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のち……
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シーラは、現在非常に困っていた。
先日、王太子殿下との婚約が破棄された。
――はずだ。
公式の場で、婚約破棄を王太子の口から宣言したのだ。
その後にいろいろと……本当にいろいろとあったが、それは私的な場で起きたことで、公式な場の宣言を撤回できるものではないはず。
当事者のシーラが嫌がっているのだ。
婚約破棄を宣言した王太子が、それをなかったことにして、もう一度婚約なんて
「できるわけがないと思うのです」
「そうは思わないけど?」
目の前で呑気に茶をすする王太子を、シーラは睨み付けた。
こいつの前で猫を被る必要がなくなったので、舌打ちをしないまでも、ガラの悪い目つきにはなっているはずだ。
母がこういう表情をしたときは、父がプルプルふるえて涙目になっていたので、相手を黙らせるときに使えるものだと思っていた。
しかし、この表情が有効なのは、父だけなのか。
王太子は、シーラの表情を見て、嬉しそうににっこりと笑った。
「私はね、常に見られている。幼いころからそうだったし、立太子してからはもちろん、一挙手一投足を監視されてきた」
そんなもの、シーラだってそうだ。
貴族として常に自分を律してきた。
王太子妃候補となってからは、それはもう、どこの誰も非の打ちどころが無い令嬢を演じてきた。
嫉妬で嫌味が言えても、シーラよりも王太子妃にふさわしいと言わせないという自負があった。
シーラが黙って彼を見ると、彼も分かっているというように力が抜けたように笑う。
「義務だと思っているよ。ここに生まれた者の義務だ。自分が選んだものじゃないと投げ捨てるほど、私は愚かではない。私の手の中に、どれだけの人間の命運を握っているのか理解している」
貴族の義務。それ以上の王族の義務。
その責任感の中からこぼれ落ちたのが、シーラだ。
婚約者候補だと言われていたシーラのことを、彼は全く見ていなかったし、覚えてさえいなかった。国にその身を捧げるために努力してきた人間に対して、簡単に切り捨てることができる人だ。
理解していると言うだけなら、教育など受けずに、毎日毎晩、布団の中でごろごろしながら言ってやる。
ふんっと鼻で笑ったシーラに、彼は苦笑いを返す。
「私の我がままで、君を切り捨ててしまった。親の庇護があるからという意識があって、君たち令嬢の立場を軽く考えていた。―-改めて詫びよう」
シーラのカップが空になったのを見て、王太子自ずから茶葉を蒸らし、おかわりを注いでくれる。
話し合おうと呼び出されて、通されたのは王太子の完全なる私室。
結婚前どころか、婚約さえしていない男女が私室で二人きりになるのはいかがなものか。
しかも、使用人さえ一人もいない。
「今日は扉の前に警護を立たせてある」
から、大丈夫だと言う。
全く大丈夫じゃない。
反論しようとするシーラを、彼は口をへの字に曲げて留める。
「プライベートな時間まで見られるのは好きではないんだ」
部屋に戻った後からは、侍従など付けず、一人で全てのことをこなしているのだと言う。
そう言われても、シーラにお茶を入れる技術はない。接待用にお菓子や料理を取り分けることはできても、お茶はいれられない。
使用人を呼ぼうとするシーラを手で制して、王太子がお茶の準備をしたときは驚愕の一言につきる。
「仕事を終えて家族と過ごす時間まで、監視をする視線を許す気はない。ドアは少し開けているだろう?こんな茶を注ぐ音さえも聞こえる状態でいかがわしいことなんかしないよ」
聞こえなかったらしそうな言い方だ。
絶対に二人きりになったらだめな人だ。
「私にだって、王太子ではない時間があったっていいはずだ」
シーラにお茶を差し出して、彼はソファーに背を預けてリラックスした姿勢を取る。
「大臣に言いなりの妻。何をしても謝るだけで、何も言い返さないし逆らわない。ただし、その者が見るのは、王太子としての私だ。彼女は私が王太子としてふさわしくない行動を見とがめるだろう。そして、どこかに報告をする。私には直接言わないのに」
滔々と話す言葉を止めて、彼は一度お茶を口に含む。
「という、妻を想像していた」
「どこの密偵ですか」
そんな妻は、シーラだって嫌だ。
どうして夫といるのに諜報のような活動をしなければいけないのだ。
眉間にしわを寄せるシーラを楽しそうに見て、彼は続ける。
「君を見た時の私の印象は、美しく可憐、儚げで夫に付き従う女性だと……今は褒めてないんだ。そんな嬉しそうな顔をしないでくれ」
「は?褒められていましたが」
誉め言葉の途中で遮られて、また不機嫌な表情に戻る。
今の言葉は、シーラが狙った通りの最高に妻にしたい女性の姿ではないか。
「―-そんな人が嫌だったんだ。私が王太子から人間に戻る時は、隣に人間がいて欲しかった。実際の君は、傲慢で自尊心が高く、八方美人で……待て待て。今のは褒めている」
「どこがでしょう?さっぱり理解できなかったですわ。愚かな私にもしっかりと理解できるように言っていただけますでしょうか?」
先ほど持ちあげたポットの湯をぶちまけようと構えたまま、シーラは美しく微笑んだ。
王太子はすぐにでも逃げ出せるように腰を少し浮かせたまま、シーラを正面から見た。
「君が、人間だと思える」
先日、王太子殿下との婚約が破棄された。
――はずだ。
公式の場で、婚約破棄を王太子の口から宣言したのだ。
その後にいろいろと……本当にいろいろとあったが、それは私的な場で起きたことで、公式な場の宣言を撤回できるものではないはず。
当事者のシーラが嫌がっているのだ。
婚約破棄を宣言した王太子が、それをなかったことにして、もう一度婚約なんて
「できるわけがないと思うのです」
「そうは思わないけど?」
目の前で呑気に茶をすする王太子を、シーラは睨み付けた。
こいつの前で猫を被る必要がなくなったので、舌打ちをしないまでも、ガラの悪い目つきにはなっているはずだ。
母がこういう表情をしたときは、父がプルプルふるえて涙目になっていたので、相手を黙らせるときに使えるものだと思っていた。
しかし、この表情が有効なのは、父だけなのか。
王太子は、シーラの表情を見て、嬉しそうににっこりと笑った。
「私はね、常に見られている。幼いころからそうだったし、立太子してからはもちろん、一挙手一投足を監視されてきた」
そんなもの、シーラだってそうだ。
貴族として常に自分を律してきた。
王太子妃候補となってからは、それはもう、どこの誰も非の打ちどころが無い令嬢を演じてきた。
嫉妬で嫌味が言えても、シーラよりも王太子妃にふさわしいと言わせないという自負があった。
シーラが黙って彼を見ると、彼も分かっているというように力が抜けたように笑う。
「義務だと思っているよ。ここに生まれた者の義務だ。自分が選んだものじゃないと投げ捨てるほど、私は愚かではない。私の手の中に、どれだけの人間の命運を握っているのか理解している」
貴族の義務。それ以上の王族の義務。
その責任感の中からこぼれ落ちたのが、シーラだ。
婚約者候補だと言われていたシーラのことを、彼は全く見ていなかったし、覚えてさえいなかった。国にその身を捧げるために努力してきた人間に対して、簡単に切り捨てることができる人だ。
理解していると言うだけなら、教育など受けずに、毎日毎晩、布団の中でごろごろしながら言ってやる。
ふんっと鼻で笑ったシーラに、彼は苦笑いを返す。
「私の我がままで、君を切り捨ててしまった。親の庇護があるからという意識があって、君たち令嬢の立場を軽く考えていた。―-改めて詫びよう」
シーラのカップが空になったのを見て、王太子自ずから茶葉を蒸らし、おかわりを注いでくれる。
話し合おうと呼び出されて、通されたのは王太子の完全なる私室。
結婚前どころか、婚約さえしていない男女が私室で二人きりになるのはいかがなものか。
しかも、使用人さえ一人もいない。
「今日は扉の前に警護を立たせてある」
から、大丈夫だと言う。
全く大丈夫じゃない。
反論しようとするシーラを、彼は口をへの字に曲げて留める。
「プライベートな時間まで見られるのは好きではないんだ」
部屋に戻った後からは、侍従など付けず、一人で全てのことをこなしているのだと言う。
そう言われても、シーラにお茶を入れる技術はない。接待用にお菓子や料理を取り分けることはできても、お茶はいれられない。
使用人を呼ぼうとするシーラを手で制して、王太子がお茶の準備をしたときは驚愕の一言につきる。
「仕事を終えて家族と過ごす時間まで、監視をする視線を許す気はない。ドアは少し開けているだろう?こんな茶を注ぐ音さえも聞こえる状態でいかがわしいことなんかしないよ」
聞こえなかったらしそうな言い方だ。
絶対に二人きりになったらだめな人だ。
「私にだって、王太子ではない時間があったっていいはずだ」
シーラにお茶を差し出して、彼はソファーに背を預けてリラックスした姿勢を取る。
「大臣に言いなりの妻。何をしても謝るだけで、何も言い返さないし逆らわない。ただし、その者が見るのは、王太子としての私だ。彼女は私が王太子としてふさわしくない行動を見とがめるだろう。そして、どこかに報告をする。私には直接言わないのに」
滔々と話す言葉を止めて、彼は一度お茶を口に含む。
「という、妻を想像していた」
「どこの密偵ですか」
そんな妻は、シーラだって嫌だ。
どうして夫といるのに諜報のような活動をしなければいけないのだ。
眉間にしわを寄せるシーラを楽しそうに見て、彼は続ける。
「君を見た時の私の印象は、美しく可憐、儚げで夫に付き従う女性だと……今は褒めてないんだ。そんな嬉しそうな顔をしないでくれ」
「は?褒められていましたが」
誉め言葉の途中で遮られて、また不機嫌な表情に戻る。
今の言葉は、シーラが狙った通りの最高に妻にしたい女性の姿ではないか。
「―-そんな人が嫌だったんだ。私が王太子から人間に戻る時は、隣に人間がいて欲しかった。実際の君は、傲慢で自尊心が高く、八方美人で……待て待て。今のは褒めている」
「どこがでしょう?さっぱり理解できなかったですわ。愚かな私にもしっかりと理解できるように言っていただけますでしょうか?」
先ほど持ちあげたポットの湯をぶちまけようと構えたまま、シーラは美しく微笑んだ。
王太子はすぐにでも逃げ出せるように腰を少し浮かせたまま、シーラを正面から見た。
「君が、人間だと思える」
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