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第1章 2億年後
01-002 物資枯渇の恐怖
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行動距離1000キロは、移住者の目安であった。燃料はどれだけあっても足りないが、運べる量には限界がある。
夕食後、ターフの下で亜子が話し始める。「まだ、ネットが使えた頃、私は海外のサイトをよく見ていたんだ。
2億年後に移住するヒトたちは、どんな装備をするのか知りたかった。
うちは、ママとパパは移住に懐疑的だったから、ほとんど興味がなかったみたい。家族で話題になることもなかった。
でも、私は興味があったんだ。
移住者の装備は、大別すると2系統。民間の4輪駆動車を使うか、軍用の6輪や8輪の装甲車を使うか。
軍用車を使う理由は、装甲が必要なんじゃなくて、高い路外走行性能が理由。
この傾向はヨーロッパで顕著だったみたい。
だけど、軍用車は無駄な装甲が災いして、燃費が悪いんだ。
だから、ウニモグに人気が集まっていた。そのウニモグも燃費はたまげるほど悪いそうだけどね。
軍用トラックも人気があったみたい。
話を元に戻すけど……。
私たちもだけど、2億年後には先行しているヒトがいると考えていた。
あるいは、複数車輌で参加して、食料、燃料、生活雑貨を分散輸送する場合も多かったんだ。
物資を大量に運ぼうとすれば、メンバーが増えてしまう。メンバー数、車輌数で割れば、1人あたりの物資量が飛躍的に増えるわけではないわけ。
また、その物資の入手が難しくなっていった……。移住派と残留派が物資の取り合いを始めたし……。
で、どんな装備であろうと、行動できる距離をどう算出するかが問題になったの。
それが、1000キロ。荒野を1000キロ移動できるだけの燃料を確保しておかないと、ヒトが住む場所にたどり着けないかもしれないと……。
私たち1000キロ走ってきたけど、ヒトの痕跡は故障したトラック1台だけ。
ここから先は、増えていくんじゃないかな。燃料切れになるクルマが続出する……。
あるいは、近くにとどまって、ヒトの街ができている可能性もあると思う」
亜子の推測は外れていないと、健吾は考えた。
「あり得るね。
亜子の推測は、理にかなっている。
俺たちのように5000キロを行動距離に設定したグループは多くないはず。1000キロが基準だとして、1500キロから2000キロ程度の行動は想定していたはず。燃料は多ければ、多いほどいいからね。
それに、ここまでの道のりは、考えていたほど険しくなかった。
他のグループも同じだろうから、この地点でも300キロ以上走る燃料を残しているんじゃないかな。
でも、どちらにしても、進出限界は近いと思う」
耕介が本質を突く。
「と、言うことは危険が増すってことだな。
動物より、ヒトのほうが危険だぞ。
いままで以上に警戒しないと」
翌朝、キャンプから20メートルの場所で、ヒトの痕跡が見つかる。
「バイクのハンドルだよね?」
心美の問いは、確認に過ぎない。
健吾が「掘ってみる?」と同意を求めるように尋ね、耕介が「地面は柔らかいようだし」と賛意を示す。
亜子が「スコップ、持ってくる」と言い、続けて「彩華はクルマを見張っていて」と伝える。
ハンドルの一部だけが地面から突き出ているものを掘り出すことは、相当にたいへんだった。
埋まっていたのは、4輪のATVだった。埋まってからの期間は短い。推定、数カ月前。
地面の亀裂にはまり込み、土が崩れ埋まり、さらに風に運ばれた土が被さった。
掘り出さなかった理由はわからないが、4人がかりで3時間もかかったから、労を惜しんだのかもしれない。
右前輪のサスペンションが曲がっており、交換部品がなければ修理はできない。エンジンを含む使えそうな部品があるので、回収した。
心美は残念そうだ。
「私専用のバイクになったかもしれないのにぃ~」
ATVにくくり付けられていた荷物からは、何かがわかる情報はない。
タオル、Tシャツ、革の手袋、マグカップ、缶入りのコーヒー豆、ウィスキーのポケット瓶、非常食であろう板チョコが10枚、光学双眼鏡、暗視装置、ダガーナイフ、マチェッテ(山刀)。
これがすべてだった。
だが、使えるものが多い。板チョコは味見の結果、食べられると判断。板チョコ8枚、ダガー、双眼鏡が心美の個人装備に加わった。
暗視装置は、いままでは持っていなかった。
翌日は、人界に近付いていると判断し、射撃訓練を行った。
手持ちの弾数ではとても無理だったが、トラックに残置されていた機関銃弾を使って、不十分ながら銃の扱いに慣れることはできた。
10日かけて、300キロ東進する。その間、ヒトの痕跡を発見できない。
この頃になると、物資は減る一方で、誰もが「なくなったら、どうしよう」と不安になり始める。
無線も傍受できない。ヒトが出しているであろう、規則的な電波がまったく検出できないのだ。
5人とも、不安が増していた。
さらに150キロ東進し、ついに1500キロを走破した。
その夜、亜子が提案する。
「海までどれくらいの距離があるのかわからないし、安全な場所を見つけて、長期のキャンプを計画しない?」
全員が疲れていた。肉体的ではなく、精神的に。
この一帯はとにかく湧水の池が多い。森はあるが、草原が多い。全体的に寒冷なのだが、野生動物が多い。
爬虫類はヘビを含めて、見ていない。鳥もいない。動物は哺乳動物のようだが、はっきりしない。いままで見たことのない種ばかりだ。
動物は総じて大きい。
亜子の提案に答えが出せないまま、翌日も東進。11時30分頃、川の近くに意外なものを見つける。
石垣があった。
高台と言うほどではないが、周囲よりは少し高い位置にあるものの、石垣自体があまり目立たない。
気付いたのは荷台で双眼鏡を覗いていた心美で、完全に偶然の発見だった。
石垣は真円形で、石垣の中にウニモグに牽引されたオフロード仕様のキャンピングトレーラーが残されていた。
トレーラーは濃いグレーと淡いグレーのツートンで、ラダーがなければ出入りできないほど車高が高い。
ウニモグは濃緑で、荷台には幌が被されていた。
石垣の中には4つの墓らしきものがあった。
ウニモグの助手席にメモが残されていた。A4の用紙一杯に文字が並ぶ。
帰国子女で英語に堪能な亜子が要約する。
「6人のグループね。
ここまで来て、燃料がつきたみたい。6人ともビーガンだったようね。だけど、食料がなくなり、川で魚を捕って飢えを凌いでいた……。
尖り耳に襲われたって書いてある。
尖り耳って何かな?」
耕介が即答する。
「オオカミに似た、耳の尖った動物のことだ。オオカミよりもデカイし、群でえげつない狩りをする。
あれに襲われたんだ」
亜子が続ける。耕介の見解に反対はない。
「銃を用意しなかったことは、間違いだったって。まぁ、そうよね。捕食者にとって、ヒトは獲物でしかないし。
奥さんと娘さん、それとヘフケン夫妻が死んだって書いてある。あのお墓ね。
尖り耳を避けて、息子さんと南に向かうって」
耕介が見解を示す。
「トレーラーのケツにラックがある。
自転車用ではなく、たぶんバイク用だ。トレールを積んでいたんじゃないかな。
徒歩で旅を続けてはいないと思う。
携帯発電機とエンジンポンプが荷台に残されていたから、ガソリンは持っていたんだろう。
ガソリンをかき集め、バイクに2人乗りして、ここを去ったんだ。
俺の推測では……」
耕介の合理的な考えに反論はない。だが、心美が拾ってきたものが、耕介の推測に疑念を与える。
「これ、落ちてた。
他にもある……」
彩華が受け取る。
「矢羽根?
折れた矢?
どういうこと?」
健吾が推測する。
「尖り耳はオオカミ似の動物だとして、それ以外に道具を使う危険な生き物がいる?
その矢、アーチェリーのものじゃないよね」
彩華が反論。
「このトラックの持ち主が、矢の持ち主かもしれないでしょ。
それと手製の矢だから、違うように見えるだけ」
矢羽根には鳥の羽は使われていない。紙のように薄い素材だが、紙ではない。シャフトは木製。
耕介が「このトラックの持ち主は、俺たちだ。しばらくの間はね」と断言し、野生動物以外の襲撃を否定した彩華が「どちらにしても、用心しないと。各自、銃を手元に置いておくこと」と。
用心に越したことはない。誰からも反論はない。
亜子と健吾が偵察に出ることになる。その間、耕介はウニモグの修理を試みる。
彩華と心美は、周囲を見張る。
亜子と健吾は東に5キロ進み、2つ目の真円形石垣を見つける。この石垣は、ウニモグが残置されていた1つ目よりも小さい。
さらに5キロ進むと、三日月形の河跡湖を見つける。河跡湖の南側は森で、現在の川とは150メートルほど離れている。川岸に大木はないが、草丈が高い茂みがあり、対岸から見えにくい。
亜子が「ここにしよう」と提案すると、健吾も同意。
「水が手に入りやすいし、通路が狭いから、守りやすい。
それと、この場所、かなり高いよ」
亜子も高い場所だと感じていた。
「バイクなら楽に上るけど、歩きだと意識するね。
周囲より3メートルくらい高いんじゃないかな」
移動は簡単だった。キーはシリンダーに刺さったままだった。
耕介はウニモグのバッテリーにジャンプスターターを接続して、始動に成功していた。わずかだが、パイプには燃料が残っていた。軽油は、10リットルだけつぎ足す。
新しい拠点は、非常に快適だった。女性3人がキャンピングトレーラーを使い、耕介と健太は、ウニモグの荷台で眠る。
誰か、あるいは何かを警戒して、焚き火は日没後、不寝番を立てることも決まる。
翌日の偵察は、亜子と健吾が東に向かう。
この日は、正午過ぎに2人が戻ってきた。
亜子が興奮している。
「煙を見たの。
山火事とかじゃないよ。
焚き火か炊事の煙」
健吾も同意。
「間違いない。
火を使う何か、ヒトかもしれない。
たぶん、ヒトだ!」
5人の警戒心は限界を超えていた。接触したいが、同時に躊躇いがある。
物資を失いかけている移住者ならば、接触すれば必ず物資の強奪に動く。
2億年後への移住者には、物騒な連中も多い。カルト集団、差別主義者、過激な民族主義者、自然信奉者、環境保護至上主義者、銃器崇拝者、軍事狂信者、武器オタクなどは、彼らの考えしか受け入れない。
それと、伝統的な宗教でも、大災厄以後は少なからずカルト化している。
だから、ヒトだからといって、同族と信じてはいけないのだ。警戒を怠れば、物資どころか、生命をも失ってしまう。
接触するにあたっての名案はなかった。
ただ、彩華の案はある程度の安全性があった。
「2人がバイクで向かう。
バイクには物資を積まないほうがいい。近くからやってきたような感じ。少しの荷物で、軽い旅をしているような。
それで、様子を見る。どんなヒトたちなのか、それでわかるかも」
他に案がないので、彩華に賛成するしかなかった。今回は、彩華と健吾で煙の発生源に向かうことにする。
その夜、健吾は緊張から眠れなかった。トレーラーから這い出ると、見張り担当の彩華が消えかけている焚き火のそばにいた。
「健吾、眠れないの?」
「うん、不安だよ。
何者かわからないんだから。問答無用で、撃ってくる可能性だってある」
反応は3つ。
歓迎、無視、攻撃。
歓迎はない。よくて無視、悪ければ即攻撃。一番可能性のある反応は、値踏みされて、何かを持っていると勘ぐられれば捕らえて拷問。
彩華が問う。
「健吾、明日死ぬとしたら、いま何したい?」
健吾が即答。
「エッチ」
彩華が呆れる。
「それしかないの?」
健吾が即答。
「ない」
彩華が不機嫌な声音を出す。
「しょうがないなぁ。
中に出しちゃダメ。
彼氏にはしないから、そのつもりで」
健吾はその条件を受け入れた。
彩華と健吾は、日の出から3時間後に出発。2時間後には煙を確認する。
「ありゃ、燃えてる煙だぞ」
彩華も健吾に同意。
「火事ね。
行ってみる?」
「騒ぎになっているだろうから、俺たちには気付かないかも、気付いても何かをする余裕はないかも。
観察するにはちょうどいいかも」
「カモは何羽?」
「10羽くらいだ」
彩華が走り出し、健吾が続く。
彩華と健吾は、ヒトのキャンプだと考えていたが、まったく違った。
畑が広がり、点々と家がある。家は石積みで、屋根は草葺き。何棟もの草葺き屋根から炎が出ている。
昨日今日にできた村ではない。何年も、何十年も、あるいは何百年も前からある村だ。
で、あるならば、ヒトの村ではない。ヒトが移住を始めたのは、わずか1年2カ月前からなのだから。
健吾がハンターカブに跨がったまま双眼鏡を覗く。
「スカートを履いたおばさんが逃げ回っているぞ。
ヒトにしか見えないんだが……」
彩華も同じだ。
「ロビンフッドの時代の衣装みたい」
「彩華、北を見ろ。
剣を持ったお姉さんが頑張っているぞ」
「やだ、小さい女の子が刺された」
「虐殺だ!」
「襲っているヒトたちは、同じ鎧を着ている。盗賊とかじゃないね」
女の子が北西側村の外れまで、逃げている。逃げ切れそうだが、3人の兵が徒歩で追っている。
その後方には、異なるデザインの服を着た女性が奮戦している。
健吾は「お姉さんだ」と言ったが、彩華は疑わしいと感じていた。強すぎるのだ。
しかし、体力の限界に近付いているのか、急速に動きが鈍くなっていた。
健吾が「どうする?」と問うと同時に、彩華は走り出していた。
女の子が転ぶ。彼女の小さな背に無反・両刃の剣が突き立てられようとする。
健吾には止める余裕がなかった。
彩華がハンターカブに跨がったまま、コンパウンドボウを射たのだ。
女の子を襲う兵士の喉に矢が刺さる。追っていた2人の兵は怯まない。
彩華がハンターカブから降りる。ホルスターから水平2バレルのショットガンを抜く。耕介の実家の土蔵にあったものだ。相当古いもので、作られてから80年以上経っている。銃床を切断して成形、先台から5センチで銃身も切断する。
このソードオフショットガンをマッドマックス風ホルスターから抜くと、連続して発射。1人の兵ははじき飛ばされた。
女性は剣をはたき落とされ、激しく殴られた。石が積まれた円形の井戸の淵に腹這いにされ、尻を剥き出しにされる。2人の兵士に抑えつけられ、動けない。
彩華には、卑怯とか、正々堂々といった言葉がない。戦いとは、先手必勝、敵が意識する前に倒す。これが、原理原則。
彩華を認めた兵の顔を撃ち、股間を開けようとしていた兵の胸を撃つ。
女性兵が反撃に出て、自分の剣を拾い、3人目の喉を突く。
健吾は彩華の戻りを待っていた。彩華が助けた女の子は、後部座席に乗せている。
彩華がハンターカブに乗り、女性は彩華に促されて後部座席に乗る。
これ以上は何もできない。
殺戮を止めることはできない。
そんな力は、健吾と彩華にはない。
全員が混乱している。
人種という品種はともかく、ヒトであることは事実だが、ヒトと同種とは思えないのだ。
言葉はまったく通じない。
ただ、少なくとも女性はヒトを知っているようだ。怯えてはいない。
亜子が女の子の手当てをしている。消毒して、絆創膏を2カ所にあてる。擦りむいた程度だが、彼女は放心状態だ。
亜子が健吾に「あの子、どんな子」と問うと、健吾は「プリンプリンのお尻だった」と答える。
「いつお尻見たの?
バカじゃないの」
健吾が続ける。
「普通の強さじゃないね。
度胸もある。
俺とは正反対だ」
心美が女の子にたくさん話しかけ、女の子は放心状態から抜け出し始める。
健吾が心美に説明する。
「見たままだが、この子は倒れている女のヒトにすがりついていた。それを男の人が抱き上げて無理矢理引き離したんだが、その男の人は矢に射られて倒れたんだ。
男の人に促されたんだろう、走って逃げた。偶然なんだと思うけど、この子と襲撃していた部隊との間に、あのお姉さんがいて、結果として、あの子は逃げられたんだ。
2人に直接の関係はないんじゃないかな」
心美が「どうしたらいいの?」と尋ね、健吾は「きっと、お母さんとお父さんを失ってしまった。優しくしてあげて」と告げる。
心美はナシの瓶詰めを開けたいのだが、蓋が回らない。怪力の亜子に助けを求めるが、彼女の腕力でも無理。
すると、耕介が「貸してみな」と。
エンジンオイルのフィルターを外す際に使うフィルターレンチで簡単に開ける。
割れない食器にナシを出す。
「食べて」
女の子に促し、自分も食べる。
女の子は、フォークを使って食べた。
彩華が「尖り耳って、彼女たちのことだよね」と断定的な声音を発すると、亜子は「そうだね。間違いない」と同調した。
健吾と耕介も否はない。
まず、間違いない。
だが、健吾が「襲っている連中も、尖り耳だった」と知らせると、彩華は「え!」と驚いていた。
健吾が「尖り耳同士の内紛なんじゃないか」と推測し、耕介も「健吾の観察が正確なら、そうなる」と断言する。
女性の警戒は続いている。
状況を警戒しているのか、ヒトを警戒しているのか、わからないが、彩華はその両方だと感じていた。
女性は、ヒトを知っている。
心美が無地のリングノートに女の子の絵を鉛筆で描いていると、女性が興味を示す。
手真似で、ノートと鉛筆を「貸せ」と伝える。
彼女が図形を描き始める。
最初の線を描き、川を指差す。もちろん、言葉を発している。
健吾が「その線は川か」と言い、手真似で先を促す。
川沿いに家のカタチを描く。
「村か」
村から延びる線を描く。
「道だな」
点線を2本描く。紙面が3分割され、それぞれに文字を書く。もちろん読めない。
図の上を指し「エルフ」、中を「ピープル」、下を「ドワーフ」と。彼女は胸に手を当て「エルフ」と言った。
ヒトが彼女たちの種を「エルフ」と呼んでいるのだろうことは容易に想像できた。ヒトが脳にすり込んでいる「ロード・オブ・ザ・リング」のエルフに似ているのだ。
彼女は、エルフの領域に点線を描き加える。4つに区分され、1つに斜線を引く。
「シンガザリ」
そう告げると、右手の人差し指で喉を水平になぞる。
これが、襲撃者を示すことは明快だ。しかし、襲撃の理由は謎。単純な略奪か、殺戮が目的で略奪や誘拐はことのついでなのか、そこが不明。
5人は当惑している。ヒトに近縁のヒト以外の生物がいるなんて、まったく想定していなかった。
女の子はレスティ。心美が聞き出した。
女性は、自分からシルカと名乗った。
亜子はここを去るべきか迷っていた。あてなく動けば、燃料を失うだけ。だが、ここにとどまることは危険かもしれない。
襲撃のあった村に近すぎると感じている。10キロしか離れていない。移動する必要は感じるが、どこに行けばいいのかわからない。
彩華は、使いたくはない装備を引っ張り出している。
耕介がトレーラーのキャビンに入ってきた。
「彩華、どう思う?
ここは危険か?」
「危険だと思う。
襲撃があった村に近いからね。
だから、ボディアーマーとヘルメットを用意している。軍用ライフルがあれば、少しだけ安心かもしれないけど、ないものはどうしようもないよ」
心美は健吾に相談した。
「ヒトの国があるの?
あるなら、そこに行こうよ」
健吾は、いつも通りに冷静で、希望と事実を混同しなかった。
「ヒトが住んでいる地域はあるみたいだね。
でも、そこが国かどうかはわからない。国ではないと思うよ。1年2カ月では、国家は作れないからね。
いま必要なことは、少ない情報、確定的ではない情報に振り回されないことなんだ。
物資を失えば、ウニモグのヒトたちと同じ運命になってしまう。
物資は使えばなくなるし、奪われてもなくなる。どちらも、ダメ。
まず、どう行動か考えないと」
「レスティは?」
「安全が確認できるまで、保護する。
本人が望めばだけど」
心美が安心したように微笑んだ。
シルカとレスティは、顔見知りではなかった。
襲われたウタラ村には、シルカは旅の途中で立ち寄っただけだった。レスティはウタラ村に住んでいた。
レスティは、同族のシルカよりも年齢が近い心美に心を開いている。
言葉が通じないので、2人のことやウタラ村のこと、シルカが旅をしていた理由はまったくわかっていない。
シルカはこの場所を、あまり危険だと感じてない。素振りでそれがわかる。
健吾は「隠れ家にちょうどいいと判断しているんじゃないか?」との考えで、亜子が同意している。
だが、彩華は「ウマがないから動けないだけ」と異なる見解。これに、耕介が賛成。
どちらにしても、シルカには無理に動くそぶりはない。
明日明後日の行動方針を決めるために、5人は夕食後に話し合った。
彩華が装備の面から意見を言う。
「銃は過大評価しないほうがいいよ。
ウィンチェスターとレミントンは5発撃ったら、簡単には弾込できないからね。ボックスマガジンのブローニングは15発だけど、交換の弾倉はないから……。
それと隠れる場所は変えたほうがいい。
ここは村に近すぎるよ」
心美が全員を指差し、ウニモグに隠れる仕草をする。意味を解したのか、シルカが何かを言う。
しかし、言葉がわからない。レスティも同調するように何かを言った。
亜子が「2人は何かを知っているね」と解釈し、2人に従うことにする。
亜子は、日本語と英語は年齢相応の会話力・読解力がある。北京語(繁体字)とスペイン語は、複雑な議論でなければ理解できる。
彼女が調べた限りでは、日本では3分間隔で時渡りの車輌を送り出したが、世界はそうではなかった。
おおよそ、5分から10分間隔でゲートに突入させていた。中国は数百の軽戦車を自走させて送ったとされているが、このような重車輌の場合は15分から20分間隔だった。
全世界で、数百万台の車輌が2億年後に送り込まれたはず。
その車輌がどこに行ってしまったのか?
亜子は、ずっと考えていた。
シルカは、明らかにハンターカブに興味を抱いている。同時にバイクを見たことがないことも、明らかだ。
「行ってくるよ」
耕介が自信なさそうに告げる。
後部座席には、シルカが乗る。3食2人分の食料と、腰にはマチェッテ、ガンケースにはブローニングBTR Mk.1を差す。
シルカは背に長剣を背負う。
路外の2人乗りは過酷で、タイヤが空転して登れない斜面がある。
その場合は耕介が先に登坂したり、シルカと一緒にハンターカブを押した。
オドメーターによると30キロを3時間30分で走る。途中には歩いた場所もある。
総じて平地だが、低い丘陵もあった。
そして、丘の上に立つ。
シルカが指差す。
正方形の塀に囲まれた建物が見える。建物以外に何かある。
耕介が双眼鏡を覗く。
「クルマだ。
3台ある!」
シルカとは言葉が通じないことを承知の上で、そう叫んだ。
耕介が双眼鏡をシルカに渡すと、シルカは耕介を真似て覗く。風景が拡大されたことに驚いたのか、双眼鏡から目を離し、また覗くを繰り返した。
その様子が滑稽で、耕介が微笑むと、シルカがひどく怒る。
「わかった、わかったよ。
俺が悪かった。
あやまるから」
耕介の言葉を謝罪と受け取ったのか、シルカの怒りは治まった。
石垣は、1辺が20メートル。平屋の建物は、日本の一般的な建売住宅と同程度が2棟。
木造の屋根は落ちていたが、壁は残っている。しかし、完全ではない。土台だけではないが、相当に崩れている。
石垣も同じ。形状は残っているが、壁の役目は果たせない。
全体的に、耕介は遺跡のように感じた。
車輌は3。
M113装甲兵員輸送車は、軽合金製の車体は残っているが、それ以外の鋼製部は完全に朽ちていた。
軍用らしき大型トラックは、塗色は失われているが、形状は残っていた。タイヤも残っている。
3台目は、放置されてから20年か30年経ているフォードのピックアップトラックに間違いない。形状と塗色が残っているし、壊れた様子はない。やはり、燃料切れで放棄されたようだ。
移住が始まったのは1年2カ月前、だが、放棄された車輌は、数十年を経ている。今回発見したM113に関しては、1000年くらい前の遺物に見える。この現象はすでに経験しているが、まったく計算が合わない。
何事も深く考えないようにしている耕介でも、疑問と不安が沸き起こる。
ピックアップの車内には、折りたたまれたアメリカの国旗があった。
めぼしいもの、めぼしくないもの、何もない。グローブボックスには書類が残っていたが、クルマの権利証などだ。
拳銃が残っていないか期待したが、残しておくわけがない。
荷台にも何もない。土がたまっているだけ。
「ここからは、荷物を背負っていったんだな。
だけど、どこへ?」
シルカが耕介を呼ぶ。
平らな石に深く刻まれた文字。
「Go South、か。
南に何があるんだ?
ヒトの居住地か?」
耕介がスマホでその石を撮影すると、シルカが興味を示す。
シルカを撮ってあげると、とても喜んだ。
「また、撮ってやるから、いまは仕事をさせろ」
建物の内部を調べる。
土を被った布のようなものがあるが、もとが何だったのかはわからない。
木片が落ちているが、加工された跡がある。椅子か机の断片かもしれない。
炉の跡ははっきりと残っている。
その後、耕介はこの様子を丹念に動画で記録した。
シルカが南にある丘を指さす。その丘の稜線には道らしきものがある。エルフの村にも道があった。道があること自体は、不思議ではない。
では、なぜ、シルカは道を使わずにここまで来たのか?
耕介は疑問に思いながらも、シルカが指さす丘に向かう。
「行こう」
丘に登る傾斜は緩く、シルカを乗せても登坂は困難ではなかった。だが、路面が石だらけで、決して走りやすくはない。
ヒトが荷を担いで運ぶなら、使えるだろうが、車輪のある乗り物には不適だ。
丘の上は、いい風が吹いている。
シルカが出発点の丘を指さす。
「驚いたな。
Go South、か!
この道を通って、ヒトは南に向かったのか!」
シルカが見せたかったものは、丘の斜面に描かれた地上絵ならぬ巨大文字だった。
耕介は、往復60キロをその日のうちに戻ってきた。日没は過ぎていたが、道に迷うことはなかった。
丘の斜面に描かれた「Go South」は、5人に衝撃を与えた。同時に、到底1年数カ月前ではない放棄されたクルマの状況に愕然とする。
亜子が「何百年もかけて移住したように感じるんだけど……」と困惑し、彩華が「移住は大災厄以前からあったのかな?」と疑念を抱く。
健吾が反論する。
「履帯、キャタピラが完全に錆落ちてしまって、何も残っていない。こんな状態になるには100年じゃ足りない。1000年はかかるよ。
ということは、この装甲車は1000年前のものだ!
1000年前の日本は平安時代だぞ。その時代の装甲車が2億年後にあるなんて、あり得ないだろ!」
不安になったレスティが心美の袖を引く。
「ココ……」
「大丈夫だよ」
「で、俺たちはどうする?
南に行くか?」
耕介の問いに、亜子が答える。
「東は?」
健吾が「理由は?」と問い、亜子がサラダ油のボトルを持ち上げる。
「シルカは、植物油を知っていた。
レスティも。
植物油は、もっと東が産地らしい」
耕介は亜子の考えを即座に理解した。
「なるほどね。
燃料か?」
健吾も理解した。
「エタノールと苛性ソーダはどうするんだ?」
彩華が当惑し、亜子は不安になる。彼女は単純に植物油からバイオディーゼルが作れると考えたのだが、そう簡単ではない。
実際、軽油の不足分は自家製バイオディーゼルで賄っていた。
耕介には策があった。
「植物油をそのまま使う。
クルマ側を改造しなければならないけど、手持ちの材料でできる。
植物油は粘性が高いから、使う前に予熱して粘度を下げる必要がある。その熱はラジエーターから拝借できる。
始動には軽油を使う。エンジンが暖まり、植物油が予熱できたら、軽油と切り替える。
だから、軽油用と植物油用の燃料タンクが必要になる。
それは、ジェリカンを流用すればできる。
燃料がなくなったら、身動きできなくなってしまう。
ならば、燃料の確保ができる方向に進むべきだ」
5人は東に向かうことに決した。
夕食後、ターフの下で亜子が話し始める。「まだ、ネットが使えた頃、私は海外のサイトをよく見ていたんだ。
2億年後に移住するヒトたちは、どんな装備をするのか知りたかった。
うちは、ママとパパは移住に懐疑的だったから、ほとんど興味がなかったみたい。家族で話題になることもなかった。
でも、私は興味があったんだ。
移住者の装備は、大別すると2系統。民間の4輪駆動車を使うか、軍用の6輪や8輪の装甲車を使うか。
軍用車を使う理由は、装甲が必要なんじゃなくて、高い路外走行性能が理由。
この傾向はヨーロッパで顕著だったみたい。
だけど、軍用車は無駄な装甲が災いして、燃費が悪いんだ。
だから、ウニモグに人気が集まっていた。そのウニモグも燃費はたまげるほど悪いそうだけどね。
軍用トラックも人気があったみたい。
話を元に戻すけど……。
私たちもだけど、2億年後には先行しているヒトがいると考えていた。
あるいは、複数車輌で参加して、食料、燃料、生活雑貨を分散輸送する場合も多かったんだ。
物資を大量に運ぼうとすれば、メンバーが増えてしまう。メンバー数、車輌数で割れば、1人あたりの物資量が飛躍的に増えるわけではないわけ。
また、その物資の入手が難しくなっていった……。移住派と残留派が物資の取り合いを始めたし……。
で、どんな装備であろうと、行動できる距離をどう算出するかが問題になったの。
それが、1000キロ。荒野を1000キロ移動できるだけの燃料を確保しておかないと、ヒトが住む場所にたどり着けないかもしれないと……。
私たち1000キロ走ってきたけど、ヒトの痕跡は故障したトラック1台だけ。
ここから先は、増えていくんじゃないかな。燃料切れになるクルマが続出する……。
あるいは、近くにとどまって、ヒトの街ができている可能性もあると思う」
亜子の推測は外れていないと、健吾は考えた。
「あり得るね。
亜子の推測は、理にかなっている。
俺たちのように5000キロを行動距離に設定したグループは多くないはず。1000キロが基準だとして、1500キロから2000キロ程度の行動は想定していたはず。燃料は多ければ、多いほどいいからね。
それに、ここまでの道のりは、考えていたほど険しくなかった。
他のグループも同じだろうから、この地点でも300キロ以上走る燃料を残しているんじゃないかな。
でも、どちらにしても、進出限界は近いと思う」
耕介が本質を突く。
「と、言うことは危険が増すってことだな。
動物より、ヒトのほうが危険だぞ。
いままで以上に警戒しないと」
翌朝、キャンプから20メートルの場所で、ヒトの痕跡が見つかる。
「バイクのハンドルだよね?」
心美の問いは、確認に過ぎない。
健吾が「掘ってみる?」と同意を求めるように尋ね、耕介が「地面は柔らかいようだし」と賛意を示す。
亜子が「スコップ、持ってくる」と言い、続けて「彩華はクルマを見張っていて」と伝える。
ハンドルの一部だけが地面から突き出ているものを掘り出すことは、相当にたいへんだった。
埋まっていたのは、4輪のATVだった。埋まってからの期間は短い。推定、数カ月前。
地面の亀裂にはまり込み、土が崩れ埋まり、さらに風に運ばれた土が被さった。
掘り出さなかった理由はわからないが、4人がかりで3時間もかかったから、労を惜しんだのかもしれない。
右前輪のサスペンションが曲がっており、交換部品がなければ修理はできない。エンジンを含む使えそうな部品があるので、回収した。
心美は残念そうだ。
「私専用のバイクになったかもしれないのにぃ~」
ATVにくくり付けられていた荷物からは、何かがわかる情報はない。
タオル、Tシャツ、革の手袋、マグカップ、缶入りのコーヒー豆、ウィスキーのポケット瓶、非常食であろう板チョコが10枚、光学双眼鏡、暗視装置、ダガーナイフ、マチェッテ(山刀)。
これがすべてだった。
だが、使えるものが多い。板チョコは味見の結果、食べられると判断。板チョコ8枚、ダガー、双眼鏡が心美の個人装備に加わった。
暗視装置は、いままでは持っていなかった。
翌日は、人界に近付いていると判断し、射撃訓練を行った。
手持ちの弾数ではとても無理だったが、トラックに残置されていた機関銃弾を使って、不十分ながら銃の扱いに慣れることはできた。
10日かけて、300キロ東進する。その間、ヒトの痕跡を発見できない。
この頃になると、物資は減る一方で、誰もが「なくなったら、どうしよう」と不安になり始める。
無線も傍受できない。ヒトが出しているであろう、規則的な電波がまったく検出できないのだ。
5人とも、不安が増していた。
さらに150キロ東進し、ついに1500キロを走破した。
その夜、亜子が提案する。
「海までどれくらいの距離があるのかわからないし、安全な場所を見つけて、長期のキャンプを計画しない?」
全員が疲れていた。肉体的ではなく、精神的に。
この一帯はとにかく湧水の池が多い。森はあるが、草原が多い。全体的に寒冷なのだが、野生動物が多い。
爬虫類はヘビを含めて、見ていない。鳥もいない。動物は哺乳動物のようだが、はっきりしない。いままで見たことのない種ばかりだ。
動物は総じて大きい。
亜子の提案に答えが出せないまま、翌日も東進。11時30分頃、川の近くに意外なものを見つける。
石垣があった。
高台と言うほどではないが、周囲よりは少し高い位置にあるものの、石垣自体があまり目立たない。
気付いたのは荷台で双眼鏡を覗いていた心美で、完全に偶然の発見だった。
石垣は真円形で、石垣の中にウニモグに牽引されたオフロード仕様のキャンピングトレーラーが残されていた。
トレーラーは濃いグレーと淡いグレーのツートンで、ラダーがなければ出入りできないほど車高が高い。
ウニモグは濃緑で、荷台には幌が被されていた。
石垣の中には4つの墓らしきものがあった。
ウニモグの助手席にメモが残されていた。A4の用紙一杯に文字が並ぶ。
帰国子女で英語に堪能な亜子が要約する。
「6人のグループね。
ここまで来て、燃料がつきたみたい。6人ともビーガンだったようね。だけど、食料がなくなり、川で魚を捕って飢えを凌いでいた……。
尖り耳に襲われたって書いてある。
尖り耳って何かな?」
耕介が即答する。
「オオカミに似た、耳の尖った動物のことだ。オオカミよりもデカイし、群でえげつない狩りをする。
あれに襲われたんだ」
亜子が続ける。耕介の見解に反対はない。
「銃を用意しなかったことは、間違いだったって。まぁ、そうよね。捕食者にとって、ヒトは獲物でしかないし。
奥さんと娘さん、それとヘフケン夫妻が死んだって書いてある。あのお墓ね。
尖り耳を避けて、息子さんと南に向かうって」
耕介が見解を示す。
「トレーラーのケツにラックがある。
自転車用ではなく、たぶんバイク用だ。トレールを積んでいたんじゃないかな。
徒歩で旅を続けてはいないと思う。
携帯発電機とエンジンポンプが荷台に残されていたから、ガソリンは持っていたんだろう。
ガソリンをかき集め、バイクに2人乗りして、ここを去ったんだ。
俺の推測では……」
耕介の合理的な考えに反論はない。だが、心美が拾ってきたものが、耕介の推測に疑念を与える。
「これ、落ちてた。
他にもある……」
彩華が受け取る。
「矢羽根?
折れた矢?
どういうこと?」
健吾が推測する。
「尖り耳はオオカミ似の動物だとして、それ以外に道具を使う危険な生き物がいる?
その矢、アーチェリーのものじゃないよね」
彩華が反論。
「このトラックの持ち主が、矢の持ち主かもしれないでしょ。
それと手製の矢だから、違うように見えるだけ」
矢羽根には鳥の羽は使われていない。紙のように薄い素材だが、紙ではない。シャフトは木製。
耕介が「このトラックの持ち主は、俺たちだ。しばらくの間はね」と断言し、野生動物以外の襲撃を否定した彩華が「どちらにしても、用心しないと。各自、銃を手元に置いておくこと」と。
用心に越したことはない。誰からも反論はない。
亜子と健吾が偵察に出ることになる。その間、耕介はウニモグの修理を試みる。
彩華と心美は、周囲を見張る。
亜子と健吾は東に5キロ進み、2つ目の真円形石垣を見つける。この石垣は、ウニモグが残置されていた1つ目よりも小さい。
さらに5キロ進むと、三日月形の河跡湖を見つける。河跡湖の南側は森で、現在の川とは150メートルほど離れている。川岸に大木はないが、草丈が高い茂みがあり、対岸から見えにくい。
亜子が「ここにしよう」と提案すると、健吾も同意。
「水が手に入りやすいし、通路が狭いから、守りやすい。
それと、この場所、かなり高いよ」
亜子も高い場所だと感じていた。
「バイクなら楽に上るけど、歩きだと意識するね。
周囲より3メートルくらい高いんじゃないかな」
移動は簡単だった。キーはシリンダーに刺さったままだった。
耕介はウニモグのバッテリーにジャンプスターターを接続して、始動に成功していた。わずかだが、パイプには燃料が残っていた。軽油は、10リットルだけつぎ足す。
新しい拠点は、非常に快適だった。女性3人がキャンピングトレーラーを使い、耕介と健太は、ウニモグの荷台で眠る。
誰か、あるいは何かを警戒して、焚き火は日没後、不寝番を立てることも決まる。
翌日の偵察は、亜子と健吾が東に向かう。
この日は、正午過ぎに2人が戻ってきた。
亜子が興奮している。
「煙を見たの。
山火事とかじゃないよ。
焚き火か炊事の煙」
健吾も同意。
「間違いない。
火を使う何か、ヒトかもしれない。
たぶん、ヒトだ!」
5人の警戒心は限界を超えていた。接触したいが、同時に躊躇いがある。
物資を失いかけている移住者ならば、接触すれば必ず物資の強奪に動く。
2億年後への移住者には、物騒な連中も多い。カルト集団、差別主義者、過激な民族主義者、自然信奉者、環境保護至上主義者、銃器崇拝者、軍事狂信者、武器オタクなどは、彼らの考えしか受け入れない。
それと、伝統的な宗教でも、大災厄以後は少なからずカルト化している。
だから、ヒトだからといって、同族と信じてはいけないのだ。警戒を怠れば、物資どころか、生命をも失ってしまう。
接触するにあたっての名案はなかった。
ただ、彩華の案はある程度の安全性があった。
「2人がバイクで向かう。
バイクには物資を積まないほうがいい。近くからやってきたような感じ。少しの荷物で、軽い旅をしているような。
それで、様子を見る。どんなヒトたちなのか、それでわかるかも」
他に案がないので、彩華に賛成するしかなかった。今回は、彩華と健吾で煙の発生源に向かうことにする。
その夜、健吾は緊張から眠れなかった。トレーラーから這い出ると、見張り担当の彩華が消えかけている焚き火のそばにいた。
「健吾、眠れないの?」
「うん、不安だよ。
何者かわからないんだから。問答無用で、撃ってくる可能性だってある」
反応は3つ。
歓迎、無視、攻撃。
歓迎はない。よくて無視、悪ければ即攻撃。一番可能性のある反応は、値踏みされて、何かを持っていると勘ぐられれば捕らえて拷問。
彩華が問う。
「健吾、明日死ぬとしたら、いま何したい?」
健吾が即答。
「エッチ」
彩華が呆れる。
「それしかないの?」
健吾が即答。
「ない」
彩華が不機嫌な声音を出す。
「しょうがないなぁ。
中に出しちゃダメ。
彼氏にはしないから、そのつもりで」
健吾はその条件を受け入れた。
彩華と健吾は、日の出から3時間後に出発。2時間後には煙を確認する。
「ありゃ、燃えてる煙だぞ」
彩華も健吾に同意。
「火事ね。
行ってみる?」
「騒ぎになっているだろうから、俺たちには気付かないかも、気付いても何かをする余裕はないかも。
観察するにはちょうどいいかも」
「カモは何羽?」
「10羽くらいだ」
彩華が走り出し、健吾が続く。
彩華と健吾は、ヒトのキャンプだと考えていたが、まったく違った。
畑が広がり、点々と家がある。家は石積みで、屋根は草葺き。何棟もの草葺き屋根から炎が出ている。
昨日今日にできた村ではない。何年も、何十年も、あるいは何百年も前からある村だ。
で、あるならば、ヒトの村ではない。ヒトが移住を始めたのは、わずか1年2カ月前からなのだから。
健吾がハンターカブに跨がったまま双眼鏡を覗く。
「スカートを履いたおばさんが逃げ回っているぞ。
ヒトにしか見えないんだが……」
彩華も同じだ。
「ロビンフッドの時代の衣装みたい」
「彩華、北を見ろ。
剣を持ったお姉さんが頑張っているぞ」
「やだ、小さい女の子が刺された」
「虐殺だ!」
「襲っているヒトたちは、同じ鎧を着ている。盗賊とかじゃないね」
女の子が北西側村の外れまで、逃げている。逃げ切れそうだが、3人の兵が徒歩で追っている。
その後方には、異なるデザインの服を着た女性が奮戦している。
健吾は「お姉さんだ」と言ったが、彩華は疑わしいと感じていた。強すぎるのだ。
しかし、体力の限界に近付いているのか、急速に動きが鈍くなっていた。
健吾が「どうする?」と問うと同時に、彩華は走り出していた。
女の子が転ぶ。彼女の小さな背に無反・両刃の剣が突き立てられようとする。
健吾には止める余裕がなかった。
彩華がハンターカブに跨がったまま、コンパウンドボウを射たのだ。
女の子を襲う兵士の喉に矢が刺さる。追っていた2人の兵は怯まない。
彩華がハンターカブから降りる。ホルスターから水平2バレルのショットガンを抜く。耕介の実家の土蔵にあったものだ。相当古いもので、作られてから80年以上経っている。銃床を切断して成形、先台から5センチで銃身も切断する。
このソードオフショットガンをマッドマックス風ホルスターから抜くと、連続して発射。1人の兵ははじき飛ばされた。
女性は剣をはたき落とされ、激しく殴られた。石が積まれた円形の井戸の淵に腹這いにされ、尻を剥き出しにされる。2人の兵士に抑えつけられ、動けない。
彩華には、卑怯とか、正々堂々といった言葉がない。戦いとは、先手必勝、敵が意識する前に倒す。これが、原理原則。
彩華を認めた兵の顔を撃ち、股間を開けようとしていた兵の胸を撃つ。
女性兵が反撃に出て、自分の剣を拾い、3人目の喉を突く。
健吾は彩華の戻りを待っていた。彩華が助けた女の子は、後部座席に乗せている。
彩華がハンターカブに乗り、女性は彩華に促されて後部座席に乗る。
これ以上は何もできない。
殺戮を止めることはできない。
そんな力は、健吾と彩華にはない。
全員が混乱している。
人種という品種はともかく、ヒトであることは事実だが、ヒトと同種とは思えないのだ。
言葉はまったく通じない。
ただ、少なくとも女性はヒトを知っているようだ。怯えてはいない。
亜子が女の子の手当てをしている。消毒して、絆創膏を2カ所にあてる。擦りむいた程度だが、彼女は放心状態だ。
亜子が健吾に「あの子、どんな子」と問うと、健吾は「プリンプリンのお尻だった」と答える。
「いつお尻見たの?
バカじゃないの」
健吾が続ける。
「普通の強さじゃないね。
度胸もある。
俺とは正反対だ」
心美が女の子にたくさん話しかけ、女の子は放心状態から抜け出し始める。
健吾が心美に説明する。
「見たままだが、この子は倒れている女のヒトにすがりついていた。それを男の人が抱き上げて無理矢理引き離したんだが、その男の人は矢に射られて倒れたんだ。
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心美が「どうしたらいいの?」と尋ね、健吾は「きっと、お母さんとお父さんを失ってしまった。優しくしてあげて」と告げる。
心美はナシの瓶詰めを開けたいのだが、蓋が回らない。怪力の亜子に助けを求めるが、彼女の腕力でも無理。
すると、耕介が「貸してみな」と。
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割れない食器にナシを出す。
「食べて」
女の子に促し、自分も食べる。
女の子は、フォークを使って食べた。
彩華が「尖り耳って、彼女たちのことだよね」と断定的な声音を発すると、亜子は「そうだね。間違いない」と同調した。
健吾と耕介も否はない。
まず、間違いない。
だが、健吾が「襲っている連中も、尖り耳だった」と知らせると、彩華は「え!」と驚いていた。
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女の子はレスティ。心美が聞き出した。
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亜子はここを去るべきか迷っていた。あてなく動けば、燃料を失うだけ。だが、ここにとどまることは危険かもしれない。
襲撃のあった村に近すぎると感じている。10キロしか離れていない。移動する必要は感じるが、どこに行けばいいのかわからない。
彩華は、使いたくはない装備を引っ張り出している。
耕介がトレーラーのキャビンに入ってきた。
「彩華、どう思う?
ここは危険か?」
「危険だと思う。
襲撃があった村に近いからね。
だから、ボディアーマーとヘルメットを用意している。軍用ライフルがあれば、少しだけ安心かもしれないけど、ないものはどうしようもないよ」
心美は健吾に相談した。
「ヒトの国があるの?
あるなら、そこに行こうよ」
健吾は、いつも通りに冷静で、希望と事実を混同しなかった。
「ヒトが住んでいる地域はあるみたいだね。
でも、そこが国かどうかはわからない。国ではないと思うよ。1年2カ月では、国家は作れないからね。
いま必要なことは、少ない情報、確定的ではない情報に振り回されないことなんだ。
物資を失えば、ウニモグのヒトたちと同じ運命になってしまう。
物資は使えばなくなるし、奪われてもなくなる。どちらも、ダメ。
まず、どう行動か考えないと」
「レスティは?」
「安全が確認できるまで、保護する。
本人が望めばだけど」
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襲われたウタラ村には、シルカは旅の途中で立ち寄っただけだった。レスティはウタラ村に住んでいた。
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言葉が通じないので、2人のことやウタラ村のこと、シルカが旅をしていた理由はまったくわかっていない。
シルカはこの場所を、あまり危険だと感じてない。素振りでそれがわかる。
健吾は「隠れ家にちょうどいいと判断しているんじゃないか?」との考えで、亜子が同意している。
だが、彩華は「ウマがないから動けないだけ」と異なる見解。これに、耕介が賛成。
どちらにしても、シルカには無理に動くそぶりはない。
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彩華が装備の面から意見を言う。
「銃は過大評価しないほうがいいよ。
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その車輌がどこに行ってしまったのか?
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シルカは、明らかにハンターカブに興味を抱いている。同時にバイクを見たことがないことも、明らかだ。
「行ってくるよ」
耕介が自信なさそうに告げる。
後部座席には、シルカが乗る。3食2人分の食料と、腰にはマチェッテ、ガンケースにはブローニングBTR Mk.1を差す。
シルカは背に長剣を背負う。
路外の2人乗りは過酷で、タイヤが空転して登れない斜面がある。
その場合は耕介が先に登坂したり、シルカと一緒にハンターカブを押した。
オドメーターによると30キロを3時間30分で走る。途中には歩いた場所もある。
総じて平地だが、低い丘陵もあった。
そして、丘の上に立つ。
シルカが指差す。
正方形の塀に囲まれた建物が見える。建物以外に何かある。
耕介が双眼鏡を覗く。
「クルマだ。
3台ある!」
シルカとは言葉が通じないことを承知の上で、そう叫んだ。
耕介が双眼鏡をシルカに渡すと、シルカは耕介を真似て覗く。風景が拡大されたことに驚いたのか、双眼鏡から目を離し、また覗くを繰り返した。
その様子が滑稽で、耕介が微笑むと、シルカがひどく怒る。
「わかった、わかったよ。
俺が悪かった。
あやまるから」
耕介の言葉を謝罪と受け取ったのか、シルカの怒りは治まった。
石垣は、1辺が20メートル。平屋の建物は、日本の一般的な建売住宅と同程度が2棟。
木造の屋根は落ちていたが、壁は残っている。しかし、完全ではない。土台だけではないが、相当に崩れている。
石垣も同じ。形状は残っているが、壁の役目は果たせない。
全体的に、耕介は遺跡のように感じた。
車輌は3。
M113装甲兵員輸送車は、軽合金製の車体は残っているが、それ以外の鋼製部は完全に朽ちていた。
軍用らしき大型トラックは、塗色は失われているが、形状は残っていた。タイヤも残っている。
3台目は、放置されてから20年か30年経ているフォードのピックアップトラックに間違いない。形状と塗色が残っているし、壊れた様子はない。やはり、燃料切れで放棄されたようだ。
移住が始まったのは1年2カ月前、だが、放棄された車輌は、数十年を経ている。今回発見したM113に関しては、1000年くらい前の遺物に見える。この現象はすでに経験しているが、まったく計算が合わない。
何事も深く考えないようにしている耕介でも、疑問と不安が沸き起こる。
ピックアップの車内には、折りたたまれたアメリカの国旗があった。
めぼしいもの、めぼしくないもの、何もない。グローブボックスには書類が残っていたが、クルマの権利証などだ。
拳銃が残っていないか期待したが、残しておくわけがない。
荷台にも何もない。土がたまっているだけ。
「ここからは、荷物を背負っていったんだな。
だけど、どこへ?」
シルカが耕介を呼ぶ。
平らな石に深く刻まれた文字。
「Go South、か。
南に何があるんだ?
ヒトの居住地か?」
耕介がスマホでその石を撮影すると、シルカが興味を示す。
シルカを撮ってあげると、とても喜んだ。
「また、撮ってやるから、いまは仕事をさせろ」
建物の内部を調べる。
土を被った布のようなものがあるが、もとが何だったのかはわからない。
木片が落ちているが、加工された跡がある。椅子か机の断片かもしれない。
炉の跡ははっきりと残っている。
その後、耕介はこの様子を丹念に動画で記録した。
シルカが南にある丘を指さす。その丘の稜線には道らしきものがある。エルフの村にも道があった。道があること自体は、不思議ではない。
では、なぜ、シルカは道を使わずにここまで来たのか?
耕介は疑問に思いながらも、シルカが指さす丘に向かう。
「行こう」
丘に登る傾斜は緩く、シルカを乗せても登坂は困難ではなかった。だが、路面が石だらけで、決して走りやすくはない。
ヒトが荷を担いで運ぶなら、使えるだろうが、車輪のある乗り物には不適だ。
丘の上は、いい風が吹いている。
シルカが出発点の丘を指さす。
「驚いたな。
Go South、か!
この道を通って、ヒトは南に向かったのか!」
シルカが見せたかったものは、丘の斜面に描かれた地上絵ならぬ巨大文字だった。
耕介は、往復60キロをその日のうちに戻ってきた。日没は過ぎていたが、道に迷うことはなかった。
丘の斜面に描かれた「Go South」は、5人に衝撃を与えた。同時に、到底1年数カ月前ではない放棄されたクルマの状況に愕然とする。
亜子が「何百年もかけて移住したように感じるんだけど……」と困惑し、彩華が「移住は大災厄以前からあったのかな?」と疑念を抱く。
健吾が反論する。
「履帯、キャタピラが完全に錆落ちてしまって、何も残っていない。こんな状態になるには100年じゃ足りない。1000年はかかるよ。
ということは、この装甲車は1000年前のものだ!
1000年前の日本は平安時代だぞ。その時代の装甲車が2億年後にあるなんて、あり得ないだろ!」
不安になったレスティが心美の袖を引く。
「ココ……」
「大丈夫だよ」
「で、俺たちはどうする?
南に行くか?」
耕介の問いに、亜子が答える。
「東は?」
健吾が「理由は?」と問い、亜子がサラダ油のボトルを持ち上げる。
「シルカは、植物油を知っていた。
レスティも。
植物油は、もっと東が産地らしい」
耕介は亜子の考えを即座に理解した。
「なるほどね。
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健吾も理解した。
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彩華が当惑し、亜子は不安になる。彼女は単純に植物油からバイオディーゼルが作れると考えたのだが、そう簡単ではない。
実際、軽油の不足分は自家製バイオディーゼルで賄っていた。
耕介には策があった。
「植物油をそのまま使う。
クルマ側を改造しなければならないけど、手持ちの材料でできる。
植物油は粘性が高いから、使う前に予熱して粘度を下げる必要がある。その熱はラジエーターから拝借できる。
始動には軽油を使う。エンジンが暖まり、植物油が予熱できたら、軽油と切り替える。
だから、軽油用と植物油用の燃料タンクが必要になる。
それは、ジェリカンを流用すればできる。
燃料がなくなったら、身動きできなくなってしまう。
ならば、燃料の確保ができる方向に進むべきだ」
5人は東に向かうことに決した。
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クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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