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第2章 東エルフィニア

02-015 ドワーフの油商

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 薄らと髭を生やした老人がヒマワリの種を食べる。
 その場に通りかかって、ケネディジープを止めた健吾に向かって叫ぶ。
「ヒトの賢者よ!
 今年のヒマワリは、豊作じゃ!」
 健吾が微笑みで返す。
「親父さん!
 収穫はいつ!
 手伝うから、声かけて!」
 老人が両手を振る。

 健吾が「役に立たない」と断じたケネディジープは、日常の足として原付の代用になっていた。
 健吾は、植物油の採油工場に向かっていた。
 過去、クルナ村では各農家が独自にひまわり油の採油を行っていた。当然、効率の差、品質の差があった。
 健吾は当初、クルナ村の伝統に沿って、彼らだけの採油工場を作ることにしていた。
 工場よりは、作業場の規模だった。
 ただ、他の農家と異なる点は、動力を用いた高圧搾機を備えていたことだった。
 これを知った村役、正確にはフィオラの父親が村議に図るべく奔走した。
 彼は、耕介の村での地位が上がることが我慢ならなかった。
「どうして、婿の下に俺が付かなきゃならないんだ!」
 フィオラの母にそう叫んだそうだ。
 フィオラの母は、夫の叫びを楽しそうに娘に話した。娘の連れ合いは、母の自慢だった。
 このままでは、ひまわり油の採油事業で、シルカ一味が優位に立つに違いない、とフィオラの父親は考えた。
 そこで、土地と空いている建屋を提供することで、村営の採油工場を建てさせて、黙らせる作戦に出た。

 結果は悲惨だった。
 これは健吾が望んでいたことで、クルナ村と隣村のひまわり油の品質を安定させるための最善の方策が、大規模採油工場の建設だったからだ。

 フィオラの父親は敵を罠にはめようとして、自分が罠にかかってしまった。

 同時に採油工場の通年稼働が決まり、ひまわり油だけでなく、大豆油、べにはな油、コーン油などの製造にも着手した。
 もちろん畑が必要で、新たな畑を開墾して、これらの生産にあてた。新たな農地は特定の作物を栽培することを条件に、低価格で村の農民に貸し出された。

 村役会議では「シルカの郎党から村役を選出するべきだ」との意見が出始めていた。
 女性の村役がいない社会なので、当然だが耕介か健吾が村役候補だった。2人には、そんな野望はないが、フィオラの父親は耕介を村役にして、その上で未熟者として曝すことを考えていた。
 フィオラの父親に悪意はないのだが、周囲から「最高の婿だ」と賞賛されることが、悔しかった。
 歪んだライバル心なのだが、彼の妻には滑稽に見えていた。

 採油工場は拡張を続けていた。油圧圧搾機は、言葉通りに一滴残らず絞ることができた。絞りかすは遠心分離機でさらに絞られ、絞りかすに油分は残っていなかった。
 採油後は4回濾過され、不純物がない非常に高い品質だった。
 それゆえ、クルナ村のひまわり油は高額で取り引きされた。

 健吾は食用油を広めたかった。エルフには、食用油を使う食文化がない。動物食もない。
 エルフの小麦粉はフスマが多いのだが、健吾は純白の小麦粉を製粉していた。
 貴重で、高級な逸品だ。
 これで天ぷらを作ると、隣近所から集まってくる。もちろん、フィオラの両親も訪れる。
 天ぷらうどんの日は秘密にしないと、村の飯屋の親父が怒鳴り込んでくる。
「減った売り上げを補償しろ!」
 彩華とエルマのパン屋で、うどんを打ち、かき揚げ天を作る計画がある。
 飯屋の女将が娘と2号店を開業するので、その目玉にしたいと。

 今年のひまわり油最初の出荷日、クルナ村に異形の隊商が現れた。エルフでもヒトでもない。
 村は騒然となったが、一部の村民は驚きはしたが、意外とは思わなかった。
 ドワーフの商人がエルフの北辺の村にやって来たのだ。村民の大半は、始めてドワーフを見る。
 ドワーフの隊商は村の外に荷馬車を止め、少数が村の中心に単軸の軽荷馬車で入ってきた。

 彩華もドワーフの商人が来訪したことに驚いたが、混乱を避けるためにも接待役を務めた。
「商人のみなさん、ご商売での来訪でしょうか?
 店先で申し訳ありませんが、こちらでお休みください」
 老人とわかる筋肉隆々の老人が、彩華を見る。
「これは、これは、ヒトのお嬢さん。
 エルフの村と聞き及んでいましたが、ヒトもいるのですね」
「少ないですが、ヒトも住まわせていただいております。
 何かお飲み物でも……」
 この商人は、少しだが意地が悪かった。
「そうだな。
 まだ、昼間だから、酒は早いな。
 ミルクをもらおうか。
 ウシでも、ヒツジでも、どちらでもいい」
 ドワーフたちが笑う。エルフが動物性の食材を一切使わないことを知っているからだ。
 彩華は慌てなかった。
「承知いたしました。
 この村自慢のミルクの飲み物をご用意いたします」

「大豆から作ったミルクです。
 冷たくて、甘くて、おいしいですよ」
 ドワーフの商人が驚く。
「大豆から……、ミルク?
 大豆からは油が取れるが……」
 別の商人が匂いを確かめている。
「リンゴの匂いがする」
 彩華が説明する。
「リンゴの果汁を加えているんです。
 少しですが……」
 別の商人が彩華を呼ぶ。
「お嬢さん、もう一杯ほしいんだが……。
 冷たくてうまい。
 この甘さは何かな?
 砂糖ではないな」
 彩華は慌てない。ドワーフはエルフが砂糖を作れないことを知っている。
「麦芽糖です。
 オオムギの麦芽を酵母で糖化させたものです」
 ドワーフの商人が沈黙する。
 ドワーフは技術の高さを誇りにしている。伝統に縛られ変化を好まないエルフや、情緒的で感情に左右されやすいヒトとは一線を画すと自負している。
 だが、クルナ村は何かが違う。
 侮れない商売相手の本拠にいきなり乗り込んでしまったのではないかと、感じ始めていた。

「お嬢さん、この村一番の油屋はどちらにあるか、ご存じかな?」
 ドワーフの商人が彩華に採油工場の所在を問う。
「村の南外れにあります。
 大きな建物が3棟もありますから、すぐにわかると思います」
「村の中心には店はないのかな?」
「採油工場に事務所棟があります。
 そこで、ご用件を伝えてください」
「ほう?
 商談を村の中心ではしないと?」
「村に買い付けの商人が来ることは、最近では滅多にないことなので……。
 油のほとんどはホルテレンに運んでいます」
「それは、存じていますよ。
 私がほしいのは灯火用の油ではなく、食用油なのです。先年、この村で採油された品質のよいびまわり油を仕入れさせていただきました。
 どこで製油されたのか尋ね歩いたところ、製油もこの村だと……。
 1樽標準銀貨60枚という高値でしたが、いい商売をさせてもらいました。
 ですが、競争が激しくてね。
 ここまで足を運べば、競争相手が少なく、少しは安値でないかと思いましてね」
「安値かどうかは……」
「ガソリン100樽を運んできました。
 どれだけ危険か、おわかりかな?」
「木樽に入れて?」
「まさか。
 鉄樽ですよ」
「200リットルドラム缶100缶?
 20キロリットル……?」
「ほう!
 驚いた。
 パン屋のお嬢さんが、なぜそんなことを」
「知っているかですか……?
 オクタン価は?」
「……」
「たぶん、ナフサに近い成分じゃないかと。
 オクタン価は高くても60程度。
 よく知っています」
「驚きましたね。
 エルフがガソリンを使っているのだと考えていたのですが、ヒトだったのですね。
 ところで、お嬢さん、羊の国の出身ですか?」
「いいえ、違います。
 でも、なぜ、羊の国だと?」
「いや、教養がある様子なので……。
 失礼ながら、蒸気の国の民では絶対にないかなと……」
「蒸気の国の民には教養がない?」
「他国の民を云々するつもりはありません。
 ですが、ウールランドとペーパーランドの豊かさは別格。民は生活に余裕があり、それだけに学問が盛んです」
「ヒトの国について、詳しいのですね」
「ヒトとも商いをしていますからね」
「ヒトの国は12あると聞いていますが……」
「実際は3つの勢力ですよ」
「羊の国を盟主とする南部同盟、紙の国を中心とした西部連合、害毒をまき散らす北部条約機構。
 北部条約機構は野蛮でバラバラ、南部と西部は対立していますが、戦火を交えることはないでしょう。
 境界付近で、互いに越境しての小競り合いはあるようですが……」
「なぜ、南部と西部は対立しているのですか?」
「よくは知りません。
 肌の色が違うとか、想像上の神という生き物の姿が見えるか見えないかとか、バカバカしい理由のようです。
 お嬢さんは、神って見たことありますか?」
「ないです。
 私は神を信じていないので」
「やっぱり、いないですよね?」
「いないと思いますよ」
「羊の国では、無神論は反逆らしいです」
「何の?」
「もちろん、神への」
「いないのに?」
「ヘンですよね」
「私もそう思います」
「よかった、私たちと大差ないヒトがいることがわかって。
 ご馳走になりました。
 これから油屋に行ってみますよ。
 お嬢さん、また寄らせてください」

 隊商の長は、採油工場の工場長がヒトであることに驚いていた。
 エルフの村なのに、ヒトが幅を利かせているのか、と疑念を感じる。
 健吾はドワーフの商人がトレウェリの辺境まで商いに来たことに驚いていた。ドワーフの北上はホルテレンまでと決め込んでいた。
 隊商の商人団を事務所棟の粗末な会議室に招き入れる。
 ドワーフが好む飲み物がわからず、残り少ないミルクココアパウダーを温めた豆乳でとかして出すことにする。
 工員たちは初めて見るドワーフに興味津々で、作業が止まってしまっている。

「ココアしかなく、申し訳ありません。
 お口に合うかどうか……」
 健吾はそう言って、商談を始める。
「突然の訪問申し訳ありません」
「いえいえ、よい商いはいつも突然です」
「では、早速本題を……。
 100樽のガソリンと、100樽の食用ひまわり油を交換していただきたいのです」
「ひまわり油は採油を始めたばかりで、100樽を用意するには何日もお待ちいただかなくてはなりません。
 この地方では、ようやく収穫時期になったばかりで……。
 50樽ならすぐに用意できます。
 残り50樽は、コーン油かベニバナ油はいかがでしょう?」
 健吾は同席していた副工場長に命じて、コーン油とベニバナ油の見本を持ってこさせた。副工場長はフィオラの弟であるエトゥだ。
「花の油とは珍しい!」
 ベニバナの種子から採油するのだが、細かいことは気にしない。隊商の長の食いつきがいいのだから。

 事務棟1階の小さなキッチンでは、大急ぎで天ぷらを揚げていた。ひまわり油以外が売れるか売れないかの、大一番だからだ。
 女性の事務員がドアをノックし、室内に入ってくる。
「素人の料理で、お口汚しですが……」
「これは?」
「野菜にコムギの衣を付け、ベニバナ油で上げた料理です。
 お塩を少し付けて召し上がってください」
 頑張ったのであろう、天ぷらはカラッと揚がっている。
 フォークで天ぷらを食べるという奇妙なシーンを健吾は見慣れていた。
 見慣れてはいたが、違和感がある。
 だが、天ぷらは箸で食べてもフォークでもうまいらしい。
 隊商の長は、さらに食いついた。
「う~ん。
 これはうまい。
 シンプルだが、うまい。
 いい油だ。
 ガソリンと交換でいいんだな!」

 健吾たちにとってガソリン20キロリットルは貴重だった。
 この隊商の長とは、2カ月後にホルテレンで再度の商談を行うことにも同意する。次回は銀での取り引きとなる。

 ガソリン20キロリットルは貴重で、この時期は欠乏しかけていた。エルフたちは基本ガソリンを使わないので、健吾たちが全量買い取った。
 嫌々ではない。大喜びで……。

 耕介は、農閑期になったら西北への長距離調査を主張している。農閑期とは、厳冬期でもある。厳しい気象条件下での調査になる。
 物資の確保を主眼に置いているが、それ以外にヒトの行方を探る目的もある。
 生存しているヒトがいるなら見つけたいし、救助が必要ならば対処したい。だが、大規模コロニーがあるとは考えていない。
 コロニーがあるとしても、最大でも20人程度。おそらく、その規模は不可能だろう。食料の入手が不可能だからだ。
 水のある場所を見つけ、小さな畑を耕して、作物を栽培しても、収穫量はたかがしれている。
 動物の食害もあるし、天候にやられることもある。数百人規模でなければ生存圏を確保できないし、数年間は数人分の食料しか生産できない。
 不足分の食糧は採集・狩猟で補うしかないが、食用になる植物は自生していないし、野生動物は哺乳類ではない。
 採集に適するのは、一部の魚だけ。
 これでは、生きてはいけない。
 逆に1人か2人、多くて4人なら苦しいながらも生きていける。
 残存しているヒトがいて、希望するなら救助したい。
 どちらにしても、フェミ川以北はヒトが住むには厳しい土地だ。
 佐内フリッツ、木下奈々、エルマ・ヒルト、エリザベス・キーツを保護した実績もある。
 保護する理由は、耕介や健吾たちにも益があるからだ。
 ナナリコがいなければ、住宅建設なんて、夢のまた夢だった。
 似た体験をしているフリッツとナナリコは、何となくいい感じだ。年齢を聞いたわけではないが、ナナリコのほうが年上らしい。
 リズとエルマの関係は微妙。リズがお姉さんぶるかららしい。リズはエルマに甘えてほしいようだが、エルマは大人ぶりたい。

 今年のコムギは豊作ではない。不作でもないが、病気の発生で一部がやられた。平年並みより、やや下回る。しかし、ヒマワリは豊作だ。
 食料には困らないし、現金収入は多い。

 耕介は少量のナノハナの種を何年もかけて増やし、健吾は来年になれば少しだけ菜種油を採油してみる計画だった。
 灯火油よりも食用油のほうが高価で、灯火油ならトレウェリとアクセニ全土で生産している。
 食用油の生産はないので、競争力がある。ただ、ドワーフの商人からは品質を厳しく問われる。
 ヒトの商人はそうでもない。品質についてはうるさくないが、品質の善し悪しにかかわらず買い叩いてくる。
 だから、取り引きするならドワーフだ。
 健吾はそう判断しているし、エトゥたち工場の幹部も同意見。
 問題は、ドワーフの要求を満たせるか否かだ。かなり厳しい。
 輸送も木樽ではなく、金属容器が必要だ。
 開発に時間を要したがドラム缶を作っている。だが、一斗缶のような簡易な20リットル缶もほしい。
 一升瓶に似た2リットルのガラス容器は、完成している。半手作りで、量産ではないが、容量や強度など規格は満たしている。
 小売りができる状態での商談をまとめたいが、ホルテレンでは商習慣上難しい。

 健吾は食用油をより高く売るために、ウールランドへの渡航を考え始めていた。

 シンガザリの脅威は消えていない。
 シンガザリの侵略行為は、貧困、無知、妄想に原因があるらしい。だが、具体的には、いまだに不明。
 それでも、少しはわかっていた。シンガザリ国王は「他国の王が雇う魔法使いが、シンガザリに災いを及ぼしている」と民衆、軍の将校・兵士、官吏たちに説明している。
 シンガザリ国王には超常的な予知能力があり、シンガザリの民は国王の言を絶対視している。シンガザリ国王は、シンガザリの歴史家で小説家が著した『シンガザリ国史』を真に受けていて、シンガザリ王家は全エルフを統治する使命があると信じている。
 エルフが4つの国にわかれていることが我慢できないらしい。
 その他にも、エルフの歴史に根ざした、複雑で、曖昧で、不確実で、どうでもいい理由が付随するらしい。
 つまり、国王を倒さない限り、侵略は終わらない。国王を倒しても、後継者が現国王と同一の妄想に取り付かれていれば、侵略が終わる確証はない。

 クルナ村にも問題が発生していた。東エルフィニアの首都は、大商都ホルテレンに決まった。
 ホルテレンは、商業と政治の中心になる。
 クルナ村と隣接5カ村がある種の地域連合を形成しているが、それに6カ村が加わり、計12カ村が地方政庁の設置を中央政庁に申し入れた。
 その地方政庁の設置場所が、人口300のクルナ村なのだ。農業主体の田舎の村が中央政庁の所在地とのことで、中央政庁の官吏たちは爆笑したらしい。
 だが、商人たちは笑わなかった。
 この時点で、ベニバナ油のことは噂になっていて、入手できればドワーフとの取り引きで、巨万とまではいかないが、相当な利益を上げられる。
 ヒトの商人も見方を変えていて、噂では「クルナの油は特別」との評価になっていた。

 12カ村の村長と村役たちが集まった合同会議は、木造の納屋で行われた。
 村長と村役たちから「ホルテレンに負けない会所がいる」との議事が決まり、それが何とナナリコに任された。
「あんたはヒトだが、クルナの民だ。
 断っちゃいけない。
 ホルテレンに負けない会所を造ってくれ」
 言葉をよく解さないナナリコは、心美の通訳で事態を理解した。
 彼女は「ヘッ!」と発しただけで固まってしまった。

 これまでナナリコが手がけた建築物は、比較的小規模な住宅ばかりだ。
 だが、デザインや機能性は高く評価されていて、この大役に指名された。
 夕食時、ナナリコが健吾に「都市計画とかの概念ってある?」と尋ね、耕介が「そんなもん、ねぇよ」と答えた。
 ナナリコは静かに納得し、何事もなかったように食事を続ける。
 シルカが「ナナリコには案があるのか?」と心配する。
「モールかな」
「モール?」
 シルカが聞き返すと、ナナリコは「ショッピングモール。つまり、政治をみんなの身近にするの。会所つまり議場だけでなく、幼い子供たちが安全に遊べるフリースペースとか、軽い食事ができるイートインとか、気軽に本が借りられる図書館とか、衣料品のお店とか、靴屋さんとか……」と言い出す。
 レスティが「楽しそう!」と声を上げ、エルマが「パン屋さんもいいでしょ。私が店長」と発言。
 食卓が一気に盛り上がる。
 健吾は「ナナリコの妄想だね」と耕介に小声で伝え、耕介は「増税絶対反対」と現実的な主張をする。
 何かをするには資金が必要。大型の建物を建設するとなれば、増税が現実になる。

 クルナ村は平穏だ。
 シンガザリ軍の動きを事前に察知しているからだ。
 その方法だが、シルカがシンガザリ将校を捕らえ、リズが特大のシリンジで血を抜くと説明する。
 その時点で、シンガザリの将兵は階級に関係なく、何でも話し出す。
 血管に50ミリリットルほど空気を入れると脅すのも効果的。気泡が身体中をめぐり、心臓に達すると死ぬ。この事実を説明すると、泣き出して何でも話す。
 シンガザリ将兵は対暴力には勇敢だが、暴力とは無縁な行為にはひどく弱い。

 しかし、今回の捕虜は違った。
 階級は将軍の直前と高位。
「何をされても、一切応じない。
 虜囚となった時点で、死を決めている」
 実際、リズが静脈に針を刺しても動じなかった。血液をシリンジが吸い込んでも。
 嫌がって抵抗はしたが、尋問には応じなかった。

 対処に困った。
 シルカは「無理はやめよう。また。捕虜は得られる。シンガザリ兵は間抜けだからな」と、これ以上の尋問は意味がないと判断する。
 亜子が「で、どうする。いつも通りに即時解放?」と質す。
 耕介が「武装解除して、軍服も奪い、アクセニの西側で、無一文にして放り出せばいいんじゃない。いつも通りに」と常時の対応を支持する。

 捕虜は、虜囚となった将兵たちのその後を知っていた。
 与えた情報が何かを厳しく尋問され、縄目の恥を受けた罰として鞭打ち百叩きとなり、すべての名誉を剥奪される。
 兵は最前線に送られ、死ぬまで戦わされる。下士官は不名誉除隊となり、一切の権利を剥奪される。生きる術が断たれる。
 将校は無条件に自決を強要される。尋問を終えると、テーブルに自決用の短剣が差し出される。
 自決を拒否すれば、一族・血族全員からすべてが奪われる。土地、建物、財のすべて。
 だから、一族・血族のため、自決する。介錯はなし。急所を突けきれなければ、息絶えるまで苦しみ続ける。

 彼には死ねない理由があった。
「妻と娘がいる。
 娘が長く患っているんだ。妻が面倒を見ているが、とても金がかかる。
 私が死ねば、娘も死ぬ。
 内陸ではなく、海岸のどこかで放免してくれ。どこかで働き、妻に金を送るから……」
 シルカが同意する。
「おまえの勇気に免じて、ホルテレンまで連れてってやる。あそこなら、働く場があるだろう」
 リズが訛りの強いエルフの言葉で、尋ねる。
「どんな病気?」
 血を抜き呪う魔女に問われ、捕虜は躊躇うが魔女の力を借りたい気持ちもあった。
「定期的に熱が出るんだ。
 高熱だ。額に手をかざすと、熱さを感じるほどの……。
 治療師は私が殺した敵兵の呪いではないか、と……」
「喉が痛くなる?」
「あぁ、ひどい痛みで、水さえ飲めなくなる……。
 何でわかる?」
「扁桃腺炎じゃないかな。
 ライノウイルス、アデノウイルス、単純ヘルペス、EBウイルス。細菌ならインフルエンザ菌、肺炎球菌、溶連菌のどれかが原因だと思う。
 だとすれば、抗生物質で、治療できる」
 捕虜がリズを見詰める。
「血の魔女よ。
 おまえが治せるのか?」
 リズが躊躇う。
「どうかな?
 効果がある抗生剤があるかどうか……。
 その子、いくつ?」
「歳か?
 6つだ……」
「連れてこられる?」
「ここに?
 敵地だぞ」
「あなたの味方は助けられるの?」
「いや……」
「発症してみないとわからないけど、モンテス先生ならどうにかしてくれるはず。
 連れてきて」
「……」

 捕虜は答えなかったが、翌日にホルテレンに向かった。

 健吾にとって、2億年前の記憶がないヒトとの商談は苦手だった。
 むしろ、ドワーフやエルフの商人のほうが対応しやすい。
 同じヒトじゃないか、と思った瞬間に足をすくわれる。
 2億年後は、ヒトが生きていくには厳しい世界だ。
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