帰れる。
さっきまでの不安が嘘のように晴れてしまった。
罪悪感がなくなったわけではない。カイドの人生を大きく変えてしまうことになるのだ。だけど、帰れるということが、キャルの心を軽くした。
キャルはくるりと家を見回して、大事なことを思いつく。
「あ、珍しい薬草は買っておかないと」
王都には、国中どころか、各国から集められた珍しいものがたくさんある。この国では見られない植物も売られているのだ。それらを買ってからコロンに帰りたい。できれば、コロンのみんなにお土産にできるようなものもあるといい。
キャルは時計を見上げると、さっと朝食を片付け、市場へと出かけることにした。
市場はいつも通り、多くの人であふれ返っている。
だけど、キャルが欲しがるものは特殊で、あまり人がいない店にあることが多い。
どうやって食べるか分からない野菜や果物。妙な匂いを放つ葉。泥にしか見えないバケツの中身。キャルから見れば、どれもこれもお宝なのだが、普通の人にはそうではない。
キャルは混雑した市場の、比較的すいた店を、あっちへこっちへと動き回る。
気が付けば、結構時間が経っていたようで、お日様が西に傾き始めていた。
キャルは荷物を抱えて、端に寄ってから市場を眺める。他に買い忘れているものはないかと、荷物と市場を見比べた。
ふと、日が翳る。
空が曇ったのかと見上げると、そこには険しい顔のオーレリアンが立っていた。
「早く帰りたいと、カイドにおねだりでもした?」
前置きなしで話しかけられたことに驚いて、キャルは何も返事ができない。
「Eランクごときがカイドを自由に扱うなんて、許せないよ」
「自由に、扱ってなんていません。カイドが、一緒に帰ろうと言ってくれたんです」
反論したキャルに、オーレリアンの足が飛んできた。
反射的に身を縮めたキャルの横をかすめ、今日の戦利品たちの中に突っ込む。
「あ、卵……!」
珍しい卵を見つけたのだ。見た目も触り心地もただの丸い石なのに、割ってみれば卵なのだという。普通の卵よりも栄養価が高いと聞いて買ったのだが……
思わず荷物の心配をしてしまうキャルを無視して、彼は言う。
「あんなにカイドが君に固執するとは思わなかったんだ。ねえ、君、邪魔なんだけど」
いくつかの卵は、割れてしまっていた。
せっかく買った薬草も、今や道路に落ちている。
「カイドには価値がある。でも、ごみがくっついていると、どんな高級品でも価値がなくなってしまうんだよ」
オーレリアンは、道路に落ちてしまった薬草を踏み潰しながら言った。
キャルは彼の足をどけようと手を伸ばす。その途端、彼はひゅるんと魔法で移動する。
「価値が、なくなったりはしません」
散らばってしまった薬草を拾い集めながら、キャルは言う。
――久しぶりの感情だ。ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「この薬草たちは、これくらいの砂がついたとしても、希少な植物だし、力があります」
自分がくっついていても、カイドの輝きは失われない。価値がなくなったりなんてしない。
キャルが伝えたかったことは、しっかりとオーレリアンにも伝わったらしい。彼は不快げに眉を寄せて、軽く鼻を鳴らす。
「自分にはカイドの横にいる価値があると思っているの? Eランクのくせに?」
明らかに蔑んだ言葉に、キャルは唇を噛む。
「君といることで、カイドには何かメリットがある? 彼の人生を潰してまで我を通すの? 彼は宝石だ。それにくっついているだけの、なんの役にも立たない邪魔な泥は、勝手に落ちていってくれないかな」
キャルは俯きそうになる顔を、必死で前に向けていた。逃げるわけにはいかない。なんの役にも立たないなんて、そんなわけがないとカイドが言ってくれた。
キャルがそばにいることで、邪魔になることはあるかもしれない。だけど、キャルはカイドにこびりついているだけではない。
「私は、薬が作れます。役に立たないなんてことは、ありません」
キャルの返答に、オーレリアンはさらに不快げに顔を歪める。
けれど、ふっと息を吐いたと思ったら、今度はにっこりと笑う。
「あはっ。自分のことさえ分からない人間って本当にいるんだ。なんて滑稽で醜いんだろう。ここまで自分を知らない人間は初めて見たよ」
なんと言われようと、キャルに譲る気はなかった。
キャルが引き下がらないことが空気で分かったのか、オーレリアンは空を見上げて肩をすくめる。
「本当、目障りだな」
そう呟いて、良いことを思いついたかのようにキャルを見る。
「だったら、僕とゲームをしよう? このゲームに君が勝てたら、僕は君の力を認める。ギルドにも、報告書通りにランクを上げるように通達しよう。でも勝てなければ、カイドを返して欲しい。彼の力はこの世界に必要なものなんだよ」
挑むように見られる。
キャルは何も答えず、睨みつけるようにオーレリアンの瞳を見返した。
「僕を捕まえてみなよ。お得意の『探索』でさ! 瞬間移動だけは使わないであげる。何日かかってもいい――と言ってあげたいけど、カイドが旅立とうとしてる。だから三日以内に捕まえてね」
綺麗に片目をつぶってみせるオーレリアンに顔をしかめて、キャルは懐から袋を取り出す。
「なんだい、それ?」
好奇心旺盛なオーレリアンは、キャルが何を取り出したか興味を持ったらしい。
ひょいと覗いてくる彼に、その白い粉をぶつけた。
――が、軽く風で振り払われて、彼の足元にぱらぱらと落ちる。
「何、今の。まさか攻撃だった? あはっ。僕は風が使えるんだよ? 君の薬なんて吸い込まないよ!」
くすくすっと笑うと、彼は風で空に舞い上がる。
「いい? 三日以内だよ。無理だと思うけどね!」
そう大きな声で叫んで、城に向かって飛んでいった。
キャルは、さっきまでオーレリアンがいた場所を見た。白い粉が散らばっているが、彼が立っていた場所にはない。風に舞って、服の裾にでもついてしまったのだろう。
キャルは、散らばってしまった粉を『収集』のスキルで集めた。彼の服についた分だけは回収できないけれど。
これは、キャルが現在開発している試薬だ。先ほど市場で材料となる鉱石を見つけたので、今晩には完成させることができる。
キャルは集めた薬を眺めて、一つ頷く。
「私の力を、見せてやる」
一言、宣言するように呟いて、キャルは家へと帰った。
3
次の日。カイドとキャルは、朝からコロンに旅立つ準備を着々と進めていた。
「……キャル? それは、何をしているんだ?」
「気にしないで。ちょっと捕まえたいのがいるの」
カイドは首を傾げながらも、作業しているキャルを放って、保存の魔法の準備を始めていた。
ちょうど準備ができたというタイミングで、いつもより広めに使っていた『探索』が反応した。
昨日、オーレリアンに放った試薬の粉が近づいてくる。
魔法使いというのは、あの黒いローブを何枚も持っているのかと思っていたが、毎日新しいものと取り替えるわけではないらしい。
自然と、笑みが浮かんでくる。
キャルが作った薬をまとっているから、しっかりと『探索』に引っかかってくれる。そして、そのスピードから、彼がどれだけ慌てているかも分かる。
「カイドは、居間にいて。絶対手を出さないでね」
「はあ……?」
わけが分からないという顔をしながらも、カイドは居間に行ってくれる。
そして、キャルは玄関ホールの真ん中に立った。
その途端、チャイムも鳴らずに扉が開く。
オーレリアンは、よほど急いでいるのだろう。叫びながら駆け込んできた。
「カイド! いきなり今日出発するって……あ、何これ?」
玄関扉を開けてすぐ足元にあるのは、ネズミを捕るための粘着シートだ。
オーレリアンは片足を粘着シートにとられて眉をひそめる。
そして、玄関ホールの真ん中に立つキャルに目を留め、ため息を吐いた。
「まさか、これで捕まえたとか言う気?」
そう言いながら片足を上げ……られないはずだ。通常のものに、キャルが改良を加えてより強力にしている。ネズミではなく人間用だ。
「強力にはしてあるみたいだけど、こんなものじゃ、捕まえられないよ」
彼は魔力を使い、思い切り上へと跳ね上がる。
「ふん、この程度……っうわ!?」
その上にあるのは、同じ粘着剤を使った蜘蛛の巣もどきだ。
綺麗に貼り付いたなあと見上げながら、キャルはゆっくりと玄関ホールの端まで下がる。
「こんな子供騙しっ……!」
イラついた声と共に、風を切る音がする。同時に炎が立ちのぼる気配。
体についた粘着剤を燃やしたのだろう。
「お前、こんな……げほっ、ごほっごほっ」
キャルはオーレリアンを見上げるのをやめ、目を閉じてしばらく息を止める。心の中で十秒数えてから顔を上げると、粘着シートを越えたところに苦い顔をしたオーレリアンが立っていた。
この粘着剤は、燃やすと異臭と毒を発生させる。そんなに強い毒ではないので、彼はさっさと治癒魔法をかけたようだ。
それでもかすかに残る異臭に、警戒しながら呼吸をする彼の鼻には、ラベンダーの心休まる香りが届くはずだ。今彼が立っているあたりの床に、揮発性の高いジェルを塗り込んである。
彼は、ラベンダーの香りに少しだけ気分を緩め、息を大きく吸い込んだ。かすかに混ぜた麻酔薬と共に。
唇を噛んで悔しそうな顔で近づいてくるキャルを見て、オーレリアンは微笑む。
「無駄でしたか?」
キャルの言葉に、彼はさらに笑みを深めた。
「そうだね。――そして、君が切り札として持っている薬も、僕には見えている」
キャルが後ろ手に持っているものを指して、彼は言う。キャルはびくりと震え、手に持っていたものを床に落としてしまった。
「これで僕の勝ちだね――っ!?」
次の瞬間、キャルが落とした薬――ではなく石は、細い糸だけで天井につながっていた布袋の糸を見事に切った。布袋の中のキャル特製『痴漢撃退劇薬』が宙を舞う。
キャルはすぐさま身を翻す。一方、麻酔で動きの鈍ったオーレリアンは、それに対応できなかった。
「僕はオーレリアン・シャルパンティだ。オーレリアン様と呼んでくれて構わないよ。王室の筆頭魔法使いである僕の名前を呼べるなんて、光栄だと思うがいい」
ひたすら面倒くさい人だ。彼の名前などどうでもいいのに、呼んでもいいと押しつけてくるとは。
キャルがカイドに視線を送ると、無言で首を横に振られた。呼ぶなということだろう。
「ええと……ありがとうございます」
一応、礼を述べると、オーレリアンは何度か頷く。
そうして、頼んでもいないのに、カイドとの関係性を語り始めた。
本人曰く、カイドの一番の理解者であるらしい。カイドは黙ったまま不快げに眉を寄せたが、彼がSランクになった時からの付き合いなのだそうだ。
今日は、そのカイドが惚れ込んだと噂の薬師をわざわざ家まで見学に来たという。
なんと、彼は城に勤める筆頭魔法使いで、我が国のことはもちろん、他国についてもその術であらゆることを知っていると豪語する。
たまに国からの依頼が、カイドに送られてくることがある。魔法で作られた青い鳥が依頼を運んでくるのだが、それを送っているのも彼らしい。
さらに、筆頭魔法使いというくらいなのに、彼は若く美しい容姿をしている。キャルのイメージでは、白髪の老人だったのだが。
「僕は英知の結晶である頭脳と、この世のものとは思えない美しさを兼ね備えた、稀有な存在なんだ」
「はあ……」
カイドは無視して、キャルが作ったクッキーを頬張っている。キャルもそれに倣っていいものだろうか。お茶を出すだけで下がるつもりが、ここに立たされたまま、長々と話を聞かされている。
「そんな僕に、だ」
オーレリアンは嘆かわしいと言わんばかりに、大げさに腕を広げて首を横に振る。
「どうしても分からないことがあってね。僕は、分からないということが嫌いだ」
突然、そのようなセリフが飛んできて、キャルは目を瞬かせる。
もしかして、彼が用事があるのは自分なのか。さっきまで分からないことは何もないと言っていたその口で、分からないことがあるのだと言い、キャルを睨みつけている。
「どうやってカイドを篭絡したんだ」
まだその話だったのか。長い自分語りを聞いた後なので、随分前の話題だったような気がする。
「篭絡はしていません」
キャルが答えると、彼はさらに睨みつけた。
「秘密にしようというのか」
そもそもしてないっていうのに。
カイドはキャルの返答に興味があるのか、口を動かしながらこちらを眺めている。
今晩、食事抜きにしてやる。キャルは内心でそう思った。
「そもそも、薬師と聞いていたから、もっと頭の良さそうな熟女を想像していたんだけど」
多分、それは薬師というより薬屋のおばあちゃんだ。
おばあちゃんに篭絡されるって、カイドはどんな印象を持たれているんだ。
「お邪魔してすみませんでした。失礼します」
もう無理矢理退室してしまおうと、キャルは頭を下げる。なのに……
「ちょっと待って。これ、薬湯?」
オーレリアンが、湯のみの中を睨みつけながら聞いてくる。信用ならない薬師から妙なものを飲まされると怪しんでいるのか。
「薬湯ではなく、緑茶といって、ある植物の若芽を乾燥させて煮出したものです」
キャルの淹れる緑茶は、色が濃い。薬湯のような色をしているが、香りのいいただのお茶だ。
「――何、もしかして僕が知らないとでも思ってるの?」
……面倒くさい人だ。聞かれたから説明しただけなのに。
「緑茶くらい知っている。だが、君が緑茶に似せた妙なものを飲ませようとしているかもしれないと疑っただけだ。僕はなんでも知っている。君がEランクであることもね」
――どうでもいい。
よし、無視して退室しよう。そう決めた途端、カイドの苦々しい声がした。
「お前、ギルドに手を回しただろう?」
オーレリアンは、カイドの鋭い眼光を正面から受け止めて、あでやかに笑う。
「ふふっ。なんのこと?」
「とぼけるな。ギルドの一職員が、正式な報告書に文句をつけてくるからおかしいと思っていたんだ。お前、キャルの功績を認めないように、ギルドに圧力をかけたな」
カイドが鋭く睨みつけても、オーレリアンは涼しい顔で緑茶を口に含んだ。キャルは驚きに目を見開いて突っ立っていた。
ギルドが、国からの圧力でキャルをランクアップさせなかった?
キャルは、あまりギルドの組織などには詳しくない。ランクの上がり方も知らないし、そもそも成功報告を自分でしたことがない。
だけど、ギルドはどの権力にも属さない組織だということくらいは知っている。
冒険者を束ねるギルドは、国にも教会にもおもねらない――はずだ。
ギルドが圧力に屈した証拠はない。文書などにもしていないのかもしれない。だけど、それが本当ならば、ギルドの自立が疑われることになる。
ギルドは常に公正公平。何者からも指示を受けない独立した機関でなければならない。
そうでなければ、ランクというものの根底が揺らいでしまう。
ランクが、金で買える時代が来てしまうかもしれない。
「カイド、君はさっき、それは仕事とどうかかわるのかと聞いてきたね」
オーレリアンの言葉に、カイドは目を細めるだけで返事をした。もう、大体の見当はついているというように。
オーレリアンも、一つ頷いて言う。
「Sランクである君に敬意を表して、僕が最終宣告をするためにやってきたんだ」
オーレリアンが真面目な顔でクッキーを口に放り込む。
――最終宣告? それは、どういうことだ。
キャルは彼の言葉が気になって仕方がない。クッキーなんか食べてないで続きを言って欲しいのに、彼は「美味しい」なんて呟いている。
「別に構わないけどな」
カイドは分かっているというように頷く。
「そう言うだろうとは思ったよ。だけど、こっちはSランクを逃すのは惜しいんだ。ただ、Eランクの薬師なんかとは、とっとと離れてくれればいい。それを伝えに来た」
キャルは全く動けなかった。
離れるのは嫌だと叫ぶ自分がいる一方、仕方がないと諦めそうになっている自分もいる。
「嫌だね」
カイドはキャルの悩みなんて全く気にせず、あっさりと拒否する。
キャルは口を開きかけたけれど、何を言っていいのか分からない。
オーレリアンは、そんなキャルに視線を流して言う。
「カイドに、疑惑が持たれている。惚れた女に頼み込まれて、彼女のランクを上げるために嘘の報告を上げていると」
それは昨日、ギルドでも言われたことだ。
「お前が流した噂だろう。そんなもの、どうでもいい」
カイドは少しも動揺していない。
だけど、キャルはどんどん追い詰められていくような気がしていた。
――お前がいるせいで。足手まとい。邪魔者。
「カイドがこのままEランクの人間と組むつもりなら、君に依頼をする人間はいなくなるだろう。実質、解雇と同じだ」
最後の言葉はカイドに向けて放たれたというのに、カイドはふんと軽く鼻で笑った。
冒険者は、誰かに雇われているわけではない。しかし、依頼を受けることができなくなった冒険者は、もう引退するしかない。
「別に構わない。元々、拠点をコロンに移すつもりでいた。依頼があろうがなかろうが、そこで問題なく暮らせるよ」
今回もらった報酬だけでも、結構な額になる。キャルが薬屋として商売し、カイドに手伝ってもらえば、暮らすのには困らないだろう。
しかし……それで、本当にいいのだろうか?
キャルがそばにいることによって、カイドは冒険者としての地位を失う。
何不自由ない生活どころか、誰もが平伏すほどの権力を持っている彼を、キャルのいる場所まで引きずり下ろすことになるのだ。
「もちろん、この家も返してもらう……って言っても意味ないよな。ほとんど使ってなかったし……。だが汚名を被っての引退になるぞ」
女に溺れた馬鹿な冒険者として引退することになる。
「どうせ真実じゃない。そんな汚名なんて、被ってもいない」
カイドが小馬鹿にしたように笑う。オーレリアンも、カイドの反応は分かった上で言ったのだろう。きっと今の言葉は、キャルに向けた言葉だ。
「君に救われる人間は、これからも多数いるはずなんだ。それを、放り捨てると?」
オーレリアンは、カイドではなく、キャルに言っている。
『カイドの力を必要としている人々を、見捨てるのか?』
キャルさえ離れれば、これからもカイドは大勢の人間を救うのだろう。
――お前さえ、いなければ。
耳の奥で、反響するように鳴り響く声。
それに押し潰されそうになった時、キャルの手が強く握られた。
はっとして視線を移すと、真剣な表情のカイドが、キャルを見ていた。
「キャルの力を認めない方が、大勢の人間を見捨てることになると思うが」
「なんだって?」
不快げなオーレリアンの声が聞こえるが、キャルは気にならなかった。
カイドが自信満々で笑っている。
「彼女の薬師としての能力と知識は、ずば抜けている。俺は、彼女以上の薬師に会ったことがない」
彼は、手放しでキャルを褒めちぎる。
照れくさいけれど、今は嬉しい。軋んでいた心が、ほっと緩む。
「城の医術士局長にも会ったことがある君が? はっ! では、彼女がこの国最高の薬師だとでも言いたいのか?」
さすがにカイドの言葉は言いすぎだったようだ。喜んでしまった手前、ばつが悪い。
だがキャルが俯くのとは反対に、カイドは顔を上げる。
「ああ。そう言っている。彼女以上の薬師はいない」
彼は、ニヤリと笑って堂々と肯定してしまった。
キャルは驚きに目を瞠り、オーレリアンは怒りに眉を寄せる。
「残念だよ、カイド。そんな女に溺れてここまで正常な判断がつかなくなっているとは思わなかった。僕からの最後のチャンスを受け取ってもらえないようだね」
わざとらしく大きなため息を吐いて、オーレリアンは立ち上がる。
「失礼するよ」
彼の怒りの声を聞いても、カイドはひらりと手を振っただけ。
オーレリアンは肩をいからせたまま、窓へ近づいた。何をするつもりかと思っていると、手も触れずに窓を開け、ひょいと外の何かに飛び乗った……ように見えた。
驚いて彼を凝視するキャルの表情を見て、少し気が済んだのだろう。最後には軽く笑顔を見せた。
彼は手を振って、廊下でも歩くかのように空中を歩いていく。
いろいろなことに驚きすぎて、キャルはもうオーレリアンの背中を見つめることしかできなかった。
次の日、朝食の席で、キャルはまだオーレリアンが言っていたことについて考えていた。
カイドにこのまま冒険者をやめさせていいのだろうか。……よくない、となったら、キャルはカイドから離れるしかなくなる。
何度考えても同じ結論に至る思考に、キャルはため息を吐く。
そこで、大きな手が優しく彼女の頭を撫でた。
「考えなくてもいい。俺は冒険者に未練はない」
カイドは優しく笑う。
その笑顔に、キャルはほっとする。その気持ちの中の罪悪感を見て見ぬふりをして。
「やらなければならない仕事は、今日にも終わらせる。そうしたらすぐにコロンへ発つぞ」
もやもやした気持ちが晴れなかったキャルは、その言葉に顔を上げる。
「え、すぐに!?」
「そうだ。明日には王都を発つ。これ以上ここにいる必要はない」
カイドはひょいと鞄を肩に引っかけると、「行ってくる」と言って城へ向かった。
王都に滞在して、もうすぐ三週間が経つ。
そうか、もうここでの仕事が終わってもおかしくないくらいの時間が経ったのだ。
――コロンに帰れる。
さっきまでの不安が嘘のように晴れてしまった。
罪悪感がなくなったわけではない。カイドの人生を大きく変えてしまうことになるのだ。だけど、帰れるということが、キャルの心を軽くした。
キャルはくるりと家を見回して、大事なことを思いつく。
「あ、珍しい薬草は買っておかないと」
王都には、国中どころか、各国から集められた珍しいものがたくさんある。この国では見られない植物も売られているのだ。それらを買ってからコロンに帰りたい。できれば、コロンのみんなにお土産にできるようなものもあるといい。
キャルは時計を見上げると、さっと朝食を片付け、市場へと出かけることにした。
市場はいつも通り、多くの人であふれ返っている。
だけど、キャルが欲しがるものは特殊で、あまり人がいない店にあることが多い。
どうやって食べるか分からない野菜や果物。妙な匂いを放つ葉。泥にしか見えないバケツの中身。キャルから見れば、どれもこれもお宝なのだが、普通の人にはそうではない。
キャルは混雑した市場の、比較的すいた店を、あっちへこっちへと動き回る。
気が付けば、結構時間が経っていたようで、お日様が西に傾き始めていた。
キャルは荷物を抱えて、端に寄ってから市場を眺める。他に買い忘れているものはないかと、荷物と市場を見比べた。
ふと、日が翳る。
空が曇ったのかと見上げると、そこには険しい顔のオーレリアンが立っていた。
「早く帰りたいと、カイドにおねだりでもした?」
前置きなしで話しかけられたことに驚いて、キャルは何も返事ができない。
「Eランクごときがカイドを自由に扱うなんて、許せないよ」
「自由に、扱ってなんていません。カイドが、一緒に帰ろうと言ってくれたんです」
反論したキャルに、オーレリアンの足が飛んできた。
反射的に身を縮めたキャルの横をかすめ、今日の戦利品たちの中に突っ込む。
「あ、卵……!」
珍しい卵を見つけたのだ。見た目も触り心地もただの丸い石なのに、割ってみれば卵なのだという。普通の卵よりも栄養価が高いと聞いて買ったのだが……
思わず荷物の心配をしてしまうキャルを無視して、彼は言う。
「あんなにカイドが君に固執するとは思わなかったんだ。ねえ、君、邪魔なんだけど」
いくつかの卵は、割れてしまっていた。
せっかく買った薬草も、今や道路に落ちている。
「カイドには価値がある。でも、ごみがくっついていると、どんな高級品でも価値がなくなってしまうんだよ」
オーレリアンは、道路に落ちてしまった薬草を踏み潰しながら言った。
キャルは彼の足をどけようと手を伸ばす。その途端、彼はひゅるんと魔法で移動する。
「価値が、なくなったりはしません」
散らばってしまった薬草を拾い集めながら、キャルは言う。
――久しぶりの感情だ。ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「この薬草たちは、これくらいの砂がついたとしても、希少な植物だし、力があります」
自分がくっついていても、カイドの輝きは失われない。価値がなくなったりなんてしない。
キャルが伝えたかったことは、しっかりとオーレリアンにも伝わったらしい。彼は不快げに眉を寄せて、軽く鼻を鳴らす。
「自分にはカイドの横にいる価値があると思っているの? Eランクのくせに?」
明らかに蔑んだ言葉に、キャルは唇を噛む。
「君といることで、カイドには何かメリットがある? 彼の人生を潰してまで我を通すの? 彼は宝石だ。それにくっついているだけの、なんの役にも立たない邪魔な泥は、勝手に落ちていってくれないかな」
キャルは俯きそうになる顔を、必死で前に向けていた。逃げるわけにはいかない。なんの役にも立たないなんて、そんなわけがないとカイドが言ってくれた。
キャルがそばにいることで、邪魔になることはあるかもしれない。だけど、キャルはカイドにこびりついているだけではない。
「私は、薬が作れます。役に立たないなんてことは、ありません」
キャルの返答に、オーレリアンはさらに不快げに顔を歪める。
けれど、ふっと息を吐いたと思ったら、今度はにっこりと笑う。
「あはっ。自分のことさえ分からない人間って本当にいるんだ。なんて滑稽で醜いんだろう。ここまで自分を知らない人間は初めて見たよ」
なんと言われようと、キャルに譲る気はなかった。
キャルが引き下がらないことが空気で分かったのか、オーレリアンは空を見上げて肩をすくめる。
「本当、目障りだな」
そう呟いて、良いことを思いついたかのようにキャルを見る。
「だったら、僕とゲームをしよう? このゲームに君が勝てたら、僕は君の力を認める。ギルドにも、報告書通りにランクを上げるように通達しよう。でも勝てなければ、カイドを返して欲しい。彼の力はこの世界に必要なものなんだよ」
挑むように見られる。
キャルは何も答えず、睨みつけるようにオーレリアンの瞳を見返した。
「僕を捕まえてみなよ。お得意の『探索』でさ! 瞬間移動だけは使わないであげる。何日かかってもいい――と言ってあげたいけど、カイドが旅立とうとしてる。だから三日以内に捕まえてね」
綺麗に片目をつぶってみせるオーレリアンに顔をしかめて、キャルは懐から袋を取り出す。
「なんだい、それ?」
好奇心旺盛なオーレリアンは、キャルが何を取り出したか興味を持ったらしい。
ひょいと覗いてくる彼に、その白い粉をぶつけた。
――が、軽く風で振り払われて、彼の足元にぱらぱらと落ちる。
「何、今の。まさか攻撃だった? あはっ。僕は風が使えるんだよ? 君の薬なんて吸い込まないよ!」
くすくすっと笑うと、彼は風で空に舞い上がる。
「いい? 三日以内だよ。無理だと思うけどね!」
そう大きな声で叫んで、城に向かって飛んでいった。
キャルは、さっきまでオーレリアンがいた場所を見た。白い粉が散らばっているが、彼が立っていた場所にはない。風に舞って、服の裾にでもついてしまったのだろう。
キャルは、散らばってしまった粉を『収集』のスキルで集めた。彼の服についた分だけは回収できないけれど。
これは、キャルが現在開発している試薬だ。先ほど市場で材料となる鉱石を見つけたので、今晩には完成させることができる。
キャルは集めた薬を眺めて、一つ頷く。
「私の力を、見せてやる」
一言、宣言するように呟いて、キャルは家へと帰った。
3
次の日。カイドとキャルは、朝からコロンに旅立つ準備を着々と進めていた。
「……キャル? それは、何をしているんだ?」
「気にしないで。ちょっと捕まえたいのがいるの」
カイドは首を傾げながらも、作業しているキャルを放って、保存の魔法の準備を始めていた。
ちょうど準備ができたというタイミングで、いつもより広めに使っていた『探索』が反応した。
昨日、オーレリアンに放った試薬の粉が近づいてくる。
魔法使いというのは、あの黒いローブを何枚も持っているのかと思っていたが、毎日新しいものと取り替えるわけではないらしい。
自然と、笑みが浮かんでくる。
キャルが作った薬をまとっているから、しっかりと『探索』に引っかかってくれる。そして、そのスピードから、彼がどれだけ慌てているかも分かる。
「カイドは、居間にいて。絶対手を出さないでね」
「はあ……?」
わけが分からないという顔をしながらも、カイドは居間に行ってくれる。
そして、キャルは玄関ホールの真ん中に立った。
その途端、チャイムも鳴らずに扉が開く。
オーレリアンは、よほど急いでいるのだろう。叫びながら駆け込んできた。
「カイド! いきなり今日出発するって……あ、何これ?」
玄関扉を開けてすぐ足元にあるのは、ネズミを捕るための粘着シートだ。
オーレリアンは片足を粘着シートにとられて眉をひそめる。
そして、玄関ホールの真ん中に立つキャルに目を留め、ため息を吐いた。
「まさか、これで捕まえたとか言う気?」
そう言いながら片足を上げ……られないはずだ。通常のものに、キャルが改良を加えてより強力にしている。ネズミではなく人間用だ。
「強力にはしてあるみたいだけど、こんなものじゃ、捕まえられないよ」
彼は魔力を使い、思い切り上へと跳ね上がる。
「ふん、この程度……っうわ!?」
その上にあるのは、同じ粘着剤を使った蜘蛛の巣もどきだ。
綺麗に貼り付いたなあと見上げながら、キャルはゆっくりと玄関ホールの端まで下がる。
「こんな子供騙しっ……!」
イラついた声と共に、風を切る音がする。同時に炎が立ちのぼる気配。
体についた粘着剤を燃やしたのだろう。
「お前、こんな……げほっ、ごほっごほっ」
キャルはオーレリアンを見上げるのをやめ、目を閉じてしばらく息を止める。心の中で十秒数えてから顔を上げると、粘着シートを越えたところに苦い顔をしたオーレリアンが立っていた。
この粘着剤は、燃やすと異臭と毒を発生させる。そんなに強い毒ではないので、彼はさっさと治癒魔法をかけたようだ。
それでもかすかに残る異臭に、警戒しながら呼吸をする彼の鼻には、ラベンダーの心休まる香りが届くはずだ。今彼が立っているあたりの床に、揮発性の高いジェルを塗り込んである。
彼は、ラベンダーの香りに少しだけ気分を緩め、息を大きく吸い込んだ。かすかに混ぜた麻酔薬と共に。
唇を噛んで悔しそうな顔で近づいてくるキャルを見て、オーレリアンは微笑む。
「無駄でしたか?」
キャルの言葉に、彼はさらに笑みを深めた。
「そうだね。――そして、君が切り札として持っている薬も、僕には見えている」
キャルが後ろ手に持っているものを指して、彼は言う。キャルはびくりと震え、手に持っていたものを床に落としてしまった。
「これで僕の勝ちだね――っ!?」
次の瞬間、キャルが落とした薬――ではなく石は、細い糸だけで天井につながっていた布袋の糸を見事に切った。布袋の中のキャル特製『痴漢撃退劇薬』が宙を舞う。
キャルはすぐさま身を翻す。一方、麻酔で動きの鈍ったオーレリアンは、それに対応できなかった。
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