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第3章 奪還
第16話 最初の一撃
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午前八時を過ぎた。炊事の煙は、空高く上っていく。
その煙は、四方からよく見えた。
森に隠れるフリートにもよく見えた。
「僕の家のほうだ。フェリシアに何かあったのかもしれない」
フリートは、リーダーのメルトの制止を振り切って、自宅に急いだ。
森を抜け、獣道を通って、母屋の北側の茂みに身を潜めた。
人の声がする。笑い声も。きっと奴隷商人か東方騎馬民がフェリシアを見つけたんだ、とフリートは思った。
もう、ここで死んでもいい。フェリシアを助けるんだ、と意を決して、茂みを出て、建物の影から人影を探した。
フェリシアが母屋のベランダにつながる階段に座って、微笑んでいる。
その隣に黒く光る長衣を着た赤い髪の女がいる。二人は親しげに話している。男が二人と、西方人の女がいる。子供と野獣。
フリートは剣を抜いた。刃こぼれだらけで、切っ先はかけているが武器はこれだけだ。
なぜ、フェリシアは微笑んでいるんだ。フェリシアは誰と話しているんだ。
フリートにはわからなかった。
赤い髪の女を見た。赤い髪はアークティカ人の証。アークティカ人のごく一部が赤い髪だが、赤い髪はアークティカ人しかいないのだ。
フリートは建物の背後に回り、さらに近付く。
フリートは、顔がはっきり見えるのに赤い髪の女が誰なのかわからなかった。ただ、会ったことがあるように思う。
ミーナとロロが屋敷から出てくると、ロロがフリートの存在に気付いた。
リシュリンが「マーリン! お姉さんと中へ!」と叫んだ。
瞬間、フリートは赤い髪の女を思い出した。意地悪な姉、マーリンだ。「マーリン!」と絶叫し、剣を異常な握力で握りしめて走り出していた。
気が付くとフリートはマーリンに抱きついていた。何かを話しているが、自分でも何を話しているかわからない。夢中で、何かを話している。
スープができあがり、作り置きのパンとともに、フェリシアとフリートはゆっくりと食べた。
フリートは「マーリンが帰ってきたこと、メルトやミクリンに知らせなきゃ」といって、慌ただしく森に戻る。
マーリンが帰ってきたことは、その日の午前中には森中に知れ渡っていた。
最初に森から現れたのは、一〇人ほどの中年の男女のグループだった。その中に占い師タクサもいた。
タクサはマーリンを見ると「驚いた。前に合ったときよりも何倍もたくましく見えるけど、確かにマーリンだ。私の占いでは生きているとは出ていたけど、戻ってくるなんて卦はかけらもなかったのに」
すると気のよさそうなおばさんが「あれ? あんたが戻ってくると言わなかったっけ?」
「戻ってくるとは言ったけど、それはフェリシアを慰めるためよ。
奴隷商人に捕まって、戻ってこれるはずないでしょ」
リシュリンがスープとパンを勧めると、夢中で食べ始めた。全員、かなりの空腹なようだ。太っているものは誰もいない。
すでに一二時を過ぎている。
ミクリンは、母屋の東側三件目の建物に身を隠して、様子をうかがっていた。
スープの強烈な匂いで、目眩を起こしそうだ。空腹と警戒心のせめぎ合いは、かろうじて警戒心が勝っていた。
だが、彼女が護る六人の一〇歳以下の子供たちは、そうではない。食べ物の誘惑に五分と耐えられなかった。
子供たちはミクリンの目を盗んで、走り出していた。ミクリンも追う。
一番後ろを五歳くらいの女の子が必死についていく。遅れれば、食べ物にありつけないのだ。
鍋には、スープの残りがほとんどなかった。大人たちが焦った。
六人目の女の子とミクリンの分はなかった。
ミーナは、その様子を見ていた。六人目の女の子に近寄り、「私、ミーナ!」と言うと、「リリィ」という消え入りそうな声が帰ってきた。
ミーナはリリィをベランダの隅に連れて行き、大事なポーチからビスケットとフルーツバーを出し、リリィに「美味しいよ!」といって渡した。ペットボトルの水筒にはジュースが入っている。これも、飲ませた。
大人たちは薪を拾い、屋敷のキッチンを使って、さらに多くの食事の支度を始める。
しばらくするとフリートが一人で戻ってきた。
「メルトは来ない。警戒しているんだ」
大人たちも心配だった。街には奴隷商人の兵が駐屯しているし、連中の手足として働いている東方騎馬民もいる。
炊事の煙は気付かれているはず。攻め寄せられたら、ひとたまりもない。
ミクリンは、子供たちに「森に帰ろう」と必死で諭すが、子供たちは食べ物の魅力に抗せずにいる。
ミクリンはマーリンに詰め寄った。
「なぜ、こんなことをする。このままでは、全員殺されてしまうぞ!」
ミクリンは、マーリンの従姉妹だ。マーリンより一歳年下で、この年齢差のため最後の突撃に参加できなかった。それが、悔しくもあり、後ろめたさでもあった。
さらに詰め寄った。
「足を怪我しているようだが、お前たちは怪我人ばかりでボロボロじゃないか。どうやって戦う気だ!
だいたいどうやって戻ってきたんだ。奴隷商人の手先じゃないのか!」
フリートが抗議した。「ミクリン! そんな言い方、酷いじゃないか」
四〇歳を少し超えた男が小声で、私に「何を考えているんだね?」と尋ねてきた。
私が「連中次第だな」と答えると、男は「連中とは、奴隷商人のことかね?」と尋ねた。わたしは小さく頷いた。
フリートとミクリンの口論は、マーリンには興味がない。
マーリンはロロを見ていた。リシュリンもロロを見ている。ヴェルンドは、流れゆく雲を見ていた。ミーナはリリィとともにロロから離れない。
ロロが立ち上がって、南を見る。そして、一声、ミャーオーとうなった。ロロは猫なのでライオンのように咆哮しない。咆哮はしないが声は出す。そしてこれが、ロロが発する戦いの雄叫びなのだ。
遠くから蹄の音が聞こえる。奴隷商人なら蒸気車を使う。東方騎馬民がやってくる。
リシュリンはミーナに「ロロと一緒に隠れていなさい」といって、装甲車に向かった。
ミーナはリリィの手を引いて、二階に上って行く。ロロも一緒だ。
ミクリンは、子供たちを家の中に入れようと必死だ。大人たちも子供の手を引いて、母屋に逃げ込む。
ミクリンが「もうお仕舞いだ」と言って、フリートをにらむ。
フリートは切っ先の折れた剣を構え、突然現れた姉の不始末を、自分の命で購う覚悟を決めた。
大人たちは何かしらの武器を持っていたが、銃は二挺しかない。銃を持つ二人の男は、ガラスの割れた窓際で、必死にカルカを動かして、弾込めをしている。
ミクリンは半弓を持っていたが、矢筒には二本の矢しかなかった。
次第に蹄の音が明瞭さを増してくる。
私は、ヴェルンドを母屋正面西側の花壇まで連れて行った。そこに座らせ、S&Wのリボルバーを右手に握らせる。
リシュリンは装甲車からM1カービン二挺を持ってきて、マーリンを支えて母屋正面東側の花壇の前に行き、二人は片膝を立てて座った。
私は装甲車に走った。M1928トンプソン短機関銃と弾帯を手に持って、噴水の西側真横に陣取る。手早く弾帯を装着し、手榴弾の数と位置を確かめた。
ヴェルンドを見ると、弾倉を点検している。おそらく、マーリンとリシュリンも同じことをしている。私も弾倉を点検し、コッキングレバーを引いて、発射の準備を整えた。
ミーナは二階にいた。二階の窓から母屋北側を観察していた。
蹄の音が、近付いてくる。一騎や二騎ではない。一〇騎か二〇騎。
リシュリンが「敵数二〇騎!」と大声で知らせる。こういうとき彼女はアニメ声ではなく、野太い声が出る。
ミーナはリリィに「ここで誰か来ないか見ていて!」と言い残し、階下へ駆け下りた。
そして、壊れた玄関ドアの陰から、「後方敵影なし!」と子供特有のよく通る声で報告する。そして、四つん這いで二階に戻っていく。
私は、ミーナのその後ろ姿を確認した。
私がトンプソンを構えると、ヴェルンドもリボルバーの撃鉄を起こし構える様子が見えた。マーリンとリシュリンも同じようにしているはずだ。
真正面から突入してきたのは八騎。マスケット銃のカービンタイプを装備している。
マーリンとリシュリンが発砲、続いて私が撃ち、ヴェルンドも射撃を始めた。
前衛八騎のうち四騎は斃された前衛を追い越して、突進してくる。
私は立ち上がってトンプソンを掃射し、四騎すべてを落馬させた。四騎のうち一人が立ち上がり、南に下がろうとするのを母屋内からマスケット銃が狙撃。
残り八騎は下馬して、遮蔽物に身を隠しながら前進してくる。
瞬間のにらみ合いになった。彼我の距離は八〇メートル。双方とも射程距離内にいる。
二騎が乗馬しようとしている。状況報告か援軍要請のための伝令だ。
八〇メートルという距離は、マスケット銃にとっては遠い。滅多に当たる距離ではない。だから、二騎は全身を曝して堂々と乗馬しようとした。だが、M1カービンの射程は長い。マーリンとリシュリンが発射し、伝令二騎を斃した。
残り六人。私が前方の花壇まで数メートル前進すると、リシュリンも前進してくる。
一人が東側に動いた。マーリンが単射し、その男はガッという大きな声を発して、倒れた。
敵五人は釘付けされたことを悟っていた。逃げる算段以外は考えていない。奴隷商人に呼ばれ「子供と若い女を見つけたら殺さず、連れてこい」といわれ、楽しみにしていた。ちょっとした、狩りのつもりだった。
命を張るほど、奴隷商人から報酬を受け取ってはいない。
だが、我々は一人を除いて、生かしておくつもりはない。
私とリシュリンは、身を隠しながら敵に近付く。
五〇メートルほど先に、一人の踝が見えた。生きた人間の踝だ。
私はM1911ガバメント自動拳銃を抜き、撃鉄を起こして、地面で手を支えて、その踝を狙った。
弾は足をかすっただけだったが、撃たれた男は驚いて頭を出してしまった。それをマーリンが見逃すはずはなく、一発で斃す。
残りの四人は、仲間の銃を集めた。一発撃てば弾込めの猶予はない。銃を変えて撃つしか、戦う術はない。
四人は匍匐して散開した。そして、同時に身を起こし、初弾を撃った。攻め入ってから、暴発を除けば初めての発射だ。
だが、四人に銃を変える時間はなかった。私とリシュリンが腰だめで発砲しながら突撃し、瞬く間に三人を斃した。
最後の一人は長刀を抜き、斬りかかってきたが、私の空に向けた威嚇発砲で怖じ気づき、刀を捨てた。斬りかかるには距離がありすぎたのだ。
マスケット銃を持った母屋の二人が走ってきた。
一人が「驚いた。こりゃ驚いた。連中に勝ったぞ!」と興奮気味に言った。
もう一人が「こいつはどうするね。殺してしまうか?」と尋ねてきた。しっかりと、捕虜に銃口を向けている。
私が「いや、殺すな。街の様子が知りたい。あとで尋問する」と言うと、捕虜はホッとしたような様子を見せた。
リシュリンが敵兵の生死を確認している。マーリンとヴェルンドは、配置についたまま、油断をしていない。
リシュリンが確認を終えたと合図を送ると、ようやくヴェルンドは立ち上がり、マーリンの手助けに向かった。
フリートとミクリンは、呆然としていた。フリートは戦って死ぬことを、ミクリンは自決を覚悟していた。
三人の女性が馬を集めている。一八頭もいる。
捕虜はその場で両手を後ろ手に縛られ、マスケット銃の男二人に引き立てられて、母屋に連れて行かれた。
この男の恐怖は、ここから始まった。凄まじい憎しみの目で見られ、自分がしてきたこと彼の仲間がしてきたことのすべてが、彼の身体で帳尻を合わそうとするかのような、恐ろしいほどの空気に耐えられなかった。
人は平気で殺せても、自分は殺されたくない。人の痛みは快感であっても、自分の痛みは苦痛である。
私が東方騎馬民の装備を点検し、母屋に戻ると、捕虜が「助けてくれ」と泣いてすがってきた。必死の懇願である。
リシュリンが「お前は、女が『助けて』といったとき助けたか?」と尋ねた。捕虜は黙った。そして泣いた。
「死にたくない」と。
私が捕虜に尋問した。
「街には何人いる。正直に話せば、楽に死なせてやる」
「奴隷商人は二五人。あんたたちが殺したのを含めて、仲間は五〇人いた。
俺たちは奴隷商人に雇われただけなんだ。何も悪いことはしていない。仕事をしただけなんだ。
だから、殺さないで」
「奴隷商人はどこにいる」
「街の庁舎だ」
「全員か?」
「あぁ、ほとんどが庁舎だ。街の見回りは俺たちの仕事なんだ。
正直に言うから、助けて。お願い」
一人の女性が「こんな意気地のない人たちのために、私たちはこんなに苦しんでいるなんて」といって泣いた。
私は近くにいた男に「荷馬車はありますか?」と尋ねた。
別の男が「少し壊れてはいるが、街道に一輌捨てられている」と答える。
私が「持ってきてくれませんか」と依頼すると、二人の男は動揺した。
リシュリンが「私が護衛に付こう」と言うと、一人が「本当かね。あんたが一緒なら心強い」と応えた。
さらに別の男が「私は車鍛冶だったので、一緒に行けば役に立てると思う」と申し出る。
三人の男は、荷馬車を引くための馬一頭を伴って、馬に乗って遺棄された荷馬車まで行くことになった。
リシュリンは馬に乗るつもりはさらさらなかった。ここぞとばかりに、DT125を装甲車のトレーラーから降ろし、エンジンをかけた。
その荷下ろしをミクリンとフリートに手伝わせ、この時点で二人を家来のように扱っている。
ミクリンはリシュリンの強さに憧れ、フリートは色気に惑わされていた。一四歳の男の子では、リシュリンに肩を触れられただけで、射精しかねない。
弟の姿を見て、マーリンは「だらしない!」と怒っている。
街と村の住民にとって、DT125は驚異的な乗り物だった。二輪で倒れないことが不思議だし、軽快に動き回るその姿は希望を告げているようでもある。
馬の用意ができるまで、リシュリンが試運転をし、ミーナが「乗せて」とせがんで、噴水を周回すると、子供たちがその後を追って走った。
馬の用意が調い、リシュリンは三人の男とともに荷馬車の回収に向かう。男たちは、東方騎馬民の銃で武装した。
また、残った大人たちにも銃を支給した。ミクリンとフリートには、躊躇いはあったが、護身用ということで所持を許した。
荷馬車は一時間ほどで回収されてきた。三人の男は興奮気味で、街道を堂々と馬で進んだことを他の大人たちに話している。
自分たちの国でありながら、通りを歩けぬ悔しさを味わってきた彼らが、久々に感じた爽快感だったようだ。
四輪の荷馬車は、全輪とも木製車輪のスポークが何本か外れている。御者台も壊れているが、車輪のシャフトは健在なようだ。
私は捕虜の縄を解き「お前の仲間を馬車に乗せろ」と命じた。
捕虜は一九人の死体を馬車に乗せたが、乗せ終わったときには体力が尽きかけていた。
「水を」と言ったが、与えるものはいない。
私は捕虜に「仲間のところに戻れ。そして伝えろ。アークティカに『予言の娘』が帰ってきた、と」と言った。
捕虜の顔は、驚きで歪んでいた。予言の娘の噂は聞いていたが、実在するとは思っていなかったのだ。
西方で、兵五〇を全滅させたとか、兵一〇〇を率いていた奴隷商人の頭目の息子を殺したとか、いろいろな噂を聞いたが、どれも現実離れしていた。
だが、自分が体験したことから考えると、予言の娘には一〇〇や二〇〇の兵では勝てない気がした。
ミクリンが「なぜ逃がす!」とくってかかってきた。
そんなミクリンを無視するかのように、リシュリンが捕虜に「脱げ」と命じた。
捕虜には、意味がわからなかった。
もう一度、リシュリンが「服を脱げ」と言うと、捕虜は上着を脱いだ。
リシュリンは「全部だ」と穏やかな声で言った。
捕虜は動揺しつつも、服を脱ぎ始める。
靴も脱ぎ、下着だけになった。
リシュリンは「全部脱げ」と言った。
捕虜は泣きながら、全裸になった。
リシュリンが騎馬民から奪った長刀の切っ先で、捕虜の股間の一物を持ち上げた。
捕虜は消え入りそうな声で、泣きながら「助けて」と懇願する。
リシュリンは「今度お前に会ったら、こいつを切り落とす」と脅す。
捕虜は「二度と貴女様の前には現れません。東に帰ります」と言った。
リシュリンが刀を降ろすと、男は荷馬車に飛び乗って街に向かって走って行った。
その行方を三人の男が馬で追走し、確認した。
ルカナの東方騎馬民は、たった一人の生き残りが戻った数分後には街から姿を消していた。その事実を奴隷商人たちは、知らなかった。
「これより、ルカナの街を解放する。この戦いに志願するものは申し出てくれ」
私がそう言うと、母屋の前ではどよめきが起きた。
「ヴェルンドとマーリンは残ってくれ。BARを置いていく」
私の言葉に負傷したヴェルンドが頷いた。
「ミーナとロロもだ」
私の命令にミーナは不満をいわなかった。マーリンは無言だ。
すでに、マーリンとリシュリンは戦いの準備を始めている。
そのとき、ロロが反応した。南門の方向から四人の男が近付いてくる。明らかに、戦闘の訓練を受けたものたちだ。
フリートが「大丈夫。海上警備隊のスコル艇長だ」と言った。
スコルは銃を背負い、反りの大きい刀を下げている。服は汚れ、髪はぼさぼさだ。
スコルは周囲を見渡しながら「派手にやったようだが、後始末が大変だ。早く逃げたほうがいい」と、呆れたように言った。
私は「あぁ、これから後始末のために街に行くつもりだ」
スコルは、さらに呆れたように「連中に詫びてどうする。逃げて命を長らえろ」と諭した。
「忠告はありがたいが、逃げるつもりはない。これから、ルカナの敵を追い払いに行く」
「何を馬鹿な……」
そのとき、マーリンとリシュリンが車庫からトレーラーを外した装甲車を引き出してきた。
すべての幌を外し、大人たちに手伝ってもらい兵員室の食料をすべて降ろしてある。
装甲車の後方を歩いてきた占い師のタクサが「食料が、たっくさ~んあるわ」と嬉しそうに言った。
スコルは装甲車の迫力に気圧されていた。マーリンはルイス軽機を点検し、リシュリンはヴェルンドのためにBARを運び出そうとしている。
スコルは手入れはされていないが美しいタイル張りの花壇に腰掛け、鍔広の帽子を脱いだ。
「そのたっくさ~んある食料を、少しだけ食わせてくれないか。
情けないが、腹が減って、どうにも……」
と言った。平和であれば、二〇歳代中頃の気のいい青年のようだ。
母屋は、本来は賓客をもてなすための館だそうだ。居館は、西側東向きの石造りの二階屋だという。決して大きくない建物で、見かけも質素だが、館内は造作のいい落ち着いた雰囲気であったことが、荒廃したいまでも垣間見える。
賓館の骨格は鉄筋コンクリート製で、外装の煉瓦は装飾だ。頑丈な建物であることから、ここを拠点にすることにした。
賓館から南門までは、幅四メートルの平らな大理石の石畳が一直線に伸びている。
庭園はイングリッシュガーデン風というか、高さ五〇センチほどのタイルで装飾された花壇が、迷路さながらに配されていて、本来ならば見事な美観であったのだろう。いまは草花が枯れ、背の低い雑草が茂っている。
賓館と噴水までは八メートルの距離があり、噴水の回りには、幅六メートルの周回路がある。車寄せといった機能だろうか。
賓館の広い調理場では、少ない鍋釜を動員して、スープが作られている。出汁は鱒系の魚の燻製で、それに少量の干し肉やありったけの野菜を放り込む。
その調理の指揮を執っているのがミーナで、大人たちは未知の食材と料理に悪戦苦闘していた。
ミーナは発酵していたパン種を使って、水団を作るつもりだった。旅の間、何度も食べた水団は、少ない量でも満腹感がある不思議な食べ物だ。
だから、たくさんの人が現れそうないま、すぐに作れてたくさんの人がお腹いっぱいになる水団を作っている。
誰もが大忙しだが、それは誰もが望んでいたことでもあった。
スコルたち四人と、まだ食べ足りない子供たちに水団が配られた。
スコルたちは無言で食べた。一人が泣き出すと、全員が泣いた。大人たちも泣き出し、フェリシアも泣いている。
スコルが言った。
「何でもやってやる。上手いものを腹一杯食べたら、死んでもいいと思っていた。
あんたの甘言に乗ってみるよ」
そういって、私をにらみつけた。
リシュリンが作戦を説明する。
「庁舎の位置はマーリンから聞いている。庁舎正面広場をまっすぐに突っ切って、正面から攻撃する。
全員が装甲車に乗り、迅速に攻撃し、制圧したら速やかに後退する。
現有戦力では、街の維持はできない」
私が「これから出発する。志願してくれる人はいないか」と尋ねると、子供を含めて全員が手を上げた。リリィまで手を上げている。
男の子が「父さんと母さんの敵を討つんだ」と言った。
私は、健康状態の良さそうな男性五名、女性三名の計八名を指名した。そのなかにはスコルとその部下一名が含まれていた。
外されたスコルの部下が不満を言い、ミクリンも連れて行けと騒ぐ。
私はスコルの部下に「おそらく、東方騎馬民が再度やってくる。襲うつもりか、偵察かはわからないが、この館の状況を確認せずに引き上げたりはしないだろう。
戦力を二つに分けるのだから、どちらかが損害を被っては作戦は失敗だ。
我々もマーリンとヴェルンドを残していく。二人が負傷しているのも理由の一つだが、ここを護るのも任務だ」と言った。
スコルの部下二人は、大きく頷いた。
だが、ミクリンは納得しない。最後は泣き出し「総突撃の時は一六になっていないからだめといわれ、今回は子供だからだめといわれては、何のために生き伸びたのかわからない」と言い、フリートも同行を懇願した。
結局、スコルの取りなしもあり、二人には下車しないことを条件に、同行を許した。
片腕しか使えないヴェルンドのために、S&wのリボルバーとガバメント一挺が残された。ガバメントはスライドを引かないと撃てないので、薬室に装填した状態で渡した。
マーリンは走ることはできないが、ゆっくり歩くことはできる。彼女には、通常装備のほかBARと擲弾筒が渡された。また、M1ガーランド二挺を残す。
賓館に残った大人たちは、衰弱が酷いフェリシアを除いて、穀物倉庫に残されていた穀物袋に砂を詰め、土嚢作りに励む。
マーリンはフェリシアに案内されて、庭園の片隅にある父と母の墓標のない埋葬地で、帰還の報告をした。
すでに一四時を過ぎていた。私とリシュリン、そして街人村人一〇人が装甲車に乗る。
運転はリシュリン、助手席にはミクリンが座る。
リシュリンが装甲車を時速四〇~五〇キロで疾駆させる。そのスピードと迫力にミクリンは驚嘆している。
装甲車は街のある北に向かった。
村から街までには、壊れた荷馬車や古樽がバリケード代わりに配置された場所が四カ所あった。スコルによれば、防衛側が配置したものだそうだ。装甲車は、荷馬車を踏みつぶし、古樽をはじき飛ばして前進する。
街の入口まで、一〇分とかからなかった。そして、庁舎前広場までは、さらに五分を要した。
装甲車の走行音を聞きつけて、庁舎前には五人の奴隷商人が見物に出ていた。どう見ても彼らに緊張感はない。
装甲車が停止すると、ミクリンは指示されていたとおり、助手席前方右側のレバーを引いた。すると、フロントウインドウに鉄板が覆い被さってきた。
同時に、私がルイス軽機を発射する。物見で出て来ていた五人が瞬く間に斃され、庁舎内に機関銃弾が吸い込まれていく。
スコルは驚嘆して、動けずにいる。だが、彼の部下が、庁舎二階の窓に向けて射撃を始めると、スコルは後部ドアから車外に出て、装甲車を盾にして、庁舎内の人影に向けて射撃を開始する。それに、街人村人数人が追い従っていく。
リシュリンがM1903A1ボルトアクション小銃に小銃擲弾を取り付けている。
ほぼ水平発射で立て続けにM17HE弾二発を撃ち込む。手榴弾と同程度の威力だが、五〇メートル離れた距離から撃ち込まれて、奴隷商人にとっては軽野砲で直射されたような感覚であったろう。
この時点で、奴隷商人側に戦意は消えていた。
二人が手を上げて飛び出してきたが、攻撃と誤認した街人村人に撃たれた。もっとも、誤認していなくても撃たれただろう。
結局、怯えきった四人が捕虜になり、二一の死体が残った。
奴隷商人たちの顔には、動揺の色が濃く出ている。そして、どんな殺され方をするのかを考え真に怯えていた。
例によって、リシュリンが四人を全裸にし、数分間いたぶったあと、捕虜一人に彼らの木製の蒸気車用四輪軽荷車を用意させ、それに仲間の死体を積み込ませる。
そして、捕虜四人にその荷車を引かせて、装甲車で追い立てながらルドゥ川に架かる石のアーチ橋を渡らせた。四人は生き残るために必死だった。そして、アークティカ人の気が、いつ変わるかわからず恐ろしかった。
長さ一〇〇メートルの石橋を、全裸の四人の大男が必死に荷車を引いて渡っていく。
その先には、ルドゥ川北岸の少人数の奴隷商人が守る陣地がある。
その陣地の奴隷商人が見ている。そして、その様子をリシュリンが見ていた。
装甲車の運転席に座るリシュリンはその場で立ち上がり、呆然と眺めているルドゥ川北岸陣地の奴隷商人の一人をM1903A1で狙撃した。彼我の距離は二五〇メートルはある。リシュリンの狙撃の腕を、スコルが感心したように見ていた。
すると、荷馬車の速度が心なしか速くなった。
リシュリンは、装甲車をマーリンの屋敷に向けて走らせた。
庁舎の制圧は一〇分とかからなかったが、死体の始末に時間を要してしまった。ただ、リシュリンが捕虜をいたぶらなければ、四人は街人村人に殺されていた。
一時間以上前に村の方角から響いていた、激しい銃声は収まっていた。
すでに一六時三〇分を過ぎている。
装甲車が館を出て三〇分後、街から銃声が聞こえてくると同時に、東方騎馬民が館の敷地に侵入してきた。
それより少し前、ロロが探知しミーナに伝え、ミーナがマーリンに伝えていた。
東方騎馬民は馬を降り、花壇を遮蔽物にしながら徒歩で賓館に接近してくる。花壇は賓館から二五メートル離れた位置で途切れている。そして、賓館の周囲にも花壇が配されている。この二五メートルの間に遮蔽物となるものは、噴水しかない。
東方騎馬民は油断はしていなかったが、戻ってきた生き残りの報告を真に受けてもいなかった。東方騎馬民の指揮官は、賓館の北側からも兵一〇を侵入させていた。
賓館南側正面に二二、賓館北側裏手に一〇の配置だ。
マーリンは、賓館正面玄関直上二階ベランダに積まれた土嚢にM1918BARを据えている。
BARの横には、M1ガーランド半自動小銃二挺が弾を込められて置かれている。擲弾筒も彼女の担当になっていた。
ヴェルンドは、玄関西側の窓辺に潜んでいる。手にはM1911ガバメント自動拳銃が握られている。
スコルの部下二人は、玄関東側の窓辺に陣取っている。
賓館の玄関正面には、幅の広い半階上がる階段があり、その階段は半階で左右に分かれて二階につながっている。
その半階の踊り場に土嚢を積み、四人が陣取っていた。
玄関正面にも土嚢を積み、四人が銃を構えている。
賓館北面一階と二階にも人を配している。
子供たちは、三階西側の壁際にうずくまっていた。
東方騎馬民は、賓館背面に当たる北側から一〇人が忍び寄り、正面からは一五人が接近してくる。
北側の兵は、様子を見るように五〇メートル離れて歩みを止めた。
南側正面の兵は、花壇が途切れる位置まで接近している。
指揮官は、数人の兵とともに一五〇メートル以上離れて、立ち上がったまま兵の動きを観察している。
マーリンはBARから手を離し、M1ガーランドを握った。指揮官らしい男は、朱色の派手な革製の胸甲を付けており、赤いマントを羽織っている。「俺が一番偉いんだぞ」とでも喧伝するように、高圧的な指図を手下に与えている。
マーリンは、M1ガーランドで指揮官を狙った。ヴェルンドなら一発で仕留めるだろうが、彼女にその自信はない。
マーリンの隣に中年の女性が、「手伝うことない」とやって来た。
マーリンは「あの派手な格好をしている男を踊らせるから見ていて」というと、息を整えてトリガーを引いた。
男は踊らなかった。後方に吹き飛び、倒れ、動かなかった。
一瞬、戦場が静寂に包まれた。マーリンが撃った銃弾は、風の穏やかな乾燥した大気を引き裂いて一五〇メートル飛翔し、目標に命中した。
後衛の敵は一斉に身を隠し、前衛の敵は一斉に発砲を始めた。
双方が初弾を撃つと、敵の最前衛は次弾装填の隙を突き、反りの大きい長刀を抜いて突撃してきた。
スコルの部下二名を除けば、賓館にいるのはただの街人村人だ。近接戦闘に慣れた東方騎馬民の敵ではない。
マーリンは、最前衛以降の敵の行動をBARの連射で阻止し、突撃してきた敵兵四をヴェルンドが斃した。
その間に、戦闘の素人たちは次弾を装填し、浮き足だった敵兵に向かって発砲を続ける。
ヴェルンドは、ガバメントの弾倉を空にしていた。身体を上手くコントロールできず、狙って撃ったというよりも、撃ちまくって敵の足を止めたといったほうが正しい。
北側の敵が接近し、こちらでも銃撃戦が始まっていたが、街人村人だけでは阻止できない状況だ。
スコルの部下一名が二階に上がっていく。
すると、一階に残ったスコルの部下がヴェルンドに近付いてきた。
「三挺も短銃を持っていたら重くないかい。一挺預かってもいいぞ」
ヴェルンドは、自分の状態と現状を考えると、危険なものを感じていた。
ヴェルンドはしゃがみ込んで、ガバメントを両足の太ももで挟み、弾倉を取り替えていた。
スコルの部下の声は、頭の上から降ってきた。
ヴェルンドは立ち上がり、ホルスターから彼が自分で作ったリボルバーを抜いた。
「引き金を引けば、六発まで弾が出る」と言って、スコルの部下に手渡す。
スコルの部下はリボルバーを受け取ると、自分の配置に戻る。
フェリシアは子供たちと一緒にいた。しかし、そのことは彼女の本意ではない。
身をかがめて二階に降りると、床を這って妹のいるベランダまで行った。そして、M1ガーランドをつかむと、敵に銃口を向けた。
安全装置がかかっていて、発射しない。その様子を見て、マーリンは安全装置を外してあげた。
それを二階に上がってきたスコルの部下が見ていた。
彼はM1ガーランドをつかむと、「借りるぞ!」と怒鳴って、ベランダを出て行く。
マーリンはBARが弾切れになると、立て続けに手榴弾を四発投げた。
この攻撃によって、賓館正面前衛の敵は壊滅した。
フェリシアは連射せず、確実に狙って撃ち続けている。
一階と二階をつなぐ階段の踊り場にいた四人は、一階の窓に移動して射撃している。
北側裏手は、M1ガーランド一挺が加勢しただけで、形勢は完全に逆転していた。すでに敵は三人を残すだけで、その三人も何挺もの銃に狙われ、身動きできない状態だ。
この期に及んで、東方騎馬民は劣勢を悟り、退却を始めた。
マーリンは、敵の火力が衰えた瞬間を見逃さなかった。擲弾筒の砲口から擲弾を装填し、激発させて発射した。
手榴弾の三倍もの威力を持つ榴弾は、敵後衛の後方で爆発した。
さらにもう一発が着弾し、生き残りの東方騎馬民はパニックに陥った。
一階にいたスコルの部下は、ヴェルンドの拳銃を発射して、残兵を掃討しながら敵に突進していく。
マーリンは、二階にいた街人村人とともに彼の援護をした。
最後は、東方騎馬民の一人と弾切れとなったスコルの部下との剣による一騎打ちの様相となったが、残敵は館を飛び出してきた街人村人の銃弾を浴びて、一合も交わさず絶命した。
北側裏手の残兵三人は、狙撃によって一人ずつ確実に斃された。
戦いは二〇分ほどで終わったが、マーリンには数時間に感じた。街人村人も同じなのだろうか、放心しているものもいる。
だが、アークティカ人は侵略者に対して勝利した。
装甲車が戻ってきたとき、街人村人は敵の死体を片付け始めていた。装甲車は、蒸気牽引車一輌と蒸気乗用車一輌を鹵獲していた。
その蒸気牽引車の最初の仕事が、敵兵死体の運び出しになった。
だが、今日の出来事のクライマックスは、日没が迫るこれからだった。
館に、ぞくぞくとアークティカ人が集まり始めたのは、日没直前であった。
マーリンとごく少数の街人村人が始めた戦いは、多くのアークティカ人が固唾を飲んで見ていた。
大多数のアークティカ人は、マーリンと街人村人の悲惨な最期を確信していた。
ただ、ルカナとコルカの周辺から離れない街人村人は、心だけは東方騎馬民と奴隷商人に屈服していない。だから、加勢したい気持ちはあった。
だが、その行為が無謀だと信じていた。論理的に考えれば、外部からの援軍なしでの蜂起は、無謀であることは事実だ。
また、一時的に小さな勝利を得たとしても、攻勢を継続することは不可能なはずだ。
しかし、どうであれ、マーリンとごく少数の街人村人は、ルカナとコルカから東方騎馬民と奴隷商人を駆逐した。
森から出てきた人々は、マーリンとともに戦った街人村人を称えたかった。ただ、それだけで、森から出てきたのだが……。
一九時を過ぎても人々の来訪は減らない。私とリシュリン、スコルの部隊、フリートとミクリンが警備に立ち、何とかしているのだが、館には二〇〇人以上が詰めかけている。
かがり火がたかれ、人々には水団が振る舞われた。少ない数の楽器が鳴り、演奏に合わせて歌も聞こえる。
裏門に当たる北門を警備していると、ミーナがロロと一緒にパンを持ってきてくれた。
「おじちゃん。たくさんの人がいるよぉ。明日からどうするのぉ。
食べ物、すぐなくなっちゃうよぉ」
ミーナの言うとおりだ。食料だけではない。住む場所も必要だ。街の放棄は、できなくなった。
戦術レベルではなく、戦略を変更しなければならない。
ルカナの街とコルカ村の境界は、行政区としてははっきりしているのだが、地理的には明確でない。街と村の住民は、日常的に境界を意識して生活することはない。
街と村には領主がおらず、行政府が行政を行い、議会が法を定め、一審制の裁判所があり、裁判所の決定に不服がある場合は再審委員会に異議を申し立てることができた。
街と村には別々に自治警察があり、警察が実質的な国防組織でもあった。
なお、アークティカに国軍はあったが、規模の小さな組織だった。
また、赤い海以西のような環濠都市や城塞都市ではなく、防衛に適さない家々が集まった単なる街の形態をとっていた。
アークティカは、文化的、政治的、社会的、軍事的に、赤い海南岸諸都市と密接な関係があることは明白であった。
二〇時を過ぎた頃、北門で歩哨に立つ私のところへスコルがやって来た。
スコルが「どう思う」と前振りもなく問うた。
「何が?」
「この状況だよ。あんたが始めたことだ」
「俺は、マーリンと一緒にこの土地に来ただけだ」
「それはそうだが、こうなることはわかっていたんだろ」
「初日に一〇〇人も現れるとは思わなかったよ」
「もう二〇〇人は超えたよ。コルカ村の戸籍係が生き残っていて、住民リストを作っている」
「住民リスト?」
「あぁ、もう誰も森に戻ろうとは思っていない。俺もだ。
あんたたちの指揮官はマーリンという娘じゃぁない。あんただ。あんたが指揮して、敵中を突破してきたんだろ。
ミーナって子がいっていたよ。問題は食糧だって。あんな幼い子でも状況を分析し、問題の本質が見抜ける。あんたたちは凄い。
どう考えても、あんたがアークティカの運命を握っている」
「頼んでいいか?」
「何でも言ってくれ」
「正規兵、警官、民兵、私兵、用心棒、もとの職業は何でもいいが、戦闘訓練を受けた人を集めてくれ」
「あぁ、俺の部下がもうやっているよ」
「そうか。
それなら話が早い。国軍の総司令官にお前が就け」
「待ってくれ。俺はただの准士官だ。下っ端の兵隊だ。しかも陸の戦は不慣れだ」
「逃げ出した士官より、踏みとどまった兵のほうが信用できる。
お前が総司令官だ」
「わ、ゎっ、かったよ」
「それから、マハカム川の鉄橋の北側とルドゥ川の石橋の南側に土嚢を積んで防御拠点を作ってくれ。
今夜中に」
「了解した」
スコルは離れていった。そして、軍事組織に籍を置いたことがあるもの四〇人余りと屈強な男四〇人で、南北の橋を朝までに確保した。
スコルが立ち去った数分後、コルカ村の戸籍係がやって来た。三〇歳少し前の男だ。
「シュン様ですね。住民のリストを作っていたのですが、ルカナとコルカの住民は半数もいません。
ほとんどはほかの街村の住民です。朝までに三〇〇人を超えるかもしれません。
食料を何とかしないと……」
「貴方以外に行政の経験のある方はいますか?」
「はい、ほかの街や村の出納係とか普請係とかに助けてもらっています」
「では、その人たちで臨時の行政府を組織してください。臨時の行政府の長も決めなさい」
「え!」
「住民が三〇〇人もいるんです。行政が必要でしょ。その任を貴方たちが担ってください。
それと、食料の調達は、どうするか今夜中に考えましょう」
二四時の少し前、歩哨の交代があり、私は北門に一番近い裏口から賓館に戻った。園庭の宴は終わっていたが、大人たちは大きな不安の中で話し込んでいた。
賓館の裏口はキッチンにつながっている。キッチンにはたくさんの男女がいた。
私の姿を見て、全員が押し黙った。そして、全員の視線が私に注がれ、それは私がキッチンを出る数秒間続いた。
二階東側の部屋に行き、背もたれが壊れているダイニングチェアのような形の椅子に座った。
食糧問題は、喫緊の課題だ。中年の女性が、白湯を運んでくれた。礼を言い、マーリンとリシュリンを探してくれないかと頼んだ。すると、二人は三階で子供たちを寝かしつけていると言った。
私は、その女性にマーリンとリシュリン、そしてフリートとミクリンを呼んで欲しいと頼んだ。
四人は数分でやって来た。
部屋に入るなり、ミクリンが何かをいっているが、私はほとんど聞いていなかった。
「マーリンとリシュリンは、すでにわかっていると思うが、食糧の問題がある」
フリートとミクリンはポカンとしている。
「五〇〇人が一カ月間必要な食料は、どれほどの量だ」
四人とも答えられない。
「私も知らない。仮に一人一日一ディナの穀物・豆・肉が必要だとすれば、五〇〇人で一日五〇〇ディナだ。標準的な荷車に換算すれば一輌で、四日分の食料ということになる。
もっと必要かもしれないし、もっと少なくてもいいかもしれない」
一ディナは一キロにほぼ等しい重さの単位だ。
四人は無言だ。マーリンとリシュリンはことの重大性に気付いており、フリートとミクリンは何も理解していない。私は続けた。
「大型蒸気牽引車なら、標準的な貨車三輌を牽引できる。
つまり、一二日分の食料を運べる。
だから、蒸気牽引車は最低二編成必要で、できれば三編成欲しい。
しかも、往復二~三日で戻ってこれる場所で、一万八〇〇〇ディナの食料を仕入れられる街はどこにあるのか、だ」
私は、フリートとミクリンに一八トンもの食料を短時日で確保する手段を尋ねた。
二人は無言だ。
フリートに尋ねた。
「君は父親のような男になりたいか?」
フリートは言葉を絞り出すように「そのようになりたいと思ってます」と答えた。
私は「ならば、この答えを探せ」と命じた。
ミクリンに「明日の朝までに、フリートが答えを出す。その街に何人かで先発しろ。その人選を任せる」と言った。
二人は震えていた。いや、責任の重大性をようやく理解し、怖じ気づいたのだ。
二人が震えている真っ最中にヴェルンドがやって来た。
私が「いいところに来てくれた」と言うと、二人の様子を見て「いや、悪いところだったみたいで……」といって苦笑した。
「頼みがある」
「わかってます。銃でしょ。何を、いつまでに、どれだけ?」
「三八式騎銃を三カ月以内に一〇〇挺作ってくれ」
「あの銃は反動が少ないから、女性や小柄な人でも扱いやすいですからね。職人や技師の人選は始めています」
フリートとミクリンは、ヴェルンドの行動を聞き、自分たちの未熟さを痛感していた。
私はリシュリンを見た。
「リシュリン、早期にマハカム川とルドゥ川結ぶ海岸線を確保したい。作戦を立案してくれ」
リシュリンはニヤリとして、無言で退室した。
私たちは、アークティカの地で生きてゆかなくてはならない。
この夜、そのための新たな戦いが始まった。
その煙は、四方からよく見えた。
森に隠れるフリートにもよく見えた。
「僕の家のほうだ。フェリシアに何かあったのかもしれない」
フリートは、リーダーのメルトの制止を振り切って、自宅に急いだ。
森を抜け、獣道を通って、母屋の北側の茂みに身を潜めた。
人の声がする。笑い声も。きっと奴隷商人か東方騎馬民がフェリシアを見つけたんだ、とフリートは思った。
もう、ここで死んでもいい。フェリシアを助けるんだ、と意を決して、茂みを出て、建物の影から人影を探した。
フェリシアが母屋のベランダにつながる階段に座って、微笑んでいる。
その隣に黒く光る長衣を着た赤い髪の女がいる。二人は親しげに話している。男が二人と、西方人の女がいる。子供と野獣。
フリートは剣を抜いた。刃こぼれだらけで、切っ先はかけているが武器はこれだけだ。
なぜ、フェリシアは微笑んでいるんだ。フェリシアは誰と話しているんだ。
フリートにはわからなかった。
赤い髪の女を見た。赤い髪はアークティカ人の証。アークティカ人のごく一部が赤い髪だが、赤い髪はアークティカ人しかいないのだ。
フリートは建物の背後に回り、さらに近付く。
フリートは、顔がはっきり見えるのに赤い髪の女が誰なのかわからなかった。ただ、会ったことがあるように思う。
ミーナとロロが屋敷から出てくると、ロロがフリートの存在に気付いた。
リシュリンが「マーリン! お姉さんと中へ!」と叫んだ。
瞬間、フリートは赤い髪の女を思い出した。意地悪な姉、マーリンだ。「マーリン!」と絶叫し、剣を異常な握力で握りしめて走り出していた。
気が付くとフリートはマーリンに抱きついていた。何かを話しているが、自分でも何を話しているかわからない。夢中で、何かを話している。
スープができあがり、作り置きのパンとともに、フェリシアとフリートはゆっくりと食べた。
フリートは「マーリンが帰ってきたこと、メルトやミクリンに知らせなきゃ」といって、慌ただしく森に戻る。
マーリンが帰ってきたことは、その日の午前中には森中に知れ渡っていた。
最初に森から現れたのは、一〇人ほどの中年の男女のグループだった。その中に占い師タクサもいた。
タクサはマーリンを見ると「驚いた。前に合ったときよりも何倍もたくましく見えるけど、確かにマーリンだ。私の占いでは生きているとは出ていたけど、戻ってくるなんて卦はかけらもなかったのに」
すると気のよさそうなおばさんが「あれ? あんたが戻ってくると言わなかったっけ?」
「戻ってくるとは言ったけど、それはフェリシアを慰めるためよ。
奴隷商人に捕まって、戻ってこれるはずないでしょ」
リシュリンがスープとパンを勧めると、夢中で食べ始めた。全員、かなりの空腹なようだ。太っているものは誰もいない。
すでに一二時を過ぎている。
ミクリンは、母屋の東側三件目の建物に身を隠して、様子をうかがっていた。
スープの強烈な匂いで、目眩を起こしそうだ。空腹と警戒心のせめぎ合いは、かろうじて警戒心が勝っていた。
だが、彼女が護る六人の一〇歳以下の子供たちは、そうではない。食べ物の誘惑に五分と耐えられなかった。
子供たちはミクリンの目を盗んで、走り出していた。ミクリンも追う。
一番後ろを五歳くらいの女の子が必死についていく。遅れれば、食べ物にありつけないのだ。
鍋には、スープの残りがほとんどなかった。大人たちが焦った。
六人目の女の子とミクリンの分はなかった。
ミーナは、その様子を見ていた。六人目の女の子に近寄り、「私、ミーナ!」と言うと、「リリィ」という消え入りそうな声が帰ってきた。
ミーナはリリィをベランダの隅に連れて行き、大事なポーチからビスケットとフルーツバーを出し、リリィに「美味しいよ!」といって渡した。ペットボトルの水筒にはジュースが入っている。これも、飲ませた。
大人たちは薪を拾い、屋敷のキッチンを使って、さらに多くの食事の支度を始める。
しばらくするとフリートが一人で戻ってきた。
「メルトは来ない。警戒しているんだ」
大人たちも心配だった。街には奴隷商人の兵が駐屯しているし、連中の手足として働いている東方騎馬民もいる。
炊事の煙は気付かれているはず。攻め寄せられたら、ひとたまりもない。
ミクリンは、子供たちに「森に帰ろう」と必死で諭すが、子供たちは食べ物の魅力に抗せずにいる。
ミクリンはマーリンに詰め寄った。
「なぜ、こんなことをする。このままでは、全員殺されてしまうぞ!」
ミクリンは、マーリンの従姉妹だ。マーリンより一歳年下で、この年齢差のため最後の突撃に参加できなかった。それが、悔しくもあり、後ろめたさでもあった。
さらに詰め寄った。
「足を怪我しているようだが、お前たちは怪我人ばかりでボロボロじゃないか。どうやって戦う気だ!
だいたいどうやって戻ってきたんだ。奴隷商人の手先じゃないのか!」
フリートが抗議した。「ミクリン! そんな言い方、酷いじゃないか」
四〇歳を少し超えた男が小声で、私に「何を考えているんだね?」と尋ねてきた。
私が「連中次第だな」と答えると、男は「連中とは、奴隷商人のことかね?」と尋ねた。わたしは小さく頷いた。
フリートとミクリンの口論は、マーリンには興味がない。
マーリンはロロを見ていた。リシュリンもロロを見ている。ヴェルンドは、流れゆく雲を見ていた。ミーナはリリィとともにロロから離れない。
ロロが立ち上がって、南を見る。そして、一声、ミャーオーとうなった。ロロは猫なのでライオンのように咆哮しない。咆哮はしないが声は出す。そしてこれが、ロロが発する戦いの雄叫びなのだ。
遠くから蹄の音が聞こえる。奴隷商人なら蒸気車を使う。東方騎馬民がやってくる。
リシュリンはミーナに「ロロと一緒に隠れていなさい」といって、装甲車に向かった。
ミーナはリリィの手を引いて、二階に上って行く。ロロも一緒だ。
ミクリンは、子供たちを家の中に入れようと必死だ。大人たちも子供の手を引いて、母屋に逃げ込む。
ミクリンが「もうお仕舞いだ」と言って、フリートをにらむ。
フリートは切っ先の折れた剣を構え、突然現れた姉の不始末を、自分の命で購う覚悟を決めた。
大人たちは何かしらの武器を持っていたが、銃は二挺しかない。銃を持つ二人の男は、ガラスの割れた窓際で、必死にカルカを動かして、弾込めをしている。
ミクリンは半弓を持っていたが、矢筒には二本の矢しかなかった。
次第に蹄の音が明瞭さを増してくる。
私は、ヴェルンドを母屋正面西側の花壇まで連れて行った。そこに座らせ、S&Wのリボルバーを右手に握らせる。
リシュリンは装甲車からM1カービン二挺を持ってきて、マーリンを支えて母屋正面東側の花壇の前に行き、二人は片膝を立てて座った。
私は装甲車に走った。M1928トンプソン短機関銃と弾帯を手に持って、噴水の西側真横に陣取る。手早く弾帯を装着し、手榴弾の数と位置を確かめた。
ヴェルンドを見ると、弾倉を点検している。おそらく、マーリンとリシュリンも同じことをしている。私も弾倉を点検し、コッキングレバーを引いて、発射の準備を整えた。
ミーナは二階にいた。二階の窓から母屋北側を観察していた。
蹄の音が、近付いてくる。一騎や二騎ではない。一〇騎か二〇騎。
リシュリンが「敵数二〇騎!」と大声で知らせる。こういうとき彼女はアニメ声ではなく、野太い声が出る。
ミーナはリリィに「ここで誰か来ないか見ていて!」と言い残し、階下へ駆け下りた。
そして、壊れた玄関ドアの陰から、「後方敵影なし!」と子供特有のよく通る声で報告する。そして、四つん這いで二階に戻っていく。
私は、ミーナのその後ろ姿を確認した。
私がトンプソンを構えると、ヴェルンドもリボルバーの撃鉄を起こし構える様子が見えた。マーリンとリシュリンも同じようにしているはずだ。
真正面から突入してきたのは八騎。マスケット銃のカービンタイプを装備している。
マーリンとリシュリンが発砲、続いて私が撃ち、ヴェルンドも射撃を始めた。
前衛八騎のうち四騎は斃された前衛を追い越して、突進してくる。
私は立ち上がってトンプソンを掃射し、四騎すべてを落馬させた。四騎のうち一人が立ち上がり、南に下がろうとするのを母屋内からマスケット銃が狙撃。
残り八騎は下馬して、遮蔽物に身を隠しながら前進してくる。
瞬間のにらみ合いになった。彼我の距離は八〇メートル。双方とも射程距離内にいる。
二騎が乗馬しようとしている。状況報告か援軍要請のための伝令だ。
八〇メートルという距離は、マスケット銃にとっては遠い。滅多に当たる距離ではない。だから、二騎は全身を曝して堂々と乗馬しようとした。だが、M1カービンの射程は長い。マーリンとリシュリンが発射し、伝令二騎を斃した。
残り六人。私が前方の花壇まで数メートル前進すると、リシュリンも前進してくる。
一人が東側に動いた。マーリンが単射し、その男はガッという大きな声を発して、倒れた。
敵五人は釘付けされたことを悟っていた。逃げる算段以外は考えていない。奴隷商人に呼ばれ「子供と若い女を見つけたら殺さず、連れてこい」といわれ、楽しみにしていた。ちょっとした、狩りのつもりだった。
命を張るほど、奴隷商人から報酬を受け取ってはいない。
だが、我々は一人を除いて、生かしておくつもりはない。
私とリシュリンは、身を隠しながら敵に近付く。
五〇メートルほど先に、一人の踝が見えた。生きた人間の踝だ。
私はM1911ガバメント自動拳銃を抜き、撃鉄を起こして、地面で手を支えて、その踝を狙った。
弾は足をかすっただけだったが、撃たれた男は驚いて頭を出してしまった。それをマーリンが見逃すはずはなく、一発で斃す。
残りの四人は、仲間の銃を集めた。一発撃てば弾込めの猶予はない。銃を変えて撃つしか、戦う術はない。
四人は匍匐して散開した。そして、同時に身を起こし、初弾を撃った。攻め入ってから、暴発を除けば初めての発射だ。
だが、四人に銃を変える時間はなかった。私とリシュリンが腰だめで発砲しながら突撃し、瞬く間に三人を斃した。
最後の一人は長刀を抜き、斬りかかってきたが、私の空に向けた威嚇発砲で怖じ気づき、刀を捨てた。斬りかかるには距離がありすぎたのだ。
マスケット銃を持った母屋の二人が走ってきた。
一人が「驚いた。こりゃ驚いた。連中に勝ったぞ!」と興奮気味に言った。
もう一人が「こいつはどうするね。殺してしまうか?」と尋ねてきた。しっかりと、捕虜に銃口を向けている。
私が「いや、殺すな。街の様子が知りたい。あとで尋問する」と言うと、捕虜はホッとしたような様子を見せた。
リシュリンが敵兵の生死を確認している。マーリンとヴェルンドは、配置についたまま、油断をしていない。
リシュリンが確認を終えたと合図を送ると、ようやくヴェルンドは立ち上がり、マーリンの手助けに向かった。
フリートとミクリンは、呆然としていた。フリートは戦って死ぬことを、ミクリンは自決を覚悟していた。
三人の女性が馬を集めている。一八頭もいる。
捕虜はその場で両手を後ろ手に縛られ、マスケット銃の男二人に引き立てられて、母屋に連れて行かれた。
この男の恐怖は、ここから始まった。凄まじい憎しみの目で見られ、自分がしてきたこと彼の仲間がしてきたことのすべてが、彼の身体で帳尻を合わそうとするかのような、恐ろしいほどの空気に耐えられなかった。
人は平気で殺せても、自分は殺されたくない。人の痛みは快感であっても、自分の痛みは苦痛である。
私が東方騎馬民の装備を点検し、母屋に戻ると、捕虜が「助けてくれ」と泣いてすがってきた。必死の懇願である。
リシュリンが「お前は、女が『助けて』といったとき助けたか?」と尋ねた。捕虜は黙った。そして泣いた。
「死にたくない」と。
私が捕虜に尋問した。
「街には何人いる。正直に話せば、楽に死なせてやる」
「奴隷商人は二五人。あんたたちが殺したのを含めて、仲間は五〇人いた。
俺たちは奴隷商人に雇われただけなんだ。何も悪いことはしていない。仕事をしただけなんだ。
だから、殺さないで」
「奴隷商人はどこにいる」
「街の庁舎だ」
「全員か?」
「あぁ、ほとんどが庁舎だ。街の見回りは俺たちの仕事なんだ。
正直に言うから、助けて。お願い」
一人の女性が「こんな意気地のない人たちのために、私たちはこんなに苦しんでいるなんて」といって泣いた。
私は近くにいた男に「荷馬車はありますか?」と尋ねた。
別の男が「少し壊れてはいるが、街道に一輌捨てられている」と答える。
私が「持ってきてくれませんか」と依頼すると、二人の男は動揺した。
リシュリンが「私が護衛に付こう」と言うと、一人が「本当かね。あんたが一緒なら心強い」と応えた。
さらに別の男が「私は車鍛冶だったので、一緒に行けば役に立てると思う」と申し出る。
三人の男は、荷馬車を引くための馬一頭を伴って、馬に乗って遺棄された荷馬車まで行くことになった。
リシュリンは馬に乗るつもりはさらさらなかった。ここぞとばかりに、DT125を装甲車のトレーラーから降ろし、エンジンをかけた。
その荷下ろしをミクリンとフリートに手伝わせ、この時点で二人を家来のように扱っている。
ミクリンはリシュリンの強さに憧れ、フリートは色気に惑わされていた。一四歳の男の子では、リシュリンに肩を触れられただけで、射精しかねない。
弟の姿を見て、マーリンは「だらしない!」と怒っている。
街と村の住民にとって、DT125は驚異的な乗り物だった。二輪で倒れないことが不思議だし、軽快に動き回るその姿は希望を告げているようでもある。
馬の用意ができるまで、リシュリンが試運転をし、ミーナが「乗せて」とせがんで、噴水を周回すると、子供たちがその後を追って走った。
馬の用意が調い、リシュリンは三人の男とともに荷馬車の回収に向かう。男たちは、東方騎馬民の銃で武装した。
また、残った大人たちにも銃を支給した。ミクリンとフリートには、躊躇いはあったが、護身用ということで所持を許した。
荷馬車は一時間ほどで回収されてきた。三人の男は興奮気味で、街道を堂々と馬で進んだことを他の大人たちに話している。
自分たちの国でありながら、通りを歩けぬ悔しさを味わってきた彼らが、久々に感じた爽快感だったようだ。
四輪の荷馬車は、全輪とも木製車輪のスポークが何本か外れている。御者台も壊れているが、車輪のシャフトは健在なようだ。
私は捕虜の縄を解き「お前の仲間を馬車に乗せろ」と命じた。
捕虜は一九人の死体を馬車に乗せたが、乗せ終わったときには体力が尽きかけていた。
「水を」と言ったが、与えるものはいない。
私は捕虜に「仲間のところに戻れ。そして伝えろ。アークティカに『予言の娘』が帰ってきた、と」と言った。
捕虜の顔は、驚きで歪んでいた。予言の娘の噂は聞いていたが、実在するとは思っていなかったのだ。
西方で、兵五〇を全滅させたとか、兵一〇〇を率いていた奴隷商人の頭目の息子を殺したとか、いろいろな噂を聞いたが、どれも現実離れしていた。
だが、自分が体験したことから考えると、予言の娘には一〇〇や二〇〇の兵では勝てない気がした。
ミクリンが「なぜ逃がす!」とくってかかってきた。
そんなミクリンを無視するかのように、リシュリンが捕虜に「脱げ」と命じた。
捕虜には、意味がわからなかった。
もう一度、リシュリンが「服を脱げ」と言うと、捕虜は上着を脱いだ。
リシュリンは「全部だ」と穏やかな声で言った。
捕虜は動揺しつつも、服を脱ぎ始める。
靴も脱ぎ、下着だけになった。
リシュリンは「全部脱げ」と言った。
捕虜は泣きながら、全裸になった。
リシュリンが騎馬民から奪った長刀の切っ先で、捕虜の股間の一物を持ち上げた。
捕虜は消え入りそうな声で、泣きながら「助けて」と懇願する。
リシュリンは「今度お前に会ったら、こいつを切り落とす」と脅す。
捕虜は「二度と貴女様の前には現れません。東に帰ります」と言った。
リシュリンが刀を降ろすと、男は荷馬車に飛び乗って街に向かって走って行った。
その行方を三人の男が馬で追走し、確認した。
ルカナの東方騎馬民は、たった一人の生き残りが戻った数分後には街から姿を消していた。その事実を奴隷商人たちは、知らなかった。
「これより、ルカナの街を解放する。この戦いに志願するものは申し出てくれ」
私がそう言うと、母屋の前ではどよめきが起きた。
「ヴェルンドとマーリンは残ってくれ。BARを置いていく」
私の言葉に負傷したヴェルンドが頷いた。
「ミーナとロロもだ」
私の命令にミーナは不満をいわなかった。マーリンは無言だ。
すでに、マーリンとリシュリンは戦いの準備を始めている。
そのとき、ロロが反応した。南門の方向から四人の男が近付いてくる。明らかに、戦闘の訓練を受けたものたちだ。
フリートが「大丈夫。海上警備隊のスコル艇長だ」と言った。
スコルは銃を背負い、反りの大きい刀を下げている。服は汚れ、髪はぼさぼさだ。
スコルは周囲を見渡しながら「派手にやったようだが、後始末が大変だ。早く逃げたほうがいい」と、呆れたように言った。
私は「あぁ、これから後始末のために街に行くつもりだ」
スコルは、さらに呆れたように「連中に詫びてどうする。逃げて命を長らえろ」と諭した。
「忠告はありがたいが、逃げるつもりはない。これから、ルカナの敵を追い払いに行く」
「何を馬鹿な……」
そのとき、マーリンとリシュリンが車庫からトレーラーを外した装甲車を引き出してきた。
すべての幌を外し、大人たちに手伝ってもらい兵員室の食料をすべて降ろしてある。
装甲車の後方を歩いてきた占い師のタクサが「食料が、たっくさ~んあるわ」と嬉しそうに言った。
スコルは装甲車の迫力に気圧されていた。マーリンはルイス軽機を点検し、リシュリンはヴェルンドのためにBARを運び出そうとしている。
スコルは手入れはされていないが美しいタイル張りの花壇に腰掛け、鍔広の帽子を脱いだ。
「そのたっくさ~んある食料を、少しだけ食わせてくれないか。
情けないが、腹が減って、どうにも……」
と言った。平和であれば、二〇歳代中頃の気のいい青年のようだ。
母屋は、本来は賓客をもてなすための館だそうだ。居館は、西側東向きの石造りの二階屋だという。決して大きくない建物で、見かけも質素だが、館内は造作のいい落ち着いた雰囲気であったことが、荒廃したいまでも垣間見える。
賓館の骨格は鉄筋コンクリート製で、外装の煉瓦は装飾だ。頑丈な建物であることから、ここを拠点にすることにした。
賓館から南門までは、幅四メートルの平らな大理石の石畳が一直線に伸びている。
庭園はイングリッシュガーデン風というか、高さ五〇センチほどのタイルで装飾された花壇が、迷路さながらに配されていて、本来ならば見事な美観であったのだろう。いまは草花が枯れ、背の低い雑草が茂っている。
賓館と噴水までは八メートルの距離があり、噴水の回りには、幅六メートルの周回路がある。車寄せといった機能だろうか。
賓館の広い調理場では、少ない鍋釜を動員して、スープが作られている。出汁は鱒系の魚の燻製で、それに少量の干し肉やありったけの野菜を放り込む。
その調理の指揮を執っているのがミーナで、大人たちは未知の食材と料理に悪戦苦闘していた。
ミーナは発酵していたパン種を使って、水団を作るつもりだった。旅の間、何度も食べた水団は、少ない量でも満腹感がある不思議な食べ物だ。
だから、たくさんの人が現れそうないま、すぐに作れてたくさんの人がお腹いっぱいになる水団を作っている。
誰もが大忙しだが、それは誰もが望んでいたことでもあった。
スコルたち四人と、まだ食べ足りない子供たちに水団が配られた。
スコルたちは無言で食べた。一人が泣き出すと、全員が泣いた。大人たちも泣き出し、フェリシアも泣いている。
スコルが言った。
「何でもやってやる。上手いものを腹一杯食べたら、死んでもいいと思っていた。
あんたの甘言に乗ってみるよ」
そういって、私をにらみつけた。
リシュリンが作戦を説明する。
「庁舎の位置はマーリンから聞いている。庁舎正面広場をまっすぐに突っ切って、正面から攻撃する。
全員が装甲車に乗り、迅速に攻撃し、制圧したら速やかに後退する。
現有戦力では、街の維持はできない」
私が「これから出発する。志願してくれる人はいないか」と尋ねると、子供を含めて全員が手を上げた。リリィまで手を上げている。
男の子が「父さんと母さんの敵を討つんだ」と言った。
私は、健康状態の良さそうな男性五名、女性三名の計八名を指名した。そのなかにはスコルとその部下一名が含まれていた。
外されたスコルの部下が不満を言い、ミクリンも連れて行けと騒ぐ。
私はスコルの部下に「おそらく、東方騎馬民が再度やってくる。襲うつもりか、偵察かはわからないが、この館の状況を確認せずに引き上げたりはしないだろう。
戦力を二つに分けるのだから、どちらかが損害を被っては作戦は失敗だ。
我々もマーリンとヴェルンドを残していく。二人が負傷しているのも理由の一つだが、ここを護るのも任務だ」と言った。
スコルの部下二人は、大きく頷いた。
だが、ミクリンは納得しない。最後は泣き出し「総突撃の時は一六になっていないからだめといわれ、今回は子供だからだめといわれては、何のために生き伸びたのかわからない」と言い、フリートも同行を懇願した。
結局、スコルの取りなしもあり、二人には下車しないことを条件に、同行を許した。
片腕しか使えないヴェルンドのために、S&wのリボルバーとガバメント一挺が残された。ガバメントはスライドを引かないと撃てないので、薬室に装填した状態で渡した。
マーリンは走ることはできないが、ゆっくり歩くことはできる。彼女には、通常装備のほかBARと擲弾筒が渡された。また、M1ガーランド二挺を残す。
賓館に残った大人たちは、衰弱が酷いフェリシアを除いて、穀物倉庫に残されていた穀物袋に砂を詰め、土嚢作りに励む。
マーリンはフェリシアに案内されて、庭園の片隅にある父と母の墓標のない埋葬地で、帰還の報告をした。
すでに一四時を過ぎていた。私とリシュリン、そして街人村人一〇人が装甲車に乗る。
運転はリシュリン、助手席にはミクリンが座る。
リシュリンが装甲車を時速四〇~五〇キロで疾駆させる。そのスピードと迫力にミクリンは驚嘆している。
装甲車は街のある北に向かった。
村から街までには、壊れた荷馬車や古樽がバリケード代わりに配置された場所が四カ所あった。スコルによれば、防衛側が配置したものだそうだ。装甲車は、荷馬車を踏みつぶし、古樽をはじき飛ばして前進する。
街の入口まで、一〇分とかからなかった。そして、庁舎前広場までは、さらに五分を要した。
装甲車の走行音を聞きつけて、庁舎前には五人の奴隷商人が見物に出ていた。どう見ても彼らに緊張感はない。
装甲車が停止すると、ミクリンは指示されていたとおり、助手席前方右側のレバーを引いた。すると、フロントウインドウに鉄板が覆い被さってきた。
同時に、私がルイス軽機を発射する。物見で出て来ていた五人が瞬く間に斃され、庁舎内に機関銃弾が吸い込まれていく。
スコルは驚嘆して、動けずにいる。だが、彼の部下が、庁舎二階の窓に向けて射撃を始めると、スコルは後部ドアから車外に出て、装甲車を盾にして、庁舎内の人影に向けて射撃を開始する。それに、街人村人数人が追い従っていく。
リシュリンがM1903A1ボルトアクション小銃に小銃擲弾を取り付けている。
ほぼ水平発射で立て続けにM17HE弾二発を撃ち込む。手榴弾と同程度の威力だが、五〇メートル離れた距離から撃ち込まれて、奴隷商人にとっては軽野砲で直射されたような感覚であったろう。
この時点で、奴隷商人側に戦意は消えていた。
二人が手を上げて飛び出してきたが、攻撃と誤認した街人村人に撃たれた。もっとも、誤認していなくても撃たれただろう。
結局、怯えきった四人が捕虜になり、二一の死体が残った。
奴隷商人たちの顔には、動揺の色が濃く出ている。そして、どんな殺され方をするのかを考え真に怯えていた。
例によって、リシュリンが四人を全裸にし、数分間いたぶったあと、捕虜一人に彼らの木製の蒸気車用四輪軽荷車を用意させ、それに仲間の死体を積み込ませる。
そして、捕虜四人にその荷車を引かせて、装甲車で追い立てながらルドゥ川に架かる石のアーチ橋を渡らせた。四人は生き残るために必死だった。そして、アークティカ人の気が、いつ変わるかわからず恐ろしかった。
長さ一〇〇メートルの石橋を、全裸の四人の大男が必死に荷車を引いて渡っていく。
その先には、ルドゥ川北岸の少人数の奴隷商人が守る陣地がある。
その陣地の奴隷商人が見ている。そして、その様子をリシュリンが見ていた。
装甲車の運転席に座るリシュリンはその場で立ち上がり、呆然と眺めているルドゥ川北岸陣地の奴隷商人の一人をM1903A1で狙撃した。彼我の距離は二五〇メートルはある。リシュリンの狙撃の腕を、スコルが感心したように見ていた。
すると、荷馬車の速度が心なしか速くなった。
リシュリンは、装甲車をマーリンの屋敷に向けて走らせた。
庁舎の制圧は一〇分とかからなかったが、死体の始末に時間を要してしまった。ただ、リシュリンが捕虜をいたぶらなければ、四人は街人村人に殺されていた。
一時間以上前に村の方角から響いていた、激しい銃声は収まっていた。
すでに一六時三〇分を過ぎている。
装甲車が館を出て三〇分後、街から銃声が聞こえてくると同時に、東方騎馬民が館の敷地に侵入してきた。
それより少し前、ロロが探知しミーナに伝え、ミーナがマーリンに伝えていた。
東方騎馬民は馬を降り、花壇を遮蔽物にしながら徒歩で賓館に接近してくる。花壇は賓館から二五メートル離れた位置で途切れている。そして、賓館の周囲にも花壇が配されている。この二五メートルの間に遮蔽物となるものは、噴水しかない。
東方騎馬民は油断はしていなかったが、戻ってきた生き残りの報告を真に受けてもいなかった。東方騎馬民の指揮官は、賓館の北側からも兵一〇を侵入させていた。
賓館南側正面に二二、賓館北側裏手に一〇の配置だ。
マーリンは、賓館正面玄関直上二階ベランダに積まれた土嚢にM1918BARを据えている。
BARの横には、M1ガーランド半自動小銃二挺が弾を込められて置かれている。擲弾筒も彼女の担当になっていた。
ヴェルンドは、玄関西側の窓辺に潜んでいる。手にはM1911ガバメント自動拳銃が握られている。
スコルの部下二人は、玄関東側の窓辺に陣取っている。
賓館の玄関正面には、幅の広い半階上がる階段があり、その階段は半階で左右に分かれて二階につながっている。
その半階の踊り場に土嚢を積み、四人が陣取っていた。
玄関正面にも土嚢を積み、四人が銃を構えている。
賓館北面一階と二階にも人を配している。
子供たちは、三階西側の壁際にうずくまっていた。
東方騎馬民は、賓館背面に当たる北側から一〇人が忍び寄り、正面からは一五人が接近してくる。
北側の兵は、様子を見るように五〇メートル離れて歩みを止めた。
南側正面の兵は、花壇が途切れる位置まで接近している。
指揮官は、数人の兵とともに一五〇メートル以上離れて、立ち上がったまま兵の動きを観察している。
マーリンはBARから手を離し、M1ガーランドを握った。指揮官らしい男は、朱色の派手な革製の胸甲を付けており、赤いマントを羽織っている。「俺が一番偉いんだぞ」とでも喧伝するように、高圧的な指図を手下に与えている。
マーリンは、M1ガーランドで指揮官を狙った。ヴェルンドなら一発で仕留めるだろうが、彼女にその自信はない。
マーリンの隣に中年の女性が、「手伝うことない」とやって来た。
マーリンは「あの派手な格好をしている男を踊らせるから見ていて」というと、息を整えてトリガーを引いた。
男は踊らなかった。後方に吹き飛び、倒れ、動かなかった。
一瞬、戦場が静寂に包まれた。マーリンが撃った銃弾は、風の穏やかな乾燥した大気を引き裂いて一五〇メートル飛翔し、目標に命中した。
後衛の敵は一斉に身を隠し、前衛の敵は一斉に発砲を始めた。
双方が初弾を撃つと、敵の最前衛は次弾装填の隙を突き、反りの大きい長刀を抜いて突撃してきた。
スコルの部下二名を除けば、賓館にいるのはただの街人村人だ。近接戦闘に慣れた東方騎馬民の敵ではない。
マーリンは、最前衛以降の敵の行動をBARの連射で阻止し、突撃してきた敵兵四をヴェルンドが斃した。
その間に、戦闘の素人たちは次弾を装填し、浮き足だった敵兵に向かって発砲を続ける。
ヴェルンドは、ガバメントの弾倉を空にしていた。身体を上手くコントロールできず、狙って撃ったというよりも、撃ちまくって敵の足を止めたといったほうが正しい。
北側の敵が接近し、こちらでも銃撃戦が始まっていたが、街人村人だけでは阻止できない状況だ。
スコルの部下一名が二階に上がっていく。
すると、一階に残ったスコルの部下がヴェルンドに近付いてきた。
「三挺も短銃を持っていたら重くないかい。一挺預かってもいいぞ」
ヴェルンドは、自分の状態と現状を考えると、危険なものを感じていた。
ヴェルンドはしゃがみ込んで、ガバメントを両足の太ももで挟み、弾倉を取り替えていた。
スコルの部下の声は、頭の上から降ってきた。
ヴェルンドは立ち上がり、ホルスターから彼が自分で作ったリボルバーを抜いた。
「引き金を引けば、六発まで弾が出る」と言って、スコルの部下に手渡す。
スコルの部下はリボルバーを受け取ると、自分の配置に戻る。
フェリシアは子供たちと一緒にいた。しかし、そのことは彼女の本意ではない。
身をかがめて二階に降りると、床を這って妹のいるベランダまで行った。そして、M1ガーランドをつかむと、敵に銃口を向けた。
安全装置がかかっていて、発射しない。その様子を見て、マーリンは安全装置を外してあげた。
それを二階に上がってきたスコルの部下が見ていた。
彼はM1ガーランドをつかむと、「借りるぞ!」と怒鳴って、ベランダを出て行く。
マーリンはBARが弾切れになると、立て続けに手榴弾を四発投げた。
この攻撃によって、賓館正面前衛の敵は壊滅した。
フェリシアは連射せず、確実に狙って撃ち続けている。
一階と二階をつなぐ階段の踊り場にいた四人は、一階の窓に移動して射撃している。
北側裏手は、M1ガーランド一挺が加勢しただけで、形勢は完全に逆転していた。すでに敵は三人を残すだけで、その三人も何挺もの銃に狙われ、身動きできない状態だ。
この期に及んで、東方騎馬民は劣勢を悟り、退却を始めた。
マーリンは、敵の火力が衰えた瞬間を見逃さなかった。擲弾筒の砲口から擲弾を装填し、激発させて発射した。
手榴弾の三倍もの威力を持つ榴弾は、敵後衛の後方で爆発した。
さらにもう一発が着弾し、生き残りの東方騎馬民はパニックに陥った。
一階にいたスコルの部下は、ヴェルンドの拳銃を発射して、残兵を掃討しながら敵に突進していく。
マーリンは、二階にいた街人村人とともに彼の援護をした。
最後は、東方騎馬民の一人と弾切れとなったスコルの部下との剣による一騎打ちの様相となったが、残敵は館を飛び出してきた街人村人の銃弾を浴びて、一合も交わさず絶命した。
北側裏手の残兵三人は、狙撃によって一人ずつ確実に斃された。
戦いは二〇分ほどで終わったが、マーリンには数時間に感じた。街人村人も同じなのだろうか、放心しているものもいる。
だが、アークティカ人は侵略者に対して勝利した。
装甲車が戻ってきたとき、街人村人は敵の死体を片付け始めていた。装甲車は、蒸気牽引車一輌と蒸気乗用車一輌を鹵獲していた。
その蒸気牽引車の最初の仕事が、敵兵死体の運び出しになった。
だが、今日の出来事のクライマックスは、日没が迫るこれからだった。
館に、ぞくぞくとアークティカ人が集まり始めたのは、日没直前であった。
マーリンとごく少数の街人村人が始めた戦いは、多くのアークティカ人が固唾を飲んで見ていた。
大多数のアークティカ人は、マーリンと街人村人の悲惨な最期を確信していた。
ただ、ルカナとコルカの周辺から離れない街人村人は、心だけは東方騎馬民と奴隷商人に屈服していない。だから、加勢したい気持ちはあった。
だが、その行為が無謀だと信じていた。論理的に考えれば、外部からの援軍なしでの蜂起は、無謀であることは事実だ。
また、一時的に小さな勝利を得たとしても、攻勢を継続することは不可能なはずだ。
しかし、どうであれ、マーリンとごく少数の街人村人は、ルカナとコルカから東方騎馬民と奴隷商人を駆逐した。
森から出てきた人々は、マーリンとともに戦った街人村人を称えたかった。ただ、それだけで、森から出てきたのだが……。
一九時を過ぎても人々の来訪は減らない。私とリシュリン、スコルの部隊、フリートとミクリンが警備に立ち、何とかしているのだが、館には二〇〇人以上が詰めかけている。
かがり火がたかれ、人々には水団が振る舞われた。少ない数の楽器が鳴り、演奏に合わせて歌も聞こえる。
裏門に当たる北門を警備していると、ミーナがロロと一緒にパンを持ってきてくれた。
「おじちゃん。たくさんの人がいるよぉ。明日からどうするのぉ。
食べ物、すぐなくなっちゃうよぉ」
ミーナの言うとおりだ。食料だけではない。住む場所も必要だ。街の放棄は、できなくなった。
戦術レベルではなく、戦略を変更しなければならない。
ルカナの街とコルカ村の境界は、行政区としてははっきりしているのだが、地理的には明確でない。街と村の住民は、日常的に境界を意識して生活することはない。
街と村には領主がおらず、行政府が行政を行い、議会が法を定め、一審制の裁判所があり、裁判所の決定に不服がある場合は再審委員会に異議を申し立てることができた。
街と村には別々に自治警察があり、警察が実質的な国防組織でもあった。
なお、アークティカに国軍はあったが、規模の小さな組織だった。
また、赤い海以西のような環濠都市や城塞都市ではなく、防衛に適さない家々が集まった単なる街の形態をとっていた。
アークティカは、文化的、政治的、社会的、軍事的に、赤い海南岸諸都市と密接な関係があることは明白であった。
二〇時を過ぎた頃、北門で歩哨に立つ私のところへスコルがやって来た。
スコルが「どう思う」と前振りもなく問うた。
「何が?」
「この状況だよ。あんたが始めたことだ」
「俺は、マーリンと一緒にこの土地に来ただけだ」
「それはそうだが、こうなることはわかっていたんだろ」
「初日に一〇〇人も現れるとは思わなかったよ」
「もう二〇〇人は超えたよ。コルカ村の戸籍係が生き残っていて、住民リストを作っている」
「住民リスト?」
「あぁ、もう誰も森に戻ろうとは思っていない。俺もだ。
あんたたちの指揮官はマーリンという娘じゃぁない。あんただ。あんたが指揮して、敵中を突破してきたんだろ。
ミーナって子がいっていたよ。問題は食糧だって。あんな幼い子でも状況を分析し、問題の本質が見抜ける。あんたたちは凄い。
どう考えても、あんたがアークティカの運命を握っている」
「頼んでいいか?」
「何でも言ってくれ」
「正規兵、警官、民兵、私兵、用心棒、もとの職業は何でもいいが、戦闘訓練を受けた人を集めてくれ」
「あぁ、俺の部下がもうやっているよ」
「そうか。
それなら話が早い。国軍の総司令官にお前が就け」
「待ってくれ。俺はただの准士官だ。下っ端の兵隊だ。しかも陸の戦は不慣れだ」
「逃げ出した士官より、踏みとどまった兵のほうが信用できる。
お前が総司令官だ」
「わ、ゎっ、かったよ」
「それから、マハカム川の鉄橋の北側とルドゥ川の石橋の南側に土嚢を積んで防御拠点を作ってくれ。
今夜中に」
「了解した」
スコルは離れていった。そして、軍事組織に籍を置いたことがあるもの四〇人余りと屈強な男四〇人で、南北の橋を朝までに確保した。
スコルが立ち去った数分後、コルカ村の戸籍係がやって来た。三〇歳少し前の男だ。
「シュン様ですね。住民のリストを作っていたのですが、ルカナとコルカの住民は半数もいません。
ほとんどはほかの街村の住民です。朝までに三〇〇人を超えるかもしれません。
食料を何とかしないと……」
「貴方以外に行政の経験のある方はいますか?」
「はい、ほかの街や村の出納係とか普請係とかに助けてもらっています」
「では、その人たちで臨時の行政府を組織してください。臨時の行政府の長も決めなさい」
「え!」
「住民が三〇〇人もいるんです。行政が必要でしょ。その任を貴方たちが担ってください。
それと、食料の調達は、どうするか今夜中に考えましょう」
二四時の少し前、歩哨の交代があり、私は北門に一番近い裏口から賓館に戻った。園庭の宴は終わっていたが、大人たちは大きな不安の中で話し込んでいた。
賓館の裏口はキッチンにつながっている。キッチンにはたくさんの男女がいた。
私の姿を見て、全員が押し黙った。そして、全員の視線が私に注がれ、それは私がキッチンを出る数秒間続いた。
二階東側の部屋に行き、背もたれが壊れているダイニングチェアのような形の椅子に座った。
食糧問題は、喫緊の課題だ。中年の女性が、白湯を運んでくれた。礼を言い、マーリンとリシュリンを探してくれないかと頼んだ。すると、二人は三階で子供たちを寝かしつけていると言った。
私は、その女性にマーリンとリシュリン、そしてフリートとミクリンを呼んで欲しいと頼んだ。
四人は数分でやって来た。
部屋に入るなり、ミクリンが何かをいっているが、私はほとんど聞いていなかった。
「マーリンとリシュリンは、すでにわかっていると思うが、食糧の問題がある」
フリートとミクリンはポカンとしている。
「五〇〇人が一カ月間必要な食料は、どれほどの量だ」
四人とも答えられない。
「私も知らない。仮に一人一日一ディナの穀物・豆・肉が必要だとすれば、五〇〇人で一日五〇〇ディナだ。標準的な荷車に換算すれば一輌で、四日分の食料ということになる。
もっと必要かもしれないし、もっと少なくてもいいかもしれない」
一ディナは一キロにほぼ等しい重さの単位だ。
四人は無言だ。マーリンとリシュリンはことの重大性に気付いており、フリートとミクリンは何も理解していない。私は続けた。
「大型蒸気牽引車なら、標準的な貨車三輌を牽引できる。
つまり、一二日分の食料を運べる。
だから、蒸気牽引車は最低二編成必要で、できれば三編成欲しい。
しかも、往復二~三日で戻ってこれる場所で、一万八〇〇〇ディナの食料を仕入れられる街はどこにあるのか、だ」
私は、フリートとミクリンに一八トンもの食料を短時日で確保する手段を尋ねた。
二人は無言だ。
フリートに尋ねた。
「君は父親のような男になりたいか?」
フリートは言葉を絞り出すように「そのようになりたいと思ってます」と答えた。
私は「ならば、この答えを探せ」と命じた。
ミクリンに「明日の朝までに、フリートが答えを出す。その街に何人かで先発しろ。その人選を任せる」と言った。
二人は震えていた。いや、責任の重大性をようやく理解し、怖じ気づいたのだ。
二人が震えている真っ最中にヴェルンドがやって来た。
私が「いいところに来てくれた」と言うと、二人の様子を見て「いや、悪いところだったみたいで……」といって苦笑した。
「頼みがある」
「わかってます。銃でしょ。何を、いつまでに、どれだけ?」
「三八式騎銃を三カ月以内に一〇〇挺作ってくれ」
「あの銃は反動が少ないから、女性や小柄な人でも扱いやすいですからね。職人や技師の人選は始めています」
フリートとミクリンは、ヴェルンドの行動を聞き、自分たちの未熟さを痛感していた。
私はリシュリンを見た。
「リシュリン、早期にマハカム川とルドゥ川結ぶ海岸線を確保したい。作戦を立案してくれ」
リシュリンはニヤリとして、無言で退室した。
私たちは、アークティカの地で生きてゆかなくてはならない。
この夜、そのための新たな戦いが始まった。
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