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1巻
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しおりを挟むロマンヌ王国は、もうすぐ社交シーズンを迎える。
各地の領主が王都に集まり、社交シーズンのためのドレスを買い求める。
フィディア・カランストン男爵令嬢のもとに届けられたドレスも、その中の一着だ。
フィディアは、仕上がったドレスを見て、目を輝かせた。
「なんて素敵なの……! お父様、ありがとうございます!」
「喜んでくれてよかった」
フィディアの笑顔を受けて、父は穏やかな笑みを浮かべた。
フィディアは、今年十八歳。
来週、同じく成人を迎えた令嬢たちが城に集まり、社交界デビューを祝う舞踏会が開かれる。
そのために、フィディアは新品のドレスを作ってもらった。
濃緑の光沢がある生地が流れるようなラインを作り、腰のあたりからチュールを重ね、ふんわりと広がるようになっている。白いレースが広く開いたデコルテを上品に飾って、女性らしさを強調する。
ドレスなんて数着しか持っていないけれど、それらと比べても段違いで一番美しいドレスだ。これを着て城で踊るのだと思うと、胸がどきどきと高鳴り落ち着かなくなってしまう。
「ああ、どうしよう。待ち遠しいのに、もう来週なのだと思うと不安にもなってしまうわ」
フィディアは、そう言いながら、胸を押さえてドレスを見上げている。
その娘の様子に、父はほうっと安堵の息を吐いた。
カランストン男爵家は、貧乏だ。
広い広いロマンヌ王国の中の、どちらかといえば王都に近い小さな小さなカランストン男爵領。
その小さな領地で、農民とほぼ同じ生活をしている。
平民であれば必要のなかった出費があるせいで、少し裕福な平民よりも、さらに貧乏かもしれない。そこらの庶民並みの生活費で、無駄な屋敷を維持し、時には華やかな衣装を着なければならないので、生活はいつも苦しい。
それでも、娘のデビューには『綺麗な服を着せてあげたい』と、男爵夫妻が準備した、とっておきの一着だった。
フィディアは無邪気に喜んでいるが、品質はそれほどいいものではない。高級品を見慣れた貴族ならば、近づかなくても、質の劣った布であると分かってしまうだろう。宝石だって、一つも縫い付けられていないし、アクセサリー類も買ってはもらえない。
それを、フィディアは分かっていた。
両親が自分のデビューのために倹約を重ねて、お金を準備してくれたことを。
彼らが、思ったようなドレスを仕立てられなかったと罪悪感を抱いていることも、もっと宝石を買ってあげられたらと考えていることも全部分かっていた。
何より、その気持ちが嬉しい。
両親からの想いが詰まったドレス。これ以上に素敵なものがあるだろうか。
「お父様、お母様。ありがとう」
フィディアはもう一度、両親の顔を見ながらお礼を言った。
同じように、自分たちの気持ちを分かってくれている娘の嬉しそうな表情を見ながら、両親も憂いを捨てて微笑んだ。
舞踏会当日。フィディアは父にエスコートしてもらう。
母は、体調不良のために欠席だ。……本当は、自分の着るドレスのお金を、全てフィディアのドレスにかけてしまったせいだと知っている。
朝から慌ただしく髪も肌も磨いて、今日ばかりはフィディアの仕事はお休みだ。その代わり、カランストン家の数少ない使用人であるソニアが忙しくしているのを横目で見ながら、申しわけなく思う。
フィディアが気にしているのを感じ取ったソニアが、満面の笑みを浮かべる。
「そんな顔しなくていいんですよ! 今日はめいっぱいオシャレしてくださいな!」
最近、さらに丸くなってきた体を揺らしながら、ソニアは洗濯物を抱えて言った。彼女はフィディアが小さな時から勤めてくれており、二人目の母のような存在だ。
ソニアが言ってくれたように、フィディアは鏡に集中することにした。
濃緑のドレスを着て、鏡の前に立つ。そこに映るのは、どこにでもいる町娘。取り立てて美しいわけでも秀でた能力があるわけでもない平凡な、貴族には見えない令嬢だ。
フィディアの髪は薄い茶色だ。光に透かせば、金色に見えないこともない中途半端な色。母の強い希望で長く伸ばしているけれど、ふわふわして、絡まりやすくて、作業には邪魔でしかない。瞳も、髪と同じ茶色。特に珍しくもない。
だけど、その娘は今、朝から磨き上げられて美しく変身するのだ。
「さあ、仕上げよ」
フィディアの髪や化粧は母がしてくれた。ふわふわして纏まりにくい髪の毛を、器用に結い上げて、一部を後ろに垂らす。薄い茶色の髪が顔の周りで柔らかく揺れて、フィディアの小さな顔を強調する。
まだ幼さが残る丸い顔に、丸い目に丸い鼻。それが、母の手にかかると、少しだけ大人びた顔つきに変わる。
いつもと違う自分に、フィディアは頬を染めて鏡の中の自分と見つめ合った。
フィディアを美しく着飾らせて、母はにっこりと微笑む。
「とても綺麗よ。今日、あなたには求婚相手が連なってしまうでしょうね」
「ふふ。そうなったら、お父様がイライラして倒れてしまわれるかもしれないわ」
母の言葉に返しながら、フィディアは自分に求婚する男性はいないだろうと思っていた。
狭い領地で平民と肩を並べて農作業をし、同じだけの賃金を受け取る。それが父の領地の治め方だった。
今は、フィディアのデビューのために王都に出てきているが、普段は田舎の農民と変わりない。
王都から馬車で二日ほどの、遠くも近くもない、小さな領地だ。
川が流れ、豊かな自然があると言えば聞こえはいいが、ほとんどが農地の田舎である。収入も少ないし、今後増える見込みもない。
商人の通り道にはなるけれど、立ち止まるような宿がある場所でもない。
本当にただただ、農作地が広がっているだけ。
今後、領地経営は立ち行かなくなり、近隣の領地に吸収されることが窺える。
カランストン男爵家は、それでも構わなかった。
唯一求めることは、領民に今まで通りの生活を。
それができれば、爵位なんて必要がない。今まで通りに臣下として王に従い、今後は領民として生活するだけのこと。
そう言ってはばからない、貧しいカランストン男爵家の一人娘を、貴族たちが望むとは思えなかった。嫁ぐとしても、持参金も多くは準備できない。
フィディアは、結婚相手は貴族ではないだろうと考えている。領民の、できれば少しだけお金持ちで、屋敷を維持できる方だったらいいなと思うくらいだ。
だけど、両親が娘をデビューさせたいと望んでくれるのなら、一生に一度くらい綺麗なドレスを着て舞踏会に出てみたい。
――小さな夢を抱いている。
舞踏会に出て、素敵な方と一度だけでいい。ダンスを踊るのだ。
貴族令嬢としての教育は、母からしてもらっている。それを、少しだけ実践してみたい。
脳裏に思い描くのは、公爵閣下――ジェミール・アンドロスタイン。二十五歳という若さで将軍位を与えられ、公爵位を継いでいる。
オオカミの獣人である彼は、王国軍を率いる将軍でもある。
何年も平和が続いているので、軍が直接動いているのをフィディアは十歳の時に一度だけしか見たことがない。
彼は、当時十七歳という若さで軍を編成し、前線に立ったのだという。圧倒的な強さで、反逆を企て城に攻め入った王弟を退けた。
そして、内乱に陥りそうだったこの国を、あっという間に治めたのだ。
王都で内乱が起こったというのに、カランストン男爵領には、戦火は全く及ばなかった。仮にも王弟が準備をして、簒奪を企てたのだ。どれだけの大きな被害になるかと懸念した途端、内乱は鎮められた。
王弟の準備した軍は、ジェミール率いる王国軍に全く歯が立たなかった。
オオカミの特性なのか、彼の統率力は他の追随を許さない。今日の平和も、彼がいるからだ。
ただ、内乱が終わっても、情勢不安はすぐには治まらない。
だからこそ、末端ではあるが、貴族として改めて王に忠誠を誓うために、フィディアたちは王都に赴いた。
そこで、兵士を率いる彼を遠目に見たのだ。
ジェミールは光り輝く銀色の髪に、黒い瞳をした美丈夫だ――と聞いている。
実は、遠かったせいで、銀色の髪しか見えていない。
フィディアが知ることができるのは、ジェミールの噂話ばかり。
背が高く、逞しく、オオカミの耳と尻尾を持つ。いつも厳しい表情をしており、その視線は全てを見透かすよう。どんな美女から言い寄られても笑みさえ浮かべない。彼が微笑むのはどんな時なのか――
女性が聞く噂話なんて、こんなものだ。だけど、年頃の少女に夢を見せるには充分な内容だった。
ジェミールは獣人だ。獣人は番を求める。番だと彼に認知されれば、身分も関係なく、彼は膝をついて、番の愛を求めるだろう。
自分が番として求められたら――なんて、夢を見るのだ。
この世界における獣人の数は、人間に比べて圧倒的に少ない。
ただ、彼らは例外なく優秀で、国の中枢を担う役職を任されることが多い。つまり、田舎の貧乏な男爵令嬢であるフィディアには、縁のない場所で生きている。
そもそも番というのも、現実的なことなのかどうかすら分からない。世界に一人だけしかいないとしたら、会えないまま一生結婚できないかもしれないではないか。
獣人が番を捜して旅をするなんていうのも、物語の中でしか聞いたことはない。
実際に高い身分にいる獣人たちは、中央で仕事をしていて、ジェミールだって田舎の方まで来てくれることなんてなかった。番を捜し歩いている様子なんてない。
だから、番なんていうのは空想の産物。そんなことは暗黙の了解だ。
――だからこそ、夢を見るのだ。
自分がジェミールに愛を乞われている姿を。
美しいお城で、ジェミールが跪き、うっとりとこちらを見上げる。誰も見たことがない微笑みを向けて、フィディア一人だけに愛を囁くのだ。あなた以外見えないと――
現実に、自分が唯一無二の存在になれるだなんて考えてはいない。いないけれど、夢を見るくらいは許してほしい。貧乏で、領内を駆けずり回っているフィディアだって、年頃の女の子だ。
一度だけでいい。お会いしてみたい。
今日を逃せば、きっと、一生そんな機会はないだろう。
この舞踏会が、彼を間近で見ることができる唯一のチャンスなのだ。
まだ早いのでは? と思いつつ、父から急かされて夕方に出発した。
結果、城までの道はすごい渋滞だった。早く出てきて正解だ。時間に余裕があるのは嬉しい。
美しく飾った馬車が列をなし、中からチラチラと美しい扇子が見え隠れする。きっと、中にいる女性たちは、さらに美しい装いなのだろう。
警備の制服をピシリと着込んだ人たちが、次から次へと馬車をさばいていくのだが、中には何かを訴える人もいるようで、列は遅々として進まない。
「すごい人ね」
「毎年のことだからね。まあ、どうせ抜かされることもあるから、のんびり待とう」
父は馬車など持っていない。だから、馬車を借りて、男爵家の紋章を間に合わせにつけて向かう。徒歩で行った方が早いが、貴族が徒歩で城に行くなどあってはならないことらしい。
そんな貧相な馬車なので、あからさまに端に寄せられて抜かされていく。
みんな、できるだけ早く会場に入りたいのだ。
この調子では、この馬車は最後尾になりそうだと、フィディアは力を抜いて背もたれに寄りかかった。
ようやく馬車が城に到着し、門を入ったすぐのところで止められ、降りるように促される。本当に最後になってしまったようだ。
すでに夕闇が過ぎ、月が出そうになっている時間帯だというのに、城内は煌々と明かりで照らされ昼のように明るい。
松明の炎が反射して、広い石畳に埋め込まれたいくつかの石がキラキラ光っている。両脇には美しく整えられた低木が並び、その先には色彩と音楽が溢れる舞踏会の会場がある。
フィディアたちは遅くなってしまったと思っていたが、周りはまだ会場に入っていない人たちで溢れている。
どうやら、着いた途端、慌てて会場に向かうのはよろしくないようだ。余裕があるように見せて、ゆったりと歩かなければならないらしい。
「用事がないなら、会場にすぐ入ってはどうかしら」
「それが、高位の方から入るというのが暗黙の了解でね」
なんと、面倒くさい。
馬車で渋滞に巻き込まれ、馬車を降りてからも無駄にこの辺を彷徨うのか。
面倒だと表情に表す娘に苦笑を向けながら、父は肩をすくめてみせる。
「それぞれのルールを守れば、居心地がよくなるんだよ。だったら、ルールは守った方がいいだろう?」
長い石畳をゆったりと歩きながら父が言う。
今でこそ、礼服に丸い体を包み、恰幅のいい貴族に見えるものの、普段はのんびりした田舎のおじさんだ。領内では農作業に勤しんでいるが、こうして、その場にふさわしい立ち居振る舞いを自然に教えてくれる父を、フィディアは尊敬している。
まだ会場には入れないようなので、フィディアは諦めて、ぐるりと周囲を見渡す。
会場へと続く階段はたくさんの花が飾られ、華やかに彩られている。
そこをゆっくりと歩いていく貴婦人たちは、どれほど眺めても飽きないような気がする。
まあ、これはこれで、美しいものを愛でている有用な時間という気もしてきた。
しばらくすると、人もまばらになってきた。そろそろ会場に向かってもいいだろうかと思っているところで、声をかけられた。
「失礼します」
会場を警備している衛兵に呼び止められた。
フィディアと父が振り向くと、フィディアと同じ年くらいに見える衛兵が頭を下げていた。
「申しわけありません。こちらへお願いします」
会場とは逆の方向へ案内する彼を、父は訝しげに見る。
「何かあるのですか? 先に会場入りしたいのですが」
フィディアたちが会場入りできるようになったのだから、間もなく舞踏会が始まってしまうだろう。デビューする令嬢たちに向けて、王から言葉があるので、それを聞き逃してしまえば、遅刻と受け止められてしまう。
父が衛兵に尋ねると、衛兵は戸惑った様子で答える。
「いえ、会場入りする前にということですので、申しわけありませんが」
「遅刻をしても大丈夫ということでしょうか?」
「いや……その、こちらへご案内するようにと命令を受けまして」
案内をしている彼自身もいまひとつよく分かっていないようで、要領を得ない返事が続く。
困ったように眉を下げているが、それでも命令が出ているため、彼も引けないのだ。
「どなたからです?」
フィディアたちを呼び止める人物に心当たりがない。知り合いならば、むしろ会場内で落ち合いたいだろう。父が尋ねた言葉に、案内している衛兵ですら首を傾げる。
「私には……分かりかねます」
彼自身も不思議に思っているのだろう。
何故、会場以外の場所に参加者を……それも、デビュタントである令嬢を連れていかなければならないのか分かっていないようだ。
首を傾げながらも、父は衛兵についていくことにしたらしい。フィディアを視線だけで促す。
会場入りが遅れてしまっても、この場にいたことは確かなのだ。この衛兵がそれを証言してくれるだろう。
衛兵の後に続いて、舞踏会場の横を通り過ぎ、城の内部に入る。それから、さらに少し進んだのち、部屋に案内された。
中には、ソファーと小さなテーブルが置いてあり、茶器なども準備されている。
カランストン男爵領にある屋敷の応接間に比べれば充分に豪華な部屋だが、城の他の部屋を知らないフィディアには、ここがどういう部類の部屋なのかも分からない。
多分、会場のすぐそばであることから、舞踏会で疲れた方たちが休憩に使う部屋だろうと思う。
「ここで、どうするのです?」
父が衛兵を振り返ると、彼も困った様子でキョロキョロしている。
「ええっ……と、誰もいませんね。ここにエスコート役がいるので待つようにとのことだったのですが」
「エスコート?」
ここまで黙ってついて来ていたフィディアは驚いて声をあげた。
「エスコートは、私の、でしょうか? 私は、今日がデビューですので、父にエスコートしてもらいます」
デビューのエスコートは、婚約者か親族が務めるのが慣例だ。もしも恋人がいても、婚約者でなかったら父親が務める。
フィディアには婚約者がいないので、当然、父がエスコート役だ。
「ああ……そうですよね……。申しわけありません。確認してまいります」
これで本当にいいのか不安になってしまったのだろう。フィディアにぺこぺこと頭を下げて、彼は逃げるように部屋から出て行く。なんとも頼りない背中だ。
衛兵が出て行ってしまった部屋で、フィディアと父は顔を見合わせる。
「どういうことだ?」
こんな部屋に放置されて、どうしろというのだ。
とりあえず、座らせてもらおうかとソファーを振り返った途端、扉の外から大声が聞こえてきた。
「エスコート? そんなもんは、上の誤魔化しだよ」
その声の持ち主は、ここまで自分の声が届いていることに気が付いていないのだろう。こちらに近づきながらも、無遠慮にしゃべり続けている。
「お前は、本当に何も分かっていないな! さっきの最後に入ってきた貧相なやつらだろう?」
こんな場所で、こんなに大きな声で参加者を罵倒するとは、この声の主は正気だろうか。
廊下から響いてくる声に、フィディアは震える。父がそっと寄ってきて、肩を抱いてくれた。
「王主催の舞踏会にふさわしくない格好だから、この部屋でもう少し見栄えがする格好に着替えてもらおうということだ。本当に、ドレスさえ準備できないのなら、辞退すべきだったと思うね」
ひどく貶める言葉に、血の気が引く。
フィディアは思わず、自分の格好を見下ろした。城内に降り立った時、自分を見た誰かが、この部屋に連れて行くよう指示したのだろう。
「エスコートという名目で、ドレスでも差し上げるのだろうよ。お優しいことで。私は、あんなみすぼらしい格好で城を訪問するなんて、不敬を理由に追い返してもいいと思っているがね」
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「え? ここでお待ちいただければ、すぐに会場に入れるように整えますよ? まあ、お召し替えをお願いするかと思いますが」
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フィディアの肩を抱く父の手にぐっと力が入った。自分の肩が震えていることに気が付かれてしまったのかもしれない。
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しかし、フィディアは父を諌めることはできなかった。自分も、同じ気持ちだったからだ。
「ああ、そうですか。まあ、参加……できないでしょうね」
男は口元に嫌な笑みを浮かべ、二人の頭の天辺から足の爪先まで、わざとゆっくりと視線を滑らせる。直接的な言葉はないが、男の態度で、フィディアたちはさらに貶められた。
男はふんと嘲るように鼻で笑い、部屋のドアを開ける。
ドアの傍には、ここまで案内してくれた衛兵が立っていた。
彼は真っ青な顔で、一生懸命首を横に振っていた。男が言ったことを、少しは否定してくれているのだろうか。
彼もきっと、上司を連れてきて、まさかこんなふうになるとは思っていなかったのだろう。
フィディアは小さく微笑んで、衛兵にお辞儀をした。
彼は驚いて固まってから、大きく頭を下げた。
帰りの馬車の中で、父はフィディアに謝った。
「不甲斐ない父で、すまない」
「いいえ。悪いのはあちらですもの。ドレスの値段で追い出すなんて」
ドレスを準備したことを、両親に後悔してほしくなかった。フィディアは嬉しかったし、最高に綺麗だと思ったのだ。
ただ、舞踏会には受け入れてもらえなかっただけ。
公爵様にお会いできなかったのは……心残りだけれど。
馬車の中からキラキラと光る城が見える。ここからでは、小さな点が動いているようにしか見えないが、色とりどりでとても美しい。フィディアは目を閉じて――諦めて、微笑んだ。
◇
ジェミール・アンドロスタインは、その流麗な眉を顰めて、隣に立つ副官に囁いた。
「おい。後は頼む」
「は? ちょっと、いきなりなんですか。ダメですよ」
副官――クインは、言い捨てて立ち去ろうとするジェミールの裾を慌てて掴む。
華やかに着飾った女性に囲まれるのが嫌いなジェミールだが、デビューのために開かれる舞踏会だけは、毎年最後までおとなしく会場で立っている。
それなのに、今年は逃げる気なのかと、クインは慌てて引き留める。
呆れた様子でジェミールを諭そうとするクインを制し、彼は遠い場所を見つめながら言う。
「番を見つけた」
クインは、一瞬、意味が分からないというように首を傾げてから、目を見開いた。
「番……!? 本当ですか!」
獣人は番を求める。
都市の発展と共に人が増え、住む場所が広がっていく中で、番に出会える獣人はほとんどいなくなっていった。
それでも、番ではない相手と結婚する例もある。しかし、半数は番を諦めきれず結婚をしない。番を求めるのは本能に刻まれており、それを捨てられるような進化を遂げられなかった。
だから、獣人はどんどんと数を減らしてしまっている。
番を得た獣人は、相手が人間であっても子だくさんになるし、その子供たちは、獣人の血を優先的に受け継ぐ。さらに、子や配偶者を支えようと、獣人の能力が大幅に上がる。
反面、出会えなければ、ただ一人で生を終えるだけなのだ。
見つかるかどうか分からない番を探して、一生旅を続けられる獣人はわずかだ。
ジェミールも、半分諦めていた。
アンドロスタイン公爵家は代々将軍を務め、国王を支えてきた。
そんなジェミールが番を得る旅に出ることなどできるはずもない。
番でなくても子をなせないわけではないが、ジェミールは番以外を迎える気はなかった。
アンドロスタイン家は、幸いにも歴代、番を得ている当主が多い。ジェミールの両親もそうだから、兄弟は多い。
だから、ジェミール自身に子ができなくても、後継の問題はないのだ。
このまま将軍として仕え、老いた後は弟の子に家督を譲り、山の中に引きこもって静かに暮らすのだろうと漠然と考えていた。
それが、たった今、覆った。
ジェミールは、会場から真っ直ぐに門へと伸びる石畳へ視線を向ける。
先ほど、今日の最後になる馬車が停まった瞬間から、ジェミールは心がざわざわしていることに気が付いた。
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一旦、これで終わりです!舞踏会の様子とか書こうかなと思ったんですが、ストックがなくなって、時間がかかりそうなので、完結にしました。読んでいただいてありがとうございました。
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