大絶滅 5年後 ~自作対空戦車でドラゴンに立ち向かう~

半道海豚

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第2章 相馬原

02-032 最初の春

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 4月上旬、相馬原周辺から雪が消え始める。平地から完全に雪が消えたのは、4月下旬になってからだ。それでも、周囲の山々、榛名山の中腹以上は雪に覆われていた。
 利根川の水量は増しているが、決壊の危険は、少なくとも相馬原周辺では低いように感じていた。

 花山真弓の努力の甲斐なく、89式小銃の弾倉は見つからなかった。だが、2挺しかない64式小銃の弾倉は20個ほどを見つけている。
 相馬原のメンバーは、食料、武器・弾薬は比較的豊富に保有している。しかし、衣類は決して豊かではない。今冬の最低気温は氷点下20度を下回ったことが数回あった。相馬原は、極寒の中で行動するための装備を絶対的に欠けていた。
 次の冬までにこの状況を打開したい。それができなければ、生存は難しい。

 4月中旬になると、秩父グループと思われる連中が相馬原周辺に現れるようになった。
 また、渋川、前橋、高崎、藤岡、安中、伊勢崎などの都市部にいるヒトからの接触も増えていく。
 彼らは総じて、独立心が豊かで、かつ精神的に強いのだが、秩父の連中を恐れている。
 また、彼らの多くは、新座園子が秩父を掌握して以後に秩父一帯から離れたヒトが多い。5人や10人の小集団では、秩父の暴力に対抗できないので、数百人規模の集団を形成している。
 秩父グループは冬の間にさらに減じ、市ヶ谷台は1000人を割り込んだと推定している。
 雁坂峠グループは、完全に秩父グループから離脱して、雁坂トンネル周辺を要塞化したという。
 正丸峠グループは厳冬期に市ヶ谷台への合流を決行していた。
 それでも、秩父グループは侮りがたい戦力を保有している。少なくとも装甲兵員輸送車1輌、軍用小銃多数を保有している。
 中核の武装兵は50人程度だが、最大200人規模の動員ができる。不本意ながら従うものと、お調子者が構成員の大半らしい。
 知性と暴力は無関係なのだから、どちらにしても、大勢に対して小集団での対抗は無理だ。
 秩父グループと出会ったら、逃げるか、隠れるか、捕らえられるか、の三択しかない。捕らえらたら、悲惨だ。男はなぶり殺し、女は年齢にかかわらず性暴力にさらされる。
 秩父グループは、日章旗をはためかせているという。
 また、市ヶ谷台を目の敵にしているが、それよりも秩父グループから離反したヒト、そして秩父グループを崇めない小集団が憎いらしい。
 その筆頭が離反した雁坂グループ、その2が栃木の集団である中禅寺湖グループ、その3が相馬原だ。
 雁坂グループと中禅寺湖グループは、想像を絶する今冬の寒さから、次の冬までに市ヶ谷台への移動を決定している。
 また、伊豆や箱根のグループも市ヶ谷台への移動を決めているという。
 こうなると、秩父グループの獲物、正確には新座園子とその取り巻きの目標は、関東平野各都市部跡で生き残りをかけている小集団ということになる。
 市ヶ谷台は秩父グループとは呼ばず、新座グループと呼称していた。新座グループは自分たちを“日本国正統政府”と呼んでいる。

 小集団にもいろいろあり、単に孤高なヒト、宗教がかったヒト、オカルト的思考のヒト、何らかの事情で大集団には入れないヒト、そして混乱期に山賊行為を働いた連中がいた。
 宗教やオカルト的思考、犯罪行為者を除けば、相馬原とはごく普通のつきあいがある。
 利根川で漁業を行う人たちがいて、彼らから魚を分けて貰うこともある。イワナやアマゴ、中流域の人から1メートル近いハクレンを購入したことも。
 買うといっても物々交換なのだが、相馬原のメンバーは主に燃料を使っていた。軽油10リットルで、イワナ5匹みたいな交渉だ。
 地下のサルベージが専門のグループもいる。衣料品や生活必需品などは、彼らからも入手できる。

 相馬原は、そんな小集団の1つであった。

 佐野のオークは、当初は行動が激しかったが、降雪の直前には目立った活動を停止した。
 ヒト狩りは初期には成功したが、ヒト側が警戒し武装すると、逆に徹底的な反撃に遭い甚大な被害を被ることが多かったらしい。
 ヒトを捕らえたものの、ヒト側にオークが生け捕りにされて、まったく言葉が通じないのに、捕虜交換のように取り返した集団もいるようだ。

 オークは、完全にあてが外れてしまっているようだ。
 食人動物は、想定外の状況に戸惑っているのかもしれない。
  4月の終わり、渡良瀬川で魚を捕っているオークの小集団がいた。オークには釣り竿も漁網もない。しかし、あり合わせの道具で必死に魚を追いかける様子が目撃された。
 彼らも食料に困っているようだ。だからといって、我が身を差し出すヒトはいない。

 ただ、コミュニケーションが不可能だということは確からしい。
 市ヶ谷台が佐野に送った交渉人は、捕らえられ、おそらく食われた。これは、市ヶ谷台からの直接情報だ。
 オークもいずれは食料が欠乏する。その前に、オークとの一大決戦があるだろう。
 ヒト対オークによる種の生存をかけた戦いが。
 その前に背後の憂いである新座グループを潰したい。

 雪解けとともに、香野木恵一郎と葉村正哉は、農業用トラクターに乗って関越トンネルに向かった。発電するための電動モーターを探すためだ。
 しかし、そこには大勢のサルベージ屋が集まっていた。
 関越トンネルの群馬側も崩落していたが、彼らは新潟側を含めて掘削して、関越トンネルを再貫通させていた。
 谷川パーキングエリア跡にずらりとクルマが並べられ、ちょっとした中古車屋だ。新潟側の土樽パーキングエリア跡も同じような状況らしい。こちらは一時的なデポで、修理の上、自走可能になると群馬側に運んでくる。
 キーのないクルマは、新しくキーを作るし、故障車は板金を含めて修理されている。
 さらにサルベージ屋は、JR清水トンネル内から列車を牽引して地上に引っ張り出してもいる。
 ここから物資を持ち帰る、という選択肢はなかった。
 買わなければならない。
 代価は、食料か燃料だ。
 香野木と正哉は、相互に見やって、苦笑いをし、相馬原に手ぶらで引き上げた。
 だが、彼らから発電用の機材は確実に入手できるだろう。

 5月に入ると、相馬原には行商の家族がやってくるようになった。40歳代の父親と母親、10歳代後半の男の子2人と女の子1人の5人家族だ。
 消滅現象以前は、環八沿いで小さな中古車店を営んでいたという。
 トイレットペーパーやティッシュから、対戦車無反動砲まで、食料以外なら何でも用意するという。子供たちが欲しがる玩具の類も豊富だ。農業用トラクターで、自作の大型トレーラーを牽引している。
 ジェリカン満タンの軽油で、かなりの生活必需品が買える。鍋とフライパンも彼らから買ったし、炭も分けてもらった。
 花山が「複合装甲の戦車が欲しい」と、不可能極まるリクエストを出すと、男はちょっと考えた。
「戦車だけでいいのか?」
「主砲弾は必ず。同軸機関銃と砲塔上の12.7ミリはなくても我慢する」
 花山がそう答えると、男は応えた。
「1週間後に、息子を使いに送る。それまで待ってくれ」
 その行商の男は、由衣と愛美から“グミのおじちゃん”と呼ばれ、大人たちもそう呼んだ。

 5月中旬、畠野史子3曹が女の子を産んだ。母親によって、綾乃と名付けられた。

 井澤貞之と奥宮要介陸士長が利根川までの道路を、大型ブルドーザーを使って造った。もちろん舗装路ではないが、路面に川石を敷き詰めて、ぬかるむことはない。ただし、走り心地は最低だ。
 利根川までの道ができると、笹原大和が毎日のように釣りに行った。安全のため結城光二か正哉が必ず同行したが、かなりの釣果で、ヤマメが10尾も釣れたことがある。
 相馬原のメンバーにとっては、貴重な動物性タンパク源だ。
 困ることは、子供たちが水辺に行きたがること。周囲には小河川が多く、子供が近付きたくなる面白そうで危険な場所が多い。

 もう1つ、驚くべきことがある。
 4月中旬、まだ雪がたくさん残っている頃、由衣と愛美が相馬原駐屯地北側を流れる小川の近くで、あるもの見つけた。
 それを少しお兄ちゃんの大和に伝え、大和が来栖早希に知らせた。大和ならば、水辺に近付いても怒られないからという、子供なりの計算だったらしい。
 来栖は驚いた。たった1株だが、そこにはミズバショウが芽吹いていた。
 それ以来、雪原の後退と同期するかのように草原が広がっていった。背丈の低い雑草のような草だが、大地は再生を始めている。
 水辺にはアシ(葦)のような背丈の高い草も群生し始めている。
 来栖は、駐屯地に隣接する相馬原演習場を開墾するといって、農機の購入を主張している。演習場よりも、水田があったあたりのほうがいい、との意見もあり、相馬原のメンバーも前向きな気持ちになっている。
 実際、駐屯地北側に隣接する農地付近にジャガイモを植えている。気候が激変しているので、うまくいくかは不明だが、そこそこの規模で実験中だ。

 子供たちが“グミのおじちゃん”と呼ぶ男の息子は、約束通り1週間後に現れた。
 この頃、地下施設から100メートルほど利根川方向に下った場所に、トラックのアルミパネル荷台を改造した小屋を置いていた。
来客の応対は、この小屋を使うことが多かった。
〝グミのおじちゃん〟の息子は、花山が現れるまで結城と親しげに会話していた。ごく普通の若者だが、ひどく新座グループを憎んでいる様子だという。
 息子は花山に「最新型の戦車は見つかりませんが、ちょっと古めの戦車なら用意できます。105ミリ砲です。
 台湾陸軍が使っていたM48Hというアメリカ製の戦車です」と告げる。
 花山は結城に加賀谷真梨を呼んでくるように頼んだ。
 花山は加賀谷真梨が来るまでに、M48Hの由来を尋ねた。
「市ヶ谷台が戦車を探しています。
 市ヶ谷台は、かなりの数の戦車を集めているそうです。ほとんどは国産の74式、90式、10式ですが、再生した61式もあるとか。
 さらに、最近台湾からM60を20輌買ったそうです。台湾からは米軍がM48Hと呼ぶ旧式まで購入を検討しているとか。
 M60の代金は金塊だったと聞いています。
 これは台湾の同業者からの情報なので、確かです。
 で、別の台湾の業者が、別の日本の業者と組んで、台湾陸軍が保有していたM48Hパットン戦車を市ヶ谷台に売り込もうとしました。
 1輌をサンプルとして、艀に積んで運ぶ途中艀との曳航索が切れて漂流してしまい、茅ヶ崎あたりの海岸に漂着したそうです。
 かなりの塩水を被っているけれど、動きます」
 加賀谷真梨がやってきた。
 花山が加賀谷真梨に、「アメリカのM48という古い戦車があるんだけど、太平洋を漂流していた車輌が売りに出ているんだって。
 そんな戦車でも直せる?」
「大砲は?」
「105ミリライフル砲」
「それでいいの?
 いいなら、やるしかないわね」
「砲塔が旋回して、主砲が撃てるだけでいいの。あとは我慢する」
「そういうわけにはいかないでしょ。ここには、私も彩華ちゃんもいるんだから」
 花山は“グミのおじちゃん”の息子に向き直った。
「代金は?」
「燃料20キロリットル。輸送費別で」
「戦車はこちらから取りに行く。代価はケロシン20キロリットル、容器別で。
 どう?」
「ケロシンって何ですか?」
「ジェット燃料よ。灯油と互換、灯油は軽油と互換」
「親父に聞いてみないと……。
 でも、鉄屑で買ったものだからOKでしょ」
「鉄屑を売りつけたの?」
「盛大に海水を被った戦車のなんて、鉄屑ですよ」
「そうね」
 商談が成立した。

 戦車の輸送方法が最大の懸案だし、ケロシン20キロリットルを入れる容器も問題だった。
 M48Hはアメリカ製の戦車だが、M60A3の車体にM48A1の砲塔を載せ、主砲を51口径105ミリライフル砲に換装している。台湾陸軍は450輌ほどを配備していた。台湾では、CM11勇虎と呼ばれている。主砲は自衛隊の74式戦車とほぼ同じだ。。
 その戦車は、荒川沿いの川越付近にある。この一帯は、物資のサルベージを生業とする人たちの拠点で、新座グループも手を出せないし、市ヶ谷台の勢力圏外でもある。
 問題は熊谷付近から前橋あたりまでが、新座グループの行動圏で、ここを通過する際に襲撃を受ける危険があった。

 戦車の入手は、生き残るために絶対に必要だった。
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