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第2章 帰還

第9話 パーカッション・リボルバー

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 エリスの街を離れると、すぐに警戒態勢をとる。
 この頃からヴェルンドは、M1903A4狙撃銃を使うようになり、マーリンはM1カービンを、リシュリンはM2カービンを相変わらず手にしている。
 装甲車の運転は苦ではないが、マーリンとリシュリンに頼むことが多くなった。ヴェルンドは苦手なようで、運転をしたがらない。
 通常、機関銃や擲弾筒は使わず、これらの小銃が旅の友になる。

 マラン街道沿いには、ところどころ店がある。
 私が住んだ二一世紀の日本ならば、道の駅や高速道路のサービスエリアのようなものだろうか?
 昭和の表現ならドライブインか?
 道の駅より、雰囲気としてはドライブインのほうが近い。
 蒸気車が止められ、休憩や食事ができ、簡単な整備や燃料補給にも応じてくれる。土産物も売っている。
 エリスの街までは、女性でも野原や木立の陰で用を足さなくてはならなかった。
 しかし、エリスからコルスクまでは、そのようなことはない。旅中でも都市と同等の文化的な生活ができる。

 私は幼少期を含めて、家族旅行というものをしたことがない。
 ドライブインで、ミーナの手を引いて歩いていると、自分もこうされたかった、という思いになる。
 生き残るための旅をしているのに、なぜか家族旅行への憧れが心を締め付けた。
 ミーナが欲しそうにすると、何でも買ってしまう。リシュリンには叱られたが、どうにも制御できない心の衝動があるのだ。
 店先の露天で、植物を編んだ涼しげな赤いリボンの付いたつば広の帽子が売られている。
 ほぼ、麦わら帽子だ。
 裕福そうな家族が品を選んでいて、従者ではなく父親らしき人物が直接代金を払う。
 母親が、その帽子を娘に被せる。
 ミーナはその様子をじっと見ていた。
 その家族が立ち去った後、ミーナの手を引いて帽子を見に行く。
 ミーナがあれこれ選んでいると、リシュリンがやってきた。
 リシュリンが値段を見てその高さに目を丸くしている間に、ミーナに選ばせて代金を支払う。
 ミーナがうれしそうに帽子をリシュリンに見せると、リシュリンは微笑みながらミーナに被せた。
 ミーナの手を引いて装甲車に戻ると、マーリンがミーナに「その帽子見せて」というと、ミーナが「いや!」と言って、帽子を両手で押さえる。
 そのかわいらしい仕草に全員が笑った。

 ノタスクの街の手前で日没となり、この日は城外の宿に泊まることにする。
 翌朝、早立ちしてゴルスの街を通過し、夜半にはコルスクに着く予定だ。

 ゴルスの街を通過し、しばらくすると真っ黒な雲が空を覆い始める。
 街道には待避線のような少し道幅が広い場所が所々あり、蒸気車の多くが雨支度を始めている。
 我々も装甲車を止め、運転席と車体左右に幌を張る。後部だけは開放していたが、車内が一気に蒸し暑くなる。
 トレーラーの前部窓を閉め、後部ドアの上部装甲板を引き上げて、雨が入り込まないようにした。
 この地方は、真夏でも摂氏二五度を超えることは珍しいようだ。
 だが、今日はおそらく三〇度近くある。湿度は九〇パーセントを超えているかもしれない。日本の梅雨時の一番不快な日に近い。
 ミーナが元気をなくしている。コルスクへの到着は、無理かもしれない。

 一三時頃、雨が降り始める。まったく風がなく、雨が上から下に落ちてくる。私が運転することにした。
 しばらくすると、すさまじい豪雨になった。台風、爆弾低気圧、ゲリラ豪雨、そういう気象現象を知っていても、震え上がるほどの雨だ。
 ミーナを始め、私を除く全員が怯えている。
 いつしか、我々の周囲に蒸気車はいなかった。装甲車のワイパーは意味をなしていない。これ以上の走行は危険だ。
 ただ、この場所からは抜けたい。現在地は二つの川が合流する手前の逆三角形の頂点に近い。北側の川を渡って数キロ進んでおり、標高が低く、洪水になれば冠水する可能性がある。
 だが、このままの前進はあまりにも危険で、数キロ先の南側の川に架かる橋を渡ることはできそうにない。
 西に向かう側道の先に建物が見えた。かなりの急勾配で、標高も稼げそうだ。
 マーリンが何かを言ったが、雨音にかき消され聞こえない。
 助手席のロロが怯えた様子で、私を見ている。マーリンが中央の席に座った。
 数分走ると、側道の進行方向左側、南側に並ぶ数件の民家を通過する。明らかに廃屋だ。
 さらに登っていくと、大型の建物の前でランプを大きく回す人物に気付く。
 その大きな建物は、側道の南側の奥まった位置にあり、他の建物からは離れている。
 建物に近付くと、壊れた扉から貨車一台分がはみ出した蒸気牽引車が見えた。
 誘導されるまま、その建物の中に装甲車を入れる。

 建物の中は意外と静かだった。木造で、屋根が所々壊れていて、雨漏りしているが、左右の壁面はしっかりしていて、雨水が流れ込んでいない。
 床は土間だが乾いている。建物は前後ともに建物のほぼ横幅いっぱいの両開きの扉があり、前方は壊れてなくなっており、後方の扉は人が一人通れるほどの隙間が空いている。
 私とマーリンが降りて様子を見るが、危険な感じはない。ロロも反応していない。
 合図をすると、全員が車外に出てくる。
 ミーナはまだ怯えている。

 装甲車は建物の一番西側に止めた。装甲車の斜め前方左隣には、瀟洒な牽引型コーチが止まっている。従者らしいずぶ濡れの男が二人、蒸気牽引車の運転手らしい中年の男が一人、そして侍女らしい女性が一人いた。コーチの中にも人がいるようだ。
 その左やや後方に、蒸気牽引車に牽かれた四輪の大型ワゴンが止まっている。車体が黄色に塗られている。若い女性が二人とずぶ濡れの中年の女性が車外に出ていた。
 その左側、一番東側に貨車を三台連結した蒸気牽引車が止まる。貨車は満載のようだ。
 その蒸気牽引車の若い運転手が誘導してくれた。
 私が近付き礼を言うと、「無事で何よりです」と屈託のない笑顔を見せる。蒸気牽引車はクローズドキャビンで、運転手の衣服は濡れていない。
 中年の運転手が蒸気牽引車を点検している。
他に長剣を佩いた護衛らしい男が四人おり、彼らはずぶ濡れだ。

 ただの雨宿りで、雨がやめば、それぞれの目的地にむかっ分かれていく。この建物に集まった四台のクルマの乗員・乗客は、単にそれだけの関係だった。

 雨は一五時を過ぎてもやまず。その時刻には一時さらに雨脚が強くなった。
 雨宿りを始めてから、すでに二時間を経過している。日没が近く、今夜はここでの夜明かしが現実となると、準備のいい連中から夕食の支度を始める。といっても、湯を沸かし、保存食を食べるだけなのだが……。

 一六時を過ぎた頃、ミーナがトイレに行きたがった。相当に我慢をしていたようだ。
 リシュリンが付き添って、後方の扉から外に出た。後方の扉の軒が長く、雨が吹き付けない限り濡れないという。
 このとき、マーリンとリシュリンは、互いに見張りを交代しながら用を済ませた。
 その直後、瀟洒なワゴンから場に合わない豪華なドレスの女性と、四歳くらいの女の子が出てきた。
 中年とおぼしき侍女が傅いているが、目的は用足しで、我慢しきれなくなったのだろう。
 その後、連続して、黄色の大型ワゴンの女性たちも後方扉を出て行く。
 必然的に男たちは前方扉の外になったが、後方扉よりも軒が狭く、いくらか濡れることは覚悟しなければならない。
 それぞれ何かを話すこともなく、ただ雨がやむことを待っていた。

 一七時を過ぎた頃、貨車を三重連結した蒸気牽引車の護衛の一人が、前方扉の西側端に立った。小用に出ようとしたのか、雨の様子を見ようとしたのか、それはわからない。
 ミーナとリシュリンは野外用のベンチに座り小さな声で歌を歌っている。
 マーリンはロロと車内にいる。
 ヴェルンドはトレーラーの牽引部に座り、私はボンネットにもたれて雨の様子を遠巻きに見ていた。
 黄色いワゴンのお姉さんが窓から手を振るので、それに応えたら、かわいい声で歌っているリシュリンににらみつけられた。声音を変えずに、怖い顔をする。
 彼女たちは、二一世紀の日本で言う風俗嬢だ。だからといって、ここで営業するわけではあるまい。手を振ったくらいで、文句を言うな!
 そんなことを考えていたとき、前方入り口に立った護衛の男が、前屈みになる。雨音で何も聞こえないが、その様子に不吉なものを感じた。
 とっさにリシュリンにミーナを車内に入れるように命じ、マーリンに刀を渡せと言った。
 一〇人ほどの男がなだれ込んでくる瞬間、私は刀を差し終え、ヴェルンドは例の棒を持ち、リシュリンはマーリンから剣を受け取って早くも鞘を払っていた。
 マーリンは、まだ車外に出ていない。

 建物の中の全員が異変を感じるまで、相当な時間を要した。
 最初の一戦で、もう一人の護衛と三重連結貨車の若い運転手が刺された。侍女が殴られて転倒する。
 リシュリンは、剣を抜くとそのまま横に薙ぎ、一人の胴を払い、返す剣で上段からもう一人の左肩口から右脇腹にかけて切り裂く。
 リシュリンが立て続けに二人を倒し、私とヴェルンドが加勢すると、不利と見たのか賊はいったん引いた。
 そのとき、リシュリンが小声で「違う。こんなに緩慢な動きではなかった」と言う。そして数秒間、自分の剣を眺めていた。
 その間に後方扉から四人が侵入したが、遅れて車外に出たマーリンとワゴンのお姉さん二人の猛烈な反撃を受けて、退却していた。

 我々は野盗に狙われている。リシュリンが倒した二人は、素肌に胸甲を付け、サンダル履きだ。明らかに正規の兵ではない。
 このとき、建物の中の全員が初めて会話をした。野盗に狙われていること、豪雨で逃げることができないこと。そして、連中が狙う獲物が何なのかが問題だ。
 ワゴンの女将が口火を切る。
「狙いは貨車の荷、それとうちの子たち、そしてお宅のお嬢さん二人、あとはコーチのご婦人か」
 コーチの貴婦人は、車外に出てこない。侍女の負傷にも関心を示さず、その侍女はワゴンの子が介抱している。
 このとき、従者二人がいないことに気付いた。
 私が「従者殿二人はどうした?」と誰ともなしに尋ねると、三重連結貨車の護衛隊長が「逃げたか」と言った。
 リシュリンがコーチのドアを開け、貴婦人を引きずり出した。
「こいつを餌に、連中をおびき寄せよう。そうすれば、一人二人は倒せる」
「無礼者!」
 貴婦人が叫ぶと、リシュリンは平手打ちで返した。貴婦人は怯えきっていた。
 コーチから女の子が降りてきた。
 不安そうな声で「母上さまぁ……」というと、リシュリンは「そなたの母は、これからそなたの命を守るために戦わなくてはならぬ。そなたは、あの蒸気車に移りなさい。同じほどの子がいる。ふたりでおとなしくしているように」
 凜としたリシュリンの言葉に、女の子はうなずくと装甲車に走って行く。
 マーリンが運転席側のドアを開け、乗せてやると、ミーナが手を引いて兵員室に連れて行った。
 コーチの運転手が「奥方様に代わり、私が戦います」
  リシュリンの答えは明白で「運転手殿はご自身のために戦いなさい。奥方様はお子のために戦う」
 ワゴンの女将が仲裁に入った。
「あんた強いね。瞬く間に二人も倒した」
 護衛隊長がリシュリンに問う。
「どうしたら……」
 リシュリンが答える。
「雨がやむまでは、ここから出られない。我らは守りを固める」
 女将が応じる。
「いい考えだ。この雨では銃は使えない。この豪雨では矢もたたき落とされる。武器は剣しかない。
 野盗は前後の入口と屋根からしか入れない」
 そういって、天井を指さした。
 その頃には、貴婦人を除く負傷していない全員が手に何かしらの武器を持っていた。
 三重連結貨車の運転手がスコップを持ち、コーチの運転手はバールのようなものを持っている。
 驚いたのはワゴンの女の子で、化粧を落とし、シャツとズボンの軽装となり、全員が剣を佩き、二人は短弓を持っていた。
 男たちが何かを言いたげなのを察して、女将は「こういう商売をしているといろいろとあってね。この子たちが食い物にされないよう、いざという時のために剣と弓の腕は磨かせているんだよ」
 リシュリンが全員の配置を決める。ワゴンとコーチの上に弓の女の子を一人ずつ、後方の扉にマーリンとワゴンの女の子二人、他は前方の扉を守ることにする。

 殴られて昏倒していた侍女が意識を戻したのは、二〇時を回っていた。女将が一応の状況を説明する。
 侍女が起き上がると、貴婦人はリシュリンを指さし「この戯れものを斬れ」と喚いた。
 侍女は、「私は奥方様に使えるものではございません。お館様の命を受け、姫様のおそばに使えるものでございます。
 お館様より、姫様をお守りするよう命ぜられております。
 もし、奥方様が姫様のお命を危険にさらすことがあれば、奥方様を斬りまする」
 そうして、リシュリンのほうを向き「何をすればよい」と尋ねる。
「戦えるならば、我らとともに表を守って欲しい」
 侍女はコーチから革製のトランクを持ち出すとクルマの陰に隠れ、着替えをした。宮廷騎士の格好に似ているが、反りの大きい刀を佩用している。

 私は仲間を呼び集め「銃は使うな。この狭い建物の中では流れ弾が怖い。ただし、拳銃は身につけるように」と指示した。
 ヴェルンドがマーリンにM1905銃剣の所在を尋ねる。それを側聞したので、ヴェルンドに刀身長四〇センチの銃剣を渡すと、例の棒の先端に装着する。
 マーリンは左脇にコルト・ポケットを、リシュリンは腰の背側にブローニングを、ヴェルンドは右腰にリボルバーを下げている。私は、左脇にS&Wを吊している。
 ロロは、この雨で耳と鼻がきかない。ミーナに寄り添っている。

 この日は、夜になっても気温が下がらず、蒸し暑い。軽装でも汗がにじみ出てくる。
 各自それぞれの持ち場で、体力を温存する姿勢で次の動きを待った。

 二人の負傷者のうち、護衛が死んだ。これで、三人が犠牲になった。
 三重連結貨車の若い運転手は意識があり、自分の貨車の運転席付近に座っている。

 最初の襲撃から三〇分が経過した頃、野盗が姿を現し、遠方から弓を射かけてきた。矢は雨に打ち落とされ届かない。
 外壁をよじ登るような音や、礫を当てる音があり、落ち着かない。
 護衛隊長が「連中は我々の心をすり減らして、疲れさせる気だ」と言うと、コーチの運転手が「恐ろしくって、気が休まりません」と応える。
 貴婦人は汗まみれで、化粧が崩れ、化け物みたいな顔で呆然と立ち尽くしている。
 リシュリンが「野盗の術中にはまりかけています。雨脚は弱まらないし……」と私に問うてきた。
 私は「こっちを休ませないなら、連中にも働いてもらおう」と言い、ヴェルンドを呼んだ。
 私、リシュリン、ヴェルンドに、女将と侍女、護衛隊長が加わる。化粧を落とした女将は、以外と若くて美人だ。
「こちらから仕掛ける。俺とヴェルンドが飛び出し、連中をおびき寄せるから、矢を射かけてくれ」と作戦を説明する。
 実際の作戦は、野盗をおびき寄せ、拳銃で反撃する計画だ。ヴェルンドとはしっかりと打ち合わせをする。
 女将は納得したが、侍女は不審な顔をした。
 そして「自分も行く。侍女の身分だが、濡れた服を着替えることはできる」と言い出した。
 女将は弓を持つ二人を入口の近くに配した。
 侍女はコーチに戻り、しばらくすると戻ってきた。
 私は靴の紐を締め直し、ヴェルンドは靴を濡らしたくないと言って、サンダルに履き替える。私とヴェルンドは、侍女を戦力として当てにしてはいなかった。だが、周囲を見張るには役立つ。

 豪雨で視界が悪い。五メートル先もよく見えない。我々が飛び出しても、連中が気付かない可能性さえある。だが、周囲は暗いが、太陽はまだ没していない。
 そのとき、雨の中で人が動く影を見た。
 私はヴェルンドと侍女に「あの樽まで進む」と言う。その樽は入口から一〇メートルほど先にあり、微妙に雨脚が弱まると視認できる。
 ヴェルンドと侍女がうなずく。
 豪雨で雨具は用をなさない。私は半袖シャツとズボンの軽装で雨中に飛び出した。すると、意外なほど簡単に野盗は気付いてくれた。
 樽まで進むと、前方から一〇人ほどが駆け寄ってくる。想定外の大人数だ。
 私とヴェルンドは樽を盾にして、右膝をつき、身体を低くした姿勢で、拳銃を両手で構える。
 すると、侍女も大型のリボルバーを構えた。私とヴェルンドは、心底驚いた。
 野盗はすでに抜刀している。最前列に三人の陰、その後方に四人、さらに後方にも数人いるようだ。雨が強まり、滝に打たれているようだ。
 野盗の何人かが泥に足を取られて転ぶ。雨と泥は、野盗の足を遅らせている。間合いは十分すぎるほどある。
 ヴェルンドとは射撃のタイミングと目標について、細かく打ち合わせしていた。左右外側の目標から射撃していき、最後に中央を撃つ。射撃開始は、確実に視認できる距離一〇メートルまで引きつける。
 射撃は五発まで。一発を残して、後退する。
 だが、侍女とはそんな打ち合わせはしていない。

 ただまっすぐに走ってきた野盗は、標的としてはあまりにも単純だった。しかも雨と泥で緩慢な動きだ。
 私とヴェルンドが、ほぼ同時に発砲する。
 すると、侍女も発砲した。こちらの動きに合わせている。たいした度胸だ。
 前列の三人が倒れ、それに躓き二列目の二人が倒れた。どうも雨音で銃声が聞こえなかったらしい。
 三列目の二人は人形の影しか見えない射距離六メートル。同時に二人が倒れる。私は撃っていない。一人は侍女が倒したのだ。
 最前列の三人に躓いた二列目の二人が這いながら逃げようとする。私とヴェルンドは立ち上がり、視界を広げて、二人を撃った。ヴェルンドが一人の肩を撃ち、侍女がもう一人を倒す。
 これも計画のうちで、意図的に一人を逃がした。こちらを恐れて諦めてくれればいいし、そうでなければ次が決着の戦いになる。

 我々三人が周囲を警戒しながら、建物にたどり着く直前、建物の陰に隠れていた野盗が斬りかかってきた。
 だが、弓のお姉さん二人が射止め、事なきを得た。

 野盗の人数は不明だが、少なくとも一〇人は倒した。連中にとってはかなりの痛手のはずで、次にどう出るかが気になるところだ。
 連中が諦めることはないと感じていた。決戦は夜明け前だろう。

 我々三人がずぶ濡れで戻ってくると、女将が「あんたたち、いい男だねぇ。銃を使ったんだろ。この雨の中で使える銃なんて、初めてだよ。
 うちの子たちに、ただでサービスさせるよ。好きな子選びな」
 激しく反応したのがリシュリンで「主殿に何を言う。そんなことしたら、絶対に、絶対に許さない!」
 マーリンは後方扉にいるので、この騒ぎに気付かない。幸運だ。
 私が「女将、好意はありがたいが、うちには恐ろしい山の神が二人もいるので、許して欲しい」と言うと、リシュリンが「恐ろしいとは何事ですか。恐ろしくなどありません。こんなに優しいのに!」
 男たちが苦笑いを始めた。瞬く間に野盗二人を斬った青い髪の美しい少女が、その強さと美しさからは想像できない痴話喧嘩を男と始めたのだ。
 こんな面白い見世物はない。
 リシュリンをようやくなだめた頃、マーリンが来た。リシュリンがマーリンに次第を話すと、マーリンが怒り出した。
 ヴェルンドはとばっちりを恐れて、どこかに隠れている。
 結局、私は一時間も二人に説教され続けた。
 二人に開放されて前方入口に戻ると、女将と侍女が近寄ってきた。侍女が「貴殿は、肝は据わっているし、腕も立つ。頭もいい。もう少し背が高いと、私の好みだ」と意外な告白をする。
 女将も負けていなかった。「どう、私と旅をしない。この商売も楽しいよ。男手も欲しいし」
 私は「冗談でもやめてくれ。さっき見ていただろう。俺は大変なんだ。野盗なんかより、あの二人のほうが怖い」
 女将と侍女は「だろうね」と言って笑った。完全に遊ばれている。

 私は侍女のリボルバーが気になっていた。侍女に「無理にとは言わないが、銃を見せてくれないか?」と尋ねてみる。
 侍女が「貴殿の武器を見せてくれるなら」というので、私の四五口径M1917リボルバー拳銃を見せた。
 侍女は「似ているが、違う」というと、自分のリボルバーを見せた。
 レミントンM1858パーカッション式の四四口径リボルバー拳銃だ。パーカッション式リボルバーは、西部劇によく登場する薬莢式のコルトSAAよりも以前の六連発拳銃で、南北戦争の時代に広く使われていた。
 薬莢式のコルトSAAの登場後も、一発ずつ排莢し、一発ずつシリンダーを回転させながら給弾しなければならない同銃よりも、銃身下のローティングレバーを引き下ろすだけで、シリンダーごと弾倉交換できたM1858のほうを好むるガンマンも多かった。
 基本的には前装銃で、非貫通のシリンダーに火薬と弾を込め、圧縮した後、蝋で蓋をする。雷管はシリンダーの後部に差し込む。
 金属薬莢が発明される直前の連発拳銃だ。
 M1858は工業製品として堅牢で、工作精度が高い。
 銃の由来は侍女から話してきた。
「祖父の持ち物だ。祖父は違う世界から来た人だった。貴殿もそうだろう?」
 その問いには答えなかったが、私だけではないことは、複雑に心に響いた。もし、敵対する側に、我々よりも強力な武器を持つ連中がいたら……。
 侍女の刀に目を向けた。おそらく、騎兵のサーベルだ。

 ごく短時間、全員を一カ所に集めた。決戦は朝、野盗は開放されている前方入口から正面攻勢を仕掛け、後方入口と屋根から奇襲をかけてくる。
 持ち場はそのままだが、ヴェルンドが屋根からの攻撃に備えることを告げた。
 夜明けの直前まで、見張りを交代しながら休むように指示する。

 貴婦人を除く全員が納得してくれたが、誰もが恐怖で一睡もできないはずだ。

 貴婦人が、野外用折りたたみベンチに座るリシュリンに近寄る。その話をそばで聞いていた。
 貴婦人は「お前など、お館様にお願いして、串刺しの刑にしてくれる」
 リシュリンが「お館様の兵は、何人だ?」
「一〇〇人以上だぞ」
「その程度なら、主殿が全滅させてしまうぞ。さすれば、そなたのお館様も死ぬ。
 その後、そなたはどうする。
 せいぜい、どこぞのスケベ老人の囲いものか?」
 貴婦人は目をむいた。
 リシュリンは続けた。
「子を思うなら戦え。子を産むだけなら獣にも劣る。いざとなれば、子を守るために四肢を振るって戦うのが母親であろう?」
 貴婦人は憤慨して離れていったが、その手には野盗が残していった剣が握られていた。
 その後、リシュリンはミーナと貴婦人の子を寝かしつけるため、装甲車に入っていった。

 長い、長い夜が明けようとしている。雨脚はまだ弱まらないが、外は夜明け前の薄明かりが差し始めている。
 ヴェルンドは装甲車の屋根で寝転んでいた。ヴェルンドが屋根に登る前、私のS&Wを渡した。
「弾を補給せずに銃自体を交換する方法は、ニューヨークリロードというそうだ」
 ニューヨーク市警本部警察官は、複数の銃を持ち、弾切れや送弾ジャムを起こしたら、バックアップの銃に切り替えるそうだ。そんな話を思い出した。
 ヴェルンドは神妙な顔つきで「お借りします」と言った。私は、代わりにガバメントをホルスターに入れた。

 明け方でも気温は下がらず、蒸し暑いままで、誰もが疲れている。
 何かが屋根に当たり、屋根に誰かが登っていく。
 建物の中の全員が、いよいよかと身構える。
 その瞬間、前方から三〇人ほどの野盗が切り込んできた。前方を守るものは一〇人、後方三人、屋根への警戒は三人。入口の開口幅は約五メートル。同時に三人が切り込める広さだ。
 目を闇に慣らさせるため、一時間以上前にガソリンランタンを消した建物の中は明け方ではあったが、かなり暗い。               
 斬り込んできた野盗は、その暗さに目が慣れていなかった。また、長時間雨に打たれ、疲れてもいた。
 前方で斬り合いが始まると、屋根からロープが降ろされ、五人が一気に降下してきた。
 弓の女の子二人が、野盗二人を射落とし、ヴェルンドが三人を撃った。
 後方の扉からは八人がなだれ込む。屋根を警戒していた三人が、後方の加勢に加わる。
 弓の女の子二人は誤射を恐れず、扉から入ろうとする野盗を射る。マーリンたちは、その射線を開け、狙撃を助けた。
 後方を攻める八人の盗賊のうち無傷で侵入できたのは二人だけで、他の六人は矢傷を負っていた。
 マーリンたち三人は、八人の制圧に取りかかる。そこへヴェルンドが加勢し、一気に斬り倒した。
 後方の警戒は、弓の二人に任せ、マーリン、ヴェルンド、ワゴンの女の子二人は、前方入口の乱戦に加勢した。

 護衛隊長は強かった。彼の部下二人は一組で戦い、確実に野盗を倒していく。護衛隊長は一人で奮戦する。三人を倒し、四人目を相手にしたとき、足を斬られた。侍女が加勢し、護衛隊長を助け、女将も奮戦している。
  侍女と女将は、二人で戦い、老練な剣技で野盗を退けていく。侍女は反りの大きい細身の刀を片手で振るい、野盗を圧倒する。
 女将は長剣を両手で構え、膂力で野盗を退けていく。
 貴婦人、三重連結貨車とコーチの運転手の三人は、三人で一人にかかり、二人を倒していた。
 この組で戦う方法は、リシュリンが指導した。
 ワゴンの女の子二人も強かった。二人で連携し、次々と刺し倒していく。
 私とリシュリンは、互いの背を守りながら戦った。リシュリンは剣を短くしたことから、切っ先の動きが速くなり、いっそう強くなっている。
 私は抜刀術だけを使った。相手の切っ先を避け、抜刀して斬る。
 野盗の武器は雑多で、剣、刀、戦斧、何でもありだ。
 弓の二人は、ワゴンとコーチの屋根から建物の外で雨に打たれている野盗に矢を射かけ、外すことはない。
 ヴェルンドとマーリンは、その武器自体が野党を含めて他とは異なっている。
 マーリンは、左手にダガーナイフ形状のM4銃剣、右手に刃渡り四〇センチのファイティングナイフを持ち、両手使いで野盗を倒していく。
 ヴェルンドの棒の先につけた銃剣は、手槍として機能した。野盗は棒で叩かれ、石突きで突かれ、銃剣で刺された。

 戦闘は一〇分ほどで終わった。野盗の半数が傷を負い、不利と見たものたちが逃げ出したのだ。深手を負い、逃げられない野盗もいる。
 命乞いをしている野盗もいる。
 それと同時に、唐突に雨がやんだ。

 コーチの運転手が腕を斬られた。早く医者に見せたい。
 けが人を手当てし、サスペンションが柔らかいコーチに乗せ、コーチはヴェルンドが運転して出発することになった。
 コーチのキャビンには、トラクターの若い運転手、護衛隊長、コーチの運転手が乗った。
 貴婦人と彼女の娘、侍女は装甲車に乗せた。

 野盗の負傷者と死体を建物の外に出し、車輌の出庫の準備をした。
 まず、装甲車を出し、コーチ、ワゴン、三重連結貨車と続く。
 速度の出るコーチが負傷者を乗せて先行する。他の三台は、三重連結貨車を先頭に街道に戻っていく。三台とも行き先はコルスクだった。
 川にたどり着くと、すさまじい勢いの濁流だが、石のアーチ橋は落ちていない。ヴェルンドはコルスクに向かって進んだようだ。
 だが、一時は街道が浸水したようで、流された蒸気車が散見できる。判断次第で、同じ運命になっていた。
 橋の上には枝葉は散乱しているが、大きな障害物はない。また、付近に人影もない。川のゴーという流れの音を除いて、小鳥のさえずりさえない静寂が支配している。
 不気味だ。
 まず、三重連結貨車が渡った。橋は軋むこともなく、その堅牢さを証明して見せた。次にワゴン、続いて私が運転する装甲車が渡る。
 この橋を渡れば、コルスクまでの障害はない。ただ、街や村もない。四〇キロ先のコルスクまで、ひたすら走らなければならない。三重連結貨車ならば四時間程度の行程だ。
 コルスクには一一時頃の到着だ。コーチは速いので、九時には着くだろう。

 貴婦人は不満げで、一言も話さない。貴婦人の子は、侍女の膝を枕に寝ている。
 ミーナはリシュリンに抱かれて寝ている。マーリンはリシュリンにもたれかかっていた。
 ロロは定位置の助手席に座っている。
 侍女が重苦しい空気の中で口を開いた。
「そうやっていると、まるで姉妹だな」
 リシュリンに向けたものだ。
「そう見えるか? ミーナと私は姉妹に見えるか?」
「いや、そうではない。貴殿と赤い髪の娘が姉妹に見えるのだ。
 貴殿とお子は、親子にしか見えない」
「それは残念だ。この憎たらしいマーリンが、妹に見えるとは」
「いや、仲のよい姉妹に見えるぞ。本当だ。
 互いに深い気遣いと愛情が見える。友情にも近いのだろうが、それよりも家族愛に見える。
 妹殿が入口側に加勢に加わった際、貴殿の名を叫び、貴殿に斬りかかっていた野盗に凄まじい斬激を加えた。
 あの様子を見れば、心のどこかで、二人は強く結びついているのだ、とわかる」
「そのようなことを言われたのは初めてだ」
「聞いてもいいか?」
「何だ」
「貴殿の剣は、僧兵の筋であろう?」
「……」
 リシュリンは、答えなかった。
「詮索するつもりはないんだ。
 六年ほど前、夫が死に、幼子を抱えて途方に暮れていた私は、仕事の口を探しにある街に向かった。
 その街の手前で、追い剥ぎに襲われたんだ。 幼子を抱えていては、ろくに戦えない。金もやる、身体も渡す、だが子だけは助けてくれと、命乞いをする間際のことだった。
 馬に乗った旅の武人が、追い剥ぎを追い払ってくれた。
 その恩人の剣筋が、貴殿と同じなのだ。
 若い女だった。
 その方と二日ほど旅をしたのだが、抜けた僧兵なので迷惑がかかる、と言って去られた。
 貴殿が僧兵だったのかは知らぬが、貴殿の剣筋を見て、あの方を思い出していた。
 それだけのことだ」
 リシュリンは黙していた。侍女が続ける。
「赤い髪はアークティカ人の証。
 巷の噂では、アークティカの商家の娘が、帰還するそうだ。
 奴隷商人に捕らえられ、遙か遠方に売られた娘が、神の力を得て帰還するという。
 この噂、誰も信じてはいないだろうが、すべてが虚構ではないらしい、と伝えられている。
 私もあり得ることだと、感じている。予言の娘は実在すると」
 リシュリンは、無言を通した。
「予言の娘が何かをできるとは思わない。
 しかし、西方教会と奴隷商人による東への侵攻が現実味を帯びてきている現在、東方諸都市の住民にとっては、予言の娘は希望につながるものなのだ。
 東方諸都市は連携を欠いている。到底、西方側に対抗できない。街を明け渡せと要求されれば、黙って従うほかなかろう。
 戦って死ぬより、奴隷同然でも生きていたいというのが、人の心情というものだ」
 侍女がここまで話すと、貴婦人が口を挟んできた。
「身分賤しきものはそれでいいかもしれないが、高貴なものは……」
 ここまで話させると、リシュリンと侍女は同時に言葉を遮った。
 リシュリンが「高い身分のものほど簡単に裏切るし、卑劣な行為を平気でする。また、命乞いも上手い」
 侍女が「身分が高くても、人としての志が高いとはいえぬ。すでに西方に内通している貴人は数多いる。卑怯未練は、貴人の心根の核心だ。
 奥方様もいざとなれば平然と命乞いをされよう?
 その身体を使って」
 貴婦人は黙った。自分の人格を見透かされていた。赤の他人にも、侍女にも、そしてたぶん夫にも。彼女の夫は、彼女よりも剣客の侍女を信頼している。この旅の間、侍女の息子は夫の保護下にあった。
 夫は「人質だ」と言ったが、それは妻への気遣いで、身寄りのない侍女への心遣いであることは明白だ。
 侍女の息子は、夫の側近家族に預けられ、不自由なく暮らし、母の帰りを待っている。
 リシュリンは、侍女の口ぶりを少し心配した。
「主家の奥方に、そのような物言いは御身のさわりになるまいか」
「西方が侵攻してくれば、エリスやコルスクでも降伏しかあるまい。
 であれば、主家の存続もそう長くはあるまい。また、浪人に戻るだけだ。
 頼みがある。
 もし、浪々の身になったら、貴殿の住まいを訪ねてもいいか?」
「かまわぬ。侍女殿は、我が住処となる場所をすでに察しておられよう」
 マーリンが目を覚ました。九時になろうとしていた。
 道沿いに大きな池があり、池畔に何軒かの扉と窓を固く閉じた店が並んでいた。

 池は溢れんばかりに増水しているが、店は浸水していなかった。
 店のトイレ棟は施錠されておらず、女性たちには幸運だった。
 全員空腹だが、食欲はない。だが、子供たちには食べさせたかった。
 三重連結貨車の運転手が、アルコール度数の低いワインを提供してくれ、我々は前日朝に焼いた天然酵母のパンとクッキーを配った。
 子供たちには、少しだけ残っていた蜂蜜ケーキとリンゴを食べさせる。
 休憩時間は二〇分ほどだった。

 少し寝たためか、ミーナと奥方の娘は、驚くほど元気になった。
 ミーナが「マーリン、問題出して!」とねだる。問題とは簡単な算数で、「リスさんがドングリの実を三つ集めました。巣には二つのドングリの実がありました。さて、ドングリの実は全部でいくつになったでしょう」といったものだ。
 ミーナは、その問題を手の指を使って数え、遊びながら計算の基礎を覚えていた。
 マーリンが問題を出そうとすると、ミーナが「ちょっと待って! おじちゃん、マーリンの問題一〇個できたら、ジュース作って!」といった。
 私は「リシュリンに作ってもらいなさい」と答える。ミーナの言うジュースとは、戦闘口糧に付いている粉末ジュースのことだ。
 ミーナはマーリンの問題を九問まで、間違えずに答えた。
 一〇問目、「ある山奥に不思議な岩があります。この岩は一年に一回二つに割れます。
一年目は一、二年目は二つに、三年目は四つに、それでは二五六個に岩が割れるには何年かかるでしょうか?」
 マーリンは、ミーナでは絶対に答えられない問題を出した。意地悪お姉さんの本領発揮だ。
 私の後ろに立っていたヴェルンドが、ミーナの隣に行って何かを話しているようだ。
 ミーナはヴェルンドのアドバイスに従って両手の指を使って、何かを数えてている。
 私はその様子を、背中で感じていた。
「八年?」
 自信のなさそうなミーナの声。
「正解」
 がっかりしたようなマーリンの声。小鳥のような優しい声で笑うリシュリン。
 徹夜の死闘を終えた後だったが、なぜか家族のドライブのような雰囲気。そのとき、私は家族でのドライブを経験したことがないことをまた思い出す。

 リシュリンは粉末ジュースを二つの木のコップに入れ、水を注ぎ、よくかき混ぜて、ミーナと奥方の子に渡した。
 奥方はショックだった。最後の問題は、解き方さえわからなかった。
 赤い髪の女は、当然のようにその答えを知っている。いや、とっさに問題を作ったのだ。
 緑の髪の男は、その問題を瞬時に解き、幼児でも解を求められるように説明した。
 青い髪の女は、子が「八年」と答えると同時に手を叩いて褒めた。
 この賤しいものたちは、自分よりも教養があるかもしれない。その事実は、彼女にとって衝撃だった。

 ミーナが奥方の子に「私、ミーナ!」
 奥方の子が名乗ろうとすると、それを侍女が止めた。奥方の子は、寂しそうだった。
 ミーナがリシュリンの顔を見る。リシュリンが「名乗れぬ事情がおありなのだ」と諭した。
 ミーナは「じゃぁ、お姫ちゃんにしよう」
 ミーナとお姫ちゃんは、コルスクに到着するまでおしゃべりを楽しんでいた。

 コルスクでは、何が待ち受けているのか。私は、何とも言えぬ不安を感じていた。
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