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第2章 相馬原

02-025 交戦

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 そして、オークはやってきた。市ヶ谷台でも、秩父でもなく、相馬原に。

 連日の雪が降り止んだ10月下旬、太陽が昇り、わずかだが気温が上昇した日中、子供たちは車庫の前で雪だるま作りに夢中になっていた。
 大人たちは、雪の影響から監視カメラを守るため、設置位置を高くしようと少ない資材をやり繰りしている。
 見張りは葉村正哉と百瀬未咲が担当している。2人は施設の屋上にいる。
 夏見智子が赤ちゃんに太陽を見せたいと、車庫の出入り口付近まで出ている。
 子供たちの歓声が榛名山に反響する。
 穏やかな1日になるはずだった。

 百瀬未咲は、かつて上越新幹線や関越自動車道があった方向である東側を肉眼で監視していた。
 未咲は正哉の肩を叩いた。
「双眼鏡貸して」
「何か見えるの?」
 未咲が指さす方向を正哉が見ると、見たことのある空中を移動する乗り物が20機ほど、こちらに向かってくる。
「大変だ!
 オークが来た!」
 正哉は、自分でも考えられないほどの大声が出た。
 真っ先に反応したのは花山真弓で、子供たちを車庫に入れ、夏見智子も車庫に駆け込んだ。
 それは、何度か訓練したとおりの行動であった。
 施設の屋上に設置した銃座に一二・七ミリ機関銃を東西南北に各一挺ずつ据え付け、何人かがミニミを持って屋上に駆け上がり、15歳以下と夏見智子と畠野史子を除く、全員が戦闘配置についた。
 車庫のシャッターと内側の防火扉が閉じられ、階段も地下1階側でシャッターと防火扉が閉ざされた。
 その間、約3分。訓練の成果だ。
 地下2階では、畠野三等陸曹が無線で各地にオーク襲来を連絡しているはずだ。
 子供たちはモニター室向かいの部屋に集まり、夏見と由衣が守る。

 オークは様子をうかがう様子はなく、まっすぐに向かってくる。
 オークと戦った経験があるメンバーは、香野木、花山、金平彩華、正哉、そしてラダ・ムーの5人。
 来栖、真梨、結城、百瀬、奥宮陸士長の5人は未経験だ。
 そして、真梨は、いまでもオークをヒトだと考えている。ヒトに似た、あるいはヒトに近い生物ではあるが、ヒトではないということがどうしても理解できないらしい。
 話し合いで解決できるのでは、と考えている。
 結城と百瀬は、オークの人間狩りを複数回目撃していて、その恐ろしさを十分に知っている。
 奥宮陸士長は、オークについては半信半疑といったところだ。

 オークの進撃は、距離200メートルで停止した。相馬原側の射程内だ。
 彼らの乗り物は無音で、それもまた不気味だ。乗り物は雪面から数メートル上空で静止している。1機に10体ほどが乗っている。
 彼らが発する声が聞こえてくる。
「キッー」や「ガ、ガ、ガッ」とかで、言葉ではない。ただ、コミュニケーションは交わしているように感じる。
 この声を聞いた真梨が香野木に近付き、「本当に人間とは違うような……」と言った。
 そして、すぐに持ち場に戻る。

 花山が「まだ撃つな!」と命じる。
 オークの1体が乗り物から飛び降りる。すると、胸まで雪に埋まった。身動きがとれないようだ。
 1機が雪面すれすれまで降下し、雪に埋まったオークが乗り物につかまると上昇して、雪から助け出した。その際の上昇高度は50メートルに達した。
 それを見た花山が「敵は空からも襲ってくる!」と注意を促す。
 ラダ・ムーの顔色が悪い。恐怖で顔が引きつっている。
 1体がオークたちの直近前方の雪面に光の矢を放った。一瞬で雪が解け、直径五〇メートルほどの土の地面が現れた。
 そこに一〇体ほどが降りた。
 ラダ・ムーが「捕獲した獲物をあそこに集める気だ」と。
 百瀬の息をのむ音が聞こえる。

 香野木は花山に「専守防衛はほどほどにして、先制攻撃しませんか?」と問うた。
 花山が「いま撃ったら虐殺でしょ」というと、ラダ・ムーが「でも、喰われたくないです!」と怒鳴った。
 次の瞬間、花山の「テッー」という号令で、東側に集まったミニミ4挺と12.7ミリ重機関銃が一斉に発射される。

 初戦は一方的だった。オークは自分たちが獲物として狙う相手の牙が自分たちまで届くことを知って、大混乱に陥った。
 四方に散開して、弾幕から抜け出し、全周から攻撃しようとしたが、相馬原側もすぐに全周防御に切り替え、弾幕を張った。
 オークの乗り物は、空中を移動するが高速では機動しない。敏捷だが、目測ではあるが最大でも時速40キロに達しない。通常はママチャリの全力疾走程度だ。
 また、どのような動力を使っているのかは不明だが、推進部ははっきりしている。2本のどんがらな円筒だ。想像だが、この円筒の前部から空気を吸い込み、後方に吐き出しているようだ。後方から吸い、前方に吐き出すこともできるようだ。
 また、5.56ミリ弾に対して無防備で、爆発や炎上はしないが、急所に命中すれば停止する。その急所だが、どうも円筒形の推進部らしい。
 12.7ミリ弾が命中すると、簡単に落ちる。落下して新雪に埋まると、オークたちは跳躍して逃げようとする。その跳躍力は凄まじく、100メートル以上跳ぶ。
 だが、ヒトの視力で追えるので、機関銃弾を浴びせて行動を阻止できる。
 また、彼らの防弾機能は限定的で、100メートル以内なら5.56ミリ弾でも確実に貫通する。
 5分ほどの戦闘で、乗り物の半数を撃墜し、約30体を殺した。
 5分間でオークが発射した光の矢は10発程度で、こちらの人的損害はなかった。
 オークは混乱すると統率がなくなり、単なる烏合の衆と化した。だが、逃げていく方向は同じなので、一定の行動の統一性はあるようだ。

 来栖は大喜びだ。彼女曰く「使い切れないほど標本が手に入ったわぁ~」と。
 ラダ・ムーは絶句していた。彼が必死に戦ってきた相手を、数分で退却させたのだから。
 花山の戦闘指揮は的確で、こちらの陣地には手足1本さえも掛けさせなかった。

 来栖は香野木たちを使役して、残存している弾薬庫へつながっていた長さ10メートルほどのトンネルに、オークの死体すべてを運び込ませた。
 真梨はオークの乗り物に興味があるらしく、状態のいい機体を車庫の前に運ばせた。
 香野木たちは初戦には勝ったが、それは戦いの第1歩に過ぎない。心を引き締めなくてはならないことは承知している。

 ラダ・ムーはモニター室にいた。真梨と彩華が、映像の状態をチェックしていて、それを無言で見ている。
 日没が近く、すでに外気は氷点下だ。カメラを設置する正哉と結城、そして奥宮陸士長のモニターに映る息が白い。
 香野木はラダ・ムーの隣に座った。
 彼は香野木を見た。
「今日使った武器が1つあれば、妹をオークにさらわれたりはしなかった」
 ラダ・ムーの眼は悲しそうだった。
 香野木は言葉がなかった。この男は、非常に重いものを背負っている。2万5000年間、背負い続けている。

 畠野陸曹は、花山から聞いた戦闘情報を、無線で市ヶ谷台と秩父に伝えた。
 今回は敵が混乱しただけで、次も同様の結果になるとは限らない。しかし、ヒトの武器が有効なことは事実だ。
 市ヶ谷台はオークの死体、装備、乗り物の引き渡しを要求してきた。
 畠野陸曹は即答せず「希望は代表者に伝える」と返した。
 相馬原は全員の総意として承知したが、輸送方法がないことを伝える。
 市ヶ谷台はV-22オスプレイを派遣すると伝えてきた。そんなものが残っているとは、いささか信じがたかったが……。

 翌朝、1機のオスプレイが飛んできた。胴体中央部側面と下面に小さな日の丸が描かれている。ダークブルーに塗装したUH‐60Jブラックホークが1機同行している。
 2機は相馬原駐屯地敷地外の平地に着陸し、ブラックホークから6人の自衛官が降りてきた。
 オスプレイからは後部のランプから2人降りてきたが、1個分隊程度が乗っている可能性がある。
 相馬原を制圧したい、という願望が彼らにある可能性は否定できない。
 ブラックホークからの6人が、こちらに向かおうとしているが、途中から雪が深く難渋している。
 花山は、この状況を支援するため、60式装甲車(60APC)を車庫から出して、圧雪を指示した。60APCは香野木が運転し、正哉がキューポラから身を乗り出して周囲を監視した。
 60APCの登場は相当に驚いたようで、この骨董品的装軌兵員輸送車を指さして、笑っている隊員がいる。
 彼らは忘れている。火縄銃でもヒトは殺せる。なぜなら、ヒトの身体は、500年前と変わらず、脆弱なままなのだ。
 60APCが装備する12.7ミリ機関銃は、第二次世界大戦以前に原型が完成しているが、21世紀に入っても主力大口径機関銃として運用されている。
 60APCは真梨が指揮して完璧に修理され、主兵装の12.7ミリ機関銃は、花山が完璧に整備した。
 大改造を施された車輌で、車体外形は60APCと大差ないが、中身はまったくの別物だ。相馬原の住人は、この車輌を単に“APC”と呼んでいた。
 APCは車体前方を南に向けて、オスプレイと地下施設の中間付近に陣取った。この配置は花山が命じたもので、不穏な事態になった場合、迷わずオスプレイとブラックホークを破壊する。

 地下施設入り口のシャッターは閉じられている。施設の屋上から、由衣と笹原大和が見物している。
 2人の姿を見せた理由は、子供がいることを彼らに確認させるためだ。

 市ヶ谷台からの使者は、「臨時政府から参りました渋川です」と名乗った。行政官らしい。護衛の自衛官は十分な装備だ。
 やりとりの一部始終は、全員がモニターしている。
 使者との対応は、花山と来栖、そして加賀谷真梨が担当した。
 結城と彩華が武装して、施設の屋上から警戒している。
「花山真弓です。こちらは来栖早希博士、加賀谷真梨です」
 全員が緊張する。
「例の生物の死体、装備、乗り物を回収させていただけますか?」
「結構です。乗り物は適当に回収してください。死体は来栖博士が対応します。装備は死体が着たままです」
 来栖が「未知の細菌やウイルスが付着している危険があるので、防護体制は整えてきましたか?」と尋ねた。
 自衛隊員に動揺が広がる。
 自衛隊の指揮官が「未知のウイルスの危険ですか?」
「はい。地球上の生物でしょうが、地球外からやってきたと推測しています。
 その点は、皆さんも同意されますね?」
 自衛隊の指揮官が88式鉄帽の縁を指で触った。
「そうとしか思えませんので……」
 渋川が発言した。
「あのぅ、来栖博士は専門家なのですか?」
「はい、専門家です。ヒトまたはヒトに近縁の生物の研究をしています。
 細菌やウイルスは専門外ですが、常識として可能性は考慮してしかるべきでしょう。
 その準備は、してこられましたね」
 自衛隊の指揮官が答えた。
「いや、死体を入れる密閉性の袋を持ってきただけです」
「それでは死体の件は後回しにして、撃墜した乗り物を回収してください」と花山が言った。
 自衛隊の指揮官が、隊員を促す。作業が始まると人手が足りず、案の定、オスプレイからも6人が降りてきた。
 奥宮陸士長がトラクターを運転して、作業を手伝う。
 由衣と大和が、興味深げに見ている。
 香野木は、その様子をAPCの運転席から出て、車体の上に立ち上がって見ていた。
 自衛隊の指揮官が「遅くなりましたが、航空自衛隊2等空佐、浜谷です。
 花山さんも同業ですか?」
「いえ、私は民間人です」
 花山は即答した。
 浜谷は話題を変えた。
「ここは寒いですね」
「東京よりも寒いですか?」
「ええ、寒く感じます。東京も白一色ですが、もう少し気温は高いかなと」
「寒いようでしたら、こちらへどうぞ」
 花山は、地下施設右側のダグイン用に整地した場所に張ったテントに案内しようとした。
「いや、ここで結構。みんな、働いていますし。
 渋川さんはどうぞ」
「いや、私も我慢します」

 敵であることが確実な、生物のサンプル回収が始まっていた。
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