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第3章

第六二話 手紙

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 早朝、診療所にいたマルユッカの元に、アシュカナンから手紙が届いた。
 届けたのは、西地区の高速警備艇の乗員だ。年齢は一〇代後半の新参者で、若い頃のフランコ・ネロを真似ているような作り物のワイルドさを醸し出している。この年齢の男にはありがち。
 笑顔でその手紙を読み始めたマルユッカの目から大粒の涙がこぼれる。
 その様子に能美と納田が慌て、ライマとミランダがいぶかしむ。

 この手紙こそ、ヒトの生存を賭けた戦いの第一報であった。

 手紙の内容は、その日の午前中には近隣の村や街はもちろん、相応の距離があるヴィレ、シェプニノ、カンガブル、カンスクなどの大きな街の若者たちまでもが知ることとなる。

 大人たちは何も知らない。
 俺も知らない。

 午後早く、突如、クフラックからMi‐26大型ヘリコプターが飛来した。
 しばらくして、相馬が店に入ってきた。
「クラウスは、ヴィーゼルをどこに運ぶんだ?
 何か知ってる?」
「えっ、いや」
「ヴィーゼルをヘリに積んでいる……」
「なぜ?」
「……?」
 クラウスのヴィーゼル空挺戦闘車をクフラックの超大型ヘリコプターに、なぜ積むのか、皆目理由がわからない。
 ケレネスが店に飛び込んできた。
「うちの娘を知らないか?」
 俺と相馬は、ファタのことなど知るはずもない。
 沈黙……。
「娘が若い連中を連れて、空港に行った!
 空港じゃ、ヘリコプターに装甲車やトラックを積んでいる」
「トラック?」と俺が尋ねる。
「あんたのトラックだよ。凄く小さい便利なヤツ。
 あれをクフラックに売るなら、俺に売ってくれ。値段をいえ!」
「売るわけないだろう!」
「じゃぁ、どこに運ぶんだ」
 ケレネスは明らかに混乱している。
 同時に、俺も混乱し始める。

 俺たちが空港に着くと、Mi‐26が離陸を始めてしまった。
 サビーナが呆然としている。
 俺が彼女に尋ねる。
「どうした、何があった?」
「いま着いたばかりで、わからないけど、ヘリに積んだのは二〇ミリと迫撃砲のヴィーゼル、軽トラ、八輪のATVの四輌。
 それと、完全武装の五〇人くらいらしい」
 相馬が驚く。
「どういうこと?」
 ケレネスが怒鳴る。
「ファタは、チェスラクから受け取ったばかりの新造の一〇〇挺を持ち出した!」
 俺の頭の中に〝戦争〟の二文字が浮かぶ。

 誰と戦うんだ!

 俺は、何がどうなっているのか尋ね回った。金吾、金沢、イサイアス、誰も何も知らない。
 わかったこともある。
 珠月、ルサリィ、ユリアナ、アマリネがいない。その他、一〇歳代後半の多くがいない。
 マルユッカもいない。
 フローリカもいない。
 チュールとマトーシュもいない。
 トゥーレもいない。
 優菜もいない。

 そして、何もわからない。

 俺は、我が家の二人の天使を尋問していた。
「ちーちゃんとマーニ、何か知っている?」
 ちーちゃんとマーニは、口を両手で押さえる。その仕草がかわいい。
「知らないもん」
「何も知らないもん」
 二人が答える。
「知っていたら教えて欲しいな」
「知らないもん」
「何も知らないもん」
「やっぱり知らないんだ?」
「知ってるもん」
「知ってるけどいわないもん」
「うそだぁ」
「知ってるもん」
「本当に知ってるもん」
「じゃぁ、教えて」
「ヘリコプターが飛ぶまでいわないもん」
「お姉ちゃんがそういったもん」
「珠月が?」
 二人が頷く。
「ヘリコプターは、だいぶ前に離陸したよ」
 二人が顔を見合わす。
 そして、二枚の紙を差し出した。

 一枚は四七人の名前。
 もう一枚は手紙だ。
 差出人はイエレナ、受取人はマルユッカ。
 内容は、詫び状。
《マルユッカ殿、無沙汰をいたしております。
 私はいま、帝都クラシフォンの北西五〇キロほどにあるルジエという小さな街にいます。
 この街はいま、見知らぬ軍勢に攻められ、建物は破壊され、街人の多くが殺されました。
 私たちは、たまたま立ち寄っただけでしたが、街人とともに精霊の丘に立て籠もっています。
 怪我人や病人が多く、ここも長くは持ちこたえられないでしょう。
 この手紙が届く一〇日ほど後には、私は精霊の川を渡っていると思います。
 マルユッカ殿には死の病を患った際、献身的に治療していただきました。
 助けていただいた生命を、そう時間を経ずに落とすこと、お詫びをいたします。
 生前のご厚誼に感謝いたします。
 イエレナ》

 手紙の日付は二日前。偶然なのだろうが、西地区の高速警備艇が手紙を受け取った。そして、内容を知った上で最大船速を発揮してノイリンに戻り、マルユッカに渡した。
 そして、各地区、各街村、一〇〇人以上の若者が一気呵成に装甲車二輌と輸送車二輌をヘリコプターに積み、兵員四七ともどもルジエに送ったのだ。
 ヘリの護衛にトクタルとアネリアが、フェネクで出撃している。
 規模は小さいが、立派な空挺部隊だ。

 珠月とチュールがいなくなり、由加はただのお母さんになってしまった。
 ライマはマトーシュの出陣を知り、泣き出した。
 冷静なのは、ベルタ。養子がまだ小さいから。
 ノイリン各地区、近隣各街も大騒ぎなようだが、騒いだってどうにかなるわけじゃない。
 クラウスは商談で外出中。彼の輸送艇はすべて出払っている。

 俺がBTR‐Dの準備をしていると、相馬がやって来た。
「半田さん、珠月ちゃんたち、かなりの武器を持ちだしています。
 自動小銃はもちろん、柄付き手榴弾、RPG‐7、六〇ミリと八一ミリの迫撃砲」
「機関銃は?」
「MG3が二挺とRPKが二挺。
 自動小銃はカラシニコフ弾以外は持って行っていません。
 かなり計画的ですよ」
「そうか」
「行くんですか?」
「あぁ。
 珠月とチュールを放っておけない」
 金吾が来た。
「俺も行きます」
「わかった」
 しばらくするとカロロが来た。
「やはり、行くのか。
 俺も連れて行け」
 それも了解する。
 デュランダルが来た。
「ライマがかわいそうで……」
「マトーシュか?」
「あぁ。
 まぁ、それだけじゃないけどね。
 トゥーレとアマリネも気になるよ」
 金沢が来た。
「俺も行く。
 ルサリィを助けたい」
 ミルコが来た。
「連れて行ってくれるか?
 戦うしか能のない俺なのに、こんな時に役立たずと思われたくないんだ」
 六人でBTR‐DとBMD‐1の準備を進める。
 俺が相馬にいう。
「相馬さんは残ってくれ。
 ノイリンでベルタさんとともに、全体の指揮をするんだ。
 いまの由加は使い物にならない」
「わかった。
 気をつけて」
「大丈夫だ。
 俺には鋼の精霊がついている」
「バカなことを……」
「気休めにはなる」

 ノイリンからルジエまで、ざっとだが八〇〇キロもある。
 陸上を走っていては一〇日以上かかってしまう。ロワール川を水上航行すれば、時速一〇キロ。二四時間連続航行で一日二四〇キロ。水流の合成速力を利用した時速一五キロならば、一日三六〇キロとなり、三日後には着く。
 六人で相談し、川を下ることにした。

 フェネクで先行するアネリアがルジエ一帯を偵察する。
 四隻の飛行船が遊弋していることを報告するが、アネリアはその存在を重要視してはいない。
 アネリアは飛行船の存在自体は驚いたようだが、同時に知識として飛行船の脆弱性も知っていた。
 僚機フェネクのトクタルは、ヘリが着陸できそうな地点を探す。
 精霊の丘はすぐにわかった。
 フェネクが上空を通過すると、アシュカナン兵が発煙弾を発射したのだ。
 精霊の丘は攻め手によって、背後の岩山を除けば、馬蹄形に包囲されている。
 丘は防衛に適してはいるが、斜面がなだらかで難攻不落の要害ではない。
 ルジエの街はロワール川の北岸にあり、二〇〇万年前の海岸線ならば、海上だろう。
 現在は海岸線から五〇キロほど内陸に位置している。
 そういった情報が、アネリアから無線で知らされる。それを、この作戦に関わる誰もがモニターしている。
 俺たち六人もだ。
 トクタルが、ヘリの着陸適地を見つけた。
 精霊の丘背後の岩山の反対側で、二本の小河川が合流する草地だそうだ。

 俺たち二輌は川面をゆっくりと下っている。焦りはするが、どうにもならない。

 巨大なMi‐26大型ヘリコプターが草地に着陸する。
 後部ランプドアから、二〇人の兵が駆け降り、銃を構え周囲を警戒する。
 軽トラ、八輪ATV、ヴィーゼル1、ヴィーゼル2の順で、自走してヘリから降りる。
 軽トラと八輪ATVには、リヤカー程度の軽トレーラーが連結される。
 弾薬と食料がトレーラーに積み込まれる。
 軽トラの荷台ロールバーには、MG3汎用機関銃が取り付けられる。
 ATVの荷台には、八一ミリ迫撃砲と砲弾が積まれる。
 小さな諸兵科連合部隊だ。
 車輌隊の指揮官はルサリィで、丘の北側を大きく回り込む道を進んでルジエに接近する。
 歩兵隊の指揮官は珠月で、岩山の南側中腹を越える登山道のような隘路を進み、精霊の丘の背後に出る。

 部隊を降ろすとMi‐26はすぐに離陸し、クフラックに戻る。

 Mi‐26が降りた地点は、精霊の丘の東二〇キロの地点。
 車輌隊が南に精霊の丘を遠望する地点に達したとほぼ同時に、歩兵隊は山道を這い上り、眼下に精霊の丘をとらえていた。

 ロワール川上空には、四隻の巨船が遊弋し、一隻がロケット砲で精霊の丘を攻撃している。
 その様子をルサリィは呆然と眺めていた。
 同行していた優菜が全員に伝える。
「あれは、飛行船よ。
 巨大だけど、ほとんどは空気よりも軽いガスが詰まっているだけ。
 怖くなんかない!」
 精霊を祀る石造りの社は無傷のようだが、霊域を示す石囲いは各所で崩れている。
 精霊の丘はロワール川北岸から二キロほど離れており、また高台にある。
 攻撃側は、精霊の丘の麓に整然と隊列を作っている。
 兵力は八〇〇以上。
 野砲らしき車輪付きの牽引砲はない。戦車もない。
 珠月が双眼鏡を覗いている。
 アシュカナン旗がはためいている。
 そして、となりに立つ男の子に問うた。
「あれなんだろう?
 臼みたいなヤツ」
 双眼鏡を渡す。男の子が双眼鏡を受け取り、珠月の指先を見る。
「何だろう?
 砲弾?
 入れたよ」
 砲弾が発射され、精霊の丘の至近に着弾する。
 大きな爆発。
 珠月が大声を出す。
「たいへん!」

 イエレナは、短砲身の砲らしき兵器が設置される様子を肉眼で見ていた。
 だが、その作業を阻止する手段がなかった。砲弾が発射されたら、身をかがめて耐えるしかない。
 イエレナは副官のハウェルにいった。
「もし、石囲いを敵が越えてきたら、そなたの剣で我が胸を貫いてくれ」
「姫様……」
 ハウェルは、この状況をどうにもできない自分に腹が立った。そして、拳で自分の右太股を強く殴った。
 イエレナとハウェルは、謎の敵軍の蛮行を見てきた。
 ルジエの街は、抵抗しなかった。住民五〇〇人ほどの街には抵抗するだけの戦力はないし、抵抗する意味もない。
 欲しいものがあれば、渡せばいいと考えていた。
 通常は、せいぜい食料を要求する程度だ。
 だが、違った。
 通訳が二人おり、通訳は「これより駆除する」といった。街長は意味がわからなかった。返答に困っていると、銃に似た武器で撃たれた。
 あとは殺戮だった。
 女性と子供を木造の納屋に押し込め、油を撒き火を付けた。
 僧侶のような服装の男の言葉がわからず、呆然としていると、数十人単位で集められた上で油をかけられ火をつけられた。
 兵士は民家に押し入り、老人は殺し、女性は強姦した。
 イエレナたちは旅の途中で、偶然逗留していただけだった。
 どうにか精霊の丘に逃げ込めたのは、一〇〇人ほどだ。そして、四日間戦ってきた。だが、矢弾がつきかけている。
 二日前にマルユッカ宛てに書いた手紙の通りになろうとしている。
 高く掲げているアシュカナン旗を見上げた。

 珠月の横では六〇ミリ迫撃砲の発射準備が整っていた。
 最大射程は一八〇〇メートルと短いが、高台からの発射なので、どうにか届いて欲しいと考えている。
 不安もあった。
 もし、精霊の丘に落ちたら……。
 準備は整っていたが、発射は躊躇っている。
 だが、臼砲の数が三門に増えた。
 珠月は決断した。
「最大射程、目標敵砲兵陣地」
「半装填用意」
「半装填用意よし」
「テッ!」
 迫撃砲弾は、精霊の丘と敵臼砲陣地との中間に落ちた。

 敵が慌てている。
 突然の砲撃による反撃は、予想外だったようだ。虎の子なのか、砲を大慌てで後退させている。
 珠月は「山を降り、精霊の丘の南に出る」と命じる。

 珠月たちは開けた山の中腹まで降りた。そして、散開して西に進む。
 精霊の丘は全周を包囲されているのではなく、岩山側は閉じられていない。
 だが、この開いた方向から精霊の丘に接近することは、地形の関係から難しいと感じた。
 包囲している部隊は、西側正面は厚いが、南北両翼は薄い。
 そして、敵陣は塹壕を掘ったり土嚢を積んだりしてはいない。
 単に展開しているだけだ。
 後方から迫撃砲で攻撃すれば、包囲陣形を崩せる可能性が高い。だが、徒歩での移動のため、携行している六〇ミリ迫撃砲の砲弾が少ない。

 珠月隊が西進していくと、敵部隊の西端と接触。
 銃撃戦で、多くを倒した。
 ここで、初めて敵の装備を鹵獲する。
 同時に、自分たちの武器が有効であることを確認する。
 珠月たちは驚いていた。敵の銃は後装式の連発で、銃身はライフルがない滑腔銃身。銃弾に相当する物体は、非常に小さい矢だ。発射は撃鉄に相当する部品を起こして、バルブを開き燃焼室にガスを注入する。引き金を引いて高圧のガスを解放し、解放されたガスは燃焼しながら膨張し矢を高速で飛ばす。
 原理は、エアガンと同じだ。
 拳銃も同じで、比較的小型だ。兵は通常、長銃一挺と拳銃二挺を装備している。そして、反りの大きな長刀。
 銃も長刀も金属製ではない。珠月には材質がわからなかった。
 長銃には着剣機構がない。
 軍服は豪華で、赤いジャケット、白いシャツ、ズボンも白、ブーツは黒、羽根飾りのついたつば広の帽子。
 素材はウールのようだ。ブーツの素材は動物の皮らしい。
 兵卒でも十分に豪華だが、将校ともなると立派な軍装となる。
 顔を見る限り、ヒトに見えるが、顔立ちはこの地方のどの種とも異なっている。だが、一番近いのはヒトだ。
 しかし、ヒトとは思えない要素も多い。額が縦方向に長く、顎にはおとがいがない。眼窩上隆起は発達していないが、眼窩は深く落ち込んでいる。鼻は大きく高い。だが、彫りが深い顔立ちではない。
 ヒトには似ているが、ヒト離れしている。
ヒトに似ている分、気味が悪い。
 体型では腕が長い。足は普通のバランスだが、腕は明らかに長い。
 珠月は、自分とは種レベルで異なる生物だろうと感じた。
 そんなことは、どうでもいい。銃口を向けるなら、こちらが先に撃つだけだ。

 ルサリィ隊から無線が入る。精霊の丘とは合流できていないことを伝ええてきた。

 ルサリィはどうすべきか悩んでいた。悩んだあげく、敵包囲線の北側から、ゆっくりと近付いている。
 丈の高い草むらからヴィーゼル1の砲身を出す。
 砲身の先には、背を向けた異様に腕の長い敵兵が隊列を組んでいる。
 距離は二〇〇メートル。
 二〇ミリ機関砲ならば、十分に射程内だ。
 ルサリィは、虐殺はしたくなかった。
 だが、視線を下に向けて、その考えを振り払った。
 服をはぎ取られた女の子がいる。動かない。生死不明。生きているなら助けたいが、おそらく死んでいる。
 ルサリィがマイクに「撃て」と小声で命じると、四輌は横一列でゆっくりと前進し、草むらから出た。
 そして前進しながら、機関砲と機関銃を撃つ。
 突然、背後から大量の銃弾を浴びせられて、敵がパニックになる。
 各銃ベルトリンクすべてを発射して、敵の北翼の一部を崩壊させた。
 そして、敵陣北翼を攻撃しつつ、精霊の丘に向かう。

 珠月は北から聞こえる激しい銃声が、ルサリィ隊によるものであることを承知していた。
 彼女たちは徒歩で、ルサリィたちほどは迅速に動けない。
 だが、徒歩であるからできることもある。敵が包囲していない岩山側から精霊の丘に近付くルートを探すことにした。

 ルサリィ隊が精霊の丘に近付くと、あっさりと招き入れてくれた。
 イエレナがルサリィに抱きつく。
「ルサリィ、ありがとう。
 でも、どうやって?」
「イエレナの手紙、今日の朝、マルユッカに届いたの。
 みんなで力を合わせて、ここから二〇キロ東までクフラックのヘリで運んでもらったの」
「クフラックの子も来ているの?」
「いるよ。
 ヘリは帰ったけど……。
 いまごろ、怒られてるね」
「内緒で来たの?」
「大人たちは相談が長いでしょ」
「だよね」
「ミヅキはまだ?」
「ミヅキも来ているの?」
「ユウナもね」
「みんなだね」
「みんなだよ」
 ハウェルは、少しイライラしていた。援軍には感謝しているが、会話がまだるっこしい。
「ルサリィ殿、よろしいか?」
「ハウェル様」
「指揮官はどなたか?」
「ハウェル様です。
 我らは、ハウェル様に従います」
「小官は、下級将校です」
「ですが、歴戦の勇者でしょ」
「はぁ、歴戦は認めますが、勇者か否かと問われれば、否ですな」
 イエレナがアシュカナン兵に命じる。
「よいか!
 これより全軍は、我が副官はウェルが指揮する。
 我もハウェルに従う。
 ハウェルの命は、我が命と思え!」
 アシュカナン兵全員が、フルギア帝国軍式の敬礼をする。

 軽トラとATVから物資が降ろされる。軽トラを運転してきたのは、チュールだった。彼のドライビングテクニックは一級品で、特にオフロード走行はノイリン北地区において右に出るものはないだろう。
 優菜がMG3を軽トラから降ろし、石囲いに据え付ける。
 マトーシュは、小さな子たちにクッキーを配っている。
 トゥーレとマルユッカは、軽トラの荷台から木箱を四つ降ろす。
 木箱を開けると、各五挺のボルトアクション小銃が入っていた。
 銃はアシュカナン兵に渡される。
 ルジエの街商人が感極まったように呟く。
「これだけの武器と弾薬があれば、しばらくは持ちこたえられます。
 食料もありがたい」
 だが、いつまでも持ちこたえられないことも承知している。
 生命が数日延びただけだ。

 珠月は獣道らしいルートをたどりながら、精霊の丘を目指して北に進んでいた。
 先頭を行くファタが左手拳を上げる。そして膝を折り、かがむ。斜面に身を隠す。
 珠月隊三九人は、ファタに従い一メートルほどの斜面に降りて、伏せる。
 ファタの眼前を白いズボンの列が通過する。そして、ズボンを穿いた華奢な脚が四本続く。
 女の子は二人とも泣いている。両手を縛られ、ロープでつながれ、引き立てられていく。
 敵兵は五人。
 珠月の後方で二人がナイフを抜く。ルサリィはトップブレイクのリボルバーを抜いた。
 二人はナイフを鞘に戻し、ハンドエジェクトのリボルバーを抜く。
 ファタは、SKSカービンの安全装置を外す。
 五発で終わった。
 ファタは二発。他は一発。
 二人の女の子は呆然とし、また珠月たちを恐れた。彼女たちが顔に迷彩ペイントをしていたからだ。
 数人の女の子の「大丈夫だから」の声を聞いて、ようやくパニック的な怯えが止まる。
 女の子の一人がいった。
「私たち街から逃げてきたの。精霊の丘に行こうと思って!
 でも、つかまっちゃったの」
 珠月がいう。
「もう大丈夫よ。
 精霊の丘に行く道、知ってる?」
「えぇ、秘密の裏道を知っているの」
「案内して」
「わかった」

 夕暮れ間近になって、珠月隊が精霊の丘にたどり着く。
 ハウェルは新たな援軍を頼もしく見詰めた。

 だが、さらに数日、生命が延びただけのことを、精霊の丘に避難した人々は知っていた。

 石造りの社の前で、立ち話のような作戦会議が始まる。
 ハウェル、珠月、ルサリィ、そして街の代表二人。
 街の商人代表がいう。
「お助けいただいたことは感謝しますが、多勢に無勢。いつまでも保ちますまい」
 ハウェルが問う。
「何の目論見もなく、無闇にやって来たわけではあるますまい」
 ルサリィが答える。
「とりあえず、来ました」
 ハウェルが笑う。
「それは、信じられません」
 珠月が答える。
「ルサリィはそうかもしれませんが、ある程度ですが作戦はあります」
 ハウェルが珠月を見る。
「作戦とは?」
 珠月が微笑む。
「なるべく長く、持ちこたえ、援軍を待つ」
「まぁ、籠城戦の常道ではありますが……。
 援軍はどこから?」
「カンスクから突撃砲四。
 アシュカナンから騎兵一〇〇」
「アシュカナンは無理でしょう。
 ドネザル総督がお許しになりますまい。
 例え、ご息女様の生命が危うかろうとも」
「アシュカナンには、総督指揮下の兵以外にもおります」
「街人の傭兵?
 いや、そちらのほうが動かせない……。
 ……まさか!」
「えぇ、そのまさかです。
 薔薇騎士団。
 儀仗騎士です」
「儀仗兵、それも姫兵は実戦兵ではありませんよ」
「でも装備はいい……」
「確かに。
 一〇〇のうち、二五はライフルドリル……」「ですが、残りの七五は槍と剣です」
「いいえ、ファタが父親の倉庫から小銃一〇〇挺を盗みました」
「大胆な!」
「四輌の突撃砲と、一〇〇の乗馬歩兵です。そこそこの戦力になります」
「しかし、それだけでは……」
「アネリアとトクタルに期待しています」
「飛行士の?」
「えぇ、空から攻撃するように頼んでいます」
「ですが、ハンダ様がお許しになるとは……」
「半田さんは、たぶん、もうノイリンを発ったと思います。
 そういうヒトですから……」
 街の農民代表がハウェルに問う。
「ハンダ、様、とは?」
 ハウェルが答える。
「ノイリン王であらせられる。
 守護精霊は、鋼、と聞き及んでおる」
 ルジエの人々は、俺が大軍を率いてやって来ると思ったことだと思う。
 だが、たった六人だった。

 この時期、日の出は六時頃、日の入りは一九時三〇分頃だ。
 ノイリンからルジエまでは、陸路だと約八〇〇キロ。ロワール川を下ると約七〇〇キロ。直線距離で五七〇キロ。
 払暁にノイリンを離陸したとしても、ルジエには約二時間かかる。GPSがないこの世界では、目標が誘導電波を発信してくれない限り地文航法が最も安全だ。
 またVHFの誘導電波を受信できる距離までは、地文航法以外の選択肢はない。天測による航法も選択肢の一つだが、航法士を乗せないとパイロットだけでは不可能だ。
 ロワール川を眼下に見ながら飛ぶとなると、滑走開始から二時間はどうしてもかかる。
 飛行機がやってくるまでの二時間をどうやって乗り切るか、それが最大の問題だ。
 このことは、珠月とルサリィは十分に相談していた。だが、抜本的な解決策などあるはずはない。
 最初の援軍が到着するまで、約三日。航空支援は午前と午後の二回。
 それ以外は、現有戦力で耐えなくてはならない。

 太陽が地平線に隠れる。正面の敵は、夜襲は仕掛けてこないという。警戒は必要だが、イエレナは剛胆な振りをして「夜は眠れる」とうそぶいた。

 珠月は、敵戦列歩兵の正面前衛までの距離が一二〇〇メートルほどなので、六〇ミリと八一ミリ迫撃砲による先制攻撃を主張した。
 ルサリィは弾惜しみをして、長期持久戦を覚悟すべきだと意見する。
 二人の意見は、どちらも一理ある。ただ、珠月の考える「敵は迫撃砲の威力に怖じ気付くかもしれない」は、希望的憶測に過ぎない。根拠は欠片もない。
 だが、彼女の「敵が行儀よく整列している間に、叩けるだけ叩いたほうがいい」は正論だ。
 ハウェルが二人に提案する。
「では明朝、持ち弾の三分の一を短時間に発射してはいかがでしょう」
 ルサリィが応じる。
「六〇発ありますから、二〇発を発射しましょう。
 一分間で発射できます」
 ハウェルが驚嘆する。
「あの小さき砲の威力は知っておりますが、一分間に二〇発ですと!」
 珠月もハウェルに賛成する。
「ハウェル様のご命令に従います。
 六〇ミリも二〇発発射してもよろしいですか?」
 イエレナがハウェルを見る。
「あの砲弾が四〇発。
 どれほどの恐ろしきことが起きるのか?」
 珠月が微笑む。
「でも、一二〇ミリは残しましょう。
 この距離では、私たちが怖くなっちゃう」
 ハウェルが断を下す。
「では、明朝夜明けとともに、迫撃砲を発射し、彼奴〈きゃつら〉に一泡吹かせましょう」

 精霊の丘の人々は、夜を徹して霊域を示す石囲いを修復した。
 土嚢を作りたかったが、岩場で土が少なく、かなわなかった。小石を土嚢袋に詰めたが、数は少ない。

 精霊の丘は、霊域内に敵を入れてはいない。霊域を示す石囲いは、飛行船が発射するロケット弾によってたびたび崩されたが、毎回積みなおしている。
 ロケット弾は使い惜しみをしているようで、景気よく撃ってはこない。全砲門を開いて発射されたら、防衛線は瞬時に瓦解する。
 視界内に飛行船は四隻いるが、はるか彼方だ。直近の危険はない。だが、攻略にてこずれば、空からの攻撃があるだろう。

 誰もが不安だった。
 一瞬、一瞬を生き延びているだけだった。
 最初の一日が終わろうとしている。 

 合流二日目払暁。
 朝もやが晴れていく。
 眼前に戦列歩兵が一切の乱れなく、隊列を組んでいる。
 ウマに乗る将校が命じると、下士官が長刀を抜き、切っ先を前方に向けて歩き出す。
 同時に、歩兵も進撃を始める。
 銃の射程内まで進むと、第一列が八連射する。間を置かず、第二列が第一列の前に出て撃つ。これを繰り返す。
 確実に、精霊の丘へと近付いてくる。

 いままでは八挺のレバーアクションライフルしかなく、また弾薬不足から、引き付けての発射を心がけてきた。
 今日からは弾がある。銃も多い。

 敵は、彼我の距離三〇〇メートルで撃ち始める。この発射は、偶然以外は命中しない。経験でわかっている。
 一五〇メートルを切ると、命中する確率が高まってくる。これも経験でわかっている。
 ハウェルは全員に命じる。
「距離二〇〇で発射を開始し、敵を弾幕で制圧する!」

 二挺のMG3に予備の弾帯が届けられる。
 こういったことは、ルジエの街人は積極的に協力してくれる。

 大量の柄付き手榴弾が配られる。ルジエの街人で、四〇歳前後以下の男たちにも配られる。使い方も教えた。
 この手榴弾は、旧日本陸軍の九八式手榴弾がモデルなのだが、もともとは第二次世界大戦においてドイツ軍が使用したM24柄付き手榴弾だ。M24には一七〇グラムのTNTが充填されていて、威力範囲は一〇メートルに達する。ノイリン北地区製は、M24に準じた威力がある。摩擦発火式で、簡単な構造で確実性がある。
 イアンは少量だがTNTの製造に成功していて、硫酸と硝酸の混合液でトルエンをニトロ化した。トルエンは、ガソリンのオクタン価向上を目的とした接触改質によって得られる改質ガソリンから抽出した。
 TNTは貴重なのだが、ノイリンの若者は柄付き手榴弾を大量に持ち込んで、防御戦闘に使うつもりでいた。
 この手榴弾を開発したのは、金沢だ。

 朝もやが薄くなりだすと同時に、敵は動いた。
 だが、昨日の朝までとは違った。
 敵は、戦列歩兵が前進を始める前に、臼砲による援護射撃を始めた。
 攻撃準備射撃だ。

 ハウェルは、敵臼砲の破壊を企図して、八一ミリ迫撃砲の発射を命じる。
「目標、敵砲兵」
 迫撃砲指揮官が命じる。
「半装填用意」
「半装填用意、よし」
「テッ!」
 コリメーターによって照準し、着弾観測によって修正値が告げられ、試射が繰り返される。
 着弾観測員が報告。
「第三弾命中!」
 迫撃砲指揮官が命じる。
「効力射!」
 そして、つるべ撃ちが始まる。
 敵の臼砲は三門、こちらは一門だが、発射速度は精霊の丘側が圧倒的に速い。
 六〇ミリ迫撃砲は、敵歩兵を狙っている。すでに、隊列は存在せず、各個に応戦し、一部は状況に流されて無意味な突撃に移る。
 敵の突撃は銃を地面に置くかスリングで背負い、長刀を抜いて行う。
 抜刀突撃だ。

 MG3の正面に対する突撃は峻烈だったが、悲惨な結果となった。
 一挺の機関銃と多数の手榴弾投擲によって、一個中隊規模がほぼ全滅する。
 敵は霊域を示す石囲いに手が届くところまで迫ったが、そこに屍を重ねた。
 MG3を発射するノイリンの男の子は、あまりの残酷さに泣いていた。泣きながら撃ち続け、彼の眼前は死体で地面が見えぬほどとなった。

 敵はいったん後退する。
 ハウェルはイエレナにいった。
「姫様、敵の退却は幸運。
 次は、敵も用心しましょう。
 策を練ってくるでしょうから、同じようにはいきますまい」
「親父殿の見解はもっともだ。
 だが、どう出る?」
「小官なら、歩兵での力押しはやめますが……。
 ですが、相手はヒトではありませんし……」
「もう一度、力押しを試すかもしれない。
 敵は我らを侮っているから……」

 合流二日目午後。
 再度の攻撃はなく、時折、散兵による嫌がらせ程度の狙撃を受けた。
 神経をすり減らす時間が過ぎていく。

 合流二日目日没前。
  一時間以内に、薄暮となる。太陽が西に傾き、岩や樹木の影を長くする。大気は澄んでいて、日中は視界がよかったが、この時間は目を凝らさないと、わずかな変化だと見逃してしまう。
 一〇歳くらいの男の子がマトーシュのジャケットの裾を引いた。
「お兄ちゃん、あそこ」
 マトーシュは男の子が指差す方向を見るが、異常を感じない。
「なに?」と問う。
「あそこだよ。
 動いているでしょ」
 確かに、実体は見えないが、それが作る影が動いている。
  雨水の流れが穿った複雑で深い溝に沿って、何かが接近してくる。
 マトーシュは背中のザックを地面に下ろし、ライフルグレネードを取り出した。
 マトーシュが手招きすると、何人かが走ってきた。
 少し遅れて、ハウェルもやってきた。
 マトーシュが指差す。
「ハウェル様、あそこです。
 丘を登ってきています」
「見えぬな」
「影です。影が動いています」
「確かに!
 敵か?」
 雨水が刻んだ深さ二メートルほど溝を、何かが上ってくる。非常に不規則で鋭角な屈折を繰り返す深い溝の中は見えないが、溝の側壁に影が映る。ヒト形の影だ。状況から味方とは考えにくい。
 この溝は精霊の丘の霊域を示す石囲いから二〇〇メートルまで接近できる。
 ハウェルは、敵が何かを仕掛けてくると判断した。何を仕掛けてくるのかを待つべきか、敵の仕掛けを問答無用で阻止すべきかを迷った。
 戦場での迷いは、死神を呼び寄せる。そのことは承知していたが、ハウェルは一瞬迷った。
「マトーシュ殿、銃の先端に取り付けているのは砲弾か?」
「はい、ハウェル様。
 ライフルグレネードです」
「それを撃ち込んでみましょう」
「ハウェル様、最大射程内ですが、有効射程では遠すぎます」
「いや、かまいませぬ。
 藪をつつくだけだから、近くに落ちればよいのです」
 マトーシュは、ノイリン北地区で製造しているライフルグレネードを、四五度の角度で発射しようと、銃床を聖域を示す石囲いの上に置き構える。
 そして、発射する。
 きれいな放物線を描いて、榴弾が飛んでいく。
 かなりの遠弾だったが、偶然、溝の中に落ちた。溝の中の不審者は、砲弾が背後で炸裂したことから、慌てたようだ。
 溝から飛び出すと、プシュッという音とともに擲弾を発射してきた。
 擲弾はすべて、石囲いの外に落ちたが、発射音は非常に小さいのに、爆発音は七五ミリ砲弾並みに大きい。
 また、着弾と同時に大量の着火した油を撒き散らす。
 その一部は石囲い内に届いた。
 石囲い内は大混乱となり、藪をつつかれたのは精霊の丘側となってしまった。
 爆炎と混乱に乗じて、敵兵が後退していく。精霊の丘側からの発砲はなく、それは混乱に陥ってしまったからだ。
 マトーシュは、距離があるので命中しないと判断。発射しなかった。
 だが、一部始終をしっかりと目に焼き付けた。

 炎を発する油脂が服に付き、歩哨の三人が火傷を負った。
 少しずつ、戦力が磨り減っていく。
 ハウェルは、夜襲を仕掛けようと考え始めていた。

 社の前に六人が集まった。
 ハウェル、イエレナ、ルジエの農民代表、商人代表、ルサリィ、珠月だ。
 ハウェルがいう。
「今宵、夜襲を仕掛けようと思う。
 いかがか?
 各々方の存念をうかがいたい」
 商人代表が答える。
「敵は、訓練された軍隊。
 夜襲とはいえ、戦えば負ける……」
 農民代表とイエレナが商人代表に同意する。
 イエレナがハウェルを諫める。
「親父殿の気持ちはわかるが、ここは耐えるしかなかろう」
 珠月がハウェルに問う。
「日付が変わった、二時から三時なら、夜襲に最適では?」
 ハウェルが答える。
「ヒトであるならば。
 しかし、敵はヒトではありませぬ。
 いままで夜襲を仕掛けてこなかったこと。麓の兵営の焚き火が二二時には弱くなること。
 ヒトとは異なり、夜更かししない生き物かと。
 ならば、日付が変わった直後あたりが、夜襲に適するかと……」
 ルサリィがハウェルに賛成する。
「確かに……。
 太陽が昇る前に、敵は戦列を組んでいるから、その一時間前には確実に起きている。
 あのヒトとは違うヒトに似た生き物は早起きだ。
 私はハウェル様の夜襲案に賛成する。
 戦果を上げる必要はないんだ。
 眠らせなければいい」
 珠月がルサリィに問う。
「眠らせない?
 まぁ、手榴弾一発投げ込まれたら、その夜は眠れないか?
 ハウェル様の作戦をお聞かせください」
 ハウェルが微笑む。
「ミヅキ殿のいう通り、手榴弾一発で、敵は眠れなくなるでしょう。
 敵の背後、つまり精霊の丘とルジエの街の間に回り込み、手榴弾数発を敵の野営地に投げつけて、逃げ帰ってくるのです」
 ルサリィがハウェルを見る。
「そういう作戦好きです。
 何というのでしたっけ?
 ゲリラ戦?
 ジェネラルやコマンダーの作戦みたい」
 ハウェルがイエレナに問う。
「姫様。
 我らは消耗しております。
 敵にも消耗を強いてはいかがかと……」
 イエレナが答える。
「夜襲と聞いて、抜刀斬り込みと思ったのだが、あの手投げ爆弾一〇発を野営地に投げつければ、今宵の敵は眠れまい。
 戦果はどうあれ、敵の体力・気力は消耗する。
 我が副官の作戦に賛成しよう」
 農民代表が発言。
「地の利は、私たちにあります。
 今宵は半月。身の隠しようがあります。
 あの爆弾を投げつけるだけならば、百姓にもできます。
 人食いと戦うことを思えば、敵など怖くはない……。
 この仕事、どうか我々に下知ください」
 ハウェルが答える。
「お申し出、感謝いたす。
 私が指揮し、ルジエの方々で敵の野営地を襲いましょう。
 もし、途中で発見されたら、無理をせず、逃げましょう。
 川の北岸から回り込めば、敵の哨戒線にかからず、接近できましょう」
 イエレナが何かをいおうとしたが、ハウェルが左手で制した。
 そして珠月を見た。
「ミヅキ殿。
 今宵、この地の指揮をお願いしたい」
 珠月が黙礼する。
 夜襲隊七人の出発は、日付が変わった直後と決した。

 日付が変わる。
 ルサリィが、ハウェルに四四口径ハンドエジェクトのリボルバーを渡す。
「この銃は、強装弾が発射できます。強装弾を装填してあります。
 お使いの機会がないことを祈ります」
「ルサリィ殿、お心に感謝いたす」

 夜襲隊全員に柄付き手榴弾二発と拳銃一挺、予備弾六発が渡される。
 音がする剣は置いていく。
 チュールがハウェルに話しかける。
「ハウェル様も剣を置いていかれるのですか?」
「石に鞘があたれば音がするのでな」
「鞘が木ならば?」
 チュールは背中の刀を外し、ハウェルに差し出す。日本刀の作りで、原料はトラックのスプリングだ。金沢がチュールのためにあつらえてくれた特製だ。刃渡りは六〇センチと短い。
 鞘は木製。鞘は薄く鞣〈なめ〉したブタ革で包まれている。
 ハウェルがわずかに抜き、刀身を検分してチュールを見る。
「よき刀。
 拝借いたす」

 夜襲隊七人は、闇の中に静かに消えていった。

 合流三日目未明。
 幼い子供以外、誰もが起きている。
 そして、誰もが西を見ている。
 一時間経過したが、何も起こらない。
 アマリネが「どうしたんだろう」問い、誰も何も答えない。

 爆発音が八回。
 続いて、いくつもの松明が揺れる。
 銃声は聞こえない。
 トゥーレが微笑む。
「銃声がしない。成功したんだ!
 離脱したんだ!」

 それから二時間、精霊の丘は黙して待った。
 一人が帰路に足をくじいたが、全員が生命を持ち帰った。

 二日遡る。
 俺たちは一〇時間かけて二〇〇キロ進み、深夜にカンスクの街に着く。
 街は眠っていなかった。
 カンスクの輸送用艀にアシュカナン兵が乗り込んでいる。
 気になり近付くと、艀にはカンスク製の突撃砲と、ウマが積まれている。
 もう一隻の艀にはアシュカナン兵。どの顔も若い。
 それを横目で見て、川面を下る。ゆっくりと。

 合流三日目早朝。
 精霊の丘を包囲する敵は、増強されていた。確実に一〇〇〇を超えている。
 また、飛行船が精霊の丘に近付いている。
 川岸上空に静止していて、精霊の丘までの距離は約二キロ。砲ならば十分に射程圏内にあるだろう。

 飛行船は、独特な形状をしていた。明らかに硬式飛行船で、浮力を得ている巨大な浮体は空気抵抗の少ない葉巻型で、機体の下部にやはり葉巻型の機体(ゴンドラ)が取り付けられている。
 この機体に敵兵が乗っている。浮体と機体は、六本の支柱で固定されている。
 そのキャビンの下に、三連装の筒が六基確認できる。
 これが砲だと思うのだが、筒は短く、かつ砲身が薄いように感じる。
 珠月は、ロケットランチャーの可能性を考えた。
 もし、そうならば、意外と射程は短いかもしれない。有効射程は五〇〇メートル程度か?

 最大の飛行船は、全長二五〇メートル、直径四〇メートルと推測している。
 動きは鈍重で、とても脅威には感じないが、航空攻撃の恐ろしさは、黒魔族のドラゴンでよく知っているので、油断はしていない。

 その巨船がゆっくりと旋回し、キャビン下部の発射筒を精霊の丘に向けた。
 一八門のすべてを!
 高度は二〇〇メートル。砲口と精霊の丘は、ほぼ正対している。
 街の人々は、恐怖でパニックを起こしかけている。
 一斉射で、ルジエの街は壊滅したという。
 夜が明けたばかりだ。航空支援は期待できない。

 クラウスグループの四人は、この瞬間を待っていた。
 ヴィーゼル2の後装式一二〇ミリ迫撃砲は、敵艦砲よりも射程が長い。敵の動きは鈍重で、引きつければ一発で仕留められる。
 ヴィーゼル2の狭い車内では、迫撃砲に諸元が入力されている。
 そして、初弾が発射された。

 一撃だった。
 たった一発の命中弾で、巨大な飛行船は大きく揺れて、地上に激突しかかった。
 体勢を立て直す間に、次弾が着弾。
 だが、壊れない。
 ただの飛行船ではないようだ。
 飛行船は体制を立て直し、逃走を図るが、迫撃砲の射程内だ。さらに一発が後部に命中。十字型の翼の一部を破壊する。
 その十字型の翼、方向舵と垂直安定板、昇降舵と水平安定板と思われる部位の後方に巨大なプロペラがあり、そのプロペラが不規則な回転を始める。
 飛行船は、明らかに離脱を図っている。
 そして、西に逃走していった。

 精霊の丘では、街人の大歓声がわき起こった。

 日の出から二時間後、アネリアとトクタルは約束通りに飛んできた。
 昨日は飛んでこなかったので、誰もが小躍りして喜んだ。
 だが、約束と違うこともあった。
 より爆弾搭載量の多い、エアトラクター二機だ。
 合計二トンの焼夷弾を投下する。
 地上が業火に包まれる。
 機銃掃射のはずが、クラスター焼夷弾八発だ。
 ノイリンが本気になった証拠だ。

 地上を覆う紅蓮の炎がおさまった頃を見計らい、八一ミリ迫撃砲弾二〇発を発射する。
 敵後衛の戦列を狙ったら、一個隊が壊滅していた。
 珠月たちは敵の戦列が、なぜ正確に並んで突っ立っているだけなのかが理解できなかった。由加とベルタから教わった戦い方とは、あまりにも違っている。
 しばらくすると、敵部隊はルジエの街に後退していく。だが、精霊の丘は少数の部隊が包囲している。包囲しているのは散兵だ。
 敵は、明らかに戦術を変えてきた。

 イエレナがアマリネにいう。
「敵は持久戦に転じたね」
 アマリネが答える。
「こちらの注文通りだよ」
「注文?」
「必ず来てくれる」
「誰が?」
「鋼の精霊に守護された男……」
「ハンダ様?」
「必ず……」
 イエレナが問う。
「マリ様は、デュランダル様のことは何か?」
「デュランダル様は異教徒だから、守護精霊はいないでしょ?」
「以前、デュランダル様から高い山で雷に出会ったときのことをお聞かせいただいたの。
 雷鳴と稲光が酷い夜の出来事。
 稲妻が身体の高さで真横に走り、デュランダル様は身につけているすべての金属を離し、身をかがめたそう。しばらくして、雷がデュランダル様を直撃したの。
 でも、どういうわけか雷は地に吸い込まれてしまった……。
 夜長の戯言で、デュランダル様の体験を、ある村の巫女様に話したことがあって……。
 その巫女様は、デュランダル様の守護精霊は雷〈いかづち〉だって……。
 どんなヒトにも守護精霊はいるんだって……」
「雷の精霊?」
「雷の精霊に守護された剣士なら、あの手練れを倒せるかなって……」
「手練れ?」
「敵の将。
 凄く強いの。
 親父殿でさえ、斬激を防ぐだけで精一杯だったんだ」

 合流三日目午後。
 敵は動かなかった。

 合流三日目夕方。
 やはり、敵は動かない。
 矢弾は減らないが、食料は減っていく。
 確実に。
 精霊の丘には石造りの社〈やしろ〉があるが、ヒトが留まるようにはできていない。精霊が出入りする扉はあるが、窓はない。
 内部は狭い。数人が雨露をしのげる程度だ。キリスト教の教会、イスラム教のモスクのような施設ではない。

 俺たち二輌は、ロワール川北岸から数キロ離れた原野にいた。
 眼前に鋭い山容の独立峰がある。
 風になびく海原のような草むらに浮かぶ、火山島のようだ。
 あの山の西麓に珠月たちがいる。

 カンスクの突撃砲とアシュカナンの騎兵によって編制された混成部隊は、俺たちの東四キロに上陸した。
 俺たちは、それを知らなかった。

 突撃砲と騎兵の混成部隊は、自動車化された輸送部隊をともなっていた。
 この自動車化輸送部隊は、当初の計画にはなかった。
 この部隊は、カンガブルとシェプニノの隊商の一部からなっていた。カンスクに商談で訪れていた、各街の若者が無断で隊を離れ、車輌と物資を持ち出し遠征隊に参加したのだ。
 車輌はトレーラーを牽引する半装軌車で、路外での機動力がある。輸送隊ではあるが、通常の旅支度はしている。つまり、武装しているのだ。
 総兵力は二〇〇を超える。
 混成部隊は、持ち味である機動力を生かして、ロワール川に沿って西進し、ルジエの街に急速接近していた。

 混成部隊を精霊の丘を包囲する敵の斥候が発見。
 連絡を受けたルジエの街から、騎兵が出撃する。

 精霊の丘では、土煙を巻き上げる大部隊の西進を早くから発見していた。
 また、カンスクの突撃砲とアシュカナンの薔薇騎士団の団旗が掲げられていることから、友軍であることも知っていた。
 西に傾いた太陽の光が、薔薇騎士団の団旗を輝かせている。
 精霊の丘からは、所在を知らせるため、青の発煙弾を打ち上げる。
 その応答として、突撃砲から青の発煙弾が打ち上げられた。

 敵の対応は素早かった。
 ルジエの街から騎兵二〇〇が出撃。
 街の城壁外に展開する。

 混成部隊の行動は、迎え撃とうとしている敵には予想外であった。
 ルジエを発した騎兵が接近すると、混成部隊の騎兵はその場でウマを降り、散開して銃を構えた。
 ウマなし馬車の御者たちも、荷車を降り、遮蔽物を見つけて身を隠し銃を構える。
 この時点で、敵騎兵の指揮官は勝利を確信した。

 広大な平原を、横一列で抜刀突撃してくる敵騎兵を見て、混成部隊の各指揮官は理解できなかった。
 隊商の隊員は、盗賊が騎馬突撃してくる様子に重ね合わせていた。
 最近では、盗賊だって騎馬での襲撃なんかしない。たいていは、待ち伏せだ。
 なぜか。
 カンガブルが真の冬の間に、ガス圧作動方式軽機関銃の開発に成功したからだ。給弾は、機関部上部に装着されるパンマガジンで行う。
 その軽機関銃は、ルイス軽機と通称されている。
 半装軌車全車に、このルイス軽機が搭載されている。47連発のパンマガジンからは、七・六二×五一ミリNATO弾が発射される。発射速度は毎分五〇〇発。
 半装軌輸送車は一二輌。一二挺のルイス軽機が抜刀突撃してくる騎兵に銃口を向けている。
 カンスクの突撃砲は、戦闘室上にノイリンから購入したMG3を搭載している。こちらの発射速度は毎分一〇〇〇発を超える。有効射程は、八〇〇メートルもある。二〇〇メートルの距離でも、確実に制圧できる。
 そして、薔薇騎士団の一〇〇騎は、全員がボルトアクションの小銃を装備している。

 敵の騎兵は、一直線に突撃してくる。
 まるで、勝利を確信しているように。

 戦いは、実質一〇秒ほどだった。
 機関銃と小銃の一斉発射は、騎馬の突進を一瞬で完全に止めてしまった。

 薔薇騎士団の団員が、乗り手を失った敵騎兵のウマを回収している。
 輸送隊のメンバーは、丹念に敵の生死を調べ、生きていればとどめを刺す。
 彼らは軍人ではない。攻撃してくる相手は、誰であれ盗賊と判断する。盗賊には、情けをかけない。

 その圧倒的な戦闘力を、ルジエの避難者たちは望見していた。
 誰かがいった。
「皇帝陛下の軍など、敵ではないぞ」
「恐ろしや……」

 混成部隊は、ロワール川と精霊の丘の中間付近の高台に布陣する。

 俺たちは、南からの激しい銃声を聞いていた。
 発射は一〇から一五秒で終わり、発射音は乾いた音で、ルイス軽機であることに間違いない。
 俺は胸のざわつきが押さえられない。
 誰が、戦場を統べているのだ。
 それがわからない。
 誰にも、死んでもらいたくない。
 交戦が激しくなると、修まるものも、修まらなくなる。
 できれば、俺は相手の指揮官と会談し、平和裡に去って欲しいと考えている。
 デュランダルも同じ意見だ。
 だが、金吾や金沢は、そうは考えていない。一戦交えなければ、どうにもならないと判断している。
 カロロとミルコは、様子を見ようと……。

「これでいいですか?」
 俺はミルコの問いに「あぁ」とだけ答えた。
 ミルコが砲塔上のアンテナに白い布をくくりつけてくれた。
 意味が通じるかは不明だが、白旗を掲げて、交渉に向かうつもりだ。

 日没まで時間がない。

 俺は、話せばわかる、と考えていた。
 まさか、これが生命進化における自然淘汰/最適者生存という生命進化の原初的戦いの始まりだとは考えてもいなかった。
 秋の午後だというのに、乾いた大気を太陽が熱していた。
 冷涼なのに身体が奇妙に熱せられ、喉が渇く。 
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