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第1章 脱出

第4話 捕虜

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 捕虜は、太陽が沈んでも目を覚まさなかった。意識は混濁していて、時々うなされている。
 石小屋の床に村で手に入れた厚手の布を敷き、その上に横たえて毛布をかけている。

 二一時になって、交代で眠ることにした。まず、マーリンが二時まで眠り、私と見張りを交代することにする。
 髪が青く、この髪の色は西方海岸部の人々の特徴だそうだ。顔立ちは丹精で、年齢はマーリンとあまり変わらないように思う。
 このとき突然気付いた。マーリンの歳を知らない。
 ピストルベルトを付けたまま、トミーガンを脇に置いて、ときどき額に置いた濡れたタオルを替えてやった。脳が腫れていたりすると助からないかもしれないが、断層撮影装置があるわけもなく、確認の方法はない。
 ただ、待つのみだ。

 マーリンは二時少し前に起きてきた。トミーガンを見て、それは何かと相変わらずしつこい。
 とにかく、自分のカービンを横に置かせて、見張りを交代した。夜は寒く、石小屋よりも装甲車のほうが底冷えがする。
 ロロは狩りから戻っていて、石小屋の前で眠っていた。ロロも異常を感じている。

 疲れていたのか、いつもより寝坊した。すでに七時を過ぎている。
 石小屋と水場の間にある炉で、マーリンが昨日のスープの残りを温めている。
 石小屋に入ると、捕虜は目を覚ましていて、起き上がろうとする。それを制して、横になったままにさせた。どうも、状況を理解していないようで、意識か記憶が混乱しているのかもしれない。
 炉の火が消えそうなので、薪を二本入れた。
 マーリンが石小屋に入ってきて、スープが温まったことを告げ、捕虜にも与えるか尋ねた。
 様子から何かを食べられるとは思えない。さりとて、栄養が不要なわけはない。
 マーリンに湯を沸かしてもらい、戦闘口糧の角砂糖を溶かした。相変わらず興味深々で、その白い四角は何かと尋ねるので、甞めさせた。
「甘い! 私も欲しい」とまた始めた。
 角砂糖を木製のコップに二個入れ、湯を注ぎ、わずかに塩を入れた。即席のスポーツドリンクだ。
 コップが体温まで下がる頃、捕虜の顔に赤みが差してきた。
 マーリンが名を尋ねると「リシュリン」と答えた。マーリンが即製スポーツドリンクを飲ませ、もう一度寝かせた。
 その日の午後遅くには、起き上がれるようになり、会話にも応じるようになる。

 リシュリンは教会所属の兵で、僧籍にあると言う。僧兵ということのようだ。
 ただ、宗教上のことは詳しくないらしく、実質的には教会組織の私兵であり、職業軍人ということだ。
「聞いてもいいか?」とリシュリンから尋ねてきた。
「何だ」と私が聞き返す。
「連れの四人はどうした」
「戦友が気になるのか?」
「戦友? 馬鹿を言うな。あのクズどもを気にしてるのではない。あの四人は頭は足りないが、腕は立つ。あんたがどうやって倒したのか知りたいだけだ」
「銃で撃った」
「なるほどな。あんたが被っていた布の下には弾込め済みの短銃が四挺隠れていたというわけか。
 私の予想通りだ。馬から飛び降りて、斬りかかるつもりだったのだが……」
「運が良かったぞ。そうしなければ、マーリンに頭を撃ち抜かれていた」
 リシュリンの冑をマーリンが見せた。銃弾がかすって、冑が凹んでいる。
 リシュリンが冑を手にとって続けた。
「冑や胸甲など、銃には無力と思っていたが、役に立つことがあるのだな」
 マーリンが冑を受け取り、部屋の隅に置いた。
 リシュリンは疲れたようだ。マーリンに支えられて、横になった。そして、質問を続けた。
「私はどこの街で奴隷商人に売られるのだ」
「奴隷にしようとは思っていない。事が終われば、教会とやらに引き渡そう」
「そうか、私は死ぬのか。異教徒に生け捕りにされたら、必ず犯される。そう教えられてきた。
 異教徒に辱められた女は、その罪を悔いながら男どもに犯されながら殺される。そして、死体は何も残らないように焼き尽くされる」
 何という残酷な世界なのだろうか。言葉に詰まる。
 私の「それならば、回復したらお前の好きにしろ」という言葉を聞く前に、リシュリンは眠ったようだ。

 石小屋を出て、マーリンと話し合った。マーリンはこの地方の事情に疎く、リシュリンの話が真実か判断できないという。
 ただ、マーリンの勘では教会と奴隷商人は、表裏一体ではないかという。リシュリンを返せば、殺されなくても奴隷商人に引き渡される可能性が高いそうだ。

 この日の日没は一八時直前だった。その頃、リシュリンは目覚めた。
 マーリンが支えてリシュリンを装甲車に移した。後部荷室の座席に毛布を引き、その上に寝かせた。枕は座席の空いている座布団二枚を使った。乗せる際は私も手伝った。
「これは何だ」とリシュリンが不安そうに尋ねると、マーリンが答えた。
「変わった形だが、東方の蒸気車だ」
「そうか。東方も南方も文明が発達している。なのに西方で進むのは、人殺しの技だけだ」
 リシュリンはまた眠った。

 マーリンと洞窟の前で話していると、ロロが不安そうに寄ってきた。ロロの頭を撫ぜ、マーリンに向き直った。
「どうも、甘かったようだ。リシュリンの様子からすると、教会とやらはもう一度来るぞ」
「確実だと思う。明日の朝か、明後日の朝か。いや、夜もある。教会が迷信を広めているのだから、夜襲の可能性はある」
「夜が危険というのは迷信か?」
「昼よりも夜が危険なのは当然だが、魔物に食われる云々はこの地方の連中だけが異常に怖がっているだけだ。
 他国では盗賊の夜襲はあるし、夜這いもある。夜は男と女の時間だし」
 今夜は、妙にマーリンが艶っぽい。どうしたんだ! 俺!
 こんな餓鬼にビビッている自分に、情けなさを感じてしまった。
 ロロにいつもの果物と、初めて焼いた肉を与えた。ロロは満腹したようで、ボンネットに飛び乗り、今夜はここで寝るようだ。

 洞窟の前で焚き火を始めた。マーリンのカービンを預かり、一人で焚き火の前で夜番をした。マーリンは、リシュリンを見守りながら眠った。
 夜明けの直前、疲労が極限に達していたとき、背中に気配を感じた。
 リシュリンだった。
「大丈夫か?」と尋ねる。
「まだ頭痛がするが、昨日ほどではない」
「私に殺されるところだったぞ」
「いや、それはない。後ろを見ろ」
 リシュリンが振り向くと、ボンネットの上でロロが立ち上がり、尻尾を振っている。
「闇の獣!」リシュリンが恐怖に震えた小さな声を出す。
「大丈夫だ」
 ロロに手招きすると、尻尾を振って無音で駆け寄ってくる。頭を撫でてやると、その手を甘噛みした。
「闇の獣まで、仲間なのか」
 リシュリンは驚いた様子で、少し考え込んだ。
 私が尋ねた。
「闇の獣とは、どういう意味だ」
「獣には、人に従う役畜と、人に抗う野獣がいる。野獣のうち、人に抗うだけでなく、夜うごめき人の命を狙う獣を、闇の獣と呼んでいる。悪魔の使いだ」
「マーリンの言葉だが、この世で一番怖いのは人間だそうだ。俺もそうだと思う」
「確かに……、人間より残忍な生き物はいないな」
 そんな話をしていると、マーリンが起きてきた。そのとき、リシュリンは右隣に座っていて、左隣にマーリンが座った。
 マーリンはそうとポンチョの中に手を差し入れ、カービンを乱暴にひったくった。
 このとき、リシュリンは我々の武器を始めて見た。
「それは銃か?
 鋼で囲まれた蒸気車、闇の獣、見たこともない銃、お前たちは一体何者なのだ」
 それには、私もマーリンも答えなかった。私の視線は、静かに立ち上がったマーリンの後姿に注がれていた。

 朝から襲撃があることを前提に準備を進めた。魚の燻製と豆のスープを作り、それを三人で食べた。ロロには半焼きの肉少しと果物を食べさせた。
 リシュリンに「解放する。ここを離れたらどうだ」というと、首を横に振った。その気はない、という意思表示らしい。
 首を縦に振るとYES、首を横に振るとNOを意味するようだ。マーリンも同じようにする。
 YESとNOだけでも確実にコミュニケーションできることは、本当に助かる。

 リシュリンは、だいぶ回復したようで、熱も下がっているし、頭痛も治まったようだ。彼女に襲撃はどの程度の兵力か聞いてみた。
「街には教会の僧兵が二〇〇人ほどいる。そのすべてを出すことはないが、最大で一〇〇、現実的には五〇が限度だろう」
「なぜ、限度がある?」
「西方は教会を頂点とする国家の集合体だ。国は世俗領主が統治するが、世俗領主は教会に服従しなければならない。
 教会は世俗領主に税を課し、その税を支払うために世俗領主は領民から徴税する。
 だが、領民は教会の教義によって邪悪から守護される対価として、教会に布施をしなければならない。布施は任意ではなく強制で、実質的には税だ。
 つまり、領民は、世俗領主に税、教会に布施を払わなければならない。
 教会が布施の額を増やせば、世俗領主の徴税能力が落ち、世俗領主が教会に税の支払いができなくなる。
 そうすると、教会は世俗領主の土地と領民を没収し、教会の直轄地を増やしていく。
 土地を手放したくない世俗領主は、領民への課税を重くし、領民から反感をかう。
 世俗領主に税を払えない領民は領主の奴隷となり、教会に布施が払えなければ教会の奴隷となる。
 結局、教会が利益を独占する仕組みになっているのだが、それに抗う世俗領主や領民がいる。
 彼らは、異端者、闇に魂を捧げた悪魔の使いとして正義の名の下に殺される。
 世俗領主と領民を巧妙に操れば、両者が同時に教会に歯向かうことはない。
 ここから北東の辺境にジンデルという小さな街がある。
 この街で、世俗領主と領民が連帯した反乱が起きている。世俗領主は領民に武器を与え、領民が教会に対して徹底抗戦を呼びかけ、周辺の弱小領主や領民も呼応する大反乱だ。
 辺境は教会の影響が弱く、他宗教の影響が強い。また、他国の事情等にも通じている。だから、反乱が起きやすい。この土地は辺境に近い。当然、教会は反乱を警戒している。
 質問に対する答えだが、もし二〇〇の兵のうち一〇〇を街から出すと、ここの領主の常備兵力と拮抗することになる。
 ここの領主は協会に反抗的で、反乱を起こす機会をうかがっているはずだから、行動を起こす可能性がある。
 だから、兵一〇〇は動かせないと思う」
 リシュリンは、極めて論理的な説明をよどみなく行った。この傾向はマーリンにもあり、この世界の人々は意外なほど論理的なようだ。あるいは、この二人が特別なのか。
 リシュリンに僧兵の武装を尋ねた。
「まぁ、お世辞にも優秀とはいえないな。見掛けは立派だが、実用性に乏しい。
 戦は機動力だ。北方の猟兵、東方の軽騎兵、南方の機動擲弾兵、徒歩、馬、機械の違いはあっても、機動力で西方に勝っている。
 その西方にあって、教会の僧兵は重装歩兵を基幹にしている。馬に乗るのは指揮官だけだ。
 その重装歩兵にしても装備はひどいもので、大きくて重い盾と長槍に剣が武器の主力だ。銃を持つ兵は約半分。
 銃を主装備とする戦列歩兵中心の戦いが主流になりつつある世の中にあって、未だに重装歩兵を主体にしているようでは、時代遅れと言われても仕方あるまい。
 弱体化した世俗領主の軍には対抗できても、他国の軍とは戦えない」
 ならば、どうやって他国の侵入を防いでいるのかを尋ねる。
「実際の軍事力は奴隷商人が担っている。
 奴隷商人は他国に侵入し、奴隷狩りをする。
 侵略されることはない。いつも侵略する側だ。
 奴隷商人は教会の意向で動いているし、教会と利害をたがえることもある。しかし、奴隷商人は教会と結びついていれば、教会の影響が及ぶ地域ならば、どこでも奴隷を調達できるし、売買もできる。
 奴隷商人は対外的軍事力を提供し、教会は利権を補償する。世俗領主の中には目先の金欲しさに、領地と領民をセットで奴隷商人に売り渡す輩もいる。その分け前は教会にも入る。
 両者にとって損はない」
 何とも凄惨な土地だ。教会と奴隷商人が、世俗領主と領民を食い物にし、食い物にされている側は連帯を欠くという、実に不幸な状況だ。
 この話はマーリンも聞いていた。
「私の国でも、貧しいものと富めるものはいる。社会の制度には不備な点も多い。しかし、自国の民をここまで搾取することはない。
 恐ろしい国だ」

 すでに一〇時になっていた。攻め手への対処を具体的に考えなくてはならない。
 マーリンに擲弾筒を見せた。
「これは擲弾筒という大砲だ」
「テキダントウ?」
「そうだ。こんなに小さいが、威力のある砲弾を発射できる。敵が五〇から一〇〇もいるのだから、普通の戦い方では勝てない。
 ここに侵入される前、街道から川を渡りきる前に、擲弾筒でできる限り撃退する。
 侵入してきた敵は、通路を塞ぐように停めた装甲車からの射撃で迎え撃つ」
 上手くいくかはわからない。だが、この場を逃げても、燃料切れで追いつかれる可能性が高い。それならば、迎え撃ちやすいこの地を離れる選択肢はない。
 マーリンは、装甲車の燃料が入手できるかもしれない街があると言っていた。そこにたどり着くまでは、最大限の節約をしなければならない。

 正午前から、岩山の南側で歩哨に立った。
 一四時頃、東から長方形の盾と三メートル以上の長槍を装備した重装歩兵の一団が、村に向かっていった。騎馬は四、長槍の歩兵は三〇、銃を持った軽装の歩兵が一五ほどだ。
 西からではないので、リシュリンに確認のため岩山を降りた。
「たぶん、ジンデル方面からの帰還兵だ」とリシュリンは言った。
 続けて「まもなく、村は大事になる」と。だが、その意味を尋ねても答えなかった。ただ、悲しそうに目を伏せた。
 太陽が沈むまで歩哨をしたが、いったん岩山を降りた。
 一九時頃、リシュリンが用を足したいと。マーリンがスコップを持って一緒に岩山の外に出た。
 リシュリンが用を済ませ、二人が岩山内部に戻ろうとすると、人の声が聞こえる。まだ、周囲は若干明るく、声の主を探すことは難しくなかった。
 マーリンは岩山内部に二人の少女を連れてきた。ふたりは怯えており、また腹を空かせていた。
 マーリンとリシュリンが二人を落ち着かせ、なぜ川を渡ったのかを尋ねた。
 彼女たちによると、僧兵が村に現れ、傍若無人の狼藉を行ったそうだ。女性を見つけると、子どもであろうと強姦し、止めに入った親を殺し、抵抗した少女を殺し、指揮官に止めさせるように訴えた世俗領主の官吏の首をはねた。
 僧兵の暴行はいまも続いているそうで、その恐ろしさから逃れるために、川を渡ったという。
 リシュリンは、落ち着いていたが悲しそうだった。小さな声で「ごめんなさい」と言った。その声は、二人の少女には聞こえなかった。

 二人を村に帰すわけにはいかないが、ここもいつ襲撃されるかわからない。どうすべきか迷っていると、一人が衝撃的な目撃をしていた。
 村の西外れに鍛冶屋があり、その南に一軒の農家がある。鍛冶屋に来ていた女の子の家だ。
 村の知り合いといえそうなのは、果物売りのおばさん、領主の官吏、そして鍛冶屋だ。その鍛冶屋の縁で、二度、その農家の女の子と母親と触れ合うことがあった。女の子は三歳くらいだろう。
 二度目は、リボルバー拳銃のハーフムーンクリップを受け取りに行った際の出来事で、その鍛冶屋に用件があってきていたのだろう親子は、私が行くと後退りして鍛冶屋の前を空けた。
 鍛冶屋はそれが当然のように振る舞い、私にハーフムーンクリップ一〇個を渡すと、沙汰を待った。良品であるとの言葉の代わりに笑顔を向け、土産の果物を渡した。
 すると女の子が駆け寄り、ポンチョの裾をつかんだ。驚いた母親が駆け寄り、怯えた様子で侘びを請う。鍛冶屋も片膝をつく。
 表現が見つからずで対処に困り、私がしゃがんで女の子の口にのど飴を入てやった。金柑味の甘い飴で、以前にも一度、あげている。たぶん、不愉快な味でない。
 女の子はにっこり笑って、母親の陰に隠れた。
 たったこれだけのことだが、あの女の子の笑顔は素晴らしかった。

 何人かの僧兵がその農家に押し入った。父親は農作業中で不在、母親はたまたま家に戻っていた。
 一人の僧兵がその女の子に目をつけた。母親は子を必死に逃そうとして、一人の僧兵の頭を薪で殴った。僧兵の額から血が流れ、怒り狂った僧兵たちは「魔女を捕らえた」と叫びながら、母親を屋外に引きずり出し、彼らが身に着けていた火薬を振りかけ、生きたまま焼き殺した。
 父親が駆けつけると、集団で殴る蹴るの暴行を加え殺した。
 この話をした少女は、たまたま近くにいて、納屋の陰から一部始終を見たと言う。母親が守ろうとした子は、逃げたはずだと語った。

 リシュリンが「剣を返してくれ」と言った。
 マーリンが「どうする気だ」と質す。
 二人の怒気は、明らかに空気を振動させている。村の二人の少女は、それに気圧されている。
 リシュリンが「その子を助けに行く。明日の朝になれば、奴隷商人が来てその子を連れて行く。
 教会の通達では、親のない子は奴隷にしていいことになっている。今頃、教会と奴隷商人の手打ちは終わっている」と。
 二人の様子では、このまま村に乗り込んで、僧兵を殲滅すると言い出しかねない。
 私が割って入った。「その子は助けに行く。今日は新月、あと数時間で完全な闇になる。あの子の家の前まで、装甲車で乗り込む。
 マーリン、ロロと一緒に来てくれ」
 自分の名前を聞いて、ロロが洞窟から出てきた。大きな伸びをして、これまた大きなあくびをする。
 ロロの姿を見て、村の少女たちはひどく怯えたが、マーリンがロロの頭を撫でる様子を見て驚嘆していた。

 二二時を少し回った頃、トレーラーを外した装甲車を洞窟から出した。
 村の少女二人を後部兵員室に乗せ、岩山の北側を通って村の西側に近付く、装甲車で川を渡渉できる地点は調べてある。
 川を渡り、川岸と街道との土手を前輪の駆動とエクストラローで登りきり、轟音を響かせて、村に近付いた。
 街道を越えたところで、村の少女二人を降ろした。二人には鍛冶屋に行き、かくまってもらうように言ってある。
 少女二人は迷わず、鍛冶屋の作業場に入っていった。
 それを確認すると、まっすぐに女の子の家に向かった。ヘッドライトに農家が照らされ、そこだけが昼間のように明るい。街道側から何人かの視線を感じる。
 父親は家の前で死んでいた。痛ましい姿だった。
 マーリンはM1カービンを手にして、大きな声で「ちびちゃん、どこにいるの。出てきて」と叫ぶ。
 反応がない。
 ロロが装甲車から飛び降りる。少し地面の匂いをかぎ、続いて耳をそばだてる。まるで、レーダーのように首と耳が動く。
 ロロがゆっくりと動き出す。家の前を通り過ぎ、南側の納屋の前まで行く、そして振り返り、家の裏手の干草の束をジッと見つめた。
 マーリンが干草の束と束の隙間を覗くと、小さく「怖い、いや」という声が聞こえた。
 母親の勇気は無駄ではなかった。女の子は生きていた。マーリンが「怖くない。大丈夫」といって、強引に引き出し、抱き上げた。
 周囲を警戒していると、二人の影がこちらを見ている。村の明かりは弱く、ほとんど何も見えない。
 マーリンが助手席側のドアを開けると、まずロロが飛び乗った。女の子を座らせ、マーリンも乗る。女の子はマーリンの膝の上だ。
 装甲車を旋回して、一気に川へ向かう。土手を降り、川を渡り、岩山に戻った。
 何人かには見られたようだが、もうどうでもいいことだ。

 リシュリンは石小屋で炉に火をつけて待っていた。なぜ逃げなかったのか不思議ではあったが、彼女の事情も複雑なようだ。
 女の子は、恐怖で疲れきっていたためか、石小屋に入るとすぐに眠ってしまった。

 翌朝日の出前、歩哨をマーリンに任せて、女の子の家に徒歩で川伝いに向かった。父親と母親を埋葬するためだ。
 スコップを持って家の前に行くと、すでに男が一人で穴を掘っていた。
 鍛冶屋だ。
「二人とも無事です。村人を助けていただき、ありがとうございます」
 丁重な礼だ。
「大したことではない」
「言葉がわかるようになったのですか?」
「ようやく、少し」
「私も南から来たときは、言葉がわからず大変でした」
「この土地の人ではないのか?」
「はい、南から来ました」といって、髪を指差した。その髪の色は美しい緑だ。
 そんな世間話をしながら、父親を埋葬し、父親の遺体の近くにあった黒い塊を鍛冶屋が一緒に入れようとする。
「それは?」
「母親です。連中は火薬に火をつけ、油まで注いだんです。ひどいやつらです」

 そこに二人の男がやってきた。僧兵ではない。
「奴隷商人か?」と問う。
「子どもはどこだ」
「俺が預かっている」
「寄越せ」
「欲しいなら、あの岩山まで取りに来い。いつでも歓迎してやる」
 そう言うと、後退りしながら姿を消した。鍛冶屋は「気をつけてください。僧兵は乱暴なだけですが、奴隷商人は知恵があります」
 両親を埋葬し終わると、太陽はすでに高く上っていた。
 川を渡り、川伝いに歩いて戻る途中、僧兵に見つかった。数人の僧兵が、捕らえようと駆け寄ってくる。そのうちの一人を、マーリンが狙撃した。距離は二〇〇メートル、いい腕をしている。頼れるやつだ。他の僧兵は、凍りついたまま動けなかった。

 岩山に戻ると、リシュリンが女の子に朝食を食べさせていた。
 リシュリンはマーリンよりも家庭的なようで、毛布をたたんだり、タオルを洗ったりは、自分でしている。下着まで私に洗わせるマーリンとは大違いだ。
 女の子の服は汚れており、かすり傷程度だが怪我もしている。清潔にしてあげたいが、その時間はない。
 女の子に「お名前は?」と尋ねると、「ミーナ!」という元気な声が返ってきた。
「おとうしゃんとおかあしゃんは?」と尋ねられ、答えに窮した。
「お父さんとお母さんは、ミーナが元気でいられますようにって、遠くから見ているよ」
 それ以上は、何も言えなかった。

 一一時を過ぎた頃、岩山の上のマーリンが「来た!」と大声で知らせた。
 装甲車を洞窟から出し、岩の裂け目の回廊に車体を半分まで入れた。
 運転席上のシートは外してある。リシュリン、ミーナ、ロロは、洞窟に隠れた。リシュリンには、彼女の武器を返した。リシュリンは死を覚悟しており、最後のときはミーナを苦しませない、と決意を述べていた。
 装甲車はフロントガラスとラジエーターの装甲板を閉じ、運転席で立ち上がったマーリンはカービンを構えた。
 私は崖の上に立ち、M1903A1ボルトアクション小銃、擲弾筒と砲弾四発、手榴弾四発、ライフルグレネード二発をミュゼットバッグに入れて、岩山南側頂上に陣取った。小銃には、M7擲弾発射機を取り付けてある。

 僧兵は街道を東に進み、最短距離で岩山に迫ってきた。街道から川まで一〇〇メートル、川幅一〇メートル、川から岩山南端まで一一〇メートル。今日の川の水深は、僧兵の渡渉地点で最大二〇センチ。
 僧兵全員が川に入ったところで、擲弾筒を発射する予定だ。擲弾筒の薬室を調整して、射程距離は定めてある。もし、擲弾筒の砲弾が外れたら、ライフルグレネードで狙い撃ちにする。
 擲弾筒を地面に置き、砲弾を装填し、目検討で砲身を四五度の角度にし、最初の一発目を撃発した。
 軽い音を立てて砲弾が弧を描いて飛んで行き、川の反対岸、僧兵の四列縦隊の真後ろに落下し、炸裂した。
 八九式榴弾は野砲並みの炸裂音がすると聞いていたが、本当に凄まじい音で、僧兵は隊列を乱し、一部の兵は盾を落としている。
 もう一発撃ち込む。今度は川上側真横に落ちる。隊列の二列目まで、僧兵が吹き飛ぶ。騎馬の四人が岩山内部に突進していく。
 隊列の真ん中に砲弾を撃ち込みたい。ライフルに持ち変え、擲弾発射機の一番奥までグレネードを差し込む。これが最大射程だ。
 銃床を肩に当て、銃弾を撃つように狙って空砲を発射した。空砲のエネルギーで、グレネードが飛んでいく。今度は隊列の真ん中に落ちた。何人かが吹き飛ぶ。
 だが、すでに川を渡りきった兵が多い。もう一発、撃ち込む。重装歩兵は完全に浮き足立ち、川を渡って逃げ戻り始めた。
 ちょうどそのとき、カービンの連射音が響いた。発射された弾数は六。その後、四発が響き完全に終わった。
 街道に這い登ろうとする重装歩兵に向かって、再度擲弾筒を発射する。斜面から街道に上がった僧兵一団の直近に落ちた。危害半径一〇メートルの砲弾は、無慈悲な僧兵たちに無慈悲の意味を教えた。
 僧兵は完全に混乱し、武器を捨て逃げ惑っている。西に向かうもの、東に向かうもの。南の森に逃げ込もうとするものもいる。
 ライフルに実弾を込めた。村方向の先頭で、負傷者を助け起こそうとしている僧兵がいる。狙いを定め撃つ。身体のどこかに命中したようだ。
 その様子を見て、他の僧兵は完全に冷静さを失った。ただ、逃げるのみ。腰に吊るした長剣に足を取られて転ぶもの、負傷者にすがられ助けるのではなく刺し殺すもの、見かけとは異なる烏合の衆としての醜態を晒した。

 戦闘は五分ほどで終わった。

 装甲車に戻ると、マーリンに尋ねた。
「最後の四発は何だ」
「止めを刺しただけだ」
 彼女は、やることに抜かりがない。

 装甲車を岩小屋まで下げると、リシュリンが唖然呆然の表情で、ミーナとロロを連れて来た。リシュリンはミーナとロロを岩小屋に入れ、何かを聞きたそうな表情だが、何も言わない。
 マーリンが「馬を連れてくる」と言って、回廊に向かった。
 リシュリンは「勝ったのか」と尋ねた。
「あぁ、勝った。幸運だ」
「僧兵は張子の兵隊だが、こうもあっさりとやられるとは。
 マーリンが使った銃は何だ。何発も続けて弾が出るのか?」
「もし、私もお前の奴隷になれば、同じものを与えるか?」
「マーリンは奴隷ではない。友だちだ」
「では、私を臣下に加えてくれないか」
「家来を持つつもりはない。だが、一緒に来るならそうすればいい。お互いが信頼できるようになれば、友だちになれる」
「わかった。いや、わからぬ。だが、一緒に行きたい。
 それから、お前は私を殺さなかった。生かした。その責任は取ってもらう」
 その責任の取りようはわからないが、また一人仲間ができたようだ。いや二人。ミーナもいる。

 マーリンは四頭とも馬を連れ帰った。騎馬兵のうち一人は、装甲車のフロントバンパーの下に倒れていた。ということは、マーリンは最後の一人を倒す際、ゼロ距離に近い射撃をしたということだ。肝っ玉が据わっている。
 麦わらを編んだロープを五メートルほどの長さに切り、鞍の鐙と倒した騎馬兵の片足を結んだ。四人とも同じようにし、馬の尻を叩いて歩かせた。馬は死体を引きずったまま、街道に上がり村に向かって歩いていく。
 その馬に川までついて行き、歩兵の装備を見た。川の中と北岸に残されている盾と、銃、それに剣を集め、一つの盾に乗せて、橇代わりに引いて岩山の中に戻った。それを三度繰り返した。
 次にマーリンに手伝ってもらい、天井のシートを外した。外したシートは左前輪フェンダー上に固定した。ここが、正規の取り付け位置だ。
 盾は高さ一三〇センチ、幅六〇センチ、重量一〇キロくらいある。それを装甲車側面の対人地雷ラックに差し込んで、片側四枚ずつ取り付けた。盾の上部をロープで車体に縛り付け、簡単には外れないようにした。
 盾は車体上面から三〇センチほど飛び出し、盾と盾の隙間から射撃すれば、弓矢程度ならば遮蔽できる。
 盾はあと二枚あり、その二枚にライフルの銃弾を発射して穴を二カ所開け、整備用工具箱のあったボルトで連結した。長さ二・二メートルの鉄板ができ、それを運転席の上に置いた。これもロープで固定した。
 造作は悪いが、運転席上面の防御と側面の増加装甲になる。
 装甲車の装甲は小銃弾に耐えられる程度で、戦車のように強固ではない。こんなことでも、少しはマシなはずだ。
 豆を入れる大きな穀物袋が二袋あった。これに砂を入れ土嚢にし、運転席上の盾の上に置いた。その他の集めた武器は地面に転がしたままだ。

 マーリンがリシュリンに「次はどう出ると思う」と尋ねた。
 リシュリンは「僧兵はもう来ないだろう。次は奴隷商人の奴隷狩り部隊だ。
 こいつらは強い。武人の誇りも騎士の道もない。本当に強い。それに今朝の連中ほど馬鹿ではない。利口で強い」
「それは厄介だな」とマーリン。
 その奴隷狩り部隊がいつ来るかが問題だ。それをリシュリンに尋ねる。
「奴隷商人は極少数の警備を除けば、部隊を手元には置いていない。奴隷狩り部隊は他国に派遣しなければ、利益を生まないからだ。
 この点が世俗領主の兵や教会の僧兵とは異なる。
 教会の兵が惨敗し、逃げ帰る姿は村人に見られ、領主の耳にも入っているだろう。
 こうなると、奴隷の反乱、領民の蜂起、反抗はいつ起こってもおかしくない。
 それを一番嫌うのは奴隷商人だ。騒乱が起きれば奴隷の買い手がいなくなる。
 だから、連中が直接鎮圧に乗り出す。名目は、不埒な異教徒や異端者を改悛させ、その証として奴隷にするため、でいい。
 教会がお墨付きを与えれば、何でもできる。そして、教会の行為を世俗領主は止められない。例え自分の領地内でも」
 リシュリンは息をつき、続けた。
「兵を集めるのに丸一日、明日の夕にはここに来る」
 マーリンは黙っていた。私が続けて問う。
「丸一日ある。貴重な一日だ。大事に使おう。
 兵力はどれくらいか、わかるか」
 リシュリンは少し考えた。
「五〇の僧兵が惨敗したのだから、大袈裟だが一〇〇は集めるのではないか?
 そのほうが奴隷や領民への威嚇になるからな」
 全員が、明日の戦いのための準備を始めた。

 私は争い事が嫌いだが、降りかかる火の粉は払わなければならない、そんな気持ちだった。
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