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第2章 東エルフィニア
02-018 オークの存在
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エルフの社会では、オークの存在は否定されている。伝承上の生き物であり、妖怪に似ている。
エルフは、魔獣、妖獣、聖獣、神獣などを噂するが、これは実在する。
魔獣などは、2億年前の哺乳類ではない。哺乳類のうち有袋上目の何かから進化したとする研究者たちの仮説は正しいかもしれない。
2億年の間に、哺乳類のうち有胎盤類は滅び、有袋類の一部が進化した。
2億年後にいる有胎盤類は、すべてヒトが連れてきた家畜。エルフの領域での有胎盤類は、エルフ、ドワーフ、ヒト、ウマだけ。
イヌ、ネコ、ネズミさえいない。
ネズミはいないが、穀物を盗み食うネズミと同じ大きさの動物はいる。
健吾が知る限り、ヒトのテリトリーには、ヒツジ、ウシ、ブタ、ウサギもいる。家禽もおり、アヒルがいる。ニワトリは滅びた。逃げたアヒルは野生化できなかった。ヒトの保護なしでは、生きていけない。
しかし、これがすべて。これが、有胎盤類と鳥類のすべてだ。ヒトと同類のすべて。
エルフには想像上の動物が存在しない。唯一の例外がオークだ。
しかし、その姿はJ・R・R・トールキンのそれとは大きく異なる。健吾は当初、エルフの話しっぷりから爬虫類型のヒューマノイドではないかと感じていたが、どうも違うらしい。
ヒトから進化したエルフやドワーフとも異なる。
健吾の推測では、有袋類の一部から分岐・進化したヒトに似た姿の動物ではないか、と推測していた。
健吾はオークの存在を信じていた。迷信を信じているのではなく、ドワーフとヒトはオークを実在する生物と認識している。
滅多に目撃することはないが、西の山脈の西麓に住むと推測されている。
伝説もある。
ヒトの伝説。西麓から東麓に抜けるトンネルをオークが掘っていて、貫通したら山脈以東に攻め込んでくる。
そして、ヒトの子を捕らえて食う。
ドワーフの伝説。最初のドワーフは山脈の東麓で40万年前に生まれたが、ドワーフの誕生はオークと関係があると。
オークの侵攻に対抗するため、強靱な体躯のドワーフが生まれたとされる。
真偽は不明だが、ヒトとドワーフの分岐は40万年前。伝説とは合致するが、ある日突然新種が生まれることはない。
オークとの接触と、ドワーフへの進化とが偶然同じ時期だっただけだ。
健吾の推測の正誤はともかく、オークの存在に関しては、エルフは実在せず、ヒトとドワーフは未確認だが存在は確実と判断している。あるいは、過去は存在したが、現在は絶滅しているとの判断かもしれない。
健吾は、オークを潜在的な脅威とは考えていない。その姿さえ見ていないからだ。実在する証拠もない。
だが、ヒトとドワーフは、オークの脅威を否定しない。むしろ、脅威を主張する。
脅威を主張するものの、論拠は乏しく、緊迫感もない。
健吾はオークを意識しているが、脅威のレベルは最低のランクに置いていた。
久々の全員会議は、健吾の提案に白けていた。
「山脈東麓を調査したい」
一瞬どころか、永遠を感じさせるほどの沈黙が支配する。
彩華が一言。
「却下」
これで終わった。理由を説明する時間さえ与えられなかった。
耕介がフォローしようとしたが、彼はフィオラのひとにらみで沈黙。
現実的な女性たちと先々を考える耕介と健吾では、物事のとらえ方の根本が違う。
先々を考える=すぐには役立たない、でもあるので状況を鑑みれば仕方のないことだった。
ストーマー装甲車の扱いも議題になった。修理再生を強く発言する耕介だったが、これも亜子の「役に立たないからいらない」で終わった。
経済活動の役に立たないなら不要というわけだ。
動態維持はどうにか認められたが、本格的な再生は却下だった。
健吾が「防衛力強化につながる」と援護したのだが、シルカから「シンガザリ相手に必要か?」と問われ、沈黙させられてしまった。
彩華から「村の決定で、私たちの集落は10戸」との発表があり、全戸に照明用電気の供給が決まった。内々の会議なので、集落の面々はこの決定を知らない。
シンガザリは、嫌がらせ程度の侵攻を続けているが、占領地の拡大はできていない。東エルフィニアにとっては、鬱陶しい存在だし、実害もあるが、クルナ村は平穏だった。
耕介と健吾は、ストーマーの修理をしながら、比較的簡単に行けるフェミ川北岸東方の調査と探検に集中した。
ストーマーは主砲を含めて、兵装と車体の整備をごく短期間で終わらせている。
未知の地域への長距離調査には使えないが、村の周辺程度なら十分な信頼性があった。
ただ、積載能力がなく、車体が重すぎて移動手段として適していない。
砲塔を撤去すれば、全重12トン程度まで軽量化できるはずだが、それでも重すぎる。
海岸から20キロ程度西側内陸まで、詳細に探査しているが、調べつくしたと考えていても、ぽつりぽつりと何かが出てくる。
回収する意味があるもの、無意味なものなどいろいろ。蒸留酒を入れるスキットルから、線路のレールまで種類も豊富で種々雑多。もちろん、こういったものは回収している。
割れた瓶は回収しないが、少し欠けた程度の板ガラスは慎重に運ぶ。
だから、北岸の物資集積場は、ゴミ屋敷の風情があった。
耕介と健吾は、今日も期待の薄い回収作業に海岸から15キロ付近を探っていた。
草丈が低く、森が遠いので視界がいいことから、2人はさほどの用心をせずに徒歩で探索している。
「健吾、こっち方面はどうしてイギリスの物資が多いんだ?」
「何でだろうね?
そういう指示でもあったんじゃないのか?」
「東に向かえって?」
「あぁ」
「どんな根拠で?」
「俺たちにも指示があっただろ」
「確かに。
西に向かうと内海があり、その沿岸が生活に適している、とかパンフに書いてあったな」
「だが、出口から内海までは、距離がありすぎる。物資を集積できるなら可能だろうが、現実はそれができない。
2億年後に到着した時点で、大勢での移住計画は破綻している。
2億年前のわずか3分差が、2億年後は208日の差になってしまうんだからな」
「少ない物資、少ない人数で海に出るには、東に向かうしかないんだ。
多くのヒトがそう判断し、少ないヒトが生き残った。
そういうことだと思うよ、耕介」
「だな」
耕介が黙る。
それほど高くない茂み。耕介の胸あたりの高さだ。
「擬装網だ。
何かあるぞ」
耕介と健吾が劣化した擬装網を剥がそうとし、引き千切れる。
耕介が呟く。
「驚いたな。
また、FV101か?
ぱっと見だが、FV103スパルタンかな?」
「耕介、装甲兵員輸送車ってこと?」
「あぁ。
履帯の車輌で、ここまで来られるのは、小型・軽量・速度・そこそこの燃費の、この系統だけってことだな」
「耕介、どうする?
履帯の上まで埋まっているぞ。
掘り出すか?」
「それしかない。
ストーマーにも、サムソンにも、交換パーツが必要だからな。
だが、口うるさい亜子たちには、しばらく伏せておこう。俺たちが虐められてしまう」
フェミ川北岸の物資集積所は、耕介と健吾にとっては安息の場所だった。
妻子から解放され、村のしがらみから逃れられ、好きなだけ酒が飲める。
放棄物資には、テント倉庫のような建造物もあり、これらを組み立てて重要物資を保管している。
周辺はゴミ屋敷風だが、不要なものは一切ない。
ドラム缶風呂、バーベキュー用東屋、強力な無線もある。
リズによれば民間向けに、履帯のFV101系統の他、4輪駆動のハンバートラックや6輪駆動のFV601系統も多用していたらしい。イギリス政府は、マティフPPVやブッシュマスター、ハスキーTSVなどを主用していたようだ。
健吾が拾得品のハイネケンの缶を冷蔵庫から出して、耕介に渡すと同時に、無線から明瞭な声が聞こえてきた。
「英語だな?」
耕介の問いに健吾が答える。
「助けを求めているようだ」
「助け?
穴にでも落ちたか?」
「いや、砦、要塞、みたいなところにいるらしい。
山脈東麓のどこか。
ヒトに似た動物に襲われている……?
耕介、東麓の砦ってどこかわかるか?」
「東麓の様子は、噂でも聞いていない。
ただ、誰が造ったのかわからない石造りの建物や囲いがあるのは、健吾も知っているだろう?」
「アクセニのエルフから話は聞いている。
東麓付近は多いらしいが、アクセニなら平地にもある。俺たちも見ている。
尋ね歩いたとしても、多すぎてわからないんじゃないかな」
耕介が考える。
「応答するか?」
健吾には迂闊な行為にも思えた。
「いや、善人かどうかだってわからない。
それに、エルフとはもめたくない」
耕介も健吾と同意見だ。
だが、2人の考えはあっさりと否定される。
「私はナナリコ。
日本人よ。遠くにいるので、助けには行けない。
自力で脱出して!
北に向かうと、大きな川がある。その川を渡れば、追ってこないから!」
「ナナリコ。
あんたを信用する。
北だな。北の川に向かう」
耕介は、フェミ川南岸のキャンプに無線で知らせる。
「健吾と一緒に、西に向かう。
ナナリコが応答した以上、放ってはおけねぇ」
応答したのは、フィオラだった。
「食料と燃料はあるの?」
「あるから、大丈夫だ。
エルフの盗賊に追われているのだろうが……。シンガザリの連中だと、捕まるとヤバいぞ。ヒトを嫌っているし……」
「コウ、助けてあげて」
「川さえ渡っちまえば、追っては来ないさ。
だけど、川までの距離がわからねぇ。
急ぐから、これで切るぞ」
耕介と健吾はフェミ川南岸に出て、西に進む。チュウスト村以西は不完全だがシンガザリの勢力圏になるので、路上を進めば危険がある。
しかし、道がない北岸ではどう急いでも10日以上かかるが、南岸なら4日か5日あれば東麓に至る。
雨がほとんど降らないので、旅に関しては天候の心配はほとんど必要ない。
シンガザリ軍による進路妨害はなかったが、高速のケネディジープは悪路で、よく揺れ、よく跳ねる。
耕介と健吾は必然的に無口となり、日没後はクタクタになっていた。簡単な食事をし、短時間眠る。
武器は弾倉を増量改造した半自動猟銃と、ボルトアクションの猟銃だけ。
自動拳銃も携帯していない。
つまり、日常の範囲内の武器しか持っていない。携行している弾数も多くはない。
4日目の日没直後、東麓の南北を結ぶ道との交点に達する。これ以上、西には道はなく、南北を結ぶ道は狭くて悪路だ。
無線で呼びかけると、なかなか応答がなかった。
1時間以上呼びかけて、ようやく応答があった。
「川の北側にいるけど、追われている……。
どうすればいい……」
耕介と健吾が顔を見合わす。
「エルフじゃねぇのか?」
耕介の疑問は、健吾の疑問でもあった。
通信が続く。
「川に沿って走っているけど、このままだと北東に向かってしまう。
どうすればいい!」
健吾が無線に怒鳴る。
「引き返せるか!」
「いや、無理だ」
「川を渡ってから、何キロ走った?」
「20キロくらいだ」
健吾は距離をマイルで答えなかったので、アメリカ系英語話者ではないと確信する。
だが、いまはそれは問題ではない。
「川に入れるか?」
「大丈夫だ。
俺たちのクルマは水に浮く」
健吾は水陸両用車と知り、少し驚く。ただ、ヨーロッパではウニモグをベースにした装甲車を大量生産して、2億年後移住計画で使用しているという噂は聞いていた。
戦闘は想定していないので、量産効率を上げるために装甲板を均質圧延鋼板に変更したり、車内から凹凸をなくすなどの改良をしているらしい。
固定の車載武装はない。
コンドルやバラクーダ装甲車がベースで、水陸両用であることから、移住用車輌として適していると判断していたらしい。
「川を下るか、南岸に移動できるか?」
「わかった。
やってみる。
あの生き物は何だ!
鎧を着た毛むくじゃらのネコが、小さいティラノサウルスに乗っている」
耕介と健吾は、またしても当惑する。鎧を着たネコも、小さいティラノサウルスも、見たことはもちろん、聞いたこともない。
フェミ川の中州を走るヘッドライトを認める。
満月なのでぼんやりとだが川面が見える。
「何だ?
あれは!」
健吾の声で、耕介も川を見る。
「ヘンな動物が、ヘンな動物に乗ってる!」
中州を走るクルマが、河畔を走るケネディジープの存在に気付く。LEDヘッドライトの強い光が、闇の中で非常に目立つ。
健吾が断続的に信号弾を追跡者に向かって発射する。発煙が広がり、追跡者を臆させる。
4発目で、ついに追跡をやめた。
耕介と健吾が住居に帰ったのは、半月ぶりだった。彩華は怒っているし、フィオラの尖った耳は角に変化していた。
だが、2人が連れてきたアイルランド出身の4人家族は、暖かく迎え入れられた。
4人が乗っていたのはドイツ製ウニモグベースの移住専用車で、形状はTM-170バラクーダによく似ている。
実際、バラクーダと呼ばれている。ボディは「サイの突進にも傷付かない」とされる強度があり、拳銃弾と散弾の至近での発射に耐える程度の防弾性能を有していた。
車外左右に合計16缶のジェリカンを積めるラックがある。ルーフラックは前後に分割されている。ルーフ中央にハッチがある。
乗降は、車体側面と後部のドアで行う。
基本的な外見には、TM-170との大きな違いはない。だが、装甲効果を減じたことから、1.5トンほど軽量化されている。エンジンは、6リットルの直列6気筒ターボチャージャー付きディーゼルだ。
両親は意外と若く、40歳前だった。女の子が14歳、男の子が12歳。
事情聴取は、亜子と彩華が担当する。
健吾は女の子がスマホで撮影した追跡者の動画を見せてもらっている。
女の子は、心美やリズと出会い、かなり落ち着いている。英語が母語のリズは、女の子とのコミュニケーションが完璧だった。
「ヒトの身体にネコの頭をくっつけたような動物だな」
健吾の意見に耕介は同感なのだが、明らかにヒトと同種ではないとの直感が働く。
「魔獣と同じ雰囲気があるな。
それと、小型のティラノサウルス……」
健吾は、耕介ほど怖気を感じていない。
「恐竜じゃないね。
たぶん、クルロタルシ類だ。
ワニの仲間だと思う。家畜化したのだろう」
耕介がブルッと身体を震わす。
「肉食か?」
健吾は、平然としている。
「可能性はあるが、ヒトの家畜を例にすれば違うだろうね」
耕介が健吾をにらむ。
「ワニなんだろ!
草食のワニなんていねぇよ」
健吾がため息をつく。
「恐竜が地上を支配する前、一時期、クルロタルシ類がかなりの勢力を誇ったんだ。
その頃は、草食のワニがいた」
耕介は、ティラノサウルスを彷彿とさせる二足歩行の動物は情緒的に受け入れられるのだが、それに鞍を載せて跨がっている動物のほうが理解の外だった。
「じゃぁ、跨がっているヤツは何だ?」
健吾は落ち着いてはいるが、その動物に対しては存在を否定したかった。
「着ぐるみを着たエルフ。
細工した毛皮を被ったドワーフ。
特殊メイクのヒト」
耕介が怒る。
「なぁわけねぇよ。
真面目に答えろ」
動画だけでは健吾にもわからないが、心当たりがあった。
「オークじゃないか?」
耕介が眉をひそめる。
「指輪物語のオークとは似ても似つかねぇぞ」
健吾は耕介に呆れるが、同時にあれがオークだと感じた自分の判断に戸惑っていた。
健吾に代わって耕介が続ける。
「映画のオークとは別物ってわけか。
頭なんだが、俺にはネコには見えない。
コアラっぽいぞ」
確かにコアラの肉食バージョンぽい感じがある。ヒトほどではないが、吻部が突き出ていないからだ。レッサーパンダにも似ているし、キンシコウにも近い。
だが、雰囲気はこれらのどの動物とも違う。強烈な禍々しさがある。
鎧を着て、剣を佩き、槍や弓を使う。
体高は170センチほど。筋肉が発達していて、体重は90キロはありそう。
弓の射程は、ヒトのそれよりも確実に長い。この動物との白兵は、明らかにヒトには不利だ。
女の子が呟く。
「ここは安全なの?
あの動物は来ない?」
リズが女の子を抱きしめる。
男の子は、典型的なファンタジーオタクだった。レスティにつきまとって、困らせている。
アクセニでは、怪物に乗った異形のヒト形動物の目撃が噂になっていた。
生命と財産の被害はないが、潜在的な危険や恐怖を与えたことは間違いない。
耕介と健吾が目撃した生物は、エルフにとっても未知の存在だった。
昨夜は、アイルランド人家族の名前さえ聞かなかった。4人は疲れ果てており、母親は立ち上がれないほどだった。
4人が部屋から出てきたのは昼食の少し前で、空腹からだった。
姉弟はすでに回復していたが、父母は身体的・精神的に疲弊していた。
「私はマイケル・ショー。
妻のメアリー、娘のアイリス、息子のピーター。
2億年前はダブリンの西にある街で農業を営んでいた……。何年も収穫がなかったけど……。
妻は初等教育の教員をしていたんだ。
娘と息子は、妻が勤める学校に通っていた……。何年か前までは……。
親子4人が生きていくには、2億年後の移住計画に参加するしかなかったんだ。
でも、2億年後がこんな世界だとは、まったく想像していなかったよ」
4人は、野菜のスープを美味しそうに食べている。
メアリーが尋ねた。
「ご馳走になっているのに、こんなことを尋ねたら失礼かもしれないけど……。
このスープ、野菜だけで作ったの?」
彩華が答える。
「物足りない?
ごめんなさい。彼女たちは、ほぼヴィーガンなの。だから、日常の食事は植物性食品だけ」
メアリーが戸惑う。
「耳の尖ったヒトたち……」
彩華が説明する。
「ドイツの研究者が残したメモによると、20万年前にエルフはヒトから進化したの。
ハチミツは食べるから、完全なヴィーガンではないから、ほぼヴィーガン」
メアリーが微笑む。
「私たちもヴィーガンなの。
アヤカは?」
彩華が困り顔をする。
「ごめんなさい。私は、お肉大好き。
でも、ほとんど食べることはないかな。
魚は食べるけど」
マイケルが説明する。
「2億年後で農業をするため、仲間とともに移住を決めたんだ。
日本はどうかわからないけど、アイルランドでは気候が不安定で、収穫はほぼ不可能になっていた。
で、種や苗を用意し、農具を揃えて移住隊を編制した。18家族80人規模の大所帯だった。
政府主導の計画なので、身の回りの品物以外は政府が運ぶ予定だったんだ。
時を渡るゲートには、5分間隔で1台ずつ進入していった。
2億年後に着いたら、たくさんのヒトと車輌が待っているはずだった。
だけど、誰もいなかったんだ。
10日待ったよ。
でも、誰も来なかった。
だから、移動したんだ。
誰もいなかった理由、誰も来なかった理由を知りたい……」
健吾が答える。
「俺たちが調べたわけじゃないんだが……。
ゲートを潜り、2億年後に到着すると、2億年前との時間差は10万倍になるらしい。
5分は50万分、8333時間、347日になる。
あの砂しかない、水がない場所では、1年に18日足りない期間を過ごすなんてことはできない。
だから、誰もが単独で移動するしかないんだ。
俺たちもそうだったんだが、俺たちは5人だけだった。誰とも組んでいなかったから、柔軟な判断ができた。
結果、生き残れた」
マイケルが困惑する。
「時間が10万倍に延びる……。
本当だとしたら、2億の移住者は?」
健吾が追加の説明をする。
「移住は1年2カ月続いていた。13万3333年という遠大な時間の中に2億の移住者がばらまかれた。
平均すると1年間に1500人になる。
だけど、これだけではないんだ。
どうも、時間軸が一定ではなかったようなんだ」
メアリーが潤んだ目を見せる。
「時間軸が一定ではない?
だとすると、ズレた時間軸、数年程度ならいいけど……」
健吾がメアリーの懸念を肯定する。
「数十万年単位でのズレがあったらしい。
最初の移住者は10万年前ではなく、50万年前にはあった。
東海岸には、北からエルフ、ヒト、ドワーフが住んでいる。
ヒトは数千年から数百年前の移住者だ。
直近の移住者の数は極端に少ない。
北の海岸付近に、いくつかのヒトのコロニーがあった。North46やArea88とか……。
数十年前のコロニーだけど、理由はわからないが、いまは無人だ。
ここも同じなのかもしれない。
俺たちは、いずれエルフに同化していく。
それを受け入れている」
健吾は彩華の批難をかいくぐり、正体不明の生き物の行方を探り始める。
彩華は亜子に健吾の支援を頼む。
シンガザリが侵入しているアクセニでの単独行動は危険だからだ。
耕介は、マイケルに農地を案内している。
「何ヘクタールあるんだ?」
「80」
「そいつはすごいな」
「アイルランドは畜産が有名だって聞いているけど……」
「コウは、日本で何を栽培していたんだ?」
「俺は、俺の実家はナシ園だった。
日本独特の種でね。値も張るいい作物だよ。
コメや野菜も作ってはいたが、自家消費分だけ」
「私は、テンサイとジャガイモ……」
「クルナ村でもテンサイを栽培している農家がある。
砂糖の作り方、知っているか?」
「知識としてなら……」
「ここで、栽培してみる気はあるか?」
「願ってもないことだよ。
だけど、農地はどうする」
「それは何とかなる。
いや、何とかするさ」
健吾はアクセニの西端で、未知の生き物の目撃情報を尋ね歩いた。
目撃情報は多く、同時に誰もが「初めて見る。あれは何だ?」と尋ねてくる。
有益な情報もあった。
火を使っていたこと、刃渡り50センチほどの両刃の剣を使っていたこと。槍と弓も備えていた。
甲高い遠吠えのような声を出していたこともわかった。
だが、正体は皆目わからなかった。
エルフは、魔獣、妖獣、聖獣、神獣などを噂するが、これは実在する。
魔獣などは、2億年前の哺乳類ではない。哺乳類のうち有袋上目の何かから進化したとする研究者たちの仮説は正しいかもしれない。
2億年の間に、哺乳類のうち有胎盤類は滅び、有袋類の一部が進化した。
2億年後にいる有胎盤類は、すべてヒトが連れてきた家畜。エルフの領域での有胎盤類は、エルフ、ドワーフ、ヒト、ウマだけ。
イヌ、ネコ、ネズミさえいない。
ネズミはいないが、穀物を盗み食うネズミと同じ大きさの動物はいる。
健吾が知る限り、ヒトのテリトリーには、ヒツジ、ウシ、ブタ、ウサギもいる。家禽もおり、アヒルがいる。ニワトリは滅びた。逃げたアヒルは野生化できなかった。ヒトの保護なしでは、生きていけない。
しかし、これがすべて。これが、有胎盤類と鳥類のすべてだ。ヒトと同類のすべて。
エルフには想像上の動物が存在しない。唯一の例外がオークだ。
しかし、その姿はJ・R・R・トールキンのそれとは大きく異なる。健吾は当初、エルフの話しっぷりから爬虫類型のヒューマノイドではないかと感じていたが、どうも違うらしい。
ヒトから進化したエルフやドワーフとも異なる。
健吾の推測では、有袋類の一部から分岐・進化したヒトに似た姿の動物ではないか、と推測していた。
健吾はオークの存在を信じていた。迷信を信じているのではなく、ドワーフとヒトはオークを実在する生物と認識している。
滅多に目撃することはないが、西の山脈の西麓に住むと推測されている。
伝説もある。
ヒトの伝説。西麓から東麓に抜けるトンネルをオークが掘っていて、貫通したら山脈以東に攻め込んでくる。
そして、ヒトの子を捕らえて食う。
ドワーフの伝説。最初のドワーフは山脈の東麓で40万年前に生まれたが、ドワーフの誕生はオークと関係があると。
オークの侵攻に対抗するため、強靱な体躯のドワーフが生まれたとされる。
真偽は不明だが、ヒトとドワーフの分岐は40万年前。伝説とは合致するが、ある日突然新種が生まれることはない。
オークとの接触と、ドワーフへの進化とが偶然同じ時期だっただけだ。
健吾の推測の正誤はともかく、オークの存在に関しては、エルフは実在せず、ヒトとドワーフは未確認だが存在は確実と判断している。あるいは、過去は存在したが、現在は絶滅しているとの判断かもしれない。
健吾は、オークを潜在的な脅威とは考えていない。その姿さえ見ていないからだ。実在する証拠もない。
だが、ヒトとドワーフは、オークの脅威を否定しない。むしろ、脅威を主張する。
脅威を主張するものの、論拠は乏しく、緊迫感もない。
健吾はオークを意識しているが、脅威のレベルは最低のランクに置いていた。
久々の全員会議は、健吾の提案に白けていた。
「山脈東麓を調査したい」
一瞬どころか、永遠を感じさせるほどの沈黙が支配する。
彩華が一言。
「却下」
これで終わった。理由を説明する時間さえ与えられなかった。
耕介がフォローしようとしたが、彼はフィオラのひとにらみで沈黙。
現実的な女性たちと先々を考える耕介と健吾では、物事のとらえ方の根本が違う。
先々を考える=すぐには役立たない、でもあるので状況を鑑みれば仕方のないことだった。
ストーマー装甲車の扱いも議題になった。修理再生を強く発言する耕介だったが、これも亜子の「役に立たないからいらない」で終わった。
経済活動の役に立たないなら不要というわけだ。
動態維持はどうにか認められたが、本格的な再生は却下だった。
健吾が「防衛力強化につながる」と援護したのだが、シルカから「シンガザリ相手に必要か?」と問われ、沈黙させられてしまった。
彩華から「村の決定で、私たちの集落は10戸」との発表があり、全戸に照明用電気の供給が決まった。内々の会議なので、集落の面々はこの決定を知らない。
シンガザリは、嫌がらせ程度の侵攻を続けているが、占領地の拡大はできていない。東エルフィニアにとっては、鬱陶しい存在だし、実害もあるが、クルナ村は平穏だった。
耕介と健吾は、ストーマーの修理をしながら、比較的簡単に行けるフェミ川北岸東方の調査と探検に集中した。
ストーマーは主砲を含めて、兵装と車体の整備をごく短期間で終わらせている。
未知の地域への長距離調査には使えないが、村の周辺程度なら十分な信頼性があった。
ただ、積載能力がなく、車体が重すぎて移動手段として適していない。
砲塔を撤去すれば、全重12トン程度まで軽量化できるはずだが、それでも重すぎる。
海岸から20キロ程度西側内陸まで、詳細に探査しているが、調べつくしたと考えていても、ぽつりぽつりと何かが出てくる。
回収する意味があるもの、無意味なものなどいろいろ。蒸留酒を入れるスキットルから、線路のレールまで種類も豊富で種々雑多。もちろん、こういったものは回収している。
割れた瓶は回収しないが、少し欠けた程度の板ガラスは慎重に運ぶ。
だから、北岸の物資集積場は、ゴミ屋敷の風情があった。
耕介と健吾は、今日も期待の薄い回収作業に海岸から15キロ付近を探っていた。
草丈が低く、森が遠いので視界がいいことから、2人はさほどの用心をせずに徒歩で探索している。
「健吾、こっち方面はどうしてイギリスの物資が多いんだ?」
「何でだろうね?
そういう指示でもあったんじゃないのか?」
「東に向かえって?」
「あぁ」
「どんな根拠で?」
「俺たちにも指示があっただろ」
「確かに。
西に向かうと内海があり、その沿岸が生活に適している、とかパンフに書いてあったな」
「だが、出口から内海までは、距離がありすぎる。物資を集積できるなら可能だろうが、現実はそれができない。
2億年後に到着した時点で、大勢での移住計画は破綻している。
2億年前のわずか3分差が、2億年後は208日の差になってしまうんだからな」
「少ない物資、少ない人数で海に出るには、東に向かうしかないんだ。
多くのヒトがそう判断し、少ないヒトが生き残った。
そういうことだと思うよ、耕介」
「だな」
耕介が黙る。
それほど高くない茂み。耕介の胸あたりの高さだ。
「擬装網だ。
何かあるぞ」
耕介と健吾が劣化した擬装網を剥がそうとし、引き千切れる。
耕介が呟く。
「驚いたな。
また、FV101か?
ぱっと見だが、FV103スパルタンかな?」
「耕介、装甲兵員輸送車ってこと?」
「あぁ。
履帯の車輌で、ここまで来られるのは、小型・軽量・速度・そこそこの燃費の、この系統だけってことだな」
「耕介、どうする?
履帯の上まで埋まっているぞ。
掘り出すか?」
「それしかない。
ストーマーにも、サムソンにも、交換パーツが必要だからな。
だが、口うるさい亜子たちには、しばらく伏せておこう。俺たちが虐められてしまう」
フェミ川北岸の物資集積所は、耕介と健吾にとっては安息の場所だった。
妻子から解放され、村のしがらみから逃れられ、好きなだけ酒が飲める。
放棄物資には、テント倉庫のような建造物もあり、これらを組み立てて重要物資を保管している。
周辺はゴミ屋敷風だが、不要なものは一切ない。
ドラム缶風呂、バーベキュー用東屋、強力な無線もある。
リズによれば民間向けに、履帯のFV101系統の他、4輪駆動のハンバートラックや6輪駆動のFV601系統も多用していたらしい。イギリス政府は、マティフPPVやブッシュマスター、ハスキーTSVなどを主用していたようだ。
健吾が拾得品のハイネケンの缶を冷蔵庫から出して、耕介に渡すと同時に、無線から明瞭な声が聞こえてきた。
「英語だな?」
耕介の問いに健吾が答える。
「助けを求めているようだ」
「助け?
穴にでも落ちたか?」
「いや、砦、要塞、みたいなところにいるらしい。
山脈東麓のどこか。
ヒトに似た動物に襲われている……?
耕介、東麓の砦ってどこかわかるか?」
「東麓の様子は、噂でも聞いていない。
ただ、誰が造ったのかわからない石造りの建物や囲いがあるのは、健吾も知っているだろう?」
「アクセニのエルフから話は聞いている。
東麓付近は多いらしいが、アクセニなら平地にもある。俺たちも見ている。
尋ね歩いたとしても、多すぎてわからないんじゃないかな」
耕介が考える。
「応答するか?」
健吾には迂闊な行為にも思えた。
「いや、善人かどうかだってわからない。
それに、エルフとはもめたくない」
耕介も健吾と同意見だ。
だが、2人の考えはあっさりと否定される。
「私はナナリコ。
日本人よ。遠くにいるので、助けには行けない。
自力で脱出して!
北に向かうと、大きな川がある。その川を渡れば、追ってこないから!」
「ナナリコ。
あんたを信用する。
北だな。北の川に向かう」
耕介は、フェミ川南岸のキャンプに無線で知らせる。
「健吾と一緒に、西に向かう。
ナナリコが応答した以上、放ってはおけねぇ」
応答したのは、フィオラだった。
「食料と燃料はあるの?」
「あるから、大丈夫だ。
エルフの盗賊に追われているのだろうが……。シンガザリの連中だと、捕まるとヤバいぞ。ヒトを嫌っているし……」
「コウ、助けてあげて」
「川さえ渡っちまえば、追っては来ないさ。
だけど、川までの距離がわからねぇ。
急ぐから、これで切るぞ」
耕介と健吾はフェミ川南岸に出て、西に進む。チュウスト村以西は不完全だがシンガザリの勢力圏になるので、路上を進めば危険がある。
しかし、道がない北岸ではどう急いでも10日以上かかるが、南岸なら4日か5日あれば東麓に至る。
雨がほとんど降らないので、旅に関しては天候の心配はほとんど必要ない。
シンガザリ軍による進路妨害はなかったが、高速のケネディジープは悪路で、よく揺れ、よく跳ねる。
耕介と健吾は必然的に無口となり、日没後はクタクタになっていた。簡単な食事をし、短時間眠る。
武器は弾倉を増量改造した半自動猟銃と、ボルトアクションの猟銃だけ。
自動拳銃も携帯していない。
つまり、日常の範囲内の武器しか持っていない。携行している弾数も多くはない。
4日目の日没直後、東麓の南北を結ぶ道との交点に達する。これ以上、西には道はなく、南北を結ぶ道は狭くて悪路だ。
無線で呼びかけると、なかなか応答がなかった。
1時間以上呼びかけて、ようやく応答があった。
「川の北側にいるけど、追われている……。
どうすればいい……」
耕介と健吾が顔を見合わす。
「エルフじゃねぇのか?」
耕介の疑問は、健吾の疑問でもあった。
通信が続く。
「川に沿って走っているけど、このままだと北東に向かってしまう。
どうすればいい!」
健吾が無線に怒鳴る。
「引き返せるか!」
「いや、無理だ」
「川を渡ってから、何キロ走った?」
「20キロくらいだ」
健吾は距離をマイルで答えなかったので、アメリカ系英語話者ではないと確信する。
だが、いまはそれは問題ではない。
「川に入れるか?」
「大丈夫だ。
俺たちのクルマは水に浮く」
健吾は水陸両用車と知り、少し驚く。ただ、ヨーロッパではウニモグをベースにした装甲車を大量生産して、2億年後移住計画で使用しているという噂は聞いていた。
戦闘は想定していないので、量産効率を上げるために装甲板を均質圧延鋼板に変更したり、車内から凹凸をなくすなどの改良をしているらしい。
固定の車載武装はない。
コンドルやバラクーダ装甲車がベースで、水陸両用であることから、移住用車輌として適していると判断していたらしい。
「川を下るか、南岸に移動できるか?」
「わかった。
やってみる。
あの生き物は何だ!
鎧を着た毛むくじゃらのネコが、小さいティラノサウルスに乗っている」
耕介と健吾は、またしても当惑する。鎧を着たネコも、小さいティラノサウルスも、見たことはもちろん、聞いたこともない。
フェミ川の中州を走るヘッドライトを認める。
満月なのでぼんやりとだが川面が見える。
「何だ?
あれは!」
健吾の声で、耕介も川を見る。
「ヘンな動物が、ヘンな動物に乗ってる!」
中州を走るクルマが、河畔を走るケネディジープの存在に気付く。LEDヘッドライトの強い光が、闇の中で非常に目立つ。
健吾が断続的に信号弾を追跡者に向かって発射する。発煙が広がり、追跡者を臆させる。
4発目で、ついに追跡をやめた。
耕介と健吾が住居に帰ったのは、半月ぶりだった。彩華は怒っているし、フィオラの尖った耳は角に変化していた。
だが、2人が連れてきたアイルランド出身の4人家族は、暖かく迎え入れられた。
4人が乗っていたのはドイツ製ウニモグベースの移住専用車で、形状はTM-170バラクーダによく似ている。
実際、バラクーダと呼ばれている。ボディは「サイの突進にも傷付かない」とされる強度があり、拳銃弾と散弾の至近での発射に耐える程度の防弾性能を有していた。
車外左右に合計16缶のジェリカンを積めるラックがある。ルーフラックは前後に分割されている。ルーフ中央にハッチがある。
乗降は、車体側面と後部のドアで行う。
基本的な外見には、TM-170との大きな違いはない。だが、装甲効果を減じたことから、1.5トンほど軽量化されている。エンジンは、6リットルの直列6気筒ターボチャージャー付きディーゼルだ。
両親は意外と若く、40歳前だった。女の子が14歳、男の子が12歳。
事情聴取は、亜子と彩華が担当する。
健吾は女の子がスマホで撮影した追跡者の動画を見せてもらっている。
女の子は、心美やリズと出会い、かなり落ち着いている。英語が母語のリズは、女の子とのコミュニケーションが完璧だった。
「ヒトの身体にネコの頭をくっつけたような動物だな」
健吾の意見に耕介は同感なのだが、明らかにヒトと同種ではないとの直感が働く。
「魔獣と同じ雰囲気があるな。
それと、小型のティラノサウルス……」
健吾は、耕介ほど怖気を感じていない。
「恐竜じゃないね。
たぶん、クルロタルシ類だ。
ワニの仲間だと思う。家畜化したのだろう」
耕介がブルッと身体を震わす。
「肉食か?」
健吾は、平然としている。
「可能性はあるが、ヒトの家畜を例にすれば違うだろうね」
耕介が健吾をにらむ。
「ワニなんだろ!
草食のワニなんていねぇよ」
健吾がため息をつく。
「恐竜が地上を支配する前、一時期、クルロタルシ類がかなりの勢力を誇ったんだ。
その頃は、草食のワニがいた」
耕介は、ティラノサウルスを彷彿とさせる二足歩行の動物は情緒的に受け入れられるのだが、それに鞍を載せて跨がっている動物のほうが理解の外だった。
「じゃぁ、跨がっているヤツは何だ?」
健吾は落ち着いてはいるが、その動物に対しては存在を否定したかった。
「着ぐるみを着たエルフ。
細工した毛皮を被ったドワーフ。
特殊メイクのヒト」
耕介が怒る。
「なぁわけねぇよ。
真面目に答えろ」
動画だけでは健吾にもわからないが、心当たりがあった。
「オークじゃないか?」
耕介が眉をひそめる。
「指輪物語のオークとは似ても似つかねぇぞ」
健吾は耕介に呆れるが、同時にあれがオークだと感じた自分の判断に戸惑っていた。
健吾に代わって耕介が続ける。
「映画のオークとは別物ってわけか。
頭なんだが、俺にはネコには見えない。
コアラっぽいぞ」
確かにコアラの肉食バージョンぽい感じがある。ヒトほどではないが、吻部が突き出ていないからだ。レッサーパンダにも似ているし、キンシコウにも近い。
だが、雰囲気はこれらのどの動物とも違う。強烈な禍々しさがある。
鎧を着て、剣を佩き、槍や弓を使う。
体高は170センチほど。筋肉が発達していて、体重は90キロはありそう。
弓の射程は、ヒトのそれよりも確実に長い。この動物との白兵は、明らかにヒトには不利だ。
女の子が呟く。
「ここは安全なの?
あの動物は来ない?」
リズが女の子を抱きしめる。
男の子は、典型的なファンタジーオタクだった。レスティにつきまとって、困らせている。
アクセニでは、怪物に乗った異形のヒト形動物の目撃が噂になっていた。
生命と財産の被害はないが、潜在的な危険や恐怖を与えたことは間違いない。
耕介と健吾が目撃した生物は、エルフにとっても未知の存在だった。
昨夜は、アイルランド人家族の名前さえ聞かなかった。4人は疲れ果てており、母親は立ち上がれないほどだった。
4人が部屋から出てきたのは昼食の少し前で、空腹からだった。
姉弟はすでに回復していたが、父母は身体的・精神的に疲弊していた。
「私はマイケル・ショー。
妻のメアリー、娘のアイリス、息子のピーター。
2億年前はダブリンの西にある街で農業を営んでいた……。何年も収穫がなかったけど……。
妻は初等教育の教員をしていたんだ。
娘と息子は、妻が勤める学校に通っていた……。何年か前までは……。
親子4人が生きていくには、2億年後の移住計画に参加するしかなかったんだ。
でも、2億年後がこんな世界だとは、まったく想像していなかったよ」
4人は、野菜のスープを美味しそうに食べている。
メアリーが尋ねた。
「ご馳走になっているのに、こんなことを尋ねたら失礼かもしれないけど……。
このスープ、野菜だけで作ったの?」
彩華が答える。
「物足りない?
ごめんなさい。彼女たちは、ほぼヴィーガンなの。だから、日常の食事は植物性食品だけ」
メアリーが戸惑う。
「耳の尖ったヒトたち……」
彩華が説明する。
「ドイツの研究者が残したメモによると、20万年前にエルフはヒトから進化したの。
ハチミツは食べるから、完全なヴィーガンではないから、ほぼヴィーガン」
メアリーが微笑む。
「私たちもヴィーガンなの。
アヤカは?」
彩華が困り顔をする。
「ごめんなさい。私は、お肉大好き。
でも、ほとんど食べることはないかな。
魚は食べるけど」
マイケルが説明する。
「2億年後で農業をするため、仲間とともに移住を決めたんだ。
日本はどうかわからないけど、アイルランドでは気候が不安定で、収穫はほぼ不可能になっていた。
で、種や苗を用意し、農具を揃えて移住隊を編制した。18家族80人規模の大所帯だった。
政府主導の計画なので、身の回りの品物以外は政府が運ぶ予定だったんだ。
時を渡るゲートには、5分間隔で1台ずつ進入していった。
2億年後に着いたら、たくさんのヒトと車輌が待っているはずだった。
だけど、誰もいなかったんだ。
10日待ったよ。
でも、誰も来なかった。
だから、移動したんだ。
誰もいなかった理由、誰も来なかった理由を知りたい……」
健吾が答える。
「俺たちが調べたわけじゃないんだが……。
ゲートを潜り、2億年後に到着すると、2億年前との時間差は10万倍になるらしい。
5分は50万分、8333時間、347日になる。
あの砂しかない、水がない場所では、1年に18日足りない期間を過ごすなんてことはできない。
だから、誰もが単独で移動するしかないんだ。
俺たちもそうだったんだが、俺たちは5人だけだった。誰とも組んでいなかったから、柔軟な判断ができた。
結果、生き残れた」
マイケルが困惑する。
「時間が10万倍に延びる……。
本当だとしたら、2億の移住者は?」
健吾が追加の説明をする。
「移住は1年2カ月続いていた。13万3333年という遠大な時間の中に2億の移住者がばらまかれた。
平均すると1年間に1500人になる。
だけど、これだけではないんだ。
どうも、時間軸が一定ではなかったようなんだ」
メアリーが潤んだ目を見せる。
「時間軸が一定ではない?
だとすると、ズレた時間軸、数年程度ならいいけど……」
健吾がメアリーの懸念を肯定する。
「数十万年単位でのズレがあったらしい。
最初の移住者は10万年前ではなく、50万年前にはあった。
東海岸には、北からエルフ、ヒト、ドワーフが住んでいる。
ヒトは数千年から数百年前の移住者だ。
直近の移住者の数は極端に少ない。
北の海岸付近に、いくつかのヒトのコロニーがあった。North46やArea88とか……。
数十年前のコロニーだけど、理由はわからないが、いまは無人だ。
ここも同じなのかもしれない。
俺たちは、いずれエルフに同化していく。
それを受け入れている」
健吾は彩華の批難をかいくぐり、正体不明の生き物の行方を探り始める。
彩華は亜子に健吾の支援を頼む。
シンガザリが侵入しているアクセニでの単独行動は危険だからだ。
耕介は、マイケルに農地を案内している。
「何ヘクタールあるんだ?」
「80」
「そいつはすごいな」
「アイルランドは畜産が有名だって聞いているけど……」
「コウは、日本で何を栽培していたんだ?」
「俺は、俺の実家はナシ園だった。
日本独特の種でね。値も張るいい作物だよ。
コメや野菜も作ってはいたが、自家消費分だけ」
「私は、テンサイとジャガイモ……」
「クルナ村でもテンサイを栽培している農家がある。
砂糖の作り方、知っているか?」
「知識としてなら……」
「ここで、栽培してみる気はあるか?」
「願ってもないことだよ。
だけど、農地はどうする」
「それは何とかなる。
いや、何とかするさ」
健吾はアクセニの西端で、未知の生き物の目撃情報を尋ね歩いた。
目撃情報は多く、同時に誰もが「初めて見る。あれは何だ?」と尋ねてくる。
有益な情報もあった。
火を使っていたこと、刃渡り50センチほどの両刃の剣を使っていたこと。槍と弓も備えていた。
甲高い遠吠えのような声を出していたこともわかった。
だが、正体は皆目わからなかった。
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