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第4章 幸運の地

04-038 シンガザリ王国自壊

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 ホルテレンでは、2人の女性が噂になっている。酒場、飯屋、野菜の洗い場、洗濯場、乗合馬車、地域の集会でも、噂に尾鰭どころか胴体や頭が付いて大事になっている。

 ホルテレンでは過去、政治家の暗殺は多くはないが少なくもない。
 だが、政治家の妻が、それも有力でもない政治家の妻が暗殺されるなどないことだった。
 正確には暗殺未遂で、3人の刺客は1人の女性に一瞬で制圧された。
 白昼の大立ち回りで、多くの街民に目撃された。

 耕介は頭を抱えている。ウクルルに不利益がないよう、細心の注意をしながら仲間の議員4人と連携して活動している。
 ホルテレンの政治には暴力の匂いがある。暗殺の予告、暴力を匂わせた警告、妻子の誘拐などはいつでも起こり得る。
 議論で決着がつかないなら、暴力的手段に出る土壌があるのだ。

 シルカと亜子が同行した理由がここにある。
 議員は帯剣できないが、護衛は違う。有力議員は名の知れた手練れを側近に置く。

 シンガザリ国内の動静に不穏な動きあるのに、ホルテレン街内では議員の妻たちが私闘を始めている。
 それを、シルカと亜子がおもしろがっているのだ。傍観する2人ではない。積極的に関与している。
 その私闘の中心人物がフィオラだった。

 フィオラが一本背負いを決め、シルカが「股を開く以外に能がない女」と評した議員の妻は、ホルテレンにおける影の権力者の何回目かの後妻だった。
 夫は齢75を超えた有力政治家であり、最大派閥を率いる領袖であった。
 長子の子と同じ年齢の妻、つまり孫と同じ年齢の妻を溺愛していた彼は、辱めを受けた田舎議員の妻に同等の辱めを与えることを、妻に許可した。
 さらに、その方法を彼の何番目かの息子に命じた。
 無頼との関わりがあった息子は、白昼、人目のあるところで田舎議員の妻を拐かし、レイプする計画を立てた。

 ところが、田舎議員の妻と一緒にいた侍女が、その計画を台無しにする。
 長い曲刀を履く侍女は、3人の誘拐犯を斬り捨て、その場で1人を激しく拷問し、命令者を特定してしまう。

 あとは、耕介が頭を抱える事態になるまで時間はかからなかった。
 シルカと亜子が議員宅を襲ったのだ。
 シルカは強すぎるが、亜子も強い。有力議員であっても、数人の警護員しかいない自宅は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化す。
 幼い子供たちは泣き叫んで逃げ惑い、成人していた息子たちは抵抗むなしく手負いとなった。
 シルカと亜子は、有力議員の妻から衣服すべてを剥ぎ取り、門扉に縛り付ける。

 耕介は頭を抱えているが、このことはどうでもよかった。
 問題は、シンガザリ国内の情勢だ。正確にはわからないが、何らかの変化があったことは確か。その情報収集に謀殺されていた。
 淫乱老議員の妻の裸磔刑など、どうでもいい。
 それが、耕介の気持ちだった。
 ここは、開き直るしかなかった。

 有力議員は妻が受けた辱めに激怒し、私兵を集める。半分は子飼いの郎党で、半分は息子が手配した無頼だ。

 耕介も動く。
 太志とシーラに連絡して、装甲車3台を送ってもらう。頼んでもいないのに、装甲車には各6の歩兵が乗っていた。

 ホルテレンは、一気にきな臭くなった。議員の妻同士の諍いが、内乱にまで発展しそうなのだ。

 全議員が内乱を避けたいと考えた。
 そこで、解決案を提示する。
 耕介が議長に呼び出される。
「貴殿の細君の件だが……」
「あぁ、心配と迷惑をおかけしております」「ふむ。
 ここまでもめては、妥協点はなかろう。
 だが、ホルテレンでの合戦は困る」
「それは、私も同じです」
「では、決闘はどうか?」
「決闘ですか?
 法的な問題は?」
「貴殿の秘書官と貴殿の細君の侍女が、議員宅を襲撃するよりは問題なかろう」
「襲撃ではありません。
 妻の拐かしの件について、問いただしに行っただけです」
「それで、あのようなことになるのか?」
「犯人であったにもかかわらず、結果として穏便に済ませたのです」
「穏便に?
 議員の細君を裸にして、道に曝すことが、か……」
「拐かしは死罪ですよ」
「……」
「拐かしを命じたにもかかわらず、罪には問われていません。少々寒い思いをしただけでしょう」
 議長は耕介の言い分がもっともだと思ってしまう自分に腹が立った。
「決闘でよいか?」
「70過ぎの老人を殺すのはどうも……」
「議員本人ではない。
 嫡男は貴殿と似た年齢。
 平等であろう」
「私が死んだら?」
「何も起こらぬ」
「嫡男殿が死んだら?」
「それで終わる」
「では同意します。
 柄物は?」
「剣か刀……」
「では、それで」
 議長は表情には出さなかったが、ほくそ笑んだ。嫡男には軍籍があり、相当な腕だと知られていた。

 決闘の場所は、ホルテレン郊外の小川の岸辺だった。
 双方各3人、議会から3人の立会人が選ばれた。立ち会いは、当事者とその血縁者、事件関係者は除かれたので、耕介側は太志とシーラ、レスティが選ばれた。
 武器は、剣または刀。長短は不問。盾の装備と鎧冑の装着が許される。

 耕介は、久々にヘルメットとボディアーマーを着けた。2億年前に手に入れた警察の機動隊が使う手甲と脚絆も。
 武器は儀礼用に虚仮威しで造った野太刀を使うことにする。長さは3尺6寸もある。つまり、109.09センチ。柄は2尺5寸(75.758センチ)。
 実質的に長巻であり、刀身を使った矛に近い。
 しかし、この卑怯な武器を、議員の嫡男は批判できなかった。
 エルフは基本、長身痩躯。嫡男も高身長で、手足が長い。彼の武器であるレイピアは、刃渡り130センチに達する。
 レイピアだが、身幅が付け根で3.5センチもある。
 片手で使うには、長すぎるし、重すぎる。

 シーラが耕介に忠告する。
「細身の剣だが、あれだけ長いとかなりの重さだ。
 刺突だけでなく、斬撃にも注意しろ」
 シルカとシーラの剣技は、両刃無反ながら剣の重さを利用した斬撃を繰り出してくる。2人の剣技はエルフのものとしては珍しく、野党や無頼のそれに近い。極めて実戦的なのだ。
 耕介は、眼前の元軍人で現在は議員の秘書を務める男性が、何を考えているのか気になっていた。
 父親の後妻の仇を討たされる彼の信条が理解しにくい。父親の後妻は、彼よりもかなり若い。娘であっても、不自然ではない年齢だ。
 それと、経歴から野党や無頼モドキの剣を振るうとは考えていない。
 経歴を調べた限りでは、彼に実戦経験はない。

「双方構え。
 正々堂々と戦え」
 議会から派遣された士官学校長がそう宣した。耕介は「殺しに正々堂々はねぇよ」と心の中で毒づいていた。
「始め!」

 耕介は「剣道じゃあるめぇし!」と、久々に日本語を放った。

 勝敗は一瞬で決まった。
 耕介が突いてきた剣先を避け、長大な野太刀で剣の腹を打った。
 剣は予定の通りであるかのように、ポキリと折れる。

 一方の剣が折れても戦いが続くが、士官学校長が「勝敗はあった。双方やめ!」と場を仕切った。

 耕介は安堵していた。誰も傷付けることなく終わったからだ。
 シーラと太志は警戒を解いていないし、レスティは剣の柄に手を載せている。

 シーラが折れた剣を拾い、嫡男に渡す。
「迷惑をかけた。
 父は今季限りで引退させる」
 シーラが剣の断面を見る。機械で切断したような折れ口だ。
「貴殿は……」
「何年も戦っていない。
 剣の腕は衰えていないが、もう戦えないよ。貴殿のような戦士じゃない。
 私はね」

 数日経過すると、耕介は決闘について完全に忘れていた。
 太志とシーラが心配して、ホルテレンに留まるっている。
 シルカとシーラは目立っていて、街のスズメたちは「ウクルルの恐戦士」と噂している。
 太志は、大型耕運機のような貨物運搬機と揚水ポンプの営業で忙しい。
 腰の低い営業マンと、恐戦士と噂される男女の関係は政治の世界でも噂になっていた。しかも、ヒトとエルフだ。

 東エルフィニアでは、商人でも帯剣している。街や村から離れたら治安が悪い。野盗が跋扈している。商人は自分の身体と荷を自分で守らなくてはならない。
 だが、太志は長剣を佩いていない。刃渡り20センチほどのナイフだけ。

 才に恵まれた商人であり、腕のいい機械鍛冶であり、恐戦士のパートナーであり、長剣を佩かないヒトの男性に、エルフの商人たちが興味を示さないわけがない。
 結果、多くの商談が舞い込み、太志には情報が集まっていた。

 耕介が太志の顔を見て微笑む。
「耕介、少し気になる噂を聞いた。半信半疑なんだが、本当だと思う理由がある」
「太志?
 どんな噂?」
「シンガザリ王が死んだ」
「?!」
 耕介が驚く。
「軍や情報機関からはそんな報告はないぞ」
「いや、死んだらしい。
 行商人の多くが、そう推測しているんだ」
「根拠は?」
「シンガザリ国王の生年ははっきりしない。だが、100歳以上であることは間違いない。エルフはヒトよりも長命だが、100歳を超えて現役という例は少ない。
 エルフであっても100歳以上ならいつ死んでも不思議じゃない。国王陛下は死んでいなくても、何かができる状態ではないんじゃないかと……。
 意識がないか、寝たきりか、わからないが……。
 で、60歳代の王弟殿下と70歳代の王太子殿下がもめているらしい。実際、何度か矛を交えたようなんだ。
 両者が兵を集めていて、戦場がどこになるのかはわからないが、決戦が近付いている」
「太志……、確認していいか?
 王弟が60歳代で、王太子が70歳代はおかしくねぇか?」
 2人は議会内の議員各自に割り当てられた個室で会話しているが、盗聴は気にしていない。日本語だからだ。
「国王陛下なんだが……」
 太志は、陛下や殿下といった尊称を付ける際、小バカにしたように口角を上げる。
「90を過ぎても小作りに励んでいたようだ。
 8歳の王女殿下が末子らしい」
「種が違うんじゃ?」
「王妃陛下には、秘密の精子がぶち込まれていた?」
「王妃だって普通のエルフだ。90のジジイじゃ満足しないだろ」
「確かにな。
 王家なんて、格好がついていればそれでいいんだし……。
 どちらにしても、王弟殿下と王太子殿下の跡目争いが始まっている。
 で、数度の小競り合いがあったわけだから、どこかで決戦になる。
 シンガザリに入った商人たちの話しでは、水がなく、土地は枯れているそうだ。農地は山脈東麓につながる一帯だけらしい。王の臣民は飢えていて、盗賊に身を落とす兵士も多い。
 シンガザリへの封じ込めはある程度成功していると議会は評価しているようだが、実際は極限の社会不安に陥っている」
 耕介があることを気にする。
「太志、王弟と王太子の主張には違いがあるのか?
 例えば、だが……。
 王弟は現国王の政策を引き継ぐ、とか。
 王太子は現国王の政策を廃し、近隣との融和を図る、とか」
「ないね。
 どっちが次の権力者になるのか、それだけだ」
「所詮、猿山のサルか」
「ニホンザルの社会のほうが文化的じゃないか?
 知らんけど」
 太志の皮肉な切り返しに、耕介は笑えなかった。一歩間違えば、東エルフィニアだってそうなりかねないからだ。
「太志、俺は動けない。
 シーラと一緒にシンガザリに潜入してくれないか?
 もっと情報が欲しい」
「わかった。
 一度、クルナ村に戻り、準備をしてからシンガザリに向かう。入国手形はどうにかして手に入れるよ」

 耕介は、議会内でシンガザリの政変を話題にする議員がいないことを案じていた。
 ウクルル選出議員だけでなく、同盟関係にあるラムシュノン選出議員などにも情報を伝える。
 カルカラル選出の議員たちはシンガザリの政変を知らなかったが、ラムシュノンは気付いていた。
 ただ、ウクルルと同じで、単なる噂と、事実との切り分けができず、情報の収集方法を模索していた。
 ラムシュノン単独での威力偵察を検討していた。ウクルルが間者を送ったことを知り、この計画は一時的に中止された。

 シーラはクルナ村に留まり、太志が蓮太を伴ってホルテレンにやって来た。
 今回は、耕介の私邸で会った。
「シンガザリの東側は、完全に枯れている。
 王都を西に移して、王家だけは何とか乗り切ろうとしたようだが、これは渇水に悩む民衆の反感を買ったんだ。
 シンガザリの民衆の大多数は生死の確認ができない現国王を、あやしい宗教の教祖のように崇めているが、王弟や王太子には何の感情もない。
 どちらが支配者になろうが、どうでもいいみたいだ。
 だが、この点だけは無視できない。それは、シンガザリが全エルフを支配する権利を有していると信じていることだ。
 シンガザリ王家だけではない。
 シンガザリ全体が、だ。
 これは、高位の官吏から村から出たことがない農民まで変わらない。シンガザリの次の支配者が誰であろうと、その支配者が全エルフを統べるべきだと考えている。
 同時に、エルフは平等ではない。シンガザリのエルフだけが上級民であり、他は下級民なんだ。
 連中は、これを堅固に信じている。
 現国王が死んでも、戦いは続く」
 耕介が奇妙な表情をする。
「太志、優勢なのかどっちなんだ。
 王弟?
 それとも、王太子?」
「王弟殿下だな。
 有力商人が後ろ盾で、資金力がある。
 だが、王家の有力者は王太子支持が多い」
「じゃぁ、王太子側に資金援助をしよう。
 王太子側のシンガザリの商人で、知り合いは?」
「心当たりはある?
 でも、なぜ?
 なぜ、劣勢の王太子殿下なんだ?」
「王太子に頑張ってもらい、王弟と血みどろの戦いを続けてもらうのさ。
 そうすれば、東エルフィニアは平和だ。
 戦争するよりも安上がりだし……。
 それと、できるかぎり長く長く戦ってほしい。理想は永遠に」
「耕介、クソ悪賢い政治家になったな」
「いや、誰でも考えることさ。
 クソな国は、内戦が似合っている。
 仲間内で思う存分殺し合をさせればいい。
 その間、我々は安泰だ」

 耕介の策略は、残酷なものだった。フィオラはかなり怒ったが、体調が戻ってホルテレンにやって来たシーラは断固支持。
 身体頑健なシーラでさえ、シンガザリの異様な環境は心身ともに疲弊させた。
 シーラのシンガザリ嫌いは徹底していて、他者を困らせた。シーラの心中では、旧主家である王を名乗っていた豪族一族よりもシンガザリへの嫌悪が上回る。
  文字通り蛇蝎〈だかつ〉のごとくだった。旧主家がヘビで、シンガザリがサソリか?

 数週間後、劣勢だった王太子派が勢力を盛り返し、王弟派と互角の戦いを行うようになる。
 王太子派は、シンガザリの東側の乾燥化した地域を支配し、王弟派は西側の山脈東麓から半乾燥化した地域を占拠した。
 王太子派は旧王都を根拠地とし、王弟派は新王都を拠点にした。
 王太子派の支配地域は灌漑設備が機能せず、一部が砂漠化している。作物はごく一部を除いて、まったく育たない。
 王弟派の領域は森林が多く、開発されていない。農地が少ない上に、辺境なので上下水道を含むインフラがほとんどない。
 王太子派は誰であれ顔を洗うことさえままならず、王弟派は男女・高貴下賤を問わず野糞を強いられた。
 本来なら、両派とも疲弊の極みに達して、講和の機運が出るのだろうが、そうはならなかった。
 王太子派にも、王弟派にも、支援する商人がいるからだ。彼らの思惑はいろいろ。現国王への忠誠から嫡男たる王太子を支持するという損得抜きの支援から、王国再建時に旨い汁を吸いたい現実派まで多種多様。
 しかし、1人だけ損得勘定も、忠誠心もない支援者がいる。
 耕介だ。
 耕介は、王太子派が不利になれば物資や資金を提供し、王弟派が劣勢となれば武器や兵糧を送った。
 こうして、両派は最低限の経戦能力を維持し続けて、延々と不毛な戦いを続ける。
 シンガザリの民は、より多くの物資を持つ側について右往左往。やがては戦力に組み入れられて、性別年齢に関係なく戦場に送り込まれる。
 10歳の女の子が70歳の老女の腹を槍で突き、9歳の男の子が60歳の老兵の斧で頭を割られる。
 畑に種が蒔かれることはなく、収穫などあろうはずがない。
 だが、王太子派と王弟派は、どちらも「我こそ正義。だから、我は支持されている」と考えていた。
 実際、そういった発言で家臣や支持者を鼓舞していた。

 耕介の策謀は6カ月続いた。
 耕介の悪巧みの片棒を担がされていた太志は、耕介から6カ月後に伝えられた言葉に耳を疑う。
「もうやめよう」
「何を?」
「支援だよ。
 王太子派にも、王弟派にも何もしない」
「突然やめるのか?」
「あぁ」
「飢えるぞ!
 兵も民も」
「それでいいんじゃね」
「本物のクソ政治家になったな」

 3カ月後には、王太子派、王弟派のどちらも抗争どころではなくなっていた。
 シンガザリ国内に食べ物はなく、雑草や木の皮を食う始末。国境は厳しく封鎖されているから、難民となって国外に出ることもできない。

 王太子は、多大な支援をしてくれていたシンガザリの商人を呼びつけた。彼は多額の支援をしていながら、これまで王太子に目通りしたことがなかった。
 全エルフを支配する高貴な血を引く王太子と、血統さえわからない下賤の商人が顔を合わせるなどあり得ないからだ。
 だが、背に腹は替えられない。いまは支援が必要だ。
 荒廃してはいるが、王城の広間で王太子と商人が顔を合わす。
 王太子が最初に言葉をかける。
「直言を許す」
「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございます」
「挨拶はよい。
 最近、納金が途絶えていると聞くが、理由は何か?」
「はぁ、私は雑穀を扱っておりますが、シンガザリ王家に縁がある商人と取り引きがあり……。
 そのものが、胸の病で急死したとか。
 私はその商人から王太子殿下に納金するよう申しつかっておりました」
「そのものに世継ぎはおらぬのか?」
「息子が代を継いだそうですが……」
 雑穀商人は言葉を濁し、側近を軽く手招きし耳打ちした。
「代を継いだ息子は、王家には興味がないと言っていました」
 側近が王太子に耳打ちする。
 王太子の顔が変わる。
「そのものを捕らえ、首をはねよ」
 雑穀商人は慌てたが、王太子が言った「そのもの」とは支援をやめた王家縁の商人のことだった。

 シンガザリの民は難民となる気力さえ失せていた。激しい内戦で、男も女も兵士にされ、殺し合いをさせられ、生き残っていても怪我をしているか心を病んでいるかのどちらかだった。
 王太子派にも、王弟派にも、戦い続ける余裕はない。となれば、国を2つに分けるしかない。
 半砂漠の東側、もともと農地のない山脈東麓の西側に分裂する。
 こうして、東シンガザリ王国と西シンガザリ公国が成立する。

 東エルフィニアには最良の結末となった。
 シンガザリに占領されていたアクセニの地域は、シンガザリが衰退していく過程で旧住民によって奪還されていった。
 入植していたシンガザリの民は、抵抗することなく去るしかなかった。後ろ盾になるはずの王家は弱体化が著しく、そもそも民のほとんどが内戦における兵として召集されていた。
 半無人の地域に難民となっていた本来の住民が戻っていくような感じだった。
 アクセニを中心に、帰還者の当面の生活を支援するため、また農地を再生させるための計画が進められた。
 もちろん、東エルフィニアの国家事業としての取り組みだ。
 こういった活動は、耕介が進めた。ホルテレンの権力者たちは、基本的に民衆の生活には興味がなかった。
 彼らは、国家に富をもたらすことだけを考えていた。それが、政治家と官吏の仕事だと心得ていた。
 国家が富を得るには、民から税を徴収する以外に方法がない。しかし、ホルテレンの政治家と官吏には、民を豊かにして税収を増やすという発想がなかった。乾いた雑巾のごとく、民から税を搾り取る。生かさず殺さずを心得て民に対峙することが必要と考えていた。

 政治家志向のない耕介は、まずはウクルルの不利益になるような政策に反対するようにする。これは、他の共同体の議員も同じだった。
 ある意味、ホルテレンの横暴から地域を守ることが、地方選出の議員の仕事だ。
 政治家の多くは家業として議員に就いていて、公選制になっても基本は変わらなかった。
 地方選出の議員には、いくつかの種類があった。地方選出の議員は例外なく、地域の名士、地域の富者、地域の権力者だった。
 議員になる理由を大別すると、より高い肩書きがほしい、金儲けのネタがほしい、無理矢理押し付けられて、だ。
 そして、議員として頑張るのは、3番目の押し付けられ組だ。
 耕介もこの属性にあてはまる。限界まで私財を投じた議員がいるし、耕介も館の維持費をかなり回してもらっていた。
 押し付けられ組は、各地域の代表であり、同時に各地域の支援を受けていた。民衆の代弁者であり、強大な力を背景にしている。

 議員となった耕介の初仕事は、職業政治家議員の懐柔だった。彼らに主義主張はあまりなく、金貨でどうにでも転ぶことが多かった。
 ある政策・施策に反対する議員がいれば、その議員に金貨をつかませ、意見を変えさせる。
 シンガザリに対する秘密工作の資金も、こういった方法で合法的に政府から引き出している。

 太志から新たな報告があった。
 フィオラがビールを太志に渡す。太志がビール瓶の栓をテーブルの角で簡単に抜く。
「ビールを飲むと生き返る。
 生き返らないのはシンガザリだ」
「どういうこと?」
 疑問は耕介でなく、フィオラからだった。
「王太子が水欲しさに王弟の領地に攻め込んだ。総兵力で、だ。たった90だった」
 耕介が顔を歪める。
「90?
 それだけか?」
「あぁ、迎え撃った王弟軍は60だった」
「まさか?」
「そのまさかだ。
 総兵力だよ」
「で、どっちが……?」
「王弟軍が勝った。
 王太子軍は半数を失って、自領に逃げた。
 だが、王弟軍も半数以上を失ったようだ。
 両軍ともほぼ壊滅だよ。
 人口も激減している。統計がないから正確にはわからないが、感覚的には最盛期の5分の1以下らしい」
「内戦で?」
「多くはね」
「悲惨だな」
 太志が耕介をにらむ。そう仕向けたのは、耕介だからだ。
「シンガザリ国内は、死体だらけだよ。
 衛生状態が悪くて、致死性の感染症が発生している。人口急減の直接的な原因は、感染症だろう。だが、感染症を発生させたのは、内乱だよ」

 耕介は心が痛む思いよりも、ホッとしていた。ようやく、シンガザリの脅威から解放されたからだ。 
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