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第2章

第四一話 ネルガ

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 ベルトルドたちの生活は、激変した。小屋というよりは細い丸太と藁で作った崩れかけの廃屋のような住居から、煉瓦造りの清潔で暖かい家に住むようになった。
 また、飢えからも解放された。朝から晩まで、湿地や森を歩きながら、必死で今日の糧を探さなくてもいい。
 暖を取るためと調理のための薪拾いを、他者の咎めを恐れながら歩き回る必要もない。
 重い木桶を手に、澄んだ飲み水を得るために川から運ばなくていい。
 彼らは、環境の変化に対して、かなりの戸惑いを見せている。
 移住当初、より広い農地を欲していたが、クラウスの運送やウィルの燃料精製施設、金沢の車輌工場、アンティの〝密造酒〟蔵など、選べる仕事が多すぎて、どうしていいかわからないらしい。
 斉木は、彼らが守ってきた機械で、生計が立てられるよう、考えている。
 彼らがノイリンで生きていくためには、彼らがノイリンに必要であることを周囲に理解してもらわなければならない。

 金沢たち車輌班は、トラック二輌とトラクター二輌の修理で、急に忙しくなった。
 特にトラクターは「急げ」と斉木が急かしている。
 秋蒔き小麦の作付けが始まろうとしているからだ。

 サビーナたち航空班は、ネルガの集団を捕捉するため、北東方面を頻繁に航空偵察している。
 今回は、由加とベルタが二人とも出撃する。俺の行為の後始末のために……。
 前回同様、シミター、セイバー、BTR‐D、BMD‐1、そして指揮通信車としてBTR‐80八輪装甲車が出る。
 他のグループの車輌は出ない。
 俺も責任をとらされて、出る。
 ケレネスとファタの親子、インチキ通訳のカロロが同行すると、譲らなかった。
 できれば、ヒトの血が流れることは避けたい。だが、避けられなければ、覚悟を決めるしかない。

 ベルトルドのグループは、宗教的な集団だったらしい。
「祖父母は、教祖様とともにこの世界にやって来ました。
 神の教えを実践するために。
 しかし、恐ろしい生き物が棲んでいて、神の教えはまったく意味をなさず、教祖様はただ怯え、狂い死にしたそうです。
 教えを守るか、捨てるかで、対立があり、神の教えを捨てて新たな世界に挑もうとするグループが南に向かいました。
 それが、祖父母のグループでした。
 この世界は、一切の暴力がない、平和で豊かな環境だと祖父母たちは信じていたようです。
 しかし、ヒトを食う生き物が地上を支配していました。
 平和でも豊かでもなく、暴力と殺戮だけの世界に迷い込み、武器はなく、多くのヒトがただ狩られて死んでいきました。
 最初の数日で、生き残ったのは、わずかでした。
 いまでは、八人しかいません」
 俺は尋ねた。
「では、あのトラックの積荷は?」
「父が作ったんです。
 父は信仰していなかったようです。
 ベジタリアンでもありませんでした。
 ですが、移住には賛成で……。
 母は絶望の中で、信仰に救いを求め、ベジタリアンになり、移住に未来をかけたそうです。
 父は最初の数日を生き延びてから、木の先端を尖らせて槍を作りました。
 武器はそれだけでした。
 荒野を走れるのはトラクターだけで、トラクターでトラックを牽引しながら、進んだそうです。
 旅の途中で、何も武器を持っていなかった父たちは、あれを作ったんです。
 何年か前、父が死に僕たちだけになると、街の連中に襲われました。
 そのときにあれを使いました。
 攻めてきた奴らに生き残ったものはいません。
 死体は埋めて隠しました」
 ベルトルドたちは、二基の火炎放射器を持っていた。襲われた場合、容赦なく使ったらしい。
 そうしなければ、生き残ることは不可能だっただろうことは、容易に想像できる。

 ネルガの捕捉は難しいことではなかった。どういう思考なのかは理解できないが、この集団は頻繁にヒトの住地を襲う。
 盗賊でさえ、もう少し計画的だと思うのだが、とにかく手当たり次第襲ってみるのだ。そして、多くの場合、警戒線に引っかかって反撃され、損害を出して撤退している。
 ヒトは必ず警戒線を張る。この警戒線は、ドラキュロ、黒魔族、盗賊、フルギア人に対してのもの。
 地雷は住民にも被害が出る危険があり、あまり使われていない。それに生活圏が狭まり、生産活動を阻害してしまう。
 この世界で最も重要なことは、ドラキュロからの防御で、その次が食料の生産だ。
 身体能力に優れるドラキュロの侵入を阻止できれば、同時にヒトの侵入も防げる。
 そこで、主に鳴子が多用されている。原始的ではあるが、これの効果は高い。住民が怪我を負う危険もない。そして、木片や金属片、空き缶など、どんな素材からでも簡単に作れる。
 鳴子の多重設置は、ヒトの小規模住地では当然のこととなっている。

 アムル人による住地襲撃が頻発して以降、小規模集落では鳴子に加えて手製の埋設爆弾の設置が多用され始めた。踏んだら爆発するのではなく、鳴子で危険を知り、野生動物ではないと疑った時点で爆発させるのだ。
 これで、ドラキュロを含めて追い払える。
 結果、アムル人の襲撃初動において、アムル人襲撃者の埋設爆弾による負傷・死亡が増えている。
 また、彼らが騎乗するドラゴンが爆弾の犠牲になることもある。

 捕虜となった襲撃者の運命は、過酷だ。この世界において、人権はない。人道的に扱われるなどと期待する襲撃者はいないだろうが、捕虜にする側にもそんな意識はない。
 拙速で、未熟な軍事的指揮は、襲撃者集団の士気を下げる。意図的な命令忌避はもちろん、逃亡や、場合によっては指揮官の殺害も起こる。
 当然、ネルガ指揮のアムル人グループの戦力は減じ始めている。

 こういった状況下で、俺たちはネルガ集団を捕捉した。

 黒魔族の南下以降、小規模のヒトの集落は集約の傾向が強まっていた。
 農地を捨てても、自衛のために複数の集落が集まって大規模化する方向に移行している。
 ノイリンもその一つだ。
 放棄された住地のうち、比較的状態のいい集落に数人のメンバーを潜入させ、ヒトが住んでいるように偽装した。
 彼らは、すぐに脱出できるようアルゴの八輪ATV(全地形対応車)を複数ある納屋の一つに隠している。
 四人で何役も演じ、この四棟しかない集落にヒトが住んでいるように見せかける。
 子役で、ちーちゃんが名乗りを上げたが、当然許可できない。
 珠月がちーちゃんの代役となり、イサイアスが老人、アンティが老婆となった。珠月の母親役は身体の大きいイアンが務める。
 遠方から見れば、体格の相対で珠月が幼い子供に見える。
 もちろん、四人は完全武装している。イアンの戦闘力は低いが、彼ほどの体格はないので、外せなかった。

 この餌に、ネルガの集団は簡単に食いついた。
 この集落跡は、湿地に囲まれ、南北は森が迫っている。
 東西は開けているが、東にはソーヌ川がある。
 騎馬で攻めるとすれば、必然的に西側からとなる。集落跡の周囲は湿地ではあるが、沼や池以外の地面は比較的乾いている。

 こんな小さな集落を襲うために、ネルガは一〇〇を超える兵を集めていた。
 指揮官はネルガ自身だ。夫であり、アムルの王であったドーグは齢五〇を超えていたが、ネルガはまだ二〇を少し過ぎた若輩。ネルガには〝軍功〟が必要だった。
 連戦連敗のネルガは、彼女の子を含めて生命の危険が迫っていた。
 愚かな指導者を戴いていられるほど、この世界は優しくない。

 草食ドラゴンに騎乗する兵二〇、ウマに騎乗する兵四〇、馬車が一五。自動車が二。
 馬車は奪った荷を運ぶためだろう。
 ネルガは未熟で、ある襲撃された集落は戦わずに退去。
 しかし、荷を運ぶための一切の車輌を集落側に持ち去られたため、ごく一部しか奪えなかった。
 しかも、荷を奪い、その結果機動力を失って、集落側の追撃を受け、甚大な損害を出していた。
 それを学んだのだろうが、わずか四棟の集落を襲うには、あまりにも過大な戦力であった。

 トラブゾン人からの情報によれば、ネルガは有力な支族の出身で、幼い頃から粗暴だったようだ。
 アムル人の多くは農民で、侵略や略奪からは比較的遠くにいた。だが、草食ドラゴンの発見と、その家畜化に成功して以降、一部支族が全支族を武力で支配し、他地域への侵略・略奪を行うようになる。
 ネルガは支配支族の出身で、その中でも有力な家系を母体にしている。
 アムル王ドーグの死後、アムル人は四分五裂となったが、それでもネルガの集団は第二勢力を維持している。

 ネルガは女王になるために〝軍功〟が必要だった。
 だが、粗暴さと知力の低さゆえに、経験豊富な長老や族長の意見を入れず、程度の低い盗賊と大差ない行動に終始していた。

 ネルガの集団は、歩を速めて集落に急接近している。
 北の森にはシミター、南の森にはセイバー、東には偽装を施しているBTR‐D、西には同じくBMD‐1が配置されている。

 珠月の運転で、ATVが東に向かっていく。

 ネルガの集団が集落に突入する。

「全車集落を包囲」

 由加の命令で、機関砲装備の戦闘車四輌は、東西南北から現れて、ゆっくりと集落を包囲する。
 ドラゴンはおとなしいが、ウマは装甲車の走行音に怯えて嘶き、何頭も前肢を持ち上げ、後肢で立つ。
 何人かのアムル人が落馬する。

 ほぼ全員が小銃を発射するが、装甲車の装甲には無益だ。
 シミターがラーデン砲を空に向け単連射する。
 その発射音で、さらにウマが怯える。
 アムル人たちは、四輌の囲みを破って逃げようとするが、BTR‐Dが無人の小屋に二〇ミリ機関砲弾を一弾倉分連射すると、小屋は屋根の重さに耐えられず崩壊する。その威力に恐れをなして、アムル人は抵抗をやめた。

 北の森からBTR‐80が現れる。

 俺とケレネス、そしてインチキ通訳のカロロの三人がBTR‐80から出る。

「指揮官は誰だ?」
 カロロが通訳する。
 俺の問いにアムル人は無言。
「指揮官は臆病者か?
 恐ろしくて名乗り出ないのか?」
 俺が少し煽ってみる。
 だが、カロロの通訳が異常に長い。ケレネスが笑いをこらえている。
 騎乗した二〇歳代の女性が、騎乗したまま歩み出る。
「アムルの王ドーグの妻、女王となるネルガだ」
 カロロの通訳は、今回は的確なようだ。
「貴女を拘束する」
「私を捕らえると?
 聞いたか!
 この小男が私を捕らえると言っているぞ!」
 ネルガは馬上から、声を立てて笑った。
 カロロが一瞬通訳を躊躇ったが、カロロの通訳を聞いた俺が微笑む。
「お嬢さん、ウマから下りて、おとなしくこのクルマに乗りなさい」
 ネルガは馬上で上半身を前方に傾け、言った。
「お前は知らないようだな。
 私はアムルの女王になるのだ。
 その私をお前が捕らえられるというのか」
 カロロが楽しそうに通訳する。
「貴女を捕らえないならば、貴女と貴女の部下はここで死ぬことになる。
 我々の武器は、貴女たちを一瞬で殺せる。
 ここで、一〇〇の兵が死んだらどうなる?
 貴女の二人のお子さんはどうなる?
 母親のように楽には死ねないぞ」
 俺はアムル人の思考や習慣、そしてネルガ集団の情報をケレネスから得ていた。
 ネルガは有力な家系の出身だが、ネルガ自身には人望はないようだ。
 むしろ、ネルガの家系も、新たな指導者の必要を感じているらしい。
 ネルガは敵対者を徹底的に排除、つまり謀殺してきたが、それゆえに彼女の周囲には知恵者が極端に少ない。
 そして、敵が多い。
 だが、誰もが、勇ましいだけのネルガじゃダメだ、とは何となくわかり始めている。
 そのための最善策は、ネルガが敵対民族に殺されること。
 彼女が死ねば、彼女の血を引く二人の子を殺し、すべてが解決する。

「じゃぁ、殺してみろ!」
 カロロが通訳し、それは全車がモニターしている。
 四輌の装甲車の砲塔が旋回し、機関砲の砲身がアムル人集団を指向する。

 ネルガの後方からドラゴン騎乗の男が近付く。
 剣を抜き、その柄でネルガの頭を殴った。
 ネルガが落馬する。
「人質は渡す。
 その女は不要だ。
 殺すなり、フルギアに売るなり好きにしろ。
 我らはこの地を去る」
 カロロが驚いたように、早口で通訳する。

 ネルガの頭部の傷は深く、無線による能美の指示でノイリンに急ぐ。
 頭蓋が損傷するほどの強い力で殴られ、意識の混濁は一〇日を超えた。

 ケレネスはネルガの子を案じ、彼の意見を採って、BTR‐Dでアムル人を追跡することにする。
 ケレネスは十中八九、ネルガの子は殺されると予測している。
 アムル人社会では王が替わる際、先王の家族が殺される例が多いそうだ。王位が父から子に受け継がれる場合は少ないが、兄から弟となれば、先王である兄の家族は間違いなく皆殺しとなる。
 父から子に受け継がれた場合でも、新王が彼の兄弟とその家族を殺すことはよくあるのだそうだ。
 だから、ケレネスはネルガの子を心配した。

 ネルガが直卒する集団は、すでに五〇〇を割っていた。ネルガはドーグ同様、略奪による食糧確保を指向していた。
 ドラキュロの襲撃を受け、西に移動を始めた瞬間から食料の枯渇は時間の問題だった。本来なら、一刻も早く新たな住地を見つけ、定住し開墾と作付けに移るべきなのだが、作物はすぐに実るわけではない。
 開墾から始めれば、最初の収穫に何年もかかる。
 その間は採集狩猟に頼ることになるが、それでは必要な食糧を確保できない。
 ならば略奪、となったわけだが、ソーヌ川・ローヌ川とロワール川に挟まれた一帯に住むヒトは、黒魔族およびクフラックの襲撃と戦い、黒魔族の南進を撃退する激戦を戦い抜いていた。
 土地が広く、人口は少ない。西からの移住者を拒む必要はなく、彼らが平和裡に定住すればよかったのだが、アムル王ドーグの性格からそうはならなかった。
 そして、彼は最初に決定的な間違いを犯した。
 ノイリンに開城と食料の供出を要求したのだ。
 ノイリンを攻略すれば、自動的に周辺の集落は従うと考えたようだ。
 だが、ノイリンによって、彼は排除された。
 跡を継いだネルガは夫の方針を引き継いだが、どうすることもできず飢えは確実に迫っていた。
 結果、ネルガの勢力は急速に減少していた。

 ネルガの集団が野営地としていた場所は、ドラキュロの襲撃には一定の対応策となるような地形だが、農耕にはまったく不適であった。
 当然、ネルガが捕縛されたとなれば移動する。
 移動の準備に二日を要し、三日目の朝に移動は開始された。
 俺とケレネスは、それを双眼鏡越しに見ている。
 二人の子供がキャンプの中央に打ち込まれた杭に縛り付けられた。
 杭に身体を固定したのではなく、腰と杭をロープでつないだのだ。
 二人は三歳以下のように見える。
 自分ではロープをほどけないだろう。
 そして、最後の荷馬車がキャンプ地を去る。
 子供二人が残された。
 置き去りだ。
 ケレネスが何かを言い、カロロが通訳した。
「ネルガの罪を二人の子に負わせたんだ。二人を楽には死なせない、と」
 カロロは、ある意味で当然だというような語調であり、同時にまだ生きている、とホッとした声音で通訳した。
 俺が「三〇分待とう」と言い、カロロが頷いた。

 長い三〇分だった。
 そして、わずか二〇分が遠い道のりだった。

 二人は無事だった。
 服は泥で汚れ、凍えてはいるが、生きている。
 すぐに毛布でくるみ、狭い車内に入れる。
 俺とカロロがエンジンルームの上に乗る。

 上の子はよくおしゃべりし、それをケレネスが受け答えしている。
 当然ではあるが、二人とも自分たちの状況を理解していない。

 ノイリンにBTR‐Dが戻ると、能美はすぐに二人の子供を母親に会わせた。
 ネルガは昏睡状態で、そう長くは持たないらしい。

 翌早朝、粗暴な王妃が死んだ。二人の幼い子供が残された。
 ネルガはノイリンに到着した際、意識があった。
 能美に何度も自分の子を助けてほしいと懇願し、そして意識を失った。
 能美と斉木は、二人を引き取るという。ケレネスは、反対しなかった。

 ネルガは、ノイリン外郭に設けた墓地に埋葬された。
 ネルガの守護精霊がわからず、トラブゾンの高位精霊〝水の精霊〟によって黄泉に渡った。
 丁重な葬儀は、ケレネスの差配で執り行われた。アムル人によるトラブゾン人への非道はそれとして、ケレネスは死者を冒涜することはなかった。

 ネルガの集団を包囲した際、彼らは同型二輌のクルマを持っていた。
 どこかで奪ったものらしいが、この地域の車輌とは違う。
 パートタイムの四輪駆動で、シャーシは梯子形フレーム、エンジンは一・四リットルのOHV、キャビンとエンジンフードは鉄板製、荷台は木製だ。
 車格は、サニートラックのクラス。小型で使い勝手が良さそうだ。
 東方製か?

 かなり酷使されていて、エンジンが始動せず、アムル人は放置していった。
 それをイアンがいとも簡単に修理して、持ち帰ってきた。
 イアンは「捨てたものを拾っただけ」と言ったが、奪ったに等しい。
 この二輌も整備すれば、まだまだ使える。

 ネルガの行為は、この一帯の人々に今までになかった移住者、移動者に対する警戒心を植え付けた。
 これは、彼女たちの負の遺産となった。

 アムル王ドーグの息子ガイの集団は、瓦解した。ガイの消息は一切不明。ケレネスによれば、殺された可能性が高い。

 ネルガの残存集団は、ソーヌ川を渡り東岸に移動し、湖沼地帯に落ち着いた。放棄された古い耕作地があり、ここで本来の生業〈なりわい〉である農耕を営むつもりだろう。
 ノイリンを含むヒトの集団は、彼らに食料の援助を行うことを決めている。
 ノイリンは小麦や大麦は渡せないが、ジャガイモならたくさんある。

 ネルガを追っていて、新たにわかったことがある。
 北の伯爵のその後だ。

 シェプニノとカンガブルは、北の伯爵や黒魔族には、車輌と武器を売っていない。戦闘で鹵獲したり、闇商人から買ったり、住民から奪ったりはあり、間接的に手に入れていたが、直接入手したことはない。
 そして、黒魔族と北の伯爵は、シェプニノやカンガブルとは異なるサスペンション形式の装軌車輌を保有している。
 シェプニノは、ホルストマン式のコイルスプリング(巻きバネ)を使った二輪連動方式。
 カンガブルは、リーフスプリング(板バネ)を使っている。一組のリーフスプリングの両端に転輪を取り付ける。一組のリーフスプリングが径の小さい二個の転輪を支える。
 北の伯爵の車輌は、一組のリーフスプリングに二個の小転輪を備えたボギーを懸架している。
 悪路走破性と高速走行に不適で、複雑な割には効果の薄い型式だ。
 この装軌車は、北の伯爵のグループが製造していた。
 銃器・火砲も、北の伯爵グループが製造していた。
 その最大の買い手は白魔族で、その次の商売相手が黒魔族だったらしい。
 北の伯爵は白と黒の魔族を手玉にとっていると考えていたようだが、結局は黒魔族の軍門に降る。
 対黒魔族戦以降も北の伯爵グループは黒魔族と行動を共にしている。
 どうも、黒魔族は何らかの方法でヒトを従順に操るようだ。
 黒魔族の虜囚となれば、絶対に脱出はできないらしい。ヒトに限らず、精霊族や鬼神族も同じとか。
 蛮族は、黒魔族の魔導士がヒトを操る怪しい魔法を使うと信じている。
 魔法かどうかは別として、北の伯爵は黒魔族に使役されて、従順に働いているようだ。

 北の伯爵を黒魔族が併呑した結果、白魔族は機械の購入ができなくなった。結果、フルギア人に対して褒美が出せず、両者の関係は微妙な状況に陥り始めているようだ。

 黒魔族の戦車の数が急増している。北の伯爵の残党が、従順に製造数を伸ばしているらしい。ドラゴンの不足を補う目的から、戦闘の主役へと変わる兆候ではないかと警戒している。
 どちらにしても、もう一度、黒魔族とは戦うことになりそうだ。
 それは、精霊族や鬼神族も危惧しており、彼らも戦車の導入に積極的だ。

 ネルガは人望の薄い女性であったようだが、その一方で熱狂的な信奉者もいたようだ。
 彼女の信奉者が、ノイリンを狙ってきた。
 彼らにノイリンを攻める戦力はない。だが、ノイリンから出る、ノイリン住民を襲うことはできる。

 日没少し前、ノイリンに向かっていた小型半装軌車が騎馬とヒトが跨がるドラゴンに追われた。
 発砲されたりはしなかったが、ドラゴンに騎乗している以上、アムル人と判断していい。敵対的意思があったことは明らかだ。
 この半装軌車はトレーラーを牽引していたが、たまたま空荷で追撃を振り切ることができた。

 数日後、馬車が行く手を遮られる。当然だが馬車側も武装していたことから、そして馬車の荷が麦藁だったことから、それ以上の事態にはならなかった。

 その翌日、アネリアが周辺の偵察をするため、離陸する。
 ノイリン周辺で不審な行動の小集団は、この航空偵察で捕捉した。
 これ以後、ノイリンは警戒を厳にする。
 だが、警戒していたのだが、斉木の農場が襲われた。

 ノイリンは内郭城壁と内濠は完全に残っているが、外郭城壁と外濠は原形を確認できていない。
 だが、相馬は外郭の東側は土中に埋もれているが、濠を掘削すれば健在だと推測している。
 外濠の西側は、ロワール川に流された可能性が高い。実際、内郭城壁の内濠とロワール川はつながっている。
 片倉は南と東に耕作地を持つ農民グループからの依頼で、外郭城壁と思われる石組みを掘削し、外濠のごく一部を復元していた。
 外濠の☆の先端を結ぶ円の直径は、一四キロに達すると相馬は予測している。半分が失われているとしても、四〇平方キロもある。これは、東京都江東区に匹敵するほどの広さだ。外濠を修復できれば、恒久的に安全な農地を作れる。
 濠の総延長は三〇キロとも四〇キロとも推測されている。
 掘削だけではすまない大土木工事になる。
 だが、一部は残っている。相馬は総延長の四〇パーセントは、目視で存在が確認できると結論している。
 特に南と東は、その痕跡が多い。痕跡をつないでいくと、外濠と思われる石組みが現れつつある。
 南と東の農地は、比較的安全になり始めている。
 だが、北側は一切の防御設備がなく、危険な状態であった。
 そして、斉木の、我々の農場は、北にあった。

 この土地に不慣れな我々は、斉木の指導によって主にジャガイモを栽培している。
 移住初期にわずかだが耕地を整備し、種芋を植え、夏の盛りに収穫できた。
 ノイリンにもともとある地下の冷暗な場所に貯蔵してあるし、夏にも別な場所に種芋を植えてみた。
 これも豊作だった。
 で、毎日ジャガイモばかり食べている。
 タマネギも採れたし、ニンジンも育った。

 ベルトルドたちのトラクターは、一輌が動いた。二輌の状態のよい部品を集合して、一輌に変えたのだ。
 いわゆる二個一。
 もう一輌も修理するが、こちらはもう少し時間がかかる。
 斉木がベルトルドに農業におけるトラクターの使い方を教え、その威力に多くの農民が瞠目する。
 そして、「うちの畑も耕して!」となる。
 ベルトルドたちは、他所の畑を耕して代金をもらい、かなりの収入を得られそうな気配が見えている。
 我々の農場もトラクターの威力で面積を急速に拡大している。来期は食糧不足を心配しなくてもいいかもしれない。

 斉木は、ノイリンの農民にジャガイモの効用を説いている。
 彼は、飢饉を心配している。この一帯は基本的に冷涼で、いつ農作物の不作が起きても不思議じゃない。実際、過去に何度か飢饉はあったようだ。
 ただ、人口が少なすぎて、飢饉が地域一帯に起きたのか、ある村での出来事だったのか、はっきりしないのだ。
 ただ、精霊族は、農作物の極端な不作を詳細に記録していて、七年から一〇年周期で起きるとしている。
 とするならば、ここ数年が危険なのだ。
 だから、斉木は飢饉対策として、ジャガイモの生産を奨励しているのだが、ヒトの農民は真剣には聞いていない。
 むしろ、精霊族や鬼神族のほうが、斉木の意見に熱心に耳を傾けている。

 俺はちーちゃんとマーニに「斉木先生は青木昆陽だね」と言った。
 マーニは「なーに、それ」と返し、ちーちゃんは「どんな野菜なの。ニンジンみたいなのは嫌い」と答えた。
「青木昆陽は、江戸時代という大昔にいたヒト。
 サツマイモの栽培を実験して、その栽培方法を広めたんだ。
 大飢饉が起きたときでも、サツマイモは収穫できたので、多くのヒトの命が救われたと伝えられている。
 お腹がすきすぎて死んじゃうことがないようにした立派なヒト。
 斉木先生は麦が採れなくても、ジャガイモがあればお腹がすいて死んじゃうことはないって考えているんだ」
「じゃあなんで、みんなでジャガイモを作らないの?」
 マーニの疑問はもっともだ。
「小麦はパンになる。
 パンが食べられないと、困るでしょ。
 それに、小麦のほうが高く売れるから」
「でも、パンがなくて、お腹がすいたら、どうするの?」
 ちーちゃんの問いは正論だ。
「斉木先生は、人々にそのことを説いているけれど、あまりわかってもらえないんだ」
「だから、アンティが頑張っているの?」
 マーニはよく理解している。
「そうだね。アンティがジャガイモからお酒を造れれば、お酒の原料としてジャガイモを作るようになるからね」
「アクアビットって言うんだよ」
 ちーちゃんがジャガイモ原料の酒の名を口にした。
 しかし、斉木の酒は、すべて焼酎だ。アクアビットじゃなく、ジャガイモ焼酎だ。
 試飲したが結構旨い。芋焼酎よりも癖がなく、飲みやすい。
 トウモロコシの生産も始めるようなので、これも酒になるのだろう。
 トウモロコシ焼酎ではなく、バーボンが飲みたい。
 アンティの酒はまったく熟成させないので、もう少し丹精込めてほしいものだ。

 我々の耕地はまだ狭い。それでも、ベルトルドのトラクターによって、かなりの遠方まで耕されている。
 作付けはごく一部だが、斉木は秋蒔き小麦の栽培を始めている。

 農場の真ん中にトラクター。その横で、斉木とアンティが立ち話をしている。
 ジャガイモの収穫量がアンティの酒造りと直結しているので、二人はその相談をしている。
 彼らの周囲では、何人もが働いている。原則、一二歳以下は内郭から出られない。
 だから、農場での労働は一二歳以上だ。

 ハミルカルも農場で働いている。斉木のよき弟子の一人だ。

 一瞬の出来事だった。
 アンティが北、斉木が南を向いて、二人は酒の話に没頭している。
 他は、誰もがそれぞれの作業に専念し地面を見ていた。
 そして、発見が遅れた。
 三頭のドラゴンに騎乗するアムル人が抜刀突撃を、北から仕掛けてきた。
 アンティが気付いたときには、四〇〇メートルまで肉迫されていた。
 最も北側にいたのは、ハミルカルだった。
 アンティが「みんな逃げろ!」と叫び、拳銃を抜く。
 斉木がトラクターのガンラックに備えてあるレバーアクションライフルを取り外す。
 ドラゴンの疾走は、ウマと異なり蹄の音がしない。無音の疾駆だ。
 その特性を生かして、アムル人は無言で攻める。

 アンティは初弾と次弾を外したが、三発目を命中させた。この時には、すでに彼我の距離五〇メートルを切ってきた。
 全員が銃を持っていたが、身につけているものはいなかった。農作業に邪魔だからだ。

 ハミルカルはアンティの最初の警告を聞き逃し、アンティの発砲で始めて異常な事態であることを知る。
 そして、彼は襲撃者に最も近かった。
 完全に逃げ遅れ、襲撃者の進行方向である南に向かって走ったことも判断としては誤りだった。
 アンティが二人目に命中させ、斉木が三人目に向けて発砲する寸前、アムル人の槍がハミルカルの背中から胸を貫通した。
 斉木は怒り狂い、ハミルカルを襲ったアムル人に向けて発砲する。
 その男の頭部と上部身体に一〇発の全残弾を撃ち込んだ。
 アンティは、まだ生きている二人のアムル人に無言でとどめを刺した。

 ノイリン移住後、事故を除く、初めての重篤な負傷者はハミルカルであった。
 それも重傷。能美が診たときは、すでに意識がなかった。

 この夜、俺は一睡もできなかった。
 何もできない無力さと、ただ待たねばならない不甲斐なさは、俺を苦しめた。
 もう少し、用心すべきだった。
 俺は何度も自分を責めた。
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