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第1章 東京脱出
01-014 履帯
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夜明けと同時に彼らは行動を開始する。
花山真弓はパスタを茹で、ミートソースをかけた、彼らにとってはご馳走を用意してくれた。
金平彩華がちょっと涙ぐみ、由衣はニコニコして食べている。ケンちゃんはママに食べさせてもらい、葉村正哉は大盛りをがっついている。
香野木恵一郎は一口一口を味わっていた。
正哉が見つけたキャンプ用品の中にナイフとフォークのセット、割り箸があり、彼らは手づかみ以外の食事の方法を得ていた。
まだ薄暗いうちに昨日回収した銃の確認を行う。
彼らは、すでにライフル1挺と拳銃3挺を得ている。これ以上の武器が必要とは思えないが、自分たちが何を持っているのか、これは知っておくべきことだ。
1挺は古めかしい水平2連の散弾銃、1挺は第二次世界大戦時の小銃のように銃口部分まで木製ストックが覆っている半自動ライフル、最後の一挺はスタームルガー・ミニ14だ。
散弾銃は日本製らしい。ライフルはベレッタ製半自動で、弾は.308ウインチェスター。ミニ14はスタームルガー製の.232レミントン弾を使用する半自動の害獣駆除用猟銃。ブローニングとミニ14の装弾数は四発。
彩華が「玩具じゃないの」と疑問を呈したが、花山は実銃だといった。
花山は、ミニ14の弾を〝89式実包〟と呼び、ベレッタの弾を「64式の実包と同じね」といった。
香野木はかねてから疑問に思っていたことを言葉にした。
「花山さんは自衛隊にいたんですか?」
「1年前まで。辞めさせられたけど……」
彩華が「日本でセミオートの銃なんて所持してもいいの?」と花山に尋ねる。
「警察署長をした経験のある上官から聞いたのだけど、猟銃所持の許可があり、ライフルの所持と使用の資格があれば所有は許可されるそうよ」
正哉が「自衛隊って、警察と関係があるの?」とボソッと問う。
花山は「自衛隊で出世を望むなら、警察に出向することは1つの方法なの。昔はね」と正哉に教えた。
香野木は花山に「で、この銃はどうする?」と尋ねる。
「持って行きましょう。使うことがないように願って」
香野木は花山のその言葉に、一抹の不安を感じていた。
彼らは、用心を重ねている。怯えているともいえる。
何に対してか。
それはわからないが、ケンちゃんを含めて、何かに怯えていることは事実だ。ヒトにわずかだが残っている野生動物の本能みたいなものだ。
彩華は、太陽が完全に地平線から出ると同時に、地下室に入った。
由衣も入りたがり、少しだけ、という約束で地下に降りた。
香野木と正哉は、北に向かって偵察に出た。これは常時だが、香野木は拳銃を携行している。
正哉は水たまりを見つけて、頭を洗い。香野木も交代で顔を洗った。正哉はスポーツバックに入っていた少し茶色くなった白いフェイスタオルで頭から首までを拭き、香野木は手提げバッグに入れていたハンドタオルで拭いた。
いまでは、これらは二度と手に入らない物資かもしれない。
30分もすると偵察というよりは、そぞろ歩きの散歩のようになってしまった。
だが、それでも地面の下はよく見ている。
正哉が指さす方向を見ると、斜めに地下に向かう穴がある。
近付いて確認すると、その穴は東に向いており、縦横とも3メートルほどある。
地下駐車場への入口には見えない。
穴に入ると、すぐに閉まったシャッターに行き当たった。地上近くにあって、このような原形をとどめている人工物は初めてだ。
シャッターは地上から40センチほど下が消えており、上方だけが残っている。シャッターの直前までは土だが、シャッターの内側の床はコンクリートだ。
正哉が腹ばいになって中に入り、香野木が続く。
コンクリートのスロープは斜度が急で、公共の地下駐車場ではない。
LEDライトで照らしながら内部を進むと、すぐに広い空間に出た。
正哉が照らし出したのは、コンバインや田植機などの農作業用の機械だ。20台以上ある。
正哉が北側の壁を照らすと〝農機はレンタルの時代へ〟と書かれた幟が見える。ラーメン屋の店先に並べられるものと同じようなものだ。
正哉が「農機って、レンタルなんですか?」と香野木に尋ね、香野木は「まぁ、5年前まで、日本は何でも借りられる国だったからね」と知るはずのない知識を誤魔化した。
正哉が南側を照らすと、2トンと軽のダンプがある。さらに、小型のトラクター2台。それと一番奥にはミドルサイズの型式の古いワンボックスワゴンが停まっている。
香野木がワンボックスワゴンに向かうと、正哉が付いてきた。彼が付いてこなければ、何も見えないのだが……。
香野木が「動くかな」というと、正哉が「軽トラの方がよくないですか?」と応じた。
「まぁね。軽トラのほうがこの状況なら走るだろうし、このワンボックスワゴンじゃ地上に出るのがやっとでしょ。
でも、毎晩雨は降るし、ケンちゃんや由衣ちゃんは狭くて辛いだろうし……」
「荷物が多くなっているから……。
でも、軽トラが一台増えれば、少しはよくなるでしょ」
「葉村くん、あのシャッター、開けられるかな?」
軽トラが動いたとしても、シャッターが開かなくては外には出せない。
正哉と香野木は、シャッターまで戻る。
シャッター横のハンドルを回すと、少しずつ上がっていく。この手動の開閉装置は死んでいないようだ。
数分でシャッターを開けることができた。
だが、地上の光は地下まで十分には届かず、薄明るくなった程度だ。
地上に出るスロープの直近には、キャビンの付いた中型のトラクターがあり、このトラクターにフロントローダーが装着されている。
正哉は「このブルドーザーが動けば、荒川の浅瀬を埋められるかも、ですね」と少し冗談めいて言った。
「それも農業用トラクターだ。フロントのローダーはブルドーザーのブレードほど頑丈じゃない。
でも、葉村くんの案は使えるかもしれない。
もう少し、周囲をよく観察しよう」
香野木の提案で、2人は分かれて探索を始める。
香野木はパーティションで囲われた一画に向かう。
そこには事務机と観音開きのスチールロッカーが一つずつあり、車輌に関する書類などが机の上に整然と並べられていた。
机の引き出しを開けると、ハサミやカッターがあり、未使用のノートもある。
いまやこれらも貴重な資材なので、貰っていくことにして、自分の手提げバッグに入れた。
ロッカーには鍵がかかっていたが、その鍵は机の袖の引き出しの最上段に入っていた。
その鍵でロッカーを開けると、車輌のキーの束があった。
香野木は無意識にワンボックスワゴンのキーを探したが、この中にはない。
ワンボックスワゴンに向かいナンバーを見ると〝わ〟ナンバーではない。2トンと軽のダンプは〝わ〟ナンバーだ。
ワンボックスワゴンはレンタカーではなく、社用車のようだ。
香野木は、もう一度机に戻り、引き出しを物色していると、袖の2段目から見つけた。
たぶんワンボックスワゴンのキーだ。
そのとき、正哉が「香野木さん!」と大声で呼んだ。
香野木は驚き、声の方に向かう。
正哉は1匹の成犬まであと一息の子犬を抱いていた。子犬は震えていた。
ビスケットを与えると夢中で食べ、保護を求めるような潤んだ目で香野木を見つめた。
「連れて行こう」
「ですね!」
正哉は一呼吸置き「あとトラクターの後輪ですが、おむすび型のキャタピラがついています」
「キャタピラ?」
正哉が指さす。
「このイヌ、あのキャタピラーの後ろに隠れていたんです」といって、それにLEDライトを向けた。
「葉村くんは、俺たちが一番欲しいものを見つけたようだ」
「何なんです?」
「クローラー、ゴム製の履帯、パワクロとかいうヤツだと思う」
「トラクターってタイヤでしょ、普通は?」
「ああ、でもクローラーのほうが接地圧が低いから、悪路に強いんだ。後輪がクローラーのトラクターは珍しくないんだ。
あれがあれば、軟弱な田んぼや畑の中にも入っていける」
「それじゃ、あのトラクターは戦車みたいに走れるってことですか?」
「ほぼ、その通り。
俺たちは昨日に続いて、宝の山を見つけたようだな」
「何からします?」
「まず、あのワンボックスワゴンを調べよう」
「トラクターじゃないんですか?」
「あぁ、まずはワンボックスワゴンからだ」
ワンボックスワゴンはごく普通の3列シートの室内で、乗用仕様だ。前席2人、中席2人、後席3人の7人乗りで、シートはワゴンタイプのしっかりとした作り。後部荷室にはスペースがほとんどない。
走行は10万キロを超えているが、車内は全体的にきれいだ。
トランスミッションはオートマチック、エンジンは2リットルガソリン、駆動は後輪のみ。
そう珍しいクルマではないが、この状況でこのクルマを見つけたことは、幸運以外の何物でもない。
そして、キーを回すとエンジンは簡単に始動した。〝カードが挿入されていません〟とETCカードの挿入を促してくる。
香野木は、まずこのワンボックスワゴンを地上に出した。
スロープの途中から土になるが、ぬかるんではいないので、ワンボックスワゴンは登り切った。
そしてゆっくりと走って、サルベージ真っ最中の軽トラに戻る。
正哉はワンコと一緒にフロントローダー付きのトラクターのキーを探している。
ワンボックスワゴンは徒歩と大差ない速度で、走り始める。
ワンボックスワゴンが近付いていくと、花山はすぐに気付き、レミントンM700を手に取った。
香野木は100メートルまで近付いてから、クルマを止め、下車して両手を振った。
花山は、ライフルを軽トラの荷台に戻す。
由衣は地下と地上を往復しているようで、ワンボックスワゴンが軽トラの横に止まると、「おっきい自動車!」といって喜んだ。
花山は「このクルマでは、1キロも走れませんよ?」と、少し呆れたように香野木を見る。
彩華は香野木と花山の様子を地下から顔だけ出して眺めている。
香野木は花山の問いには答えず、「凄いですね。全部揚げたんですか?」
地下室の物資がほぼすべてサルベージされている。
香野木と正哉が出せなかったクーラーボックスまである。
「ここは宝の山でした。お米に小麦粉、パン焼き器に炊飯器、ガソリンも20リットル、カセットコンロにイヌのぬいぐるみまで……」
「イヌのぬいぐるみですか」
由衣が「ほらぁ~」と見せてくれる。クレーンゲームの景品のようなワンコだ。
由衣に「かわいいね。でも、おじちゃんたちの勝ちだよ。本物のワンコ見つけたから」
由衣はびっくりで、彩華が地下から飛び出てきた。
「本当ですか?」
彩華の問いに、香野木は首肯した。
由衣は「ワンちゃん、会いたい」と何度も訴える。
「イヌって、生きたイヌ?」と花山が問う。
「腹を空かせているみたいだが、元気だ。怯えているけど……」と香野木が答えると、由衣が「ワンちゃんのご飯」といって、ミニチュアダックスフントが描かれた大きな袋を持ち上げようとした。
「ところで、これだけの物資をどうやって運ぶの?」
「全部を軽トラに積み、運転手と子供を除いて他は歩く」
「それじゃ、雨が降ったらどうするの。毎晩雨が降るでしょ」
「テントを手に入れたわ」と、花山はターフの描かれた段ボール化粧箱を示す。
「それ、テントじゃなくてターフでしょ」
「似たようなものよ」
花山はアバウトすぎる。
「なので、このワンボックスワゴンが役立つように、もう一度戻る。
葉村くんが準備をしてくれている」
「……」
彩華が耐えきれなくなり、話に加わった。
「これだけの荷物、簡単には運べませんよ。それは、さっき花山さんもおっしゃってたじゃないですか?
あのワンボックスワゴンが動けば、役に立つと思うんですけど……」
花山が珍しく文句をいう。
「だいたい、香野木さんも葉村くんも、どちらもアバウトすぎるんです。これだけの物資がありながら、調べなかったのと同じでしょ」
彩華が「2人とも喧嘩はやめてください」と仲裁する。
別に喧嘩をしているのではなく、相互の情報に齟齬があるだけなのだ。
「彩華ちゃん、積みきれなかった荷物をあっちのクルマに積んで!」
彩華は花山の指示に素直に従うことで、この場の悪い雰囲気を納めようとした。
気付くと、由衣がワンボックスワゴンの後席に座り、ケンちゃんが上ろうとしている。
ワンボックスワゴンの狭い荷室は、瞬く間に満載になった。軽トラの荷台も満載だ。
香野木がワンボックスワゴンを、花山が軽トラを運転して、正哉の元に急いだ。
「遅いので、心配しました」
正哉は、心細かったようだ。
正哉は、ワンコを抱いていた。
それを見た由衣は大喜びで、ワンコは彩華からドッグフードを貰い、これに大喜びだ。
由衣は、何度も「ワンちゃん」と話しかけている。
香野木は正哉に時間を要したことを詫び、大量の物資の山を見せた。
「キーは?」
「ありましたよ。
これだと思います」
確かにフロントローダーが装着されているトラクターは、クボタ製で、同社製はこれ1輌しかない。
香野木と正哉は地下に入り、花山もついてきた。
正哉はローダーのバケットの中にジェリカン四つを押し込んでおり、準備万端だった。
花山は、2トンと軽のダンプなど予想外の機材に非常に驚いている。
「こんなにも残っているなんて……」
「地下を探れば、俺たちが生き抜くための物資はまだまだ手に入る」
「これを見せられたら、諦められないわね」「そうだね。諦めたことはないけど」
「でも、覚悟は何度もしたでしょ」
「それは、そうだ」
正哉がじれったそうに「早く運び出しましょうよ」と詰め寄った。
香野木はトラクターのキャビンに入ると、とりあえず自動車と同じ要領でエンジンを始動してみた。
エンジンは簡単に動き出し、トランスミッションはオートマチックで、運転自体は難しくないようだ。
フロントローダーは、ジョイスティックの操作で昇降でき、地上に接地していたので少しだけ上げて、前進を始める。
そして、地上にフロントを向けて、停車した。
香野木はトラクターを降り、自分の計画を話した。
「このトラクターは後輪がクローラーだから、相当な悪路でも走れると思うんだ。
それに排気管が高い位置にあるから、川を渡るときには排気管の水没を心配をしなくていい。
でも、一人しか乗れない。
そこで、あそこにあるトレーラー、田植機とかを運ぶためのものだと思うけど、あれにワンボックスワゴンを載せようと思う。
それをトラクターで牽引するんだ。
1人が運転し、他は休めるし、車内は広いから子供たちは脚を伸ばして眠れる。
それにエンジンをかければ、エアコンが使える。寒さに凍えることも少しはマシになる」
花山はトレーラーを見に行った。
後部と左右にアオリがなく、床に網鋼板が張られ、積載重量5500キロの表記がある。
荷台の全長は5.5メートル、幅は2.2メートル。十分にワンボックスワゴンを載せられる。
荷台はシーソー式で、油圧ダンパーがついている。この油圧ダンパーを使って荷台を傾斜させ、農機の積み卸しを容易にする仕組みのようだ。
「名案ね」
花山がそう賛同すると、正哉と彩華がトレーラーを移動させようとする。香野木もそれを手伝う。
トレーラーの装着は、花山が手際よく行った。彼女はこういった作業に慣れているようだ。
トレーラーを牽引したトラクターが地上に出ると、オレンジ色のボディがたくましく見える。
香野木と正哉が地下から出たあと、花山はかなり長い時間、物色を続けていた。
その間、香野木と正哉は、トレーラーにワンボックスワゴンを積み込んだ。
トレーラーのほうが若干大きく、トレーラー前部に雨に濡れても問題ない物資を積む。
ワンボックスワゴンの車内はできるだけ広く使いたいが、衣類や寝具は移動した。
また、中列のシートは回転して、後列と対面にした。
ワンボックスワゴンと荷物の積載作業は、三〇分をかけずに終わった。ワンボックスワゴンの排気管の位置がかなり上がり、渡渉にも有利だ。
ワンボックスワゴンの後席サイドウインドウがスモークなので、外部から車内が見えにくいのも安心感を与える。
花山が戻ってきた。服が汚れている。
20リットルのポリタンクを両手に提げ、巻いた長い水道ホースを右肩にかけている。灯油に使うポンプも持っている。
「シャッターを閉めてきた」
積み込まれたワンボックスワゴンを見て、「凄いね」と一言いい、車内に座った。
そして、「ポリタンクを2つ見つけたので、それに車輌から燃料を抜き取って満タンにしてある。正哉くん、ジェリカンが空なら入れ替えて。
由衣ちゃん、ケンちゃんはこっちに乗って、正哉くんは軽トラ、香野木さんはトラクターで」
こうして配車が決まり、彼らは荒川右岸に向かって出発した。
花山真弓はパスタを茹で、ミートソースをかけた、彼らにとってはご馳走を用意してくれた。
金平彩華がちょっと涙ぐみ、由衣はニコニコして食べている。ケンちゃんはママに食べさせてもらい、葉村正哉は大盛りをがっついている。
香野木恵一郎は一口一口を味わっていた。
正哉が見つけたキャンプ用品の中にナイフとフォークのセット、割り箸があり、彼らは手づかみ以外の食事の方法を得ていた。
まだ薄暗いうちに昨日回収した銃の確認を行う。
彼らは、すでにライフル1挺と拳銃3挺を得ている。これ以上の武器が必要とは思えないが、自分たちが何を持っているのか、これは知っておくべきことだ。
1挺は古めかしい水平2連の散弾銃、1挺は第二次世界大戦時の小銃のように銃口部分まで木製ストックが覆っている半自動ライフル、最後の一挺はスタームルガー・ミニ14だ。
散弾銃は日本製らしい。ライフルはベレッタ製半自動で、弾は.308ウインチェスター。ミニ14はスタームルガー製の.232レミントン弾を使用する半自動の害獣駆除用猟銃。ブローニングとミニ14の装弾数は四発。
彩華が「玩具じゃないの」と疑問を呈したが、花山は実銃だといった。
花山は、ミニ14の弾を〝89式実包〟と呼び、ベレッタの弾を「64式の実包と同じね」といった。
香野木はかねてから疑問に思っていたことを言葉にした。
「花山さんは自衛隊にいたんですか?」
「1年前まで。辞めさせられたけど……」
彩華が「日本でセミオートの銃なんて所持してもいいの?」と花山に尋ねる。
「警察署長をした経験のある上官から聞いたのだけど、猟銃所持の許可があり、ライフルの所持と使用の資格があれば所有は許可されるそうよ」
正哉が「自衛隊って、警察と関係があるの?」とボソッと問う。
花山は「自衛隊で出世を望むなら、警察に出向することは1つの方法なの。昔はね」と正哉に教えた。
香野木は花山に「で、この銃はどうする?」と尋ねる。
「持って行きましょう。使うことがないように願って」
香野木は花山のその言葉に、一抹の不安を感じていた。
彼らは、用心を重ねている。怯えているともいえる。
何に対してか。
それはわからないが、ケンちゃんを含めて、何かに怯えていることは事実だ。ヒトにわずかだが残っている野生動物の本能みたいなものだ。
彩華は、太陽が完全に地平線から出ると同時に、地下室に入った。
由衣も入りたがり、少しだけ、という約束で地下に降りた。
香野木と正哉は、北に向かって偵察に出た。これは常時だが、香野木は拳銃を携行している。
正哉は水たまりを見つけて、頭を洗い。香野木も交代で顔を洗った。正哉はスポーツバックに入っていた少し茶色くなった白いフェイスタオルで頭から首までを拭き、香野木は手提げバッグに入れていたハンドタオルで拭いた。
いまでは、これらは二度と手に入らない物資かもしれない。
30分もすると偵察というよりは、そぞろ歩きの散歩のようになってしまった。
だが、それでも地面の下はよく見ている。
正哉が指さす方向を見ると、斜めに地下に向かう穴がある。
近付いて確認すると、その穴は東に向いており、縦横とも3メートルほどある。
地下駐車場への入口には見えない。
穴に入ると、すぐに閉まったシャッターに行き当たった。地上近くにあって、このような原形をとどめている人工物は初めてだ。
シャッターは地上から40センチほど下が消えており、上方だけが残っている。シャッターの直前までは土だが、シャッターの内側の床はコンクリートだ。
正哉が腹ばいになって中に入り、香野木が続く。
コンクリートのスロープは斜度が急で、公共の地下駐車場ではない。
LEDライトで照らしながら内部を進むと、すぐに広い空間に出た。
正哉が照らし出したのは、コンバインや田植機などの農作業用の機械だ。20台以上ある。
正哉が北側の壁を照らすと〝農機はレンタルの時代へ〟と書かれた幟が見える。ラーメン屋の店先に並べられるものと同じようなものだ。
正哉が「農機って、レンタルなんですか?」と香野木に尋ね、香野木は「まぁ、5年前まで、日本は何でも借りられる国だったからね」と知るはずのない知識を誤魔化した。
正哉が南側を照らすと、2トンと軽のダンプがある。さらに、小型のトラクター2台。それと一番奥にはミドルサイズの型式の古いワンボックスワゴンが停まっている。
香野木がワンボックスワゴンに向かうと、正哉が付いてきた。彼が付いてこなければ、何も見えないのだが……。
香野木が「動くかな」というと、正哉が「軽トラの方がよくないですか?」と応じた。
「まぁね。軽トラのほうがこの状況なら走るだろうし、このワンボックスワゴンじゃ地上に出るのがやっとでしょ。
でも、毎晩雨は降るし、ケンちゃんや由衣ちゃんは狭くて辛いだろうし……」
「荷物が多くなっているから……。
でも、軽トラが一台増えれば、少しはよくなるでしょ」
「葉村くん、あのシャッター、開けられるかな?」
軽トラが動いたとしても、シャッターが開かなくては外には出せない。
正哉と香野木は、シャッターまで戻る。
シャッター横のハンドルを回すと、少しずつ上がっていく。この手動の開閉装置は死んでいないようだ。
数分でシャッターを開けることができた。
だが、地上の光は地下まで十分には届かず、薄明るくなった程度だ。
地上に出るスロープの直近には、キャビンの付いた中型のトラクターがあり、このトラクターにフロントローダーが装着されている。
正哉は「このブルドーザーが動けば、荒川の浅瀬を埋められるかも、ですね」と少し冗談めいて言った。
「それも農業用トラクターだ。フロントのローダーはブルドーザーのブレードほど頑丈じゃない。
でも、葉村くんの案は使えるかもしれない。
もう少し、周囲をよく観察しよう」
香野木の提案で、2人は分かれて探索を始める。
香野木はパーティションで囲われた一画に向かう。
そこには事務机と観音開きのスチールロッカーが一つずつあり、車輌に関する書類などが机の上に整然と並べられていた。
机の引き出しを開けると、ハサミやカッターがあり、未使用のノートもある。
いまやこれらも貴重な資材なので、貰っていくことにして、自分の手提げバッグに入れた。
ロッカーには鍵がかかっていたが、その鍵は机の袖の引き出しの最上段に入っていた。
その鍵でロッカーを開けると、車輌のキーの束があった。
香野木は無意識にワンボックスワゴンのキーを探したが、この中にはない。
ワンボックスワゴンに向かいナンバーを見ると〝わ〟ナンバーではない。2トンと軽のダンプは〝わ〟ナンバーだ。
ワンボックスワゴンはレンタカーではなく、社用車のようだ。
香野木は、もう一度机に戻り、引き出しを物色していると、袖の2段目から見つけた。
たぶんワンボックスワゴンのキーだ。
そのとき、正哉が「香野木さん!」と大声で呼んだ。
香野木は驚き、声の方に向かう。
正哉は1匹の成犬まであと一息の子犬を抱いていた。子犬は震えていた。
ビスケットを与えると夢中で食べ、保護を求めるような潤んだ目で香野木を見つめた。
「連れて行こう」
「ですね!」
正哉は一呼吸置き「あとトラクターの後輪ですが、おむすび型のキャタピラがついています」
「キャタピラ?」
正哉が指さす。
「このイヌ、あのキャタピラーの後ろに隠れていたんです」といって、それにLEDライトを向けた。
「葉村くんは、俺たちが一番欲しいものを見つけたようだ」
「何なんです?」
「クローラー、ゴム製の履帯、パワクロとかいうヤツだと思う」
「トラクターってタイヤでしょ、普通は?」
「ああ、でもクローラーのほうが接地圧が低いから、悪路に強いんだ。後輪がクローラーのトラクターは珍しくないんだ。
あれがあれば、軟弱な田んぼや畑の中にも入っていける」
「それじゃ、あのトラクターは戦車みたいに走れるってことですか?」
「ほぼ、その通り。
俺たちは昨日に続いて、宝の山を見つけたようだな」
「何からします?」
「まず、あのワンボックスワゴンを調べよう」
「トラクターじゃないんですか?」
「あぁ、まずはワンボックスワゴンからだ」
ワンボックスワゴンはごく普通の3列シートの室内で、乗用仕様だ。前席2人、中席2人、後席3人の7人乗りで、シートはワゴンタイプのしっかりとした作り。後部荷室にはスペースがほとんどない。
走行は10万キロを超えているが、車内は全体的にきれいだ。
トランスミッションはオートマチック、エンジンは2リットルガソリン、駆動は後輪のみ。
そう珍しいクルマではないが、この状況でこのクルマを見つけたことは、幸運以外の何物でもない。
そして、キーを回すとエンジンは簡単に始動した。〝カードが挿入されていません〟とETCカードの挿入を促してくる。
香野木は、まずこのワンボックスワゴンを地上に出した。
スロープの途中から土になるが、ぬかるんではいないので、ワンボックスワゴンは登り切った。
そしてゆっくりと走って、サルベージ真っ最中の軽トラに戻る。
正哉はワンコと一緒にフロントローダー付きのトラクターのキーを探している。
ワンボックスワゴンは徒歩と大差ない速度で、走り始める。
ワンボックスワゴンが近付いていくと、花山はすぐに気付き、レミントンM700を手に取った。
香野木は100メートルまで近付いてから、クルマを止め、下車して両手を振った。
花山は、ライフルを軽トラの荷台に戻す。
由衣は地下と地上を往復しているようで、ワンボックスワゴンが軽トラの横に止まると、「おっきい自動車!」といって喜んだ。
花山は「このクルマでは、1キロも走れませんよ?」と、少し呆れたように香野木を見る。
彩華は香野木と花山の様子を地下から顔だけ出して眺めている。
香野木は花山の問いには答えず、「凄いですね。全部揚げたんですか?」
地下室の物資がほぼすべてサルベージされている。
香野木と正哉が出せなかったクーラーボックスまである。
「ここは宝の山でした。お米に小麦粉、パン焼き器に炊飯器、ガソリンも20リットル、カセットコンロにイヌのぬいぐるみまで……」
「イヌのぬいぐるみですか」
由衣が「ほらぁ~」と見せてくれる。クレーンゲームの景品のようなワンコだ。
由衣に「かわいいね。でも、おじちゃんたちの勝ちだよ。本物のワンコ見つけたから」
由衣はびっくりで、彩華が地下から飛び出てきた。
「本当ですか?」
彩華の問いに、香野木は首肯した。
由衣は「ワンちゃん、会いたい」と何度も訴える。
「イヌって、生きたイヌ?」と花山が問う。
「腹を空かせているみたいだが、元気だ。怯えているけど……」と香野木が答えると、由衣が「ワンちゃんのご飯」といって、ミニチュアダックスフントが描かれた大きな袋を持ち上げようとした。
「ところで、これだけの物資をどうやって運ぶの?」
「全部を軽トラに積み、運転手と子供を除いて他は歩く」
「それじゃ、雨が降ったらどうするの。毎晩雨が降るでしょ」
「テントを手に入れたわ」と、花山はターフの描かれた段ボール化粧箱を示す。
「それ、テントじゃなくてターフでしょ」
「似たようなものよ」
花山はアバウトすぎる。
「なので、このワンボックスワゴンが役立つように、もう一度戻る。
葉村くんが準備をしてくれている」
「……」
彩華が耐えきれなくなり、話に加わった。
「これだけの荷物、簡単には運べませんよ。それは、さっき花山さんもおっしゃってたじゃないですか?
あのワンボックスワゴンが動けば、役に立つと思うんですけど……」
花山が珍しく文句をいう。
「だいたい、香野木さんも葉村くんも、どちらもアバウトすぎるんです。これだけの物資がありながら、調べなかったのと同じでしょ」
彩華が「2人とも喧嘩はやめてください」と仲裁する。
別に喧嘩をしているのではなく、相互の情報に齟齬があるだけなのだ。
「彩華ちゃん、積みきれなかった荷物をあっちのクルマに積んで!」
彩華は花山の指示に素直に従うことで、この場の悪い雰囲気を納めようとした。
気付くと、由衣がワンボックスワゴンの後席に座り、ケンちゃんが上ろうとしている。
ワンボックスワゴンの狭い荷室は、瞬く間に満載になった。軽トラの荷台も満載だ。
香野木がワンボックスワゴンを、花山が軽トラを運転して、正哉の元に急いだ。
「遅いので、心配しました」
正哉は、心細かったようだ。
正哉は、ワンコを抱いていた。
それを見た由衣は大喜びで、ワンコは彩華からドッグフードを貰い、これに大喜びだ。
由衣は、何度も「ワンちゃん」と話しかけている。
香野木は正哉に時間を要したことを詫び、大量の物資の山を見せた。
「キーは?」
「ありましたよ。
これだと思います」
確かにフロントローダーが装着されているトラクターは、クボタ製で、同社製はこれ1輌しかない。
香野木と正哉は地下に入り、花山もついてきた。
正哉はローダーのバケットの中にジェリカン四つを押し込んでおり、準備万端だった。
花山は、2トンと軽のダンプなど予想外の機材に非常に驚いている。
「こんなにも残っているなんて……」
「地下を探れば、俺たちが生き抜くための物資はまだまだ手に入る」
「これを見せられたら、諦められないわね」「そうだね。諦めたことはないけど」
「でも、覚悟は何度もしたでしょ」
「それは、そうだ」
正哉がじれったそうに「早く運び出しましょうよ」と詰め寄った。
香野木はトラクターのキャビンに入ると、とりあえず自動車と同じ要領でエンジンを始動してみた。
エンジンは簡単に動き出し、トランスミッションはオートマチックで、運転自体は難しくないようだ。
フロントローダーは、ジョイスティックの操作で昇降でき、地上に接地していたので少しだけ上げて、前進を始める。
そして、地上にフロントを向けて、停車した。
香野木はトラクターを降り、自分の計画を話した。
「このトラクターは後輪がクローラーだから、相当な悪路でも走れると思うんだ。
それに排気管が高い位置にあるから、川を渡るときには排気管の水没を心配をしなくていい。
でも、一人しか乗れない。
そこで、あそこにあるトレーラー、田植機とかを運ぶためのものだと思うけど、あれにワンボックスワゴンを載せようと思う。
それをトラクターで牽引するんだ。
1人が運転し、他は休めるし、車内は広いから子供たちは脚を伸ばして眠れる。
それにエンジンをかければ、エアコンが使える。寒さに凍えることも少しはマシになる」
花山はトレーラーを見に行った。
後部と左右にアオリがなく、床に網鋼板が張られ、積載重量5500キロの表記がある。
荷台の全長は5.5メートル、幅は2.2メートル。十分にワンボックスワゴンを載せられる。
荷台はシーソー式で、油圧ダンパーがついている。この油圧ダンパーを使って荷台を傾斜させ、農機の積み卸しを容易にする仕組みのようだ。
「名案ね」
花山がそう賛同すると、正哉と彩華がトレーラーを移動させようとする。香野木もそれを手伝う。
トレーラーの装着は、花山が手際よく行った。彼女はこういった作業に慣れているようだ。
トレーラーを牽引したトラクターが地上に出ると、オレンジ色のボディがたくましく見える。
香野木と正哉が地下から出たあと、花山はかなり長い時間、物色を続けていた。
その間、香野木と正哉は、トレーラーにワンボックスワゴンを積み込んだ。
トレーラーのほうが若干大きく、トレーラー前部に雨に濡れても問題ない物資を積む。
ワンボックスワゴンの車内はできるだけ広く使いたいが、衣類や寝具は移動した。
また、中列のシートは回転して、後列と対面にした。
ワンボックスワゴンと荷物の積載作業は、三〇分をかけずに終わった。ワンボックスワゴンの排気管の位置がかなり上がり、渡渉にも有利だ。
ワンボックスワゴンの後席サイドウインドウがスモークなので、外部から車内が見えにくいのも安心感を与える。
花山が戻ってきた。服が汚れている。
20リットルのポリタンクを両手に提げ、巻いた長い水道ホースを右肩にかけている。灯油に使うポンプも持っている。
「シャッターを閉めてきた」
積み込まれたワンボックスワゴンを見て、「凄いね」と一言いい、車内に座った。
そして、「ポリタンクを2つ見つけたので、それに車輌から燃料を抜き取って満タンにしてある。正哉くん、ジェリカンが空なら入れ替えて。
由衣ちゃん、ケンちゃんはこっちに乗って、正哉くんは軽トラ、香野木さんはトラクターで」
こうして配車が決まり、彼らは荒川右岸に向かって出発した。
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