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第1章 東京脱出
01-002 飯田橋駅地下
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地下鉄飯田橋駅の内部は暗闇だったが、LEDライトの幾筋かの光が見え、大勢が閉じ込められているようだ。
東京の地下街のいくつかは、西日本の避難者や東京周辺で家を失った人々の住処となっていた。
香野木は地下鉄飯田橋駅がそうだとは知らなかったが、この状況が危険であることは咄嗟に察していた。
それは女性も同じようだった。
女性は「お名前は?」と香野木に尋ね、香野木は「香野木恵一郎」と名乗った。
女性は「花山真弓です。この子は健昭」といい、続けて「しばらくの間、一緒に行動しませんか?」と提案した。
香野木に拒否る理由はない。この状況では、1人よりも複数のほうが身を守れる。
これよりもだいぶ前、2人はLEDライトを消していた。奪われる恐れがあるからだ。
3人は、大江戸線飯田橋駅ホームに降りる階段を戻っていく。
東西線、南北線、有楽町線の乗り換え通路付近には大勢がいて、いつ何が起こるか予測できない。
すべての出口が塞がれているらしいが、しばらく待てば人々が移動して状況が変わる可能性がある。
地下鉄飯田橋駅構内でもっとも静かな場所は、大江戸線ホームの両国方面先端だった。
ここには地上に向かう階段がある。そして、飯田橋駅ではもっとも深い。
ヒトは地上を目指している。だから深部にはいない。ヒトのいない深部に向かう。
香野木と花山の判断は正しかった。
そして、ホーム先端にはもう1人いた。
その人物は息を殺し、存在を隠している。香野木がLEDライトの光で照らすと、闇に逃げ込もうとする小さな人影を見つけた。
花山が、「逃げないで。おばちゃんたちは3人で、小さな男の子がいるの」といった。
小さな影は、「虐めない。一緒にお外に行ってくれる?」と尋ねた。
花山は、「一緒に頑張ろう?」と問いかけた。
小さな影は、光に向かって歩いてきた。
10歳くらいの女の子だ。
花山が「お名前は?」と問うと、「高梨由衣」と答えた。
「誰といたの?」と尋ねると、「1人」と答え、「どうして?」の問いには「隠れていたの」と返答した。
要領は得なかったが、1人でいたことは確かなようだ。
香野木は空腹に耐えられず、デイパックからビスケットタイプの栄養補助食品を取り出し、花山、健昭、由衣にも渡した。
香野木は、「こいつは闇物資だが、栄養価はとびきり高い。少しの量でしばらくは動ける」と説明した。
そして、氷砂糖を1粒ずつ3人に渡す。
由衣が「お水ある?」と尋ね、香野木は由衣に使い回しのペットボトルを1本渡した。
葉村正哉は、東西線と有楽町線を結ぶ地下道の一画で闇の中に紛れている。
JRとの連絡口から雨宿りで入り込んだことを後悔していた。彼はこの地下をよく知っていたし、脱出の方法も考えていた。
いくら掘っても流れ込んだ土砂が多くて、地上へは出られない。
東西線ならば数キロで中野まで行ける。トンネルの開口部が大きいから、隙間くらいはあるだろう。
それでダメなら、西船橋に向かう。南砂町駅のちょっと先が地上だ。穴を掘るより、歩くほうが簡単だ。
それよりも、厄介な連中に捕まらないようにすべきだ。
正哉は、すでに手槍を組み立て終わっていた。30センチの金属棒を四本つなげて、柄の長さが90センチ、先端にアメリカ軍のM4銃剣を取り付ける。
使いたくはないが、使う必要があれば、いつでも使う。
しかし、この中空パイプ製手槍は、柄の強度が弱い。強力な武器とはいえない。
金平彩華は途方に暮れていた。大学から自宅に帰る途中で、雨に降られ、普段ならば決して使わない地下鉄飯田橋構内を通り抜けようとしたことから、地下に閉じ込められてしまった。
大学は9月末で閉鎖となる。誰もが食料探しで精一杯。大学の教員も同じだ。
それでも、彩華が通う大学はよく持ちこたえた。
暗闇の中で、何の準備もなく、地下に閉じ込められた。
地下は不穏な空気で満ちていた。老人の犯罪が急増していたが、特に地下は彼らがうごめく不気味な世界であった。
そして、眼の前に座る男が刃物を組み立てている。
彩華はすでに動かなくなった飲料の自動販売機の陰から、刃物を組み立てる男の動きをときどき通過する懐中電灯の光を通して、見詰めていた。
「女だ」と若くない男の声がする。光芒の先に、ミュゼットバッグをたすき掛けする20歳くらいの女性の顔が見える。
正哉は助けるかどうか思案した。助けてもいいことはないが、この女性がヒヒジジイたちに犯されるのも寝覚めが悪い。
それに、年寄りの暴虐ぶりには、日頃から腹が立っていた。
どうせ、湾岸方面からこの界隈に流れてきた元富裕層だ。カネを抱えてはいても、食い物のない食い詰め野郎ども。
正哉は女性の顔を見た。
怯え、震えているはずの女性は、なぜか凜としている。
女性がミュゼットバッグから何かを取りだした。
瞬間、軽い音がして、ジジイどもがうずくまる。1人は目を押さえて、のたうち回る。
女性は腰を屈めた1人の後頭部を何かで殴った。
正哉が立ち上がり、女性に「こっちへ」と声をかけた。
ヒトに追われる気配があるが、追う側の光芒を頼りに大江戸線のホームに向かって走る。
深部には降りたくないらしく、老人たちは追ってはこなかった。
階段直下のホームで、正哉は女性に「大丈夫?」と声をかけた。
「一応ね」
「俺、葉村正哉」
「金平彩華よ」
彩華は続けて、「刃物を持っていたんで、物騒な人だと思っていた」といった。
「物騒じゃない人間なんていないでしょ」
「そうね」
「何使ったの?」
「あぁ、サバゲー用のガスガン。とびっきり強化してあるけど」
「金平さんも十分に物騒でしょ」
「当然よ。物騒じゃなくちゃ、東京じゃ生きていけないもの」
彩華が指差す方向を正哉が見る。
弱い光が両国方向から見える。
「行ってみよう」と彩華がいい、正哉は無言で従った。
香野木はライトを使いたくなかった。光は昆虫を引きつけるように、厄介な連中をおびき寄せる。
しかし、ここは地下鉄飯田橋駅の最深部。誰もが地上へともがいている中で、地下へと移動してきた香野木たちと同じような行動をする人間は限られている。
だが油断はできない。
香野木は、花山がデイパックから荷物を出し終わると、すぐにライトを消した。
「消えた」と正哉。
正哉はLEDが9灯の小型ライトを点灯する。明かりなしで、暗闇を歩くことはできない。
光源は両国方向からで、正哉が向かうと決めている方向と同じだ。
正哉は彩華に、「両国側の階段を上がった踊り場みたいな場所に、隠れやすいところがあるんだ。
そこに行こう」と告げた。
彩華は無言で同意した。
そのライトの光を、香野木は見ていた。厄介な人間を呼んだかもしれない。
尻のポケットから折り畳みのナイフを出す。それを、花山が見ている。
香野木は、その場を離れた。花山は由衣を引き寄せる。
ライトの光は揺れながら、まっすぐに香野木たちに向かってくる。
そして、止まる。
「そこにいるヒト。俺たちはその先に行きたいだけだ。危害を加えるつもりはない。
だから、そこを通してくれ」
花山は健昭を抱き、由衣の手を引いて、ゆっくりと新宿方向に動く。
光は、花山と健昭、そして由衣を照らす。
彩華が「どうしてこんなところに?」といった直後、「あっ、そうですよね。物騒な人たちがうろついているから」と続けた。
花山は油断してはいないが、男女の若者が老人たちよりも凶暴には思えない。
正哉は彩華に「行こう」と促し、花山に「嫌じゃなければ、一緒に行きませんか」と声をかけた。
花山は「香野木さん、どうする?」と尋ねた。
香野木は正哉の真後ろにいた。
「このヒトたちの力を借りよう。子供連れでは、身動きできない」
正哉と彩華は振り返り、自分たちの行動がすきだらけだったことを悟る。
東京の地下街のいくつかは、西日本の避難者や東京周辺で家を失った人々の住処となっていた。
香野木は地下鉄飯田橋駅がそうだとは知らなかったが、この状況が危険であることは咄嗟に察していた。
それは女性も同じようだった。
女性は「お名前は?」と香野木に尋ね、香野木は「香野木恵一郎」と名乗った。
女性は「花山真弓です。この子は健昭」といい、続けて「しばらくの間、一緒に行動しませんか?」と提案した。
香野木に拒否る理由はない。この状況では、1人よりも複数のほうが身を守れる。
これよりもだいぶ前、2人はLEDライトを消していた。奪われる恐れがあるからだ。
3人は、大江戸線飯田橋駅ホームに降りる階段を戻っていく。
東西線、南北線、有楽町線の乗り換え通路付近には大勢がいて、いつ何が起こるか予測できない。
すべての出口が塞がれているらしいが、しばらく待てば人々が移動して状況が変わる可能性がある。
地下鉄飯田橋駅構内でもっとも静かな場所は、大江戸線ホームの両国方面先端だった。
ここには地上に向かう階段がある。そして、飯田橋駅ではもっとも深い。
ヒトは地上を目指している。だから深部にはいない。ヒトのいない深部に向かう。
香野木と花山の判断は正しかった。
そして、ホーム先端にはもう1人いた。
その人物は息を殺し、存在を隠している。香野木がLEDライトの光で照らすと、闇に逃げ込もうとする小さな人影を見つけた。
花山が、「逃げないで。おばちゃんたちは3人で、小さな男の子がいるの」といった。
小さな影は、「虐めない。一緒にお外に行ってくれる?」と尋ねた。
花山は、「一緒に頑張ろう?」と問いかけた。
小さな影は、光に向かって歩いてきた。
10歳くらいの女の子だ。
花山が「お名前は?」と問うと、「高梨由衣」と答えた。
「誰といたの?」と尋ねると、「1人」と答え、「どうして?」の問いには「隠れていたの」と返答した。
要領は得なかったが、1人でいたことは確かなようだ。
香野木は空腹に耐えられず、デイパックからビスケットタイプの栄養補助食品を取り出し、花山、健昭、由衣にも渡した。
香野木は、「こいつは闇物資だが、栄養価はとびきり高い。少しの量でしばらくは動ける」と説明した。
そして、氷砂糖を1粒ずつ3人に渡す。
由衣が「お水ある?」と尋ね、香野木は由衣に使い回しのペットボトルを1本渡した。
葉村正哉は、東西線と有楽町線を結ぶ地下道の一画で闇の中に紛れている。
JRとの連絡口から雨宿りで入り込んだことを後悔していた。彼はこの地下をよく知っていたし、脱出の方法も考えていた。
いくら掘っても流れ込んだ土砂が多くて、地上へは出られない。
東西線ならば数キロで中野まで行ける。トンネルの開口部が大きいから、隙間くらいはあるだろう。
それでダメなら、西船橋に向かう。南砂町駅のちょっと先が地上だ。穴を掘るより、歩くほうが簡単だ。
それよりも、厄介な連中に捕まらないようにすべきだ。
正哉は、すでに手槍を組み立て終わっていた。30センチの金属棒を四本つなげて、柄の長さが90センチ、先端にアメリカ軍のM4銃剣を取り付ける。
使いたくはないが、使う必要があれば、いつでも使う。
しかし、この中空パイプ製手槍は、柄の強度が弱い。強力な武器とはいえない。
金平彩華は途方に暮れていた。大学から自宅に帰る途中で、雨に降られ、普段ならば決して使わない地下鉄飯田橋構内を通り抜けようとしたことから、地下に閉じ込められてしまった。
大学は9月末で閉鎖となる。誰もが食料探しで精一杯。大学の教員も同じだ。
それでも、彩華が通う大学はよく持ちこたえた。
暗闇の中で、何の準備もなく、地下に閉じ込められた。
地下は不穏な空気で満ちていた。老人の犯罪が急増していたが、特に地下は彼らがうごめく不気味な世界であった。
そして、眼の前に座る男が刃物を組み立てている。
彩華はすでに動かなくなった飲料の自動販売機の陰から、刃物を組み立てる男の動きをときどき通過する懐中電灯の光を通して、見詰めていた。
「女だ」と若くない男の声がする。光芒の先に、ミュゼットバッグをたすき掛けする20歳くらいの女性の顔が見える。
正哉は助けるかどうか思案した。助けてもいいことはないが、この女性がヒヒジジイたちに犯されるのも寝覚めが悪い。
それに、年寄りの暴虐ぶりには、日頃から腹が立っていた。
どうせ、湾岸方面からこの界隈に流れてきた元富裕層だ。カネを抱えてはいても、食い物のない食い詰め野郎ども。
正哉は女性の顔を見た。
怯え、震えているはずの女性は、なぜか凜としている。
女性がミュゼットバッグから何かを取りだした。
瞬間、軽い音がして、ジジイどもがうずくまる。1人は目を押さえて、のたうち回る。
女性は腰を屈めた1人の後頭部を何かで殴った。
正哉が立ち上がり、女性に「こっちへ」と声をかけた。
ヒトに追われる気配があるが、追う側の光芒を頼りに大江戸線のホームに向かって走る。
深部には降りたくないらしく、老人たちは追ってはこなかった。
階段直下のホームで、正哉は女性に「大丈夫?」と声をかけた。
「一応ね」
「俺、葉村正哉」
「金平彩華よ」
彩華は続けて、「刃物を持っていたんで、物騒な人だと思っていた」といった。
「物騒じゃない人間なんていないでしょ」
「そうね」
「何使ったの?」
「あぁ、サバゲー用のガスガン。とびっきり強化してあるけど」
「金平さんも十分に物騒でしょ」
「当然よ。物騒じゃなくちゃ、東京じゃ生きていけないもの」
彩華が指差す方向を正哉が見る。
弱い光が両国方向から見える。
「行ってみよう」と彩華がいい、正哉は無言で従った。
香野木はライトを使いたくなかった。光は昆虫を引きつけるように、厄介な連中をおびき寄せる。
しかし、ここは地下鉄飯田橋駅の最深部。誰もが地上へともがいている中で、地下へと移動してきた香野木たちと同じような行動をする人間は限られている。
だが油断はできない。
香野木は、花山がデイパックから荷物を出し終わると、すぐにライトを消した。
「消えた」と正哉。
正哉はLEDが9灯の小型ライトを点灯する。明かりなしで、暗闇を歩くことはできない。
光源は両国方向からで、正哉が向かうと決めている方向と同じだ。
正哉は彩華に、「両国側の階段を上がった踊り場みたいな場所に、隠れやすいところがあるんだ。
そこに行こう」と告げた。
彩華は無言で同意した。
そのライトの光を、香野木は見ていた。厄介な人間を呼んだかもしれない。
尻のポケットから折り畳みのナイフを出す。それを、花山が見ている。
香野木は、その場を離れた。花山は由衣を引き寄せる。
ライトの光は揺れながら、まっすぐに香野木たちに向かってくる。
そして、止まる。
「そこにいるヒト。俺たちはその先に行きたいだけだ。危害を加えるつもりはない。
だから、そこを通してくれ」
花山は健昭を抱き、由衣の手を引いて、ゆっくりと新宿方向に動く。
光は、花山と健昭、そして由衣を照らす。
彩華が「どうしてこんなところに?」といった直後、「あっ、そうですよね。物騒な人たちがうろついているから」と続けた。
花山は油断してはいないが、男女の若者が老人たちよりも凶暴には思えない。
正哉は彩華に「行こう」と促し、花山に「嫌じゃなければ、一緒に行きませんか」と声をかけた。
花山は「香野木さん、どうする?」と尋ねた。
香野木は正哉の真後ろにいた。
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