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第1章 2億年後
01-001 電波を探して
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須磨健吾は、丸1日電波を探しているが、アンテナが拾う強い電波は空電だけだった。
理解できないこともある。今回の移住では、ゲートは60分しか開かない。電力が足りないからだ。
車輌の突入は3分間隔。今回は20台がゲートを潜り、時渡りした。
2億年後への旅だ。
そして、健吾は2億年後にいる。
だが、3分前にゲートを潜った車輌が見あたらない。ドローンを飛ばして全周を捜索したが、何も見つけられなかった。
発見したものは、青空と円形の雲と砂と全周を囲む山だけ。
どこに行けばいいのか?
それが最大の問題だ。燃料と食料と水には、限りがある。
ゲートの管理責任者に玄米3袋計90キロを渡して、どうにか20台目に潜り込めた。ゲートの管理責任者は警察官だったが、リーダーの冴島亜子が「白いご飯をお腹いっぱい子供に食べさせられるよ」と告げると、彼は賄賂を受け入れた。
10歳代後半の小娘に、壮年に近い男が食べ物を前に屈した。
残留派にとっては、移住派が持ち去る物資を少しでも残置させたのだから、この贈収賄も正義ではある。
「どうやっても、意味のある電波を拾えない。
場所が悪いのか?
電波がないか?」
健吾の結論に佐高耕介が怒る。
「っなわけねぇだろ!
電波がないなんてあるか?」
健吾の表情は落ち着いているが、内心はパニック状態だった。
「19世紀半ばまで、ヒトは電波の使い方なんて知らなかったよ」
耕介の答えは、健吾をさらに狼狽させる。
「って、ことはヒトがいても、電波は出さないってことか!」
閑崎彩華は、最年少の丸目心美が不安そうにしているので、無理に微笑んだ。
「大丈夫だよ」
「ぜんぜん大丈夫そうじゃないよ。
彩華、顔が引きつってるよ」
幼い心美に見透かされるほど、彩華は動揺している。
2トントラックのルーフに上っていた亜子が下りてきた。
「北に山脈の切れ目がある。
峠みたいなものかもしれない。
隕石クレーターか火山カルデラかわかんないけど、ここから抜け出さないと乾き死んじゃうよ」
耕介が「トラックの燃料を回収した。35リットル回収できた。俺は、いつでもいい」と告げる。
健吾が全員に充電してあるトランシーバーを渡す。
「この地形なら4キロか5キロが通信範囲だ。それ以上は離れないこと」
すでにトレーラーは農業用トラクターに連結されている。
5人を2億年後に運んできたボロボロの2トンダブルキャブトラックは、ここに捨てていく。
ここからは、2台のハンターカブと6メートル長の高床軽量トレーラーを牽引する25馬力農業用トラクターで進む。
計画通りだが、2億年後到着直後に後輪駆動のトラックではどうにもならないことを5人は思い知らされた。
トレーラー上部構造物は、船のような形をしている。全長の3分の2がクローズドキャビンになっている。後端は荷台だが、船の甲板のようにも見える。
風雨を避けられるのは、このキャビンだけ。ここに心美と彩華が乗る。
クレーターからの脱出は、ハンターカブにとってはさほど難しくはなかった。
しかし、トラクターには緊張を強いられるルートだった。自然にできたのか、人為的にできたのか、微妙な“道”なのだが、とにかく狭い。そして、傾斜がきつい。幅は2.5メートルほど、高低差は100メートル以上。その通路がクレーターに巻き付くように麓に延びている。
「この景色、憂鬱になるね」
彩華の無線からの声に健吾は応えなかった。路肩を気にしていたことと、本当に憂鬱になる景色だからだ。
何もない。
空と土と石だけ。
外気温は暑くない。しかし、極度に乾燥している。身体から水分が抜き取られるような感じがする。
川や湖は、どこにもない。水たまりどころか、空に雲がない。
明らかに雨が降らないのだ。
健吾は昨夜、天測を行った。北緯45度付近、西経73度付近にいる。2億年前ならば、北アメリカの東岸。カナダのモントリオールの近くだ。
2億年前とは、地球の自転周期と公転軌道が異なっている。1日は25時間だし、公転軌道はほぼ真円。地軸の傾きも違う。
大気中の酸素濃度は31.5パーセントもある。
健吾は仲間に「俺たちが知っている地球じゃない」と伝えたが、他の4人はあまり深刻ではない。
覚悟していたことだからだ。
「他の星に移住したと思えばいいさ」
これが耕介の回答だった。
3日目の朝。
健吾が亜子に「これから、どうする」と問うと、彼女は東を指さした。
「あっちに行く」
断言する亜子に健吾が「なぜ?」と尋ねる。
「太陽が昇るほうがいいに決まっているから。
沈むよりいいじゃん」
この意味不明な理屈に健吾が賛成する。
「まぁ、そうだね。
北も南も西も、何もない。
でも、東には山脈がある。山の上が白い。つまり雪だ。山頂に雪があるなら、麓には水がある。
水があるなら、植物があるはず。植物があるなら、動物もいる。動物がいるということは、生存可能性が高いってことだ。
東に向かうことに賛成」
心美が即答。
「健吾の意見に賛成」
彩華が「私も」、耕介も「健吾の意見は間違いが少ない。少なくとも亜子よりは。俺も健吾に賛成だ」と、全員の意見が一致する。
彩華が「武器を用意しようよ」と提案する。
健吾が即同意。
「危険な動物がいるかもしれないから、武器が必要になるかも」
心美が健吾を見る。
「健吾ぉ~、オオカミとかクマとか、いるのぉ~」
健吾は、心美を子供扱いしない。対等なメンバーとして扱っている。
「2億年だからね。
オオカミやクマはいないだろうね。絶滅していると思う。
未知の捕食者がどんな動物なのか、それはわからない。
わからないから準備をするんだ」
銃は4挺ある。彼らの装備は、武器以外は秀逸な工夫で満足できるものだが、ライフル3挺とショットガン1挺では身を守るには心細すぎる。
また、弾数も少ない。
亜子が「山の見え方からすると、100キロから遠くても300キロかな」と目算を示す。
耕介は東北道から日光の山並みを臨む距離感から「もう少し、近いかもしれない」と感じたが、口にはしなかった。
「300キロあるとしても、10時間走れば今日中に着く」
全員が無言。
耕介は平気だろうが、道のない荒野を10時間も走りたくないからだ。
彩華が「行けるところまで行こうよ。急ぐ旅じゃないし。だけど、先着の19台はどこに行っちゃったんだろう?」と、ここにいる誰も回答を知らない質問をする。
亜子は当然のように答えた。
「ヒトは何かがありそうな方向に進む。
ならば、山のほう。
そして、山並みが途切れるあそこ!」
確かに南北に連なる山脈の1カ所が凹んでいる。そこだけ、山の連なりが途切れているように見えるのだ。
健吾が双眼鏡を覗くが「この距離じゃ、わからないな。でも、峠とか、山越えのルートとかがあるんじゃないかな」と。
彩華が「そこに向かいましょう。健吾の意見に賛成」と言い、心美と耕介も賛意を示す。
山麓に到達したと感じるまで、4日かかった。走行距離は300キロに達した。ハンターカブの給油は1回だけ。耕介車は4.5リットル、亜子車は4リットル給油した。
燃費は概算で、1リットルあたり45キロから55キロ走っている。
完全に想定通りの燃料消費だ。
トラクターも悪い燃費ではない。機械式の燃料噴射装置だが、畑を耕しているわけではなく、時速20キロから40キロの範囲で運転している。農機本来の使い方ではないので、良好な数字を示している。
概算で、1リットルあたり15キロから20キロ。山岳地帯に入ると悪化するだろうが、現状では耕介の想定よりもいい。
4日を要した理由だが、できるだけ休憩時間を作り、その間、ドローンを使って上空から偵察を行った。
夜は、高いアンテナを立て、無線を操作してヒトの活動を探す。
だが、何も見つけていない。ヒトの痕跡がまったくない。
山麓に達すると、地面が湿っていることに気付く。亜子、耕介、健吾の3人が、ほぼ同時に気付く。
そして、昆虫を見た。
体長30センチもあるバッタ。肝が据わっている亜子が、銃を構えるほどの迫力がある。
狭隘でもない谷に入っていく。
健吾が「俺たちが走っている場所だけど、河床じゃないかな」と落ち着かない声音で呼びかける。
無線を通しても、声の震えがわかる。
傾斜はきつくないが、確実に登坂している。
健吾は鉄砲水や土石流のような現象を恐れていて、河床の真ん中らしい場所からやや高い河岸段丘っぽい地形にルートを移すよう無線で提案する。
こういった提案は、実質は健吾の命令だ。健吾は自然の脅威を過小評価しない。
人的脅威については真逆で、非常に鈍い。この点は、亜子が鋭い。亜子は大雑把、彩華は細やか。2人の共通点は危機において決断が早く、必要であれば断固とした行動がとれること。
5人は緊張している。
心美は明らかに怯えている。
発生源のわからない音。聞いたことがない音。自然の音なのか、人工の音なのかさえ区別ができない。
最初はかすかに聞こえる程度だった。30分前にははっきり聞こえた。風の音に似ているが、少し違う。
いまは轟音であることがわかる。その発生源に近付いている。
心美は彩華の手を握った。しばらくすると、腕にしがみつく。いまはキャビンの中で抱きついている。
耕介は、音源は右手前方からだと確信している。走りにくいルートだが、できるだけ音源から距離をとれるよう、急斜面を上る。
谷底まで5メートル以上ある。谷底を走るほうが容易だが、あえてこのルートを選択した。
そして、見た。落差200メートルを超える大瀑布を。
滝より東には、東に向かって流れる川がある。この滝が分水嶺だった。
耕介は無線に「滝だ!」と何度も叫ぶが、轟音で声がかき消されてしまう。
耕介が戻ってきたので、亜子の不安が増す。
「亜子、滝だ!
水があるぞ!」
耕介の先導で、谷底を進む。
突如として、川幅のある左岸に出る。
眼前には巨大な滝。
滝からは400メートルも離れているのに、霧状の落水が身体にまとわりつく。
地面が泥濘んでいるが、ハンターカブとトラクターにはまったく問題ない。
やがて、土が見えなくなり、川石が地面を覆う。
滝から800メートルほど下流の小さな淵で、耕介がハンターカブを止める。
心美が元気よくトレーラーから飛び降りる。石に足を取られ、よろけて転びそうになり、耕介が支える。
「心美、これからはウンコしたあと、砂で手を洗わなくてもいいぞ!」
心美が怒る。
「耕介、大っ嫌い!」
耕介が大笑いする。
水は透明で、冷たく、気持ちいいのだが、淵に飛び込みたいとは思わない。氷のように冷たいのだ。
女性3人は水着に着替え、身体と髪を洗う。
その間、耕介と健吾は銃を持って、周囲に目を配る。
しばらくすると、健吾が薪を集め始める。石を選別して、炉を作る。ラーメンのスープを作るための大きな寸胴鍋を、炉の上に置き、ポリバケツで汲んできた水を入れる。
そして、25リットルの湯を沸かし始める。
寒そうにしている女性3人が火に近付く。
彩華が「お湯湧かしてどうするの」と尋ね、健吾は「寒そうだから、お湯で頭を洗おうかなって」と事もなげに答える。
3人の視線が狂気に変わる。
心美が「健吾、ひどいよ!」と抗議する。
耕介が「ひ弱だなぁ~、俺ならザブンと飛び込むぞ」と言ったが、いっこうに飛び込む気配がない。
最初の湯は、女性3人が使った。
次の湯は耕介と健吾。
女性3人は「寒い!」と訴え、トレーラーのキャビンに引きこもった。
耕介の警戒心は完全に緩んでいたが、臆病で用心深い健吾は気を張っていた。
川の対岸、距離は200メートル。
巨大な動物が川岸で水を飲む。
「な、な、な……」
耕介の動揺の影響で、健吾が落ち着く。
「何だろうね?
クマの頭、カンガルーの胴体と尾、ゴリラの手足。
ナックルウォークをしている。奇っ怪な生き物だ」
「こっちに、こないよな?」
「それは、相手次第だ。
だが、刺激しないほうがいい」
女性3人もキャビンから出てきて、奇妙な大型獣を観察する。
川岸は石だらけだが、流れから少し離れると草原で、走りやすい。
黄色いタンポポに似た花が咲いているが、葉などは明らかにタンポポではない。高木はなく、ハイマツのような植物を見る。だが、マツではない。葉と幹が違う。
見通しのいい草原で、キャンプをする。全員、疲労がたまっており、数日間の滞在を希望している。
トレーラーは奇っ怪な形状をしている。もともとは、トラクターで牽引する農機運搬用の低床軽量トレーラーだった。中央2軸の4輪だったが、耕介が設計・改良し、中央無軸4輪高床に改造した。タイヤは低床2トンの後輪と同じ小径だが、車軸がないので最低地上高が高い。
利用したのはシャーシだけで、荷台はFRP製。平底船のような形状で、全長6メートルの3分の2がクローズドキャビンになっている。後部3分の1が荷台だが、船の甲板のようでもある。
積載する重量にもよるが、水に浮く。防水のため窓は高い位置にあり、ドアはない。
キャビン前方には座席があり、彩華と心美の定位置になっている。
キャビン前部の3面には、樹脂製の透明窓がある。
最後部には、ドラム缶3本とジェリカンを置いている。これが燃料で、ジェリカンが必要数入手できず、一部の軽油を赤いポリタンクに入れている。最後部にはシャーシに直付けされている手動式のクレーンがあり、重量物の積み卸しに使っている。
このトレーラーは、水深1.5メートルまでならば川を渡渉できる。それ以上だと、浮く。浮いた状態で牽引できるかは、状況によって異なる。
2馬力と非力だが船外機を取り付けることができ、低速だが浮航できる。
穏やかな川ならば、時間がかかるが渡ることができる。
手持ちの食料は多くない。種類も少ない。玄米、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、加熱加工したナシの手作り瓶詰めだけ。
ただ、数カ月で飢えるような状況ではない。玄米だけで600キロある。1人が年間60キロ消費するならば、2年分に相当する。
健吾は、夜間は電波を探し、昼間はドローンでヒトの痕跡を探す。
亜子、彩華、心美の3人は、まったりしている。
耕介は、川を調べに行った。
何の成果なく、健吾がドローンを降下させているとき、無線から耕介の切迫した声が聞こえてきた。
「健吾!
緊急事態だ!
助けてくれ!
川だ、川にいる」
この無線は、まったり組も聞いていた。
4人が河原に向かって走る。
「健吾!
槍だ!
槍を持ってこい!」
健吾が槍と呼んでいるものは、大型のコンバットナイフを長さ1.5メートルの厚肉鋼製パイプにボルト留めしたもの。
健吾は耕介が何かを釣り上げたことを察した。
心美たちは水面に時折姿を現す、巨大な生物を恐れて、川岸に近付いていかない。
健吾が荷台に装備している槍を持って河原に戻ると、巨大な魚影は浅瀬まで引き寄せられていた。
健太が使っている竿は海釣り用、しかも、かなりの大物を狙うための竿とリール。糸も太い。
川で使うような道具ではない。これしかないから、耕介は使ってみたまで。彼自身、まさか釣れるとは考えていなかった。
健吾は屁っ放り腰ながら一直線に獲物に向かい、エラの直後に槍を突き刺す。
耕介が全長1.2メートルに達する得体の知れない魚を捌き始める。家庭用のまな板から魚体の大半がはみ出ている。
「この魚、何だろうね?
マスに似ているけど、こんなにデカイのはイトウだろうけど、イトウじゃないね。顔の造作が違う」
耕介の捌き方は本職顔負けで、短時間で三枚におろした。
「健吾、頭と背骨、川に捨ててきて。
この辺に捨てると、動物を呼ぶだろ」
彼の言は正しく、健吾が頭と背骨と内臓と腹の骨の入ったバケツを持って、川まで行く。
また、あの動物がいた。ナックルウォークをする巨獣。今回も対岸にいて、あまり危険を感じない。
バケツの中身を水中に捨て、バケツを洗う。
この巨大な釣果をどうするか、4人がもめていた。
耕介は燻製にして保存食とすることを主張。3人は加工時間がかかる燻製ではなく、加熱しようと。
結局、亜子たちにかなうはずはなく、切り身にして串に刺し、焚き火の周囲に立てて焼くことにする。
夕方から亜子が体調不良を訴える。彼女には持病化している扁桃腺炎がある。
高熱を発するが、生命にかかわる病気ではない。静養すれば、数日で回復する。
今回はあまりひどくなく、解熱剤の助けは借りない。薬は貴重だからだ。
5人は5日間、移動しなかった。亜子の体調もあるが、1キロほど南にヒトの痕跡を見つけたからだ。
映像を見ている彩華が、やや当惑している。
「こうなるまで、何年くらいかかるのかな?」
耕介も首をかしげている。
「5年か、10年か?
1年では無理。ツタの成長が早いのかもしれないけど……」
心美が「大きなトラックだけど、乗っていたヒトはどうなっちゃったのかな?」と当然の質問をする。
健吾が「故障して、放棄したんじゃないかな。車体には擦った程度の傷しかないし、窓も割れていないから……」と推測する。
耕介が「俺の知識の外だが、イヴェコのオフロードトラックだ。イタリア製だ。ヨーロッパからの移住者が乗っていたのだろう。乗っていたヒトはどうなってしまったのか、気になるよね」と心配する。
彩華が核心に迫る。
「5年前、10年前には移住はなかったじゃん。
でも、5年前か10年前のトラックがあるわけじゃん。
その理由は?」
誰も答えない。移住は1年2カ月前に始まり、日本では電力の不足と移住希望者の減少で終結に向かっていた。
健吾が「俺たちが知らない事実があるんだ。きっと、ね」と。
耕介が「健吾、もっと調べるか?」と問い、健吾は「当然だ」と断言する。
トラックを覆う草やツタを刈り払いし、荷台を調べる。ダブルキャブで、荷台は幌。幌の痛みが激しく、半分以上が裂けている。
想像していた通り、残された荷物が少ない。
耕介が紙を示す。
「健吾、これ」
紙は風雨にさらされ続けていたが、何であるかはわかった。
「バギーか?」
耕介が断言する。
「225ccの台湾製ATVだ。
これを、ここで組み立てたんだ。
リヤカーみたいなトレーラーを牽かせて、荷物を運んでいったのだろう」
荷台に残っているのは、大型のテント、無意味な衣類、弾薬だった。テントの他は、衣類を詰めたスーツケース4つとベルトリンクの弾薬缶が4つ残されていた。
衣類はファッション性の高いもので、実用的なものは抜き取ったようだ。
耕介には、2億年後にTバックのスケスケパンティを持ち込んだお姉さんの心理が理解不能だった。
弾薬は単純に積み残しだろう。
耕介が「弾は持っていこう。使えるかもしれない」と言い、健吾は無言で賛成する。
キャビンには、めぼしいものがなかった。後席に大きな枕が残されていた。
ただ、ゲートを潜るための整理券のようなものが落ちていた。
日時が書いてあり、耕介たちがゲートに突入した同日だった。読み取りできないが、集合場所らしき地名も書かれている。
耕介が健吾にその紙を見せる。
「どういうことだ?」
「わからない。どういうことなんだ?
この紙、クリアファイルに挟んで持って帰ろう」
彩華が弾薬を調べる。
「7.62ミリのNATO弾ね。
.308ウィンチェスター弾とは互換性があるから、ラッキーかな。
食べ物は?」
耕介が答える。
「なかったよ。
Tバックと枕だけ。
めぼしいものは、これだけ」
耕介が差し出したクリアファイルに彩華が動揺する。
「これ?」
「あぁ、謎が増えた。
俺たちと同日だぜ。
健吾が半分推測だが時差を計算したんだ。
俺たちの時渡りと、30分くらいしか違わないんだ」
「耕介、どういうことなの?」
「わかんねぇ。
健吾にもわからないってことは、現時点では誰にもわかんねぇんだよ」
翌早朝に出発の予定だったが、雨が降ったので中止にする。
慌てることはない。時間は十分にある。
雨でもすべきことはある。
巨大魚は美味だった。その後、耕介は2尾釣り上げ、身を焼いてから真空パックにして、再度熱湯で加熱し保存できるようにする。
貴重な動物性タンパク源だ。
それと、コメ10キロを精米した。
前からわかっていることだが、5人のうちおにぎりを握れるメンバーがいない。
だから、弁当箱を使う。ご飯に焼いた魚の切り身が毎日の昼食だ。
病み上がりの亜子がキャビンに乗り、彩華がハンターカブに跨がる。心美が志願したが、他の4人が心配した。
昨日の雨で、地面が滑るからだ。
進む方向は決まっている。下流に向かう。川の行き着く先は海。海に出たら、また考える。
相談しなくても、5人の考えは一致している。
地形によって、川から離れることはあるが、おおよそは川沿いに進む。
調査しながらなので、進みは遅い。1日に25キロから35キロ。
川幅はどんどん広くなり、水深が深くなっていく。
源流の滝から350キロ進むと、北岸は草原が少なくなり、深い森林が点在する。南岸は草原が続く。
渡渉点を探すために、耕介と健吾がハンターカブで偵察に出る。
渡渉点を見つけるのに、丸1日かかった。夕方、2人はクタクタになって戻ってきた。
耕介が説明する。
「川は一気には渡れない。
浅いところが多いけど、一部が深いんだ。カブはもちろん、トラクターも無理。
ここから30キロ東に大きな中州がある。
その中州の西側は北側が深いけど、南側は浅い。
流れはいくつにも分岐していて、その中州の東側は北側が浅く、南側が深い。
つまり、東側から中州に渡って、西に進んでから南に渡るんだ。
ルートは結構複雑なんだけど、ここならカブも渡れる。
トレーラー以外は、ずぶ濡れになる覚悟で……。
それと、中州には動物がいる。カワウソみたいだけど、カワウソにしてはデカ過ぎる。
襲いはしないだろうけど、刺激しないように」
翌早朝、耕介の先導で川を渡った。
カワウソに似た動物はいなかったが、南岸にはカンガルーのような動物の群がいた。
上顎犬歯の長いトラのような動物もいる。
心美が無線で「哺乳類だよね」と尋ねたが、動物に詳しい亜子も答えなかった。
哺乳類に似てはいるが、哺乳類の雰囲気ではないのだ。
南岸は北岸とは異なり、動物の密度が濃い。この状況では楽しくはない。無害な動物と、危険な動物がわからない。
相応の緊張を強いられる。
電波は拾えていない。
ヒトの痕跡は、放棄されたトラックが1台だけ。
そして、5人は、2億年後の旅が始まってから1000キロを走破していた。
理解できないこともある。今回の移住では、ゲートは60分しか開かない。電力が足りないからだ。
車輌の突入は3分間隔。今回は20台がゲートを潜り、時渡りした。
2億年後への旅だ。
そして、健吾は2億年後にいる。
だが、3分前にゲートを潜った車輌が見あたらない。ドローンを飛ばして全周を捜索したが、何も見つけられなかった。
発見したものは、青空と円形の雲と砂と全周を囲む山だけ。
どこに行けばいいのか?
それが最大の問題だ。燃料と食料と水には、限りがある。
ゲートの管理責任者に玄米3袋計90キロを渡して、どうにか20台目に潜り込めた。ゲートの管理責任者は警察官だったが、リーダーの冴島亜子が「白いご飯をお腹いっぱい子供に食べさせられるよ」と告げると、彼は賄賂を受け入れた。
10歳代後半の小娘に、壮年に近い男が食べ物を前に屈した。
残留派にとっては、移住派が持ち去る物資を少しでも残置させたのだから、この贈収賄も正義ではある。
「どうやっても、意味のある電波を拾えない。
場所が悪いのか?
電波がないか?」
健吾の結論に佐高耕介が怒る。
「っなわけねぇだろ!
電波がないなんてあるか?」
健吾の表情は落ち着いているが、内心はパニック状態だった。
「19世紀半ばまで、ヒトは電波の使い方なんて知らなかったよ」
耕介の答えは、健吾をさらに狼狽させる。
「って、ことはヒトがいても、電波は出さないってことか!」
閑崎彩華は、最年少の丸目心美が不安そうにしているので、無理に微笑んだ。
「大丈夫だよ」
「ぜんぜん大丈夫そうじゃないよ。
彩華、顔が引きつってるよ」
幼い心美に見透かされるほど、彩華は動揺している。
2トントラックのルーフに上っていた亜子が下りてきた。
「北に山脈の切れ目がある。
峠みたいなものかもしれない。
隕石クレーターか火山カルデラかわかんないけど、ここから抜け出さないと乾き死んじゃうよ」
耕介が「トラックの燃料を回収した。35リットル回収できた。俺は、いつでもいい」と告げる。
健吾が全員に充電してあるトランシーバーを渡す。
「この地形なら4キロか5キロが通信範囲だ。それ以上は離れないこと」
すでにトレーラーは農業用トラクターに連結されている。
5人を2億年後に運んできたボロボロの2トンダブルキャブトラックは、ここに捨てていく。
ここからは、2台のハンターカブと6メートル長の高床軽量トレーラーを牽引する25馬力農業用トラクターで進む。
計画通りだが、2億年後到着直後に後輪駆動のトラックではどうにもならないことを5人は思い知らされた。
トレーラー上部構造物は、船のような形をしている。全長の3分の2がクローズドキャビンになっている。後端は荷台だが、船の甲板のようにも見える。
風雨を避けられるのは、このキャビンだけ。ここに心美と彩華が乗る。
クレーターからの脱出は、ハンターカブにとってはさほど難しくはなかった。
しかし、トラクターには緊張を強いられるルートだった。自然にできたのか、人為的にできたのか、微妙な“道”なのだが、とにかく狭い。そして、傾斜がきつい。幅は2.5メートルほど、高低差は100メートル以上。その通路がクレーターに巻き付くように麓に延びている。
「この景色、憂鬱になるね」
彩華の無線からの声に健吾は応えなかった。路肩を気にしていたことと、本当に憂鬱になる景色だからだ。
何もない。
空と土と石だけ。
外気温は暑くない。しかし、極度に乾燥している。身体から水分が抜き取られるような感じがする。
川や湖は、どこにもない。水たまりどころか、空に雲がない。
明らかに雨が降らないのだ。
健吾は昨夜、天測を行った。北緯45度付近、西経73度付近にいる。2億年前ならば、北アメリカの東岸。カナダのモントリオールの近くだ。
2億年前とは、地球の自転周期と公転軌道が異なっている。1日は25時間だし、公転軌道はほぼ真円。地軸の傾きも違う。
大気中の酸素濃度は31.5パーセントもある。
健吾は仲間に「俺たちが知っている地球じゃない」と伝えたが、他の4人はあまり深刻ではない。
覚悟していたことだからだ。
「他の星に移住したと思えばいいさ」
これが耕介の回答だった。
3日目の朝。
健吾が亜子に「これから、どうする」と問うと、彼女は東を指さした。
「あっちに行く」
断言する亜子に健吾が「なぜ?」と尋ねる。
「太陽が昇るほうがいいに決まっているから。
沈むよりいいじゃん」
この意味不明な理屈に健吾が賛成する。
「まぁ、そうだね。
北も南も西も、何もない。
でも、東には山脈がある。山の上が白い。つまり雪だ。山頂に雪があるなら、麓には水がある。
水があるなら、植物があるはず。植物があるなら、動物もいる。動物がいるということは、生存可能性が高いってことだ。
東に向かうことに賛成」
心美が即答。
「健吾の意見に賛成」
彩華が「私も」、耕介も「健吾の意見は間違いが少ない。少なくとも亜子よりは。俺も健吾に賛成だ」と、全員の意見が一致する。
彩華が「武器を用意しようよ」と提案する。
健吾が即同意。
「危険な動物がいるかもしれないから、武器が必要になるかも」
心美が健吾を見る。
「健吾ぉ~、オオカミとかクマとか、いるのぉ~」
健吾は、心美を子供扱いしない。対等なメンバーとして扱っている。
「2億年だからね。
オオカミやクマはいないだろうね。絶滅していると思う。
未知の捕食者がどんな動物なのか、それはわからない。
わからないから準備をするんだ」
銃は4挺ある。彼らの装備は、武器以外は秀逸な工夫で満足できるものだが、ライフル3挺とショットガン1挺では身を守るには心細すぎる。
また、弾数も少ない。
亜子が「山の見え方からすると、100キロから遠くても300キロかな」と目算を示す。
耕介は東北道から日光の山並みを臨む距離感から「もう少し、近いかもしれない」と感じたが、口にはしなかった。
「300キロあるとしても、10時間走れば今日中に着く」
全員が無言。
耕介は平気だろうが、道のない荒野を10時間も走りたくないからだ。
彩華が「行けるところまで行こうよ。急ぐ旅じゃないし。だけど、先着の19台はどこに行っちゃったんだろう?」と、ここにいる誰も回答を知らない質問をする。
亜子は当然のように答えた。
「ヒトは何かがありそうな方向に進む。
ならば、山のほう。
そして、山並みが途切れるあそこ!」
確かに南北に連なる山脈の1カ所が凹んでいる。そこだけ、山の連なりが途切れているように見えるのだ。
健吾が双眼鏡を覗くが「この距離じゃ、わからないな。でも、峠とか、山越えのルートとかがあるんじゃないかな」と。
彩華が「そこに向かいましょう。健吾の意見に賛成」と言い、心美と耕介も賛意を示す。
山麓に到達したと感じるまで、4日かかった。走行距離は300キロに達した。ハンターカブの給油は1回だけ。耕介車は4.5リットル、亜子車は4リットル給油した。
燃費は概算で、1リットルあたり45キロから55キロ走っている。
完全に想定通りの燃料消費だ。
トラクターも悪い燃費ではない。機械式の燃料噴射装置だが、畑を耕しているわけではなく、時速20キロから40キロの範囲で運転している。農機本来の使い方ではないので、良好な数字を示している。
概算で、1リットルあたり15キロから20キロ。山岳地帯に入ると悪化するだろうが、現状では耕介の想定よりもいい。
4日を要した理由だが、できるだけ休憩時間を作り、その間、ドローンを使って上空から偵察を行った。
夜は、高いアンテナを立て、無線を操作してヒトの活動を探す。
だが、何も見つけていない。ヒトの痕跡がまったくない。
山麓に達すると、地面が湿っていることに気付く。亜子、耕介、健吾の3人が、ほぼ同時に気付く。
そして、昆虫を見た。
体長30センチもあるバッタ。肝が据わっている亜子が、銃を構えるほどの迫力がある。
狭隘でもない谷に入っていく。
健吾が「俺たちが走っている場所だけど、河床じゃないかな」と落ち着かない声音で呼びかける。
無線を通しても、声の震えがわかる。
傾斜はきつくないが、確実に登坂している。
健吾は鉄砲水や土石流のような現象を恐れていて、河床の真ん中らしい場所からやや高い河岸段丘っぽい地形にルートを移すよう無線で提案する。
こういった提案は、実質は健吾の命令だ。健吾は自然の脅威を過小評価しない。
人的脅威については真逆で、非常に鈍い。この点は、亜子が鋭い。亜子は大雑把、彩華は細やか。2人の共通点は危機において決断が早く、必要であれば断固とした行動がとれること。
5人は緊張している。
心美は明らかに怯えている。
発生源のわからない音。聞いたことがない音。自然の音なのか、人工の音なのかさえ区別ができない。
最初はかすかに聞こえる程度だった。30分前にははっきり聞こえた。風の音に似ているが、少し違う。
いまは轟音であることがわかる。その発生源に近付いている。
心美は彩華の手を握った。しばらくすると、腕にしがみつく。いまはキャビンの中で抱きついている。
耕介は、音源は右手前方からだと確信している。走りにくいルートだが、できるだけ音源から距離をとれるよう、急斜面を上る。
谷底まで5メートル以上ある。谷底を走るほうが容易だが、あえてこのルートを選択した。
そして、見た。落差200メートルを超える大瀑布を。
滝より東には、東に向かって流れる川がある。この滝が分水嶺だった。
耕介は無線に「滝だ!」と何度も叫ぶが、轟音で声がかき消されてしまう。
耕介が戻ってきたので、亜子の不安が増す。
「亜子、滝だ!
水があるぞ!」
耕介の先導で、谷底を進む。
突如として、川幅のある左岸に出る。
眼前には巨大な滝。
滝からは400メートルも離れているのに、霧状の落水が身体にまとわりつく。
地面が泥濘んでいるが、ハンターカブとトラクターにはまったく問題ない。
やがて、土が見えなくなり、川石が地面を覆う。
滝から800メートルほど下流の小さな淵で、耕介がハンターカブを止める。
心美が元気よくトレーラーから飛び降りる。石に足を取られ、よろけて転びそうになり、耕介が支える。
「心美、これからはウンコしたあと、砂で手を洗わなくてもいいぞ!」
心美が怒る。
「耕介、大っ嫌い!」
耕介が大笑いする。
水は透明で、冷たく、気持ちいいのだが、淵に飛び込みたいとは思わない。氷のように冷たいのだ。
女性3人は水着に着替え、身体と髪を洗う。
その間、耕介と健吾は銃を持って、周囲に目を配る。
しばらくすると、健吾が薪を集め始める。石を選別して、炉を作る。ラーメンのスープを作るための大きな寸胴鍋を、炉の上に置き、ポリバケツで汲んできた水を入れる。
そして、25リットルの湯を沸かし始める。
寒そうにしている女性3人が火に近付く。
彩華が「お湯湧かしてどうするの」と尋ね、健吾は「寒そうだから、お湯で頭を洗おうかなって」と事もなげに答える。
3人の視線が狂気に変わる。
心美が「健吾、ひどいよ!」と抗議する。
耕介が「ひ弱だなぁ~、俺ならザブンと飛び込むぞ」と言ったが、いっこうに飛び込む気配がない。
最初の湯は、女性3人が使った。
次の湯は耕介と健吾。
女性3人は「寒い!」と訴え、トレーラーのキャビンに引きこもった。
耕介の警戒心は完全に緩んでいたが、臆病で用心深い健吾は気を張っていた。
川の対岸、距離は200メートル。
巨大な動物が川岸で水を飲む。
「な、な、な……」
耕介の動揺の影響で、健吾が落ち着く。
「何だろうね?
クマの頭、カンガルーの胴体と尾、ゴリラの手足。
ナックルウォークをしている。奇っ怪な生き物だ」
「こっちに、こないよな?」
「それは、相手次第だ。
だが、刺激しないほうがいい」
女性3人もキャビンから出てきて、奇妙な大型獣を観察する。
川岸は石だらけだが、流れから少し離れると草原で、走りやすい。
黄色いタンポポに似た花が咲いているが、葉などは明らかにタンポポではない。高木はなく、ハイマツのような植物を見る。だが、マツではない。葉と幹が違う。
見通しのいい草原で、キャンプをする。全員、疲労がたまっており、数日間の滞在を希望している。
トレーラーは奇っ怪な形状をしている。もともとは、トラクターで牽引する農機運搬用の低床軽量トレーラーだった。中央2軸の4輪だったが、耕介が設計・改良し、中央無軸4輪高床に改造した。タイヤは低床2トンの後輪と同じ小径だが、車軸がないので最低地上高が高い。
利用したのはシャーシだけで、荷台はFRP製。平底船のような形状で、全長6メートルの3分の2がクローズドキャビンになっている。後部3分の1が荷台だが、船の甲板のようでもある。
積載する重量にもよるが、水に浮く。防水のため窓は高い位置にあり、ドアはない。
キャビン前方には座席があり、彩華と心美の定位置になっている。
キャビン前部の3面には、樹脂製の透明窓がある。
最後部には、ドラム缶3本とジェリカンを置いている。これが燃料で、ジェリカンが必要数入手できず、一部の軽油を赤いポリタンクに入れている。最後部にはシャーシに直付けされている手動式のクレーンがあり、重量物の積み卸しに使っている。
このトレーラーは、水深1.5メートルまでならば川を渡渉できる。それ以上だと、浮く。浮いた状態で牽引できるかは、状況によって異なる。
2馬力と非力だが船外機を取り付けることができ、低速だが浮航できる。
穏やかな川ならば、時間がかかるが渡ることができる。
手持ちの食料は多くない。種類も少ない。玄米、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、加熱加工したナシの手作り瓶詰めだけ。
ただ、数カ月で飢えるような状況ではない。玄米だけで600キロある。1人が年間60キロ消費するならば、2年分に相当する。
健吾は、夜間は電波を探し、昼間はドローンでヒトの痕跡を探す。
亜子、彩華、心美の3人は、まったりしている。
耕介は、川を調べに行った。
何の成果なく、健吾がドローンを降下させているとき、無線から耕介の切迫した声が聞こえてきた。
「健吾!
緊急事態だ!
助けてくれ!
川だ、川にいる」
この無線は、まったり組も聞いていた。
4人が河原に向かって走る。
「健吾!
槍だ!
槍を持ってこい!」
健吾が槍と呼んでいるものは、大型のコンバットナイフを長さ1.5メートルの厚肉鋼製パイプにボルト留めしたもの。
健吾は耕介が何かを釣り上げたことを察した。
心美たちは水面に時折姿を現す、巨大な生物を恐れて、川岸に近付いていかない。
健吾が荷台に装備している槍を持って河原に戻ると、巨大な魚影は浅瀬まで引き寄せられていた。
健太が使っている竿は海釣り用、しかも、かなりの大物を狙うための竿とリール。糸も太い。
川で使うような道具ではない。これしかないから、耕介は使ってみたまで。彼自身、まさか釣れるとは考えていなかった。
健吾は屁っ放り腰ながら一直線に獲物に向かい、エラの直後に槍を突き刺す。
耕介が全長1.2メートルに達する得体の知れない魚を捌き始める。家庭用のまな板から魚体の大半がはみ出ている。
「この魚、何だろうね?
マスに似ているけど、こんなにデカイのはイトウだろうけど、イトウじゃないね。顔の造作が違う」
耕介の捌き方は本職顔負けで、短時間で三枚におろした。
「健吾、頭と背骨、川に捨ててきて。
この辺に捨てると、動物を呼ぶだろ」
彼の言は正しく、健吾が頭と背骨と内臓と腹の骨の入ったバケツを持って、川まで行く。
また、あの動物がいた。ナックルウォークをする巨獣。今回も対岸にいて、あまり危険を感じない。
バケツの中身を水中に捨て、バケツを洗う。
この巨大な釣果をどうするか、4人がもめていた。
耕介は燻製にして保存食とすることを主張。3人は加工時間がかかる燻製ではなく、加熱しようと。
結局、亜子たちにかなうはずはなく、切り身にして串に刺し、焚き火の周囲に立てて焼くことにする。
夕方から亜子が体調不良を訴える。彼女には持病化している扁桃腺炎がある。
高熱を発するが、生命にかかわる病気ではない。静養すれば、数日で回復する。
今回はあまりひどくなく、解熱剤の助けは借りない。薬は貴重だからだ。
5人は5日間、移動しなかった。亜子の体調もあるが、1キロほど南にヒトの痕跡を見つけたからだ。
映像を見ている彩華が、やや当惑している。
「こうなるまで、何年くらいかかるのかな?」
耕介も首をかしげている。
「5年か、10年か?
1年では無理。ツタの成長が早いのかもしれないけど……」
心美が「大きなトラックだけど、乗っていたヒトはどうなっちゃったのかな?」と当然の質問をする。
健吾が「故障して、放棄したんじゃないかな。車体には擦った程度の傷しかないし、窓も割れていないから……」と推測する。
耕介が「俺の知識の外だが、イヴェコのオフロードトラックだ。イタリア製だ。ヨーロッパからの移住者が乗っていたのだろう。乗っていたヒトはどうなってしまったのか、気になるよね」と心配する。
彩華が核心に迫る。
「5年前、10年前には移住はなかったじゃん。
でも、5年前か10年前のトラックがあるわけじゃん。
その理由は?」
誰も答えない。移住は1年2カ月前に始まり、日本では電力の不足と移住希望者の減少で終結に向かっていた。
健吾が「俺たちが知らない事実があるんだ。きっと、ね」と。
耕介が「健吾、もっと調べるか?」と問い、健吾は「当然だ」と断言する。
トラックを覆う草やツタを刈り払いし、荷台を調べる。ダブルキャブで、荷台は幌。幌の痛みが激しく、半分以上が裂けている。
想像していた通り、残された荷物が少ない。
耕介が紙を示す。
「健吾、これ」
紙は風雨にさらされ続けていたが、何であるかはわかった。
「バギーか?」
耕介が断言する。
「225ccの台湾製ATVだ。
これを、ここで組み立てたんだ。
リヤカーみたいなトレーラーを牽かせて、荷物を運んでいったのだろう」
荷台に残っているのは、大型のテント、無意味な衣類、弾薬だった。テントの他は、衣類を詰めたスーツケース4つとベルトリンクの弾薬缶が4つ残されていた。
衣類はファッション性の高いもので、実用的なものは抜き取ったようだ。
耕介には、2億年後にTバックのスケスケパンティを持ち込んだお姉さんの心理が理解不能だった。
弾薬は単純に積み残しだろう。
耕介が「弾は持っていこう。使えるかもしれない」と言い、健吾は無言で賛成する。
キャビンには、めぼしいものがなかった。後席に大きな枕が残されていた。
ただ、ゲートを潜るための整理券のようなものが落ちていた。
日時が書いてあり、耕介たちがゲートに突入した同日だった。読み取りできないが、集合場所らしき地名も書かれている。
耕介が健吾にその紙を見せる。
「どういうことだ?」
「わからない。どういうことなんだ?
この紙、クリアファイルに挟んで持って帰ろう」
彩華が弾薬を調べる。
「7.62ミリのNATO弾ね。
.308ウィンチェスター弾とは互換性があるから、ラッキーかな。
食べ物は?」
耕介が答える。
「なかったよ。
Tバックと枕だけ。
めぼしいものは、これだけ」
耕介が差し出したクリアファイルに彩華が動揺する。
「これ?」
「あぁ、謎が増えた。
俺たちと同日だぜ。
健吾が半分推測だが時差を計算したんだ。
俺たちの時渡りと、30分くらいしか違わないんだ」
「耕介、どういうことなの?」
「わかんねぇ。
健吾にもわからないってことは、現時点では誰にもわかんねぇんだよ」
翌早朝に出発の予定だったが、雨が降ったので中止にする。
慌てることはない。時間は十分にある。
雨でもすべきことはある。
巨大魚は美味だった。その後、耕介は2尾釣り上げ、身を焼いてから真空パックにして、再度熱湯で加熱し保存できるようにする。
貴重な動物性タンパク源だ。
それと、コメ10キロを精米した。
前からわかっていることだが、5人のうちおにぎりを握れるメンバーがいない。
だから、弁当箱を使う。ご飯に焼いた魚の切り身が毎日の昼食だ。
病み上がりの亜子がキャビンに乗り、彩華がハンターカブに跨がる。心美が志願したが、他の4人が心配した。
昨日の雨で、地面が滑るからだ。
進む方向は決まっている。下流に向かう。川の行き着く先は海。海に出たら、また考える。
相談しなくても、5人の考えは一致している。
地形によって、川から離れることはあるが、おおよそは川沿いに進む。
調査しながらなので、進みは遅い。1日に25キロから35キロ。
川幅はどんどん広くなり、水深が深くなっていく。
源流の滝から350キロ進むと、北岸は草原が少なくなり、深い森林が点在する。南岸は草原が続く。
渡渉点を探すために、耕介と健吾がハンターカブで偵察に出る。
渡渉点を見つけるのに、丸1日かかった。夕方、2人はクタクタになって戻ってきた。
耕介が説明する。
「川は一気には渡れない。
浅いところが多いけど、一部が深いんだ。カブはもちろん、トラクターも無理。
ここから30キロ東に大きな中州がある。
その中州の西側は北側が深いけど、南側は浅い。
流れはいくつにも分岐していて、その中州の東側は北側が浅く、南側が深い。
つまり、東側から中州に渡って、西に進んでから南に渡るんだ。
ルートは結構複雑なんだけど、ここならカブも渡れる。
トレーラー以外は、ずぶ濡れになる覚悟で……。
それと、中州には動物がいる。カワウソみたいだけど、カワウソにしてはデカ過ぎる。
襲いはしないだろうけど、刺激しないように」
翌早朝、耕介の先導で川を渡った。
カワウソに似た動物はいなかったが、南岸にはカンガルーのような動物の群がいた。
上顎犬歯の長いトラのような動物もいる。
心美が無線で「哺乳類だよね」と尋ねたが、動物に詳しい亜子も答えなかった。
哺乳類に似てはいるが、哺乳類の雰囲気ではないのだ。
南岸は北岸とは異なり、動物の密度が濃い。この状況では楽しくはない。無害な動物と、危険な動物がわからない。
相応の緊張を強いられる。
電波は拾えていない。
ヒトの痕跡は、放棄されたトラックが1台だけ。
そして、5人は、2億年後の旅が始まってから1000キロを走破していた。
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