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第4章 内乱

第39話 ルカナ始末

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 ヌールドの丘における戦役は、バルティカを構成する各国に大きな影響を与えた。

 アークティカはバルティカの属国として、外交と軍事を除く高度な自治を保障されていたが、バルティカ主要五カ国の捨て駒として、神聖マムルーク帝国の蹂躙を受けた。
 このことは、バルティカの盟主であるアトリアに対する不信につながり、強固な団結を誇った連邦国家バルティカは分裂状態に陥った。
 戦役の結果、アトリア王はアークティカに拘束されたが、アトリアは王の帰還のための身代金を踏み倒した。
 その理由は、新たな王が立ったからだ。旧王は不要になったのだから、アークティカがどうしようが勝手というわけだ。
 王であっても、使い捨ての世の中なのだ。王の替えなどいくらでも用意できる。
 王になりたい愚者も決して絶えることはない。
 それが、現実だ。

 アークティカは、アトリア王トゥルー三世を解放した。利用価値のなくなった生業を持たない中年のオッサンなど、何の役にも立たないからだ。
 トゥルー三世は、どういうわけかアークティカを去らなかった。自身、故国から捨てられたことを知っていたし、ウルリア王家から嫁いでいた正妻は、成人間近の二人の男子を連れてさっさと実家に帰ってしまった。
 旧王を慕う家臣はいない。
 だが、一人、トゥルー三世を案じて、アトリアを密かに出奔した女性がいた。
 彼の一番若い側室である。
 トゥルー三世はアレナスで市井の人となり、商家出身の元側室に養われている。
 トゥルー三世は、チルルから「どこにでも好きなところへ」とわずかな路銀を受け取った際、「好きなところに行っていいのか」と尋ね返したという。
 チルルがうなずくと、「ならば、この地がよい」と答えた。
 チルルが驚き「貴方は追放です」と言うと、「もう故国には帰れぬ。ならば、この国で矢弾避けとして生きたい」と答えたそうだ。
 チルルは「行く当てがないならば、この国にいてもかまいません。ただし、つまらぬ策謀は許しません」と彼の滞在を許した。

 アトリアからは新王の治世に不安があるのか、少なくない数の移住希望者がいた。粛正などの情報はなく、いささか理解しかねていたが、どうもアトリアが帝国の影響下にあることを嫌っての行動らしい。

 そんな状況で、一人の男がアークティカにやってきた。
 ヌールドの丘の戦役において、アトリア側の休戦交渉官を務めた千人隊長ルセである。
 彼は妻子を伴ってアレナスを訪れ、行政府に出向いて元の身分を名乗り、ヌールドの丘の戦死者を弔いたいと願い出た。
 彼はアトリア軍を退役し、アトリアの国籍までも返上していた。
 ルセはアレナス軍の手配でヌールドの丘に赴き、慰霊をした。
 その姿に感銘したスコルがアレナス軍への入隊を薦めたが、ルセは固辞した。ただ、流浪の身なので、妻子のために一時だけアークティカにいたいと願い出た。
 スコルは、その申し出を受け入れた。

 しばらくして、ネストルが私を訪ねてきて、ルセの人物について山ほどの質問をした。
 私は戦場でのルセしか知らなかったが、好感の持てる人物であることは伝えた。
 その翌日、ネストルはミランを伴ってルセの宿を訪ね、自社の警護隊長を務めるよう粘りに粘ったらしい。
 そして、ネストルはルセを口説き落とすことに成功する。
 一国の千人隊長を務めた軍人が、商家の護衛隊長を努めるなど、あるはずのない話だが、ネストルは「もう軍人はこりごりとおっしゃるなら、商人はいかがか。商家の護衛隊員は武を商う商人なのです」と言ったとか。
 ルセは結局、根負けしたようだ。また、提示した給金がアトリア軍よりもよく、奥方が嬉しそうな顔をしたことにも理由がありそうだ。

 ローリア王は、アークティカ北東領の割譲を求め、アークティカと戦端を開いたものの、首都ウツーへの直接攻撃に出たアークティカに対して、何の成果を得ることなく、矛を収めなければならなかった。
 このことはローリア王ベルナル九世の威信を大いに傷つけ、彼の立場を微妙なものにしていた。
 ローリア王側に立っていた近衛兵団は、アークティカとの和平がなると、ベルナル九世から離反した。
 この時点で、ローリア王には実質的な権力はなかった。
 王城は、次の王は誰か、が最大の関心事となっていた。
 ベルナル九世は死に体となった。彼に、後継者を指名するだけの権力は残っていない。ならば、次の王は、話し合いか殺し合いで決めるしかない。
 ベルナル九世の嫡男は廃嫡され、この本来の世継ぎが一派を形成。
 正室が推す次男は宮廷官僚と手を結び、軍はベルナル九世の歳の離れた弟を推挙し、王家傍流は先々王の血筋という男を戴いていた。
 そして、三つ巴、四つ巴の空虚な殺し合いに没頭していく。

 ローリア王は、自分の力では収拾できなくなった王城の権力闘争から離れ、青い海沿岸のテススという小さな村にいた。
 ここには、歴代のローリア王が愛した避暑の館があった。
 すでに避暑の季節ではなかったが、ローリア王はこの館が自分の終の棲家になればいいと願っていた。
 彼は毎朝、犬を連れて青い海の海岸に散歩に出かけた。そして、ある日、彼は戻ってこなかった。
 館の使用人たちが捜索したところ、数日後に波打ち際で死んでいるローリア王が見つかった。死因は溺死のようだったが、判然とはしない。
 ローリア国内では、正室派が殺したともっぱらの噂で、その噂の出所は元嫡男派だとも言われていた。

 以後、ローリア王は決まらず、同国の国力は急速に衰えていく。

 ローリア王の死は、アークティカにも影響を及ぼした。
 ベルナル九世はいささか歪ではあったが、親アークティカではあった。多くのアークティカ人を保護したし、同情的でもあった。また、愚かな王でもなかった。
 彼の唯一の失敗は、アークティカ領を欲したことだ。
 だが、ベルナル九世の後継者として名乗りを上げた面々は、前任者と比較して大いに愚鈍だった。

 新しいアトリア王ヌル五世は、強い領土的野心を持つ男だ。ヌル五世がローリアの混乱を見逃すはずはなく、軍を送って同国の西半分を奪い取った。
 その結果として、アトリアはアークティカと国境を直接接することになる。
 アークティカとアトリアは、和平交渉が決裂している。しかも、アークティカには先王がいる。
 アークティカがアトリアの先王を押し立て、アトリアに攻め込む可能性は排除できない。
 アトリア王ヌル五世は、疑心暗鬼となった。
 さらに、アトリアのローリア侵攻は、パノリアを動かした。ローリアの西隣にあるパノリアはアークティカとの軍事同盟を望み、公然とバルティカからの完全離脱を示すようになる。
 アトリアの北側二国、ウルリアとユンガリアは、完全に北方諸国側に付いてしまった。

 連邦国家バルティカは、崩壊した。

 アトリアは、赤い海東岸で孤立した国家になってしまった。以後、同国は北方諸国の南下とアークティカ・パノリア連合軍の北上に怯えることとなる。

 ローリア王ベルナル九世の死は、赤い海東岸の情勢を激変させてしまったのだ。

 ルカナの包囲は、四カ月目に入っていた。水の補給は雨水のみ、食糧の補給は皆無。食料は完全につきてから、アレナス行政府の試算では二カ月を経過している。
 ルカナ街内の飢餓状態は、極限に達しつつあった。
 赤い海東岸の情勢が激変する中で、王党派の国外支援者たちはアレナス政権の基盤が急速に固まっていく状況に焦りを感じていた。

 そもそも王党派とは、アークティカが東方騎馬民と奴隷商人=神聖マムルーク帝国の侵攻を受けた際、いち早く財を国外に移し、一族郎党が脱出した人々のことだ。
 アークティカに最後まで残った人々、あるいは残らなくてはならなかった人々は、結果として殺戮されるか奴隷になるか、何もかも失って逃げ惑うことになった。
 いち早く財とともに脱出した人々は、自分たちの先見の明を喜び、国内残留組を哀れんだ。
 本来は、それで終わるはずだった。
 しかし、予言の娘という得体の知れない女が現れ、ルカナ一帯から東方騎馬民と奴隷商人を一掃してしまう。
 さらに、ルカナに新政権ができ、矢継ぎ早に政策を打ち出してくる。
 こうなると、アークティカ国内に残してある自分たちの動産・不動産がどうなるかが心配になってきた。
 ルカナ政府は、既存の建物を接収して利用したが、決して国外退去者の資産を奪取したわけではない。
 だが、国外に退去した富裕者には、そうは思えなかった。自分たちの資産が問答無用で奪われるのではないか、という疑心暗鬼から、形成されつつあった民族主義的な思想を持つ王党派という愚かな若者を煽り、ルカナに送り込んだのだ。
 実際に行動を起こした王党派は、莫大な財とともに国外に退去した一握りの富裕者たちの子弟やその取り巻きだった。
 王党派とは、アークティカ人の正当な血脈を守るとか、アークティカ王家の再興とか、ではなく、さっさと逃げ出した連中の権利主張だったのである。

 王党派の黒幕は、当初は自分たちが優位に立っていると思い込んでいた。だが、ルカナ政権がアレナスに移動し、奪取したはずのルカナが封鎖され、彼らの子弟と全く連絡が付かなくなると焦り始めた。
 何人かが子弟の無事を確認しにアレナスを訪れたが、彼らが見せられたものは鉄条網で封鎖され、完全に包囲されたルカナの姿だった。
 アレナス行政府は、強盗・放火の罪を認めればルカナから出すと言っているが、強盗・放火を認めれば死罪となる。
 ルカナに残れば飢餓、ルカナから出たければ極刑が待っている。

 私兵一〇〇人を送り込んだ親もいた。
 ルドゥ川河口とマハカム川河口のちょうど中間に強襲上陸した百人隊は、マハカム川河口付近のイミル村駐屯地から駆けつけた正規軍三〇人によって、瞬く間に制圧された。
 死から免れた百人隊は全員、武装略奪行為で逮捕拘束され、極刑となった。
 王党派とその黒幕は、どういうわけか彼らの言う解放派=アレナス政権の支持者は臆病者だと考えていた。
 だから、何度も私兵を送り込んできたが、この私兵には王党派子弟兵士が多数含まれていて、彼らは手榴弾数発を投げつけられると簡単に降伏した。しかも、自身の正当性を蕩々と述べ、法によって裁かれ極刑と決まると自分の非を泣いて詫びた。
 アレナスやイファの住人には、どうにも理解不能な連中だ。

 チルルはルカナの処置に心底困っていた。甘い対処をすれば、王党派をつけあがらせる。極刑を持って臨めば、民政長官曰く「死体の処置に困る」のだ。
 私は、アリアンに促されたこともあり、チルルに迷案を提示した。
 損害を受けたのは、メハナト穀物商会所有の家屋・倉庫およびコルカ村で生活していた人々の家財や衣類だ。
 メハナト社が一括して示談に応じるから、示談が成立した王党派構成員は即決裁判で刑を確定し、その刑の執行を一時停止し保釈する。その間に国外に出た場合、再入国しない限り刑は執行しない。
 示談の条件は、当該王党派構成員の家族・三等親までの一族が保有するアークティカ国内の動産・不動産の全権利放棄。
 保釈保証金として一人あたりエリス金貨五〇〇〇枚とし、刑に服さない限り返還しない、というものだ。
 つまり、お前たちのバカ息子とバカ娘を死なせたくないなら、身包み脱いで置いていけ、という追い剥ぎ同然の条件だ。
 この条件は私が決めたのではない。病で意識が朦朧としている我らが強欲指導者、リケルが決めた。

 ルカナには封鎖時点で、一六〇〇人が立て籠もっていた。ルカナ周辺にいた王党派は約二〇〇〇人であったが、四〇〇人はルカナにはいなかった。このうち一部は素早く国外に逃げ出していた。
 大多数は強盗・放火犯として身柄を拘束し、ルカーンとの国境に近い大監獄に収容している。
 一六〇〇人のうち二〇〇人がローリアの近衛兵団員で、連中がルカナ街内を実質的に支配している。
 彼らによって、すでに一〇〇人以上が惨殺されていて、四〇〇人以上の女性が陵辱の対象として確保されていた。
 我々にとって、この二〇〇人はどうでもよかった。彼らはローリアの棄兵であり、故国には帰れず、王党派からは憎まれている。
 我々は、まず換金価値のないローリアの棄兵に国外に追放する条件として、武器の引き渡しを要求した。また、身の安全を保証した。
 彼らからの要求は、武器はルカナ包囲線から出るまでは保持すること、追放場所はアークティカの東側国境とすることの二点だけだった。
 我々はこの条件を良とした。

 ローリア先王の近衛兵団は、ルカナの街の中に百人隊二隊を忍ばせていた。王党派軍を編成したタンムーズがどういう経緯から彼らを自軍に迎え入れたのかは不明だが、タンムーズ自身もアークティカの軍人ではない可能性がある。
 そもそもアークティカに国軍はなく、各地方や街が独自に軍事組織を編成していた。その実力は、他国の正規軍と戦闘できるレベルにはなく、盗賊や無領地から進入する武装勢力を駆逐できる程度だ。
 また、地方・街によっては、小さな戦力の軍に警察権を与えていたり、自治警察を拡大して一定の戦力とした例が多かった。
 軍に警察権を与えた例がマルマで、自治警察に軍事組織としての能力を付加した例がルカナだ。
 タンムーズが、どの地方・街の軍または警察の経歴を持つものかもよくわかってはいない。
 いや、タンムーズがアークティカ人である、と断定する根拠もない。
 王党派の指導者であるフェデリカがアークティカ王家の末裔だという、確認不能な経歴にも似ている。
 タンムーズは戦死しており、フェデリカの所在は不明だ。
 現時点において、我々から見て、ルカナ街内において組織的な行動を維持しているのは、ローリア先王の近衛兵団百人隊二隊だけのようであった。

 私は、近衛兵団百人隊の指揮官と三度にわたる降伏交渉を試みた。
 我々の交渉呼びかけには、ローリア軍近衛兵団百人隊長ラーズグリーズルという若年の将校が応じた。
 彼らの本来の指揮官は、専任であったもう一人の百人隊長であったようだ。ラーズグリーズルは、もう一人の百人隊長は「死んだ」と言ったが、戦闘で死んだのか、それ以外で死んだのかがはっきりしない。
 私は、ラーズグリーズルがやったのかはわからないが、部下によって殺害された可能性が高いと感じていた。
 ラーズグリーズルが指揮しているローリア兵は一六〇人ほどで、ほかは「死んだ」という。その死んだ理由はわからない。
 通常、この世界の軍人は、戦闘で命を落とせば「戦死した」と言うが、「死んだ」と表現すれば事故死か病死であることが多い。
 彼らは少ない量だが糧秣は確保しているようで、極度な飢餓状態ではない。四〇人は餓死や病死ではなく、何らかのトラブルで死んだことが類推できる。
 導き出される答えは、仲間割れだろう。

 ラーズグリーズルは、交渉相手としては申し分なかった。
 他国の軍服を着て、過酷な状況に置かれていても、自隊を完璧に統率している。一定の信頼はできる相手だ。
 一度目の降伏交渉において、ラーズグリーズルは王党派捕虜が一人もいないことを明らかにした。
 一時、相当な人数を捕らえていたが、全員を解放したと言う。
 また、王党派からの攻撃がない限り、戦闘はしておらず、ルカナの最北部一区画を占拠しているのみであることを説明した。ただ、王党派による食料奪取を目的とした攻撃は頻繁で、戦闘は多いとも語った。
 二度目の降伏交渉では、封鎖線を出るまでは武装解除をしないこと、封鎖線外ですべての銃器と刀剣をアレナス政権軍に引き渡し、完全武装解除に応じること、アークティカ東部国境まで身の安全を保障すること、を要求した。
 我々は彼らの要求に加えて、解放後に刀剣のすべてと銃器の一部を返却することを伝えた。そうしないと、盗賊や肉食獣の餌食になるからだ。
 奴隷商人が赤い海一帯に現れて以後、盗賊は金品や食料だけでなく、人狩りもするようになっていた。
 彼らが自分たちの身を守るための最低限の武器は必要だ。また、彼らの安全を保障するために、私自身が解放まで同行することを伝えた。これは、アークティカ人による虐殺という不測の事態を防ぐためでもある。

 問題は三度目の交渉で起きた。
 ローリア先王が逝去した以上、ラーズグリーズルたちを庇護する勢力はローリアにはいない。彼らは運がよければ他国の傭兵となり、運が悪ければ放浪を続け、さらに運が悪ければ盗賊をするしか生きる道はない。
 それは、わかっているが我々にはどうすることもできない。
 いままでの交渉を完全に反故にする話を最初に始めたのは、ラーズグリーズルの副官を務める壮年の下士官からであった。
「我らが貴国に甚大な迷惑をかけたことは、重々承知しております。
 我が先王の命とは申せ、他国の軍服を着てその国に潜入した以上、捕らえられれば死罪は承知しております。
 されど、忠誠を誓った王は崩御され、我らは棄兵となりもうした。
 もう、国には戻れませぬ。生涯、妻子と会うこともかないませぬ。
 されど、自暴自棄になれるほど、弱い心を持ってはおりませぬ。
 貴方様と二度の交渉において、貴方様は義に厚い方とお見受けいたした。
 我ら下士官・兵はアークティカの地に留まることを望んでおります」
 ラーズグリーズルは、彼の副官を激しく叱責した。それは交渉を振り出しに戻そうとする行為であり、叱責は当然ではあるし、降伏交渉権は下士官にはないから、無効な提案なのだ。
 だが、私はこの下士官の話を聞いてみたかった。
「貴官の名は?」
「十人隊長、スクルドと申します。下士官・兵を代表しております」
「スクルドさん。
 下士官・兵の人数は?」
「一四八人にございます」
「貴方が私の交渉相手であると認めましょう。
 ラーズグリーズル隊長は、士官の代表とします」
 ラーズグリーズルは、目をむいた。
 私はスクルドの降伏条件を訪ねた。
「降伏条件など、何もございません。
 ただ、アークティカの地に住まわせていただければ十分でございます」
「アークティカの地に住むには、アークティカという国に忠誠を誓わなくてはなりませんよ」
「国に忠誠を誓うとは?」
「ただ働けばいいのです。自分の家族が豊かになろうと、国を豊かにしようと」
「それだけですか?」
「それだけですが、我らの富を簒奪しようとする敵とは戦わなくてはなりません。
 平和を欲するならば、戦いに備えなくてはなりません。
 私自身、自分の家族、自分の国を守るため、銃を手に戦うこともあるでしょう。
 誰のためでもなく、自分のためにのみ戦う必要はあります」
「一四八人、心を一(いつ)〈いつ〉にして、もしお許しをいただければアークティカに忠誠を誓います」
「で、貴方の図々しい提案を私が受けるであろうという、目算はあるのですか?」
 スクルドは、汚れた小さな袋をポケットから取り出し、その中身を荒れていて大きく無骨な手のひらに並べた。
「テンサイの種です」
 交渉の行方を見守っていたアークティカ人たちから響(どよ)〈どよ〉めきが起きた。
「砂糖か?」
「はい」
「砂糖の作り方も知っているのか?」
「はい。
 アークティカに富をもたらす術を知っております」
 この世界では、真の意味で純白の砂糖は金と等価だ。通常、甘味は蜂蜜か穀物を酵素で糖化した水飴状のものを使う。砂糖はきわめて希少で貴重だ。
「なぜ、テンサイの種を持ってきた?」
「下士官は職業軍人ですが、兵の多くは農民です。下士官の多くも農家に生まれました。
 いつかは軍を去り、農民に戻ります。ですから何人かの兵が、お守り代わりに地の恵みである種を身につけていたのです」
「発芽するのか?」
「昨年収穫の種にございます」
 私の背後にいるアークティカ人たちは、商人も農民も、そしてパン職人も、にわか兵士のイファとアレナスの住民の多くが舌なめずりを始めている。
 彼らはテンサイの価値を知っていた。
「もっと多くの種は手に入るのか?」
「いかなる手を使っても必ず」
 我々は、秋風が吹き始めた穏やかなルドゥ川の畔にテーブルと椅子を並べて、降伏交渉を行っていた。
 だが、私とスクルドは、降伏交渉ではなく、純粋な商談をしている。
「スクルド殿の申し入れ、了解した。当方としては願ってもない商談だ。
 直ちに兵をまとめて、ルカナの街から出るように。
 こちらも受け入れ準備を急ぐ」
「かたじけない。ご厚情に感謝いたします」
 私は、ラーズグリーズル百人隊長を見た。
「……」
 無言の彼に「貴官の副官は、部下の行く末を案じ、必死の交渉をされた。
 貴官はいかに」と尋ねた。
 ラーズグリーズルは、スクルドと行動をともにすることを良としなかった。
 結局、士官のうち七人が将校としての名誉を重んじ、東部国境外での解放を希望した。残りの将校はスクルドに従うそうだ。

 ローリア軍近衛兵団の棄兵の撤収は、その日のうちにきわめて統制された状況下で実施され、一切の戦闘なく成功した。全員の栄養状態が悪く、健康の回復には相当な日数を要することが報告された。
 ラーズグリーズルのグループは治療を拒否して、その日のうちに東方の無領地に退去した。我々は、彼ら全員に剣と銃、そして食料を与えた。
 これで、ルカナの街には一四〇〇人ほどの王党派が残ることになった。

 翌日からルカナに包囲拘束している王党派の処分を開始した。
 罪を確定し、保釈金を支払わせて国外に出す作業だ。
 こう書けば、穏便な処置のようだが、はっきり言って合法的に身代金をふんだくる算段をしているのだ。
 我々は数日前から、他国へ行くアークティカの商人が目的地で噂を流し、他国からアークティカにやって来た商人にも噂を流していた。

 ルカナの王党派は、間もなく放火・強盗の罪で処刑される。ただし、処刑前に保釈金を支払えば自由になれる。

 この噂の効果は絶大だった。
 バカ息子、バカ娘を助けたい一心で、数日後には親兄弟がアレナスの行政府に殺到してきた。
 彼らにはルカナの状況を包囲線の外側から見せ、子供や兄弟の名を呼ばせた。
 何人かが飛び出してきたが、どこからともなく銃弾が発射され、路上に倒れた。
 また、ローリアの近衛兵団が去ると、王党派同士での略奪や暴行が発生し、街の北側路上には多くの死体が転がるようになっていた。
 王党派が占拠していた街の中心部の状況は不明だが、WACO複葉機による偵察では、旧庁舎前広場にも多数の死体があるという。
 また、街の南側には王党派の分派が生まれていて、残虐行為を繰り返しているらしい。
 この状況は、瞬く間に他国に広まり、国外にいる王党派は激しく動揺する。
 ルカナ街内の王党派にも動きがあった。
 ルカナ街内では、王党派は少人数のグループを作り、他グループの襲撃に備えているらしい。ほぼ、不良少年の縄張り争いと同じ状況で、凄まじい殺し合いになっていた。
 それらグループのうち、いくつかが我々に対して自分たちの家族と連絡を取りたい、と申し入れてきた。
 一つのグループの申し入れを受けて彼らを保護すると、同様のグループが続々と続いた。一つのグループは五人から一〇人、最大でも一五人ほどで、どちらかと言えば思想強固な厄介な連中が多かった。
 我々は彼らを一時保護し、一〇日立っても親族が現れない場合はルカナ街内に戻す、と脅した。
 これには彼らが驚いた。彼らは、「我々は保護される権利がある」と訴えたが、私は「お前たちに権利など欠片もない。好きなだけ殺し合え」と言った。
 彼らは重ねて会談を申し入れたが、私は「お前たちと話し合うことなど何もない。話し合いとは意思の通じるもの同士がすることで、お前たちと通じるものなど何もない」と応じなかった。

 最初の王党派家族は、女性の父親だった。直ちに即決裁判が開かれ、裁判長が、王党派か?、放火の日にルカナにいたか?、の二点を尋ね両方をYESと答えると死刑、ただし三等親までの一族のアークティカにおける全財産の権利放棄とエリス金貨五〇〇〇枚の保釈保証金で国外退去を許可する、という判決を下した。
 再度アークティカに入国すれば刑は執行され、再入国しなければ保釈保証金が没収されることも伝えた。
 行政府内に設けられた保釈条件審査委員会は、王党派家族の資産申告が正しいかを審査し、もし申告に誤りや不審があれば、刑の執行か修正申告のどちらを選ぶのか問いただした。
 王党派は驚くほどの富者が多く、チルルの顔が日に日に明るくなっていく。そして、持ち主不詳であった多くの動産・不動産が行政府の所有に移っていく。
 一〇日間で六〇〇人以上に対して即決裁判の判決を下し、エリス金貨三〇〇万枚以上を巻き上げた。
 ルカナの街から、急速に王党派が出て行くと、残された王党派にも変化が見られた。
 彼らは、完全に心が折れ、逃げ出したくなっていた。
 だが、そんな彼らの中には、家族からの連絡が一切なく、つまり家族に見捨てられた連中も多かった。
 また、親兄弟が富者ではなく、真に思想信条で動いていたものもいた。あるいは、単に興味本位で参加していた本物の愚者もいた。
 結局、一〇〇〇人を少し超えたところで、我々の保釈保証金恐喝作戦は終わりとなった。
 それでもエリス金貨五〇〇万枚は、巨額な資金だ。

 王党派指導者フェデリカの父親もやってきた。彼が話した内容は、実に痛ましいものだった。
 彼は赤い海西岸の小さな街でパン屋を営んでおり、フェデリカの言うようにアークティカ王家の縁につながる家系だそうだ。フェデリカの母親もアークティカ王家外戚の末裔で、父親と母親はその縁に偶然以上のものを感じていた。
 母親はフェデリカに「貴女はアークティカ王家の血を引く子よ。だがら、お行儀よくしなさい」とよく叱ったそうだ。
 その結果、彼女は王党派となった。両親とも王党派の思想はなく、単に子にアークティカに縁のある者としてのプライドを持ってもらいたいだけだった。子が親の意図を曲解し、結局は他国の手先となって国を乱すこととなった。
 父親は、「親のしつけが行き届かず、迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません」と誰に言うともなく、我々がいる方向に詫びた。
 なお、我々の調査では、彼女は王党派の誰かに殺害されたらしい。遺体は見つからなかった。

 結局、ルカナの街に四〇〇人弱が残った。この四〇〇人を捕縛することは難しくなかった。この中には他国での犯罪者が多数おり、引き渡しを求められることも少なくなかった。
 この場合は、我々は喜んで引き渡した。だが、当初の予想より遙かに多い三百数十人は刑を執行しなければならない。
 だが、これは刑の執行ではなく、虐殺である。
 我々は、大きな禍根を残した。

 すべてが終わったのは、秋が終わり冬の風が吹く頃であった。

 ルカナは再度解放され、新たな繁栄の時代に向かっていく。
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