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新しい仕事
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マリンが、申し訳なさそうに亜優を見る。
シェアも眉間にしわを寄せていた。
そこで、今更気が付いた。
ここ数日やっていた勉強は、やっぱり通訳だからではない。花嫁修業だ。
彼らの表情がそう語っている。せっかく育てようとしていたのに、と。
だとしたら、アッシュが亜優とその気がない中で、今まで通りに勉強なんてできない。
「亜優。出て行こうなんて考えないで。あなたは通訳翻訳家としても役に立っているのよ」
マリンが、亜優が気が付いたことを表情から読み取って言う。
「……すみません」
申し訳ないけれど、すぐには出て行けない。
だけど、他の働き口を探して、出来るだけ早く出て行こう。
「でも……アッシュまで、あんな風になってしまうなんて」
マリンが頭を押さえて深いため息を吐く。
「……まで?」
まるで、他の人が聖女にほれ込んでいるのを知っているかのような口ぶりだ。
亜優は首を傾げる。
マリンは嘆かわしいと呟いて語る。
約三か月前、聖女はこの世界に召喚された。
聖女は突然知らない世界に紛れ込んでしまったことで、ひどく不安を訴えたそうだ。
――自分は、不安なんか訴える暇はなかった。
毎日、認めてもらうために、蔑まれても居場所を確保するために必死だった。
そんな捻くれた感情が浮かんできたけれど、亜優は黙ってマリンの話を聞く。
それで、入れ代わり立ち代わり、聖女が寂しがらないようにとたくさんの人が彼女のもとに連日訪問した。
彼女に会った人はみな口をそろえて言う。
『素晴らしい人だ。彼女こそ聖女だ』
――と。
特に、男性の彼女への入れ込みようはすごかった。
近くに控える使用人たちが言うには、常時、数人の男性たちに彼女は愛を囁かれ、傅かれているという。
「それを許している聖女様もふしだらだと思うけれど、侍っている男どもよ。恋人、婚約者がいるものはもちろん、未婚既婚を問わないの」
マリンはイライラと、机をたたく。
それを知ってはいたけれど、帰ってきたときの亜優とアッシュの様子を見て、大丈夫だと思ったと言う。
なにより、アッシュがそんな女によろめくはずがないと、根拠のない自信もあったらしい。
そこで、亜優の存在。これは全く心配いらない。
「好きな人がいる状態で、聖女様に会って、どうこうなることは無いと思っていたのよ」
好きな人……マリンが言っているのは、亜優のことだろう。
そう言ってもらえるような立場だったか、亜優には分からない。
亜優は……好きだったけれど。
苦々しい表情を浮かべたマリンにかける言葉が見当たらず、亜優はそっとお辞儀をして、部屋から立ち去った。
それから数日、亜優は忙しく走り回った。
マリンとシェアに、ぜひ続けて欲しいと言われたが、マナー教室は断った。
通訳として、マリンの後ろに控えて、彼女が恥ずかしくない程度にはなったと思うのだ。
目立たず、たたずむことの方が大切で、一緒に食事をすることなどないのだから、テーブルマナーも必要ないのではないか。
そう聞くと、シェアは、必ずしもそうは言えないと言いながらも、ともに食事をする必要はないと教えてくれた。同じテーブルに座り、正しく座ってさえいれば、食事の作法などは覚えなくてもいい。
外国からお客様を招待するときは、是非雇って欲しいと伝えた。
手紙の翻訳などはやりながら、空いた時間に街に出た。
どうにか一人で生活できないか、あちこち動きまわってみる。
家がないので、できれば住み込みで働けないかと聞いて回っていると、うちで働いてみないかと声をかけられた。
そこにいて見ると、宿屋のようで、空き部屋もあると言う。
折角の翻訳スキルを生かせないのはもったいないけれど、条件にこだわっている場合ではない。
宿屋の主人は、亜優が「働かせて欲しい」と言うと、すぐに了承してくれた。とても優しそうな人だ。
これで、生活基盤は整った。
現代日本の便利さになれた亜優が、住み込みの使用人という苦しい立場でどれだけのことができるか分からない。
アッシュの家は、お金持ちで、お風呂だって料理だって準備してくれた。
あの家を出るということは、快適な生活を手放すということ。
マリンたちが、いてもいいという言葉を断ってまで、あの快適な生活を手放す。
――胸が痛い。
アッシュが好きだと自覚してから、大声で泣きわめきたくて仕方がないのに、亜優にはそんな場所がない。
全部、与えられたものだからだ。
亜優は、自分で手に入れて、自分で動きたい。
『あんなに優しくして置いて、今更なんだ!』と大声で喚き散らしたいのだ。
たったそれだけの理由。
あの家に、これ以上いられないのは、本当にこれだけの理由だ。
それが、亜優のプライドだ。
泣きたければ、自分の場所を作って、一人で泣く。
振った相手に縋って、同情をせびってまで、快適な生活なんていらない。
どうにかなる。
亜優は、雇ってもらった宿を見上げて、不安を押し殺して一人頷いた。
シェアも眉間にしわを寄せていた。
そこで、今更気が付いた。
ここ数日やっていた勉強は、やっぱり通訳だからではない。花嫁修業だ。
彼らの表情がそう語っている。せっかく育てようとしていたのに、と。
だとしたら、アッシュが亜優とその気がない中で、今まで通りに勉強なんてできない。
「亜優。出て行こうなんて考えないで。あなたは通訳翻訳家としても役に立っているのよ」
マリンが、亜優が気が付いたことを表情から読み取って言う。
「……すみません」
申し訳ないけれど、すぐには出て行けない。
だけど、他の働き口を探して、出来るだけ早く出て行こう。
「でも……アッシュまで、あんな風になってしまうなんて」
マリンが頭を押さえて深いため息を吐く。
「……まで?」
まるで、他の人が聖女にほれ込んでいるのを知っているかのような口ぶりだ。
亜優は首を傾げる。
マリンは嘆かわしいと呟いて語る。
約三か月前、聖女はこの世界に召喚された。
聖女は突然知らない世界に紛れ込んでしまったことで、ひどく不安を訴えたそうだ。
――自分は、不安なんか訴える暇はなかった。
毎日、認めてもらうために、蔑まれても居場所を確保するために必死だった。
そんな捻くれた感情が浮かんできたけれど、亜優は黙ってマリンの話を聞く。
それで、入れ代わり立ち代わり、聖女が寂しがらないようにとたくさんの人が彼女のもとに連日訪問した。
彼女に会った人はみな口をそろえて言う。
『素晴らしい人だ。彼女こそ聖女だ』
――と。
特に、男性の彼女への入れ込みようはすごかった。
近くに控える使用人たちが言うには、常時、数人の男性たちに彼女は愛を囁かれ、傅かれているという。
「それを許している聖女様もふしだらだと思うけれど、侍っている男どもよ。恋人、婚約者がいるものはもちろん、未婚既婚を問わないの」
マリンはイライラと、机をたたく。
それを知ってはいたけれど、帰ってきたときの亜優とアッシュの様子を見て、大丈夫だと思ったと言う。
なにより、アッシュがそんな女によろめくはずがないと、根拠のない自信もあったらしい。
そこで、亜優の存在。これは全く心配いらない。
「好きな人がいる状態で、聖女様に会って、どうこうなることは無いと思っていたのよ」
好きな人……マリンが言っているのは、亜優のことだろう。
そう言ってもらえるような立場だったか、亜優には分からない。
亜優は……好きだったけれど。
苦々しい表情を浮かべたマリンにかける言葉が見当たらず、亜優はそっとお辞儀をして、部屋から立ち去った。
それから数日、亜優は忙しく走り回った。
マリンとシェアに、ぜひ続けて欲しいと言われたが、マナー教室は断った。
通訳として、マリンの後ろに控えて、彼女が恥ずかしくない程度にはなったと思うのだ。
目立たず、たたずむことの方が大切で、一緒に食事をすることなどないのだから、テーブルマナーも必要ないのではないか。
そう聞くと、シェアは、必ずしもそうは言えないと言いながらも、ともに食事をする必要はないと教えてくれた。同じテーブルに座り、正しく座ってさえいれば、食事の作法などは覚えなくてもいい。
外国からお客様を招待するときは、是非雇って欲しいと伝えた。
手紙の翻訳などはやりながら、空いた時間に街に出た。
どうにか一人で生活できないか、あちこち動きまわってみる。
家がないので、できれば住み込みで働けないかと聞いて回っていると、うちで働いてみないかと声をかけられた。
そこにいて見ると、宿屋のようで、空き部屋もあると言う。
折角の翻訳スキルを生かせないのはもったいないけれど、条件にこだわっている場合ではない。
宿屋の主人は、亜優が「働かせて欲しい」と言うと、すぐに了承してくれた。とても優しそうな人だ。
これで、生活基盤は整った。
現代日本の便利さになれた亜優が、住み込みの使用人という苦しい立場でどれだけのことができるか分からない。
アッシュの家は、お金持ちで、お風呂だって料理だって準備してくれた。
あの家を出るということは、快適な生活を手放すということ。
マリンたちが、いてもいいという言葉を断ってまで、あの快適な生活を手放す。
――胸が痛い。
アッシュが好きだと自覚してから、大声で泣きわめきたくて仕方がないのに、亜優にはそんな場所がない。
全部、与えられたものだからだ。
亜優は、自分で手に入れて、自分で動きたい。
『あんなに優しくして置いて、今更なんだ!』と大声で喚き散らしたいのだ。
たったそれだけの理由。
あの家に、これ以上いられないのは、本当にこれだけの理由だ。
それが、亜優のプライドだ。
泣きたければ、自分の場所を作って、一人で泣く。
振った相手に縋って、同情をせびってまで、快適な生活なんていらない。
どうにかなる。
亜優は、雇ってもらった宿を見上げて、不安を押し殺して一人頷いた。
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