獣人公爵のエスコート

ざっく

文字の大きさ
上 下
1 / 17
1巻

1-1

しおりを挟む





 ロマンヌ王国は、もうすぐ社交シーズンを迎える。
 各地の領主が王都に集まり、社交シーズンのためのドレスを買い求める。
 フィディア・カランストン男爵令嬢のもとに届けられたドレスも、その中の一着だ。
 フィディアは、仕上がったドレスを見て、目を輝かせた。

「なんて素敵なの……! お父様、ありがとうございます!」
「喜んでくれてよかった」

 フィディアの笑顔を受けて、父は穏やかな笑みを浮かべた。
 フィディアは、今年十八歳。
 来週、同じく成人を迎えた令嬢たちが城に集まり、社交界デビューを祝う舞踏会が開かれる。
 そのために、フィディアは新品のドレスを作ってもらった。
 濃緑の光沢がある生地きじが流れるようなラインを作り、腰のあたりからチュールを重ね、ふんわりと広がるようになっている。白いレースが広く開いたデコルテを上品に飾って、女性らしさを強調する。
 ドレスなんて数着しか持っていないけれど、それらと比べても段違いで一番美しいドレスだ。これを着て城で踊るのだと思うと、胸がどきどきと高鳴り落ち着かなくなってしまう。

「ああ、どうしよう。待ち遠しいのに、もう来週なのだと思うと不安にもなってしまうわ」

 フィディアは、そう言いながら、胸を押さえてドレスを見上げている。
 その娘の様子に、父はほうっと安堵あんどの息を吐いた。
 カランストン男爵家は、貧乏びんぼうだ。
 広い広いロマンヌ王国の中の、どちらかといえば王都に近い小さな小さなカランストン男爵領。
 その小さな領地で、農民とほぼ同じ生活をしている。
 平民であれば必要のなかった出費があるせいで、少し裕福な平民よりも、さらに貧乏びんぼうかもしれない。そこらの庶民並みの生活費で、無駄な屋敷を維持し、時には華やかな衣装を着なければならないので、生活はいつも苦しい。
 それでも、娘のデビューには『綺麗な服を着せてあげたい』と、男爵夫妻が準備した、とっておきの一着だった。
 フィディアは無邪気に喜んでいるが、品質はそれほどいいものではない。高級品を見慣れた貴族ならば、近づかなくても、質のおとった布であると分かってしまうだろう。宝石だって、一つも縫い付けられていないし、アクセサリー類も買ってはもらえない。
 それを、フィディアは分かっていた。
 両親が自分のデビューのために倹約を重ねて、お金を準備してくれたことを。
 彼らが、思ったようなドレスを仕立てられなかったと罪悪感を抱いていることも、もっと宝石を買ってあげられたらと考えていることも全部分かっていた。
 何より、その気持ちが嬉しい。
 両親からの想いが詰まったドレス。これ以上に素敵なものがあるだろうか。

「お父様、お母様。ありがとう」

 フィディアはもう一度、両親の顔を見ながらお礼を言った。
 同じように、自分たちの気持ちを分かってくれている娘の嬉しそうな表情を見ながら、両親もうれいを捨てて微笑んだ。


 舞踏会当日。フィディアは父にエスコートしてもらう。
 母は、体調不良のために欠席だ。……本当は、自分の着るドレスのお金を、全てフィディアのドレスにかけてしまったせいだと知っている。
 朝から慌ただしく髪も肌も磨いて、今日ばかりはフィディアの仕事はお休みだ。その代わり、カランストン家の数少ない使用人であるソニアが忙しくしているのを横目で見ながら、申しわけなく思う。
 フィディアが気にしているのを感じ取ったソニアが、満面の笑みを浮かべる。

「そんな顔しなくていいんですよ! 今日はめいっぱいオシャレしてくださいな!」

 最近、さらに丸くなってきた体を揺らしながら、ソニアは洗濯物を抱えて言った。彼女はフィディアが小さな時から勤めてくれており、二人目の母のような存在だ。
 ソニアが言ってくれたように、フィディアは鏡に集中することにした。
 濃緑のドレスを着て、鏡の前に立つ。そこに映るのは、どこにでもいる町娘。取り立てて美しいわけでも秀でた能力があるわけでもない平凡な、貴族には見えない令嬢だ。
 フィディアの髪は薄い茶色だ。光に透かせば、金色に見えないこともない中途半端な色。母の強い希望で長く伸ばしているけれど、ふわふわして、絡まりやすくて、作業には邪魔でしかない。瞳も、髪と同じ茶色。特に珍しくもない。
 だけど、その娘は今、朝から磨き上げられて美しく変身するのだ。

「さあ、仕上げよ」

 フィディアの髪や化粧は母がしてくれた。ふわふわしてまとまりにくい髪の毛を、器用に結い上げて、一部を後ろに垂らす。薄い茶色の髪が顔の周りで柔らかく揺れて、フィディアの小さな顔を強調する。
 まだ幼さが残る丸い顔に、丸い目に丸い鼻。それが、母の手にかかると、少しだけ大人びた顔つきに変わる。
 いつもと違う自分に、フィディアは頬を染めて鏡の中の自分と見つめ合った。
 フィディアを美しく着飾らせて、母はにっこりと微笑む。

「とても綺麗よ。今日、あなたには求婚相手が連なってしまうでしょうね」
「ふふ。そうなったら、お父様がイライラして倒れてしまわれるかもしれないわ」

 母の言葉に返しながら、フィディアは自分に求婚する男性はいないだろうと思っていた。
 狭い領地で平民と肩を並べて農作業をし、同じだけの賃金を受け取る。それが父の領地の治め方だった。
 今は、フィディアのデビューのために王都に出てきているが、普段は田舎いなかの農民と変わりない。
 王都から馬車で二日ほどの、遠くも近くもない、小さな領地だ。
 川が流れ、豊かな自然があると言えば聞こえはいいが、ほとんどが農地の田舎いなかである。収入も少ないし、今後増える見込みもない。
 商人の通り道にはなるけれど、立ち止まるような宿がある場所でもない。
 本当にただただ、農作地が広がっているだけ。
 今後、領地経営は立ち行かなくなり、近隣の領地に吸収されることがうかがえる。
 カランストン男爵家は、それでも構わなかった。
 唯一求めることは、領民に今まで通りの生活を。
 それができれば、爵位なんて必要がない。今まで通りに臣下として王に従い、今後は領民として生活するだけのこと。
 そう言ってはばからない、貧しいカランストン男爵家の一人娘を、貴族たちが望むとは思えなかった。とつぐとしても、持参金も多くは準備できない。
 フィディアは、結婚相手は貴族ではないだろうと考えている。領民の、できれば少しだけお金持ちで、屋敷を維持できる方だったらいいなと思うくらいだ。
 だけど、両親が娘をデビューさせたいと望んでくれるのなら、一生に一度くらい綺麗なドレスを着て舞踏会に出てみたい。
 ――小さな夢を抱いている。
 舞踏会に出て、素敵な方と一度だけでいい。ダンスを踊るのだ。
 貴族令嬢としての教育は、母からしてもらっている。それを、少しだけ実践じっせんしてみたい。
 脳裏に思い描くのは、公爵閣下――ジェミール・アンドロスタイン。二十五歳という若さで将軍位を与えられ、公爵位を継いでいる。
 オオカミの獣人である彼は、王国軍をひきいる将軍でもある。
 何年も平和が続いているので、軍が直接動いているのをフィディアは十歳の時に一度だけしか見たことがない。
 彼は、当時十七歳という若さで軍を編成し、前線に立ったのだという。圧倒的な強さで、反逆をくわだて城に攻め入った王弟を退けた。
 そして、内乱におちいりそうだったこの国を、あっという間に治めたのだ。
 王都で内乱が起こったというのに、カランストン男爵領には、戦火は全く及ばなかった。仮にも王弟が準備をして、簒奪さんだつくわだてたのだ。どれだけの大きな被害になるかと懸念した途端、内乱はしずめられた。
 王弟の準備した軍は、ジェミールひきいる王国軍に全く歯が立たなかった。
 オオカミの特性なのか、彼の統率力は他の追随ついずいを許さない。今日の平和も、彼がいるからだ。
 ただ、内乱が終わっても、情勢不安はすぐには治まらない。
 だからこそ、末端ではあるが、貴族として改めて王に忠誠を誓うために、フィディアたちは王都におもむいた。
 そこで、兵士をひきいる彼を遠目に見たのだ。
 ジェミールは光り輝く銀色の髪に、黒い瞳をした美丈夫びじょうふだ――と聞いている。
 実は、遠かったせいで、銀色の髪しか見えていない。
 フィディアが知ることができるのは、ジェミールの噂話ばかり。
 背が高く、たくましく、オオカミの耳と尻尾を持つ。いつも厳しい表情をしており、その視線は全てを見透かすよう。どんな美女から言い寄られても笑みさえ浮かべない。彼が微笑むのはどんな時なのか――
 女性が聞く噂話なんて、こんなものだ。だけど、年頃の少女に夢を見せるには充分な内容だった。
 ジェミールは獣人だ。獣人はつがいを求める。つがいだと彼に認知されれば、身分も関係なく、彼は膝をついて、つがいの愛を求めるだろう。
 自分がつがいとして求められたら――なんて、夢を見るのだ。
 この世界における獣人の数は、人間に比べて圧倒的に少ない。
 ただ、彼らは例外なく優秀で、国の中枢ちゅうすうを担う役職を任されることが多い。つまり、田舎いなか貧乏びんぼうな男爵令嬢であるフィディアには、縁のない場所で生きている。
 そもそもつがいというのも、現実的なことなのかどうかすら分からない。世界に一人だけしかいないとしたら、会えないまま一生結婚できないかもしれないではないか。
 獣人がつがいを捜して旅をするなんていうのも、物語の中でしか聞いたことはない。
 実際に高い身分にいる獣人たちは、中央で仕事をしていて、ジェミールだって田舎いなかの方まで来てくれることなんてなかった。つがいを捜し歩いている様子なんてない。
 だから、つがいなんていうのは空想の産物。そんなことは暗黙の了解だ。
 ――だからこそ、夢を見るのだ。
 自分がジェミールに愛をわれている姿を。
 美しいお城で、ジェミールがひざまずき、うっとりとこちらを見上げる。誰も見たことがない微笑みを向けて、フィディア一人だけに愛をささやくのだ。あなた以外見えないと――
 現実に、自分が唯一無二の存在になれるだなんて考えてはいない。いないけれど、夢を見るくらいは許してほしい。貧乏びんぼうで、領内を駆けずり回っているフィディアだって、年頃の女の子だ。
 一度だけでいい。お会いしてみたい。
 今日を逃せば、きっと、一生そんな機会はないだろう。
 この舞踏会が、彼を間近で見ることができる唯一のチャンスなのだ。


 まだ早いのでは? と思いつつ、父から急かされて夕方に出発した。
 結果、城までの道はすごい渋滞だった。早く出てきて正解だ。時間に余裕があるのは嬉しい。
 美しく飾った馬車が列をなし、中からチラチラと美しい扇子せんすが見え隠れする。きっと、中にいる女性たちは、さらに美しい装いなのだろう。
 警備の制服をピシリと着込んだ人たちが、次から次へと馬車をさばいていくのだが、中には何かを訴える人もいるようで、列は遅々ちちとして進まない。

「すごい人ね」
「毎年のことだからね。まあ、どうせ抜かされることもあるから、のんびり待とう」

 父は馬車など持っていない。だから、馬車を借りて、男爵家の紋章を間に合わせにつけて向かう。徒歩で行った方が早いが、貴族が徒歩で城に行くなどあってはならないことらしい。
 そんな貧相な馬車なので、あからさまに端に寄せられて抜かされていく。
 みんな、できるだけ早く会場に入りたいのだ。
 この調子では、この馬車は最後尾になりそうだと、フィディアは力を抜いて背もたれに寄りかかった。


 ようやく馬車が城に到着し、門を入ったすぐのところで止められ、降りるように促される。本当に最後になってしまったようだ。
 すでに夕闇が過ぎ、月が出そうになっている時間帯だというのに、城内は煌々こうこうと明かりで照らされ昼のように明るい。
 松明たいまつの炎が反射して、広い石畳に埋め込まれたいくつかの石がキラキラ光っている。両脇には美しく整えられた低木が並び、その先には色彩と音楽が溢れる舞踏会の会場がある。
 フィディアたちは遅くなってしまったと思っていたが、周りはまだ会場に入っていない人たちで溢れている。
 どうやら、着いた途端、慌てて会場に向かうのはよろしくないようだ。余裕があるように見せて、ゆったりと歩かなければならないらしい。

「用事がないなら、会場にすぐ入ってはどうかしら」
「それが、高位の方から入るというのが暗黙の了解でね」

 なんと、面倒くさい。
 馬車で渋滞に巻き込まれ、馬車を降りてからも無駄にこの辺を彷徨さまようのか。
 面倒だと表情に表す娘に苦笑を向けながら、父は肩をすくめてみせる。

「それぞれのルールを守れば、居心地がよくなるんだよ。だったら、ルールは守った方がいいだろう?」

 長い石畳をゆったりと歩きながら父が言う。
 今でこそ、礼服に丸い体を包み、恰幅かっぷくのいい貴族に見えるものの、普段はのんびりした田舎いなかのおじさんだ。領内では農作業に勤しんでいるが、こうして、その場にふさわしい立ち居振る舞いを自然に教えてくれる父を、フィディアは尊敬している。
 まだ会場には入れないようなので、フィディアは諦めて、ぐるりと周囲を見渡す。
 会場へと続く階段はたくさんの花が飾られ、華やかに彩られている。
 そこをゆっくりと歩いていく貴婦人たちは、どれほど眺めても飽きないような気がする。
 まあ、これはこれで、美しいものをでている有用な時間という気もしてきた。
 しばらくすると、人もまばらになってきた。そろそろ会場に向かってもいいだろうかと思っているところで、声をかけられた。

「失礼します」

 会場を警備している衛兵に呼び止められた。
 フィディアと父が振り向くと、フィディアと同じ年くらいに見える衛兵が頭を下げていた。

「申しわけありません。こちらへお願いします」

 会場とは逆の方向へ案内する彼を、父はいぶかしげに見る。

「何かあるのですか? 先に会場入りしたいのですが」

 フィディアたちが会場入りできるようになったのだから、間もなく舞踏会が始まってしまうだろう。デビューする令嬢たちに向けて、王から言葉があるので、それを聞き逃してしまえば、遅刻と受け止められてしまう。
 父が衛兵に尋ねると、衛兵は戸惑った様子で答える。

「いえ、会場入りする前にということですので、申しわけありませんが」
「遅刻をしても大丈夫ということでしょうか?」
「いや……その、こちらへご案内するようにと命令を受けまして」

 案内をしている彼自身もいまひとつよく分かっていないようで、要領を得ない返事が続く。
 困ったように眉を下げているが、それでも命令が出ているため、彼も引けないのだ。

「どなたからです?」

 フィディアたちを呼び止める人物に心当たりがない。知り合いならば、むしろ会場内で落ち合いたいだろう。父が尋ねた言葉に、案内している衛兵ですら首を傾げる。

「私には……分かりかねます」

 彼自身も不思議に思っているのだろう。
 何故、会場以外の場所に参加者を……それも、デビュタントである令嬢を連れていかなければならないのか分かっていないようだ。
 首を傾げながらも、父は衛兵についていくことにしたらしい。フィディアを視線だけで促す。
 会場入りが遅れてしまっても、この場にいたことは確かなのだ。この衛兵がそれを証言してくれるだろう。
 衛兵の後に続いて、舞踏会場の横を通り過ぎ、城の内部に入る。それから、さらに少し進んだのち、部屋に案内された。
 中には、ソファーと小さなテーブルが置いてあり、茶器なども準備されている。
 カランストン男爵領にある屋敷の応接間に比べれば充分に豪華な部屋だが、城の他の部屋を知らないフィディアには、ここがどういう部類の部屋なのかも分からない。
 多分、会場のすぐそばであることから、舞踏会で疲れた方たちが休憩に使う部屋だろうと思う。

「ここで、どうするのです?」

 父が衛兵を振り返ると、彼も困った様子でキョロキョロしている。

「ええっ……と、誰もいませんね。ここにエスコート役がいるので待つようにとのことだったのですが」
「エスコート?」

 ここまで黙ってついて来ていたフィディアは驚いて声をあげた。

「エスコートは、私の、でしょうか? 私は、今日がデビューですので、父にエスコートしてもらいます」

 デビューのエスコートは、婚約者か親族が務めるのが慣例だ。もしも恋人がいても、婚約者でなかったら父親が務める。
 フィディアには婚約者がいないので、当然、父がエスコート役だ。

「ああ……そうですよね……。申しわけありません。確認してまいります」

 これで本当にいいのか不安になってしまったのだろう。フィディアにぺこぺこと頭を下げて、彼は逃げるように部屋から出て行く。なんとも頼りない背中だ。
 衛兵が出て行ってしまった部屋で、フィディアと父は顔を見合わせる。

「どういうことだ?」

 こんな部屋に放置されて、どうしろというのだ。
 とりあえず、座らせてもらおうかとソファーを振り返った途端、扉の外から大声が聞こえてきた。

「エスコート? そんなもんは、上の誤魔化しだよ」

 その声の持ち主は、ここまで自分の声が届いていることに気が付いていないのだろう。こちらに近づきながらも、無遠慮にしゃべり続けている。

「お前は、本当に何も分かっていないな! さっきの最後に入ってきた貧相なやつらだろう?」

 こんな場所で、こんなに大きな声で参加者を罵倒ばとうするとは、この声の主は正気だろうか。
 廊下から響いてくる声に、フィディアは震える。父がそっと寄ってきて、肩を抱いてくれた。

「王主催の舞踏会にふさわしくない格好だから、この部屋でもう少し見栄えがする格好に着替えてもらおうということだ。本当に、ドレスさえ準備できないのなら、辞退すべきだったと思うね」

 ひどくおとしめる言葉に、血の気が引く。
 フィディアは思わず、自分の格好を見下ろした。城内に降り立った時、自分を見た誰かが、この部屋に連れて行くよう指示したのだろう。

「エスコートという名目で、ドレスでも差し上げるのだろうよ。お優しいことで。私は、あんなみすぼらしい格好で城を訪問するなんて、不敬を理由に追い返してもいいと思っているがね」

 美しいドレスだ。みすぼらしくなんてない。
 卑屈ひくつになってはならない。あんな言葉に、自分を恥じたりしない。
 己を叱咤しったして、フィディアは顔を上げ続ける。
 ふと、声が止んで扉が開く。
 先ほど、走り出て行った衛兵と共に戻ってきたのは、小太りの男だった。年は、父と同じくらいだ。よくこんな体型で衛兵が務まるものだと、仕返しのように心の中で毒づいた。
 暴言の主は、先ほどの言葉が嘘のように微笑みながら入室してきた。
 ノックさえなかったことに、フィディアは憤りを通り越し、呆れてしまう。
 このマナーを知らない男は、本当に城勤めなのか。

「こちらでお待ちくださいという命令が出ましてね……」

 男が挨拶もなく話し始めたのを遮って、父は静かに言った。

「おいとまさせていただきます」
「え? ここでお待ちいただければ、すぐに会場に入れるように整えますよ? まあ、お召し替えをお願いするかと思いますが」

 男の言葉は丁寧だが、明らかにこちらを下に見てあざけっている。

「必要ありません」

 父は無表情を保ちながら、今度は強く遮った。

「こんなはずかしめを受けてまで、参加したくはない」

 フィディアの肩を抱く父の手にぐっと力が入った。自分の肩が震えていることに気が付かれてしまったのかもしれない。
 国王から招待された舞踏会に、参加したくないと言ったのだ。不敬だとののしられても文句は言えない。
 しかし、フィディアは父をいさめることはできなかった。自分も、同じ気持ちだったからだ。

「ああ、そうですか。まあ、参加……できないでしょうね」

 男は口元に嫌な笑みを浮かべ、二人の頭の天辺から足の爪先まで、わざとゆっくりと視線を滑らせる。直接的な言葉はないが、男の態度で、フィディアたちはさらにおとしめられた。
 男はふんとあざけるように鼻で笑い、部屋のドアを開ける。
 ドアの傍には、ここまで案内してくれた衛兵が立っていた。
 彼は真っ青な顔で、一生懸命首を横に振っていた。男が言ったことを、少しは否定してくれているのだろうか。
 彼もきっと、上司を連れてきて、まさかこんなふうになるとは思っていなかったのだろう。
 フィディアは小さく微笑んで、衛兵にお辞儀をした。
 彼は驚いて固まってから、大きく頭を下げた。


 帰りの馬車の中で、父はフィディアに謝った。

「不甲斐ない父で、すまない」
「いいえ。悪いのはあちらですもの。ドレスの値段で追い出すなんて」

 ドレスを準備したことを、両親に後悔してほしくなかった。フィディアは嬉しかったし、最高に綺麗だと思ったのだ。
 ただ、舞踏会には受け入れてもらえなかっただけ。
 公爵様にお会いできなかったのは……心残りだけれど。
 馬車の中からキラキラと光る城が見える。ここからでは、小さな点が動いているようにしか見えないが、色とりどりでとても美しい。フィディアは目を閉じて――諦めて、微笑んだ。


   ◇


 ジェミール・アンドロスタインは、その流麗な眉をひそめて、隣に立つ副官にささやいた。

「おい。後は頼む」
「は? ちょっと、いきなりなんですか。ダメですよ」

 副官――クインは、言い捨てて立ち去ろうとするジェミールのすそを慌てて掴む。
 華やかに着飾った女性に囲まれるのが嫌いなジェミールだが、デビューのために開かれる舞踏会だけは、毎年最後までおとなしく会場で立っている。
 それなのに、今年は逃げる気なのかと、クインは慌てて引き留める。
 呆れた様子でジェミールをさとそうとするクインを制し、彼は遠い場所を見つめながら言う。

つがいを見つけた」

 クインは、一瞬、意味が分からないというように首を傾げてから、目を見開いた。

つがい……!? 本当ですか!」

 獣人はつがいを求める。
 都市の発展と共に人が増え、住む場所が広がっていく中で、つがいに出会える獣人はほとんどいなくなっていった。
 それでも、つがいではない相手と結婚する例もある。しかし、半数はつがいを諦めきれず結婚をしない。つがいを求めるのは本能に刻まれており、それを捨てられるような進化をげられなかった。
 だから、獣人はどんどんと数を減らしてしまっている。
 つがいを得た獣人は、相手が人間であっても子だくさんになるし、その子供たちは、獣人の血を優先的に受け継ぐ。さらに、子や配偶者を支えようと、獣人の能力が大幅に上がる。
 反面、出会えなければ、ただ一人で生を終えるだけなのだ。
 見つかるかどうか分からないつがいを探して、一生旅を続けられる獣人はわずかだ。
 ジェミールも、半分諦めていた。
 アンドロスタイン公爵家は代々将軍を務め、国王を支えてきた。
 そんなジェミールがつがいを得る旅に出ることなどできるはずもない。
 つがいでなくても子をなせないわけではないが、ジェミールはつがい以外を迎える気はなかった。
 アンドロスタイン家は、幸いにも歴代、つがいを得ている当主が多い。ジェミールの両親もそうだから、兄弟は多い。
 だから、ジェミール自身に子ができなくても、後継の問題はないのだ。
 このまま将軍として仕え、老いた後は弟の子に家督かとくゆずり、山の中に引きこもって静かに暮らすのだろうと漠然と考えていた。
 それが、たった今、くつがえった。
 ジェミールは、会場から真っ直ぐに門へと伸びる石畳へ視線を向ける。
 先ほど、今日の最後になる馬車が停まった瞬間から、ジェミールは心がざわざわしていることに気が付いた。


しおりを挟む
一旦、これで終わりです!舞踏会の様子とか書こうかなと思ったんですが、ストックがなくなって、時間がかかりそうなので、完結にしました。読んでいただいてありがとうございました。
感想 61

あなたにおすすめの小説

リス獣人のお医者さまは番の子どもの父になりたい!

能登原あめ
恋愛
* R15はほんのり、ラブコメです。 「先生、私赤ちゃんができたみたいなんです!」  診察室に入ってきた小柄な人間の女の子リーズはとてもいい匂いがした。  せっかく番が見つかったのにリス獣人のジャノは残念でたまらない。 「診察室にお相手を呼んでも大丈夫ですよ」 「相手? いません! つまり、神様が私に赤ちゃんを授けてくださったんです」 * 全4話+おまけ小話未定。  * 本編にRシーンはほぼありませんが、小話追加する際はレーディングが変わる可能性があります。 * 表紙はCanvaさまで作成した画像を使用しております。

急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。

石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。 雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。 一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。 ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。 その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。 愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。

離婚した彼女は死ぬことにした

まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。 ----------------- 事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。 ----------------- とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。 まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。 書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。 作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果

てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。 とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。 「とりあえずブラッシングさせてくれません?」 毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。 そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。 ※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

オネエなエリート研究者がしつこすぎて困ってます!

まるい丸
恋愛
 獣人と人の割合が6対4という世界で暮らしているマリは25歳になり早く結婚せねばと焦っていた。しかし婚活は20連敗中。そんな連敗続きの彼女に1年前から猛アプローチしてくる国立研究所に勤めるエリート研究者がいた。けれどその人は癖アリで…… 「マリちゃんあたしがお嫁さんにしてあ・げ・る♡」 「早く結婚したいけどあなたとは嫌です!!」 「照れてないで素直になりなさい♡」  果たして彼女の婚活は成功するのか ※全5話完結 ※ムーンライトノベルズでも同タイトルで掲載しています、興味がありましたらそちらもご覧いただけると嬉しいです!

『えっ! 私が貴方の番?! そんなの無理ですっ! 私、動物アレルギーなんですっ!』

伊織愁
恋愛
 人族であるリジィーは、幼い頃、狼獣人の国であるシェラン国へ両親に連れられて来た。 家が没落したため、リジィーを育てられなくなった両親は、泣いてすがるリジィーを修道院へ預ける事にしたのだ。  実は動物アレルギーのあるリジィ―には、シェラン国で暮らす事が日に日に辛くなって来ていた。 子供だった頃とは違い、成人すれば自由に国を出ていける。 15になり成人を迎える年、リジィーはシェラン国から出ていく事を決心する。 しかし、シェラン国から出ていく矢先に事件に巻き込まれ、シェラン国の近衛騎士に助けられる。  二人が出会った瞬間、頭上から光の粒が降り注ぎ、番の刻印が刻まれた。 狼獣人の近衛騎士に『私の番っ』と熱い眼差しを受け、リジィ―は内心で叫んだ。 『私、動物アレルギーなんですけどっ! そんなのありーっ?!』

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。