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第3章 奪還
第21話 地下空間
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地下空間に保管されていた異界物のうち、私がもっとも興味を引かれていたのは、オースチン7だ。
不謹慎だが、三六〇CC時代の軽自動車よりも小さい車体に排気量八〇〇CC弱のサイドバルブ(SV)エンジンを搭載した二シータースポーツが気になってならなかった。
どう考えても、このスポーツカーが有益な働きをするはずはない。二人しか乗れないし、荷物は運べないし、非力だし、耐久性も優れてはいないだろう。
しかし、気になってしょうがなかった。すべてを投げ出して、このクルマの修復に全力を注ぎたかった。
私は現実逃避したいのだ。
その心を他者に見透かされないように、一番興味のなかった一二メートル級クルーザーの調査から始めた。
クルーザーは、船底が鋭利なV字型になっている船体デザインで、見るからに高速そうだ。ただし、私は興味がない。
その船底を支えるために、V字に支柱を組んだ大型の四輪台車に載せられていた。車輪は手押し車の鋳鉄製小径車輪が流用されていて、台車のフレームは鋼製のラダーフレームだ。
船体後部には大きな船外機が四基取り付けられている。かなり速そうだ。内航用のボートなのだろうが、地下空間の中では巨大に見える。
この船を調べるため、地下空間から引き出すことにした。
だが引き出すには、この船の前にあるWACO複葉機を引き出さなくてはならない。
そのためには、地下空間前の砂地を整地する必要がある。
とにかく少人数の作業なので、機械力を頼らなければならない。
誰かが庁舎と交渉して、農業用蒸気トラクターを借りてきた。そのトラクターに牽引式の排土板を取り付けて、表土を削ぎ始める。
あまり、作業効率のよい機械ではないが、それでも人力頼みより遙かに高効率だ。わずか一時間ほどで、幅三〇メートル、長さ一五メートルの真っ平らな広場ができあがった。
表土の下は、地下空間の壁面などと同じ材質の人工的な石材が敷き詰められている。おそらく、この「舗装路」は赤い海まで続いている。周囲の土手を切り崩せば、滑走路にできる。
この広場にWACO複葉機を人力で引き出し、続いてクルーザーを農業用蒸気牽引車で引っ張り出した。
太陽光の下で、二つの異界物は美しく輝いていた。
特にWACO複葉機は埃が洗い流されていたこともあり、黄色の機体はまぶしいほどの機能美を見せつけている。
フェイトと彼女のチームは、やる気が増したようだ。
一人の蒸気車の整備士がクルーザーを仰ぎ見ながら「この機械、生きている。俺にはわかる」と小さな声で言う。
地下空間から引き出されても、陸の上の船は巨大に見えた。海の上なら小舟なのだろうが……。
はしごを掛け、船内に入ってみた。デッキは埃だらけだが、立派な船だ。
船室には、ギャレーにトイレ、豪華なソファーを備えたインテリアと、至れり尽くせりの設備だ。
船内の船首側に六〇型の液晶モニターが設置されている。
このとき、私は初めて、異界物の電子装備に関心が向いた。これだけの船ならば、レーダーや無線機があるのは当然だ。人が乗っていたなら、スマホやタブレットPCがあるかもしれない。
デッキに三人が登ってきており、元造船工が「こいつは立派な船だ。妙な形だと馬鹿にしていたが、まるで宮殿みたいだ。宮殿に行ったことはないが……」といい、他の二人かが爽やかな笑い声を漏らす。
私は「床に落ちているものは踏まないように」と注意すると、全員が足下を見る。
冷蔵庫を開けると、炭酸飲料のペットボトルが四つ入っていたが、食料の残骸はない。テーブルの上には何もないが、下にはスマホが一台落ちている。
ギャレーの脇にもスマホが一台、ミドルパースには大きなバックが二つあり、一つには男性の衣類、もう一つには女性の衣類が入っていた。
また、男性のバックからは七インチ有機ELタブレットPCが、女性のバックには一〇インチ液晶タブレットPCが入っていた。
ラウンジには、小型のオーディオ・映像システムがあり、ソファの上には一五インチのノートパソコンが置いてある。
無線はコックピットにあり、短波、VHF、衛星通信機が各一基ずつある。また、携帯無線機=トランシーバーが一対あった。
デッキにはアルミのカメラケースがあり、その中には日本製のミラーレス一眼デジタルカメラが一セット入っていた。
私が知らない型式のカメラで、液晶画面が大きい。レンズは広角から望遠まで揃っていて、プロ並みの機材だ。特に望遠ズームレンズは、漠然とだが何かに使えそうだと思った。
私は、これらの電子機器を船外に降ろすことに決めたが、使えるにしても充電をどうするかが、最大の問題だ。
そのとき、突然、船内のLED照明が点灯した。私も驚いたが、船室にいたもう一人は照明を呆然と眺めている。
私が慌てて船室から飛び出すと、何人かがデッキ周辺の埃をぬぐっている。
埃が払われた船体には、太陽光パネルが張られていた。
この船の発電システムは生きていた。
その後もいろいろと調べたが、船内の床下に一二ボルトの全固体型リチウムイオン電池が三六個も収められていた。
太陽光で発電した電気をこの電池群に蓄電し、船内の電力を賄えるようになっているらしい。当然、主エンジンでの発電も可能なのだろう。
ノートパソコンの電源ケーブルをコンセントにつなぐと、充電を始める。ノートパソコンのUSBコネクタにケーブルを接続し、それをスマホにつなぐと、こちらも充電を始めた。
使えそうだ!
ボルボP210は、1950年代のステーションワゴンだ。ボルボ社は第二次世界大戦後の早い時期からモノコックボディの乗用車を製造していたが、このP210はラダーフレームの三ドア車であった。運転席と助手席の後部に可倒式の後部座席があり、ラゲッジスペースには観音開きの後部ドアからアクセスできる。
車体サイズは日本製の上級ファミリーカーと大差なく、鈍重な見かけよりは軽量だ。エンジンは一七七八CCの水冷直列四気筒で、バルブ配置はOHVを採用している。
車体の塗装はほとんど残っておらず、車内の傷みも激しい。シートには黒いシミがあり、おそらく血の跡だろう。
だがエンジンルームは無傷で、修理は不可能だろうが、内燃機関の構造を教育する資料くらいにはなりそうだ。
タイヤはすでに朽ちかけており、ひび割れが激しい。
私の見立てとは異なり、この自動車を修理したがっている男たちが四人いた。
私は四人の希望を受け入れ、修理・再生を任せる。
フォッカー戦闘機は、日本海軍の零戦と同時代の低翼単葉固定脚の単座機だ。
ただ、胴体は鋼管骨組み、胴体前部は金属張り、後部は帆布張りの第一次世界大戦時の複葉機と大差ない構造で、主翼は木製であった。
胴体と主翼は完全に引きちぎられており、再生の見込みはない。固定脚は翼に付いたままだ。
ただ、胴体のFNブローニングM36機関銃は役に立つ。
この機体はオリジナルとは異なり、主翼には口径一二・七ミリのブローニングM2が両翼一挺ずつ搭載されていた。
また、コックピットには眼鏡式照準器ではなく、光像式照準器を装備している。この照準器は、ドイツ製のReviかそのコピーのようだ。
胴体と主翼の標識は設計・生産国のオランダではなく、オランダ領東インドを表すオレンジ色の逆三角形だった。
どういう経緯の機体かわからないが、この戦闘機のおかげで、ブローニングの機関銃を手に入れることができた。
ヤマハXV1100ドラグスターは、空冷V型二気筒一一〇〇CCのエンジンを搭載するアメリカンタイプの大型バイクだ。何かに衝突したようで前部がひどく壊れているし、後輪もへし曲がっている。
修理ができるような状態ではない。
日没まであと一時間に迫っていたが、オースチン7を調べてみた。
埃まみれだが、傷のないきれいな車体だ。オースチン7のラジエーターグリル下部にはエンジン始動用の着脱式でないクランクがある。通常はこのクランクを回して、エンジンを始動する。
ものは試しで回してみると、ポコポコと音がする。オイルを入れ替え、プラグを清掃し、ガソリンを補給して、タイヤに空気を入れる程度で動くかもしれない。
日没前に、ボートとWACO複葉機を地下空間に引き込んだ。
フェイトは今夜も泊まり込むそうだ。
私は、充電途中だが一眼レフに電池を入れ、標準ズームレンズを付けて、コルカ村に戻ることにした。一〇インチのタブレットPCも持ち帰る。
居館の自室で一眼レフをいじくっていると、リリィが「何しているの?」と一人で部屋に入ってきた。
「晩ご飯食べた?」と聞くと、「まだぁ」と答える。
リリィは答えながら、事務机に小走りでやって来て、椅子に腰掛けている私の膝の上に乗ってきた。
彼女は、私の部屋に一人で入ってくると、必ず膝の上に乗ってくる。おそらく、父親の膝にもこうして座っていたのだろう。
「これなぁに?」と一眼レフを指さすので、抱き上げて椅子に座らせ、私が机の正面に立ち、写真を撮った。
カメラ背面の液晶モニターを見せてあげると、慌てて部屋を出て行く。
驚かせてしまったと思い、少し反省していると、ミーナを連れて戻ってきた。
二人が「ちゃちん撮って!」と言うので、二人をガソリンランタンの明かりの下に移動させて、シャッターを切り画像を確認すると、また二人が飛び出していく。
しばらくするとルキナを連れて戻ってきて、それから何十枚も撮らされた。
メグがルキナを迎えに来たが、帰ろうとしない。
そこで画像を持ち帰れるように、タブレットPCにファイルをコピーして、ブラウズするようにしてあげると、さらに大騒ぎとなり、結局、その夜、ルキナはお泊まりとなった。
翌朝、タブレットPCの電池は、極端に消耗していた。
そして、ミーナ、リリィ、ルキナの三人は、かめら、でんち、じゅうでん、たぶれっと、の四語をごく当たり前に使うようになっていた。
クルーザーには、他にも使えそうなものがあった。ボックスティッシュが五箱、トイレットペーパー一〇ロール、フェイスタオルが一二枚、バスタオルが六枚、毛布が四枚などだ。
蒸気車があれば簡単に運べるのだが、車両数が極端に少ない現状では、そのような私的な用途に車輌を回してもらうことはできない。
装甲車で運ぶには不経済すぎるので、やはり軽車両が必要だ。
こうして、私の中でオースチン7を修理する大義名分が整っていく。
パンと具の少ないスープの朝食を済ませて、空気入れ、バケツと装甲車の備品のセーム革、装甲車の工具箱から必要なものを抜き出して、地下空間に向かう。
地下空間では、WACO複葉機の修理、クルーザーの調査、ボルボ車の解体が早朝から進められていた。
私がオースチン7のタイヤに空気を入れ始めると、大顰蹙で、フェイトの「そんな役に立ちそうにない小型車を直して、どうするんだ!」と言う非難をまともに受けて、しどろもどろになりながら言い訳をしたのだが、説得力はゼロだった。
タイヤの空気は無事に入った。パンクもしていない。
オースチン7の車体重量は三五〇キロほどしかないはずなので、人力で押してみると簡単に動く。何しろ三六〇CC時代の軽自動車よりも小さくて軽いクルマなので、玩具にしか見えない。
地下空間から引きだして、近くの持ち主のいないブドウ園の井戸から水をもらってきて、車体の清掃を始める。
水を掛けながらセーム革で拭いていくと、ホワイトアイボリーの船形車体が美しい光沢を放ち始める。前後車輪を覆うフェンダーは小豆色で、魅力的なカラーリングだ。
運転席と助手席を拭くと、深紅の革製シートはひび割れもせず、美しさを保っている。
ダッシュボードはウッドで、たぶんチーク材だ。メーターは小ぶりで、速度計、回転計、燃料系、電圧計、水温計が並んでいる。ハンドルはイギリス仕様の右ハンドルだ。
フロントガラスは大型の一枚板で、フレームが鍍金されている。フロント、リアともにバンパーはない。
トランクの中にスペアタイヤが入っていて、そのトランクフードはやや盛り上がっているグラマラスなヒップラインになっている。
だんだんと埃が払われていくと、子供のような目をした男たちが集まってくる。そのうち、「動きそうか?」「いつ動く」「直ったら一番に乗せろ」と要求がエスカレートしていく。
車体長の半分以上に達するボンネットを開け、キャブレターを点検する。特に異常はないようだが、古いガソリンは抜き取った。燃料タンクは空だ。
エンジンは生きているように思うが、はっきりしない。オイルパンのドレンプラグを開け、オイルを抜き取る。オイルの汚れは少ないが、粘性が低い。
プラグを外し、清掃をする。何ともチープなプラグで、心細さを感じさせた。
燃料タンクにソラトとオクテルの混合液を入れ、エンジンには鉱物オイルの替わりにカストオイル(ヒマシ油)を入れる。
私としては、これらを集めるのは一苦労で、決して楽をしていたわけではないのだ。だが、フェイトはそうは思わないらしく、「遊んでいる!」とご立腹だ。
バッテリーは、クルーザーのリチウム電池を拝借した。
エンジン始動用のクランクを回すと、ポコポコと音を立てながら、オイルの潤滑と燃料の供給が始まる。
正直、一九二〇年代設計のクルマなど動かしたことはないのだが、プラグを燃料で濡らさないようにしながら、用心深く始動を試みていく。
エンジンの潤滑がある程度進んだことを確信して、イグニッションをオンにし、ダッシュボードのチョークを引く。
あとは気合いを入れてクランクを回すだけだ。たかだか八〇〇CC足らずの四気筒エンジンだが、クランクの蹴り返しが結構きつく、いわゆるケッチンを喰らいそうになる。
運がいいのだろう。四回目のトライで、エンジンが始動した。
慌ててチョークを半分戻し、エンジンの回転が安定したところで全部戻す。
手でキャブレターのスロットルレバーを開けて、二〇〇〇回転付近で安定させる。
周囲に男たちが集まってくる。みんなが拍手をし、フェイトも笑っている。
オースチン7は地下空間の異界物で、初めて生き返った機械になった。
五分ほど二〇〇〇回転を保ち、キャブレターから手を離すと、八〇〇回転付近で息継ぎをしながらもアイドリングを始めた。
アイドリングは六〇〇~八〇〇回転の間を不安定に動いているが、エンジンが停止するこ兆候はない。
私は運転席に乗り込むと、ハンドブレーキを解除し、クラッチを踏んでギアを一速に入れ、アクセルを踏み込んだ。
オースチン7は動いた。オースチン7のゆっくりとした動きに合わせて、男たちも付いてくる。
私が「こいつを道まで移動したい」と言うと、男たちが協力してくれて、ブドウ畑の農道まで手押ししてくれた。
私が運転席に座ると、隣に「庁舎に行く」といって地下空間の会計係が強引に乗り込んだ。
その男が私を見て、ニッと笑う。齢四〇はとうに超えているだろうに、いたずら小僧の顔だ。誰かが「ずるいぞ」とこれまた子供のような抗議をしている。みんな笑顔だ。
私は会計係を庁舎まで送ると、そのままコルカ村に戻った。
賓館の前にオースチン7を駐車して、ボディに輝きを取り戻させるためのワックスの替わりになりそうな油脂を探す。
オースチン7に戻ると、運転席にクルト、助手席にボブが座っている。ボブが「クルト兄様、僕もそっちに座りたい!」と言い争っている。
クルトがボブに席を譲り、ボブがステアリングホイールに両手を置いて「ブー、ブー」と口でエンジン音をまねている。
それを羨ましそうにリリィが見ている。
どういう訳かマーリンが戻っていた。マーリンにオースチン7の出所を尋ねられ、かいつまんで説明すると、マーリンはボブとクルトをクルマから降ろし、自分が運転席に座ると、私にクランクを回せと言った。
私がクランクを回すと、暖まっていたエンジンは一発で始動する。
マーリンが「リリィ、おいで!」と叫ぶと、リリィが助手席に走り寄り、ドアを開けずによじ上って頭から助手席に乗り込んだ。
そして走り去った。
一瞬の出来事で、私、クルト、ボブの三人は呆然としていた。
しばらく待ったが、二人は帰ってこなかった。整備途中なので心配ではあったが、徒歩で地下空間に戻った。
顛末を地下空間の男たちに話すと、「若い女房を二人も持つから、頭が上がらなくなるんだ」と人生の先輩方に散々からかわれ、「あんたは一生女房に逆らえない亭主になるな」と。
オースチン7が動いたことは、地下空間に集う男たちにとって、大きな希望となった。誰もが自分の仕事を認識し、その成功を信じるための証左となった。
明日からは、WACO複葉機を進空させるための環境整備に邁進するつもりだ。まずは、滑走路の整備だ。
そのためには、ブルドーザーが必要だった。
行政府が掌握していない蒸気車を探し出すことは、意外と簡単だった。
あるブドウ農家が小型の農作業用蒸気車を、納屋の干し草に埋めて隠していた。それを何人かの地下空間に集う男たちが知っていた。
その農家の家族は、奴隷狩りで全員が連れ去られたと言う。男たちの伝によれば、蒸気車を隠していて逃げ遅れたそうだ。
その蒸気車は、小型の農業用トラクターで、後輪が大きく、前輪が極端に小さい。ボイラーと燃料・水タンクが運転席の前にあり、蒸気ピストンがステアリングホイールの下部付近にある。小型だが二気筒の力持ちだ。
我々は行政府に見つからぬよう、深夜にこの蒸気車を手押しで地下空間に持ち込んだ。
私は、男たちにブルドーザーの排土板の絵を描き、トラクターの前面に取り付けられないか尋ねた。
頑丈な鉄板と太い鉄柱を入手するための密談が行われた。
資材の調達係と工作係に分かれて、行政府に見つからぬよう、細心の注意を払って行動する。
我々は、いたずら小僧の秘密基地遊びに熱中し始めていた。
総大将は、フェイトだ。
どこからともなく資材が集められ、卓越した創意工夫で機械式のブルドーザーが、わずか五日で完成した。
そして、滑走路の建設、つまり地下空間から赤い海につながる謎の道を覆っている土を剥ぎ取る作業に入る。
こんなことをすれば、当然、行政府にばれるのだが、そこは人生経験豊かな男たちの屁理屈で、押し切った。
私一人がリケルに怒られ、スコルに呆れられた。そして、二人とも空飛ぶ機械のことは信じていなかった。
ただ、ブルドーザーの有効性は理解してくれて、作業終了後は行政府に献納することを条件に、罪を許してもらった。
私は、少しずつアークティカの大地に根を張り始めていた。
不謹慎だが、三六〇CC時代の軽自動車よりも小さい車体に排気量八〇〇CC弱のサイドバルブ(SV)エンジンを搭載した二シータースポーツが気になってならなかった。
どう考えても、このスポーツカーが有益な働きをするはずはない。二人しか乗れないし、荷物は運べないし、非力だし、耐久性も優れてはいないだろう。
しかし、気になってしょうがなかった。すべてを投げ出して、このクルマの修復に全力を注ぎたかった。
私は現実逃避したいのだ。
その心を他者に見透かされないように、一番興味のなかった一二メートル級クルーザーの調査から始めた。
クルーザーは、船底が鋭利なV字型になっている船体デザインで、見るからに高速そうだ。ただし、私は興味がない。
その船底を支えるために、V字に支柱を組んだ大型の四輪台車に載せられていた。車輪は手押し車の鋳鉄製小径車輪が流用されていて、台車のフレームは鋼製のラダーフレームだ。
船体後部には大きな船外機が四基取り付けられている。かなり速そうだ。内航用のボートなのだろうが、地下空間の中では巨大に見える。
この船を調べるため、地下空間から引き出すことにした。
だが引き出すには、この船の前にあるWACO複葉機を引き出さなくてはならない。
そのためには、地下空間前の砂地を整地する必要がある。
とにかく少人数の作業なので、機械力を頼らなければならない。
誰かが庁舎と交渉して、農業用蒸気トラクターを借りてきた。そのトラクターに牽引式の排土板を取り付けて、表土を削ぎ始める。
あまり、作業効率のよい機械ではないが、それでも人力頼みより遙かに高効率だ。わずか一時間ほどで、幅三〇メートル、長さ一五メートルの真っ平らな広場ができあがった。
表土の下は、地下空間の壁面などと同じ材質の人工的な石材が敷き詰められている。おそらく、この「舗装路」は赤い海まで続いている。周囲の土手を切り崩せば、滑走路にできる。
この広場にWACO複葉機を人力で引き出し、続いてクルーザーを農業用蒸気牽引車で引っ張り出した。
太陽光の下で、二つの異界物は美しく輝いていた。
特にWACO複葉機は埃が洗い流されていたこともあり、黄色の機体はまぶしいほどの機能美を見せつけている。
フェイトと彼女のチームは、やる気が増したようだ。
一人の蒸気車の整備士がクルーザーを仰ぎ見ながら「この機械、生きている。俺にはわかる」と小さな声で言う。
地下空間から引き出されても、陸の上の船は巨大に見えた。海の上なら小舟なのだろうが……。
はしごを掛け、船内に入ってみた。デッキは埃だらけだが、立派な船だ。
船室には、ギャレーにトイレ、豪華なソファーを備えたインテリアと、至れり尽くせりの設備だ。
船内の船首側に六〇型の液晶モニターが設置されている。
このとき、私は初めて、異界物の電子装備に関心が向いた。これだけの船ならば、レーダーや無線機があるのは当然だ。人が乗っていたなら、スマホやタブレットPCがあるかもしれない。
デッキに三人が登ってきており、元造船工が「こいつは立派な船だ。妙な形だと馬鹿にしていたが、まるで宮殿みたいだ。宮殿に行ったことはないが……」といい、他の二人かが爽やかな笑い声を漏らす。
私は「床に落ちているものは踏まないように」と注意すると、全員が足下を見る。
冷蔵庫を開けると、炭酸飲料のペットボトルが四つ入っていたが、食料の残骸はない。テーブルの上には何もないが、下にはスマホが一台落ちている。
ギャレーの脇にもスマホが一台、ミドルパースには大きなバックが二つあり、一つには男性の衣類、もう一つには女性の衣類が入っていた。
また、男性のバックからは七インチ有機ELタブレットPCが、女性のバックには一〇インチ液晶タブレットPCが入っていた。
ラウンジには、小型のオーディオ・映像システムがあり、ソファの上には一五インチのノートパソコンが置いてある。
無線はコックピットにあり、短波、VHF、衛星通信機が各一基ずつある。また、携帯無線機=トランシーバーが一対あった。
デッキにはアルミのカメラケースがあり、その中には日本製のミラーレス一眼デジタルカメラが一セット入っていた。
私が知らない型式のカメラで、液晶画面が大きい。レンズは広角から望遠まで揃っていて、プロ並みの機材だ。特に望遠ズームレンズは、漠然とだが何かに使えそうだと思った。
私は、これらの電子機器を船外に降ろすことに決めたが、使えるにしても充電をどうするかが、最大の問題だ。
そのとき、突然、船内のLED照明が点灯した。私も驚いたが、船室にいたもう一人は照明を呆然と眺めている。
私が慌てて船室から飛び出すと、何人かがデッキ周辺の埃をぬぐっている。
埃が払われた船体には、太陽光パネルが張られていた。
この船の発電システムは生きていた。
その後もいろいろと調べたが、船内の床下に一二ボルトの全固体型リチウムイオン電池が三六個も収められていた。
太陽光で発電した電気をこの電池群に蓄電し、船内の電力を賄えるようになっているらしい。当然、主エンジンでの発電も可能なのだろう。
ノートパソコンの電源ケーブルをコンセントにつなぐと、充電を始める。ノートパソコンのUSBコネクタにケーブルを接続し、それをスマホにつなぐと、こちらも充電を始めた。
使えそうだ!
ボルボP210は、1950年代のステーションワゴンだ。ボルボ社は第二次世界大戦後の早い時期からモノコックボディの乗用車を製造していたが、このP210はラダーフレームの三ドア車であった。運転席と助手席の後部に可倒式の後部座席があり、ラゲッジスペースには観音開きの後部ドアからアクセスできる。
車体サイズは日本製の上級ファミリーカーと大差なく、鈍重な見かけよりは軽量だ。エンジンは一七七八CCの水冷直列四気筒で、バルブ配置はOHVを採用している。
車体の塗装はほとんど残っておらず、車内の傷みも激しい。シートには黒いシミがあり、おそらく血の跡だろう。
だがエンジンルームは無傷で、修理は不可能だろうが、内燃機関の構造を教育する資料くらいにはなりそうだ。
タイヤはすでに朽ちかけており、ひび割れが激しい。
私の見立てとは異なり、この自動車を修理したがっている男たちが四人いた。
私は四人の希望を受け入れ、修理・再生を任せる。
フォッカー戦闘機は、日本海軍の零戦と同時代の低翼単葉固定脚の単座機だ。
ただ、胴体は鋼管骨組み、胴体前部は金属張り、後部は帆布張りの第一次世界大戦時の複葉機と大差ない構造で、主翼は木製であった。
胴体と主翼は完全に引きちぎられており、再生の見込みはない。固定脚は翼に付いたままだ。
ただ、胴体のFNブローニングM36機関銃は役に立つ。
この機体はオリジナルとは異なり、主翼には口径一二・七ミリのブローニングM2が両翼一挺ずつ搭載されていた。
また、コックピットには眼鏡式照準器ではなく、光像式照準器を装備している。この照準器は、ドイツ製のReviかそのコピーのようだ。
胴体と主翼の標識は設計・生産国のオランダではなく、オランダ領東インドを表すオレンジ色の逆三角形だった。
どういう経緯の機体かわからないが、この戦闘機のおかげで、ブローニングの機関銃を手に入れることができた。
ヤマハXV1100ドラグスターは、空冷V型二気筒一一〇〇CCのエンジンを搭載するアメリカンタイプの大型バイクだ。何かに衝突したようで前部がひどく壊れているし、後輪もへし曲がっている。
修理ができるような状態ではない。
日没まであと一時間に迫っていたが、オースチン7を調べてみた。
埃まみれだが、傷のないきれいな車体だ。オースチン7のラジエーターグリル下部にはエンジン始動用の着脱式でないクランクがある。通常はこのクランクを回して、エンジンを始動する。
ものは試しで回してみると、ポコポコと音がする。オイルを入れ替え、プラグを清掃し、ガソリンを補給して、タイヤに空気を入れる程度で動くかもしれない。
日没前に、ボートとWACO複葉機を地下空間に引き込んだ。
フェイトは今夜も泊まり込むそうだ。
私は、充電途中だが一眼レフに電池を入れ、標準ズームレンズを付けて、コルカ村に戻ることにした。一〇インチのタブレットPCも持ち帰る。
居館の自室で一眼レフをいじくっていると、リリィが「何しているの?」と一人で部屋に入ってきた。
「晩ご飯食べた?」と聞くと、「まだぁ」と答える。
リリィは答えながら、事務机に小走りでやって来て、椅子に腰掛けている私の膝の上に乗ってきた。
彼女は、私の部屋に一人で入ってくると、必ず膝の上に乗ってくる。おそらく、父親の膝にもこうして座っていたのだろう。
「これなぁに?」と一眼レフを指さすので、抱き上げて椅子に座らせ、私が机の正面に立ち、写真を撮った。
カメラ背面の液晶モニターを見せてあげると、慌てて部屋を出て行く。
驚かせてしまったと思い、少し反省していると、ミーナを連れて戻ってきた。
二人が「ちゃちん撮って!」と言うので、二人をガソリンランタンの明かりの下に移動させて、シャッターを切り画像を確認すると、また二人が飛び出していく。
しばらくするとルキナを連れて戻ってきて、それから何十枚も撮らされた。
メグがルキナを迎えに来たが、帰ろうとしない。
そこで画像を持ち帰れるように、タブレットPCにファイルをコピーして、ブラウズするようにしてあげると、さらに大騒ぎとなり、結局、その夜、ルキナはお泊まりとなった。
翌朝、タブレットPCの電池は、極端に消耗していた。
そして、ミーナ、リリィ、ルキナの三人は、かめら、でんち、じゅうでん、たぶれっと、の四語をごく当たり前に使うようになっていた。
クルーザーには、他にも使えそうなものがあった。ボックスティッシュが五箱、トイレットペーパー一〇ロール、フェイスタオルが一二枚、バスタオルが六枚、毛布が四枚などだ。
蒸気車があれば簡単に運べるのだが、車両数が極端に少ない現状では、そのような私的な用途に車輌を回してもらうことはできない。
装甲車で運ぶには不経済すぎるので、やはり軽車両が必要だ。
こうして、私の中でオースチン7を修理する大義名分が整っていく。
パンと具の少ないスープの朝食を済ませて、空気入れ、バケツと装甲車の備品のセーム革、装甲車の工具箱から必要なものを抜き出して、地下空間に向かう。
地下空間では、WACO複葉機の修理、クルーザーの調査、ボルボ車の解体が早朝から進められていた。
私がオースチン7のタイヤに空気を入れ始めると、大顰蹙で、フェイトの「そんな役に立ちそうにない小型車を直して、どうするんだ!」と言う非難をまともに受けて、しどろもどろになりながら言い訳をしたのだが、説得力はゼロだった。
タイヤの空気は無事に入った。パンクもしていない。
オースチン7の車体重量は三五〇キロほどしかないはずなので、人力で押してみると簡単に動く。何しろ三六〇CC時代の軽自動車よりも小さくて軽いクルマなので、玩具にしか見えない。
地下空間から引きだして、近くの持ち主のいないブドウ園の井戸から水をもらってきて、車体の清掃を始める。
水を掛けながらセーム革で拭いていくと、ホワイトアイボリーの船形車体が美しい光沢を放ち始める。前後車輪を覆うフェンダーは小豆色で、魅力的なカラーリングだ。
運転席と助手席を拭くと、深紅の革製シートはひび割れもせず、美しさを保っている。
ダッシュボードはウッドで、たぶんチーク材だ。メーターは小ぶりで、速度計、回転計、燃料系、電圧計、水温計が並んでいる。ハンドルはイギリス仕様の右ハンドルだ。
フロントガラスは大型の一枚板で、フレームが鍍金されている。フロント、リアともにバンパーはない。
トランクの中にスペアタイヤが入っていて、そのトランクフードはやや盛り上がっているグラマラスなヒップラインになっている。
だんだんと埃が払われていくと、子供のような目をした男たちが集まってくる。そのうち、「動きそうか?」「いつ動く」「直ったら一番に乗せろ」と要求がエスカレートしていく。
車体長の半分以上に達するボンネットを開け、キャブレターを点検する。特に異常はないようだが、古いガソリンは抜き取った。燃料タンクは空だ。
エンジンは生きているように思うが、はっきりしない。オイルパンのドレンプラグを開け、オイルを抜き取る。オイルの汚れは少ないが、粘性が低い。
プラグを外し、清掃をする。何ともチープなプラグで、心細さを感じさせた。
燃料タンクにソラトとオクテルの混合液を入れ、エンジンには鉱物オイルの替わりにカストオイル(ヒマシ油)を入れる。
私としては、これらを集めるのは一苦労で、決して楽をしていたわけではないのだ。だが、フェイトはそうは思わないらしく、「遊んでいる!」とご立腹だ。
バッテリーは、クルーザーのリチウム電池を拝借した。
エンジン始動用のクランクを回すと、ポコポコと音を立てながら、オイルの潤滑と燃料の供給が始まる。
正直、一九二〇年代設計のクルマなど動かしたことはないのだが、プラグを燃料で濡らさないようにしながら、用心深く始動を試みていく。
エンジンの潤滑がある程度進んだことを確信して、イグニッションをオンにし、ダッシュボードのチョークを引く。
あとは気合いを入れてクランクを回すだけだ。たかだか八〇〇CC足らずの四気筒エンジンだが、クランクの蹴り返しが結構きつく、いわゆるケッチンを喰らいそうになる。
運がいいのだろう。四回目のトライで、エンジンが始動した。
慌ててチョークを半分戻し、エンジンの回転が安定したところで全部戻す。
手でキャブレターのスロットルレバーを開けて、二〇〇〇回転付近で安定させる。
周囲に男たちが集まってくる。みんなが拍手をし、フェイトも笑っている。
オースチン7は地下空間の異界物で、初めて生き返った機械になった。
五分ほど二〇〇〇回転を保ち、キャブレターから手を離すと、八〇〇回転付近で息継ぎをしながらもアイドリングを始めた。
アイドリングは六〇〇~八〇〇回転の間を不安定に動いているが、エンジンが停止するこ兆候はない。
私は運転席に乗り込むと、ハンドブレーキを解除し、クラッチを踏んでギアを一速に入れ、アクセルを踏み込んだ。
オースチン7は動いた。オースチン7のゆっくりとした動きに合わせて、男たちも付いてくる。
私が「こいつを道まで移動したい」と言うと、男たちが協力してくれて、ブドウ畑の農道まで手押ししてくれた。
私が運転席に座ると、隣に「庁舎に行く」といって地下空間の会計係が強引に乗り込んだ。
その男が私を見て、ニッと笑う。齢四〇はとうに超えているだろうに、いたずら小僧の顔だ。誰かが「ずるいぞ」とこれまた子供のような抗議をしている。みんな笑顔だ。
私は会計係を庁舎まで送ると、そのままコルカ村に戻った。
賓館の前にオースチン7を駐車して、ボディに輝きを取り戻させるためのワックスの替わりになりそうな油脂を探す。
オースチン7に戻ると、運転席にクルト、助手席にボブが座っている。ボブが「クルト兄様、僕もそっちに座りたい!」と言い争っている。
クルトがボブに席を譲り、ボブがステアリングホイールに両手を置いて「ブー、ブー」と口でエンジン音をまねている。
それを羨ましそうにリリィが見ている。
どういう訳かマーリンが戻っていた。マーリンにオースチン7の出所を尋ねられ、かいつまんで説明すると、マーリンはボブとクルトをクルマから降ろし、自分が運転席に座ると、私にクランクを回せと言った。
私がクランクを回すと、暖まっていたエンジンは一発で始動する。
マーリンが「リリィ、おいで!」と叫ぶと、リリィが助手席に走り寄り、ドアを開けずによじ上って頭から助手席に乗り込んだ。
そして走り去った。
一瞬の出来事で、私、クルト、ボブの三人は呆然としていた。
しばらく待ったが、二人は帰ってこなかった。整備途中なので心配ではあったが、徒歩で地下空間に戻った。
顛末を地下空間の男たちに話すと、「若い女房を二人も持つから、頭が上がらなくなるんだ」と人生の先輩方に散々からかわれ、「あんたは一生女房に逆らえない亭主になるな」と。
オースチン7が動いたことは、地下空間に集う男たちにとって、大きな希望となった。誰もが自分の仕事を認識し、その成功を信じるための証左となった。
明日からは、WACO複葉機を進空させるための環境整備に邁進するつもりだ。まずは、滑走路の整備だ。
そのためには、ブルドーザーが必要だった。
行政府が掌握していない蒸気車を探し出すことは、意外と簡単だった。
あるブドウ農家が小型の農作業用蒸気車を、納屋の干し草に埋めて隠していた。それを何人かの地下空間に集う男たちが知っていた。
その農家の家族は、奴隷狩りで全員が連れ去られたと言う。男たちの伝によれば、蒸気車を隠していて逃げ遅れたそうだ。
その蒸気車は、小型の農業用トラクターで、後輪が大きく、前輪が極端に小さい。ボイラーと燃料・水タンクが運転席の前にあり、蒸気ピストンがステアリングホイールの下部付近にある。小型だが二気筒の力持ちだ。
我々は行政府に見つからぬよう、深夜にこの蒸気車を手押しで地下空間に持ち込んだ。
私は、男たちにブルドーザーの排土板の絵を描き、トラクターの前面に取り付けられないか尋ねた。
頑丈な鉄板と太い鉄柱を入手するための密談が行われた。
資材の調達係と工作係に分かれて、行政府に見つからぬよう、細心の注意を払って行動する。
我々は、いたずら小僧の秘密基地遊びに熱中し始めていた。
総大将は、フェイトだ。
どこからともなく資材が集められ、卓越した創意工夫で機械式のブルドーザーが、わずか五日で完成した。
そして、滑走路の建設、つまり地下空間から赤い海につながる謎の道を覆っている土を剥ぎ取る作業に入る。
こんなことをすれば、当然、行政府にばれるのだが、そこは人生経験豊かな男たちの屁理屈で、押し切った。
私一人がリケルに怒られ、スコルに呆れられた。そして、二人とも空飛ぶ機械のことは信じていなかった。
ただ、ブルドーザーの有効性は理解してくれて、作業終了後は行政府に献納することを条件に、罪を許してもらった。
私は、少しずつアークティカの大地に根を張り始めていた。
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