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第5章

第134話 特権

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 須崎金吾は、ノイリンでは知られた存在だ。子供からは、スマホ、タブレットPC、パソコン、ゲーム機など、電子機器なら何でも修理してしまう不思議なお兄さん。大人たちは、短波無線を開発し、レーダーを設置した男。
 だが、武勇伝はない。完全に皆無だ。
 だから、バルカネルビ飛行場防衛戦の指揮官となったことに、誰もが一抹の不安を感じていた。
 特に西アフリカにおいて、数々の戦いを経験しているイロナやクマンのディラリは、不安ではなく、不満に思っていた。

 半田千早は、そんな空気が流れる飛行場で、須崎金吾を心配している。
「お兄ちゃん、大丈夫かな……」
 オルカが「チハヤのお兄さんなの?」と問い、カルロッタが「ノイリンじゃ、武勇のヒトじゃないみたいだね」と続ける。
「私、金吾お兄ちゃんと珠月お姉ちゃんと、元の世界からず~と一緒なんだ」
 カルロッタが「それじゃ、誰も知らない秘密の力をチハヤはわかってるんだね!」と言われたが、彼にそんな力がないことは半田千早はよく知っていた。

 須崎金吾は神経質と誰もが感じるほど、配置にこだわった対空陣地を飛行場周辺に配置した。
 彼の命令を理解しているのは、彼とともにノイリンからやって来た機械班と車輌班の隊員だけで、一部には反抗的な態度をとるベテラン隊員もいた。
 半田千早たちのバギーSも対空砲の1つとして、土嚢が積まれた掩蔽壕に引き込まれた。バギーSはラジエーターの冷却水が沸騰しない程度の短距離なら動けるが、長距離・長時間の移動は無理だ。
 事実上、固定砲となった。
 滑走路の両脇に、隙間がないほど濃密な対空機関銃を設置している。
 多くは車輌から取り外され、自作の対空銃架に載せられた7.62ミリや12.7ミリの機関銃だ。ノイリン製だけでなく、シェプニノ製やカンガブル製もある。
 半田千早たちは、車載の7.62ミリガトリング砲“ミニガン”以外に、常時積んでいる7.62ミリM60機関銃のほか、7.62ミリ弾47発のパンマガジンを使うカンガブル製ルイス軽機関銃が飛行場から割り当てられた。

 半田千早は母親から教えられていた。
「濃密な弾幕に飛び込むことは、誰もが怖い。それは飛行機のパイロットも同じ。
 弾幕を張れば、ドラゴンや飛行機を追い払える可能性がある。
 だけど、飛行体に命中させることは難しい」
 その難しいことを簡単に実現する方法は、水口珠月から聞いていた。
「方向と距離、そして飛行体の速度がわかれば、レーダーで検知して、コンピューターで未来位置を予測して、そこに弾幕を張ればいいの。
 飛行体は急停止ができないから、自分から弾幕に飛び込んでくれる」
 半田千早は、その方法でドラゴンを撃ち落とした場面を見ている。
 須崎金吾とは落ち着いて会話をしていないが、「対空戦車は方向を探知するレーダーと、距離を測定するレーダーを搭載している」と言っていた。距離を探知するレーダーのデータから速度を割り出せる。
 半田千早は、須崎金吾なら救世主の戦闘機を追い払えるように漠然とだが感じていた。

 救世主の地上軍は、滑走路東端から東10キロまで迫っていた。
 一部は北に回り込もうとしている。
 援軍は中部のエリシュカの郎党20などごくわずか。エリシュカ自身は、ココワの守りを固めている。
 南部の部隊は対岸まで進出しているが、船で移動しているにもかかわらず、ニジェール川を渡る気配を見せない。
 須崎金吾は、滑走路東端付近に戦車隊の主力を派遣。一部は北からの敵に備え、少数の戦闘車は南の河畔に配置。西は手薄だが、少数の装輪装甲車を送った。
 明日、太陽が昇り始めてから1時間以内に総攻撃が開始される。
 常識的には航空攻撃で始まり、長距離砲の攻撃準備射撃後に、地上部隊の進撃があるはず。だが、航空偵察では、救世主は長距離砲を欠いているらしい。
 とすれば、航空攻撃と同時に、東と北から戦車を伴う地上部隊が突撃してくる。

 夕食後、隊員がそれぞれの持ち場につくと、須崎金吾からあまりにもあっさりとした訓示があった。
 半田千早は、バギーSの横で無線を通じて聞いた。バギーSはラジエーターのアッパーホースを交換しない限り、長距離を走れない。トランスミッションは2速に入らない。デファレンシャルギアのドレンコックは、なぜか走行中に緩んでしまう。
 結果、飛行場で足止めされた。
 もし、1000の救世主が雪崩れ込んできたら、死以外の結果はない。逃げ場と逃げるための足がないのだから……。
 そんな極限状態の半田千早に、須崎金吾はこう言った。彼女に対してだけではないが……。
「え~。金吾です。
 今回の戦いは、たぶん10分ほどで決着がつきます。
 救世主を瞬殺しましょう。
 そして、誰も怪我をせずに明日の日没を迎えましょう」
 カルロッタがブリキのバケツを蹴った。金属と地面に転がる石がぶつかり、不快な音を立てる。
「何なの、あれ!
 明日の日没は何人生きているかって、状況でしょう!
 私は死ぬ気ないけど!
 死にたくなくったって、死んじゃうよ!
 このままじゃ」
 その感情は誰にもあった。
 半田千早は「お兄ちゃん……」と呟いてみたが、不安と恐怖だけが残った。

 イロナは、救世主の戦車が50輌近くあるとの報告に接し、須崎金吾が持ち込んだ新型戦車では戦えない、と思い始めていた。
 105ミリ主砲と自動装填装置は、確かに新型にふさわしい装備だが、自動装填ができるのは6連の回転弾倉2基のみ。12発しか撃てない。6発を徹甲弾、6発を榴弾とすれば、戦車相手は6発だけとなる。
 12発撃ち切ったなら再装填は車外に出ないとできない。
 搭載弾数の少ないウルツ6輪装甲兵員輸送車の76.2ミリ砲搭載型でも24発積んでいる。
 操縦手と砲手の技量にも不安がある。2人のことをよく知らないのだ。

「来たぞ!」
 東端の部隊から無線が入る。
 航空攻撃の前に戦車を先頭に歩兵の進撃が始まる。
 イロナは「距離500まで引きつける!」と命じたが、砲手が「撃ちましょう。こいつなら、この距離でも命中させられます」と意見具申する。
 守備隊の装甲車輌はすべて、壕に引き込まれており、車輌と壕には巧妙な擬装が施してある。
 敵戦車からは、味方は見えないはず。敵は無人の荒野を進撃しているつもりだろう。
 真正面から鋳造車体に鋳造砲塔を載せた、2人乗りの軽戦車が迫ってくる。軽戦車ではあるが正面装甲は50ミリもある。
 正面からオチキスH35似の砲身長35口径37ミリ砲搭載型、向かって右に砲身長21口径37ミリ砲搭載型、左は少し離れていて、ルノーFT似のリベット構造型だ。
 速度は時速5キロ以下で、歩兵の歩調に合わせて直協している。
 イロナは躊躇ったが、その時間で距離は詰められてしまう。すでに2000を切り、まもなく1500になる。
「距離1500で正面の砲身が長いやつを撃ってみろ。外れても威嚇にはなる」
 砲手はレーザー距離計と弾道コンピューターから諸元を引き出し、砲塔と砲身を目標に向ける。
 トラベルクランプを外されていた砲身が、生き物のように動く。
 砲塔のイロナは、砲塔と砲身が同調して動くことが不慣れで不快だった。

 44口径105ミリ砲の反動は、23口径76.2ミリ砲の比ではなかった。車体が大きく揺れ、イロナは振動が収まるまでヘルメットを片手で押さえた。

 イロナは怯えていた。
 初弾は救世主の砲身長35口径37ミリ砲搭載歩兵軽戦車の50ミリ鋳造装甲を直撃。一瞬で原形をとどめない鉄屑に変えた。砲弾は正面装甲を貫通するだけでなく、操縦席、戦闘室、機械室を撃ち抜き、戦車自体を破壊した。
 砲塔が空高く飛び、エンジンが小石のように転がった。履帯は切れ、転輪は四散し、車体は原形をとどめていない。
 破壊された戦車の破片で、周囲にいた歩兵がなぎ倒されている。
 一瞬、救世主の戦車と歩兵のすべてが静止したように感じた。

 105ミリ砲弾は、12発すべてが命中し、釣られて撃ち始めた76.2ミリ砲搭載車と併せて、彼我の距離1000メートル以内に侵入できた救世主の戦車は数輌だけだった。
 105ミリの榴弾は、リベット構造の戦車の至近に着弾しただけで、装甲板がはぎ取られ、フレームだけになった。
 装輪と装軌の戦闘車が20ミリ機関砲を撃ち始めると、単なる殺戮になった。
 もはや戦闘ではない。
 事実上、105ミリ戦車砲の圧倒的な威力によって、初弾で東側戦線の勝敗は決していた。

 北側は侵攻してきた戦車の数が少なく、76.2ミリ砲と20ミリ機関砲の水平射撃。集中配備していた81ミリ迫撃砲の曲射弾道によるつるべ撃ちで、徹底的に叩いた。

 救世主は薄暮の下、湖水地域の人々から徴発した河川船を動員して、敵前上陸を決行した。
 南側となるニジェール川河畔には、戦車を配していなかった。壕に引き込んだ、装輪の20ミリ機関砲搭載戦闘車と12.7ミリ機関銃装備の装甲トラックを10輌ほど、そして装甲トラックの荷台に載った歩兵役の隊員たちしかいなかった。
 だが、低速の木造小型船には過大な威力だ。30隻が接岸できずに、ワニが泳ぐ川に沈んでいく。

 西側は少し複雑だった。救世主に呼応して西ユーラシア勢力を叩けば、立場がよくなると判断しているバルカネルビの豪農が少なからずいた。
 彼らは、救世主と西ユーラシア勢力との戦いを見定めようと、飛行場の防衛戦から西3キロの地点に集結していた。
 兵力は300ほど。もし、救世主の優勢が見えたら、一気呵成に攻撃を仕掛けるつもりだ。
 この作戦は豪商たちは傍観を決め込み、商人や小農は反対した。西ユーラシア勢力は、小規模農家から作物を買い叩かず、正当な値段で商談を進めた。
 西ユーラシア勢力は、豪農と小農を区別せず、平等に扱った。それが、豪農たちには我慢できなかった。豪農を特別視せず、豪農が小農から買い上げて、穀物商に一括売りする商習慣を壊し、小農から直接買い付ける商売の仕方が許せなかった。
 商人は豪商を含めて、自由競争の何たるかを知っていた。目先の利く商人は地の利を駆使して情報を集め、中間マージンで利益を上げた。売りたいと買いたい物品のマッチングは簡単ではないから、彼らは売り手と買い手の両方から喜ばれた。しかも、利ざやだけだから、多くの元手は不要。
 結果、商人たちは規模にかかわらず豪農グループの誘いには乗らなかった。
 豪農グループは、飛行場の中心部、管制塔や乗降ターミナルがある一画から爆炎が上がったら斬り込むつもりだった。
 しかし、砲声は一時激しかったものの、すぐに遠のく。
 彼らがいぶかしんでいると、東の空に小さな点が6つ現れる。
 それが、飛行機だとわかるまで、10秒以上を要した。

 須崎金吾は、管制塔にいた。
 捜索レーダーは、PPIスコープに複数の点を移している。方向は東。それが、救世主の飛行機であることは明白だった。
 須崎金吾はにんまりとする。気持ち悪い笑いだ。
「やはりな……」
 管制官はいたたまれなかった。
「何が?」
 須崎金吾の森羅万象は我が手の中にあるとでも言いたげな態度は、その場の誰もが嫌悪した。
「救世主は、手柄争いが生きがいでね。
 水陸、空陸が連携して戦うなんて、連中には無理なんだ。
 俺が望んだとおりに踊ってくれている。
 舞台は滑走路の上空、踊り手は救世主のパイロット、操り人形師はきみたち。
 脚本は俺が書いた」

 東西に延びる滑走路両脇には、西端付近に単発機16機が整然と並んでいる。戦闘機乗りにとって、これほど簡単に狩れる獲物はない。
 3機編隊2個6機が、太陽を背に我先にと滑走路上空に侵入してくる。
 侵入機にありったけの対空火器が発射される。曳光弾が不思議な点描を空に描く。
 先に侵入した3機編隊は、先頭が北側に並ぶ6機を機銃掃射。
 西端の窪地に潜んでいた対空戦車が1分間に6000発もの20ミリ機関砲弾を撃ち上げる。
 先頭の機は、その弾雨の中に飛び込んだ。
 翼がもげ、胴体後部が切断され、左翼と前部胴体は西側の飛行場敷地外に落ちた。

 豪農グループのリーダーの1人は、自分の左腕がないことに気付かなかった。
 3人の息子の名を呼ぶが、応答がない。ガソリンの臭いが鼻を刺激するが、血の臭いはまったくしない。
 目の前の頭部だけの“誰か”が息子の1人のようだが、はっきりしない。

 南側の整列した機体を狙った後続の2機は、1機は危険を感じて上昇する。
 もう1機は、そのまま地上への機銃掃射を始める。
 機銃掃射を行った機体は、南側に配置されていた対空戦車によって、垂直と水平尾翼を粉砕され、滑走路に激突炎上。
 上昇して退避を試みた1機は、滑走路から離れて配備されていた、76.2ミリ高射砲のレーダー照準により、直撃されて空中で四散した。
 滑走路への進入が一瞬遅れていた3機編隊の2機は、滑走路中央付近にあった対空戦車が撃破。1機はニジェール川に墜落。もう1機は、バルカネルビ豪農グループの陣地に落ち爆発する。
 どうにか飛行場上空から逃れた最後の1機は、もう1基の76.2ミリ高射砲のレーダー照準によって捕捉。高度1500メートルで撃墜される。

 須崎金吾が目論んだ通りの“瞬殺”だ。

 滑走路には、飛行機の模型の残骸が散らばっており、多くは木片だが釘なども混ざっていた。また、胴体着陸をしたような状態の機体後部がない救世主の戦闘機が、滑走路西端にあった。
 弱い風が北から南に吹いており、東西の滑走路と東端で交差する北北西から南南東に延びる2000メートル滑走路は完全に使える。
 東西の3000メートル滑走路も、管制塔から東側は無傷だ。
 須崎金吾は、空中退避しているララのウルヴァリン、ノイリンのプカラ・アイとプカラ・ホッグ、クフラックのブロンコ2機、計5機を飛行場に呼び戻す。
 5機は南北の滑走路を使って着陸。管制塔前まで自走する。
 整備員は給油とハードポイントへの兵装取り付けを急ぐ。
 手空きの全員、13歳以上の子供たちも協力して、総力を挙げて爆弾の取り付けを始める。
 精霊族や鬼神族も手助けする。鬼神族のパワーはヒトの比でなく、手押しポンプ式油圧ジャッキを備えた爆弾装着用リフトが、すごい勢いで上昇していく。
 今回はドロップタンクを付けない。救世主の野戦滑走路まで、300キロしかないからだ。
 偵察機であるプカラ・アイも爆装する。単純な射爆照準器しかないが、滑走路のどこかに爆弾を落とせればいい。
 パイロットとナビゲーターは、誰も機体から降りない。ララも。
 須崎金吾がパイロットスーツに身を包んで、ウルヴァリンの後部座席に乗り込もうとしている。
 新手の来襲を警戒して、持ち場を離れていない半田千早は、須崎金吾の行動を遠目から見ていた。
 須崎金吾の身のこなしは、何ともぎこちない。
 カルロッタが「チハヤのお兄さん、カッコ悪いね」と冗談めかして言ったが、彼女は否定できなかった。
 誰が見ても、絶対にカッコ悪いのだ!

 離陸したララは緊張していた。背後にいる須崎金吾は、ウルヴァリンのような高機動の航空機に搭乗した経験がないからだ、
 ララは須崎金吾を重荷としてしか感じていなかったが、彼は滑走路の確実な破壊とその確認を重視しており、それは正論であった。ただ、ララの立場では「偵察機の空撮でわかるのに……」と感じていたし、もし、敵機が飛行場の防空で上がっていたら、空戦は免れない。
 救世主の戦闘機と空戦できるのは、ウルヴァリンしかない。

 250キロ爆弾はウルヴァリンは2発、プカラ・アイは4発、他の機体は6発搭載して、離陸した。合計6トンという途方もない破壊力が、たった1本の未舗装滑走路に投下される。

 プカラ・アイが先頭を飛ぶ。機首にレーダーを搭載しているからだ。
 プカラ・アイのレーダースコープには、進行方向である東側には何も映っていない。
「敵基地上空に機影なし!」
 プカラ・アイの後上方に占位しているウルヴァリンのバックシートで、須崎伸吾は全機に命じる。
「目標まで100キロを切った。15分で目標上空に達する。
 これより緩降下に入る。
 全機、突撃!」
 当初の計画通り、クフラックの双発双胴攻撃機ブロンコが先行する。
 その後方を双発攻撃機プカラ・ホッグ、さらに後方を双発偵察機プカラ・アイ、最後部やや高度をとって単発戦闘攻撃機ウルヴァリンが続く。

 2機のブロンコは対空砲火の洗礼を一切受けずに、東西に延びる滑走路上空に侵入。東端付近に投弾。
 全機が投弾すると、救世主が人力だけで苦労して設営した滑走路は、完全に破壊された。
 滑走路付近に2機の単発機が駐機していたが、プカラ・ホッグが再度攻撃し、2機とも爆発炎上した。
 250キロ爆弾の威力は条件によるが、深さ10メートル、半径25メートルの大穴を作る。半径200メートル以内の地上にいるヒトは破片により負傷する。半径45メートル以内だと、破片により死亡する可能性が高い。半径35メートルなら爆風によって全員が死亡する。
 鉄筋コンクリートの建物なら、8層を貫く破壊力がある。
 これが24発。
 滑走路とその周辺は、完全に破壊された。

 5機が戻ってくる前に、バルカネルビ飛行場に4騎が駆け込んできた。
「街の中で悶着が起きている!
 豪農の一部が西のヒトと取り引きをしている商人の屋敷を襲撃する噂が……。
 あんたたちの商館に、大勢の商人、穀物商からパン屋まで……、いろんな連中が避難している。
 商館の兵力じゃ、噂が本当なら守り切れない」
 2騎はクマン、2騎はバルカネルビの商人だ。半田千早は1人を知っている。主に乾燥に強いソルガム(モロコシ、コーリャン、イネ科の穀物)を扱う20代の男だ。
 イロナがミューズを見る。彼女は額をパイプにぶつけ、包帯を巻いていた。この戦いでの負傷者の1人だ。
「チハヤ、装甲車で向かって。
 状況を見て、援軍を送るから……」
 半田千早は、両脇を見る。
「オルカ、カルロッタ、行くよ」
 3人は、砲塔のない6輪装甲兵員輸送車ウルツの兵員室に乗る。
 3人の他にクルー4人が同行する。

 ミルシェは負傷者の手当に謀殺されていた。
 この戦いにおける西ユーラシアと西アフリカ勢力の損害は、負傷者6、車輌1だった。
 負傷者は、ニジェール川河畔の戦いにおいて、水際に進出しようとして運転を誤り、横転した装甲トラックが1輌あり、腕の骨折1人、頭部打撲1人。
 滑走路に胴体着陸のように墜落した救世主の戦闘機が、滑走路上に置かれていた飛行機の模型をはじき飛ばし、木片が背中に刺さった整備士が1人。
 彼は重体。
 女の子が避難の際に転んで膝を擦りむき、ミューズがなぜかヘルメットを脱いで、額を格納庫のパイプにぶつけて出血した。
 だが、負傷者が続々と運び込まれてくる。
 飛行場の襲撃を企図していた豪農グループの集合地点に、救世主の戦闘機が2機も墜落したからだ。
 襲撃しようとしていた相手に助けを求めるという行為もどうかしているが、医療班は受け入れた。
 そのため、飛行場は大混乱していた。
 胴体が担架で運ばれ、父親が息子の頭部を持ってきて、「生き返らせてくれ!」と叫んでいる。
 他人のちぎれた腕を、自分の腕だと錯覚して持ってくる若者もいる。ショック状態で痛みを感じていないようだ。
 負傷者は100人以上いる。
 阿鼻叫喚とはこのことで、イロナとミューズは状況を掌握し切れていなかった。

 半田千早たちは商館に正面門から入ったが、その直後に包囲された。
 包囲したのは豪農グループの一部で、彼らは意見を同じくする別グループがバルカネルビ飛行場を占領したと信じていた。
 同時に救世主が勝利した、と確信している。
 彼らが商館に突入してくるのは、時間の問題だ。
 商館は娼館だった時代の名残で、娼婦の逃亡を防ぐため民間施設としては異常なほど塀が高い。
 それでも梯子をかければ登れる。
 その商館には、湖水地帯のヒトが“西のヒト”と呼ぶ西ユーラシアと西アフリカの勢力と何らかの関わりがあった、多くの街人が逃げ込んでいた。
 西のヒトにパンを売った、食事処に入店させた、道を教えた、そんな些細なことでも、豪農グループの私兵は、街人を捕らえて路上で“処刑”を始めていた。
 この事態に私兵を保有する豪商は、一切動かなかった。関心がなかったのではない。自分たちに銃口を向けていないのだから、かかわるべきではないと考えた。
 豪商の多くも西のヒトと商いをしていたが、彼らには私兵がいる。豪農と豪商が戦えば潰し合いになる。
 だから、豪農は豪商に手出ししなかった。いずれ、潰すとしても……。
 豪農グループが敵視していたのは、小規模な自作農と街で日々の商いをする商人たちだった。
 彼らを粛正すれば、豪商は黙る、と考えている。

 半田千早が懇意にしている穀物商リトリン家の妻女が話しかける。
「チハヤ様……」
「リトリン家の奥様、ご無事か?
 ご当主様は?
 クレール様は?」
「2人とも無事だけど、あの銃声。豪農の兵士が見境なく街のヒトを殺しているの。
 そのうちここにも来る……」

 20ミリ機関砲を搭載する装甲車の車長が、半田千早に歩み寄る。
「チハヤ、おまえは若いが、ここじゃ一番の実戦経験者だ。
 どうすればいい?」
「敷地は広くて、戦力は少ない……。
 敷地全部は守れないよ。
 避難者が多いから、逃げることもできない。
 包囲されてしまっているし……。
 館に立て籠もるしかないよ」

 車長が指示する。
「さぁ、みんな、館に入るんだ!
 武器を持っているものは窓際に!
 男も女も戦えるものは、全員武器を持て!」
 男性のほとんどは銃を手にしていたが、この地域の常で女性は丸腰だった。
「子供と老人は地下室に。
 武器を持てるものは、全員で戦うんだ!」

 正面玄関には、6輪装甲車3輌を配置する。車載の7.62ミリ機関銃で、可能な限り守る。
 オルカはM60機関銃を持ち、右翼2階に陣取る。カルロッタは、左翼2階の窓からの狙撃を受け持つ。

 正面玄関ホールでは、避難者から矢継ぎ早の質問が半田千早に浴びせられる。
「飛行場はどうなったんだ!」
「飛行場は確保している。
 指揮官のキンゴは、救世主を瞬殺するといったが、その通りになった。
 指揮官と航空隊は、救世主への反撃に向かった」
 別の声。
「兵士たちは、飛行場は大農園主たちが占領したと言っていたぞ」
「西に陣取っていた大農園主に救世主の飛行機が2機墜落して、ほぼ壊滅した。
 飛行場に攻めてきた救世主の戦車は、あらかた破壊した。
 救世主は、当分立ち直れない」
 ざわつきが徐々に大きくなる。
 半田千早が叫ぶ!
「静かにして!
 救世主は撃退した。
 飛行場から援軍が来るまで、ここを持ちこたえる。
 数は少ないけど、私とカルロッタの商品を持ってきた。銃が使えるヒトは、前に出て!
 一緒に戦って!」
 かなり汚れているがスカートの裾がパラソル上に広がる女の子らしい服を着た少女が歩み出る。
「クレール!
 銃の撃ち方は、父と兄に教わった!」
 半田千早がよく知る少女だ。リトリン家の“姫”だ。
 彼女の父が慌てる。
「クレール!
 下がりなさい!」
「お父様!
 イヤよ!
 絶対に!
 私、戦う!」
 商館の警備に残っていた機械班のミリアンがクレールにボルトアクションのカービンと弾帯を渡す。
 半田千早は彼女の噂は知っていた。
 渾名は“速射砲のミリアン”37ミリ対戦車砲を撃たせたら、2000メートル先を走る戦車の装甲バイザーに命中させるらしい。
 この状況での彼女の武器は、12.7ミリ弾を発射する対物ライフルだ。
「クレール、ミリアンに銃の使い方を教わって!」
 クレールに続いて、女性たちが続々と名乗り出て、銃を受け取る。
 それを男性たちがオロオロと見ている。

 覚悟を決めた女と腹をくくれない男。

 街の男性たちは、どうすべきか決断はできないものの、女性たちに引きずられて、戦いの準備を始める。

 最初の攻撃は、塀を乗り越えての奇襲だった。塀の周囲には植栽があり、飛び降りるための空間はなく、同時に塀は飛び降りられるほど低くはない。
 狙撃手にとって、塀の上は射的台のようなものだった。塀は高さはあるが、上面は非常に狭く、上に立つことはもちろん、数分間留まることなどまったくできなかった。
 豪農の私兵は金で雇われた傭兵で、豪農に生命を預ける理由はない。本来、雇い主の護衛や盗賊からの襲撃に対する防衛が仕事であって、他地域の勢力を襲うといった攻撃的任務は請け負っていない。
 街の小商人を店や自宅から引きずり出して殺すことは簡単だが、武装して待ち構えている相手と戦えるほどの装備はない。
 私兵たちは数回侵入を試みたが、すぐに諦めた。
 だが、一族は違う。血で結ばれた家族は、土地と自身の利益のために生命を賭けて戦う。私兵に包囲させている状況で、血で団結する一族が攻撃を仕掛けてきた。
 各豪農の当主を筆頭に、長男、次男、三男……、従兄弟、又従兄弟、婚族のすべてを動員している。
 彼らは、商館を囲む塀に身体を寄せて、突入の命令を待っていた。

 飛行場では、実際には襲撃に至らなかったが、襲撃を企図して集結していた豪農グループの尋問が進んでいた。

 バルカネルビでは、中規模以下の比較的商い高の小さい商人と、豪商や豪農から買いたたかれていた農地が狭い自作農とが手を結び、西ユーラシアや西アフリカの商人と取り引きを進めていた。
 高値売りつけを画策した豪商は大量の在庫を抱えてしまい、慌てて商売のスタイルを変えることで対応しようとしていたが、保守性が強い豪農は既得権益を侵害されたと感じていた。
 豪農には、救世主のほうが“社会の有り様を理解する相手”に思えた。豪農と豪商が社会の支配者であり、経済の頂点には一部の油商人が君臨する。
 これが、秩序だと。
 西ユーラシアや西アフリカの商人を駆逐し、湖水地域を元の秩序に戻すことが“正義”だと考えた。そのために商館と飛行場の襲撃を企んだ。
 豪商は豪農の誘いを断った。豪商は襲撃には加わらなかったが、同時にこの計画を秘匿した。西のヒトと救世主のどちらが勝っても、いいように……。

 血で団結した豪農一族の数は少ないが、士気は高い。だが、その無駄なやる気は、不利な状況の転換を早めてくれる。
 夜まで粘られたら、サーチライトも暗視装置もないので、絶対的に不利だ。
 だから、商館側は明るいうちに決着を付けたかった。
 半田千早は、館内で「暗くなる前に決着を付ける」と誰彼かまわず言い歩く。

 塀は焼成レンガを積んで造られていた。塀の最下部はレンガを3層、2層、1層と上層に向かって徐々に薄くなる。最上部はレンガの横幅しかない。 成人が立つと、腰部以上が2層、胸部以上が1層になる。

 正門付近に動きがある。
 20ミリ機関砲の砲身の先で、何人かが商館の敷地内を覗いている。
 装甲車から無線が入る。
「正門の外で動きがある。
 突入してくるんじゃないか……」
 半田千早は2階にいた。トランシーバーで応答した。
「20ミリは使わないで。
 威力がありすぎる。
 敷地外に弾が飛び出したら、周辺に被害が出てしまう」
 戦闘車の車長からは、応答がなかった。
 半田千早は心配だった。今回の豪農の動きは、誰もが怒りを感じていた。確かに、この地に進出した勢力は湖水地域の社会体制や秩序を乱したかもしれない。
 だが、略奪や強奪はもちろん、一方的な利益の確保や虚偽の契約をしてはいない。
 商談は単純。いくらで売り、いくらで買うか。それだけ。文化や商習慣が異なる場合、複雑な契約はトラブルの原因になる。
 ヒトの数は少ない。協力し合わなければ滅びてしまう。湖水地域の人々は、この一帯のことしか知らない。つい最近まで、西ユーラシアと西アフリカもそうだった。
 過去数年間で、ヒトが知る世界は急速に広がった。もっと広がるだろう。ニュージーランドやマダガスカルには、ヒトが住んでいる可能性がある。
 湖水地帯とは、友好関係であり続けたい。だから、半田千早は街中で大口径の自動火器は使いたくなかった。

 戦闘車の車長は、冷静だった。彼自身は織物商の店主で、ノイリンには大勢の織子や針子を抱えていた。
 彼はごく常識人で、暴挙に出るつもりなど欠片もなかった。
「砲弾を榴弾だけにしろ。
 徹甲弾を抜くんだ」
 装填手は車長の命令を理解できなかった。
「榴弾、か?
 ヒトを撃つのか?
 そんなこと、許さん!」
 車長は落ち着いていた。
「親父さん、
 そんなつもりはないよ。
 あのレンガの塀だ。
 徹甲弾では貫通するだろうが、榴弾なら崩すだけだと思う。
 敷地から遠くまでは、飛び出さない。
 商館の敷地内で殺戮はさせない」
 装填手が砲手を兼務する車長を見る。
「榴弾だけにする。
 少し時間をくれ」
 砲塔搭載型の20ミリ機関砲は、1方向からの給弾しかできなかった。2方向給弾ならば、徹甲弾と榴弾とを選択することができるが、砲塔搭載型はそれができない。
「車長、50発だけだ。
 撃ち切ったら、曳光徹甲弾、焼夷榴弾、徹甲弾、榴弾が交互に発射される。
 50発だけだ!
 厳守だぞ!」
 車長にも意味のない殺生をするつもりはない。
「ノイリンには、家族がいる。子供の顔を見れなくなるようなことはしない」

 半田千早は、緊張していた。正面から突っ込んでこられたら、機関銃で応戦するしかない。商館背後の通用口にあたる裏門、東門や西門からでは、大人数では突入できない。
 塀の乗り越えは、狙撃の的でしかない。
 ならば、正門から一気に雪崩れ込んでくる、と判断している。陽動で、塀の乗り越えや、正門以外からの侵入はあるだろうが、それに欺されてはいけない。
 そのことはよく理解しているが、突入を阻止する術が思い付かない。
 街からは散発的に銃声が聞こえる。豪農の私兵が、いまだに街人を殺しているのだ。こんな暴虐を止めることもできない。

 半田千早は、泣き出したかった。

 車長は20ミリ機関砲について、事前に許可をとるつもりはない。ただ、無線で通告した。
「チハヤ、20ミリ榴弾を50発だけ使えるようにした。
 突っ込んできたら、使うぞ」
 彼女は慌てる。
「ダメだよ。
 20ミリ弾が敷地から出たら、どんなことになるか……」
 車長は、構える。
「来るぞ!
 チハヤ、大丈夫だ。
 塀を壊すだけだ」

 2階の廊下を歩いていた半田千早は、近くの部屋に飛び込み、カーテンを開け、窓のガラス越しに正門を見る。
 単発銃を発射しながら、滑稽なほど屁っ放り腰で突入してきた。
 その姿を見て、半田千早は「勝てる」と呟く。

 車長は、正門を挟んで左右の塀の一番薄い部分の最上部に10発ずつ撃ち込む。
 正門門柱の根元にも撃ち込み、崩れ倒す。
 彼らの私兵は、手出ししなかった。豪農たちの負けが見えたからだ。
 彼らは静かに撤収していった。
 機関銃は発射されたが、20ミリ機関砲の迫力に圧倒されたのか、襲撃者たちは身を伏せているだけだった。

 積極的な反撃に出たのは、バルカネルビの街のヒトたちだった。
 商館に避難していた人々、街の中で息を潜めていた人々が、商館に集まってくる。
 豪農グループの行為は、そのまま彼らに返ってきた。
 頭から血を流す壮年の男が命乞いをしている。
「やめてくれ!
 3人とも私の息子なんだ!
 お願いだ……」
 彼の3人の息子は、彼の目の前で1人ずつ頭を撃たれていく。

 5人に囲まれて剣を振り回している若者がいる。
 少しずつ刺され、斬られ、フラフラになりながらも立っている。明らかに戦意はない。しかし、戦いを強要されている。
 剣の腹で殴られ、刀の峰で打たれ、なぶりものにされている。

 西ユーラシアと西アフリカの人々は、この事態を止められない。
 豪農グループの行為は、極めて唐突で、本来ならバルカネルビの人々に向けられるものではなかった。

 半田千早は、オルカやカルロッタと“虐殺”を見ていた。
「こんなの、見たくないよ」
 オルカは答えなかったが、カルロッタは小さく呟いた。
「農家のおじさんたち、自分たちは特権階級だと勘違いしちゃっていたんだ。
 屋敷には……」
 オルカが叫ぶ。
「あのヒトたちの家族を守らなくちゃ」

 3人は、襲撃者の家族を守るための志願者を募っていた。 
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