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ルドヴィックの事情
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ルドヴィックは体の割に、気が小さい男だった。
若いころは、自分の気が小さいなどと思っていなかった。
武芸は苦手で、文官となるべく勉強をしていたが、それは特性というものだ。
体が大きく育ったとしても、武芸が得意とは限らない。なにより、何かを傷つけることは嫌いだ。
真面目に生きていても、もちろん友人はできる。
バカ騒ぎをする友人たちではなかったが、爵位を継ぐことが決まった時に、その中の一人がルドヴィックを遊郭に誘ってきた。
ルドヴィックは、ロベール侯爵家の嫡男として、遅くにできた子で、彼が成人するころには、両親は隠居を考えていた。
だから、同年代の中では、最初に家を背負う人間だった。
そんな彼を心配したのか、友人は、責任を背負う前に遊ぶことも覚えた方がいいと言ったのだ。
言われた内容はもっともだと、ルドヴィックは、誘われるがまま、初めて遊郭に足を踏み入れた。
緊張しながらも、それをできる限り隠して接した女性は、胸元を大きくはだけさせてしなだれかかってくる。
欲を高めるために焚かれた香も、女性の痴態も、ルドヴィックを高ぶらせなかった。
女性は、全く反応しないルドヴィックを見て不思議そうにしながら、直接刺激を与えることにした。
それでも……多少、気持ちはよかったが、勃ち上がることはなかった。これなら、一人でした方が気持ちいい。
甘ったるい香りも化粧の濃い顔も気になって仕方がない。
どうしてもそんな気になれなかった。
女性の自尊心を傷つけてしまったと思い、彼女を見ると、気まずそうに視線を逸らされた。
「ああ……えっと、大丈夫よ。きっと緊張のせいよ。男性機能に問題があるわけじゃないはずだから、自信をもって」
彼女は、ベッドサイドにある酒を引き寄せながら、おかしなほど明るい口調で話しかけてくる。
「さあ、お酒でもいかが?緊張が緩んで……もしかしたら、反応するかも」
――気遣われてしまった。
ルドヴィックが勃たなかったのは、ただ単に、好みじゃなかったからだ。
そう、思っていた。
しかし……本当に?
これが、商売女ではなく、本当に妻にしたい女性を相手にしたときだったら?
そう思った途端、ルドヴィックの熱は霧散した。
握られて、少しだけ起き上がっていたものは、力なくだらんと垂れ下がった。
女性は、可愛そうだとでもいうように微笑んで、最後まで彼に優しく接してくれた。
それが、ひどく彼を傷つけているとも思わずに。
もちろん、共に行った友人にさえ、最後までできなかったなどと言えるはずもない。
ふんと軽く鼻を鳴らして「まあ、あんなものか」とたんぱくな返事をして見せた。
彼は、その傷を背負ったまま爵位を継いだ。
幸い、ルドヴィックは頭がよく、領地経営も問題なくこなした。
そして、後を継いでから、最初に持ち上がるのが縁談だ。
ルドヴィックは、結婚が自分にできるのか不安だった。
夜、夫が不能となってもなじらないでくれる女性はいるだろうか。
彼は、結婚相手には、『優しい人』という条件だけをつけた。
それ以外はどうでもいい。
天真爛漫で優しくて穏やかで……ルドヴィックを、『かわいそう』だと言わない女性であれば。
ルドヴィックに結婚できると思わせる相手は見つからなかった。
ほとんど、結婚を諦めていた時。
――それは、衝撃だった。
デビュタントを迎えた令嬢たちを、高位貴族が出迎える舞踏会でのこと。ルドヴィックも、高位貴族の一人として、挨拶をされる側を勤めていた。
そこに、はた目から分かるほどに緊張した面持ちでやってきたのがシルヴィーだ。
笑顔の一つも見せずに、教えられたマナーだけをこなしていっている。
身につまされて、ルドヴィックは身をかがめて笑顔を見せた。そして、内緒話をするように告げた。
「デビュタントのご令嬢が少々へまをしたところで、微笑ましい以外の感想を抱く人間はいないよ。それよりも、準備された料理を見た?あれに手を付けないなんてもったいない真似はしない方がいいよ」
侯爵という立場で、砕けた口調で話しルドヴィックを、シルヴィーはきょとんとした顔で見上げる。
そして彼と目が合って、冗談だと分かったのか、彼女がふわりと微笑んだ。
その衝撃を、どう表現したらいいのか。――いや、表現などたった一つに決まっている。
世界一可愛い。
緊張に潤んだ瞳と、緊張に上気した頬で微笑んだ表情。
ルドヴィックは、激しく反応したのだ。
あれほど礼服の素晴らしさを実感した時はない。固い生地と飾り立てられた刺繍たちによって、周囲にはルドヴィックの高ぶりは気が付かれなかっただろう。
「ダンスにお誘いしても?」
声は上ずっていないだろうか。
シルヴィーの隣に立つマルティネス伯爵に視線を投げると、嬉しそうに頷いてもらえた。
「踊っていただけますか?」
「はい。喜んで……!」
はにかむように微笑んで、彼女はルドヴィックの手に自分の手を重ねた。
彼女に触れるだけで、自身が痛いほどに張りつめている。ダンスの最中に達さなかったことが奇跡のようだ。
見つけた。彼女だ。彼女以外に自分の妻になれる女性はいない。
こうして、二人の結婚は、すぐに決まったのだ。
婚約期間は素晴らしかった。
シルヴィーの柔らかい体も、優しい声も、何もかもが彼を高ぶらせていた。
何度、想像の中で犯したか。
彼女と会った日はもちろん、会わない日にも、一日に何度も己に手をかけた。シルヴィーの想像をするだけで高ぶって治まってくれないのだ。
ルドヴィックの頭の中では、シルヴィーはすでに手を握るだけで濡らしているほど感じやすい体になっている。
――それなのに。
新婚初夜。
今からだと浮かれている気分が、夫婦の寝室の扉に手をかけた瞬間……ふっと割り込んできた緊張。
彼女を今から抱けるという喜びを覆い隠すように、緊張が影を落とす。
『緊張のせいよ。それで反応しないだけ』
声が聞こえてくる。
主寝室に入ったというのに、さっきまで高ぶっていたものは、全く動きを見せない。
シルヴィーの顔を見るだけでイキそうだったのに、今は何も反応しない。
彼女の薄い夜着をはぎ取ってしまいたいのに、そうして、自分はできるのか?
この状態で?
そして、彼女に慰められるのか?
『大丈夫です。こういう日もあると聞いています』
そう言いながら、同情されるのか。
あんなふうに?
シルヴィーが潤んだ目をむけてくる。
何よりもかわいいのに、何よりも怖い。
だから、ルドヴィックは逃げることを選んだ。
自分はきっと、一生性行為はできないのだと絶望した日だった。
若いころは、自分の気が小さいなどと思っていなかった。
武芸は苦手で、文官となるべく勉強をしていたが、それは特性というものだ。
体が大きく育ったとしても、武芸が得意とは限らない。なにより、何かを傷つけることは嫌いだ。
真面目に生きていても、もちろん友人はできる。
バカ騒ぎをする友人たちではなかったが、爵位を継ぐことが決まった時に、その中の一人がルドヴィックを遊郭に誘ってきた。
ルドヴィックは、ロベール侯爵家の嫡男として、遅くにできた子で、彼が成人するころには、両親は隠居を考えていた。
だから、同年代の中では、最初に家を背負う人間だった。
そんな彼を心配したのか、友人は、責任を背負う前に遊ぶことも覚えた方がいいと言ったのだ。
言われた内容はもっともだと、ルドヴィックは、誘われるがまま、初めて遊郭に足を踏み入れた。
緊張しながらも、それをできる限り隠して接した女性は、胸元を大きくはだけさせてしなだれかかってくる。
欲を高めるために焚かれた香も、女性の痴態も、ルドヴィックを高ぶらせなかった。
女性は、全く反応しないルドヴィックを見て不思議そうにしながら、直接刺激を与えることにした。
それでも……多少、気持ちはよかったが、勃ち上がることはなかった。これなら、一人でした方が気持ちいい。
甘ったるい香りも化粧の濃い顔も気になって仕方がない。
どうしてもそんな気になれなかった。
女性の自尊心を傷つけてしまったと思い、彼女を見ると、気まずそうに視線を逸らされた。
「ああ……えっと、大丈夫よ。きっと緊張のせいよ。男性機能に問題があるわけじゃないはずだから、自信をもって」
彼女は、ベッドサイドにある酒を引き寄せながら、おかしなほど明るい口調で話しかけてくる。
「さあ、お酒でもいかが?緊張が緩んで……もしかしたら、反応するかも」
――気遣われてしまった。
ルドヴィックが勃たなかったのは、ただ単に、好みじゃなかったからだ。
そう、思っていた。
しかし……本当に?
これが、商売女ではなく、本当に妻にしたい女性を相手にしたときだったら?
そう思った途端、ルドヴィックの熱は霧散した。
握られて、少しだけ起き上がっていたものは、力なくだらんと垂れ下がった。
女性は、可愛そうだとでもいうように微笑んで、最後まで彼に優しく接してくれた。
それが、ひどく彼を傷つけているとも思わずに。
もちろん、共に行った友人にさえ、最後までできなかったなどと言えるはずもない。
ふんと軽く鼻を鳴らして「まあ、あんなものか」とたんぱくな返事をして見せた。
彼は、その傷を背負ったまま爵位を継いだ。
幸い、ルドヴィックは頭がよく、領地経営も問題なくこなした。
そして、後を継いでから、最初に持ち上がるのが縁談だ。
ルドヴィックは、結婚が自分にできるのか不安だった。
夜、夫が不能となってもなじらないでくれる女性はいるだろうか。
彼は、結婚相手には、『優しい人』という条件だけをつけた。
それ以外はどうでもいい。
天真爛漫で優しくて穏やかで……ルドヴィックを、『かわいそう』だと言わない女性であれば。
ルドヴィックに結婚できると思わせる相手は見つからなかった。
ほとんど、結婚を諦めていた時。
――それは、衝撃だった。
デビュタントを迎えた令嬢たちを、高位貴族が出迎える舞踏会でのこと。ルドヴィックも、高位貴族の一人として、挨拶をされる側を勤めていた。
そこに、はた目から分かるほどに緊張した面持ちでやってきたのがシルヴィーだ。
笑顔の一つも見せずに、教えられたマナーだけをこなしていっている。
身につまされて、ルドヴィックは身をかがめて笑顔を見せた。そして、内緒話をするように告げた。
「デビュタントのご令嬢が少々へまをしたところで、微笑ましい以外の感想を抱く人間はいないよ。それよりも、準備された料理を見た?あれに手を付けないなんてもったいない真似はしない方がいいよ」
侯爵という立場で、砕けた口調で話しルドヴィックを、シルヴィーはきょとんとした顔で見上げる。
そして彼と目が合って、冗談だと分かったのか、彼女がふわりと微笑んだ。
その衝撃を、どう表現したらいいのか。――いや、表現などたった一つに決まっている。
世界一可愛い。
緊張に潤んだ瞳と、緊張に上気した頬で微笑んだ表情。
ルドヴィックは、激しく反応したのだ。
あれほど礼服の素晴らしさを実感した時はない。固い生地と飾り立てられた刺繍たちによって、周囲にはルドヴィックの高ぶりは気が付かれなかっただろう。
「ダンスにお誘いしても?」
声は上ずっていないだろうか。
シルヴィーの隣に立つマルティネス伯爵に視線を投げると、嬉しそうに頷いてもらえた。
「踊っていただけますか?」
「はい。喜んで……!」
はにかむように微笑んで、彼女はルドヴィックの手に自分の手を重ねた。
彼女に触れるだけで、自身が痛いほどに張りつめている。ダンスの最中に達さなかったことが奇跡のようだ。
見つけた。彼女だ。彼女以外に自分の妻になれる女性はいない。
こうして、二人の結婚は、すぐに決まったのだ。
婚約期間は素晴らしかった。
シルヴィーの柔らかい体も、優しい声も、何もかもが彼を高ぶらせていた。
何度、想像の中で犯したか。
彼女と会った日はもちろん、会わない日にも、一日に何度も己に手をかけた。シルヴィーの想像をするだけで高ぶって治まってくれないのだ。
ルドヴィックの頭の中では、シルヴィーはすでに手を握るだけで濡らしているほど感じやすい体になっている。
――それなのに。
新婚初夜。
今からだと浮かれている気分が、夫婦の寝室の扉に手をかけた瞬間……ふっと割り込んできた緊張。
彼女を今から抱けるという喜びを覆い隠すように、緊張が影を落とす。
『緊張のせいよ。それで反応しないだけ』
声が聞こえてくる。
主寝室に入ったというのに、さっきまで高ぶっていたものは、全く動きを見せない。
シルヴィーの顔を見るだけでイキそうだったのに、今は何も反応しない。
彼女の薄い夜着をはぎ取ってしまいたいのに、そうして、自分はできるのか?
この状態で?
そして、彼女に慰められるのか?
『大丈夫です。こういう日もあると聞いています』
そう言いながら、同情されるのか。
あんなふうに?
シルヴィーが潤んだ目をむけてくる。
何よりもかわいいのに、何よりも怖い。
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