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第2章 東エルフィニア

02-013 アルコールエンジン

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 モイナク村はクルナ村の南隣にあり、シンガザリの侵攻を何度も受けていた。被害は甚大で、地形的に水に恵まれない土地であったことから農業の回復は絶望的ともされていた。
 それと、この村特有の問題があった。
 モイナク村には、村の土地の3分の1を所有する強大な富者がいた。彼は政治には口を出さないが、彼の不利益になる政策には断固とした対処に出た。
 この富者が所有地を拡大できた理由は、やはり金貸しだった。高利で金を貸し、返せなくなると土地を取り上げる、毎度お馴染みのビジネスモデル。
 ただ、農民を土地から追い出しはしなかった。小作人として、耕作を続けさせた。もちろん、収穫から地代を徴収し、小作農は年貢と地代で、極貧に陥った。
 村は救済策をとろうとしたが、富者と富者が雇う無頼によって、ことごとく邪魔されていた。
 シンガザリの侵攻後、この富者は土地を買い漁り、いまでは村の面積の3分の2が1人の富者によって所有されるという異常事態になっていた。
 しかも、この富者はシンガザリと懇ろなどということがなかった。むしろ、シンガザリ軍と戦っていた。

 村は困窮した村民への救済策として、農耕には不適な原野の開墾を主導しようとした。
 しかし、ウマでの開墾では何年もかかってしまう。それでは、さらに困窮してしまう。
 そこで、クルナ村に支援を求めてきた。

 村役場の大部屋には、モイナク村の村長〈むらおさ〉と村役3人が来訪。村役うち1人が小作農となっており、1人は所有農地の半分を手放していた。
 村長自身、農地の一部売却を考えているような状況だった。
「私もスーサミルに土地を買ってもらおうかと考えているところでね。
 シンガザリに攻め込まれなければ、ここまで追い詰められたりはしなかったのだが……」

 エルフの村と村の間には緩衝地がある。村と村が土地争いや水争いをしないための知恵だ。
 モイナク村の村長が続ける。
「クルナ村がよければだが……。
 北の遊休地に新たな畑を開きたいのだ」
 それに答えたのはシルカだった。
「農地を開いたとして、どうする?
 スーサミル殿にも権利があろう」
 村長が黙ってしまう。
 スーサミルの噂はクルナ村にも聞こえていて、彼から借金をしたクルナ村の村民がいる。高利だが違法ではなく、無頼を雇ってはいても暴力行為はしない。暴力の臭いを発するだけ。
 案の定、返せなくなったが、村が肩代わりして、農地を村直轄にした。
 一瞬の沈黙をシルカが破る。
「スーサミル殿に村の土地すべてを売ってしまったらどうだ?
 村民全員でクルナ村に引っ越してくればよい」
 シルカ特有の何も考えていない発想なのだが、ある意味で的を射ている。

 クルナ村にも問題があった。いつの時代に作られたのかもわからない地下水路による灌漑設備の老朽化が甚だしく、修復の目処が立たず、休耕地が増えていた。
 一方で、灌漑設備が生き残っている東に向かって、数百年前から少しずつ新たな農地を開いていた。
 だが、放棄された西側農地を再耕作しても、モイナク村からの移住を受け入れるほどの面積はない。
 沈黙の中で、シルカが続ける。
「クルナ村では、土地が地下水路よりも高いと水の問題で農地にならない。
 だが、知っての通り、当家では川よりもはるかに高い土地にも水を送り込んでいる。
 地下水路の修復が難しいことは知っている。ならば、新しい灌漑の方法を考えればよい」
 会議に出席している耕介は、必死に会議の内容を追っていた。日常会話はどうにかなるが、込み入った交渉事までは自信がないからだ。
 聞き役に徹していたが、唐突にシルカが話を振った。
「当家には、乱暴者の機械鍛冶と女たらしの賢者がいる。
 そして、ここに機械鍛冶が……。
 コウ、何とかなるか……」
 こんな政治的な話に首を突っ込みたくないし、エルフのいざこざに巻き込まれたくもない。どう答えるか、よく考える。
「西側の古い休耕地には、雑木が生えてしまっている。
 開墾は簡単じゃない。
 東の高台は開墾するだけでなく、周囲よりも背丈の2倍も高いから揚水ポンプがなければ、給水できない」
 シルカが話を引き継ぐ。
「賢者ケンは、機械鍛冶コウが持ち帰った怪物を使えば、農地の開墾は簡単だと言った。
 それと、高台に水を送り込む機械は新たに作れるとも……」
 モイナク村の参加者はシルカの言葉を理解していないが、クルナ村の村長以下のメンバーはシルカの言葉が天の声に近いことを知っていた。
 クルナ村の村長が意を決して問う。
「シルカ、代償は?
 何がほしい」
 シルカが微笑む。シルカは美形だが、微笑みは氷点下の冷たさがある。
「当家のエルマがパン屋の開業を望んでいる。
 飯屋の隣の古い会所を譲れ」
 村長がホッとする。村の所有物なら、譲渡は可能だ。それに、パン屋は必要だ。

「耕介、こいつにリッパーを牽かせるのか?
 可能なんだろうが、リッパーを作るほどの技術は村にはないぞ」
「健吾、手に入れたクローラーダンプは諸岡製のコピーだった。エンジンは強力だし、油圧もある。
 作ることができれば、リッパーだけでなく、ドーザーブレードだって取り付けられる。
 俺たちにとって、革命的な機械になる」
「ブルが牽くリッパーほどの強度がなくていいなら、作れると思う。
 北岸で手に入れたH鋼を使う。
 油圧とどうつなげばいいのか、教えてくれ」

 パン屋の開業場所が決まり、エルマは大喜び。しかも、飯屋の隣り、診療所の真ん前だ。村のど真ん中ではないが、ささやかな繁華街の中心部ではある。
 パン屋の開業には、最適なロケーションだ。

 西側の耕作放棄地を再開墾したのは、耕介が初めてだった。
 古井戸を掘削し直し、地下水を見つけ、排気量49ccの原付用エンジンを利用した揚水ポンプで、放水と散水ができるようにした。

 耕介は、車体やフレームは再生できないが、回収・整備した各種エンジンとトランスミッションをストックしていた。
 このうち、バイク用空冷エンジン数台はリヤカーに似た鋼管製台車に載せて、移動可能な揚水ポンプとして使っていた。
 この台車の車輪は、軽量なスポークタイヤなのだが、ゴム製弾性体が巻かれておらず、鉄輪で補強されていた。
 2億年後には天然ゴムはないし、合成ゴムを作る技術には出会っていない。
 この事実を理解して以降、どれほどひび割れていようと、形をとどめているタイヤを見つけたら回収するようになった。
 ひび割れたタイヤは、エンジンオイルと軽油の混合液を塗ったり漬けたりして、加圧・加熱して再生する装置を保有していた。
 この装置も拾ったものだ。

 近隣への小口配送を生業にしている心美とレスティは、使う予定のない車輌を適宜利用していた。
 だが、この有効なサービスは利用者が多く、競合も生まれていた。競合は1頭立ての軽荷馬車を使って、重量20から30キロ以内の小口荷物を迅速に運んでいた。
 心美とレスティは危機感を持っており、耕介と健吾に「軽トラを直して!」と懇願していた。

 クローラーダンプの荷台に載せられた軽トラは、薄板鋼製のボックスを載せたパンタイプなのだが、クローラーダンプとは2億年後にやって来た時代が違い、かなり傷んでいた。
 12インチのタイヤはひび割れがひどく、交換を要したが、小径タイヤのストックはなかった。
 耕介は全軽合金のエンジンを取り外して再生し、不足している機械動力にしようと計画していた。
 つまり、軽トラは分解される運命にあった。

 心美とレスティの必死の働きかけで、軽トラは軽トラとしてレストアされることになった。
 軽トラは塗装をすべて剥がされ、錆を削り、錆び穴を鉄板の溶接で補修し、塗料の不足から、ダークブラウンにホワイトを混ぜて、ライトブラウンに全塗装されることに決まる。
 荷台のボックスの内部は、ホワイトで塗られる。
 タイヤは、いつもの方法だが入念に再生される。

 2億年前からやって来たヒトは、2億年後において日々忙しく生活していた。

 モイナク村の異変は、モイナク村自身では解決不能に陥っていた。
 交通の関係と地形からシンガザリにたびたび侵攻され、男性は殺され、女性は陵辱され、畑を荒らされていた。
 この状況にスーサミルは高利での金貸しをしかけていたが、夫を殺された女性は「子供を連れて、他村の知り合いを頼るから土地のすべてを買ってほしい」と頼み込んだ。
 スーサミルは土地の奪取が最終的な目的で、その過程で自営農民の小作人化を目論んでいた。
 ただ、小作人は困窮した農民を連れてくればよく、モイナク村の住民に固執していたわけではない。
 シンガザリの侵攻は、両勢力境界付近の農民を苦しめていて、多くの難民が生まれていた。スーサミルから見れば、労働力は無尽蔵に思われた。
 だから、この女性の申し出を受け入れた。
 また、モイナク村の村長が売買契約に立ち会い、こういった行為に不慣れな農民女性をサポートした。
 これがモイナク村における、農地と宅地の一括売買契約のモデルとなった。

 この女性と彼女の子はクルナ村に移り、農地に囲まれたやや水利の悪い土地に36ヘクタールを割り当てられた。
 この土地はかつてはテンサイを栽培していた。
 耕介はこれを知り、たいへん驚いた。
「テンサイを栽培していたってことは、砂糖を作っていたんじゃねぇのか?」
 そして、ムギを育てたい女性に「テンサイを栽培してくれ。収穫は全部買う。ムギ畑がほしければ、うちの土地を貸すから!」と説得する。
 その耕介の必死な様子を、クルナ村の村長、村役、村民は不思議に感じていた。
 しかも、耕介が提示したテンサイの買い取り価格は、常識外れの高額だった。
 話し合いの席で、クルナ村の村長は「テンサイなんて、救荒作物じゃないか!」と叫んでいた。

 クローラーダンプでリッパーを牽くと、どんな荒れ地も瞬く間に開墾されていく。
 低木はチェーンソーで切り倒し、集めて木炭の原料にする。
 掘り起こした根は、泥を洗い落として薪にする。一切を無駄にしない。

 クルナ村はシンガザリ軍の侵攻を警戒して、村民の住居地を集約しようとしていた。生命の被害を極限できるが、畑は守りにくい。
 火を放たれると、延焼は広範囲に及んでしまう。

 健吾は、点在する池や井戸から水を汲み上げるためのポンプ用動力として、エタノールを燃料とする2サイクルの空冷レシプロエンジンを開発中だった。
 試作2号機をモイナク村からの移住者母子のテンサイ畑に設置した。
 母子は耕介の意向を受けて面積の半分にテンサイを、半分にコムギを栽培することにする。
 周囲の土地から3メートルほど高いだけだが、自然の流れが頼りの灌漑では水利の条件が悪かった。
 だが、4馬力程度の揚水ポンプで、十分な給水ができた。ポンプは常時動かす必要はなく、畑への水撒きをする数日おきの数時間だけ必要だった。
 だから、定置式ではなく、可搬式を希望している。
 村役の1人が健吾に「運べる機械だとしても、10台は必要だよ。10台あれば、農地をもっと増やせる」と告げた。
 別の村役は、健吾に「クルナ村の存在が大きくなれば、周辺に影響を及ぼせる。そうすれば、東エルフィニアの基盤固めに役立つんだ」と語った。

 クルナ村の西側村境はアクセニになる。西隣のチュウスト村はアクセニなのだが、東エルフィニアへの参加を決断している。
 この状況にシンガザリ王は激怒しており、攻め込んですぐに引き上げる波状攻撃をたびたびしかけている。
 最近の被害は、村の南西部の小さな集落であった襲撃事件だ。
 その日は結婚式だった。
 宴席を襲ったシンガザリ軍は、新郎と来客数人を殺し、新婦を陵辱し、数人の子供を掠った。
 襲撃したシンガザリの部隊は取り逃がしたが、この事件に村全体が怒りの渦にあった。

 村に居着いた2人の無頼のうち、怪我が癒えたグレーゲルは、村に雇われて保安官の役職に就いた。
 彼は、村の若者4人を保安官補に任命して、村の南側を集中的にパトロールさせていた。
 しかし、たった4人では、シンガザリ軍の侵入を察知したとしても、何かができるわけではなかった。

 この日、健吾はウニモグで大型水タンクを牽引して、南側のムギ畑の散水にあたっていた。
 このタンクはステンレス製で、何に使うものなのかわからないが、ガスを液化して運ぶためのものではないかと推測している。
 水を入れて圧搾空気で30気圧まで加圧すると、水を150メートルも噴射することができた。
 通常はノズルを散水モードにして、広範囲に雨を降らせるように水を撒く。
 雨が降らないこの地方では、散水車がやって来ると子供たちが大喜びで集まってくる。
 この日もそうだった。

 危険を知らせようと全速でウマを走らせる保安官補は、道を塞ぐ巨大な水タンク車と周囲に集まっている大人と子供たちを見て、慌てた。
 ウマに急制動を命じ、止まる前に叫ぶ。
「シンガザリ兵だ!
 こっちに来るぞ。
 早く逃げろ!」

 健吾が気圧計を見ると、タンク内は25気圧まで加圧されていた。
 通常は、このくらいの余裕のある状態で使っている。
「北からか?」
 健吾の問いに、保安官補が叫ぶ。
「そうだ!
 ヒトの賢者、早く逃げろ!」
 健吾は、コンプレッサーを駆動するV型2気筒エンジンの回転を上げる。
「保安官、クルマの陰に隠れるんだ。
 集落のみんなは荷台に乗ってくれ」
 大人と子供がウニモグの荷台によじ登ってくる。
 このときまで、保安官補と集落の面々は、健吾が迎え撃つつもりだとは、考えてもいなかった。当然、逃げるものだと……。
 武器は保安官補の剣だけ、武器になりそうなものは農具しかないのだ。
 戦う術など、ありはしない。

 健吾がタンク内の気圧を確認する。
 29気圧。エンジンの回転を1分間に2000回転から2400回転に上げる。
 タンクの上部にある足場に上り、放水銃を構える。
「おい、何やってんだ!
 水じゃ戦えないぞ!」
 騎乗の保安官補が叫ぶが、健吾は無視する。
 早く放水しないと、タンクの気圧が上がりすぎて爆発してしまう。
 放水口を散水モードから放射モードに変更する。
 先頭のシンガザリ騎兵が抜剣する。
 タンクが軽く振動している。加圧しすぎているからだ。健吾にとっての恐怖は、剣を抜いた騎兵ではなく、足の直下にある水タンクだ。

 放水の圧力は、健吾の想定以上だった。放水銃に振り回されたが、それがよかった。
 先頭の騎兵は頭部を直撃されて頸部が折れ、先頭から3騎目は腹部に水圧を受けて彼方に飛んでいった。
 6騎を残して、その他は落馬。無傷で落馬した騎兵もいたが、多くは即死か重傷を負っていた。
 走って逃げる1人のシンガザリ騎兵の背を水が打つ。背があり得ない屈折になる。
 落馬しなかった6騎と、走って逃げた兵2を取り逃がしたが、残りは打ち倒した。

 保安官補が負傷しているシンガザリ騎兵にとどめを刺している。
「ったく、すんげぇ威力だな。
 水が武器になるなんて知らなかったよ」
 農民たちも賛辞を健吾に送る。

 農民たちが、死体を森に運んでいく。
 放置しておくと、異形の動物を呼ぶからだ。その動物は、哺乳類ではない。魔獣の同類だ。
 深く穴を掘り、決して掘り返されないように埋めてしまう。これが、最良の始末の仕方であって、埋葬ではない。

 クルナ村の地下灌漑施設は、フェミ川の水を利用していない。
 人工か天然かはわからないが、西の山脈を源流とする地下水脈を源泉とした水路を利用している。
 この地下水脈はおそらく天然で、地下深くに存在するのだが、クルナ村付近で地上近くに上昇している。
 この水を人工の地下水路に導き、広範囲の灌漑を行っている。
 クルナ村の地下水路は、いつ造られ、どういう経路になっているのかまったくわかっていない。
 一説には、エルフ以外の種族が造ったともされる。エルフがこの地にやって来たとき、この地は無人であったが、文明の痕跡はあったともされる。
 実際、円形や方形の石囲いが各地に残っていて、これは牧畜のための施設跡だとも言われる。
 エルフはウマ以外の家畜・家禽がいないので、ヒトかドワーフではないかとされるが、ヒトともドワーフとも石組みの仕方が違う。
 未知の種族が住んでいたとも、伝説のオークの遺跡だとも、ホビットやティターンの痕跡など、諸説がある。
 どちらにしても、クルナ村はこの地下灌漑施設を利用することで、他村に比べて圧倒的な収穫を得ていた。
 雨が降らないこの地域では、地下灌漑施設の存在は決定的な優位をもたらしていた。

 だが、年月の経過とともに、この地下水路の寿命がつきかけていた。
 埋没したりすれば、その箇所なら修理できるのだが、全体像がわからないので、問題の根本がわからず「水が来なくなってしまった。どうしよう」と途方に暮れることも多くなっていた。

 フィオラの父親は村一番の耕作面積を誇る豪農だが、耕地の西半分は水に恵まれず、乾燥に強いライムギを育てている。
 ライムギはコムギに比して商品性が劣るため、フィオラの父親は常々「水を何とかしろ」と健吾に迫っていた。
 彼は、健吾が開発しているアルコールエンジンを「よこせ」と言っているのだが、村はアルコールエンジンの供給順位を決めている。
 フィオラの父親は、その供給順位すら組み込まれていない。彼の農地におけるアルコールエンジンによる給水は、さほど必要ではないと評価されているのだ。
 実際、ライムギの収穫量は悪くない。
 だから、村役の立場で強引な交渉をしてくるのだ。明確に不正行為だ。

 ターフの下での話し合いなのだが、フィオラはいない。娘の小言がイヤで、父親は娘の不在を狙ってやって来る。
「水だ。
 水さえあれば、コムギを育てられる。
 ライムギは土地を痩せさせるから、数年に1回は休耕せにゃならん。
 水を何とかしろ!」
 耕介が呆れる。
「親父さん、ようはアルコールエンジンを渡せってことだろ。
 そりゃ、ダメだ。ルール違反だ」
「おまえは、一族の悲願を何だと思っているんだ!
 おまえも、一族の1人なんだぞ!」
 耕介は、都合よく一族に入れられたり、外されたりすることに閉口していたが、そのことには触れなかった。
「健吾、どうする?」
 健吾には、案があった。
「直径7メートルの水車を造る」
 彩華がニヤリとする。
「それなら動力はいらないね」
 彩華が手早くイラストを描く。
「フェミ川の流れで水車を回し、水を汲み上げ、畑に流す」
 フィオラの父親は、疑問を口にする。
「こんな巨大な水車は見たことがないぞ」
 彩華が説明する。
「お父さんちの納屋に立てかけてあるヒトの馬車の車輪、あれの25倍の大きさの水車だってあるんだ。
 これくらい造れるよ」
 健吾が「親父さんちの納屋にある車輪だけど、それで実験してみよう。モーターと連結して、小水力発電をする。どう?」と提案。
 耕介が「いいねぇ」と賛成し、彩華が微笑んだ。

 健吾は、巨大水車を造る実験との理由で、フィオラの父親から直径1メートルの木製スポーク車輪を2個手に入れる。
 車輪の外周にはめてある鉄輪を取り外し、車輪を並列にして水車を造る。
 材料は木材だけ。
 設計は健吾だが、製造はナナリコ。彼女の手際は神業に近く、水車自体は2日でできてしまった。
 この時点で、水車を設置する場所は決めていなかった。

 いろいろと検討したのだが、懇意にしている母娘の農場にある湧水池から流れ出す小川が適当と候補になった。
 発電用水車の設置をお願いすると、母娘は手を取り合って喜んだ。
「うちにも電気がつくのね!」
 母娘の単なる勘違いか、健吾の語彙力の不足から誤解を招いたのか、その点は不明だが母娘の喜びようを見たら「違います」とは伝えられなかった。
 旧シルカ邸キャンプ、診療所に続いて、母娘の家にLED電灯が灯ることになるのは、それから1週間後のことだった。
 この結果にフィオラの父親は憮然とし、彼が主導したのだろうが、村長と村役揃って「電気の独占は許されない!」と抗議をしににキャンプにやって来た。

 しかし、村民は学んだ。
「水車があれば、電気が起こせるみたいだ」
 トレウェリでは、海岸付近では風車、内陸側では水車が製粉用途で使われている。どちらも、かなりの大型を製作できる。
 だが、灌漑用途での風車や水車の利用ははなはだ少ない。

 フェミ川の川面は、南岸の川岸よりも5メートルから7メートルほど低い位置にある。北岸は数十センチ程度と陸と川面の高低差がほとんどない。
 氾濫は過去に何度もあるが、氾濫原は北岸になっている。
 南岸で河川氾濫=洪水が発生した例は、記録上存在しない。
 そうだとしても、フェミ川の水量の増減は大きい。増水期と渇水期では、同じ川とは思えないほどの違いを見せる。
 どう考えても、水車を設置するには不向きな川だ。

 母娘の土地に設置した水車は、安定した回転で、80キロワット時の発電ができていた。
 小型ディーゼル発電機ならば10台分に相当し、想定していた発電量をはるかに上回っていた。
 母娘の自宅への供給はもちろん、この電力で電動モーターによる揚水ポンプを駆動し、高さ5メートルの高低差を逆流させて湧水池の水を供給する方法が考えられた。
 その水路は、長さ1メートルの陶器製円管(土管)をつないでいく。

 フィオラの父親は、この計画を受け入れた。水路の建設と湧水池の使用料を負担することも了承する。
 母娘には、年間で10グラム相当の銀貨10枚が支払われることになる。この金額は、母娘の農地に課せられる税とほぼ同額。
 これに、母娘は飛び跳ねて喜んだ。
 エルフの戸数あたりの農地は、耕介が調べたところ50ヘクタールほどが平均値なのだが、フィオラの父親のように150ヘクタール以上を保有していたり、母娘のように20ヘクタールを下回ることもある。
 税は各戸に課せられ、農地の保有面積はあまり考慮されず、耕作面積が少ない農民にとっては重税傾向となっていた。
 ただ、農地の貸借と売買は盛んで、モイナク村の村民たちの移住においても、有効に活用された。

 モイナク村のスーサミルは、トレウェリ最大の農地を有する農民だ。
 村民を小作人にする計画は頓挫していたが、農業に従事する雇用者はいくらでも集められた。

 クルナ村には村の中心にある程度の商業地域があるのだが、モイナク村にはまったくなかった。
 馬具屋と農具を作る鍛冶屋はあるが、飯屋や旅籠はなく、完全な農民の村であった。

 モイナク村の村長がクルナ村に移ると、事実上、モイナク村の行政は崩壊する。様子見を決めていた馬具屋と鍛冶屋は、スーサミルの個人支配を嫌って他村へ移った。
 スーサミル以外にも村に残る自営農民がいるのだが、先行きは明るくなかった。また、スーサミルはこの状況に至っても、農地の拡大をやめていなかった。
 村のすべての農地を自分のものとする野望は、健在だった。

 健吾は、村の鍛冶屋や鋳物師と連携して、エタノールを燃料とする排気量100cc単気筒空冷2サイクルエンジンを5基製造した。
 揚水ポンプの動力として使われ、耕作不適地が急速に減少している。
 西隣のチュウスト村にも似た問題があり、揚水ポンプの売却を要請してきていた。

 健吾は、フェミ川から直接揚水できるエンジンポンプとして、バイオエタノールを燃料とする排気量250ccの単気筒空冷2サイクルエンジンを計画していた。
 陶製の円管(土管)の需要が一気に増し、瀬戸物屋から瓦屋までが土管を作り始めている。
 土管の規格は、ナナリコが定めた。

 古い地下水路がゆっくりと使用不能になりつつある現状において、健吾が開発する動力ポンプはクルナ村と周辺に絶大な影響を及ぼしつつあった。
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