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第2章 相馬原
02-036 市ヶ谷台異変
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9月初旬、市ヶ谷台が羽生付近で利根川を渡り、オークに対して威力偵察を行うのでは、という観測が川越付近で話題になる。
市ヶ谷台の戦力は不明だが、10式戦車、90式戦車、74式戦車、87式自走高射機関砲、99式自走155ミリりゅう弾砲、75式自走155ミリりゅう弾砲、89式装甲戦闘車、各種装軌・装輪装甲車を保有しているはずだ。
少しでも雨が降れば泥濘になる。この状況では装輪車輌は使えない。戦車を中心とした装軌車輌による部隊編制になるだろう。
市ヶ谷台は台湾からM60パットン戦車20輌を購入し、さらに同系戦車30輌を入手したという噂がある。
また、相馬原が横取りされたM48Hの同型も相当数を台湾から買っているらしい。
花山真弓の推測だが、市ヶ谷台は戦車だけで100輌近く保有している。
これだけの戦車を集めた理由は、欧州戦線や中央アジア戦線での戦車の有効性を示す情報に触発されたものだろう。
だが、普通の鉄製装甲では、オークの武器は簡単に貫通させられる。それを防ぐ方策を講じていなければ、戦車の装甲は無力だ。
複合装甲ならば、ある程度は対抗できるだろうが、備えているのは戦後第三世代以降だ。
それに車体全体ではない。ごく一部だ。
相馬原のメンバーは装甲車輌を手に入れた集団に、車体や装甲に何らかの耐熱処理を施すよう助言していた。各集団は複数回オークと戦闘しており、相馬原の助言を素直に受け入れていた。
多くは耐熱タイルを貼ったり、耐熱塗料を塗っている。当然、重くなり機動性が落ちるので、何らかの軽量化やエンジンの出力向上は必要になるが、そんなことができるほどの資材は誰にもない。
もちろん市ヶ谷台にも伝えたが、この助言を受け入れた様子はない。
川越には市ヶ谷台からの出張所、有り体に言えば監視所がある。市ヶ谷台は川越以北の監視を、ここで行っていた。
だが、同時に川越以北の人々が、市ヶ谷台の動向を知る情報源にもなっている。
この監視所が威力偵察の噂の出所であった。
オークの乗り物は、バイクのように跨がるものと、全長4.5メートル、全幅2メートルほどの貨物輸送用タイプが目撃されている。どちらも低空を飛行し、バイクタイプは時速100キロ程度出せる。輸送タイプは最大でも時速40キロ程度だ。乗り物数は圧倒的に輸送タイプが多い。
ラダ・ムーの話では、これ以外の乗り物はないという。
相馬原のメンバーは、今後の参考にするため市ヶ谷台の威力偵察を見ておきたかった。
それは各グループも同じで、いろいろと算段をしているようだ。
利根川と渡良瀬川に挟まれた一帯は、利根川右岸に勢力を持つヒト側と、渡良瀬川左岸の佐野付近に降りたオーク側との緩衝地帯のようになっていた。
ヒト側は物資を求めて、館林、太田、伊勢崎にたびたび進出していたが、ここでオークに捕らえられるヒトは少なくなかった。
逆にオークを発見し、先制攻撃で撃退することもあった。ある小さなグループが捕まった仲間を取り返すために、多数のオークを生け捕りにしたという噂もある。
過去はどうあれ、現在ではオークにとってヒトは、恐ろしい動物であるはずだ。
市ヶ谷台の威力偵察隊が東新宿を出発したという情報は、その日の午後には相馬原にも届いた。井澤貞之が懇意にしている川越の何でも屋が無線で知らせてくれた。
その直後、“グミのおじちゃん”も知らせてきた。羽生付近に浮橋を設置しているという。
相馬原からは100キロあるが、事前に計画していたとおり、対空自走砲1輌、装甲輸送車1輌、APCで偵察に出発する。
対空自走砲には葉村正哉と金平彩華、装甲輸送車には奥宮要介陸士長とラダ・ムーが乗った。APCには指揮官として花山真弓、操縦手として加賀谷真梨、機関銃手として百瀬未咲が乗る。
総重量が50トンを超える90式戦車、M60、M48Hを渡河させることに、威力偵察部隊は手間取った。重量が40トンに満たない2輌の74式戦車は簡単に渡ったが、浮橋の浮力が足りず、改修しているうちに時間が経過していく。
それもあって、花山たちは、威力偵察部隊が渡河し終えていない状況で、彼らを視認した。
彼女たちは前橋付近で利根川を渡河し、左岸を南下して羽生付近に達していた。
周囲は丈の低い雑草が生えた草原で、一部は湿地になっている。渡良瀬遊水池から城沼、多々良沼付近は湿地で、機動戦を行うには向いた地勢ではない。
しかも敵は低空を飛ぶ。正常な判断をするならば、こんな場所で戦いを挑む理由が見つからない。理由があるとすれば、川越付近からやってきたギャラリーたちに見せつけることか?
見物人がいるわけではない。相馬原のような戦闘状況を観察しにやってきた、川越以北の集団の偵察隊に対してだ。
市ヶ谷台のご威光を見せたいのかもしれない。確かに戦車30輌は大部隊だ。
花山が確認しただけで、観戦部隊は10隊を超えていた。
威力偵察部隊も北関東のグループの存在を知っていて、様子をうかがっている。
花山隊は、威力偵察部隊を追って城沼方面に向かった。2000メートル以上の距離を保っているが、遮蔽物がまったくない平地なので空中からは丸見えだ。
戦闘になれば、花山隊にオークが攻撃を仕掛ける可能性が高い。それは他の隊も同じで、城沼に近付くにつれ、追求してくる隊が減っていく。
東北自動車道の痕跡をたどるように、オークが現れた。乗り物の数は約40。
すぐに戦闘が始まったが、軟弱な地面に履帯が沈み、戦車の動きは緩慢だ。
また、105ミリ戦車砲ではオークや、オークの乗り物には威力が過大で、耐熱対策を施していない装甲は脆弱すぎた。
1輌の89式装甲戦闘車が奮戦しているが、戦車は右往左往するだけ。砲塔上のM2重機関銃だけが、必死に反撃している。
ヒト側のほうが射程が長く、オークを近付けなければ優勢に戦闘できるが、接近されると戦車は光の矢と鞭で簡単に破壊される。
74式戦車とM60戦車各1輌が破壊されたところで、威力偵察部隊は撤退行動に移った。
89式装甲戦闘車は奮戦しているが、たった1輌ではどうにもならない。
74式戦車とM60戦車から各4人が脱出すると、それをオークが追いかける。
花山隊は放っておくわけにいかず、この8人の救出に向かう。
装甲輸送車の3銃身20ミリガトリング砲が咆え、対空自走砲の35ミリ機関砲が震えると、オークやオークの乗り物に命中し、次々と撃墜していく。
射撃統制装置は完全に機能し、オークの機動に完璧に追従する。
車内容積に余裕がある装甲輸送車は、擱座したM60まで走り、後部乗降ドアを開けて2人を救助。APCは、行動不能となった74式戦車の乗員4人全員を回収した。
M60の乗員2人の状況は不明で、オークに連れ去られた可能性が高い。
対空自走砲と装甲輸送車の反撃は、オークを激しく動揺させ、結果として威力偵察部隊の撤退を支援した。
また、他のグループの2隊がオークの一部を引きつけ、市ヶ谷台の撤収を側面支援した。
また、オーク側も損害を恐れたのか、追撃してこなかった。
結局、オーク側は4または5機を失い、6体ほどの損害を出した。ヒト側は、市ヶ谷台が戦車2輌を失い、人的被害は2人だった。
戦闘時間は15分程度で、確かに多くの教訓を得たが、必要のない戦いでもあった。
意味のない戦いで、人的被害が出たことは、真の意味で無駄死である。
だが、装甲輸送車の砲手を担当し、M60の乗員2人を救出したラダ・ムーは、そうは考えなかった。
花山隊は熊谷付近で利根川を渡河し、川越まで戻って、救出した6人を市ヶ谷台の川越出張所に引き渡すとき、ラダ・ムーはM60の乗員2人に対して、「オークは攻撃されるとは思っていなかったはずだ。それに、少しだが損害も与えた。決して、きみたちの行為は無駄ではない」と言った。
それは、ラダ・ムーの本心であった。
この6人から得た情報もある。M60の乗員は召集隊員であった。
自衛隊は改組されて陸海空からなる新しい自衛隊となり、新自衛隊の総司令官は自衛隊で生き残った特科出身で最上位階級の旧陸上自衛隊1佐だという。旧海上自衛隊と旧航空自衛隊の最上位階級は2佐だった。
だが、自衛隊陸上部は実質的に加納という3佐が仕切っているようだ。
今回の作戦も加納3佐が立案し、招集隊員を捨て駒にしてオークの出方を探ろうとしたらしい。
74式戦車の乗員は自衛隊の出身で、どうも督戦隊の意味があったようだ。つまり、M60に乗る招集隊員の車輌が後退することがあれば、自衛隊出身が乗る74式が撃つ、ということだ。74式の乗員はそれが嫌で先陣を切ったらしい。
いささか、物騒な臭いがしてきた。
自衛隊海上部と航空部は、陸上部とは距離を置いていて、今回の作戦には一切関与しなかった。
M60の乗員からは、「加納3佐には私設部隊がある」という発言もあった。
花山たちは、彼らから聞いた情報を一切他言せず、川越を去った。
花山隊が相馬原に戻ると、全員無事であったことから、子供たちがはしゃぎ回り、ちょっとした騒ぎになった。
6日後、川越の人々が東松山西側の丘陵地帯に移動するという情報が飛び込んできた。どうも、市ヶ谷台と関係があるらしく、彼らの侵攻を恐れてのことらしい。
この日、市ヶ谷台の川越出張所の“役人”が妻子を連れて相馬原にやってきた。
彼は、自分と妻子を保護して欲しいと懇願した。城沼の戦闘において、相馬原が救助した6人は市ヶ谷台帰還後に拘束され、所在がわからないという。
殺された、という噂もあるらしい。
加納3佐は、先の威力偵察作戦、関東北部の人たちは“城沼の戦い”と呼んだ、を正確に市ヶ谷台政府に報告しないらしい。
どうも、戦車2輌、隊員2人不明、敵の乗り物5撃破、敵多数死傷と報告したようだ。
事実ではあるが、横から手を貸して撤退を側面支援した関東北部の協力者たちのことを忘れている。
つまり、事実ではあるが、都合の悪い部分は隠した、ということだ。
そして、この都合の悪い事実を知っているヒトを葬ろうとしている、と加納3佐は関東北部の人々から疑われている。
この家族は、北のグループに預かってもらった。
その翌日には、警察のランドクルーザーに乗った男性4人と2家族が、南のグループに逃げ込んできた。
男性4人は自衛隊の出身で、破壊を免れた74式戦車の乗員だったそうだ。破壊された74式戦車の乗員が拘束されたことから、身の安全がなくなったことを悟って、市ヶ谷台から逃げてきたという。
香野木恵一郎と花山が彼らと会って話を聞いた。車長を務めていた1等陸曹が代表して答えた。
「私は隊の監視役として威力偵察に参加したのですが、同じ任務の連中が姿を消してしまって、これはヤバイと感じて逃げたんです。
私の女房は、地下の暮らしですっかり弱ってしまっていて、もし私がいなくなったら子供たち共々生きていけないと思って……。
加納3佐の直轄隊は食料が豊富だし、地上での生活もできますが、私たち一般人は、地下鉄の駅や地下街からなかなか出られなくて……。
闇で食料を手に入れないと、栄養に問題がある状態ですけど、直轄部隊には潤沢に食糧が配給されているようで……。
歩いてでも川越まで行くつもりだったんですが、同じ車輌の他の3人に感づかれてしまって……。
ですが、3人とも自己防衛は考えていて、何とクルマを隠している部下と散弾銃を隠し持っているヤツがいて、結局、乗員4人と自分たちの家族とで逃げることにしたんです」
香野木が直轄部隊について尋ねた。
「警務隊です。警務隊が直轄部隊なんです」
香野木は警務隊という言葉を知らなかった。花山が、「憲兵みたいなもの。隊内の犯罪を取り締まる仕事ね」と教えてくれた。
香野木は市ヶ谷台にいる普通の人々の状況が気になった。
「確かに、今年の春までは他よりはよかったと思います。あの冬を乗り切ったんですから。凍死者や餓死者がいなかったことは、市ヶ谷台を評価していいと思います。
でも雪が解けたあたりから、おかしくなり始めたんです。
加納3佐が陸上部を掌握して、政府の指示を無視するようになり……。
政府の偉いさんも銃を突きつけられてはね……」
花山が「塩田代表は?」と尋ねた。
「わからないです。何も。
私たちには皆目。手をこまねいているわけではないのでしょうが、総司令も何とかしようとはしているのでしょうけど……」
香野木が「加納3佐は何を狙っているの?」と尋ねると、「王様になりたいんだと思いますよ」と即座に答えが返ってきた。
香野木が「市ヶ谷台の生活はどう?」と尋ねた。
「山手線でいうなら、池袋から原宿あたりまでの比較的標高の高い地域に集まっています。いつ川が決壊するかわかりませんから。
ここの人たちのように地下鉄の車輌を地上に出せば、かなりの人たちが濁った空ですが太陽の下で暮らせるのに、そんなことはせず、ただ労力と資材のすべてをオークとかいう動物との戦いに投じてしまって、誰もが次の冬を越せるのか心配しているんです。
土地だって耕せば、少しは作物ができるだろうに、そんなことは考えず、何だか訳のわからない方向に向かっているようで……」
香野木と花山は、春以降の市ヶ谷台の変質に驚いた。だが、塩田代表は健在なようで、おそらく綱引きの真っ最中なのだろう、と想像した。
数日後、市ヶ谷台からランドクルーザー3輌に分乗した迷彩服を着た男たちがやってきた。
香野木と花山が地下施設前のトラックの荷台を利用した小屋で応対する。男は12人いた。井澤貞之と奥宮要介陸士長が外出していたので、こちらの15歳以上は9人。来訪者と比べれば劣勢だ。
いつでも飛び出せるよう、葉村正哉と金平彩華が対空自走砲に、結城光二と百瀬未咲がワスプに車庫の中で乗り込んだ。
井澤加奈子が地下施設の屋上で、89式小銃を手にして監視している。彼女が今できる最大限の仕事だ。これに来栖早希が加わった。
ラダ・ムーと加賀谷真梨は、これ見よがしにセンチュリオンに乗っている。
迷彩服の男たちは極めて高圧的で、彼らの要求は「脱走者を引き渡せ」というものだった。
名は名乗らず「警務隊だ!」とだけ言った。
渡せ、渡さないの押し問答があり、彼らが「きさまらの反抗的態度は我慢ならない。ここを破壊する」と言った。
香野木が「そうか、それでは開戦の挨拶代わりに、お前たちに死んでもらおう」と応じると、連中の顔色が変わった。
ここは市ヶ谷台ではない。警務隊など、どうということはない。殺してその辺に埋めてしまえば、永遠に行方不明だ。
花山が意地悪く、「それでは面白くない。渡良瀬川まで連れて行って、置いてくるのはどうだ。オークが喜ぶ」と言った。
各車輌に1人ずつ警務隊員が残っていたが、異変を聞きつけた北のグループが、すでに拘束していた。
南のグループは、M113装甲兵員輸送車を持ち出してきた。
気がつけば12人の警務隊員は、後ろ手に縛られて跪かされている。
彼らの顔は恐怖で歪んでいる。
そこに別の四駆がやってきた。今度はパジェロだ。
彼らは警務隊員をちらっと見ると、香野木たちに慇懃なほどの挨拶をした。
「特別警察隊の岩口と申します」と身分証明のようなものを見せた。
続けて「こちらに脱走者5名がいると聞いて尋ねてきました。彼らと会って話が聞きたいのですが……」
跪かされている警務隊の1人が「特警隊……」と言って絶句した。
香野木が「特警隊とはどういう組織ですか?」と尋ねると、「政府内部の犯罪を取り締まる組織です。自衛隊とは直接の関係はありません。一種の警察組織です。警察の捜査関係者や検察官、弁護士、会計士、税理士経験者で組織されています」と答える。
香野木が「政府内部の犯罪?」と疑問を示すと、「はい。6人の成人男性が行方不明です。その行方を捜査しています。
脱走者の捜査は私たちの仕事ではありません。私たちは彼らから話を聞きたいだけです。
また、警務隊にも興味はありません」とチラリと地面に跪かされている12人を見た。
川越出張所の男と1等陸曹が、特警隊の捜査に応じた。
彼らは3時間にわたって、自分たちが知っていること、自分たちが見たこと、自分たちの生命が狙われていること、城沼の戦いの詳細な情報を提供した。
特警隊は去り際も慇懃で、嫌みったらしかったが、「私たちは警務隊とは会いませんでした。もし、警務隊がここにいたのならば、2週間ほど市ヶ谷台に戻ってこれないと助かるのですが……」と言い残した。
つまり、この12人を相馬原で監禁しろと言うことだ。
12人は南のグループが連れて行き、特別な尋問をするそうだ。
全員の顔が恐怖で引きつっている。ここにやってきたときの横柄な態度は消え去り、早々と命乞いをするものまでいる。
10日後の夜、塩田代表本人から花山宛に無線が入った。
「塩田、です」で始まった会話は、端から見ているとおばさんの世間話のような口調なのだが、実際は相当に血なまぐさい内容だった。
行方不明の6人のうち2人は、加納3佐の指示で殺されていた。4人は隠れていて無事だった。
その他に、城沼の戦いの真実の状況を総司令部に上申しようとした尉官1人が殺されていた。
加納3佐は愛人宅で捕らえられた。
3人の殺害を指示した犯罪行為を裁くための即決裁判が開かれ、加納3佐に死刑が求刑され、判決は死刑。その日のうちに絞首刑が執行された。
彼が何を考えていたのかはわからないが、花山曰く「ただのバカだった可能性が高い」は説得力があった。
これ以後、市ヶ谷台は2度目の冬を乗り切るための準備に邁進することになる。
今年は榛名山の八合目以上は雪が解けなかった。気温が25度を超えたことは2度しかない、雨が少なく寒い夏だった。
相馬原のメンバーは環境の激変に戸惑いながらも、必死で生き残る術を探していた。
市ヶ谷台の戦力は不明だが、10式戦車、90式戦車、74式戦車、87式自走高射機関砲、99式自走155ミリりゅう弾砲、75式自走155ミリりゅう弾砲、89式装甲戦闘車、各種装軌・装輪装甲車を保有しているはずだ。
少しでも雨が降れば泥濘になる。この状況では装輪車輌は使えない。戦車を中心とした装軌車輌による部隊編制になるだろう。
市ヶ谷台は台湾からM60パットン戦車20輌を購入し、さらに同系戦車30輌を入手したという噂がある。
また、相馬原が横取りされたM48Hの同型も相当数を台湾から買っているらしい。
花山真弓の推測だが、市ヶ谷台は戦車だけで100輌近く保有している。
これだけの戦車を集めた理由は、欧州戦線や中央アジア戦線での戦車の有効性を示す情報に触発されたものだろう。
だが、普通の鉄製装甲では、オークの武器は簡単に貫通させられる。それを防ぐ方策を講じていなければ、戦車の装甲は無力だ。
複合装甲ならば、ある程度は対抗できるだろうが、備えているのは戦後第三世代以降だ。
それに車体全体ではない。ごく一部だ。
相馬原のメンバーは装甲車輌を手に入れた集団に、車体や装甲に何らかの耐熱処理を施すよう助言していた。各集団は複数回オークと戦闘しており、相馬原の助言を素直に受け入れていた。
多くは耐熱タイルを貼ったり、耐熱塗料を塗っている。当然、重くなり機動性が落ちるので、何らかの軽量化やエンジンの出力向上は必要になるが、そんなことができるほどの資材は誰にもない。
もちろん市ヶ谷台にも伝えたが、この助言を受け入れた様子はない。
川越には市ヶ谷台からの出張所、有り体に言えば監視所がある。市ヶ谷台は川越以北の監視を、ここで行っていた。
だが、同時に川越以北の人々が、市ヶ谷台の動向を知る情報源にもなっている。
この監視所が威力偵察の噂の出所であった。
オークの乗り物は、バイクのように跨がるものと、全長4.5メートル、全幅2メートルほどの貨物輸送用タイプが目撃されている。どちらも低空を飛行し、バイクタイプは時速100キロ程度出せる。輸送タイプは最大でも時速40キロ程度だ。乗り物数は圧倒的に輸送タイプが多い。
ラダ・ムーの話では、これ以外の乗り物はないという。
相馬原のメンバーは、今後の参考にするため市ヶ谷台の威力偵察を見ておきたかった。
それは各グループも同じで、いろいろと算段をしているようだ。
利根川と渡良瀬川に挟まれた一帯は、利根川右岸に勢力を持つヒト側と、渡良瀬川左岸の佐野付近に降りたオーク側との緩衝地帯のようになっていた。
ヒト側は物資を求めて、館林、太田、伊勢崎にたびたび進出していたが、ここでオークに捕らえられるヒトは少なくなかった。
逆にオークを発見し、先制攻撃で撃退することもあった。ある小さなグループが捕まった仲間を取り返すために、多数のオークを生け捕りにしたという噂もある。
過去はどうあれ、現在ではオークにとってヒトは、恐ろしい動物であるはずだ。
市ヶ谷台の威力偵察隊が東新宿を出発したという情報は、その日の午後には相馬原にも届いた。井澤貞之が懇意にしている川越の何でも屋が無線で知らせてくれた。
その直後、“グミのおじちゃん”も知らせてきた。羽生付近に浮橋を設置しているという。
相馬原からは100キロあるが、事前に計画していたとおり、対空自走砲1輌、装甲輸送車1輌、APCで偵察に出発する。
対空自走砲には葉村正哉と金平彩華、装甲輸送車には奥宮要介陸士長とラダ・ムーが乗った。APCには指揮官として花山真弓、操縦手として加賀谷真梨、機関銃手として百瀬未咲が乗る。
総重量が50トンを超える90式戦車、M60、M48Hを渡河させることに、威力偵察部隊は手間取った。重量が40トンに満たない2輌の74式戦車は簡単に渡ったが、浮橋の浮力が足りず、改修しているうちに時間が経過していく。
それもあって、花山たちは、威力偵察部隊が渡河し終えていない状況で、彼らを視認した。
彼女たちは前橋付近で利根川を渡河し、左岸を南下して羽生付近に達していた。
周囲は丈の低い雑草が生えた草原で、一部は湿地になっている。渡良瀬遊水池から城沼、多々良沼付近は湿地で、機動戦を行うには向いた地勢ではない。
しかも敵は低空を飛ぶ。正常な判断をするならば、こんな場所で戦いを挑む理由が見つからない。理由があるとすれば、川越付近からやってきたギャラリーたちに見せつけることか?
見物人がいるわけではない。相馬原のような戦闘状況を観察しにやってきた、川越以北の集団の偵察隊に対してだ。
市ヶ谷台のご威光を見せたいのかもしれない。確かに戦車30輌は大部隊だ。
花山が確認しただけで、観戦部隊は10隊を超えていた。
威力偵察部隊も北関東のグループの存在を知っていて、様子をうかがっている。
花山隊は、威力偵察部隊を追って城沼方面に向かった。2000メートル以上の距離を保っているが、遮蔽物がまったくない平地なので空中からは丸見えだ。
戦闘になれば、花山隊にオークが攻撃を仕掛ける可能性が高い。それは他の隊も同じで、城沼に近付くにつれ、追求してくる隊が減っていく。
東北自動車道の痕跡をたどるように、オークが現れた。乗り物の数は約40。
すぐに戦闘が始まったが、軟弱な地面に履帯が沈み、戦車の動きは緩慢だ。
また、105ミリ戦車砲ではオークや、オークの乗り物には威力が過大で、耐熱対策を施していない装甲は脆弱すぎた。
1輌の89式装甲戦闘車が奮戦しているが、戦車は右往左往するだけ。砲塔上のM2重機関銃だけが、必死に反撃している。
ヒト側のほうが射程が長く、オークを近付けなければ優勢に戦闘できるが、接近されると戦車は光の矢と鞭で簡単に破壊される。
74式戦車とM60戦車各1輌が破壊されたところで、威力偵察部隊は撤退行動に移った。
89式装甲戦闘車は奮戦しているが、たった1輌ではどうにもならない。
74式戦車とM60戦車から各4人が脱出すると、それをオークが追いかける。
花山隊は放っておくわけにいかず、この8人の救出に向かう。
装甲輸送車の3銃身20ミリガトリング砲が咆え、対空自走砲の35ミリ機関砲が震えると、オークやオークの乗り物に命中し、次々と撃墜していく。
射撃統制装置は完全に機能し、オークの機動に完璧に追従する。
車内容積に余裕がある装甲輸送車は、擱座したM60まで走り、後部乗降ドアを開けて2人を救助。APCは、行動不能となった74式戦車の乗員4人全員を回収した。
M60の乗員2人の状況は不明で、オークに連れ去られた可能性が高い。
対空自走砲と装甲輸送車の反撃は、オークを激しく動揺させ、結果として威力偵察部隊の撤退を支援した。
また、他のグループの2隊がオークの一部を引きつけ、市ヶ谷台の撤収を側面支援した。
また、オーク側も損害を恐れたのか、追撃してこなかった。
結局、オーク側は4または5機を失い、6体ほどの損害を出した。ヒト側は、市ヶ谷台が戦車2輌を失い、人的被害は2人だった。
戦闘時間は15分程度で、確かに多くの教訓を得たが、必要のない戦いでもあった。
意味のない戦いで、人的被害が出たことは、真の意味で無駄死である。
だが、装甲輸送車の砲手を担当し、M60の乗員2人を救出したラダ・ムーは、そうは考えなかった。
花山隊は熊谷付近で利根川を渡河し、川越まで戻って、救出した6人を市ヶ谷台の川越出張所に引き渡すとき、ラダ・ムーはM60の乗員2人に対して、「オークは攻撃されるとは思っていなかったはずだ。それに、少しだが損害も与えた。決して、きみたちの行為は無駄ではない」と言った。
それは、ラダ・ムーの本心であった。
この6人から得た情報もある。M60の乗員は召集隊員であった。
自衛隊は改組されて陸海空からなる新しい自衛隊となり、新自衛隊の総司令官は自衛隊で生き残った特科出身で最上位階級の旧陸上自衛隊1佐だという。旧海上自衛隊と旧航空自衛隊の最上位階級は2佐だった。
だが、自衛隊陸上部は実質的に加納という3佐が仕切っているようだ。
今回の作戦も加納3佐が立案し、招集隊員を捨て駒にしてオークの出方を探ろうとしたらしい。
74式戦車の乗員は自衛隊の出身で、どうも督戦隊の意味があったようだ。つまり、M60に乗る招集隊員の車輌が後退することがあれば、自衛隊出身が乗る74式が撃つ、ということだ。74式の乗員はそれが嫌で先陣を切ったらしい。
いささか、物騒な臭いがしてきた。
自衛隊海上部と航空部は、陸上部とは距離を置いていて、今回の作戦には一切関与しなかった。
M60の乗員からは、「加納3佐には私設部隊がある」という発言もあった。
花山たちは、彼らから聞いた情報を一切他言せず、川越を去った。
花山隊が相馬原に戻ると、全員無事であったことから、子供たちがはしゃぎ回り、ちょっとした騒ぎになった。
6日後、川越の人々が東松山西側の丘陵地帯に移動するという情報が飛び込んできた。どうも、市ヶ谷台と関係があるらしく、彼らの侵攻を恐れてのことらしい。
この日、市ヶ谷台の川越出張所の“役人”が妻子を連れて相馬原にやってきた。
彼は、自分と妻子を保護して欲しいと懇願した。城沼の戦闘において、相馬原が救助した6人は市ヶ谷台帰還後に拘束され、所在がわからないという。
殺された、という噂もあるらしい。
加納3佐は、先の威力偵察作戦、関東北部の人たちは“城沼の戦い”と呼んだ、を正確に市ヶ谷台政府に報告しないらしい。
どうも、戦車2輌、隊員2人不明、敵の乗り物5撃破、敵多数死傷と報告したようだ。
事実ではあるが、横から手を貸して撤退を側面支援した関東北部の協力者たちのことを忘れている。
つまり、事実ではあるが、都合の悪い部分は隠した、ということだ。
そして、この都合の悪い事実を知っているヒトを葬ろうとしている、と加納3佐は関東北部の人々から疑われている。
この家族は、北のグループに預かってもらった。
その翌日には、警察のランドクルーザーに乗った男性4人と2家族が、南のグループに逃げ込んできた。
男性4人は自衛隊の出身で、破壊を免れた74式戦車の乗員だったそうだ。破壊された74式戦車の乗員が拘束されたことから、身の安全がなくなったことを悟って、市ヶ谷台から逃げてきたという。
香野木恵一郎と花山が彼らと会って話を聞いた。車長を務めていた1等陸曹が代表して答えた。
「私は隊の監視役として威力偵察に参加したのですが、同じ任務の連中が姿を消してしまって、これはヤバイと感じて逃げたんです。
私の女房は、地下の暮らしですっかり弱ってしまっていて、もし私がいなくなったら子供たち共々生きていけないと思って……。
加納3佐の直轄隊は食料が豊富だし、地上での生活もできますが、私たち一般人は、地下鉄の駅や地下街からなかなか出られなくて……。
闇で食料を手に入れないと、栄養に問題がある状態ですけど、直轄部隊には潤沢に食糧が配給されているようで……。
歩いてでも川越まで行くつもりだったんですが、同じ車輌の他の3人に感づかれてしまって……。
ですが、3人とも自己防衛は考えていて、何とクルマを隠している部下と散弾銃を隠し持っているヤツがいて、結局、乗員4人と自分たちの家族とで逃げることにしたんです」
香野木が直轄部隊について尋ねた。
「警務隊です。警務隊が直轄部隊なんです」
香野木は警務隊という言葉を知らなかった。花山が、「憲兵みたいなもの。隊内の犯罪を取り締まる仕事ね」と教えてくれた。
香野木は市ヶ谷台にいる普通の人々の状況が気になった。
「確かに、今年の春までは他よりはよかったと思います。あの冬を乗り切ったんですから。凍死者や餓死者がいなかったことは、市ヶ谷台を評価していいと思います。
でも雪が解けたあたりから、おかしくなり始めたんです。
加納3佐が陸上部を掌握して、政府の指示を無視するようになり……。
政府の偉いさんも銃を突きつけられてはね……」
花山が「塩田代表は?」と尋ねた。
「わからないです。何も。
私たちには皆目。手をこまねいているわけではないのでしょうが、総司令も何とかしようとはしているのでしょうけど……」
香野木が「加納3佐は何を狙っているの?」と尋ねると、「王様になりたいんだと思いますよ」と即座に答えが返ってきた。
香野木が「市ヶ谷台の生活はどう?」と尋ねた。
「山手線でいうなら、池袋から原宿あたりまでの比較的標高の高い地域に集まっています。いつ川が決壊するかわかりませんから。
ここの人たちのように地下鉄の車輌を地上に出せば、かなりの人たちが濁った空ですが太陽の下で暮らせるのに、そんなことはせず、ただ労力と資材のすべてをオークとかいう動物との戦いに投じてしまって、誰もが次の冬を越せるのか心配しているんです。
土地だって耕せば、少しは作物ができるだろうに、そんなことは考えず、何だか訳のわからない方向に向かっているようで……」
香野木と花山は、春以降の市ヶ谷台の変質に驚いた。だが、塩田代表は健在なようで、おそらく綱引きの真っ最中なのだろう、と想像した。
数日後、市ヶ谷台からランドクルーザー3輌に分乗した迷彩服を着た男たちがやってきた。
香野木と花山が地下施設前のトラックの荷台を利用した小屋で応対する。男は12人いた。井澤貞之と奥宮要介陸士長が外出していたので、こちらの15歳以上は9人。来訪者と比べれば劣勢だ。
いつでも飛び出せるよう、葉村正哉と金平彩華が対空自走砲に、結城光二と百瀬未咲がワスプに車庫の中で乗り込んだ。
井澤加奈子が地下施設の屋上で、89式小銃を手にして監視している。彼女が今できる最大限の仕事だ。これに来栖早希が加わった。
ラダ・ムーと加賀谷真梨は、これ見よがしにセンチュリオンに乗っている。
迷彩服の男たちは極めて高圧的で、彼らの要求は「脱走者を引き渡せ」というものだった。
名は名乗らず「警務隊だ!」とだけ言った。
渡せ、渡さないの押し問答があり、彼らが「きさまらの反抗的態度は我慢ならない。ここを破壊する」と言った。
香野木が「そうか、それでは開戦の挨拶代わりに、お前たちに死んでもらおう」と応じると、連中の顔色が変わった。
ここは市ヶ谷台ではない。警務隊など、どうということはない。殺してその辺に埋めてしまえば、永遠に行方不明だ。
花山が意地悪く、「それでは面白くない。渡良瀬川まで連れて行って、置いてくるのはどうだ。オークが喜ぶ」と言った。
各車輌に1人ずつ警務隊員が残っていたが、異変を聞きつけた北のグループが、すでに拘束していた。
南のグループは、M113装甲兵員輸送車を持ち出してきた。
気がつけば12人の警務隊員は、後ろ手に縛られて跪かされている。
彼らの顔は恐怖で歪んでいる。
そこに別の四駆がやってきた。今度はパジェロだ。
彼らは警務隊員をちらっと見ると、香野木たちに慇懃なほどの挨拶をした。
「特別警察隊の岩口と申します」と身分証明のようなものを見せた。
続けて「こちらに脱走者5名がいると聞いて尋ねてきました。彼らと会って話が聞きたいのですが……」
跪かされている警務隊の1人が「特警隊……」と言って絶句した。
香野木が「特警隊とはどういう組織ですか?」と尋ねると、「政府内部の犯罪を取り締まる組織です。自衛隊とは直接の関係はありません。一種の警察組織です。警察の捜査関係者や検察官、弁護士、会計士、税理士経験者で組織されています」と答える。
香野木が「政府内部の犯罪?」と疑問を示すと、「はい。6人の成人男性が行方不明です。その行方を捜査しています。
脱走者の捜査は私たちの仕事ではありません。私たちは彼らから話を聞きたいだけです。
また、警務隊にも興味はありません」とチラリと地面に跪かされている12人を見た。
川越出張所の男と1等陸曹が、特警隊の捜査に応じた。
彼らは3時間にわたって、自分たちが知っていること、自分たちが見たこと、自分たちの生命が狙われていること、城沼の戦いの詳細な情報を提供した。
特警隊は去り際も慇懃で、嫌みったらしかったが、「私たちは警務隊とは会いませんでした。もし、警務隊がここにいたのならば、2週間ほど市ヶ谷台に戻ってこれないと助かるのですが……」と言い残した。
つまり、この12人を相馬原で監禁しろと言うことだ。
12人は南のグループが連れて行き、特別な尋問をするそうだ。
全員の顔が恐怖で引きつっている。ここにやってきたときの横柄な態度は消え去り、早々と命乞いをするものまでいる。
10日後の夜、塩田代表本人から花山宛に無線が入った。
「塩田、です」で始まった会話は、端から見ているとおばさんの世間話のような口調なのだが、実際は相当に血なまぐさい内容だった。
行方不明の6人のうち2人は、加納3佐の指示で殺されていた。4人は隠れていて無事だった。
その他に、城沼の戦いの真実の状況を総司令部に上申しようとした尉官1人が殺されていた。
加納3佐は愛人宅で捕らえられた。
3人の殺害を指示した犯罪行為を裁くための即決裁判が開かれ、加納3佐に死刑が求刑され、判決は死刑。その日のうちに絞首刑が執行された。
彼が何を考えていたのかはわからないが、花山曰く「ただのバカだった可能性が高い」は説得力があった。
これ以後、市ヶ谷台は2度目の冬を乗り切るための準備に邁進することになる。
今年は榛名山の八合目以上は雪が解けなかった。気温が25度を超えたことは2度しかない、雨が少なく寒い夏だった。
相馬原のメンバーは環境の激変に戸惑いながらも、必死で生き残る術を探していた。
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