アークティカの商人(AP版)

半道海豚

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第3章 奪還

第23話 野戦築城

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 スコルは悩んでいた。どうやって、神聖マムルーク帝国が差し向ける大軍を阻止するのかを。
 スコルは海上警察の下級将校であり、陸戦の専門的知識に欠けていた。それは、スコルの三人の部下も同じだ。
 ただ、騎兵の抜刀突撃や戦列歩兵の密集陣形による戦闘では、敗北が明白であることは経験上知っている。
 ルドゥ川以北とマハカム川以南で実施している機動攻撃は、北方騎馬民に対して大きな戦果を上げているが、この戦い方では帝国軍主力の進撃を止めることはできないだろう。兵力が少なすぎるのだ。
 東方騎馬民に対する機動攻撃は、ゲリラ戦と言うらしい。エミール医師がそう呼んでいた。
 陸戦の専門家が必要だと感じていたが、アークティカの職業軍人たちは、奴隷商人と一戦交えると敗北を悟ったかのように家族を連れて密かに遁走してしまった。
 また、職業軍人がいないということは、旧来の戦い方に固執する古い戦術家がいないということでもあり、その点は有利だと考えていた。
 だが、アークティカに、有能な戦術家は必要だ。
 スコルの考えでは、ルドゥ川とマハカム川を濠に見立てた籠城戦が最も有効だと判断している。だが、険しい地形で流れの速いマハカム川は一定の阻止機能を発揮するだろうが、穏やかな流れの大河であるルドゥ川は艀があれば、どこからでも簡単に渡れてしまう。

 スコルは、開戦まで一カ月に迫ったこの段階に至ってもなお作戦を決めかねていた。

 そんな苦悩の中で、新兵の入隊式があった。この入隊式を終えれば、正規兵の総数は当初計画の二〇〇人に達する。たった二〇〇人でも、全人口の一〇パーセントも占めているのだ。

 スコルは入隊式での閲兵を終え、新兵三〇人を司令部の一室に招いた。
 そこには、ルドゥ川以北の巨大ジオラマがあった。
 新兵三〇人のうち、傭兵や護衛兵の経験者が六人いた。その中に、他国の正規軍兵士経験者が一人いた。
 スコルはジオラマを前に、ルカナの街から北の国境線までを指示棒で説明しながら、新兵たちにどう戦うかを個々に聞いた。
 ほとんどの新兵が突撃を指向し、最後は名誉の戦死を目標に掲げた。
 名誉の戦死を望まなかったのは、ごく少数の戦闘の経験が豊富な新兵に限られた。
 だが、彼らでも何らかの阻止作戦を提示できなかった。

 その男は一五人目の回答者だった。他国の正規軍兵士だったと言う。アークティカ人ではなく、亡命者だ。
 熊のような体格の大男で、風貌と髪の色は明らかに西方人だ。若いようだが、年齢不詳な面構えである。
 男はジャベリンと名乗り、スコルに自身の作戦を披瀝した。
「国境線から南に蒸気車で二行程の位置に、この丘があります。この模型の地形を見る限り、ルドゥ川以北ではもっとも険しい地形です。
 北の国境から道が南に向かい、この丘で南と西に分かれます。西の道は赤い海沿岸のチュレンの街へ、南の道はルカナの街に至ります。
 敵が大軍である限り、兵站補給は行軍の絶対的条件になります。
 であるならば、敵は必ずこの道を通ります。ならば、この丘で敵を迎え撃ちます」
 ジャベリンは、一点を指さした。

 スコルは、少し呆れたような態度でジャベリンの話を遮った。そして、残りの一五人の戦い方と戦う覚悟を聞いた。
 そして、入隊の儀式が終わる。

 ジャベリンが兵舎に戻ると、すぐに二人の将校がやって来て、彼を連れ出した。
 他の新兵たちは、ジャベリンが奇妙な作戦を唱えたことから、軍から放逐されるのだろうと噂した。事実、その日の夕方、ジャベリンの荷物は私物を含めてすべて撤去されてしまった。

 ジャベリンの前には、三人の男がいた。全軍の総司令官スコル、国の代表リケル、医師エミールだ。
 ジャベリンは、三人の前で自分の作戦を説明している。
 当然のことだが、ジャベリンは地形を見て、咄嗟に作戦を考えただけで、詳細な計画を事前に立てていたわけではない。
 ジャベリンの作戦の要点は、敵の攻勢正面に野戦築城した防衛線を配し、敵主力の進撃を食い止めるというものだ。
 野戦築城や防衛線といった戦術的概念は、アークティカを含むこの世界では希薄だ。
 戦闘の多くは、重い甲冑を着て盾と槍を持った重装歩兵の伝統に則って行われる。
 戦闘で銃が主力になった国でも基本は変わらず、戦列歩兵による近距離射撃戦が主流なのだ。槍の間合いが銃の射程に変わっただけだ。
 ジャベリンの戦術指向が特異であることに最初に気付いたのはエミールだった。
 エミールはジャベリンに「その戦い方は、誰に教わったのかね」と聞いてみた。
 ジャベリンは「妻の父親、義父殿に教えを請いました。博識な方で、騎士の家に生まれた私には戦の仕方を指導いただきました」と。
 この日、ジャベリンはスコルの参謀になった。

 早朝、ルカナの教会の鐘が鳴り響いた。すぐに、火災を知らせる半鐘も鳴る。
 一瞬、誰もが敵襲と思った。私も銃を手に家を飛び出す。
 だが、すぐにルカナの病院で赤子が生まれたとの知らせが入る。
 母の名はシレイラ、父の名はミラン、ともに亡命者とのことだった。
 この過酷な運命を背負った国でも子が生まれ、世代をつないでいこうとしている。
 この日、解放地区はお祭り騒ぎとなった。

 父親のミランは、妻子を守るため軍に志願した。それに給金が必要だった。いつまでも妻の弟であるエルプスの才覚に頼るわけにはいかない。
 ジャベリンが兵士から参謀に転出したことから、欠員を埋めるための募集であった。彼は若干一七歳の若者であったが、剣術、射撃とも他の応募者を圧倒する技を示した。

 リケルは、秘密会議を招集した。国の代表リケル、軍の総司令官スコル、タルフォン交易商会のネストル、アレナス造船所のシビルス、医師エミール、そして私の六人が集まった。
 まず、スコルが参謀のジャベリンが立案したという防衛計画を説明する。
 その計画とは、敵主力をルドゥ川以北、国境線から約七〇キロ南にあるヌールドの丘で迎え撃つというものだ。
 この丘は周囲よりも一〇〇メートルほど高く、北面は険しく、南側はなだらかな丘陵地帯に連なっている。北側は険しいといっても、車輌や馬では登れない程度で、徒歩ならば特別な装備なしでも登坂できる。
 丘の北面に塹壕を掘り、土嚢を積み、敵を引きつけて消耗戦を仕掛けるというものだ。
 敵の兵力は想定三万、こちらの正規兵は二〇〇だ。人口は二五〇〇まで増えているが、そのすべてを戦いに投じられるわけではない。
 戦いが始まれば、逃げ出すものもいるだろう。
 しかも、正規兵といっても付け焼き刃の訓練を施した素人同然の兵士たちだ。複雑な作戦など、到底無理だ。
 この丘に張り付いて徹底抗戦するという案は、現状にかなった合理的なものだ。
 問題は、我々の兵力の少なさだ。
 スコルから官営工廠でのアリサカ小銃の生産状況について報告があった。
 カルカノ小銃の銃身を利用した新銃が一一五挺完成し、輸入鋼材からの新造銃身を使った新銃が約三〇挺完成しているとのことだ。
 開戦までにさらに五〇挺は作れるとの報告に、珍しく全員から「おう!」と言う声が上がった。
 ジャベリンは東西と南からの敵の侵攻についても防衛策を立てていた。
 東は、ルドゥ川とマハカム川の間隔が最も狭くなり、かつ丘陵の最高点となる位置にある幅二キロの馬防柵を強化し、五カ所に土嚢を積んだ防御拠点を設けるというものだ。
 問題は振り向けられる戦力で、最大三〇人が上限だと言う。
 スコルは、中央に配置される最も大きな拠点に正規兵二〇名、その左右の拠点に各五名、
ルドゥ川沿いの最北の拠点にはタルフォン交易商会の警護隊員が、マハカム川近傍の最南の拠点はメハナト穀物商会の警護隊員が受け持って欲しいと要請する。
 ネストルは一〇人を差し向けるが、最低でもアリサカ小銃五挺の供与を要求する。
 スコルが私を見た。
「シュン様は、カルカノ小銃の改良型を多数装備しているとか?」
「あぁ、カルカノ騎銃が一二挺、カルカノ小銃が八挺、じいさんたちが隠匿している銃が四挺ある」
「そのうち一〇挺をネストル様にお渡しいただけないか?」
「この作戦だと、そうすることになりそうだね」
 私が応じ、ネストルが尋ねた。
「それはありがたい。早速、引き渡しをお願いしたい。
 ところで、一挺如何ほどか?」
 ネストルが銃の金額を尋ねてきたときの声は、いささか震えていた。あまりの高額では、購入が躊躇われるからだ。ネストルは、猟師が使うマスケット・ライフルの五〇倍は覚悟していた。
「このことで、金のやりとりはやめましょう。無償で結構。ただし、弾薬は国が支給してください」
 ネストルは感銘し、スコルは弾薬補給を確約した。
 ここで、エミールから負傷者の扱いについて、説明があった。
「後方に野戦病院を開設し、負傷者を後送する衛生兵部隊を組織します。
 これは、何とか官営病院側で対処します。
 ただ、衛生兵に持たせる武器がない。これを何とかしないと。
 それから、これはシュンは知っているが、モルヒネとペニシリンは何とかなりそうです」
 エミールの報告に私一人が喜んだ。
「それは何ですか?」と率直にシビルスが尋ねた。
 エミールが答える。
「モルヒネは痛みを和らげる効果が大きい薬で、ペニシリンは傷の化膿を防ぐ薬です」とだけ答える。
 ペニシリンはともかく、モルヒネはアヘンから作る麻薬だ。深く説明して、この大事なときに無用なトラブルは起こしたくない。それは、エミールも同じだった。
 リケルが衛生兵とは何かを尋ねた。
「負傷した兵の応急手当をしたり、後方へ輸送する兵士のことです。戦場で働く、医師や看護師みたいなものです」
 エミールの答えにスコルは納得いかない様子だった。
「先生、その衛生兵に武器がいるのはなぜですか?」
 私が答えることにした。
「敵が衛生兵を狙うからです。
 衛生兵は、負傷した兵に近寄らなければなりません。負傷する兵の多くは、最前線にいる。であるならば、衛生兵は最前線に出なくてはならないので、当然、敵の散兵の狙撃に身をさらすことになります。
 兵は負傷しても衛生兵が助けてくれると信じています。だから戦える。
 その衛生兵を狙撃して殺せば、逆に戦意をくじくことができます。
 だから、衛生兵には自分の身を守る武器がいるのです」
 リケルとスコルは、少しは理解できた。だが、完全に理解していたわけではない。しかし、生き抜いてきた彼らは知っていた。
 人間の勇気は、体調や心の高揚と大きな関係があることを……。
 戦いが始まれば、勇敢な者と臆病な者はいなくなる。冷静な者と狼狽した者はいるが、それは勇気とは無関係だ。冷めた者が生き残り、熱くなった者は死ぬ。
 これは本物の戦士なら、誰でも知っている。他者を臆病者とさげすむ戦士は、死地をくぐったことがないのだ。
 衛生兵の存在は、素人同然のアークティカ兵の精神を冷めたまま高揚させる役に立つかもしれない。リケルとスコルは、それぞれが漠然とそんなことを考えていた。
 私は「ヴェルンドに回転式の拳銃を用意させる。何挺必要ですか?」とエミールに尋ねた。
「一〇挺は欲しい。最低でも」とエミールが答えた。
 私は「必ず」と約束する。

 話題は西の守りに移った。西側は赤い海があり、敵の上陸が危惧された。
 だが、そこに振り向けられる兵力は、わずかに二〇人とスコルが言った。
 海岸線は長大で、ルドゥ川河口からマハカム川河口まで約七〇キロある。マハカム川河口にはイミルという漁村があったが、住民は奴隷商人に連れ去られ、建物はすべて焼き払われている。
 七〇キロもの海岸線を二〇人の兵士で守れるはずはなく、スコルはアレナス造船所に勤める人たちが、その任について欲しいと言った。
 アレナス造船所には、約一〇〇人が勤めている。また、アレナスの街には、少ないが商店や飲食店を営む一般住民もいる。
 シビルスは即答を避け「社員たちとよく相談する」と答えた。

 南側はマハカム川に架かる橋は一本のみで、その橋から五〇メートル北側にコルカ村がある。
 スコルは「鉄の橋を守り切れますか?」と私に尋ねた。
 私は「それは、コルカ村の住人だけで、ということですか?」と尋ね返した。
 スコルはうなずき「お借りしているガーランド小銃四挺はお返しします。ですから、何とか守り切ってください」と言った。
 私は、このことは予測していた。結局、スコルは北に正規兵一五〇、東に三〇、西に二〇、南に〇を配す以外に選択肢がなかったのだ。
 スコルが続ける。
「おそらく、東方騎馬民の大軍が押し寄せます。我々が北の敵主力を撤退させるまで、頑張っていただけませんか?
 いざというときは、橋を落としてください」
 私は「承知した」と短く答えた。

 スコルの作戦の成否は、アークティカの継戦能力、すなわち国力にかかっていた。
 スコルは、アリサカ小銃の発射弾数を一時間あたり一〇発として計算していたが、私とエミールがその算出は先込めのマスケット銃のもので、戦闘になれば一時間あたり二〇〇発は撃つし、撃たなければ負ける、と主張した。
 結局、一時間あたり一〇〇発、一日二〇時間戦闘して、一銃あたり一日二〇〇〇発、二〇〇挺で四〇万発が一日に必要であるとの計算になった。
 スコルは深刻な表情で、開戦までに一〇万発、最大でも一五万発が限度だと説明する。
 すると、シビルスが「敵は三万の大軍、こちらには一五万発の弾薬、敵兵一人に五発使える」といって微笑んだ。
 この日から、解放地区にあるすべての工作機械を総動員して、弾薬作りが始まった。
 アークティカは、真の総力戦に突入していく。

 私は、会社の命により東の守りに就く警備兵たちに何かをしてあげたかった。
 そのことを警護隊長に問うと、銃の授与式を行って欲しいと言われる。了解したが、どうすればいいのか皆目わからない。
 リシュリンにそのことを尋ねると、「騎士が初めて剣を授けられる式典と同じでいいのではないか」と。
 ただ、リシュリンが説明する剣の授与式は、盛大かつ厳粛なもので、いまのアークティカにできるものではない。

 私は賓館の家具のない主室を掃除して、そこで一〇人の警護隊員に銃を授与する式を行うことに決めた。
 マーリンが一人ずつ名を呼び、私が銃を渡す。銃はすでに訓練で彼らが使っているもので、改めての授与であった。
 このとき、初めて銃剣の授与も行った。銃剣は着剣した状態で、手渡した。
 騎銃を好む隊員が六名、小銃を好むものが四名いた。
 私は最後に警護隊長の名を呼び、彼には木製部品を完全に作り直し、リムレス弾用に改修した三八式歩兵銃を手渡した。
 非常に美しい銃で、式典の参加者からどよめきが起きた。警護隊長はひどく感動した様子で、国に忠誠を誓うと宣した。

 東の防衛線は、背の低い草が生い茂る草原を、南北に走る高さ二・五メートルほどの木製馬防柵を補強することから始まった。
 我々の守備範囲は、マハカム川北岸から北へ五〇〇メートルまでで、ここに東方騎馬民の侵攻を食い止めるための馬防柵と防衛拠点を作らなければならない。
 この作業をするため行政府から二輌の蒸気牽引車が貸与されたが、それだけでは車輌が足りない。
 当然のように、装甲車、マウルティア、デュトロが投入された。
 この一帯は完全に東方騎馬民を排除できてはおらず、両者の勢力が拮抗していた。そのため、装甲車による警護が必要で、戦闘になれば弾薬を消費する。弾薬を消費すれば、それだけ開戦時の防御力が弱まる。
 我々は、コルカ村で馬防柵を半完成の状態にして、防衛線では並べるだけの状態で運び込んだ。
 結果、五〇〇メートルの馬防柵は、木材の切り出しから設置まで三日で完成させた。
 この作業にはデュトロのクレーンが活躍し、これに触発されて、人力機械式のクレーンが四基も作られた。蒸気機関を使わなかった理由は、蒸気機関のすべてが行政府に管理されていたからだ。
 各隊が奮闘した結果、全長二キロの馬防柵強化は五日で完成し、我々は柵の西側から東方騎馬民を駆逐した。
 以後は、馬防柵内側に土嚢を積む作業に全力を挙げることになる。

 馬防柵が地形に沿って南北に連なる様子は、あたかも龍の背のようであった。
 私が全長二キロの貧弱な防衛線を「ドラゴンライン」と呼ぶと、この名がこの防衛線の正式名になった。そして、我々が守る拠点は「ドラゴン砦」と呼ばれた。
 ドラゴンラインでは、所々に土嚢を積み、その土嚢に身を隠して戦うことになる。大気は冷たく、吐く息は白い。ここで戦う兵士の苦労は、並大抵のことではない。
 私は、コルカ村で蒸気牽引車用標準貨車の荷台に積載できる木製の巨大な箱を造り、それを我々の拠点に運び込んだ。
 小さいが、窓の付いているプレハブ小屋みたいなものだ。休憩などに利用してもらいたかったが、運び込んだ四棟のうち、二棟が司令部になった。
 この小屋は、平らに整地すればどこにでも置けたので、正規軍やタルフォン部隊も翌日には同様のものを作り始めた。

 アークティカは国土の多くが起伏の乏しい草原で、高木が少ない。当然、木材は貴重な資源である。
 マハカム川の南は例外で、針葉樹の森林が広がっている。マハカム川沿いには、美しい高木の並木が連なっているのだが、鉄の橋の周囲の木々はすべて伐採した。
 敵から遮蔽物を奪うためだ。
 正規軍側から、マハカム川南部の森林を伐採することは、東方騎馬民の機動力を助けることにならないか、という懸念が示されたが、コルカ村部隊側から、東方騎馬民が騎馬突撃を仕掛けてくれれば戦いを有利に進められる、という見解が示され、この議論は終息する。
 また、伐採後には切り株が残るので、騎馬での機動は実際は不自由なはずであった。
 そのため、マハカム川周辺の高木が大量に伐採され、これが重要な防衛資材となった。

 蒸気牽引車用標準貨車積載可能な木製プレハブ小屋は、正規軍が規格を定めて大量に作り、敵主力正面となるヌールドの丘に運び込んだ。複数を連結するタイプや降雨対策用の簡易な三角屋根も作られた。
 正規軍はプレハブ小屋を「臨時野戦兵舎」と呼び、大々的に使用した。

 ドラゴン砦では、まず、土嚢を高さ一・五メートル、長さ五〇〇メートルに積み、一〇〇メートルおき五カ所に拠点を設けた。拠点は、東側の土嚢の高さを二メートルとし、南北にも一・五メートルまで土嚢を積んだ。
 一つの拠点には二人の兵士と二挺の銃しかないが、不足は街や村で協力者を募るつもりだ。
 実際、正規軍に入隊できない高齢の三〇人ほどが協力を申し出てくれていて、開戦時は彼らにマスケット銃が支給されることになっている。
 アークティカの人口は二五〇〇。一五歳以下の子供、六〇歳以上の高齢者、病人、怪我人以外は、すべての人々が性別関係なく戦場で戦う準備を始めている。
 一〇歳以上一五歳以下の子供、六〇歳以上の老人でも健康な人たちは、後方での警備や補給任務などに従事することが決まった。

 赤い海の沿岸は、ルドゥ川河口からマハカム川河口までの約七〇キロの海岸線を守らなければならない。その大半は、砂浜である。少ない人数で、守ることはほぼ不可能といえた。
 沿岸防衛隊は、二〇人の正規兵とアレナス造船所の社員、そしてアレナスの住民で組織されていた。沿岸防衛隊の総員は三〇〇人を超えていたが、戦闘要員は一〇〇人に満たない。
 そこで、監視と戦闘を分けることにした。
 五キロごとに高さ二五メートルの監視塔を建て、赤い海を監視する。
 三〇分ごとに発光信号で、異常の有無を知らせ、もし緊急事態があれば赤色の発煙弾を打ち上げることにした。
 発煙弾を視認した場合は、アレナスから戦闘部隊を大型蒸気乗用車で急派することにした。
 また、両川の中間点に戦闘部隊の拠点を設け、マハカム川寄りでの緊急事態にも対処できるようにする。
 監視塔は、造船所が保有する資材、主に鋼材を使用し、同一規格のものを短期間に作り上げた。また、監視塔に載せる監視小屋は、正規軍が量産していた臨時野戦兵舎を利用した。地上にも臨時野戦兵舎を設置して交代要員を待機させ、昼夜を問わない監視体制をとった。
 だが、もし帝国の上陸部隊が来襲してきたら、効果的な反撃手段はない。監視塔は、敵軍船の砲撃で破壊されるだろうし、こちらには砲がない。
 そこで、シビルスが考えたのは、敵に上陸を躊躇わせることだった。
 コンクリートと土嚢を組み合わせた沿岸砲台を監視塔の近くに造り、そこに一〇門を超える長距離砲を配置したのだ。
 この長距離砲は鉄製か木製の張り子で、もちろん砲弾は撃てない。だが、軍船の船長は、自分の船の装備砲より、敵の砲の射程が長いと判断すれば、射程距離内には侵入してこない。
 シビルスは軍船指揮官の思考特性をよく知っており、巨大な長距離砲と連続発射性に優れた小口径の速射砲の実寸模型を大量に作って配備した。
 長距離砲で「射程距離に入れない」脅しとし、速射砲で「カッターは上陸する前に沈める」意思を示した。
 だが、そんな虚仮威しが通じる保証は何もない。
 アレナスは工業都市である。ここに集まっている人々の多くは、何かしらの技術を持っている。
 彼らには精神論で戦う感性はなく、純粋技術的に「どうすれば帝国を追い払えるか」だけを考えていた。
 シビルスには、WACO複葉機を見てから、思いついた案があった。その案を私に説明したことがあり、私はそれは巡航ミサイルだと言った。
 つまり、木製骨組みに帆布張りの単純な矩形の主翼、木製モノコックの円筒形胴体、機首に弾頭、尾部に火薬推進のロケットモーターを取り付けただけの飛行体だ。もちろん無誘導で、起爆は時限式。
 私が機体と発射台の簡単なイラストを描き、シビルスがそれを実機にまとめた。
 シビルスは、機首に二五〇キロの黒色火薬、尾部に鋼管に黒色火薬を詰めた打ち上げ花火式の推進機関を五基搭載する飛行兵器を開発した。
 機体の形状は、円筒形の胴体、単純な矩形の主翼をくっつけ、尾部には弓矢の矢羽根を模した三枚の安定翼が付いていた。全長六メートル、全幅一〇メートルに達する大型の飛行体である。
 ロケットの燃焼時間は三秒程度で、発信後すぐに停止してしまう。また、直線飛行しかしないのだが、主翼が長いのでグライダー方式で運がよければ二~三キロも飛ぶ。最低でも〇・五キロは飛行した。
 機械式の時限信管を備えていて、空中で爆発させると、その迫力は艦載砲のレベルではない。弾頭は防水されているので、墜落した機体は水中で爆発する。
 造船所の面々は、虚仮威しの打ち上げ花火と馬鹿にしていたが、アレナスに駐屯している正規兵にとっては恐るべき兵器に思えた。
 実際、スコルがこの兵器の実射を見たとき、戦争の形態が変わる、と思ったそうだ。
 私とエミールも見たが、コックピットと操縦装置を付ければ人が乗るグライダーとして通用すると思えるほどの出来映えの機体だ。
 グライダーの概念をシビルスに伝えると、「戦いが終わったら作ってみたい」と子供のようにはしゃいでいた。

 アレナス造船所は、この飛行爆弾を六〇機も製造し、監視塔間の無人地帯に簡単な発射基地を建設した。

 この飛行体の完成は、意外なところに波及した。
 地下空間では、アークティカの空を飛ぶ最初の機械はWACO複葉機だと思い込んでいたのだが、アレナスで飛行爆弾が完成したことで、その栄誉はなくなった。
 そこで、何としてもアークティカで最初に人が乗る機械にならなくてはならなくなった。
 シビルスがグライダーの開発を始めるという噂が地下空間を揺るがし、WACO複葉機の再生に拍車がかかっていた。
 滑走路の整備は順調で、WACO複葉機も完成していた。
 毎日、滑走訓練とジャンプ飛行を繰り返し、エンジンの調子は万全、機体にも異常はない。

 フェイトから飛行テストを実施するという報告があり、私はその様子を見に行った。
 地下空間の周辺には多くの見物客がいた。シビルスも噂を聞きつけて、見物に来ている。ミーナ、リリィ、ルキナの三人は、アリアンに連れられてやって来た。
 フェイトは普段の言動とは異なり、相当に用心深く、かつ思慮深く、論理的思考に優れた人物だ。
 何度も滑走テストを繰り返し、浮きそうで浮かないWACO複葉機に見物客からヤジが飛んだ。
 私は、クルーザーから降ろした無線の近くにいた。地上の無線員に、フェイトから「次の滑走で飛ぶ」という短い決意を込めた通信が入る。
 WACO複葉機は、爆音を轟かせて滑走するとふわりと浮き上がり、みるみる海岸に向かって遠ざかっていく。
 見物客は呆然としていた。あまりに簡単に飛んだのと、飛行機の速さに驚いたのだ。
 フェイトはすぐに戻ってきて、着陸した。そのときになって、初めて拍手がわき起こった。
 フェイトは機体から降り短く指示を出すと、再びコックピットに座る。
 そして再度離陸し、今度はなかなか戻ってこない。だが、無線にはフェイトの声が響いている。
 フェイトは見物客に誇示するかのように、急上昇や急旋回を披露した。だが、急降下や背面飛行はやらない。はしゃいでいるようで、実は冷静なのだ。
 鳥のように飛ぶWACO複葉機を見て、シビルスが興奮している。ミーナたちのはしゃぎようがすごい。
 フェイトが戻ってきた。エンジンを切り、機体が地下空間に引き込まれた。
 フェイトが私に「機体に異常はない。いい飛行機だ。だが、私の飛行感覚が戻らない。かなり訓練しないと、ダメかもしれない」と報告した。

 シビルスが唐突に「この飛行機を売ってくれ」と私に言うと、キッカが「恥ずかしい」と怒り出し、アリアンがなだめるという親子喧嘩の一幕もあった。
 ミーナ、リリィ、ルキナ、少し遅れてやって来たボブとクルトは、コックピットに座らせてもらい大喜びだ。
 フェイトは冷静で、私に「機関銃二挺、爆弾六〇キロが搭載できれば、戦力になるんだが、無理かな?」と相談した。
「射爆照準器は、あっちの飛行機からもらうとして……」といって、フォッカー機を指さす。「後席に誰も乗らなければ、爆弾六〇キロは積めると思う。機銃があれば地上を掃射できるし……」と思案している。
 私は「とりあえず偵察で使えればいいと思うが、爆弾架は考えよう。航空機銃までは手が回らないし、フォッカーが積んでいるM36ではWACOには重すぎるだろう」との見解を述べた。
 フェイトは「ルイス軽機の九七発弾倉がベストだけれど……」と希望を述べたが、それは現状では無理であった。そのことはフェイトもよく理解している。
 相談の結果、胴体下面に六〇キロ爆弾架一個と三〇キロ爆弾架二個を付けることにし、六〇キロ爆弾一〇発、三〇キロ爆弾二〇発をヴェルンドの工房に発注することになった。
 だが、爆弾の最大搭載量は六〇キロに制限した。
 偵察員はキッカが強引に担当することになっていて、キッカにはデジカメとレンズ一式が渡され、その操作の習熟が始められている。
 キッカは一四歳直後で、戦闘任務に付くことはできないが、単にフェイトを手伝っているということになっている。
 キッカには地下空間に集まっている他のローティーンたちと同様に、メハナト穀物商会から小遣い程度の給料が支払われていた。つまり、我が社の社員だ。

 このことはシビルスは知らないらしい。私は何となく後ろめたさを感じていた。
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 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

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