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第4章

第103話 優等民族

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 2度目の捕虜交換は、何事もなく進んだ。姫巫女と名乗る女の長子と捕虜5人を引き渡し、子供8人を取り返した。
 子供は計44人。若い男のグスタフのグループは6人。50人も増えたことになる。
 装甲トラックは1500キロ積み。ドラム缶に燃料を入れて、運んできた。燃料を各車に補給すれば、ドラム缶は空になる。
 ドラム缶を投棄したとしても、2輌に50人は乗れない。荷台に8人、幼児でも10人。

 イサイアスは叫んだ。
「すぐに襲ってくるぞ。
 子供たちを装甲車に!」
 防衛体制をとる時間は限られていた。数分、長くて10分。
 マルユッカは子供たちの健康状態を確認したかったが、その前に子供たちの生命を守ることが先決と考えた。
 身体の大きさからおおよその年齢にわけ、年齢の低い順に、ウルツ1号車から4号車に分乗させる。
 子供たちの不安を考えて、大人が付き添うべきだろうが、そんな余裕はない。
 捕虜の話によれば黒羊騎士団は300以上いる。対して、ここにいる大人は50強。無勢は明らか。銃を持てるものすべてが戦わなくてはならない。
 イロナは1号車の砲手と無理をいって交代してもらった。
 もっとも幼い子供たちに伝える。
「おばちゃんが、みんなを守るから。
 大きな音がするけど、怖くないから……」
 そして1人用の砲塔にもぐり込む。イロナは過去、ヒトに銃口を向けたことは一度もない。もちろん、ヒトを殺したことなどない。
 しかし、小さな傷が無数にある子供の身体を見たら、助けるためなら何でもする覚悟でいた。

 イサイアスは、半田千早に命じた。
「チハヤ以下2名は、敵の攻撃を撹乱せよ」
 半田千早、ヴルマン商人の娘ミエリキ、クマン王女パウラの3人は、急造の陣地から大きく離れ、草むらに潜んだ。

 イサイアスは、幅10×15メートルの陣地を構築しようと考えた。東と西に向けてウルツを各2輌、車輌の間隔は5メートルほど。南と北には装甲トラックを配する。
 ウルツの車輌間には、倒木や空になったドラム缶、スタック時脱出用有孔鉄板を使う。
 車体の上、車体の下に隊員が配置され、黒羊騎士団の襲撃を待ち構える。
 イサイアスは密かに、抜刀突撃を期待していた。もし、そうしてくれるなら、一気に片付く。

 だが、イサイアスの期待とは異なり、黒羊騎士団は草原に火を放った。
 キャンプ地周辺は、装甲トラックを走らせて、円形に草をなぎ倒してある。
 そうであっても、煙が流れてくる。
 イサイアスは、脱出を決断する。
「車内や荷台に乗れないものは、車体にしがみつけ」
 ウルツは上部ハッチを閉じ、ベンチレーターの作動を停止し、煙の車内侵入を食い止めるが、それは同時に酸欠の危険もはらんでいた。
 同時に、草原への放火は、煙幕の効果がある。放火の煙に加えて、煙幕弾を使用し、煙の密度を上げつつ、車列は西に向かって後退する。
 イサイアスは、半田千早に殿〈しんがり〉の任務を与えた。
 子供を乗せたウルツ4輌と隊員を満載した装甲トラック2輌が戦場を離脱するまで、最後尾を警戒しながら追従するよう命じた。
 ウルツの天井には4人か5人が乗っている。装甲トラックの荷台は立ったままの隊員がいる。
 この状態では、戦闘が可能なのは半田千早たちのバギーだけだ。
 王女パウラは、助手席上部ハッチから身を乗り出し、煙の密度が薄くなり始めると、車列後方に向かって煙幕弾を投げた。
 ミエリキは砲塔を旋回させながら、全周を警戒する。
 半田千早は、最後尾を行く装甲トラックを見失うまいと前方を凝視する。装甲トラックはテールライトを点灯していない。
 濃霧のなかを無灯火で走っている状態だ。半田千早は、このような状況での運転は初めてだった。装甲トラックは明るい艶消しグレーで塗装されており、煙と煙幕に溶け込んでいた。

 イサイアスの機転は奏功したが、最後尾の2輌とはぐれてしまう。

 撤収の慌ただしい中、ウルツ1号車から幼い女の子が後部乗降ハッチから降りてしまった。
 幼女は「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とクマンの言葉で何度も叫んだ。
 その声に呼応して、4号車から少女が抜け出す。
 幼女の降車はイロナが気付き、少女の飛び出しはマルユッカが気付いた。イロナは幼女を追い、マルユッカは少女に向かって走った。
 イロナは1号車の後部ハッチを閉め、「行って!」と叫ぶ。
 イロナは以後のことは何も考えていない。
 マルユッカは一瞬躊躇ったが、一緒に物資を載せていたフルギアの隊員に「乗って、私はいいから」といって、少女を追った。
 装甲トラック2号車は、放棄の命令が出ていた物資の1つ、スタック時脱出用有孔鉄板の回収にこだわっていた。
 結果、作業が遅れていた。

 幼女を抱きかかえたイロナは、煙が漂う中で、周囲を見渡す。
 装甲トラックが出発していない。
 彼女は叫んだ。
「待って、乗せて!」

 イロナの叫びがマルユッカに届く。
 マルユッカは、どうにか少女に追いついていた。
 嫌がる少女の手を無理矢理引いて、声の方向に走る。
 装甲トラックが、まだ残っていた。
「待って!」
 マルユッカの叫びにイロナが気付き、荷台の誰もが「早く来い!」と叫ぶ。

 半田千早は、前方の装甲トラックが物資の回収に手間取っている様子に苛立っていた。
「物資は遺棄する、って命令なのに!
 何してんの?」
 王女パウラがいう。
「小さい子?
 何で?
 何かあったの?」
 ミエリキが焦る。
「早く出発しないと。
 煙幕が切れちゃう」

 装甲トラックが走り出す。
 半田千早は、不必要に強くアクセルを踏んだ。

 バギーと装甲トラック2号車は、野火を避け、煙の薄い方向へと追われるように北北東に進んだ。
 装甲トラックの無蓋の荷台は、煙には脆弱だった。真の意味で煙に追われ、煙のなかから出ることだけを目指して進んだ。
 結果、ウルツ4輌と装甲トラック1号車とはぐれてしまう。
 北北東へ20キロ進んでいた。
 2輌は停止し、全員が地面に立っている。幼女は少女にしがみついている。
 ミエリキがいった。
「はぐれてしまった……」
 20代の男が8人。装甲トラックの正規乗員2はノイリン。荷台に乗っていた6人は、ヴルマン2、フルギア2、クマン2と絶妙でかつ困った配分。
 言葉が通じないか、通じにくいのだ。ヴルマンの誰もがフルギアの言葉を話すわけじゃないし、ノイリンの誰もがヴルマンの言葉を解するわけじゃない。
 クマンに至っては、ミエリキだけか?
 王女パウラが日常会話なら、ヴルマンの言葉が何とか……。
 半田千早が提案する。
「本隊と合流するまでの指揮官を決めよう。
 私は、マルユッカが適任だと思う」
 マルユッカが答える。
「それは規則違反だ。
 私はメディックで、実戦部隊の指揮権はない」
 ノイリンの2人が半田千早に賛成する。そして、1人がいった。
「マルユッカ先生がいい。
 剣の腕はデュランダル様から3本のうち、1本取るほど。拳銃はアンティと互角の早撃ちだから……。
 それに博識だし、ノイリン、ヴルマン、フルギアの言葉を自在に話す。
 俺は、マルユッカ先生が指揮官なら無条件に従うぞ」
 マルユッカが否定する。
「デュランダルとの手合わせは、10本のうち1本がやっと。
 アンティとは撃ち合いたくない。イサイアスが相手なら自信がある。
 クマンの言葉なら少し覚えた……」
 ヴルマンとフルギアの4人は懐疑的だ。マルユッカを知らないから……。ミエリキと王女パウラは沈黙。
 イロナがいった。
「私もマルユッカ先生が指揮官なら安心。
 この状況は心配だけど……。
 私の故郷ティッシュモックでは、マルユッカ先生はお医者様ではなく、戦士として有名なの。
 お医者様だなんて、知らなかった……」
 半田千早がいう。
「医療班派遣隊の隊長。
 つまり、ここにいる誰よりも職階が上。
 マルユッカが指揮官になるべきだよ」

 短い話し合いのなかで、結局、全員が賛成した。
 15人の運命は、マルユッカに託された。

 マルユッカは燃料の残量を調べるよう命じた。
 ドラム缶を捨てるため、各車に補給したが、それでもドラム缶には燃料が残った。
 装甲トラックの隊員は、そのドラム缶4本の残燃料を1本に集め、それを装甲トラックに積んだ。
 ドラム缶には、半分ほど残っている。それ以外にジェリカンが3缶。装甲トラックとバギーの燃料計は満タンから少し下がった程度ある。
 路上ならば1000キロ近い行動が可能だが、ここに道はない。路外を走れば、その半分程度だろう。
 マルユッカは、全員にいった。
「燃料はある。
 バンジェル島に帰れる」
 だが、闇雲に走れば、燃料を失って進退窮まることは誰もが理解していた。
 内陸に向かってしまったことから、森が深く広くなっており、車輌が走行できる地形は少なくなっている。
 西に向かえばいいのだが、西に向かって湿地にでも出くわせば、迂回路を探すことになる。そうやって、燃料を失っていく。
 この地は西ユーラシアのように狭くはないのだ。
 マルユッカが伝える。
「バンジェル島に戻るには、航空支援が要る。
 だけど、無線は本隊にも届いていない。
 もっと高い地形を探して、そこにアンテナを立てよう。
 そうすれば、無線が通じるかもしれない」
 装甲トラックには近距離用の出力の小さい無線しかなく、バギーの無線は短波だが、アンテナが短い。
 標高が高い地形に5メートル以上のアンテナを設置できれば、バンジェル島と交信できる可能性が高い。
 周囲を見渡すと、地形には顕著な起伏がない。だが、北北西推定10キロに饅頭形の丘か山がある。周囲よりも数十メートルは高そうだ。
 マルユッカが命じる。
「あの山に行こう。有り合わせの資材でアンテナを立てるんだ。
 バギーの無線でバンジェル島を呼び出そう」

 2輌は、北北西に向かった。

 丘と呼ぶべきか、山とすべきかは微妙だ。平原のただ中に饅頭形の地形がある。低いが山としたほうがスッキリするのだが、半田千早には自然の地形とは思えなかった。
 内陸は大雑把に眺めれば平坦だが、海岸付近よりは亀裂や水が流れた痕跡、陥没穴のような変化が多い。
 饅頭形の山は想定よりも5キロ遠く、思ったほど高くない。周囲との高低差は20メートルほどだ。饅頭山の周囲自体の標高が高いようだ。
 饅頭山の頂上付近に何かがある。石を積んだ塀。城壁とするほど高くはない。1.5メートルくらいか?
 建物の痕跡は、麓からは見えない。
 饅頭山まで50メートルほど。
 周囲は丈の低い草原。潅木が少し。
 荷台の少女が叫ぶ。
「何かがあるよ」
 指差す方向を見る。
 茶色い何かがある。
 装甲トラックが向かう。バギーが従う。

 マルユッカがいう。
「戦車だ……」
 半田千早も戦車であることは否定しないが、とても小型だ。
 ミエリキがポツリと。
「白魔族の戦車じゃ……」
 半田千早はまさかとは思ったが、確かに白魔族の戦車に似ている。
 少女が叫ぶ。
「向こうにもあるよ。
 もっと大きいよ」

 装甲トラックが向かい、バギーが続く。

 砲塔が全部で5つ。車体中央に単砲身中口径砲を備えた大型砲塔。車体前部に小口径砲を取り付けた小型砲塔が左右に各1基。大型砲塔の背後に小型砲塔が2基。
 大型砲塔と小型砲塔は、背負い式に配置されている。
 半田千早はマルユッカに「半没しているけど、ラージマウスね」といった。
 マルユッカが頷き「なんで、こんなところに?」と疑問を口にする。
 イロナが「他にもありますよ」といった。
 赤錆だらけ、一部は朽ちて鋼板に穴が開いている装甲板。履帯が切れた車輌。砲塔が脱落した車輌。転覆して腹を見せている車輌。
 マルユッカがいった。
「何十年も前、100年以上前かもしれないけれど、ここは戦場だった……。
 ラージマウスとスモールピッグ、合わせて20輌くらいありそう」
 王女パウラが鍋のようなものを拾ってきた。
 半田千早にはすぐにわかった。
「ヘルメット……。
 これは白魔族のものじゃない。
 ここでヒトと白魔族が戦ったんだ!」

 ここは戦場!
 半田千早は、履帯が切断され、横転している白魔族の戦車を見て慌てた。
「みんな!
 足を動かさないで!
 地雷が埋まっているかも!」
 王女パウラが問う。
「ジライって?」
 半田千早が答える。
「地中に埋める爆弾のこと!
 ヒトの足とかを吹き飛ばすの!
 動いちゃダメ!」
 クマンの2人は言葉がわからず、まだ身体を動かしている。
 ミエリキが「動かないで、足の下に爆弾が埋まっているかもしれないの!」と叫ぶと、2人の動きは奇妙な格好で瞬時に停止した。
 フルギアの1人が「古くて爆発しないんじゃ……」というと、半田千早は「古くても爆発することがあるの!」と答える。
 マルユッカが問う。
「チハヤ、どうすればいい」
 半田千早は考えた。こういったことは、彼女の養母は教えてくれない。この種の対処法は、金沢壮一か相馬悠人から。
「手榴弾か、小銃擲弾は?」
 輸送隊員が答える。
「手榴弾はたっぷりある。小銃擲弾は少ししかない」
 ミエリキが知らせる。
「RPGがあるよ!」
 半田千早が答える。
「手榴弾でやろう。
 手榴弾が爆発したあとを進めば、安全!」
 彼女は心の中で続けた。
「きっと……」
 自信がなかった。

 丘にたどり着くまで、手榴弾10発を使った。ノイリンの手榴弾は、激発発火式ではなく、構造が簡単で製造しやすい摩擦発火式を主用している。
 爆風による威力半径が大きい柄付手榴弾、俗称ポテトマッシャーと、威力半径が小さく至近でも使える小型円筒形の破片手榴弾がある。
 半田千早は、運転席上部のハッチから身を乗り出し、破片手榴弾を投げながら進む。その後ろを装甲トラックが続く。
 手榴弾の爆発に誘引されて、1回だけ誘爆が起きた。小さな爆発だったが、ヒトの片足を吹き飛ばす程度の威力がある。
 対人地雷だ。

 半田千早は驚いていた。仮に地雷が埋設されていたとしても100年かそれ以上経過している。
 錆びて使えないはず、と考えていた。しかし、半田千早は金沢壮一から聞いた話があった。
「爆薬にピクリン酸を使った場合、容器が金属だと期間を経ると鋭敏になる」
 相馬悠人からは「地雷には樹脂製や木製もあるんだ。薄い金属容器に厚い樹脂でコーティングした地雷もある。
 金属部が少ないと、金属探知機に反応しにくいからね」と。
 半田千早は、経年によって鋭敏になった地雷があるのかもしれない、と考えた。

 バギーは最徐行で進む。王女パウラは、助手席上のハッチから上半身を出して、地面を凝視している。
 彼女は地雷の形状を知らないが、何であれ人工物を見つけたら、迷わず停止を告げるつもりでいた。
 装甲トラックは、バギーの轍をゆっくりとトレースしてくる。しかし、バギーのほうが車幅があり、装甲トラックはバギーが残す轍の少し内側を進む。

 途中から手榴弾の投擲は王女パウラの仕事になった。
 ノイリンでの手榴弾の投擲訓練は、爆発しない模擬弾で行う。そして、実戦を経験しないと、本物の手榴弾を投げるチャンスはない。
 当初、手榴弾は対セロ戦における兵器とされたが、対ドラキュロ戦でも威力を発揮した。ドラキュロの集団に投げつけて、逃げる時間を稼いだ報告がある。
 居住域外を旅する商人のなかには、ノイリンで手榴弾を買い付けて自衛用に装備する例が見られ始めていた。
 俺たちの店でも威力の小さい破片手榴弾を扱おうか、と議題になり始めていた。
 王女パウラは、景気よく手榴弾を投げている。

 饅頭山の麓に到着。
 斜面の傾斜は緩い。バギーならば直線で登っていけるし、装甲トラックも同様に登坂できるだろう。
 バギーがエンジンを吹かし、登坂に入る。装甲トラックは、少し待ち、車間を空けてから続こうとした。
 瞬間、小さな爆発が起こる。装甲トラックの左前輪は少し飛び跳ね、立ち上がっていた荷台の何人かが振り落とされそうになる。
 バギーが停止し、後部ドアからミエリキが飛び出す。彼女はバギーの左タイヤ痕の上を走り下る。
 ミエリキが装甲トラックの左前輪を覗き込む。
「タイヤが千切れているし、ホイールも変形しちゃっているよ。
 ハブボルトも3本折れている……」
 マルユッカが問う
「地雷か?」
 ミエリキが小首をかしげる。
「さっきの爆発よりも、かなり小さかったけど……」
 マルユッカが少し考える。
「雷管が爆発しただけかも……。
 雷管は反応したけど、火薬は使えなかったのかも」
 ミエリキが微笑む。
「幸運だったね」
 荷台のマルユッカは不満な顔つき。
「不運だよ。
 トラックはもう走れない」

 荷台の隊員は、バギーのタイヤ痕の上を歩いて、山頂を目指す。
 山頂には石囲いがあり、建物の一部のようにも思える。城にしては小さいが、民家にしては大きい。石囲いは方形で場所によって1メートルから2メートルと高さに差がある。
 非常に古いもののようで、建築時の姿は想像できない。建材の一部と考えられる木片などもない。
 石囲いの内も外も丈の低い草地だ。目に付くようなものは何もない。

 半田千早たちは、バギーのウインチでトラックを山の頂に引っ張り上げる作業に取りかかる。
 トラックなしでは動けないから、時間がかかっても修理するつもりだ。スペアタイヤがあるし、ハブボルトのうち3本は折れていない。他の車輪から1本移植すれば、無理をしない範囲で走行可能になるかもしれない。
 半田千早は、そんなことをすぐに思いつくほど、車輌班の工場に入り浸っていた。

 饅頭山の頂は、周囲と比べれば20メートルほど高いだけだが、眺望は抜群だ。全周をよく見渡せる。
 通信用のアンテナ設置と、装甲トラックの修理に担当を分け、作業が始まる。
 幼女と少女は、触雷が相当に怖かったらしく、イロナから離れない。マルユッカは2人の安全を考えて、イロナに子守を命じた。
 そして、食事の支度だ。
 携行口糧しかないが、イロナは缶詰を全員から供出させた。彼女が得意の缶詰のスープだ。このスープとビスケットが、夕食になる。

 技術がなく、装甲トラックの修理と無線アンテナの設置のどちらにも参加できない王女パウラは、バギーの屋根に上って、周囲を見渡している。
 饅頭山を中心に半径1キロには、森や林はない。あっても立ち木が3本程度。潅木はところどころにある。
 東側は海岸部よりも森が多い。そして、森には果実が実る植物が少ない。王女パウラは、クマンが内陸に進出しない理由がわかった。内陸は海岸部と比べて、自然の恵みが乏しいのだ。
 東側は草原が徐々に減り、森林が広がっていく。しかし、森林によって大地が埋めつくされることはない。
 西側は草原と森が斑に混在し、徐々に草原が増えていく。
 この地は、草原と森林が出会う地なのだ、と王女パウラは考えた。
 
 王女パウラは、イロナと幼児と少女が枯れ枝を集めている様子を見ている。そして、自分には、そういった思い出がないことに思い至る。家族の記憶がないのだ。父とは3回会った。母の記憶はない。顔も知らない。生死も知らない。母が彼女に興味がないことは理解していた。
 イロナたちと薪集めがしたかった。

 だが、ふと東を見る。距離2キロ。饅頭山の東にある森とさらに東に広がる草原の切れ目に騎馬と馬車の列が北に向かっている。
 王女パウラは、バギーのルーフの上でしゃがんだ。
 黒羊騎士団だ。
 ルーフからボンネットに飛び降り、マルユッカに向かって走る。

 マルユッカはアンテナが5メートルまで伸ばせないことを悟り、暗澹としていた。資材が足りず、3メートルが限界だ。
 そこに王女パウラが走り寄る。
「隊長、黒羊騎士団です。
 東の草原を北に移動しています」
 マルユッカは、王女パウラの言葉を若干のディレイを感じながら理解した。
 そして、バギーのルーフによじ登る。
 マルユッカが双眼鏡で確認。
 バギーのルーフからボンネット経由で地上に降り、イロナに叫ぶ。
「イロナさん、火はダメ。
 東に黒羊騎士団がいる!」
 焚き火には火がつき始めていたが、イロナは足で薪を散らし、火種を踏んで消す。
 イロナの顔面は蒼白だった。
 誰かが「見られたか」と呟く。
 わずかだが焚き火の煙は、立ち登った。誰もが上空を見上げる。無風に近い。煙は、拡散しない。
 マルユッカが王女パウラに命じる。
「パウラ殿下、黒羊騎士団を監視し、行動に変化があったら報告!」
 王女パウラは、半田千早を真似て下手な敬礼をした。
 そして、バギーのルーフに登る。

 空中線式の短波無線アンテナは、石垣の上に2人の手持ちで設置された。
 通信が始まる。
 バンジェル島を呼び出すが、応答がない。バンジェル島が受信できないか、受信しているがマルユッカたちがバンジェル島からの呼びかけを受信できないのか、それともどちらも受信できないのか。

 日付が変わる頃、装甲トラックに4本のタイヤが装着された。半田千早が提案したとおり、後輪と右前輪1輪あたり6本のハブボルトのうち1本を抜き、それを左前輪に移植した。左前輪は、6本のハブボルトのうち、3本が折れ、1本がひどく曲がっていた。2本が使用でき、他の車輪から3本を移植し、どうにか車輪を取り付けた。
 走行と操行は可能だ。無理をしなければ、帰還できる。

 夜になって、断続的だがバンジェル島からの受信もできた。送信については数時間前から、バンジェル島側は受信しており、おおよその事情は理解していた。
 また、電波の方位探知をしており、位置も測定されていた。
 バンジェル島には、通信班の技術系幹部の1人であるシルヴァが到着していた。
 彼女の指揮であらゆる周波数の電波傍受が始められており、マルユッカ隊からの受信はその成果であった。

 半田千早がマルユッカに報告する。
「隊長、装甲トラックが、動けるようになったよ」
 マルユッカがホッとした表情を見せる。
「よかった。
 ここで立ち往生はつらいから……。
 バンジェル島とも連絡できた。
 電波状態が悪くて、断続的だけど、雨がやめば偵察機が来てくれる」
「病人やけが人がいないだけでも幸運だよ」
「そうだね。
 だけど、黒羊騎士団が近くにいるようだから、気を付けないと」
「パウラが数えたんだけど、黒羊騎士団には子供や女性もいるみたい。
 400人を超えるかも。
 こっちに向かってきたら厄介だよ」
「戦闘は覚悟しておいたほうがいい。
 ヒトとヒトは争うべきじゃないけれど、その理屈が通じる相手ばかりじゃないから……」
「うん。
 わかっているよ」
「いまは?」
「パウラとミエリキが休んでいる。
 私はバギーの見張り。
 隊長は寝たほうがいいよ」
「少しだけ寝るよ」
「そうして……」

 イロナは幼女と少女をターフの下で寝かしつけ、彼女自身もウトウトし始めていた。彼女は歩哨の任から外されており、2人から目を離さぬ範囲で、睡眠を取ることができる。
 しかし、奇妙なほどの緊張感がある。なぜか心がざわつくのだ。
 そのためか、短く深い睡眠を繰り返していた。瞬間眠り、瞬時に覚醒する、ヒトにはない眠り方になってしまう。
 そんな彼女は、明け方近く、疲れもあり、深く長く眠る。

 イロナは強烈な不安に襲われ、唐突に覚醒する。2人は起きていたが、イロナから離れていなかった。
 不安のありかを探す。
 研ぎ澄まされた彼女の本能が告げる。そして、それを同時に言葉にする。
「何か……、来る!」

 イロナの叫びと同時に、歩哨が東から向かってくる巨大な装軌車を発見する。
「北東方向から、装軌車接近!」
 朝食の用意をしようとしていたミエリキが、鋳鉄製の鍋の底をバールで叩いて、半鐘代わりにする。
 石造廃屋の陰で用を足していた王女パウラが呟く。
「うそ~、やだ~」
 深い眠りから叩き起こされた半田千早は、防弾ガラス製サイドウインドウにおでこをぶつけた。

 イロナは幼女と少女を走行トラックのキャビンに押し込み、ボディアーマーを着け、ヘルメットを被り、弾帯を締め、AK-47アサルトライフルを握る。
 一瞬、装軌車の方向に走ろうとしたが、2人の怯えた表情を見て、装甲トラックのキャビン横から動かなかった。

 マルユッカは装備一切を手に持って、装軌車を発見した歩哨に向かって走る。

 装軌車は饅頭山の手前で止まる。
 声が聞こえるが、マルユッカには意味がわからない。
 だが、ジブラルタルの言葉であることはわかる。
 彼女は近くにいる隊員に「チハヤを呼んできて。あの子はジブラルタルの言葉がわかるから!」と命じた。

 半田千早は装備を装着し、ノイリン製ワルサーPP自動拳銃の弾倉を点検していた。安全装置を確認し、ホルスターに戻す。
 半田千早は「こい!」と手招きする、隊員を認めた。

 半田千早がマルユッカの横に立つ。
 マルユッカが問う。
「何を叫んでいる?」
 半田千早が答える。
「撃つな!
 動くな、って」
 マルユッカが半田千早に命じる。
「何者か?
 何をしに来たのか、を問え」
 半田千早が両手でメガホンを作り、叫ぶ。
「あなたたちは誰?
 何をしに来たの?」
 装軌車に乗る若い男が答える。
「俺たちは、近くの村に住んでいる!
 ここは地雷原だ!
 動くな、危ない!」
 半田千早が尋ねる。
「頂上にも地雷があるの!」
 若い男が応答する。
「いいや、頂上は安全だし、斜面にもない。
 だけど、山の麓には低威力の地雷を仕掛けてあるんだ!
 あんたたちを傷つけるつもりはない!
 だから、頼むから動かないでくれ!」
 半田千早は、会話の内容をマルユッカに説明する。
 マルユッカが命じる。
「どうすればいいのか聞け」
 地雷が埋設されていることは事実だ。実際、装甲トラックが触雷している。
 半田千早が叫ぶ。
「どうすればいいの!?」
 若い男が車内の誰かと相談する。
「そっちへいく。
 だから撃たないでくれ。
 銃はあるが、使うつもりはない!」
 半田千早がマルユッカに装軌車側の発言を伝えると、隊長は「ゆっくり上がって来い、と伝えろ」と命じた。

 巨大な装軌車がゆっくりと斜面を登ってくる。カタツムリのようにゆっくりと……。
 半田千早はすぐに気付いた。ゆっくりと上ってくるのではない、速度が出せないのだ。
 そして、その装軌車の車台には見覚えがある。
 白魔族のラージマウス多砲塔重戦車と同じだ。ラージマウスは全長10メートル、全幅3.5メートルに達する巨大な戦車で、3つから5つの砲塔を有している。
 斜面を登ってくるラージマウスの車台には、砲塔がない。
 砲塔があった部分は完全に切り開かれており、操縦席から戦闘室にかけてはオープントップの荷室か兵員室のようになっている。操縦席前には直立したフロントウィンドウがある。フルカウルのキャビンはなく、完全なオープントップだ。がっしりとした作りの幌骨が3本。幌骨を含まない車体の高さは、大柄なヒトの背丈をはるかに超える。

 巨大な装軌車が頂上の石垣内に入る。
 遠目でも巨大だが、眼前ではそれが際立つ。側面2カ所に梯子が降ろされ、これで乗降するらしい。
 地上から見る限り、6人の姿を確認した。
 全員、若い。

 リーダーと思われる20代前半の男が、梯子を伝って地面に降りる。
 西ユーラシアでいうところのジブラルタルの言葉、200万年前から大きな変化のない英語で話しかける。
「みなさんの無線を傍受したんだ。
 位置を測定したら、俺たちが仕掛けた地雷原に迷い込んだんじゃないかと思ったんで、急いで来たんだ。
 誰も怪我していない?」
 半田千早が通訳する。
 マルユッカが答える。
「負傷者はいないが、車輌が1輌やられたよ」
「謝るよ。
 だけど、こっちにも事情があって……」
「事情とは?」
「オーク、という動物を知っている?」
 この単語は、通訳しなくてもわかる。オークとは白魔族のことだからだ。
 マルユッカが頷く。
「我々は、白魔族と呼んでいる。
 この近辺にもいるのか?」
「いいや、オークはいない。生息地は、はるか東だ。数年は見ていない。
 ここにいるのは、オークの家畜なんだ」
「家畜?」
「あぁ……」
 男はいいよどんだが、呼吸を整えてから、続けた。
「家畜は2種類。
 1種類は牧羊犬で、食用種を管理していた。
 もう1種類は闘犬かな。オークの娯楽用だ。
 どちらも、かつてはヒトだった。
 いまでも、姿はヒトだから厄介だよ」
 半田千早の通訳を聞いた何人かが、明確に動揺する。
 ミエリキが呟く。
「食用、って、まさか……」
 ミエリキの呟きを理解したわけではないが、若い男が説明する。
「嫌なことだが……。
 オークは、ヒトを遺伝的に改良して、食用に適する品種を作ったんだ。
 メスは繁殖のために残され、オスは一部を除いて12歳までに食われる。
 オークは、ヒトの食用種を管理する牧羊犬みたいな品種を黒羊種って呼んでいる。
 同じ黒羊種だが、徹底的に戦闘訓練がほどこされたグループがいる。
 身体が大きく、筋肉質だ。
 脳に細工をされているのかもしれないし、繁殖を工夫してそういう亜品種を生み出したのかもしれないけれど、ヒトとは隔絶した凶暴性がある。
 オークの娯楽用で、闘技場で戦い、どちらかが死ぬまで戦い続ける。
 黒羊種には、他にも亜品種や変亜種がいるらしい。オークに代わって、戦闘任務に就くタイプもいると聞いた。
 この付近には、黒羊種が多くいた。いろいろな亜品種も……。
 どれも厄介だ。
 凶暴な闘犬みたいな亜品種は唸るだけで、言葉を使わない。何らかの文化があるのかどうか、それさえわからない。
 10年以上見ていないから、この一帯では絶滅したのかもしれない。
 黒羊種は本来、やわらかくて風味がいい肉質になるよう品種改良された食用種を管理するために作られた。だけど、最近はオークにとって、亜品種のほうが貴重らしい。
 黒羊種がここに連れてこられた理由は、地雷探知のためなんだ。
 地雷原に放され、歩かされ、地雷を踏ませる。もちろん死ぬ。怪我をしても治療はされない。
 オスだけが連れてこられたんだが、少数のメスが混じっていて、オークが去ったあと自然繁殖した。
 基本はヒトで、言葉も通じるが、オークを神として崇めているので、意思の疎通は難しいね。
 自分たちは、神に選ばれ、神によって作られた種だと信じている。
 オークが神とすれば、嘘ではない、神に選ばれ、作られたわけだ……。
 オークは従順に働くように、10世代にわたって改良したんだ。父親と娘、母親と息子、兄と妹の掛け合わせなんかもやったらしい。
 姿はヒトで、服も着ているし、言葉も通じるが、もうヒトではない」
 マルユッカが「詳しいな……」と訝しむ。半田千早も、この吐き気をもよおす話を、平然と語る男に不快感を感じていたので、通訳する声音にその感情が伝わる。
「黒羊種を俺の曾爺さんたちが捕らえたんだ。
 そいつがゲロった。
 全部話したよ。
 あまりに凄まじい話なんで、語り継がれているんだ。調書もある。
 以前、オークは、頻繁にこの一帯に姿を現していた。
 俺たちを襲いにね。
 この山には一時期、俺たちの曾爺さんたちの一部が住んでいた。もともと、石造りの家があったそうだ。それを再利用させてもらったんだ。
 で、山の周辺が戦場になり、曾爺さんたちが手製の地雷を埋めた。
 その地雷を処理するために、黒羊種が連れてこられた。
 ひどい戦いだったらしい。
 それで、ここを去ったんだ。水もないし……。
 でも、黒羊種はここを聖地と崇めるようになり、この一帯に現れるとこの山を必ず訪れるんだ。
 いまの地雷は、連中が来たことを教えてくれる鳴子みたいな役割だ」
 マルユッカが尋ね、半田千早が通訳する。
「最近も現れた?」
 若い男が答える。
「いいや、5年ほど姿を見ていない」
 マルユッカが、核心を突いた。
「きみたちは、何者なのだ?
 異教徒でも蛮族でもないようだが……」
 若い男が小首をかしげる。
「異教徒?
 蛮族?
 俺たちは、流刑地から脱走した犯罪者の子孫だ。
 遙か北にジブラルタルという土地がある。
 そこが流刑地だった。
 彼方にある大きな島は、罪人をジブラルタルという岩の土地に送り、そこで生涯を終わらせたという。
 俺たちの先祖は200年ほど前、流刑地を抜け出したんだ。海峡を渡り、南の大陸に逃れた。1000人近くいたらしい。
 それから海岸線に沿って、南西方向に進んだ。
 そして、オークと名乗るヒトに似た動物に出会う。
 その動物はヒトを食うんだ。ヒトを獲物として襲うんじゃない。ヒトを食材として捕らえるんだ。
 ヒト狩りをする。
 ご先祖さんたちは、戦慄した。
 戦いながら逃げた。内陸に向かい、一時は振り切ったんだけど、連中は大軍を送ってきた。
 30年ほど逃げ回り、この地まで流れてきた。そのときには400人以下に減っていた。
 そして、目立たぬよう分かれて、複数の村を作ったんだ」
 マルユッカが問う。
「きみたちは、その村の1つから来た?」
 若い男が首を振る。
「村は、いまは1つだ。
 正直にいう。
 8年前、疫病がはやった。風邪のような症状で、高熱が出る。そして死ぬ。
 一時は500人以上、600人近くまで人口は回復したんだけど、この疫病で3分の2が死んだ。
 体力的に弱い、老人や子供が犠牲になった。
 結果、経験と知識が豊富な大人が激減し、次を担う世代がいなくなった。
 あなたたちの無線は、何年も前から聞いていた。この世界に無線を知っているヒトが、ジブラルタル以外にいるなんて、本当に嬉しかった。
 それに、ジブラルタルは滅んだみたいだし……」
 マルユッカは当然の疑問を言葉にする。
「では、なぜ、送信しなかったんだ?」
 若い男の答えは端的だった。
「短波の送信機を持っていないんだ。
 受信機しかない」
 マルユッカは疑問を重ねて問う。
「私たちが悪人だったらどうする?」
 若い男が微笑む。
「村には、あなたたちが何者なのか、どこから来たのか、それがわかるまでは接触するべきじゃない、という意見もある」
 マルユッカが当然と頷く。
「適切な判断だ。
 私でもそうする」
 若い男が下を向く。
「待てなかった」
「なぜ?」
「妻が病気だ。
 薬がいる」
「疫病か?」
「違う。
 子供を産んだあと、高熱を出している。
 あなたたちなら抗生物質とかいう薬を持っているんじゃないかって……。
 地雷原から出す代わりに、薬が欲しいんだ」
 半田千早の通訳を聞いたイロナがいう。
「産褥熱〈さんじょくねつ〉ね」
 マルユッカが肯定する。
「イロナさんのいうとおり、産褥熱で間違いない。
 熱が出てから何日?」
「3日目だ。
 熱が高くて、妻はうなされている」
 半田千早が伝える。
「マルユッカ隊長は、お医者様なの。
 抗生剤も少しならあるし、サルファ剤もある……」
 半田千早は異教徒の言葉に変えた。
「隊長、そうだよね。
 みんなの救急ポーチにある抗生剤とサルファ剤を集めれば何とかなるよね?
 助けてあげられるよね?」
 マルユッカが答える。
「医師としては、どうであれ病人の元に行きたい。
 だが、みんなを預かる隊長としては……」
 イロナが即答する。
「私は、賛成!
 できることをしましょう!」
 ミエリキが反対する。
「このヒトたちの言葉を、そのまま信用していいの?」
 ミエリキの意見に、ヴルマンとフルギア、それにノイリンの男たちが賛成する。
 王女パウラが問う。
「ここは、クマンの土地ですか?」
 装甲トラックの運転手が答える。
「いいや、領土の東端から50キロ内陸だ」
 王女パウラがいう。
「クマンの民でも、クマンの民でなくても、困っているヒトを放ってはおけません」
 クマンの隊員が王女パウラに頭を下げる。王女に従うという意思表示だ。
 ミエリキが提案する。
「バギーで、お医者様のマルユッカ隊長、言葉のわかるチハヤ、病を知っているイロナさんの3人が村に向かう。
 それ以外は、この山頂に立てこもり、バンジェル島の指示を待つ。
 どう?」
 マルユッカが賛成する。
「いい案だ。
 そうしよう。
 だが、イロナは残って欲しい。子供2人が不安になる。それと、イロナは強そうじゃない。
 アクムスが来てくれ。強そうに見える。
 夕方までに戻らなかったら、異常があったと判断して、バンジェル島に連絡して欲しい」
 名指しされたフルギアの天文学者アクムスは、意外な指名に驚いた。
「何で?
 俺なの?」
 ミエリキがからかう。
「フルギアのくせに強そうだからだ。
 このなかで、身体が一番大きいし、顔が怖い」
 全員が大笑いする。

 若い男が名乗る。
「遅くなったが、ランドン・ハスケルだ」
「私は、ノイリンのマルユッカ」
「マルユッカ。
 俺たちの村に案内する。
 トラクターの真後ろをついてきてくれ。
 地雷原を抜ける通路があるんだ」

 饅頭山から村への道は、巧妙に隠蔽されるようになっていた。
 草原を通らず、全行程のほぼすべてを森林内に設けてある。木々の枝が道の上に覆い被さり、上空からは見えない。

 村は小さな湖から流れ出る小川から200メートルほど離れた場所にある。
 生活用水は、湖と小川に依存しているらしい。道は1本で、その両脇に泥壁の家が建ち並ぶ。
 50世帯200人程度の村だ。

 白魔族の多砲塔戦車を改造したトラクターは、入村するとすぐに停止した。
 村の西端から6軒目の家の前で止まる。
 ランドン・ハスケルと名乗った若い男が、梯子を伝って地面に降りる。
 バギーに向かって走ってくる。
「俺の家は、ここなんだ」
 マルユッカが助手席側ドアを開け、降りる。
 その際、「チハヤは残れ」と命じた。
 マルユッカが泥壁の家に入る。

 10分立ってもマルユッカが戻らない。
 半田千早は焦った。
 フルギアの天文学者アクムスに問う。
「おじさん、どうする?」
 アクムスが答える。
「待とう。
 そういう命令だ。
 おじさんはやめろ。俺はそんな歳じゃない」
「いくつなの?」
「25だ」
「ウソ!」
「嘘、とは何だ。
 失礼だぞ」
「40くらいかと思ってた」
「失礼なノイリンのクソガキだ」
「ヘヘッ」
 多砲塔戦車改造のトラクターは、視界から消えている。アクムスがフロントウインドウのその先を凝視する。
「まずいな」
 半田千早が同意する。
「まずいよ。
 村のヒトが集まり始めた。
 敵対的な雰囲気はないけど、だけど……」
 アクムスは、強い不安を感じ始めていた。
「村の連中、好奇心だけじゃなさそうだ」

 マルユッカが泥壁の家から出てきた。
 集まり始めた村人を見て驚く。
 半田千早がドアを少し開ける。
 マルユッカが状況を説明する。
「重体だ。
 意識が混濁している。
 抗生剤を飲ませたが、今夜が山だ。
 脱水も起こしている。
 点滴をするんだが、何をするのか、説明してくれないか?
 アクムスは残れ。
 襲ってきたら撃て」

 半田千早はドアを出ると同時に、強い悪意のような感情を察知した。
 その方向を見ると、20代前半の男女数名が彼女とマルユッカを見ている。
 その目は明らかに友好的でない。だが、殺気ではない。
 それと、幼い子供を抱いた女性が何人かいる。
 そのうちの1人が半田千早に話しかけた。
「あの、お医者様なのですか?」
 半田千早は、悪意の視線に気を取られ、その女性に気付くのが遅れた。
「……、彼女がお医者さん」
 マルユッカを指差す。
「この子を見てください。
 足が化膿しているんです」
 別の女性が「この子は熱が……」、男性が「俺の妻と息子を見てくれないか?」と。
 ちょっとした騒ぎになる。
 ここに集まった人々は、医者を求めてきたヒト、敵対的なヒト、興味本位なヒトに大別できる、と半田千早は判断する。
「ちょっと、待って!
 マルユッカ先生は、この家の患者さんを診ている。
 順番で、診るから……」

 半田千早は、病気について、地域によって認識の差があることをよく知っていた。
 ノイリンでは、多くの病気は細菌やウィルスによって引き起こされることを知っている。フルギアでは、悪い精霊が身体に取り憑くとされる。ヴルマンでは、目に見えない虫の仕業とされる。
 病気に対して、ノイリンでは医師が対応し、フルギアでは祈祷師が、ヴルマンでは治療師があたる。
 ヴルマンの治療師は、ノイリンの薬剤師に近い。フルギアの祈祷師による治療には、理学療法的な効果がある。
 この村の病気に対する認識は、ノイリンに近いかもしれない、と半田千早は感じた。異教徒の村かもしれない、とも思った。

 バギーの前に青空診療所が開設され、マルユッカの診察が始まる。
 小さな村なのに病人が多い。ほとんどが感染症で、手持ちの抗生剤がどんどん減っていく。
 ランドン・ハスケルの妻は、よく眠っており、彼の産まれたばかりの子は元気だ。
 半田千早は、敵対的な目を向ける一団を絶えず気にしていた。
 マルユッカとアクムスは気付いていない。マルユッカは忙しくて、アクムスは鈍感で。
 アクムスは物騒な体格と面構えに似合わず、繊細と思えるほど丁寧に患者を整理している。

 饅頭山から無線が入る。ミエリキからだ。
「どんな状況?」
 半田千早は説明に困る。
「病気のヒトが押しかけてきて……」
「どういうこと?」
「病気のヒトが多いの。
 薬がなくなりそう。
 バギーの救急箱も使ちゃった」
「戻れそう?」
「どうかな?
 連絡する」

 バギーを離れようとすると、半田千早の前に例の一団が行く手を遮る。
 20歳少し前の女性が問う。
「おまえたちは、何者なんだ。
 島の回し者だろう」
「島って、バンジェル島のこと?」
「島だ。彼方の……」
「バンジェル島は、ここから西に350キロくらいだよ」
「……。
 私たちを捕まえに来たのだろう」
「何で捕まえるの?
 悪いことしたの?」
 半田千早は、まったく話がかみ合っていないことには気付いていたが、かみ合わない理由はわからなかった。
 1人がナイフを抜く。
 半田千早は、躊躇わず腰のホルスターからワルサーPPを抜く。
「ナイフを捨てて!」
 半田千早の大きな声で、周囲がトラブルに気付く。
 大柄な若者が仲裁に、というよりは一団を脅すようにして追い払う。
 半田千早が問う。
「何なの?」
 大柄な男が答える。
「すまない。
 いろんな考えがあるんだ。
 もう、近付かせないから……」

 マルユッカの診察は、日没2時間前まで続いた。
 ランドン・ハスケルが礼をいう。
「妻は寝ている。
 死ぬとしても、苦しまずに死ねる。
 ありがとう」
 マルユッカが説明し、半田千早が通訳する。
「今夜が峠。
 今夜を乗り切れば、よくなっていく」
 マルユッカが抗生剤を2錠渡す。
「今夜1錠、夜が明けたら1錠飲ませて。
 明日、また来るから」

 日没前には、饅頭山に到着したが、相当に心配されていた。

 昨夜、バンジェル島とは明瞭な通信ができた。バンジェル島からは「動くな」との命令があり、天候が回復次第、偵察機を離陸させるとのことだった。
 イサイアス隊は、すでに帰還していた。

 城島由加は、半田千早からの報告に衝撃を受けていた。
「びっくりだよ。
 白魔族が食用にするために、ヒトを品種改良していたなんて!
 それを管理する改良されたヒトもいる。黒羊種っていうんだ。
 黒羊騎士団って、黒羊種のヒトたちの集まりってことじゃないかな。
 白魔族を神だといったり、創造主と呼んだりするけど、自分たちを品種改良して生み出したから……。
 だから、創造主って……」
「悲しいけど、千早の考えはあたっていると思う。
 もし、接触があったら、躊躇っちゃダメ。
 同情したら、誰かが犠牲になる」
「わかってるよ、養母〈かあ〉さん。
 悲しいけど、そういうヒトって事実を受け入れないから……。
 事実を受け入れたら、心が壊れちゃうから……」

 昨日と異なり、饅頭山にはフルギアの天文学者アクムスが副隊長として残ることになった。
 ヴルマンとフルギアの関係は難しく、どちらかを重用することははばかられる。
 だが、アクムスの人柄は、そのはばかられる偏重登用に値する。
 マルユッカの決定にミエリキが率先して賛成した。
 彼女いわく「フルギアのくせに頭がいいから」だそうだ。

 個人携帯の医薬品から、さらに少しの抗生剤が集められた。また、装甲トラックの救急箱も持っていく。

 ランドン・ハスケルの妻は、意識の混濁から抜け出し、呼びかけに応答するようになっていた。
 村に半田千早たちが到着すると、ランドン・ハスケルが駆け寄り、マルユッカの右手を両手で強く握り、何度も言葉にならない礼をいう。
 昨日は村に奇妙な緊張感が漂っていたが、今朝は友好的な雰囲気しかない。
 だが、例の一団の敵対的な視線は、まったく変わっていなかった。

 今日はミエリキがついてきた。
 出発前、半田千早がRPG-7対戦車擲弾発射機を降ろそうとすると、ミエリキが反対した。
「何があるかわからないから、持っていこう」と。
 半田千早は何事もないと確信していたが、無用な長物の装備を受け入れた。
 マルユッカ、半田千早、ミエリキの3人は、ボディアーマーを着け、ヘルメットを被り、AK-47アサルトライフルを持ってバギーに乗り込んだ。

 村ではマルユッカはボディアーマーとヘルメットを外して診察をしたが、半田千早とミエリキは完全装備のままだ。

 診察が始まり15分ほどすると、村の東端で爆発音がした。
 道は直線。西端から東端まで見渡せるのだが、昇りきっていない太陽が邪魔をして、視界が悪い。
 半田千早が叫ぶ。
「戦車だ!
 白魔族の戦車だ!」
 村人たちが一斉に西に向かって逃げる。
 白魔族の戦車が1輌、騎馬が20騎。
 白魔族がウマに乗る?
 半田千早が始めて見聞きすることだ。ウマに乗る白魔族なんて、初めてだった。

 ランドン・ハスケルは、村人を逃がそうと必死。また、村の中央付近にバリケードを築こうとする村人の集団もいる。
 白魔族の戦車は、ルノーFT-17軽戦車によく似たリベット構造の小型戦車だ。ノイリンでは、スモールピッグというコード名を付けている。
 低速でコトコトと走るのだが、対戦車兵器がなければ対抗のしようがない。
 ヒトが牽く荷車や木桶なんかを並べても、戦車の障害にはならない。
 東側にいた村人の多くは、森に逃げ込んだようだ。
 戦車は真っ直ぐ前進してくる。銃を手に抵抗しようとした村人に37ミリの榴弾が発射される。
 ヒトごと家屋が破壊される。
 貧弱な急造のバリケードは何の効果を示すことなく、踏み潰される。
 騎馬が突進し、マルユッカが拳銃を発射する。
 戦車が停止し、小さな砲塔が旋回する。
 バギーを狙っている。
 半田千早は無力とは知っていたが、半自動小銃を連射する。

 一瞬、戦車砲の発射より、ミエリキのRPG-7のほうが早かった。
 距離50メートルで、対戦車榴弾(HEAT)を発射。2体乗車の軽戦車が爆発し、炎に包まれる。
 村人を撃ち倒していた騎兵は、慌てた。村人の反撃が始まる。

 ランドン・ハスケルが半田千早いう。
「村がオークに見つかってしまった。
 取りあえず、山に逃げる。
 そこが、俺たちの決戦場になる。
 あなたたちには、無関係な争いだ。
 できるだけ早く、逃げてくれ」

 半田千早は、西アフリカに白魔族がいることに驚いていた。
 彼女は強く意識するために言葉に出した。
「養父〈とう〉さんと養母〈かあ〉さんに知らせなきゃ」
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