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第1章 東京脱出
01-009 命の脚
しおりを挟む 前回気に入った韓国料理店に二人は来ていた。今回は奥の個室が空いていたので四人がけの席にゆったりと座り居心地がいい。大輝も二人がけベンチの真ん中に座っている。
涼香の近況報告会と称して集まったのだがなんとも意外な言葉に大輝は目の前の人物をあんぐりとして見つめた。大根のキムチを箸で掴むとポロッと皿の上に落とす。
「連絡、してない……だと?」
「あはは……」
涼香はわざとらしく拳を作り額に当てる。その表情は気まずそうだ。
「なんで?」
「いや、その……怖くて」
大輝は今度こそ角切りの大根キムチを口の中へと放り込んだ。呆れたように首を横に振るとビールで流しこむ。
「何が怖い? 電話番号にかけりゃいいだろ」
「私と武人は……友人関係が長かったの。だからもしかして……友人として教えてくれたのかなとか、実はあの時の子と結婚してて、もう私のことなんかなんとも思ってないのかなって……あの、ゴメン」
話しながら大輝の目つきが悪くなるのに気づき涼香は小さくなり謝る。大輝はため息をつきながらも、俯いた涼香の頭をポンっと叩く。
「当然だ。結婚まで考えた相手だからな、臆病にもなる」
「……なんで知ってんの? 言ったっけ?」
「洋介だ。涼香ちゃんのことを気にかけてた」
涼香は「そっか」と言い酒を口に含んだ。
涼香はゆっくりと別れた時の話をした。突然の別れ、その後の壊れた心を平気なように見せて生活していたこと……。
大輝には分かる。今だってそうだ。
「本当にやり直すかどうかは、電話をかけてみないと分からないだろ? ハードルが高いのならメールしたらいい。向こうは涼香ちゃんの連絡先を知らないんだから、こっちからするしか──」
そこまで言うと涼香の目から涙が溢れる。大輝は言葉が出てこなくなった。
「……私は、武人の記憶と一緒に二年間いたのに、私の連絡先を消せるほど心から締め出された私を、再び愛してくれると思ってもいいの? それって、正しい? 二年間で武人がどんな人間になったかも分からないのに……ここで再会した時に香った香水すらも以前と違うものだったのに──」
「りょ、うかちゃん……」
大輝は向かいに座っていたが、涼香の横の席に移動してその震える肩を抱きしめた。涼香の肩を抱き頭を自分の方へ引き寄せて涙を隠す。誰にも見えないように。
「悪かった……考えが浅かった。涼香ちゃん、ごめん」
大輝がそう言って頭を何度も撫でた。涼香はその温もりに甘えた。こうして人に抱かれて泣くことに慣れてない涼香には大輝の優しさが有難すぎて涙が止まらない。
大輝くんがいてくれて、本当に良かった。そう思った。
そのあと泣き止んだ涼香は海鮮チヂミを頼んでそれを口に放り込むともぐもぐと食べ出した。それを見て大輝は次のチヂミを箸で掴み口元へと運ぶ。それを涼香は無言でかぶりついた。
大輝は嬉しそうに微笑んでいた。
「……俺の彼女は──希っていうんだ」
「……のぞみ、さん」
「今から三年前くも膜下出血で亡くなった。俺が病院に着いた時には──冷たかったよ、信じられないほど。希に何もしてやれないまま送り出したんだ。希は、綿あめで出来ていたみたいに突然ふわっと消えたんだ。甘い記憶だけ残して」
涼香は海鮮チヂミを頬張りながら涙を流す。大輝の声色が甘く、別人のようで泣けてくる。愛おしい気持ちが溢れている。
「涼香ちゃんが大きな口で頬張るのを見ると……希を思い出すよ。二人は全然似てないんだ。それなのに……泣きながらそうやって食べてる姿を見ると、希そっくりだよ」
クリスマスの日に指輪をつけて泣きながらケーキを頬張っていた希の姿を大輝は思い出していた。幸せだった頃の記憶だ。甘い、記憶。
「大輝くん……ちょっとこっちに戻ってきて」
大輝が涼香の横の席へと移動する。大輝は訝しげに涼香を見つめる。
一体何をする気なのだろうか……。
涼香がこちらを振り返ると腕を広げたまま満面の笑みでこちらを見ている。
「さ、どうぞ」
「はい?」
「泣きたいんでしょ? 今」
涼香の言葉に大輝の顔が歪む。涼香は大輝の短い髪を胸に押し付けるように引き寄せた。突然涼香の柔らかい感触を感じる。
「ちょ……」
「はい、どうどうどうどう……」
馬をあやすような口調で涼香が大輝の背中を叩く。
「大丈夫。ね、ほら、希さんのこと話してくれてありがとう」
涼香の腕の中で大輝は少し涙を流した。ほんの少しだけ。これが店の中でなければ号泣してしまったかもしれない。すぐに離れて涼香にバレないように指で目尻に残った涙を払う。涼香はそれを見てうっすら笑った。
向かいの席に戻った大輝は溜め息をつく。涼香は満足げにビールを飲み干している。
「俺たち、いい歳して何やってんのかね?」
「縫合し忘れた部分を縫い付けてんの、私たち心の友、でしょ」
大輝は空になったジョッキを片手に持つ、同じく涼香も空になったジョッキを高々と持ち上げる。
「乾杯」
「おう」
その日大輝は久し振りに一人笑いながら歩いた。夜道を歩いているだけなのに、笑えてくる。いつも通る道なのに、全く違うものに見えた。
涼香の近況報告会と称して集まったのだがなんとも意外な言葉に大輝は目の前の人物をあんぐりとして見つめた。大根のキムチを箸で掴むとポロッと皿の上に落とす。
「連絡、してない……だと?」
「あはは……」
涼香はわざとらしく拳を作り額に当てる。その表情は気まずそうだ。
「なんで?」
「いや、その……怖くて」
大輝は今度こそ角切りの大根キムチを口の中へと放り込んだ。呆れたように首を横に振るとビールで流しこむ。
「何が怖い? 電話番号にかけりゃいいだろ」
「私と武人は……友人関係が長かったの。だからもしかして……友人として教えてくれたのかなとか、実はあの時の子と結婚してて、もう私のことなんかなんとも思ってないのかなって……あの、ゴメン」
話しながら大輝の目つきが悪くなるのに気づき涼香は小さくなり謝る。大輝はため息をつきながらも、俯いた涼香の頭をポンっと叩く。
「当然だ。結婚まで考えた相手だからな、臆病にもなる」
「……なんで知ってんの? 言ったっけ?」
「洋介だ。涼香ちゃんのことを気にかけてた」
涼香は「そっか」と言い酒を口に含んだ。
涼香はゆっくりと別れた時の話をした。突然の別れ、その後の壊れた心を平気なように見せて生活していたこと……。
大輝には分かる。今だってそうだ。
「本当にやり直すかどうかは、電話をかけてみないと分からないだろ? ハードルが高いのならメールしたらいい。向こうは涼香ちゃんの連絡先を知らないんだから、こっちからするしか──」
そこまで言うと涼香の目から涙が溢れる。大輝は言葉が出てこなくなった。
「……私は、武人の記憶と一緒に二年間いたのに、私の連絡先を消せるほど心から締め出された私を、再び愛してくれると思ってもいいの? それって、正しい? 二年間で武人がどんな人間になったかも分からないのに……ここで再会した時に香った香水すらも以前と違うものだったのに──」
「りょ、うかちゃん……」
大輝は向かいに座っていたが、涼香の横の席に移動してその震える肩を抱きしめた。涼香の肩を抱き頭を自分の方へ引き寄せて涙を隠す。誰にも見えないように。
「悪かった……考えが浅かった。涼香ちゃん、ごめん」
大輝がそう言って頭を何度も撫でた。涼香はその温もりに甘えた。こうして人に抱かれて泣くことに慣れてない涼香には大輝の優しさが有難すぎて涙が止まらない。
大輝くんがいてくれて、本当に良かった。そう思った。
そのあと泣き止んだ涼香は海鮮チヂミを頼んでそれを口に放り込むともぐもぐと食べ出した。それを見て大輝は次のチヂミを箸で掴み口元へと運ぶ。それを涼香は無言でかぶりついた。
大輝は嬉しそうに微笑んでいた。
「……俺の彼女は──希っていうんだ」
「……のぞみ、さん」
「今から三年前くも膜下出血で亡くなった。俺が病院に着いた時には──冷たかったよ、信じられないほど。希に何もしてやれないまま送り出したんだ。希は、綿あめで出来ていたみたいに突然ふわっと消えたんだ。甘い記憶だけ残して」
涼香は海鮮チヂミを頬張りながら涙を流す。大輝の声色が甘く、別人のようで泣けてくる。愛おしい気持ちが溢れている。
「涼香ちゃんが大きな口で頬張るのを見ると……希を思い出すよ。二人は全然似てないんだ。それなのに……泣きながらそうやって食べてる姿を見ると、希そっくりだよ」
クリスマスの日に指輪をつけて泣きながらケーキを頬張っていた希の姿を大輝は思い出していた。幸せだった頃の記憶だ。甘い、記憶。
「大輝くん……ちょっとこっちに戻ってきて」
大輝が涼香の横の席へと移動する。大輝は訝しげに涼香を見つめる。
一体何をする気なのだろうか……。
涼香がこちらを振り返ると腕を広げたまま満面の笑みでこちらを見ている。
「さ、どうぞ」
「はい?」
「泣きたいんでしょ? 今」
涼香の言葉に大輝の顔が歪む。涼香は大輝の短い髪を胸に押し付けるように引き寄せた。突然涼香の柔らかい感触を感じる。
「ちょ……」
「はい、どうどうどうどう……」
馬をあやすような口調で涼香が大輝の背中を叩く。
「大丈夫。ね、ほら、希さんのこと話してくれてありがとう」
涼香の腕の中で大輝は少し涙を流した。ほんの少しだけ。これが店の中でなければ号泣してしまったかもしれない。すぐに離れて涼香にバレないように指で目尻に残った涙を払う。涼香はそれを見てうっすら笑った。
向かいの席に戻った大輝は溜め息をつく。涼香は満足げにビールを飲み干している。
「俺たち、いい歳して何やってんのかね?」
「縫合し忘れた部分を縫い付けてんの、私たち心の友、でしょ」
大輝は空になったジョッキを片手に持つ、同じく涼香も空になったジョッキを高々と持ち上げる。
「乾杯」
「おう」
その日大輝は久し振りに一人笑いながら歩いた。夜道を歩いているだけなのに、笑えてくる。いつも通る道なのに、全く違うものに見えた。
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