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第3章 競争排除則

03-021 大進化

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 5回目のモモの実の収穫。秋にはナシの実も収穫できる。
 モモの実は、クルナ村では秘匿されている。果物はリンゴとブドウくらいしかない世界で、ブドウの多くはワインに加工されてしまう。
 リンゴも多くがワインになる。
 果物としてのリンゴを食べられるのは、相当に裕福な家庭でないと無理。
 だから、モモの実がなると、村は祭りの支度を始める。
 今年は、村民全員が1個を食べることができるほどの実りがある。
 ショー家の長女メアリーが桃祭りを楽しみにしている。

 桃祭りというイベントがあるのに、夕食後の話題はオークとトロールの動向に向かってしまった。
 健吾が成り行きで説明する。
「昨年の春、ドワーフの土地よりも南で、オークとトロールが大規模な戦闘をした。
 競争排除則(ガウゼの法則)は、ヒト属に働いていることは事実だけど、顕在化しているのは、オークとトロールだ。
 オークが逃げ、トロールが追ってきたんだ。トロールはオークが滅びるまで、攻撃し続けるんじゃないかな」
 モンテス少佐が「その次はヒト?」と呟く。
 その疑念は間違いではない。トロールは、ヒト属の土地の最南にあるコフリー川の南岸以南でドワーフの探検隊を襲っている。
 1隊だけではない。何隊もだ。
 健吾が説明を続ける。
「トロールは、身長250センチ前後、体重は推定200キロ。身体能力がとんでもなく高い。
 オークは、トールキンのオークとは根本的に違う。性格は穏やからしい。それと、臆病。脅かせてしまうと、追いかける性質があるけど、本質は攻撃的ではない。
 未確認の情報だけど、オークがヒトの村にやって来て、干し魚とムギの交換をしていった、という話があるんだ。
 とすると、何らかのコミュニケーションが可能なわけだ。
 オークとは、棲み分けができるかもしれない。たぶん、競争排除則は働かない。
 そのオークだが、トロールに追われて、ドワーフと無人地帯との境界、コフリー川の南に進出したようなんだけど、もともとは山脈の西麓に棲んでいるんだ。
 ドワーフとエルフの伝説では……。
 オークの生息域にトロールが侵入して、オークが押し出された。オークは住処を移動できるまでは戦いを避け続けていたけど、ついに追い詰められたわけだね。
 東は海。逃げ場がない。
 ヒトもだけど……」
 健吾が一息つき、亜子に顔を向ける。
「亜子、オークやトロールはどんな動物なんだろう?」
 亜子が椅子に座った状態で身体を動かす。
「はっきりはわからない。
 だけど、ドイツの分子生物学者が残したメモは、だいたい解読できた。
 エルマのおかげだけど……。自動翻訳機では、無理だったと思う」
 エルマが恥ずかしそうにはにかむ。
 亜子が続ける。
「2億年前、大災厄は生物大絶滅を引き起こしたんだ。その絶滅の仕方は、恐竜の絶滅よりも急速だった可能性がある。
 どちらにしても、哺乳類の大半と鳥類のすべてが絶滅してしまう。
 哺乳類で生き残った種は、ごくわずか。それらの種も個体数が激減したので、急速に絶滅の道をたどるんだ。
 ヒトも例外ではなかったんじゃないかな。
 少数が何千年か、数万年は生き残ったかもしれないけれど、絶滅の方向は変わらない。文明を維持できないヒトは、脆いからね。
 2億年後への移住は、いくつもの時間軸で行われてしまったらしい。
 だから、1つの時間軸でも2億の移住者が、12万年間に散らばってしまうのに、時間軸がたくさんあったから、おそらく何十万年もの期間に少数のヒトが移住してしまった。
 偶然、多くのヒトが同時に移住したことがあったのだろう。そんな少ない例のうち、少ない可能性で世代を重ねながら、一定の文明を維持できたグループがいたんだ。
 最も古いグループがドワーフに進化し、次に古いグループがエルフになった。
 ドワーフとエルフの土地に挟まれた緩衝地帯に入り込んだヒトは、2つの種に守られて最も困難な時期を生き抜いた。
 多くのグループがいて、その中にはミリオタグループ、科学者や技術者のチーム、カルト教団など、バリエーションが豊富だった。
 どんなグループが生き残ったのか、それはわからない。農業開拓者グループが生き残った可能性は高いかもしれないけど、絶対じゃない。
 聖霊教団のようなカルトも存在しているんだから……。
 聖霊教団は、宗教国家のような存在。狂信的で、話が通じないから厄介。
 行商のヒトが、言ってたよ。
 聖霊教団なら魔獣のほうが焚き火を囲む気になるって……」
 亜子が麦焼酎の水割りを飲む。
 そして、続ける。
「本題だけど……。
 大災厄後に起きた大絶滅を生き延びた哺乳類は、紆余曲折はあっただろうけど、結局は1目しかいない。
 哺乳綱獣亜綱後獣下綱有袋上目オポッサム形目だけ。
 2億年後の体毛のある動物は、オポッサム1種から進化したんだ。あらゆるニッチにオポッサムは適応していき、大進化するんだ。
 さらに限定がある。オポッサムは有袋類だけど、育児嚢がない種がいたんだ。その育児嚢がない種が、つまり多様化しやすい原始的な種が進化の基点になったんだ。
 2億年かけて、育児嚢のないオポッサムは、有袋類でも、有胎盤類でもない、新たな哺乳類に進化したんだ。
 有袋類が属する後獣下綱でも、私たち有胎盤類が属する真獣下綱でもない、新たな種なんだ。私は、幻獣下綱って勝手に呼んでいるけど……。名前がないと困るし……。 
 オークやトロールも幻獣下綱に分類されるんだ。だから、真獣下綱の私たちとはかなり違う。
 私たちは2億年後の環境に適応できないけど、オークやトロールは違う。
 私たちヒト属は、環境に適応できないから、環境のほうを変えたんだ。
 それが、山脈東麓から海岸まで、北はフェミ川から南のコフリー川までの推定140万平方キロの土地。この土地以外では、ヒト属と家畜は生きていけない。
 でも、日本やドイツの国土の3.5倍、アイルランドの20倍もあるから、生きていくには十分な広さだよ。
 だけど、何百年もかけて環境を変えて、何十万年も守り続けたんだ。
 その努力には敬意を表さないと」
 ピーターが「誰に敬意を表すの?」と尋ね、メアリーが「祖先に、よ」と答える。
 だが、ピーターは納得しない。
「でも、時計の順番が壊れちゃったんでしょ。もしかしたら、隣に住んでいたスティーブかもしれないでしょ。
 スティーブは友だちで、祖先じゃないよ」
 メアリーが笑い、その場の誰もが笑った。時系列破綻とは、そういうことなのだ。
 モンテス少佐が珍しく会議で言葉を発する。
「オークやトロールは、私たちとどのくらい違うの?
 ヒトとイヌくらい」
 亜子がモンテス少佐に微笑む。
「ヒトは、哺乳綱・真獣下綱・真主齧上目・真主獣大目・霊長目・直鼻猿亜目・真猿型下目・狭鼻小目・ヒト上科・ヒト科・ヒト亜科 ・ヒト族 ・ヒト亜族・ヒト属・ヒト種。
 イヌは、哺乳綱・真獣下綱・真主齧上目・真主獣大目・ネコ目・イヌ亜目・イヌ科・イヌ亜科・イヌ属・タイリクオオカミ種・イヌ亜種。
 オークは、哺乳綱までが同じ。そこから先が違う。種としての差は、トカゲよりも近い程度」
 モンテス少佐がうな垂れる。
「トロールと接触するまでに、銃がいるね」
 これは何度も話題になっている。

 話題は多岐にわたり、発言者が多く、唐突に健吾にターンが回ってきた。
 健吾は、一定の成果を得ていた。
「ドワーフの科学の目的は何だと思う?」
 誰も答えない。知っている耕介は健吾に任せる。
「錬金術なんだ。
 すべては、金を作り出すための研究だ。
 その過程で、いろいろな物質を作り出した。
 硫酸と硝酸は、ドワーフから入手できる。ヒトからは綿。コットンランドがどこにあるのか知らないけど、綿花を栽培するヒトがいる。この3つがあれば、綿火薬が作れる。
 爆弾くらいは何とかなるよ。
 手榴弾を作るつもりだ」

 クルナ村は表向き平和だ。
 しかし、フェミ川北岸西方にごく少数だがオークが進出している。
 間違いなく、トロールに追われ、住処を求めて北へ逃れてきたのだ。
 トロールが襲うのはオークだけではない。ドワーフやヒトの村も襲っている。エルフに関しては、被害があるとされているのはシンガザリだけで、同国の状況は判然としない。

 耕介と健吾が行う北方探査は、ビッグフットかウニモグを使うことが多くなっていた。回収して意味がありそうな車輌はなく、遺棄されている物資を見つけると回収する程度になっていた。
 最近は、ヒトのコロニーの痕跡を探すことと、地理的探検が主な目的になっていた。

 しかし、この日は違った。とんでもない大物を見つけたのだ。
 遺棄されてから20年以上、30年前後は経ていると思われる、ドイツ製フクス6輪装甲車の救急車型を発見したのだ。
 しかも、このルートは過去に何回も通っている。発見は偶然の産物であることがよくわかる出来事だった。
 フェミ川北岸の物資集積基地から、西に360キロの地点だった。

 フクスはタイヤのホイールハブ付近まで埋まっている。掘り出す作業は簡単ではない。
 車体よりも積み荷が魅力的だ。医療機材が揃っており、医薬品も満載されている。もちろん、使えないものもあるが、この地は夏でも冷涼で、かつ乾燥していて、車内は密閉されていたから、使えるものがあるはず。
 耕介と健吾は、久々の釣果に喜んでいた。フクスを後方から引き出すため、車輪間の土を掻き出し、最後輪の土も掘り続けた。

 車体は擬装網で覆われていて、燃料タンクには比喩なしに1滴も残っていなかった。この大飯喰らいを捨てて、徒歩でどこかに向かったのだろう。
 戻ってくるつもりだったかもしれないし、戻れないと覚悟していた可能性もある。
 車内には、弾薬も残されていた。5.56ミリNATO弾だが、この弾を発射する銃がない。.45ACP弾も多いが、これを使う銃もない。
 しかし、この弾を使う銃を健吾が作った。6連発のリボルバーで、コルト・ニューサービスをモデルにしている。コルトM1917と同系だが、細部は異なる。
 この銃を10挺作った。
 拳銃の不足を補い、遠征時には携行している。

 2人が夢中で穴掘りしていると、視線を感じる。
 耕介は震え、健吾は慌てて枝にかけたホルスターに近寄る。
 だが、2人を見ているのは魔獣ではなく、灰色の体毛に覆われた直立二足歩行の動物だった。
 2体のオークは腰の剣は抜かず、恐竜のような二足歩行の動物に付けた鞍鞄から藁のようなものでくるまれた何かを取り出す。
 包みを開いて見せる。
 干物の限度を超えて、完全に水分を飛ばした乾燥した魚だ。サケ・マス類と思われ、ヒトの感覚ではうまそうに見える。
 耕介が健吾に告げる。
「物々交換か?」
 健吾が「何と交換する?」と尋ね、耕介は「マチェッテはどうかな?」と答える。
 健吾が反対する。
「武器になりそうなものはまずい。
 食料がいい」

 旅の途中で、コムギなどは持っていない。
 2人は、交換できそうな食料をかき集めた。直径20センチの丸いパンが4つ。雪花菜クッキー40枚ほど。
 これで、乾燥した魚、それも体長80センチ級の大物が2尾。
 等価交換にはならないように思う。

 健吾がキャンプ用テーブルを抱え、150歩先に置く。
 健吾が戻ると、耕介が交換品をテーブルまで運ぶ。
 オークがパンとクッキーを品定めする。耕介が、クッキーを食べてみせると、オークも食べる。
 ほのかに甘い菓子なので、気に入ったようだ。
 もう1体のオークが乾燥した魚2尾をテーブルに置く。
 だが、耕介は1尾で十分と考えた。
 2尾置いて立ち去ろうとするオークを追いかけ、1尾を返す。
 もともと律儀なのだが、こんな状況でもきっちりと公平を考えるとは、ほんとうに驚かされる。

 オークは、耕介の行為に頭を下げた。その様子は、ヒトと同じように見えた。
 それと、パンを知っている様子だった。
 それと、クルマを動物として認識している様子がある。だとすると、ショー家族のバラクーダを追いかけた理由もわかる。
 危険な動物を仕留めようとしたのだ。

 いったん立ち去ろうとしたオークが戻ってきた。
 クルマに興味があるようだ。
 耕介がドアを開け、車内を見せ、作り物であることを理解させる。

 少なくとも2体のオークは友好的だった。耕介は、シンガザリ兵よりも、はるかに高い知性を感じた。

 突然だった。
 魔獣が現れた。後肢で立ち上がると3メートルを超える巨体で、手の指には長大なかぎ爪がある。
 オークの反応は早かった。
 弓を射る。
 だが、巨体の突進を止められない。

 魔獣は、矢を6本、拳銃弾4発、ライフル弾2発を受けてやっと倒れた。

 オークは何かを伝えようとしているが、意味がまったくわからない。
 耕介が「毛皮がほしいんじゃねぇか?」と。健吾が「どうして、そう思う?」と問うと、耕介は「この化け物で価値があるとすれば、毛皮くらいだろ」ともっともな分析。
 健吾が両の手のひらを上にして「どうぞ」との身振りをすると、理解したのか、早速、毛皮を剥ぎ取り始める。

 健吾がテーブルを折りたたみ、耕介とともにフクスの掘削に戻る。
 オークが立ち去るのを待ってから、ビッグフットで牽引しフクスを引っ張り出す。
 そして、フェミ川北岸の物資集積基地に数日かけて戻ることにする。

 フクス6輪装甲車については、エルマが記憶していた。ドイツ軍の車輌で、民間移住者の支援を行うために送ると説明されていた。医療、土木、輸送など、支援チームが運用していた。
 そして、フクスは宝の山だった。モンテス少佐が2億年後で失った機材のすべてがあった。医薬品は厳密には使用できないが、そこは飲み込まなければならない。使えるものは使う。

 フクスは再生する方針が決まり、目的は各地への遠征に使う。
 移住者用バラクーダの車体は均質圧延鋼板の溶接で組み立てられているのだが、鋼板は浸炭されておらず、装甲ではない。車体外板は軽量化の目的で、4ミリ厚とかなり薄い。短距離からの拳銃弾と散弾ならば、どうにか防げる程度。小銃弾は無理。貫通する。
 見かけは鈍重そうだが意外と軽量で、水陸両用車なので、使い勝手はいいのだが、どんな危険があるかわからない探検には不向きだ。
 それに、ショー家族の足でもある。鋼管フレーム製シャーシの4人乗りバギーが数台あり、誰もが自由に使えるようになっている。だが、ショー家族を2億年後に運んできたクルマを奪ってはいけない。
 それが、耕介の考えだった。
 その点から、フクス6輪装甲車の修理は意味がある。装軌車に比べると装輪車のほうが、圧倒的に燃費がいいし、フクスは最前線で使う戦闘車輌ではなく、安全な地域と前線を結ぶルートなどで使う車輌で、使い勝手がいい。

 健吾は、量産を始めた新型空冷2サイクル単気筒ディーゼルの性能に満足していた。
 高度に精製した植物油を燃料とし、潤滑も植物油。2サイクルなのでバルブがなく、構造が簡単。排気量400ccで12馬力を発揮する。
 4気筒化、6気筒化すれば、2億年後で農業トラクターを製造することだって不可能ではない。
 実際、耕介と健吾には、その構想があった。

 マイケルとメアリーのショー夫妻が、耕介の部屋を訪ねたのは、数日後のことだった。
 マイケルが用件を話す。
「クルマなんだけど、バラクーダと交換してもらえそうなものはないかな?
 視界が悪いし、大きいし、重いし、乗り降りが不便で、使い勝手が悪くて……。
 いままでは、家族を守るためには必要だと考えていたけど、みなさんの考えは知っているし、使いやすいクルマと交換できるなら……」
 耕介が考える。フィオラが耕介を見詰める。
「残念だけど、乗用車やSUV、小型の4WDはないんだ。
 だけど、ダブルキャブの2トントラックならある。キャンターっていう名の日本製小型トラックだけど、高床で悪路走破性が高い。
 どこでも走れるわけではないけど、困ることはないよ。
 見てみる?」

 フェミ川北岸の物資集積所をマイケルが訪れるのは、数年ぶりだった。
 耕介が説明する。
「直せるクルマは少ないけど、部品の供給源にはなっている」
 マイケルは驚いていた。
「ずいぶん、増えたんだね」
 耕介が笑う。
「ガラクタばかりだけどね」
 マイケルが指差す。
「あれは装甲車?」
 耕介が案内する。
「イギリス製のスパルタン装甲車だ。
 もうすぐ、動くようになる。
 あれが、キャンターだ」
 マイケルが小型ダブルキャブトラックのボディを触る。
「きれいだね」
 耕介が説明する。
「薄く浮いた錆以外、ボディはきれいだった。
 だけど、2億年後に運ばれたのはかなり前、ゴム類はまったくダメ、エンジンとミッションはオーバーホールしなければならなかった。
 だけど、オートマだから運転はしやすいと思うよ。荷物も積めるしね」
 マイケルが躊躇う。
「交換してもらってもいいの?」
 耕介が頷く。
「バラクーダじゃ、買い物に行けねぇじゃん」
 マイケルは感謝の意から握手を求め、耕介が応じる。

 数日後、キャンターがフェミ川南岸に渡り、バラクーダが北岸に移動した。

 村役たる健吾には、集落への責任があった。シンガザリの襲撃に備えて、14戸に増えた集落民をどうやって守るのか、それを悩んでいる。

 シンガザリ軍が跋扈する状況で、銃と弾薬の不足は深刻だった。
 数日前、西南西12キロのアチェ村の集落がシンガザリ軍に襲われた。わずか、25戸の集落なのに、精強なシンガザリ軍をなぜか退けたという。
 どこにでも、切れ者はいる。

 シンガザリ軍の残虐さには、想像を絶するものがある。その恐怖から、軍門に降る街、村、集落があるのだが、降ったところで何も変わらない。
 戦場で死ぬか、路傍で死ぬか、広場で処刑されるか、の違いだけ。シンガザリがほしいのは農地であって、農民ではない。
 降伏した農民に用はない。去るか、去らないなら男は殺し、女は犯して子を産ませる。それが、シンガザリの国家としての方針。

 クルナ村の総意として、シンガザリには降伏しない、と決めていた。
 一時期、シンガザリ軍の行動が低調だったが、昨年の夏から活発になっていた。部隊を再編して、防備の固い東のメルディではなく、シンガザリへの対応で分割されてしまったアクセニへの攻勢が強まっていた。

 親シンガザリの態度を決めたアクセニの南西側は、悲惨だった。
 シンガザリ系住民の男は、証拠の有無にかかわらずスパイの疑いをかけられ、拷問の末、殺された。
 アクセニ系住民の男は、年齢に関係なく処刑された。
 女は、ルーツに関係なく組織的に集団暴行された。

 そのシンガザリの圧力が減衰している。
 その理由がわからない。
 トレウェリにも親シンガザリ地域があるのだが、その中心である旧都は籠城状態に陥っているにもかかわらず、その姿勢を変えていない。アクセニの親シンガザリ地域がどうなったか、知っているはずなのだが……。

 健吾は、旧日本軍の四四式騎銃の資料を基に5.56ミリNATO弾を発射するボルトアクション小銃の設計を数年前から始めていた。
 銃身の製造方法がわからず手間取ってはいたが、どうにか目処を立てていた。
 部品は1点1点が手作りで、部品間の互換性が乏しいのだが、4挺を試作していた。
 弾はあるが銃がない5.56ミリNATO弾がようやく使えるようになったばかりだった。

 耕介と健吾は、TM-170バラクーダの非力なエンジンにターボチャージャーを取り付けた。
 フクスが使用できるようになるまで、この車輌をフェミ川北岸調査に使う。

 今回の調査は、目的地が決まっていた。前々回の北部海岸から内陸数キロの場所で、水蒸気が上がっている様子を遠望していた。
 この水蒸気の発生源までいくつもりだった。
 目的地が明確なので、今回は5日間の予定だった。

 いままでとは異なるルートを採るが、想定していた通り新たな遺棄物資を発見する。
 中身のないドラム缶やジェリカン。空荷のトレーラー。中身がない軽合金のケース。朽ちかけている木箱。塗装が完全に残る木箱。朽ちてエンジンとシャーシだけの車輌。塗装が残っていない車輌。塗装が残る車輌。
 意外なほど、多くを見かける。
 耕介がイヴェコVM90トルペドを見つけ、大喜びをして、何時間も無駄にした。
 ムンゴは非常に有用な車輌で、ムンゴと性格が似ているトルペドが役に立つことは容易に想像できた。
 帰路に調査すればいいのに、耕介はすぐに検分したがり、実際そうした。

 耕介と健吾の間に重苦しい雰囲気がある中で、水蒸気が立ち上る様子が見えてきた。
「耕介、10時の方向に水蒸気!」
 ルーフから身体を乗り出していた健吾が叫ぶ。
 耕介は、車内からでは水蒸気を確認できず、車体を10時の方向に向けて止める。
 耕介が車外に出て、水蒸気の方向を見るが、雲なのか水蒸気なのか、判然としない。
 だが、ルーフの上に立つ健吾は、「水蒸気だ」と断言する。
 森が邪魔をして、水蒸気の発生源が見えない。それは、健吾も同じ。森が邪魔で、南から水蒸気の発生源には近付けない。
「北に回り込む!」
 耕介の判断を、健吾はスルーする。反論する理由がないし、時間を無駄にした耕介を許してはいなかったからだ。

「冗談だろ?」
 耕介の呟きに、健吾も同意する。
 眼前の光景は、冗談としか思えない。鉄骨に樹脂製外板の大型施設が残されていた。
 ヒトの気配はない。
「地熱発電所だな」
 健吾の判断に耕介も同意。
「そうだな。
 間違いない。
 だが、もう死んでいる。稼働していない」
 電信柱が倒れていて、電線もつながっていない。だが、遺跡のような雰囲気はない。災害に見舞われて、損傷したばかりのようでもある。

「遠目とは違うな」
 耕介の感想に、健吾も同感。遠目では最近の施設に見えたのだが、間近で見るとはるか以前に役目を終えた廃墟だった。

 周囲を探索すると70戸近い村があった。状態からヒトが住まなくなって、30年以上ではないかと2人は判断する。

 墓地があった。
「100人以上埋葬されているみたいだな」
 健吾の観察に異議はないのだが、耕介には付け加えなければならないことがあった。
「何世代が埋葬されているかだ。
 同一世代だけなら、その理由が問題になっちまう」
 それは、健吾も同じ。
「何百年もここに住んでいたようには思えないんだが……。
 せいぜい、3世代じゃないかな?」
 耕介は、この村が全滅したとは思えなかった。
「たぶん、親、子、孫じゃねぇか?
 ここには電気と畑がある。冬は寒いだろうが、生きていけないわけじゃねぇ。
 だが、乗り越えなければならない問題があり、それは簡単じゃねぇ。
 もっと、いい場所を見つけて、移動したんだ。おそらく、クウィル川の南だ」
 健吾は、乗り越えられない問題を知っていた。魔獣だ。魔獣は畑を荒らす。獣害がひどく、フェミ川以北には住めない。
「だろうな。
 ヒトの社会がバラバラな理由は、いろいろな連中が、いろいろな時代に、いろいろなルートで移住してきたからだ。
 共通項は、ヒトという同種なことだけ。その他には、一切共通する部分がないんだ。
 この村の住民は、200から350。多くても400。一体性が強いエルフの社会では無理だが、ヒトの世界ならどうにかなる。クウィル川以南に移住しても、立ち回りを間違わなければ、それなりの立場を確立できる。
 たかが、400人でもね」
 耕介が話題を変える。
「と、いうことは家捜ししてもほしいものは、何もないってことか」
「それでも、しないと。
 意外なものが見つかることだってある」

 耕介と健吾は、まる1日をかけて村を探索した。
 健吾が探索した限りでは、屋内に死体はなかった。だが、耕介は3人の白骨化した死体を見つける。
 1人は子供で、服装から女の子だと推測する。骨に破損がなく、死因はわからない。
 耕介が「餓死かもしれない」と言い、健吾が「辛いな」と答える。
 大きなザックが2つと小さなザックが1つ。水が入っていたであろうペットボトルが1本。
 軽合金製の食器がテーブル代わりの木箱の上に残る。
 3人は寄り添って、壁にもたれ、足を投げ出していた。

 母親が日記を残していた。
 だが、読めない。2人が知らない言葉で書かれていた。
 この日記だけを拝借し、3人を一緒に埋葬した。

 日記には絵が描かれていた。
 棍棒を持つ毛むくじゃらの直立した動物。
 間違いなく、トロールだ。
 親子は、トロールと接触していた。そして、逃げ惑い、偶然この村を見つけたのだろう。
 逃げ切ったのだろうが、ここから動けなくなった。
 結果、死を受け入れるしかなかった。
 こうして、2億年後に移住したヒトは、短い期間に死に至っていった。

 耕介が健吾に問う。
「トロールをどう思う?」
 健吾が即答する。
「シンガザリとは次元の異なる危険がある。
 圧倒的に危険だ。
 俺たちの武器じゃ、倒せないかもしれない」
 耕介が唾を飲み込む。
「なぜ、そう思う?」
 健吾が車内に入り、インカムではなく、肉声で伝える。
「何年か前に聞いたんだ。
 ドワーフの商人から……。
 トロールに弓矢は効果がないって。
 父親は銃を持っていたはず。弾帯を着けていたから……。
 だけど、弾倉は残っていなかった。撃ちつくしたんだ。トロールはそれほどの相手だってことだ」
 耕介は、あえて肯定したくなかった。
「魔獣に撃ったのかもしんねぇ」
 健吾が言下に否定する。
「100発以上も?
 あり得ない。弾帯から推測すると、30発弾倉が6。銃に1つ着けていたとすれば、210発だ。動物相手に使う弾数じゃぁない」
 耕介もそう思う。
「とんでもねぇ、プレッシャーだ」
 健吾も同感だった。 
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