王太子妃候補、のち……

ざっく

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後日(蛇足的な)

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シーラは、現在非常に困っていた。

先日、王太子殿下との婚約が破棄された。
――はずだ。
公式の場で、婚約破棄を王太子の口から宣言したのだ。
その後にいろいろと……本当にいろいろとあったが、それは私的な場で起きたことで、公式な場の宣言を撤回できるものではないはず。
当事者のシーラが嫌がっているのだ。
婚約破棄を宣言した王太子が、それをなかったことにして、もう一度婚約なんて

「できるわけがないと思うのです」
「そうは思わないけど?」

目の前で呑気に茶をすする王太子を、シーラは睨み付けた。

慰謝料を要求するシーラと、婚約破棄を無かったことにしたい王太子。
あの日、あの中で最も冷静だったように見えた宰相が「後日、書面を準備して再度話し合いを」と言うので、シーラはあのまま帰宅した。
だから、シーラはまだ伯爵令嬢のままだ。父からも母からも絶縁してもらっていない。

そして、改めて王城から話し合いの日取りが決められ、シーラはここに居る。
そう、正式に呼び出されたのだ。
なのに、通されたのは王太子の完全なる私室。
結婚前どころか、婚約さえしていない男女が私室で二人きりになるのはいかがなものか。
しかも、室内には使用人さえ一人もいない。
「今日は扉の前に警護を立たせてある」
から、大丈夫だと言う。
全く大丈夫じゃない。
「ドアは少し開けているだろう?こんな茶を注ぐ音さえも聞こえる状態でいかがわしいことなんかしないよ」
聞こえなかったらしそうな言い方だ。
絶対に二人きりになったらだめな人だ。
部屋に入った時、大きな鈴を貰った。これを鳴らせば、誰何もなしに扉の前に立つ警備が入室するようになっている。
ここまでして二人きりになる必要があるだろうかと、反論しようとするシーラを、彼は口をへの字に曲げて止める。
「プライベートな時間まで見られるのは好きではないんだ」
彼は、公務を終え、部屋に戻った後からは、侍従など付けず、一人で全てのことをこなしているのだと言う。
そう言われても、シーラにお茶を入れる技術はない。接待用にお菓子や料理を取り分けることはできても、お茶を注ぐ手順まで詳しく分からない。
使用人を呼ぼうとするシーラを手で制して、王太子がお茶の準備をしたときは驚愕の一言につきる。
「というか、正式なお呼び出しでしたので、プライベートのつもりはありませんでしたが」
王太子殿下がわざわざ注いでくださった有難い茶をすする。
温度といい濃さといい、大変おいしい。
おいしいのに、それさえも気に入らない。
こいつの前で猫を被る必要がなくなったので、舌打ちをしないまでも、ガラの悪い目つきにはなっているはずだ。
母がこういう表情をしたときは、父がプルプルふるえて涙目になっていたので、相手を黙らせるときに使えるものだと思っていた。
しかし、この表情が有効なのは、父だけなのか。
王太子は、シーラの表情を見て、嬉しそうににっこりと笑った。

「ここは私の私室だ。プライベート以外の何物でもないだろう」
だったら、何故ここに通したのかと言っているのに。
彼もシーラがそう言っているのを分かって見当違いの受け答えをしているのだ。
ここに来るまで気が付かなかったシーラのミスだ。
「私はね、常に見られている。幼いころからそうだったし、立太子してからはもちろん、一挙手一投足を監視されてきた」
そんなもの、シーラだってそうだ。
貴族として常に自分を律してきた。
王太子妃候補となってからは、それはもう、どこの誰も非の打ちどころが無い令嬢を演じてきた。
嫉妬で嫌味が言えたとしても、シーラよりも『自分の方が王太子妃にふさわしい』などと戯言を言わせないという自負があった。
シーラが黙って彼を見ると、彼も分かっているというように力が抜けたように笑う。
「義務だと思っているよ。ここに生まれた者の義務だ。自分が選んだものじゃないと投げ捨てるほど、私は愚かではない。私の手の中に、どれだけの人間の命運を握っているのか理解している」
貴族の義務。それ以上の王族の義務。
その責任感の中からこぼれ落ちたのが、シーラだ。
婚約者候補だと言われていたシーラのことを、彼は全く見ていなかったし、覚えてさえいなかった。
国にその身を捧げるために努力してきた人間を、簡単に切り捨てることができる人だ。
シーラは貴族だ。
だからこそ、彼は国のためにどう扱ってもいい人間だと考えていたのかもしれない。
本当に国のためならば、嫌だと心の中で泣きわめきながらでも、笑顔で生理的に無理な人間の妻にでもなってやる。
それが、たった一人の『愛せる人と共にありたい』などという小さな望みの前に犠牲にされるのならとんでもない。

「理解しているかどうかは、周りが判断することです」

学んで分かったつもりになっている人間は多い。
『理解している』と口にするだけなら、何もせずに、毎日毎晩、布団の中でごろごろしながら言ってやる。
行動で示さなければ、分かったつもりなど何の役にも立たない。
ふんっと鼻で笑ったシーラに、彼は苦笑いを返す。
「そう判断してもらっていると思っていたよ。ほとんどの時間を、私は義務のために動いている」
実際、彼は優秀な王太子だ。
シーラだって、婚約破棄するまでは立派な王になるだろうと思っていた。自分が、横に立ち支えるにふさわしいと思っていたのだ。

シーラのカップが空になったのを見て、彼は自然な動作で、おかわりを注いでくれる。

「しかし、仕事を終えて家族と過ごす時間まで、監視をする視線を許す気はない」
静かにカップを手にする姿は美しく、どこまでも『王子様』だ。
その姿を見られても、たとえ監視されているのだとしても、なんら不都合なことは無いだろうに。
しかし、彼はそうは思わないのだ。
身についたマナーは自然と出てくるが、それ以外の寛いだ姿を他人に晒す気はないという。
「私にだって、王太子ではない時間があったっていいはずだ」
シーラにお茶を差し出して、彼はソファーに背を預けてリラックスした姿勢を取る。
「大臣に言いなりの妻。何をしても謝るだけで、何も言い返さないし逆らわない。ただし、その者が見るのは、王太子としての私だ。彼女は私が王太子としてふさわしくない行動を見とがめるだろう。そして、どこかに報告をする。私には直接言わないのに」
滔々と話す言葉を止めて、彼は一度お茶を口に含む。

「という、妻を想像していた」
「どこの密偵ですか」

そんな妻は、シーラだって嫌だ。
どうして夫といるのに諜報のような活動をしなければいけないのだ。
眉間にしわを寄せるシーラを楽しそうに見て、彼は続ける。
「君を見た時の私の印象は、美しく可憐、儚げで夫に付き従う女性だと……今は褒めてないんだ。そんな嬉しそうな顔をしないでくれ」
「は?褒められていましたが」
誉め言葉の途中で遮られて、また不機嫌な表情に戻る。
今の言葉は、シーラが狙った通りの最高に妻にしたい女性の姿ではないか。
特に可憐という言葉はイイ。普段、言われたことがない。
「――そんな人が嫌だったんだ。私が王太子から人間に戻る時は、隣に人間がいて欲しかった。実際の君は、傲慢で自尊心が高く、八方美人で……待て待て。今のは褒めている」
「どこがでしょう?さっぱり理解できなかったですわ。愚かな私にもしっかりと理解できるように言っていただけますでしょうか?」
先ほど持ちあげたポットの湯をぶちまけようと構えたまま、シーラは美しく微笑んだ。
王太子はすぐにでも逃げ出せるように腰を少し浮かせたまま、シーラを正面から見た。
「君が、人間だと思える」
何の冗談だか。
しかし、冗談を言っているにしては、彼の瞳が真剣すぎる。
「私が人間には見えていなかったと?」
天使のようだ花のようだとは聞き飽きるほど言われてきた。もちろん、聞き飽きてはいない。どうぞいくらでも褒めたたえてくれていい。
だが、今言われているのは、褒められている言葉とは対極に位置する。
人間じゃない。君は花だ。と言われて嬉しいわけがない。美しいものに例えられて、さらにそれよりも美しいと言われて、ようやく満足するのだ。
何故いきなり人外にならなければならない。
「実際、こうして話す前は、私は君を人間だと思っていなかった。そうだな……大臣も、使用人も、国民も、誰一人として、自分の中で人間だと捉えていなかった。彼らに感情があると……ないはずがないと知っていたが、理解していなかったんだ」

シーラはポットを置いて、彼を正面から眺めた。

「……そんなに目だけで愚か者だと語らないでくれるか。思った以上に傷つく」
口に出すのも馬鹿らしいほどの愚かさだ。
それで国を治める気だったのか。
現実を受け止める力もなく、書物の中の国でも治めるつもりだったのか。
彼のことを見誤っていたようだ。彼は、盤上のゲームでおするかのように政策を布いていたのか。
それに気がつけただけ、今回のことは良かったのかもしれない。
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