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第3章 競争排除則

03-029 リンゴとナシとモモ

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 リンゴは、エルフの土地、主にアクセニで栽培されている。ブドウはメルディの名産だが、ほとんどがワインに加工される。
 従来、トレウェリには名産の果物はなかった。
 いまは、モモがある。クルナ村のモモは、黄金と等価と言われるが、どれだけ黄金を積んでも決して口にはできない。
 食べられるのは、クルナ村の子供たちだけ、とされていた。
 だが、今年は商品として出荷できる。
 クルナ村の桃祭りが終われば、ごく少量だがホルテレンに出荷される。ホルテレンでは、初出荷品にいくらの値がつくのか話題になっている。
 秋になればナシの出荷も行う。モモほどのインパクトはないが、こちらも話題になっている。

 モモが実るたびに、耕介は自分に問うていた。
「俺たちは、昨年よりも2億年後に同化しているだろうか?」
 耕介は健吾が残した「同化しなければ、生き残れない」を実践しているつもりだが、同時に不安でもあった。

 彩華はクルナ村にいたときよりもはるかに元気になった。
 しかし、戻ってくることはない。
 亜子は「6人だったのに3人になっちゃったね」と耕介に言ったが、耕介は健吾の死以外は避けられたように感じていた。
 彩華はフォローの仕方がわからなかった。
 心美の兄には、もっと強く「話し合いは無駄だ」と言えばよかった。強くそう思っていたのに、沈黙してしまった。
 思い返せば、もし心美の兄が2億年後に同行していたら、6人全員が死んでいたと思う。
 彼は常識人で、少し大人だった。
 だから、リーダーになったのだが、亜子の決断力も、健吾の洞察力も、彩華の管理能力も、耕介の実行力もなかった。
 健吾がいなくてもどうにかなっている。だが、健吾がいればもっとどうにかしている。
 それが、耕介の思いだった。

 クルナ村からフラーツ村に彩華が派遣されたことから、フラーツ村からクルナ村にシーラが駐在することになった。
 そして、太志がロックオンされていた。これはクルナ村の女性の多くが知っている。

 フェミ川北岸での遺棄物資捜索は、北西部海岸からやや内陸で行うことが多くなっていた。
 耕介に付き合うのは、フリッツか太志。2人ともクルマには詳しい。その点に関しては、健吾よりも上だ。
 広い草原は探し終え、通路のような狭い草原に移行している。森は退行しており、森の中に車輌や遺棄物資がある可能性は少ない。
 ただ、森の中は隠すには便利で、苦労して運び込んでいることもある。

 2億年後への移住者が使う車輌には、いくつかの傾向がある。
 比較的年式の新しいSUVや本格オフロード車を改造して使用するグループ。この場合は、コンピュータ制御のパーツを作動不能にするか撤去して、必要なもののみ機械式に変更する。裕福な個人移住希望者の使用が多い。
 既存軍用車や軍用車ベースの移住専用車を使用するグループ。この場合は、何らかの公的機関と関係がある。マイケルが該当し、彼はアイルランド政府が選んだ公的移住者だった。
 独自の感性で移住に必要な車輌・装備を揃えるグループ。これが亜子たちで、列に並んで移住に臨んだ。
 当然、種々雑多。奇妙な車輌も多く、高速走行ができるように改造した農業トラクター、骨董品に近い改造軍用車、伝説的に路外走行に強いレストア・ビンテージも多かった。

「これを使うかぁ~。
 何を考えてんやろ~」
 フリッツの驚きは、耕介も同じだった。
「どうする?」
 持って帰る価値があるか否かを問う。
 それは、耕介自身に対する質問でもあった。
「持って帰ろう。
 使っているのはシャーシだけかも。
 ここまで走ってこられるなら、何か秘密があるでしょ」
 当然だ。
「北に向かって走り、ここまで来るには、運だけじゃどうにもなんねぇし……」
「どのくらい前から、ここにあるんやろ?」
「だなぁ~、新しくても30年、古ければ50年かな。
 だけど、乾燥しているし、雨が降らないから、劣化しないんだよ」

 増設された上部車体の造作はよくない。トレーラーを牽引していたはずだが、それは見当たらない。
 人力で移動させたか、他に牽引できる機材を持っていたのか、それとも動くクルマを拾ったか?

「ドイツ人が使っていたんだろうな」
 耕介の推測にフリッツが根拠を質す。
「なぜ、わかるの?」
「車体横に、下手くそな字でSonderwagenって書いてある」
「西ドイツが使っていた?」
「たぶん……」
「超骨董品だよ」
「だろうねぇ。
 M8かM20グレイハウンドのどちらかだろうけど、博物館に飾っておくような代物だね」
「博物館からかっぱらった?」
「あり得るねぇ」

 2人は無駄口を叩きながら、後方に牽引する準備を進める。
 機械室には、アウディの4気筒ターボディーゼルがあり、トランスミッションがオートマチックに換装されていることがすぐにわかる。
 やはり、利用したのは車体だけ。サスペンションの型式は同じで、リーフリジットには違いないが、スプリングは交換されている。おそらく、バネレートはオリジナルと異なる。

 タトラ8輪駆動トラックは便利だ。全長5メートルに達する6輪装甲車をそのまま荷台に積める。

 フェミ川北岸の基地は、この頃には北岸基地と呼ばれるようになっていた。だが、ゴミ屋敷と呼ばれることも多い。
 ログハウス風の大型家屋があり、燃料・飲料水・食料などの備蓄がある。50人が1カ月、滞在できる。
 中型クラスだがテント倉庫が組み立ててあり、ここで車輌の整備・改造・再生ができる。
 耕介とフリッツは男のロマンを凝縮した、このゴミ屋敷(北岸基地)に戻っていた。

 フリッツが耕介に問う。
「耕介は、これからもフラーツ村経由での陸送交易を続けるつもりなの?」
「あぁ」
「反対もあるよ」
「知っている」
「なぜ?
 なぜ危険な陸送交易にこだわるの?」
「我々独自の交易ルートを確保することは、重要だよ。
 実際、ホルテレンでのクルナ村産食用油の単価が上がっている」
「でも……」
「危険だな。
 シンガザリの東進は、あまり心配していないんだが……。
 メルディの海岸から離れた内陸部は、治安が悪いからな。それに、ヒトの内陸はかなり厄介だ。前回は公路から外れちまって、地元の王様にカツアゲされた。
 心美が危うく、拉致られてしまうところだった」
「それでも……」
「あぁ、そのためにこいつを拾ってきた」
「……?
 荷車の牽引に使うんじゃないの?」
「あぁ」
「何に使うの?」
「戦車にする」
「……!」
「まさかって、思ってんだろ。
 そのまさかさ。
 ストーマーから外したスコーピオンの砲塔を、このグレイハウンドに積む。
 カツアゲされてそのままじゃ、またカツアゲされる。解決するには、カツアゲ野郎をぶちのめすしかない」
「暴力……」
「誰も怪我しないようにやるさ」

 FV101スコーピオン軽戦車の砲塔を搭載していたストーマー装甲兵員輸送車は、農地の開墾に威力を発揮している。
 伐採した木の根を簡単に引っこ抜いてくれる。一番役に立つのはFV106サムソン装甲回収車だが、FV103スパルタンとともに力仕事を担ってくれていた。
 作業のためには、車内を占有する砲塔は邪魔だった。だから外した。砲塔は単管パイプで作ったラックに載せられている。車体側のターレットリングもある。
 ナシの収穫時期までには、役に立つようにするつもりでいた。そうでないと、秋の陸送交易までに間に合わなくなる。

 テンサイから作る砂糖は、莫大な富をもたらすことがわかっていた。生産量はまだ少なく、それだけ希少であることから、信じられない金額になっている。
 エルマのパン屋が売り出したリンゴのタルトタタン風スイーツは、砂糖を大量に使うのに安価であることから、販売日は行列ができる。
 整理券を配るのだが、整理券を受け取れず、泣き出してしまう豪商の女中もいた。彼女は、主の家族に命じられて他村から購入に来ていた。
 テンサイ糖は、クルナ村の新たな収入源であることは確かだった。
 当然、マイケルの地位が爆上がりで、チュウスト村では「村役に任命すべきだ」との声が上がっている。村が世話をして、新たな農地の貸し出しが計画されている。
 チュウスト村では「テンサイ糖はチュウスト村の名産だ!」「マイケル家族をチュウスト村の名誉村民に!」「クルナ村は偽りを言うな!」とのデモまであった。

 ナシの収穫が始まる頃、耕介は車輌4で陸送交易に向かった。
 タトラ8輪駆動トラックの荷台には、外販には不向きな等級の低いコムギを積んでいく。

 フラーツ村周辺のコムギは収穫は多いのだが、あまり良質ではなく、輸出には向かないとされていた。
 余剰のコムギをフラーツ村が買い取り、これを耕介たちと一緒に運んで、ヒトの領域の西辺で販売する計画だった。
 小国家への両村合わせて50トンのコムギは、相当なインパクトがある。
 前回は5トンだったが、内陸諸国から徹底的な妨害を受け、心美が拉致されそうになるなど、混乱したことから商談に到らず撤退している。

 今回は万全の体制で隊商を組む。

 超旧式M8グレイハウンド6輪装甲車を改造したトレーラー牽引車は、増設された造作の悪い上部構造物を撤去し、砲塔バスケットごとスコーピオンの砲塔を載せるため、車体上部を嵩上げする。
 すべては、溶接で行う。材料は入手している5ミリ厚の圧延鋼板を使う。
 グレイハウンドの運転席は車体全体よりも少し高くなっているが、さらに数センチ嵩上げし、新しい車体上部に砲塔を載せる。
 砲塔は手動旋回のまま。

 太志が話し出す。
「グレイハウンドのサスは古色蒼然だな」
 フリッツが応じる。
「旧式って意味?
 堅実とも言えるよ」
 耕介が前輪タイヤを転がしてくる。
「旧式でも堅実で高性能ならいいんだが、旧式で低性能じゃ話にならない。
 グレイハウンドのサスは、前後輪ともリジット、トラックそのもの。
 堅実で頑丈だけど、低性能だ。
 それを、こいつのオーナーはどうにかしようとした。
 前後輪とも板サスのままだが、ショックが追加してある。前後輪とも2本ずつ。
 よく改造している。
 実質、別物だよ」
 太志が応じる。
「リフトアップもしているし……」
 フリッツも同意見。
「頑丈な車体を利用しただけで、それ以外に利用したパーツはほとんどないね。
 ほぼ新造だよ。
 だけど、作るならもっといいベースがあるんじゃないかな」
 太志が答える。
「手に入らなかったんじゃないかな。
 俺もそうだった。
 手に入れた移動手段は、ポンコツのボンゴトラックとカブだけ。
 本当は、デリカの2代目スターワゴンがほしかったんだ」
 耕介が微笑む。
「大昔のことで……、大昔のことだな。なんと2億年も前のことだ。
 俺たちはポンコツ2トントラックと、小型の農業トラクター、ハンターカブだった」
 フリッツが空を見上げる。
「2億年後に脱出を図ろうとしていた誰もが、物資を集めるのに苦労していた。
 政府系のチームだって、簡単じゃなかったと思うよ」
 耕介が作業の手を止める。
「政府系は全滅したんじゃないかな。
 連中は大量の物資と機械力で、大規模開発するつもりだった。道だって造るつもりだったはず。だから、普通のトラックやダンプを運んでいた。建機もね。
 だけど、時間の間延びで、それはできなかった。ゲートへの突入が1分ズレただけで、出口側では69日も違ってくるんだ。1日なら274年だ。
 時系列破綻もあるから、集結はほぼ不可能だね。
 各個に孤立し、物資不足で身動きできなくなったと思う。移住に成功したのは、ごく一部だ。
 俺たちは幸運だった」
 フリッツと太志が頷く。強い賛意を示す。

 フラーツ村へは、亜子、太志、ナナリコ、マイケル、メアリーが輸送隊として出発した。
 もちろん、クルナ村とチュウスト村の職員も参加する。チュウスト村は長らく、海岸地域の買い付け商人に買い叩かれていたが、耕介たちの賃借農地がチュウスト村にあることから強引に割り込んできた。
 タトラ8輪駆動トラックとムンゴ装甲トラックの3台は村を発した。タトラには、クルナ村産とチュウスト村産の下等級のコムギが20トンずつの計40トン積み込まれた。

 彩華は元気だった。
 外見的な様子は以前と変わらなくなっているが、クルナ村に戻る遺志がまったくない。彼女は、水道さえない不便なフラーツ村を選んだ。

 近隣の村々を含めて、フリッツの来訪を多くの病人や怪我人が待っていた。
 新築のフラーツ村会所は臨時の診療所となり、フリッツは朝早くから夜遅くまで患者を診察し続けた。
 補給と整備のための4日間、フリッツは精力的に活動した。
 ゴンハジは診療所の医療補助に8人を選抜し、フリッツを手助けさせている。このなかから4人を選抜し、クルナ村に留学させる計画もある。
 フラーツ村も変わりつつある。変わり続けるには、資金が必要。そのためには、ヒトの領域である西辺との交易は絶対に必要なことだった。

 クウィル川以南の内陸国は、クウィル公路の一部を閉鎖し、内陸国内に誘導しようとした。
 耕介たちは前回の交易でこれに引っかかり、誘導されてしまい通行税を徴収された。この誘導は巧妙で、耕介たち以外にも多くの隊商が欺された。
 この詐欺行為を行うクウィル川南岸のヒトの国は、シンガザリの台頭によって山脈西麓の街道が使えなくなったことをいいことに、このカツアゲ的金儲けを思い付いたらしい。

 耕介と心美がフラーツ村に到着すると、すべての準備が整っていた。グレイハウンドには4人乗れるが、2人しか乗っていない。
 主砲の装填手兼車長がいない。ヒトの領域に入ったら、ゴンハジの長男が装填手を務めてくれることになった。彼は父親似で、外見はゴツいヒト。怪力なので、装填手に選ばれた。

「息子たちを頼む」
 ゴンハジは、若い息子のために耕介に頭を下げた。
「心配するな。
 2人とも大人だ」
「いや、そうでもない。
 村から出たことが少ないんだ。まだまだ世間知らずの子供だ」
 次男は村外に出ることが多いが、彼はトラブルを避けて、大きな村の中心部を避け、夜間はキャンプで過ごしていた。
 路銀(旅行費用)の節約もあったが、彼は自分が世間ずれしていないことを知っており、無理はしない。同時にトラブルに巻き込まれて、クルマを失うことを極度に恐れていた。

 耕介は心美に「彩華は元気なようだ」と言ったが、彼女は「見かけは回復したけど、実際はどうなのか?」と疑問を口にする。
「彩華は、姉であり、ママであり、友だちであり、勉強を見てくれる先生だったけど、もう違う。
 私は、もう彩華を頼らない」
 耕介は、心美の言葉に動揺する。
「どういうこと?」
「彩華、健吾を虐めてた。精神的に。
 私、そういうの嫌いなんだ」
 耕介は、彩華と健吾を近くで見ていた心美がそう感じていることに衝撃を受けた。
 そして、沈黙してしまう。
「私なら、健吾を大事にする」
 そう言い残して、心美はゴンハジの妻にクルナ村産のナシを持っていった。

 ゴンハジは、見かけはどことなく汚いジジイだ。一見すると精気を感じない。
 彼の妻は娘のような年齢で、エルフの中では小柄ですごい美人。耕介は心の中で「フラーツの美人妻」と呼んでいた。
 健吾がいれば口にしたかもしれない。
 フリッツは生真面目だし、太志はいい父親を演じきっている。見かけは無頼だが、中身は育児パパだ。
 健吾のようにさらけ出せる相手じゃない。

 耕介は、心の中で人間関係の断片的な情報をつなぎ合わせる作業をしていたが、現実に引き戻される。
 ゴンハジと握手する。
「行ってくる」
「あぁ」
 ゴンハジの妻が夫の背後からひょっこりと顔を出す。その仕草がかわいらしい。
「無事のお帰りを……」
「誰も欠けることなく、戻ります」

 先頭はグレイハウンド、タトラ8輪駆動装甲トラック、タトラ8輪駆動トラック、ダッジ・ラム6輪駆動ピックアップ、ムンゴ装甲トラックの順に隊列を組む。

 これが、初めての本格的な陸送交易になる。エルフの領域に住むヒトによる、ヒトの領域へのコムギの輸出だ。
 成功すれば、エルフの農民にとって新たな輸出手段となる。
 ドワーフに対する食用油の輸出は、すでに成功している。西辺と呼ばれるヒトの領域には、商業者に対する規制がない自由貿易国が存在する。
 この国では、一切の税がない。入域時に定められた金額を支払うだけ。テーマパークの入園料みたいなものだ。出域は自由。
 ここで、大商い、小商いが盛んに行われる。物々交換もある。
 この国の面積は10平方キロ程度なのだが、これで一国が成立している。他国から商人を誘引することで、莫大な利益を得ていた。
 何しろ、この国が用意するのは空き地だけなのだから。
 ヒト、エルフ、ドワーフは、この国で商品を売り、また仕入れ、帰路についたり、他地域に向かったり。
 そして、この国は最近東側にある内陸の王国領土の一部を買い取って、この国に組み入れ、東西公路に直結する街道を建設している。
 これによって、さらなる利益が得られるようになった。
 太志はこの国の存在を知っていたが、立ち寄ったことはなかった。しかし、太志の提案で前々回、この国で交易を試み、大きな成功につなげている。このときは、ドワーフ向けの食用油だったが、希望していた以上の値で売れた。
 今回は、西辺向けのコムギ50トン。
 どうなるか、誰にも想像できていない。
 50トンのコムギは、推定だが3000人が1カ月間に消費する量に相当する。決して、量的に少なくはない。

 商品の売り方・買い方は簡単。マーケットにブースを借り、見本を陳列するだけ。
 ブースは有償で、両手を広げた長さ単位で借りられる。この長さは1.8メートルほどで、豪商は什器を持ち込んで立派なブースを作る。
 耕介は躊躇ったが、2ブース借りた。想定外の出費だが「しょぼくれたブースなんて誰も来ねえよ。コミケみたいに派手にやろうぜ」と気合いを入れる。
 現実のコミケを知っているのは、亜子、彩華、心美の3人で、彼女たちが指揮して、垂れ幕やのぼりを作って、他のブースとは異質な空間を作り上げた。

 彩華は、電気パン焼き器で久しぶりにパンを焼いている。キャンプしながらの旅なので、心美が持ってきたのだが、彩華が占有している。

 耕介と太志は、小麦粉を作るために石臼を回す。これは、フラーツ村から持ってきた。
 クルナ村、チュウスト村、フラーツ村各村のコムギで作ったパンの試食を試みる。
 こんな営業をする商人は、他にはいない。豪商でも、商品を並べるだけ。買い手をただ待つ。

 心美が呟く。
「エルマを連れてくればよかったよ」
 彩華も同意。
「この仕事。
 エルマが適任だったね」

 小さく切ったパンを食べたヒトの若い男が、耕介が回す石臼の小麦粉を指に付けて舐める。
 次に見本として並べているコムギ数粒を手のひらに載せる。
 3村すべてのコムギを確かめる。
「このフラーツ村産は、どれだけあるんだ?」
 ゴンハジの長男が応対するが、あまりにもぎこちない。
 彩華がフォローする。
「標準の穀物袋で、300袋以上あります」
 男の顔がこわばる。
「1袋いくらだ?」
 彩華は、商売上手だ。
「この銀貨で20枚。
 だけど、大量に買ってくれるならボリュームディスカウントしますよ」
「ボリュ……?」
「安くしますよ」
「女の商人は珍しいし、こんな商談も初めてだ。
 嫌いじゃない」
「全部を買うならいくらにしてくれる。
 それと、私の国まで運んでほしい。
 隣国だ。遠くない」
 ゴンハジの長男タクマは、オロオロしている。
 彩華は一瞬だが逡巡した。
「同じ銀貨で200枚」
「150枚でどうだ?」
「180枚」
「よし、運び賃込みで頼む。
 荷下ろしはこちらでやる」

 フラーツ村の面々は、抱き合うように喜ぶ。初日に全品売れたのだから、当然だ。
 チュウスト村産は、午後になって全品売れた。クルナ村の参加者は焦った。
 コムギの品質は、話し合いで3村が同じとしていた。しかし、フラーツ村とチュウスト村は、その等級内で最良のコムギを用意してきた。クルナ村は、バカ正直に運んできた。
 だが、翌日には全品売れた。少し価格は叩かれたが、想定の範囲内だ。

 2日目の夕方、撤収の準備をしていると、ドワーフの商人がやって来た。
「クルナ村なのに、なんでムギなんだ!
 ひまわり油はどうした!
 せっかく、出会ったのに、何てことだ!」
 怒ってはいないが、非常に残念な気持ちを吐露し続けている。
「大商いのチャンスだったのに!」

 タクマが耕介に「150トン」とぶっきらぼうに言った。
「3村で150トン運んでくれば、かなりの儲けになる。
 運ぶ方法を考える」

 クウィル公路をハルジー王国が封鎖していて、自国領に誘導しようとしている。自国領に引き入れて、通行税を巻き上げようとの魂胆からだ。
 ヒトの領域の海岸部と西辺の間、内陸と呼ばれる地域の典型的なカツアゲ国家だ。
 旅の商人も黙ってはいない。河川敷に通路を開き、ここを迂回路にしていた。
 往路は耕介たちもこの河川敷ルートを使った。
 だが、復路では、この河川敷ルートまでも封鎖していた。
 多くの商人が難渋していて、封鎖線の西側から渋滞ができていた。
 耕介たちもその渋滞に巻き込まれる。
 ヒトの領域ではコメを産する地域があり、耕介たちはジャポニカ種を200キロほど買った。自分たちで食べるためだ。
 それ以外は燃料。ガソリンと軽油だ。これは、ドワーフの商人が商っている。タトラ8輪駆動トラックは半載、ダッジ・ラムは積載重量の4分の1を積んでいる。

 耕介が河川敷側の路肩を走り、渋滞の先頭まで行くと、強面の商人たちが「封鎖を解け」「道を開けろ」「ここを通せ」と、ハルジー王国兵とやり合っていた。
 王国兵は落ち着いているが、剣を抜き、弓を引いて威嚇している。
「通りたければ、我がハルジー王国の道を通れ!
 押し通ろうとするものは、容赦せぬ!」

 耕介は、老獪で、口達者で、強面の商人たちを見ていたが、彼らは疲れ切っている。
 心美が隣の馬車の老婦人に声をかける。
「おばさん!
 いつからここに?」
「もう4日よ。
 早く東に行かなくてはならないのに。
 税がいくらなのかわからないし、税が払えないと積み荷を奪われてしまうらしいの」
 老婦人が涙を見せた。

 運転している耕介は、心美が砲塔を回し始めたので、慌てた。
「何やってんだ!」
 耕介の予測に反して、方針は川の方向に向く。護岸には腕では抱えられないほどの大木が、点々と並んでいる。
「任せといて!
 ビビらせて、通させるから!」

 心美が慎重に照準した76.2ミリ榴弾が、大木の幹に命中。大木が小枝のように吹っ飛んだ。ウマが一瞬、いななき暴れるがすぐに収まる。
 その場の旅人と王国兵が驚く。
 心美が砲塔に上り叫ぶ。
「カツアゲ野郎!
 そこを退きな!
 退かないと、あんたたちのお城の天守を吹っ飛ばすよ!」
 心美は小動物のような身のこなしで、砲塔内に飛び降り、砲身を旋回させる。
 そして、上半身を砲塔から出すと、ニヤリと笑う。

 ヒトは迷信深い。
 誰かが「雷鳴の魔法だ」と呟く。
 次に「魔法使いだ」と騒ぎ出す。
 主砲の威力よりも、魔法使いの登場に王国兵が狼狽する。
 そして、封鎖を解いた。
 グレイハウンドを先頭に旅人の列が続く。

 殿〈しんがり〉のムンゴに乗っていた彩華は、無線で事の次第を聞いていた。
 ムンゴを停車させ、車外に出る。そして、指揮官に近寄る。
「私たちは、この道をよく通る。
 今度、ふざけたことをしていたら、本当に天守を破壊するよ。そうなったら、全部あんたの責任だからね」
 体格のいいベテラン下士官か下級将校は、小柄で色白の女性に凄まれて、息を飲んだ。
「わかった。国王陛下に伝える」

 クウィル川を渡ると、ヒトとエルフは緊張の糸が一気にほどける。
 その夜のキャンプで、ゴンハジの次男ユウキが口を滑らせた。各村が50トンのコムギを運ぶ方法を論じている最中のことだった。
「あれが直れば、20トントレーラーを2台牽ける」
 耕介よりも太志が一瞬早く突っ込む。
「あれ、って何だ?」
 ユウキが口籠もる。兄のタクマは腹をくくった。
「直らなければ意味がない。
 直せるとしたら、コウさんたちだけだ」
 そう告げてから、市場で買ったワインを飲む。そして、ユウキに態度で促した。
 ユウキが話し始める。
「兄貴が生まれる前の話だ。
 親父は盗賊を追った。
 理由は村長の娘だったお袋が掠われたからだ。お袋はまだ子供と言っていい年だったらしい。
 身代金目当てだったらしいが、親父は盗賊を追い詰めて、遠距離から1人ずつ殺した。
 こいつで」
 ユウキが64式小銃を触る。
「お袋を助け出したあと、廃村で夜を過ごした。
 そこにあったんだ。大きな納屋の中に。
 鉄の板に囲まれた8輪のクルマ。タトラと同じくらい大きい。
 あれが動けば、20トントレーラーを2台牽ける。きっと牽ける。
 親父はその後、村に持ち帰ったけど、修理できなかった。
 エンジンが動かないんだ。どこかの部品が壊れているんじゃないかと思う」

 耕介は別なことを考えていた。
 農業トラクターに似た構造で、巡航時速30キロで10トン積みトレーラー1台を牽引できる牽引車を15台作れば、恒常的に交易できるようになる。
 それが、耕介の結論だった。
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